2011年3月12日土曜日

災害の夜

天災とはいつやってくるかわからないとはよく言ったもの。
普段であればあと少しで休みという安堵感の漂う金曜日の夕方の地震はまさにそんな感じだった。
人間はピンチの時こそ真価を問われるし、その人間性が出る とは常日頃から考えているから、これは尋常ならざる揺れだとわかった時も、咄嗟に考えたのはその事だ。

12階という事もあってオフィスはかなり揺れた。
船に乗っているような感覚だったし、壁がミシミシという音があたりに響き、かなり迫力はあった。
古いビルだという意識もそれに輪をかけた。
もしや倒壊するビルでもあるかもしれないと窓際に立って一人外を眺めていたが、その間もブラインドが揺れて窓にあたり、ガタガタ音を立てていた。
オフィスの同僚たちは揃いもそろって机の下に潜った。
冗談かなと思ったら、備え付けのヘルメットまで被って真剣な表情をしている者もいた。

外出禁止令が解除され、早々に仕事は終了。
オフィスに残っても良し、帰っても良しという事になった。
こういう場合、「動く」タイプの人と「待つ」タイプの人とがあるが、私は基本的に「動く」タイプだ。もちろん、雪山や砂漠などの特殊環境なら別だが、都会でさしたる危険があるわけでもなく、ただ交通機関がマヒしているだけ、という状況であれば尚更「待つ」という判断はしない。

電車はダメでもバスがある、と窓の外を観察していて気がついた。
しかし、すぐに渋滞が始ってそれは甘い考えだと気がついた。
さて歩いて帰る事にしても東京駅から自宅までだと、ざっくり見積もって20キロ。
歩く速度が時速4キロとして5時間。
一方実家のある武蔵小山だとその半分。

迷った末、実家へ行く事にした。
車で通った事のあるルートだし、頭の中で道順を描けるという心理的な安心感もあったからだ。
わかりやすい幹線道路を選んだが、同じように歩く人が多く、行き交う人々でなかなかスムーズに歩けない。道路は車と人が溢れかえる。

歩き始めて1時間。
途中のホテルでトイレ休憩。
外の公衆電話はみな長蛇の列だったが、ホテルの中は穴場。
それでも3台のうちテレフォンカード専用電話が2台であり、残りの1台を待つ事になった。
目の前で電話する若い女性。こういう状況で長電話するとはなかなかの非常識と感心しながら待つ。
携帯電話もオフィスからの電話もつながらなかったのに、公衆電話からだと自宅にすぐにつながった。テレフォンカードはまだどこかに残っていたはずだから、今度探してみようと思いつつ、再び歩きはじめる。

あとわずかで実家というところで、コンビニに入る。
夕食はないだろうと思って弁当を買おうと思ったのだ。
しかし、みごとに棚はすっからかん。
しかたなく実家で冷蔵庫を漁る事にした。
こうした事も貴重な教訓だ。

途中の飲食店はどこもサラリーマンで溢れかえっていた。
オフィスで一晩過ごす事にしたサラリーマンが、夕食に寄ったのだろう。
ABCマートは靴を買い求める人で賑わっていた。
たぶんヒールの女性や革靴の男性がスニーカーでも買いに入ったのであろう。
ホテルのラウンジでは優雅にコーヒーを飲む人たちがいる一方、パチンコ店にも少ないとはいえお客さんがいた。災害というよりも何かのイベントのような夜だった。

品川から人混みを回避して裏道に入った。
月を目印に歩いていたら、井深会館というソニーの歴史博物館を発見した。
さすがソニー村だ。
家まで休憩時間を除いて2時間。
東北は大変な事になっているが、東京はこの程度だったから幸運だった。
いざとなると携帯もつながらない。

今回の事は貴重な経験としておきたいと思ったのである・・・

【本日の読書】
「錨を上げよ(下)」百田尚樹


    

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