財務省の福田前事務次官のセクハラ問題で報告書 (2018/05/01
19:17)
財務省は先週、福田前事務次官がテレビ朝日の女性記者にセクハラ行為をしたと認定し、謝罪したうえで、「調査を終了する」としました。この調査を担当した財務省と顧問契約を結ぶ弁護士事務所によりますと、これまでに財務省に伝えたのは、概要のみで、最終的には報告書を提出するということです。他のセクハラ被害の相談があったかも含めて、報告書を公表するかどうかは「財務省が判断すること」としています。
テレ朝news
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ここのところ政権を揺るがすような不祥事が続いている。財務省次官のセクハラ疑惑だとか自衛隊の日報だとか。野党にしてみれば政権批判の好機なのだろうが、個人的にはどうもすっきりしない。例えば上記のセクハラ疑惑だが、結局詳細はわからない。「認定した」からには、それ相当の根拠があったのだと思うが、本人は否定している。引っ掛かるのはその言い訳の中で、「全体で判断してくれ」と言っているところ。部分部分では確かにそのようなことを言っていても、「文脈の中では違う」ことは往々にしてあり得ることである。
こういう場合、どういうスタンスを取るべきなのかと考えると、自分としてはやはり中立的な立場でいたいと思う。すなわち、「セクハラしたなんて悪い奴だ」と決めつけるのではなく、淡々と事実のみ捕らえて「批判も擁護もしない」という立場である。というのも、マスコミのニュースなんて危なくて信用できないからである。それが例えばTOKIOの山口達也のように本人が涙ながらの謝罪をしているなら事実だろうと信用できるが、本人が否定しているならあくまでも立場は中立でいたいと思う。別に見も知らぬ事務次官をかばうつもりもないが、かといって何があったかを知らぬままマスコミ報道を鵜呑みにしたくないだけである。
例えば、今回のケースでは、ネットでは「記者が誘ったんだろう」という意見もある。それが正しいとも思わないが、今回2人で食事に行ったのは果たしてどちらから誘ったのか。それも大きなファクターだと思う。男なら女性を口説きたいと思うのは当然だし、セクハラではなく口説いたつもりだったのかもしれない。まぁそれにしたところで、自分の地位と相手を考慮すれば、そもそも食事に行ったのが間違いな訳で、「バカだなぁ」と思われても仕方ない。
本人を弁護するつもりなどサラサラないが、批判するなら適切にしたいと思う。そもそもはどちらから誘ったにしても(本人から誘ったのなら猶更である)、2人で食事に行くのが間違いである。誘うにしても相手を見極めないといけない。自分の部下とか取引先など(自分の誘いを)断りにくい相手を1対1で誘うのはまずいだろう。おそらく事務次官まで出世するような人だから、女性関係のトレーニングなどしてこなかったに違いない。そこは「英雄色を好む」のとはわけが違う。所詮、官僚などは出世したとはいえ「英雄」とはほど遠いだろう。そうした免疫のなさが敗因のような気がする。
今回の件については、芥川龍之介の小説『藪の中』を思い出す。ある殺人事件を巡って関係者の証言が錯綜し、本当の事がわからないという内容である。事実は当事者にしかわからない。先日、『江副浩正』という本を読んだが、その中で説明されていた「リクルート事件」の経緯は当時のマスコミ報道のイメージとは違うものである。そんな例は、最近復権した田中角栄さんのロッキード事件でも感じたことである。マスコミの報道なんてまったく信用などできない。
自衛隊の日報だって、出てきたなら出てきたでいいじゃないかと思う。問題は内容だ。モリカケ問題も然り。野党やマスコミの主張はそのまま受け入れていたらバカになる。何が問題なのかという問題意識を持っていれば、少なくとも「なんか変だ」というのはわかる。素人にはすべての真相などわかるはずもないが、「なんか変だ」と思ったら、中立に立つのが一番だと思う。セクハラがあったかどうかはわからないが、ただこの次官殿はあきれるぐらいアホなのは確かだろう。それだけは確かに言えると思う。
真相は藪の中。知らぬまましたり顔であれこれ意見を言いたくはない。信用できぬマスコミ報道に基づいてあれこれ踊らされるようなことのないようにしたいと思うのである・・・
【本日の読書】
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