ウクライナでの戦争は未だ収束の兆しを見せない。どちらにも負けられない事情があり、本来なら単独では勝ち目がないウクライナに欧米諸国が支援をしているためにウクライナにも抵抗力が生じて善戦している。戦争が長引けばそれだけ戦死傷者が増えるわけであり、欧米の支援は戦死傷者を増加させる原因となっているとも言える。それが良いのか悪いのか、判断は難しい。そもそも戦争などせずに話し合いで決着をつければ良いのであるが、まだまだ人類はそこまで高度に発達していない。
個人間でも、時折朝の通勤電車、あるいはホームで揉めている人を見かける。たぶん、きっかけは当たったの当たらないのというくだらない事情だろう。ちょっと譲り合えば何事もなく済むことなのに、「なんだ!」と声を荒げて噛み付く。言われた方も頭を下げてやり過ごせば良いのだろうが、そうではないから勢い言い合いになる。流れによっては殴り合いということになる。そうなると、駅員さんや周りの人が間に入って収まるまで続く。当事者同士だけだと解決は難しい。
学校でも会社の中でも、およそ人間関係のあるところは揉め事がつきもの。どこの誰かもわからない駅のホームと違って、学校や会社ではお互い身元は割れているので、多少はブレーキはかかるのだろうが、それでも小さな軋轢はある。ほんの些細な物の言い方だったり、良かれと思ってした事が真逆の効果を生むということもある。会社の中では上下関係があるので、弱い立場の者は自然と耐えることになる。学校では上下関係ではなく力関係だろうか。それがストレスになったり不登校になったりするのだろう。
その昔の銀行の職場で、誰からも距離を置かれているお局さんがいた。仕事はできるが、融通が効かない。口調も冷たいし、頼み事をするなら他の女性社員に頼むという流れが出来上がっていたが、時折、そんな頼みを受けた女性社員がお局さんに怒られていたりするのも目にした。そんな煙たいお局さんだったが、私は平気で話しかけていた。何よりお互い仕事なので頼まざるを得ないものは頼むしかない。そしてお局さんもルールに沿った依頼ならやってくれる。意地悪していたわけではなく、決められた通りのルールに従っていただけなのである。
要は、「そのルールをちょっとまけて」という事をしてくれないからみんなから不評だったわけで、その「ちょっと」が重なると大変なので、ベテランのお局さんは平気で断るが、若手の女性社員は断れない。そんな状況だったのである。なのでこちらもきちんとルールに従って依頼すればやってくれるのである。どちらがどうかは難しい。少しぐらい融通をきかすべきなのか、甘えずに仕事なのできちんとやるべきなのか。ただ言えることは、きちんとルール通りにやればお互い不快な思いをしなくて済むということであった。
にも関わらず、「このくらいやれ」と力関係で従わせようとすれば当然軋轢が生じる。そんなことをしようものなら、お局さんは上司に言いつけるだろうし、事務的にはお局さんが正しいから上司も叱るわけにはいかない。「まぁ、まぁ」と取りなすのがせいぜいということになる。さすがに殴り合いになるような事はないが、どこかで調整力学が働き、どこかで誰かが我慢して表面上を取りなして事なきを得る。会社内ではあくまでも平和的解決が優先されるから、殴り合いになるのはほとんどない。
国家間もそんな取りなしができればいいが、そうでなければ戦争になる。もっとも、さすがに近年は過去の戦争の反省から、すぐに戦争手段に訴えるという事は無くなってきている。ただ、ゼロではない。争いごとを力で解決する事は現代ではなかなか難しい。サラリーマンの喧嘩も殴り勝てばいいかと言うとそうではなく、警察沙汰になれば当然タダでは済まない。社会的なペナルティもあるし、下手をすれば傷害罪という前科がつくかもしれない。勝ってもその場はスッキリするかもしれないが、後で後悔することになるかもしれない。
ウクライナの戦争も、どちらかが勝つというより、そのうち厭戦ムードが出て、どこかの国の仲裁で収まるのかもしれない。すぐにでもと思うが、それはある程度時間をかけなければそういう状況にならなかったりするものかもしれない。力による解決しかできないというのは情けない事なのだが、現実の世界ではそれがまだ罷り通っている。駅のホームでの喧嘩程度ならまだ良いのかもしれないが、国家間となると厄介である。我が国は平和憲法があると言っても、それはせいぜいアメリカの戦争に巻き込まれないための免罪符程度の効果しかない。
人間の理性によってのみ争い事を解決できる時代がいつか訪れるのだろうか。いつかはなどと言っていても仕方がない。世界を変えるには、まず自分から。通勤電車ではなるべく譲り、会社では感情ではなく理性で話をし、家庭では忍の一字で、老いた両親と接する時は春のような心で対応し、争いごとを避け、穏やかな生活を送るように、まずは心がけようと思うのである・・・
Renan BrunによるPixabayからの画像 |
【本日の読書】
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