〔 原文 〕
子曰。不患無位。患所以立。不患莫己知。求爲可知也。
〔 読み下し 〕
子曰く、位無きを患えず、立つ所以を患う。己を知ること莫きを患えず、知らるべきを為すを求むるなり。
【訳】
先師がいわれた。――
「地位のないのを心配するより、自分にそれだけの資格があるかどうかを心配するがいい。また、自分が世間に認められないのを気にやむより、認められるだけの価値のある人間になるように努力するがいい」
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もともと孔子の説く言葉に意を唱えるつもりはないが、今回の言葉はまったくその通りの真実であると思う。これに反対する者などいないのではないだろうか。でも実際には地位のないのを気にやみ、世間に認められないのを気にやむものだと思う。そしてだからこそ、孔子はこのような言葉を残したのだと言えるだろう。マズローの欲求五段階説でも「社会的欲求」と「承認欲求」が3段階目と4段階目の欲求として挙げられている。これこそが人の本能とでも言えるのではないかと思う。
地位と言ってもいろいろとあるが、身近なところではやはり会社の中の地位がある。入社した時は、「出世なんてどうでもいい」と思っていても、だんだんと年次を経て同期がそれなりの地位を与えられるようになると、どうしても心中穏やかにはいられなくなる。ましてや自分の方が優秀なんじゃないかと思っていたりすると(そして大概そう思っているものである)、不平不満が出てくる。「なぜ自分は認められないのか」と。自分こそ認められてそれなりの地位に就くのが当然なのに、と思うものだろう。
しかし、野村監督もなんども語っているが、「評価は他人が下したものが正しい」のだろうと思う。そういう不満は抑え、「自分にそれだけの資格があるかどうかを心配する」べきだと孔子は説く。拗ねていても事態はよくならない。ならば気持ちを切り替えて前向きに進むしかない。そういう姿勢が、次に自分が評価されることになるのかもしれない。しかし、現実には会社の出世ともなると、「実力(実績)」は当然として、それ以外に「人格的要素」というものがある。評価は当然、上司がするものであり、「覚えめでたき者」が評価される。したがって、「仕事だけ頑張ってもダメ」なのも真実である。
世の中、実力はあるのに、上司の覚が悪いばかりに埋もれている人材などいくらでもいると思う。逆に「なんでこの人出世できたのだろう」と思わざるを得ない人もいる。それもまた仕方ないことである(もちろん、当の本人は「実力」だと思っているだろう)。銀行員時代、自分自身の判断基準はなく、常に「部長がどう判断されるか」だけが自分の判断基準になっている上司もいた。きっとそんなスタンスでずっとやってきて、「愛いやつ」と思われたのだろう。それも1つの「実力」とも言える。
そんな上司を見るにつけ、自分は影で笑われないようにしっかりと実力をつけようと思ってやってきたが、それが必ずしも報われるとは限らないのが世の中である。スポーツの世界では「覚めでたき」は「実力」の前に霧消してしまうが、会社はそうはいかない。そんな中で腐ることなく努力し続けるには、「評価よりも自分の価値をあげることが大事」と思い込んで頑張るしかない。孔子の言葉は、そんな「埋もれた人」へのメッセージとも言える。
人は誰しも周りが気になるもの。みんなが貧しい社会では貧乏も気にならないが、豊かな社会になるとそうはいかない。同期が出世して自分が遅れると引け目を感じるものだし、「なんでだ?」という疑問も湧いてくる。だが、だからといって抗議してみても文句を言ってみても始まらない。結局、諦めて実力をつけていくしかない。しかし、その実力がつけば、いつかは役に立つものだと思う。少なくとも、文句を言っているよりもはるかにいい。そういう人は、地位がなくても、見ている人にはわかるもので、銀行員時代にも出世街道からは外れてしまったものの下の者の尊敬を勝ち得ていた人がいたなぁと改めて思う。
Denis DoukhanによるPixabayからの画像 |
【今週の読書】
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