現在、中学2年になる我が息子。この頃よく母親と喧嘩をしている。母親というものは、ただでさえ口うるさいもの。だんだんと体も大きくなり、自我も芽生えてくるとなるとどうしても自分の意思に反する母親の指示は疎ましくなるものである。私も覚えがあるが、次から次へと「あれしなさい、これしなさい」と言われるとイライラも募るだろう。挙句に、「うるさいなぁ」となり、「なんだ親に向かってその口の聞き方は!」となり、かくして喧嘩になるという典型的なケースである。
側で見ていて父親としてはどういう対応を取るべきか、は難しいところである。息子を諌めるべきか、母親を諌めるべきか(と言ってもこのオプションは現実的には取えない)。心情的には100%息子の肩を持っている身としては尚のこと難しい。息子は父親の目から見ても素直である(私と比べればである)。何より、母親の言うがまま習い事をしてきたし、今も塾へと通っている。夏休みも何やら夏期講習とかに通っているようである。私はと言えば、やはり母親に塾へ行くように何度も言われたが、断固として拒否し続けたものである。
素直なところはいいのだが、喧嘩の原因は野球の部活を終えて帰ってきた息子が、疲れて塾へ行く前にやるべきことをやっていなかったというもの。「そんなことなら部活をやめろ」と言われて腹を立てたようである。私であれば即、「塾をやめろ」というところだが、そう面と向かって言えないところが心苦しい。そこで息子に話をすることにした。以下は、体は私とほぼ同じ身長になったのに対し、まだまだ精神の成長が発展途上な息子に対する私のアドバイスである。
「大人と子供の違いは何か」と言えば、それは体の大きさではなく、「自分で決めて、決めたことに対して責任を持つ」ことだと考えている。子供に対しては、親が何でも決めて指示をする。朝何時に起きなさいから始まり、着替え、ご飯を食べて学校へと送り出す。帰ってきたら、手を洗い、宿題をし、食事をして風呂に入り寝る。すべて親が指示するのは、それは「親に責任があるから」。親には子供をきちんと学校に通わせる責任があるのである。
もしもこの部分で大人になりたかったら、話は簡単。朝、学校へ行く時間から逆算し、自分で目覚ましをかけて起きて着替え、ご飯は自分で決めた時間に母親に用意してもらう。時間が来たら学校へ行き、帰って来たら言われなくても必要なことをこなし、時間が来たら寝る。これをやれば母親も何も言わなくなる。そうした生活が習慣化されれば、例えば夜遅くまで起きていても、「そろそろ寝た方がいいんじゃないの」と「提案」はされるかもしれないが、「寝なさい」とは言われなくなる。もちろん、翌朝起きられなければ元の木阿弥。だけどきちんとできるなら何も言われない。この点で、もう大人になった(大人の行動が取れる)のである。
中学生は微妙な時期。「もう中学生」であり、「まだ中学生」である。「もう子供ではない」が、「まだ大人ではない」。子供から大人になるのは、法律では18歳とか20歳とかあるが、ある日突然大人になるものではなく、少しずつ成長していくもの。社会人になっても子供みたいな行動を取っている大人だっているし、中学生でも大人びた立ち居振る舞いのできる子もいる。それは誰が決めるものでもなく、自分で決めるもの。早く大人になりたければ、自分で決めて行動すればいいわけである。
部活と塾の両立が難しければ、どちらかを選べばいい。できないものをやる必要はない。それを考えて行動するのもまた大人への道。この夏場に練習などしたら、帰って来てから勉強などする気も起きないだろう。なら塾へは行かないと母親に伝えればいい。「勉強はどうするの?」と聞かれたら、「今の成績をしっかり維持して、来年受験で部活を引退してから頑張る」とするのでもいい。もちろん、そう宣言したらそうしなければならない。それが「責任」というものである。
決めるにあたって、わからなかったらアドバイスを求めればいい。「塾へ行け」という母親と「塾へは行かなくていい」という父親。「どっちなんだ」と怒る必要はなく、両方の意見を聞いて自分で考えて決めればいい。それが大人である。そうして「自分で決める、決めたら責任を取る」という範囲を少しずつ増やしていけば、母親にうるさく言われることはなくなる。私もそうやって「母親を黙らせてきた」し、息子もそうやって「母親を黙らせれば」いい。
【今週の読書】
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