ようやく非常事態宣言が解除されたが、それまでの週末は推奨されている通り巣籠りの日々であった。おかげでNetflixのドラマもたくさん観ることになった。それはそれでいいのだが、やはり外にも出たくなる。一応、散歩と買い物は許容されていたので、土日のうち一日はちょっとした買い物を兼ねて散歩に出ていた。もともと街をそぞろ歩きするのは好きな方である。それに賃貸物件をいろいろと見るのは仕事のヒントにもなる。一石二鳥である。
我が家の周辺は戦前は田畑が広がっていたようである。今でも地主の一族があちこちに点在している。子供が複数いればそれだけ一族が増える。その分、同じ名前の一族が近接して住むようになるのは道理である。また、土地もたくさん持っていれば、相続対策も兼ねて賃貸物件を建てる。したがって、同じ苗字の表札や看板が目につき、アパートが林立するのである。持たざる者の立場から見れば羨ましい限りである。
そのアパートも、新しいものもあればだいぶくたびれたものもある。年月を経ればそれは当然のことであるが、古びたアパートを見ると、まだ新築だった頃のことを想像してしまったりする。一般的なイメージのアパートは、どうしても「自分で住むところではない」ことから、ランクを落として造りがちである。そんなところは古くなると空き家になってなかなか埋まらなかったりする。どんな人たちが(入れ代わり立ち代わり)暮らしてきたのだろうと思ってみる。
勝手知ったるご近所でも、ちょっと歩けば見慣れぬ光景があったりする。賃貸物件もそうだが、一軒家やマンションもそれなりに参考になる。ある一画には、ちょうど家一軒分くらいの敷地の墓があった。おそらく、昔は野中にポツンと墓が作られたのだろう。望月にある母の実家の墓もそんな感じだから想像に難くない。そのうち周囲に人が住み始め、人口が増え、いつのまにかポツンと墓が孤立することになったのだろう。今では近所迷惑に違いないと思える。
さらに少し歩けばビニールハウスや畑が点在する。昔の名残りであるが、今でも農業をやっているのは食べていくためだけなのではない気もする。ここでも戦前の農業盛んな頃を想像してみたりする。さらに市民農園になっているところもあるが、これはたぶん税金の関係もあるのだろう(農地は固定資産税が安い)と思ってみたりする。利用者はおそらく近所の人たちで、畳一畳ほどの一区画を年間契約で借りて家族で耕したりしているのだと思う。かつてこの地で農業を営んでいた人たちが見たらどう思うかと想像してみるのもたのしい。
また、わが街には東京では珍しい牧場もある。個人的には好ましいが、臭い等を考えると、これも近所の人たちからしたら嫌悪施設なのかもしれない。その前に流れるのは小さな川だが、近くに源流があって、汲み上げた水を飲ませてくれたりする。子供が小さい頃は、この川に来てはカモや鯉や、時には亀が甲羅干ししているのを一緒に眺めたりしたものである。
古い団地があったところが取り壊されて戸建の分譲住宅として売り出されている。この一画はまた新しい街の一部になる。新しい人たちがやってきて、また新しい歴史が築かれていく。コロナ騒動にも関わらず、行く道をすれ違う人はかなり多い。みんな散歩をしているのだと思うが、実家のある品川区と比べると、ここ練馬区は緑も多くて散歩も楽しい。たまにはいいものである。
【本日の読書】
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