それはそれとして、毎朝新聞を読んでいても今一よくわからない。それはやっぱりメディアに問題がある証拠だと思う。普通に新聞を読んでいたら、理解できるように報道するのがメディアの努めだと思う。それでも理解している人は理解しているのだろうか、友人知人の中には反対デモに参加した人もいるようだし、日本版NSCと合わせて「戦争をする国作り」と批判する人もいるし、巷ではかなり反対意見を目にし耳にする。ネットでも同様。だが、それらの反対意見にはどうも何か違和感を覚える。
改めて反対意見を調べてみたら、日本弁護士連合会が問題点をまとめてくれていた。
1 プライバシーの侵害
2 「特定秘密」の範囲
3 マスコミの取材・報道の阻害
4 国会・国会議員との関係
となっている。相変わらず何か釈然としない。
よくよく考えてみれば、それは反対論の議論の展開がおかしいところにあるとわかる。なぜなら、まず何か問題があって、それでこの法案が作られたハズ。何となく理解しているところでは、それは欧米のように国家秘密をきちんと守る仕組みが我が国にはなく、よって欧米(とくに米)が我が国と秘密情報の共有ができないと危惧していて、そこから法案整備の要請がきたらしい。
そう言えば数年前、Youtubeに中国漁船衝突事故の映像が流された事があった。当時民主党政権が非公開としていたものを、一人の自衛官が流したのである。国家の秘密を個人の勝手な判断で暴露するなんて、何という事だと思ったが、ああいう例を見ると、個人的には法案の必要性を感じる。
それはともかく、まず反対するなら、法案の必要性の元となった事をどうするのか、を論じないといけない。個人的に「対案のない反対論は聞く価値がない」と考えている。反対だけなら誰にでもできるし、それだけなら無責任だ。まずその問題をどうするのか、反対するならその対案を示した上でするべきだろう。
日弁連の反対意見とか、あるいは「国民の知る権利」の侵害だとか言われているが、それらはこの法律にともなって付随するいわば“副作用”だ。まず病気があって、それに対する特効薬を使おうとしたら、強い副作用があるとわかった。ならどうするか?「副作用が強すぎるから薬を使うな」と反対するなら、肝心の病気をどうするのかという対案を出すべきだろう。
事は簡単ではない。日本はまだ尖閣諸島一つとってもアメリカを頼らないといけない。それであれば、アメリカの要請にもきちんと応えないといけない。にも関わらず、それに反対するならその結果にどう責任を取るのか。反対論にはそれが欠けている。
そもそもアメリカにも同様の法律はあるはずだし、どういう運用がなされているかを調べれば、“副作用”だって抑えられるかもしれない。実は副作用と言っても、そんなに大げさなものではないのかもしれないとすら思う。対案が出せないなら、まず“薬を使う”。その上で“副作用”をいかに軽減するか。これが考えるべき手順だろうと思う。
考えてみれば、企業にだって企業秘密というものがある。社員が勝手な判断でそれを外部に漏洩させたら、罰せられるだろう。それは国だって同じである。国家公務員が自分の信条と合わないからと言って、国家の秘密を暴露する事を放置していたら、いずれ大変な事になるだろう。そういう問題をどうするのか。「国民の知る権利」の前に、考えねばならない事だと思う。
法案に賛成か反対かと問われたら、今の議論を見ている限り賛成するしかないと思うところである・・・
【今週の読書】
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