船長釈放「菅直人氏が指示」 前原元外相が証言 尖閣中国漁船衝突事件10年 主席来日中止を危惧
前原誠司元外相が産経新聞の取材に対し、10年前の平成22年9月7日に尖閣諸島沖の領海内で発生した海上保安庁巡視船と中国漁船の衝突事件で、当時の菅直人首相が、逮捕した中国人船長の釈放を求めたと明らかにした。旧民主党政権は処分保留による船長釈放を「検察独自の判断」と強調し、政府の関与を否定してきたが、菅氏の強い意向が釈放に反映されたとみられる。
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10年前のこの事件はよく覚えている。尖閣諸島を巡る中国との軋轢がきな臭い匂いをさせ始めてきた事件であったからである。衝突の映像もYouTubeで見たし、それが国内では「漁船が海上保安庁の巡視船に体当たりしてきた」と報道されていたが、実際はどうやら「速度の速い巡視船が漁船の進路を塞いだため避けきれなくて衝突した」らしいという話も聞いた。船長の釈放も異例だったという報道も記憶にある。もちろん、「検察独自の判断」というのも覚えている。
個人的には今さら管総理の判断だったのか、「検察独自の判断」だったのかはどうでもいいと思う。当時も同様だったが、ただ何となく検察は事務的に事を進めようとするだろうから、こんなに早く釈放するのは「独自の判断」ではないんじゃないかと思ったのは確かである。やっぱりそうだったかと言いたいのではない。そんなことはどうでもいいが、問題に思うのは、「管直人(当時)総理の態度」である。自分の指示なら自分の指示だとなぜ言わなかったのだろうと、思えてしかたがない。
もちろん、「批判されたくない」という気持ちもあったと思う。講演会に参加した時も、「メールが100万通来ればそのうちの999,999通は批判だ」と自虐的に語られていたが、人間批判に曝されると気持ちが落ち込むものだろう。安倍総理も批判の数は大変なものだと思うが、ただ総理大臣ともなればそうした批判を気にしていたら何もできないだろう。そこは腹をくくって批判を堂々と受け止める(そして跳ね返す)しかないと思う。そういう考え方からすると、菅元総理の(当時の)発言は残念である。
いやしくも総理大臣である。国のトップである。であれば自分の出した指示の責任は自分で取るべきだと思う。記事によれば、中国の主席の来日中止を危惧したのだと言うが、それならそうと堂々と言えばいいと思う。もちろん批判はあるだろうが、政治とはバランスであり、外交は相手国との駆け引きでもある。一国の総理大臣が判断したのであれば、それも一つの考え方。堂々と「何が悪い」と胸を張ればいいと思う。自分で指示を出しておいて、「検察独自の判断」などと言えば、当の検察は「何言ってんだよ!」となる。
世間的には逃げられても、当事者は知っている。個人的には世間の批判よりもそちらを恐れるべきではないかと思う。少なくとも自分ならそうだ。トラブルやクレームが発生すれば、部下に任せて引っ込んでいるより、積極的に対処しに行くだろう。「逃げない」というのは、上司に取って必要な事だと思う。かつて私も銀行員時代に、部下が支店長や他部の部長に怒られている時、積極的に話を聞きに行ったし、部下がトラブルの報告に来た時もきちんと受け止めた。「(私の)前の上司は『知らん』と逃げてばかりでした」とその部下から変に褒められたのを覚えている。
それはともかくとして、いやしくも(たとえ部下が一人であっても)人の上に立つ者であれば、自分が責任を取るというスタンスを取ることが大事である。ましてや国のトップであればなおさらである。そういう意味で、検察に批判の矛先が向かうようにしたのは、いかがなものかと思わざるを得ない。さらに嫌味な産経新聞は改めて当時のことを菅元総理に聞いたようで、それに対し、菅元総理は「記憶にない」と答えたと記事は伝えている。これもまた残念な答えである。これほどの重大事であれば、記憶にないはずはないだろうと思う。
この期に及んでもまだ批判を恐れているのか、あるいは当時の判断は間違っていたと思っているのかもしれない。前者であれば意味はないし、後者であれば、逆に「間違いだった」と素直に認めた方がまだ印象はいいと思う。自分の間違いを認めないトップの姿というものは、部下からすればみっともないことこの上ない。部下はトップがミスをしたことをどうとも思わないが、それを無理に取り繕おうとする姿にこそ幻滅を感じるものである。菅元総理の「記憶にない」発言は、「やっぱりな」と残念感を一層募らせる。
【本日の読書】
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