2009年4月4日土曜日

君が代

「世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」      
在原業平

【「君が代で起立」職務命令は合憲】という記事を少し前に目にした。私は幸いなことに経験した事はないが、卒業式などで君が代に抵抗して起立しないなどの抗議をしている教師の話をよく耳にする。「教師が」というところに信じ難い思いがしていた。

判決では卒業式典で国旗に向って起立し、国歌斉唱を命じた都教委の通達と、これに基づく校長の職務命令について合憲である、としたものである。極めて当たり前すぎる判決なのであるが、個人的に驚いたのは、訴えていたのが都立高校の教職員172名だという事だ。「一部の変わり者」だけかと思っていたが、そんなにいたのか、と。

もっとも都立高校は200校あるらしいので、1校あたり教職員50人くらいとしても10,000人だから、そう考えると「一部の変わり者」なのかもしれない。この変わり者たちはいったい何を考えているのか、一度話を聞いてみたいものだと逆に興味深い。

国旗・国歌問題では板ばさみに苦しんだ校長先生が自殺するという事件があって、だからこそわざわざ(当たり前すぎて)くだらない通達など出さざるを得ないのであるが、誠に嘆かわしい。
我々は否応なく日本という国の中で、同じ文化・ルールの中で暮らしている。
ある程度の一体感は必要であり、同じ旗の下で同じ歌を歌う事はむしろ必要なことだ。
本来それは通達などで強制されるものではなく(この点では彼らと同意見だ)、自主的にすべきことなのだ。

たぶん、であるが自分たちは戦争反対の平和主義者で、二度と戦争という過ちを起こさないために、二度と国家によって統制されないために、日の丸に向って全員が起立したり、全員で「君(=天皇)が代」を歌ったりということに反対するのだ、という陶酔の中での行動なのだろう。それで平和が達成できると考えるおめでたい人達だ。

こういう人達は、オリンピックの表彰台で君が代とともに掲げられる日の丸を苦々しく見ているのだろう。サッカーのワールドカップでは、ドイツのスタジアムで君が代が流れ、若い人達もみな起立して歌っていたらしいが、先の教職員たちはみな「今の若者達は」と顔をしかめていたのだろう。

「私たちは平和主義者」、そういう人達に限って歴史をきちんと学んでなく、したがって戦争の原因すら正確に理解していなかったりするのである。原因がきちんとわかっていないから、君が代を歌わなかったり、国旗に敬意を払わなければ国に統制されて再び戦場に駆り出されることもない、と純粋に信じているのだろう。純粋なる無知ほど手に負えないものはない。

幸いなことに我が子が通う小学校にはこういうおかしな輩はいないようである。
教育の現場だけに、素直に言うことを聞きやすい子供たちの先生というだけに、こういう輩にあたってしまったらと考えると危機感を覚える。
172/10,000。
この数字が自然と静かに消えていってほしいと切に願う次第である・・・
   
   

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