2018年1月25日木曜日

ギャンブル

新聞でチラリとギャンブル依存症の記事を見かけた。最近は何でもそれっぽい病名をつけたがる傾向にあるが、「依存症」が病気なのかは個人的に疑問に思うところである。それはともかく、ギャンブルで身を崩す人が多いのは事実だろうし、その気持ちもわからなくはない。正確に言えば、わからなくはないのは「やめられない事情」であり、「やめられない気持ち」ではない。

私も一時期もっと収入を増やしたいと株式投資を始めたことがある。それなりに勉強して、お金がなかったから信用取引を利用したが、見事に惨敗。カードローンで資金を賄い、その返済資金を作るためにまた勝負し、という繰り返しで損失を積み上げた。「返さないといけないお金がある」という事情ゆえ、「やめたくてもやめられなかった」のである。

しかし、そういう事情があればまだしも、純粋に「ギャンブルをやめられない気持ち」はよくわからない。それはそもそもギャンブルに興味がないのかもしれない。およそこれまでの人生で、競馬競輪等公営ギャンブルから、パチンコなどの民営ギャンブル、さらには宝くじや学生時代にみんながやっていた麻雀に至るまで、およそ賭け事には興味がない。

それは一つには「不健全」というのがある。競輪競馬は、最近は女性客を意識しているようだが、昔はガラの悪いおじさんたちばかりだったし、パチンコ屋の雰囲気も似たり寄ったり、タバコの煙にまみれた徹夜麻雀は言うに及ばず、だ。さらに勝率という点もある。パチンコは裏で出玉率がしっかり計算されているし、「買わないと当たらない」という宝くじの当たる確率は、サイコロを9回降って連続して同じ目が出る確率と一緒である

そんな私だが、ラスベガスだけは面白いと思った。何より健全な雰囲気だし、ハマったポーカーはギャンブルというより勝負だったし。最近は日本でカジノをという議論があるが、私は賛成派である。「犯罪の温床になる」とか「ギャンブル依存症が増える」とかいう反対論があるが、「犯罪の温床」なら競輪競馬、パチンコなどみんなに言えることだし、「依存症」も然り。健全な雰囲気を作り上げれば、ずっとマシだと思わざるを得ない。

銀行員時代にパチンコ店運営会社を担当したことがある。パチンコ店は新台の購入資金負担が大変で、ある時新台を購入せず旧台で頑張ればと聞いたことがある。その時は強い反対に遭い、お客さんは新しい機械を楽しみにくるのだと説明を受けた。私はパチンコに来る人たちを見ていて、みんな金目当てに思えて仕方がなかったから、「出ない新台より出る旧台」の理屈を説明したのだが、「素人考え」と一蹴されてしまった。今でも何となく疑問に思う。

それもこれも自分がギャンブルをやらない(からわからない)ためかもしれないし、多分そうなのだろう。よくよく考えれば、株もギャンブルのような気もする。「あれこれ勉強して株価の上下を予測し、それに賭ける」というところを見れば、ギャンブル的だとも言える。当たればその報酬としてお金がもらえる。その成果が金額の多寡と考えれば、ギャンブルにハマる人の気持ちも何となく理解できる。株なら高級で競馬なら低級などということはない。

仮に株がギャンブルだとしても、だからと言ってやっぱり競輪・競馬・パチンコの類はこれからもやらないであろう。何より予測の仕方がわからないし、わかりたい、勉強して覚えたいという気になれない。同じやるなら株だろう。今は、マンション管理士の勉強もあるから小休止しているが、いずれ再開したいと考えている。趣味と実益を兼ねたものとしては、やっぱり無視できないものがある。これに関しては、羹に懲りずにまたやりたいと考えている。

これは「依存症ではない」と、一応思うのである・・・




【今週の読書】
 
 


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