週末の土曜日は、世話役として参加している寺子屋小山台の講座があった。今回のテーマは、「現代の問題」。あれこれとある中で、しっかり議論しようとすると、とても1時間や2時間で済む話ではない。とはいえ、考えるきっかけとしては、いい内容ではなかったかと思う。
私も普段から問題意識を持つようにしている。ただ実際「考えている」ことと、「他人と議論をする」ということは、また違うものがある。「考える」だけだと、当然ながら反論などない。「自分の考えが常に正しい」わけで、自らの意見と違う意見に触れた時、そこでまた考える方向を変えて考えるという機会に恵まれる。そういう意味では、自分にとっても得るものが大きい良い機会である。
折からパリで大規模なテロがあり、大勢の人が殺された。報復としての空爆も行われており、その戦果(被害?)を目にしてはいないが、多分テロとは無縁の人も巻き添えを食っているかもしれないし、そうするとそれが新たなテロへと繋がるかもしれない。もはや「国家対国家の戦争」は、どこかの国の左の人たちが声高に主張するにもかかわらず、起こりうる可能性は低くなっている。今はむしろ、テロを心配する時代となっている。
テロを起こしたISに対して、その力を削ぐために空爆が行われているわけであるが、なぜ空爆かといえば、それは人的被害(戦死者)を出したくないからに他ならない。十分恵まれた生活を送れる先進国の人間からすると、自分の国を守るためならまだしも、遠く離れた異国の地で命をかけたくはないだろう。昔のようにすぐに地上戦に踏み切らないのはそれが為に他ならず、それが欧米先進国側のアキレス腱だとも言える。とはいえ、テロが収まらなければ地上戦へと進むのかもしれない。
それにしても、もともとISを「反アサド勢力」として武器を与え支援したのは欧米だ。おおよそ歴史を振り返れば、世界中で戦争を起こしてきたのは欧米だ。のんびり鎖国生活を謳歌していた我が国の玄関に土足で入り込んできて、無理やり開国させた上で国家間の争奪戦に参加せざるをえない状況を作ってくれたのもそうだ。現在でも世界の武器輸出は、国連常任理事国が大半を占めている。武器の販売を全て禁止すればさぞかし紛争も減るだろうと思うが、自国の銃規制もまともにできないアメリカには、期待するのも無理だろう。
テロが悪いのは言うまでもない。どんな立派な信条だろうと、人を殺して正当化できるものなどありえない。それを阻止することは必要なことであるが、病気と同じで「治療」よりも「予防」が大事である。他国や他民族を自らの都合のいいようにコントロールしようとすることをやめ、過剰な国益の追求をやめ、もちろん武器を売って儲けようなどと考えず、奪うより分け合う精神で国家間で付き合うようにすれば、紛争など起こらないだろう。まぁ無理な相談であることは百も承知である。
問題は、我が国としてどう行動するかであるが、剥き出しの欲まみれで国益を追求する貪欲な大国の狭間では、なかなか理想的な行動は取れないだろう。ただ、どうしたら良いのかは考えていかなければならない。アベさんがどうこうと言うより、広い視点で我が国の現状を捉えていかないといけないだろう。
考えるきっかけとしては、この寺子屋小山台はいつもいい機会だと思っている。これからも、「いらない」と言われない限り、活動には関わっていきたいと思うのである・・・
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