先日のこと、交通違反の切符を切られてしまった。日比谷の交差点を左折したところ、パトカーが追い掛けてきて停車させられたのである。「信号無視」がその理由。自分でも一瞬訳がわからなかったが、どうやら変わったと思った信号は「直進信号」で、左折はまだ赤状態だったようである。
信号が変わったのは視界に入っていたし、右隣にいた車もスタートしたので、つられたのである。もっとも助手席にいた母親と話していなかったら、あるいは気がついていたかもしれない。何はともあれ、立派な「信号無視」であった。
パトカーから降りてきたのは、丸の内警察署の交通課の警察官。事実を丁寧に説明してくれる。こちらに異論があるはずもない。さらに、過去には「青信号」のみであったが、横断歩道での歩行者巻き込み事故多発を受けて、「直進信号」を導入したのだと説明してくれた。
その警察官の説明と口調は実に丁寧で、罰金が9,000円である事、減点が2点である事、その減点は3ヶ月違反がなければ解消される事、残念ながら次回の免許更新ではゴールドにはならない事など、求めてもいないのに詳しく教えくれた。銀行の窓口で金融商品の説明をさせたら満点レベルだろう。「国庫金」と表示のある納付書を手渡され、放免された。その日のうちに国庫金を支払って終わる。
こう言うケースでは、「なんて不運だろう」とか、「その程度で捕まえるか」とかいろいろと不満を言う人もいるだろう。しかしながら、「これで良かった」と思うようにしている。なぜならここで不運に遭えば、好不運のバランスが取れると思うからである(→「禍福は糾える縄の如し」)。ここのところそんなに不運な事もないし、もっと大きな不運に見舞われる前に、この程度の不運で「ガス抜き」できるのであれば、むしろ望ましくもある。
先日読んだ欽ちゃんの本『負けるが勝ち、勝ち、勝ち』にも同じような事が書いてあって、非常に共感したのだが、やっぱりこれは真実だと思う。どんな人にも幸と不幸は訪れる。ならば不幸不運はなるべく小さい方がいいだろう。ラジオでは「清原逮捕」のニュースが流れる中、そんな風に考えてむしろ清々していた。
そういえば免許を取った時、性格診断か何かで、「運転時に同乗者とのおしゃべりには要注意」との判定を受けた。もともとそういう要素があるのかもしれない。帰りは当然ながら慎重に運転したし、このところ何年も(ちょっとこすったりするようなものも含めて)事故とは縁遠いし、もともと安全運転派だからとはいえ事故らないとは言い切れないし、これで今後起こったかもしれない大きな事故を回避できたのかもしれない。だとすれば、むしろ良かったと胸をなでおろすところである。
厄年には神社に行って、「厄除け」祈願をしてきた。お賽銭ならぬ国庫金ではあるが、「厄払い」と考え、交通関係の費用の一部を寄付してきたと思えば安いものである。考え方の問題ではあるが、こう言う考え方は実に心地良いと思う。これからもこうした考え方で過ごしていきたいと思うのである・・・
【今週の読書】


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