アメリカに「アルコー・ライフ・エクステンション・ファウンデーション」という団体があるそうである。「Life Extension」(延命)とあるが、これが何と死体の冷凍保存だという。死んだ直後の遺体を防腐などの処置をして、マイナス196度で冷凍保存するらしい。その目的は、未来での「復活」である。
不老不死は人類の太古からの願いであるが、人類史上最高度に科学が発達した現代でもそれはまだ夢のまた夢。だが、いずれ未来の世界では医療技術が進化し、人類はあらゆる病を克服しているかもしれない。その可能性に賭けて、死体を冷凍保存するのだろう。
だが、果してうまくいくのだろうか。今の段階では何とも言えない。ただ1900年に報知新聞が報道した「100年後の世界の予言」では、「電話で海外の人と話す」なんて今では当たり前のことが、「夢の技術」として挙げられているから、100年とは言わず200年後くらいには、治療法と蘇生法が確立して復活できるようになるかもしれない。今の感覚で笑い飛ばすのはやめておいた方がいいだろう。
しかし、その時、復活したご本人はどんな感想を持つのだろう。若返りが可能ならば、未来世界で再び人生を謳歌できるのかもしれないが、年を取ったままなら、そんなに楽しくもなさそうな気がする。ましてやボケていたりしたら目も当てられない。
気になる費用は米ドルで20万ドルだそうである。そして運営会社は非上場で、かつお金はファンドの形になっているから、途中で株主の利益追求主義から、あるいは予期せぬ会社の倒産リスクから、途中で保存中止となることのないようにしてあるらしい。20万ドル(1ドル120円で2,400万円くらいか)が高いか安いかと問われれば、まぁ持ってる人からみたら大した金額ではないのだろう。
遺体の保存形式の中には、「頭部だけ」というのもあるらしい。これは費用が8万ドルと安くなっているが、「そこでケチってどうする」という突っ込みは置いておいて、何とか「気持ちだけでも」復活に賭けるのだろう。とりあえず意識だけ復活して、体はどうするのだろうと思ってみたりする。もっともその頃なら、人口胴体が開発されてサイボーグみたいになれるのかもしれない。
しかしながら、この遺体保存、よくよく考えてみれば古代エジプトのミイラと発想は同じだ。今はダメでも、来るべき未来の復活を信じて遺体を保存しようという発想は、したがって遺体保存がなされたと言われる5,000年前から、人類は「考えることは同じ」ということができる。世界各地で様々な形で発見されているミイラは、博物館に保存・展示されていたりする。もしかしたら、ライフ・エクステンション・ファウンデーションで“保存”されている方も、遠い未来でも復活は叶わず、博物館に“展示”されるということになるやもしれない。
果して“保存”されている人たちはいくつなのか知らないが、「そこまでして長生き(長生きと言えるかどうかはわからないが)したいだろうか」という気が、個人的にはする。自分だったら、祖父より1年長生きの90歳までは人生を謳歌しようと思っているが(できるかどうかは別だ)、それでお迎えが来たら喜んで迎えられるだろう。そこまでして醜く生に執着したいとは思わない(そんなお金があるかという問題は当然置いておく)。ご本人たちはどんな思いで、"凍って"いるのだろう。
ただ、1点、自分もその気持ちがわからなくもないというケースがある。それは生への執着というより、「未来への興味」だ。果してその時の未来はどんな世の中になっているのだろうか。100年後、200年後の世界を見ることは、今の人類には誰一人無理なこと。そんな世界を一目見てみたいという好奇心なら理解できる。それなら自分もやってみたいと共感する。
だからもしも、何らかの成り行きで、私がライフ・エクステンションで“保存”されたとしたら、「そこまでして生きたいのか」とは思わないでほしいと思う。生への執着ではなく、未来への興味。理由はそれである。だからその時は、保存カプセルの名札の下に、「好奇心旺盛な老人、未来への旅の途中」と書いて“Do not Disturb”と下げておいてもらおうと思うのである・・・
【本日の読書】
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