世間はお盆休み真っ只中である。アマノジャッキーな私は、銀行員時代から今に至るまでこの時期に休みを取ったことはほとんどなく、常に別の時に休みを取っている。この時期、通勤電車は嘘のように空いているし、日中仕事をしていても電話がほとんどかかってこないし、なかなかのんびり仕事をするには快適な時期である。この時期にこそ、仕事をするべきとさえ思うほどである。
そんな風にできるのも、実はお盆に里帰りする必要がないからだろう。東京生まれの私は実家も近く、里帰りなどいつでもほんのついでできるという状況にある。それに実家ではお盆だからといって何かをやるわけでもなく、したがってここで休みを取る必要がないのである。ところが地方出身者などで、毎年家族が集うような場合はそうもいかないのであろう。
実は私の実家でも昔はお盆に迎え火を焚いてと、やっていたものである(今でもやっているかもしれない)。子供の頃の記憶だが、母がお盆にはご先祖様が返ってくるのだと説明してくれ、子供の私は迎え火・送り火を焚いたりナスやキュウリに足をつけるのが楽しくて手伝っていた記憶がある。両親はともに長野県から学校を卒業して東京に働きに出てきたこともあり、ともに故郷はあるのだが、東京では一足早い7月にお盆があるということもあり、自宅でやっていたのだろう。その後、8月にはきちんと故郷に里帰りしていた。東京と長野県ではお盆の時期が1か月ずれていたこともあって、そんなことができたのである。
実家から独立した今は、我が家ではお盆の行事などやったことがない。ともに両親が健在だという事情もあるだろう。その点、母は早くに母(つまり私の祖母だ)を亡くしていたから、ご先祖様というより、自分の母親を迎えるという気持ちがあったのかもしれない。孫の顔すら見せられなかったようだから、迎え入れて孫の姿を見て行って欲しいという気持ちもたぶんあっただろう。お盆の風習の裏にはそんな亡き人への思いがあるのだろうと思っている。
ナスやキュウリを動物に見立て、「来る時は馬に乗って早く、帰る時は牛に乗ってゆっくり」という説明には、どこか切なさすら感じてしまう。そんな風習を自分は受け継いでいない。たぶん、受け継ぐことはないだろうし、そうすると我が家の子供たちもそうなるだろうし、やがてお盆の風習すらなくなっていくのかもしれない。やむを得ない流れなのかもしれないが、それでも祖先を大事にする気持ちだけは持っていたいと思う。
祖先と言っても、実際に顔を思い出せるのは祖父母まで。その上の三代上だと8人の曾祖父母がいるが、その昔写真でそのうちの4人(ともに祖父の両親)を見たことがある程度。その上は16人となるが、もう祖父の家系の名前しかわからないし、それ以外は名前すらわからない。さらにその上は32人と遡るともうお手上げである。そうして遡ると、13代も遡れば祖先の数は1万人を超えてしまう。お盆にどこまでの祖先が帰ってくるのかはわからないが、皆来たら収集がつかないだろう。
小学生から中学生にかけて、この時期私はいつも御代田にいた。公民館で盆踊りがあり、花火大会がありで町中がにぎやかだったのを覚えている。ご先祖様もにぎやかな様子にご満足だったのではないかと思う。御代田も周囲に空き家や賃貸住宅が目立つようになってきたし、最近のお盆の風景はどんなだろうと思ってみる。ただ、渋滞があるので行って確かめてみようという気にまではなれないのだが・・・
お盆の帰省ラッシュは相変わらずだが、空港なんかの混雑もまたニュースで目にする。こういう人たちにとって(自分もそうなのだが)、この時期は帰省する必要もない、単なる夏休みに過ぎないのだろう。そういう人がこれから増えていくのかもしれない。自分はまだ両親が健在だし、そういう意味ではあまり本来の意味での「お盆」を意識することはない。ただ、実家に行って、そこに来ているであろう祖父母には線香をあげ、挨拶をした。今はそれで充分だと思う。
いずれその先は、は今は考えないでおきたい。どういうお盆を過ごすことになろうと、この時期の持つ意味だけは、これからもしっかり意識していたいと思うのである・・・
【本日の読書】
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