2022年5月12日木曜日

チームのために

  我が社の役員会議は今ちょっと不穏な空気が漂っている。その原因は役員間の意見の衝突。一人が意見を言えば、別の役員がそれに反論する。単に議題だけの問題ならまだいいが、組織の変更も主張するとなるとややこしくなる。そしてその組織の変更の議論を始めると、そこでもまた互いの意見がぶつかり合う。議論は平行線。そしていつの間にか当初の議題とはかけ離れた議論になってしまう。その結果、当初の議題は話し合われぬまま、時間が経過してしまう・・・

 社長の鶴の一声で解決するかと言えば、そうでもない。鶴の一声が発せられれば、表面上は一応の決定をみるが、今度は実務において問題が生じる。方や社長の鶴の一声を大義名分として振りかざす役員。それに反発する役員は不満を募らせる。表面上は従うが、細かい実務の部分では「独自の解釈」を適用する。面従腹背もいいところである。その結果、部門間でやっていることに差が出てくる。どちらが悪いという問題ではなく、どちらも悪いと私の目には映る。

 そもそもであるが、役員=取締役とは、「会社の経営者」である。我が社は「取締役会設置会社」であるから、取締役会が会社の最高意思決定機関である。その取締役会の意思決定方法は「多数決」。取締役は3人だから2人が賛成すれば意思決定はできる。そして社長はと言えば、会社を代表する取締役ではあるが、取締役会ではあくまでも一取締役でしかない。つまり、2人の取締役が反対すれば社長と言えども自由に会社の方針を決定できないのである。取締役とは、1人ひとりが「そういう意識」を持って「会社を経営しなければならない」のである。

 という事は、平たく言えば社長が3人いるということに他ならない。それぞれが、「自分だったらこの会社をどういうふうに経営するか」という意見を持っていないといけない。ところが、そういう意識がそもそもない。社長以外の取締役は、各事業部の部長を兼務している。つまり、部に戻れば「部長」なのである。そうすると、意識も「部長」になる。そこでは、「俺の部」は「俺の方針で」となる。そうなると、「隣の部は隣の部、俺の部は俺の部」となってしまう。

 取締役に「取締役としての意識」がないのがまず問題点であるが、もう一つないのが「For the Team」という考え方であろう。私は普段からスポーツのチームも会社も同じだと考えている。スポーツでは、勝利という目的のためにチームは一つにならないと勝てない。みんながバラバラに好き勝手なプレーをしていては到底、勝利など覚束ない。会社も本質的には同じである。当然のことではあるが、勝利という簡単な結果がすぐ出るスポーツと違って、会社組織になると問題は表出しにくい。それゆえに自分のエゴがどうしても出てくる。我が社の役員の不協和音などその最たるものである。

 自分の意見を持つということはとても大事なことである。それがなければただのイエスマンである。そしてその自分の意見であるが、大事なことは自分の意見よりも「チーム」が優先されるべきであるということである。すなわち、チームにとって一番いい方法が自分の意見と異なる時、優先すべきは自分の意見ではない。徹底的に議論するのはいいが、決定されたらそれを自分の意見と同じだと思って従うことが必要である。「何がチーム、すなわち会社にとって最適か」を考え、優先させないといけないのである。

 そうした考えに、我が社の取締役は至っていない。あくまでも自分の意見に固執して時間を空費するのではなく、どこかで意見をまとめ意思統一しないといけない。どうしても議論が平行線であるならば、どこかで自分の意見を下すというのも大事な意思決定である。あるいは、相手を説得して今回は譲ってくれと頼むか。そういう考え方をどうしたら持ってもらえるか。それが私の今の課題でもある。なかなか簡単ではない。個別に話を聞き、そして意見を吐き出させるだけ吐き出させた上で、何が会社にとって一番良いのかということを考えてもらうしかないのかもしれない。

 それぞれが熱心なだけに、その調整は難しい。これも自分に課された一つの試練として、克服してみたいと思うのである・・・



【本日の読書】

   



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