人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。
徳川家康
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今年の初め、どんな心構えで1年を過ごそうかと考えていた時、ふと心に浮かんだのが徳川家康の遺訓。覚えていたのは一部だったが、改めて全文を調べてみると上記の通り。一つ一つが重みのある言葉だなぁと改めて思わされる。
初めてこの遺訓に触れたのが、小学校の時に移動教室で日光に行き、お土産を買った時である。何だったか忘れてしまったが、そのお土産に刻んであったのである。小学生なりに意味は理解できたが、実感として最初に感じたのが大学に合格した時だった。小学生の頃、友人たちの間で「頭がいい」と評判だったのがG君。家には参考書が並んでいて、当然勉強もできた。G君の家で世の中に参考書なるものがあると知って、刺激されて自分も買ったのを覚えている(あまり活用しなかったが・・・)。
そのG君、「天才」の評判に違わず、私立の中学に進学して行った。公立を歩んだ私とはそこで別々の道を行くことになり、それ以来会っていない。風の噂にG君が大学に進学したことを知ったが、それは東大ではなく、中高一貫の私立大学であった。その大学なら、私でも楽に合格できたところであり、その時小学校の時に勉強ができてもあまり関係ないのだなと思ったものである。世のママたちが子供の将来を考え、やれ幼児教育だ、お受験だなどと言っているのを白けた目で見てしまうのはそういう経験があるからである。
サラリーマン時代には、やたらと不平不満を漏らす同僚がいた。サラリーマンには珍しくない。しかし3年前、転職に伴って半年近く失業状態であった時、仕事があること、毎月給料がもらえることのありがたさを実感した。不平不満を言うサラリーマンは、一度失業するといいと思う(幸い、自分はそんな不平不満リーマンではなかった)。そして社会の中では、何より人間関係が大切であり大変である。そんな人間関係で大事なことも歌われている。
怒りは敵、勝つことばかりではダメ、人を責めるな、いずれも人と一緒に仕事をする上では大事な戒めである。怒りは自分から冷静さを失い、感情に任せた物言いは相手の気分を害する。相手が上司なら自分の評価に影響するし、部下ならいいと言うものではないのも当然。時には折れて相手を立てることも大事だし、たとえ部下のミスだとしてもそのミスを起こさせないような仕組みを作れていたかと自分に問えば、それはそのまま自分の力量アップにつながる。もちろん、部下からの人望にも影響するだろう。
最後の言葉は、ケースバイケースである。お客様に提供するサービスなどは、むしろ「過ぎたる」があるべき姿だろう。そうではなくて、人間性の修行や目標など自分に関する類であれば、「自分はまだまだ」と思うことが必要だろう。そう解釈すれば、素直に心に入ってくる。特に人間は天狗になりやすい。少しうまくできると、自分はできる人間だと思いがちである。常に目線を高いところに置いて日々を過ごしたいものである。
年初に当たって、どんな心構えで過ごすべきかと考えてみると、この遺訓は実に心にフィットしてくる。実はこの遺訓は家康のものではないらしいが、まぁそんな些細なことは気にすべきではないだろう。いかにも家康のイメージにフィットしているし、家康のものであろうとなかろうと、今の自分にしっくりくることに関しては間違いない。人によって、「かくありたい」と思う姿は様々だろうが、今現在の自分が意識しなければならないことはまさにこの遺訓通り。今年はこの遺訓を胸に、1年を過ごそうと思うのである・・・
【今週の読書】
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