最近ちょっと子供の作文に関心があって、本を読んだりネットで検索したりとしている。
そんな流れで目についたのが、もうあちこちで紹介されてすっかり有名になっているようだが、イチロー選手の小学校6年生の時の作文である。
「夢」と題されたその文章を読むと、表現はともかく内容には驚かされる。
こういう人物だから、やっぱりあれだけの成功をしたのだろうと思うのである。
我が身を振り返ってみるとどうだろう。
小学校の時に書いた作文などモノも記憶も残っていないが、唯一「時間よ止まれ」というタイトルの作文ならわずかに覚えている。なんだか矢沢永吉のパクリのようだが、私の作文が小学校4年(1974年)で、矢沢永吉のリリースが1979年だから、パクリではない。
ちょうど当時担任だった先生が大好きで、5年になってクラス替えになるのが嫌で、そんな気持ちを綴ったものだと記憶している。
3・4年時の担任だったその先生は、新卒の若い美人先生だった。
みんなに人気の先生で、当時同じクラスだった 「ライバル」の男なんかは、卒業してからも連絡しつづけ、どうやら今でも交流があるらしいくらいだ。
作文自体残っていない事は幸せな事で、たぶん今内容を読んだら赤面して表を歩けないと思う。
記憶に残っているのは、その後も事あるごとにこの作文のタイトルが脳裏をよぎったからだ。
特に楽しい事があると、それが永遠に続いて欲しくて、そんな気持ちにしばしばなったものだし、その都度漠然とながら作文のタイトルが脳裏をよぎったのだ。しかし、「諸行無常」、「万物は流転する」の言葉の通り、そうした時間は常に無情にも終わりを告げる。それは仕方ないにしても、たまにあの時に戻って人生をやり直せたらなぁと思う事は今でもよくある。
昔観たコッポラの映画に「ペギー・スーの結婚」というのがあった。それに加えて漫画では「代紋TAKE2」。両方とも突然若い頃の自分自身にタイムスリップして、過去の自分に戻って人生をもう一度やり直すというストーリーだ。
「ペギー・スーの結婚」は離婚を決意した主婦が、ひょんなことからハイスクール時代の自分に戻ってしまう。そして付き合い始めた旦那を前にして同じ道を歩むかどうか葛藤する。そしていろいろな経験をして現代に戻って旦那とやり直すというストーリーだ。
「代紋TAKE2」は、情けなく殺されたやくざが、昔の自分にタイムスリップし、「死んだ気になって」人生をやり直し、やくざの世界で見事にのし上がるというものだ。今の自分が今までの経験をもってもう一度若い頃の自分に戻ったら、もっと良い人生を歩めるだろう。少なくとも上がるとわかっている株をたくさん買い込むから、ひと財産は作れるはずだ(何て庶民的な発想なんだろう・・・)。
戻る時点にもよるが、自分だったらいつの時点に戻りたいだろうかとよく考える。
たぶん戻ったとしても大学までは同じ選択をするだろう。
そこから先でどうするか、になるだろうか。
「代紋TAKE2」では、新たにやり直した人生で、以前の人生の惨めな生活を主人公が唯一懐かしむシーンがある。それは子供を思い出すシーンだ。
元の世界で結婚してロクな事がなかったから、主人公も新しい世界では元の世界の奥さんには見向きもしない。別な生活を夢見て、別の女性へアプローチする。
だがそうすると当然元の世界で可愛がっていた子供は生まれて来ない。
仕方がないと思いつつも、子供の事を思う姿には考えさせられるものがあった。
人生をやり直すとなると、今手に入れているもののうち、手放さなければならなくなるものもあるだろう。そうすると判断は難しい・・・
もちろん、現実にはそんな事はあり得ないし、そうした空想に耽っている暇があったら、よりよい明日の事を考えた方がいいに決まっている。
頭では理解していても、「それでも・・・」とやっぱりあり得ない世界を夢見てしまう。
長女はちょうど4年生。
「時間よ止まれ」と思えるような楽しい時間を過ごしているだろうか。
これから夏本番。
そんな時間をたくさん作ってあげたいと思うのである・・・
【本日の読書】
「子殺し」金沢克彦
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