2016年4月13日水曜日

七三分け

最近若者の間で「七三分け」が流行っていると聞いた。我々50代世代からすると、「???」な感じであるが、今の若者風のアレンジを見ると、「なるほど」とわからなくもない。
そういう私は、七三分けという髪型はやったことがない。試みたことはあるが、何となく変だったのと、見た感じしっくりこなかったからだ。それゆえ、「ナチュラル型」でこれまで通してきている。
 
 「何となくしっくりこない」から、「どうもあんまりよくない」に変わり、やがて「七三分けにはしたくない」へと変わっていった。それが確立したのは大学生の頃だ。そして最大のピンチがやってくる。今でいう「就活」だ。さすがにそれまでの学生風の「ナチュラル型」ではまずいのではないかと考え始めたのである。

就職はNHKもいいし、ダメなら銀行にしようと考えていた。何しろバブル期にさしかかった「超売り手市場」だ。就職先など選り取り見取りだった。そして何となく銀行に絞って会社訪問をしていたが、恐怖だったのは髪型だ。就職したら「七三分け」にしなければならないとなったら、これは大きな問題だ。そして某旧財閥系の銀行に就職した先輩が、見事な七三分けで姿を現した時、その恐怖は最高潮に達した。

 高校時代も一律「坊主頭」という理不尽に嫌気がさして野球の道を捨てた経緯()があるが、坊主頭自体に抵抗はなかった。しかし、七三分けは違った。そんな頭で外を歩くのは、女性がすっぴんで寝起きのパジャマ姿で買い物に行くのに等しいくらい嫌だった。さて、どうしたものかと思案していたが、なぜかある銀行だけは、出てくる人出てくる人みんなバラバラの髪型で、七三分けの人がほとんどいなかった。どこでも選んで入れる環境下、当時都銀ランクでは6位と決して高くなかったその銀行に就職することにしたのは、そんな安心感も一つの理由であった。

 考えてみれば、七三分けが嫌だったのは、ピシッとしたスーツに七三分けのビジネスマンの姿が、自由を奪われて牢獄につながれた囚人みたいに感じられたからかもしれない。高校野球の「何も考えず一律坊主頭」という考えることを奪われた姿に、それは相通じるものがあるように思う。知らず知らずのうちに、そうした全体主義に組み込まれるイメージに反発していたのかもしれない。

今の流行は、当然そんなイメージとは違い、あくまでもファッションだ。そうした七三若者を見るに、七三分けも悪くないと思わざるを得ない。私が就職した当時、そういうかっこいいビジネスマンが現れていたら、もしかしたら私も立派な「七三分け銀行員」になっていたかもしれない。
^^V

50代となった今、髪型は坊主頭に近いショートスタイルだ。そのまま高校の野球部に入部してもドレスコードには引っ掛からないだろう。七三分けなどしたくてももはや逆に難しい状況であり、あとはいかに維持するかが重要なテーマとなった。白髪で悩んでいる人などを見ると、あるだけマシではないかとさえ思う。鄧小平の言葉、「白でも黒でもネズミを捕るのが良い猫」ではないが、「白でも黒でも生えているのが良い髪」なのである。

私の先輩が就職した旧財閥系の銀行は、その後合併を繰り返し、七三分け文化がどうやらなくなったようである。それはそれで残念であるが、どんな髪型であろうと、「義務化」には抵抗がある。そんなドレスコードのある組織には、どんなものであろうとこれからも参加はしないであろう。

残り少ない髪の自由は最後まで保ちたいと思うのである・・・




【本日の読書】
 
   

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