母が先週86 歳の誕生日を迎えた。この週末、いつものように実家に行き、好きなショートケーキを買って簡単なお祝いをした。歳の話になり、父の祖父は70代半ばで亡くなったという話になった。帰ってきて調べてみると、亡くなったのは昭和24年で69歳であった。老衰だったと言うが、今の感覚からするとあり得ない。しかし、当時はそうだったのかもしれない。ちなみに祖父は先日亡くなった伯父と同じく89歳で亡くなっている。父も86歳。もうちょっと頑張れば祖父と伯父を抜く。私の目標にもなるし、頑張って欲しいところである。
母方の祖父母も60代と70代で亡くなっている。今の感覚では若い。両親とも86歳であるが、この年齢は比較すれば長生きである。日本人の平均寿命は、男が81.05歳、女が87.09歳であり、母はまだだが、父は平均を超えたことになる。健康寿命という言葉があるが、父は耳が遠くなり、母も腰が痛いと繰り返し、定期的な通院が欠かせない。何をするにしても気力が衰えるのか、実家もだんだん雑然としてきている。家事を担う母も衰えは目立っており、料理もできなくなっている。歳を取るとはこういうことかと感じること、しばしばである。
考えてみれば、機械も使っているうちに不具合が出てくる。スマホはバッテリーの持ちが悪くなるし、パソコンは反応が鈍くなる。私も昨年6年ほど使ったMacを買い換えたが、劇的にサクサク動くようになって感動した。人間は機械とは違うが、それでも機械と同様、細胞の劣化は免れない。髪の毛は白くなるし、怪我は治りにくい。シニアラグビーをやっているが、首も膝も痛めて一年以上経つがなかなか治らない。以前は楽にできていた筋トレがしんどくなってきているのも体が劣化しているからだと思う。
自分ではなかなかわからないが、写真の推移を見れば自分が歳を取っているのがよくわかる。20代、30代が若々しいのは当然だが、40代そして50代の前半でさえ若いと感じる。それはすなわち現在の自分と比べてであり、当たり前だが確実に歳を取っているとそこで感じることができる。肉体だけでなく、記憶力の劣化も衰えを感じるところである。顔と名前が覚えられないのは元々としても、人に話した記憶や聞いた話もよく忘れる。仕事では困ることになるので常にメモを手放さないようにしているが、短期記憶力の劣化は自覚症状大である。
そんな自分だから、もっと歳を取っている母の劣化もやむを得ないと思うしかない。つい3分ほど前に話したことを忘れてもう一度話す事はしょっちゅうだし、医者に言われた事もすぐ忘れる。同席した私が覚えていて注意するが、毎週末に行くたびに注意し続けてようやく先週末に自分からやっているのを見た次第である。腰も痛みを訴えているが、医者でもない私にはどうしようもない。せめて毎週顔を出し、買い物をして夕食を作って両親と一緒に食べて帰っている。一食でも作ってもらえると嬉しいらしい。
母の記憶力の劣化は時折私を苛立たせる事もある。いまだに自転車に乗っている(本人は「押している」と言っている)のも危ないと、買い物カートを勧めて一緒に選んだ。赤がいいか青がいいかと散々迷った末、青がいいというので購入した。ところが本人はそれを使いたくないと言い出した。曰く、「そんなの押しているところを見られたら恥ずかしい」と言うのである。「年寄りに見られる」という発言には怒りを通り越して笑ってしまったが、それでもわざわざお金を出して買った身としては笑いたくないものがある。
そんな母の姿を見ていて、そして自分自身の劣化を感じていると、「自分は大丈夫」という根拠のない自信も揺らいでくる。それどころか、「自分は大丈夫だろうか」という疑問の声が大きくなる。今から心配するのも無駄なことではあるが、少なくともやりたい事があるなら今のうちにとは思う。「仕事を引退してから」などと悠長なことを言っていたら、引退した時にはもうできなくなっているかもしれない。さもなくとも70歳まで働こうと思っているのだから、仕事をしつつやるという考え方でないといけないだろう。
経年劣化はやむを得ない。見てくれも大事かもしれないが、見てくれのアンチエイジングよりも「機能」の劣化を防ぐ方向での努力は続けたい。ラグビーもまだまだ続けようと思う。たとえあちこち痛もうとも。まだまだ沢山本を読み、映画を観て、ドラマも観る。ラグビーもやって、観てと楽しむ。何よりその原動力となるのは気力だが、その気力は健全な肉体にこそ宿る。「まだまだ」という気持ちで、やっていきたいと痛む膝をさすりながら思うのである・・・
PeggychoucairによるPixabayからの画像 |
【本日の読書】
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