2009年2月11日水曜日
バレンタイン
小学校2年の我が家の娘は、本日はチョコレート作りである。
14日のバレンタインに備えてのものであるが、今は小学生から手作りなのであろうか?
その材料を買いに行った池袋の東急ハンズ。
専用コーナーでは、下は小中学生と思しき子供たちも友達と連れ立って来ていて、ちょっとした熱気であった。
今では特別何も感じなくなってしまったが、小中学生の頃はバレンタインデーが嫌で嫌でたまらなかったのを覚えている。
見事なくらいチョコレートをもらえなかったからだ。
人一倍のチョコ好きとしてはかなりの苦痛だ。
さらに追い討ちをかけたのは、弟が毎年のようにもらってきていた事だ。
そう大して容姿が変わるわけでもないし、いや、むしろ私の方が良いくらいだと思っていたのに、兄貴としての面目などあったものではなかった。
中学時代にたった一度だけ机の中にチョコレートが入っていた事がある。
大感激してこっそり隠れて中を見たのだが、差出人がなかった。
入れ忘れたのか、名乗れなかったのかはわからないが感激もしぼんでしまった。
なので高校生になってまともにもらえた時は、ようやく一人前になれた気がしたものだ。
不遇の大学時代を経て社会人になるとそんな状況が一変。
最初の年は7~8個もらった記憶がある。
もちろん義理チョコであるが、当時のおじさんたちが1~2個だったのから比べると同じ義理でも意味合いは大きく違う。
50歩100歩というなかれである。
それから「複数個もらうのは当たり前」という黄金時代を迎えた。
職場の女性陣はみんな義理堅かったのだ(繰り返すが義理チョコでも数はおじさんたちのそれを凌駕していたのだ)。
良い習慣だと初めて思えた。
今ではというと、お返しが面倒だと思うようになってしまった。
妻などは端からお返し期待のひも付きODAだし、義母などからももらうのだがかえってもらわない方が、などとも思ってしまう。
しかし、何せ大好きなチョコレートだけにそういうのも辛い。
まあ、お中元やお歳暮のようなものだと思っている。
長女は今年は№3にあげるのだそうだ。
№1になぜあげないのか聞いたところ、「去年あげたから」だそうだ。
№2の立場はどうなのかとも思うが、娘心は計り知れない・・・
3歳の長男はまだこれからだ。
学校へ行くようになるといろいろわかってくるから、やっぱりわくわくドキドキしたりするのだろう。からかって楽しみたい気もするが、「お父さんの子供の頃はな、」などと語れる過去がないだけに厳しいものがある。
しかし我が身を翻ってみれば「もらえない寂しさ」というのを味わうのも人格形成にはいいのかもしれない。子供の頃から「もらって当たり前」と天狗になられても困るし・・・
やっぱり我が子には自分と同様、千尋の谷から這い上がることが必要だろうと思うのである・・・
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