本日は家族で昭和記念公園のレインボープールに行って来た。
なにせ9月とはいえ、この暑さ。
しかも私の住んでいる練馬は、東京の最高気温というと必ず引き合いに出されるというありがたい土地柄。この夏の締めくくりとして、行く事にしたのだ。
実は都内のプールは8月一杯というところが結構多い。
我が家の近所の区民プールは軒並み8月一杯だし、近くのプールもそういうところが多い。
9月の頭までやっているというのは珍しいようである。
そして今日はその狙いが見事的中したような天気。
選択は間違っていなかったようである。
日中は肌をさす日差し。
地面も暑くて裸足で歩けない(どうやら足の裏を少しやけどしたみたいである)。
流れるプールは水も冷たく(他のプールはさすがに温まっていた)、気持ちよかった。
子供たちも喜んでいたし、今年はリベンジできた。
実は昨年は散々だった。
私の夏休み期間中はほとんど雨で、やっぱり昭和記念公園のプールに行ったのだが、午後から雨。
しかも雷のおまけつき。プールの噴水の下に入った長男が、「去年のプールみたい!」と喜んでいたが、笑えない冗談だった。区民プールも室内のある所に、雨だから車で妻に送ってもらって子供たちと行ったほどであった。だからリベンジなのである。
そういえば我が家はプールオンリーである。
海には行かない(関東近辺では、という意味である)。
海だと距離があるし、せっかく行っても江の島あたりは汚いし、房総、九十九里などは遠いし渋滞するし、で勇気が出ないのだ。そのあたりの海は子供の頃によく連れて行ってもらったものである。
子供の頃と言っても小学生の頃だ。
電車に乗って行った記憶がある。
そのうち何回かは仲の良い友達家族と行ったが、親父の姿はそこにはなかった。たぶん、夏休みの平日に行ったのだろう。千葉の御宿とか、そのあたりだったと思う。民宿に泊まって、いつも焼き過ぎた肌がヒリヒリ痛かったのを覚えている。
今から思うと、当時は週休2日制なんてない。
家族で海に行った記憶もあるが、あれはあるいは日帰りだったのかもしれない。
せっかくの週に一度の休みに親父は疲れただろうな、と今になってみれば思う。
私も今日は疲れたから、明日は寝坊しようなんて思っているが、あの頃の親父はそんな事言ってられなかったわけだ。
私の母親は、いろいろと家事の手伝いをする私の姿を見て、「今のお嫁さんはいいわねぇ」なんて言うが(それを妻が嫌味ととるからあとで私も大変なのである)、当時の親父の立場にたってみれば、週に6日間働いて(しかも水曜日には早帰りしましょうなんて習慣もなかったわけである)ようやくの日曜日、何もする気にはなれなかったのだろうと思う(神様だって7日目にはお休みになられたのだ)。
いつも何も言わずにあさっての方を見て、母の独り言を聞き流している親父であるが、男には男の辛さがあるよなぁと、今ではちゃんと肩をもっている。
世の中の進歩なのだとは思うが、今は良い時代で私も親父よりは楽になっている。
親父も大変だっただろうが、あの頃の家族で行った海の思い出は、ちゃんといい思い出として私の中に残っている。
さて、記録的な猛暑のこの夏の一連のプールの思い出が、我が家の子供たちにどのくらい残るだろうか。「プールに入ってたら、雨が降って雷が鳴ったんだよね」じゃ浮かばれないぞ、と思うのである・・・
【昨日の読書】
「新・ニッポン開国論」丹羽宇一朗
「ブラック・ペアン(下)」海堂尊
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