2010年5月29日土曜日

すっぱいぶどう

今日はあるところでツイッターの話題が出た。
最近だいぶ利用人口が増えてきたが、10人ほど集まった40代の中では利用者は一人のみであった。
そういう私も興味を持ってはいるものの、やるところまではいっていない。

始めたばかりの者が内容を語り始めたところで、別の者が否定的な発言を始めた。
もちろん、その人物はツイッターをやっていない。
実は同じような否定的な声は耳にしたりする。
そうした指摘が間違っているとは言えないが、その時昔のあるシーンがフラッシュバックしてきた。

まだパソコンが普及し始めた15年ほど前の事だ。
当時の職場にも1台パソコンが設置された。
一人一台ではなく、職場に一台ののどかな時代だ。
私は既にだいぶ使いこなしていたから、さっそくあれこれと使い始めた。
他にはまだ誰も使えなかったのだ。

手書きの資料に定規で線を引き、電卓で計算し、会議資料を作成していた時代だ。
それをエクセルで作り始めたのだ。今では当たり前の作業だ。
ところがそれを見た当時の上司に一言言われた。
「パソコンを使っていれば仕事をしていると思ったら大間違いだ」
今からすれば、写真を撮られると命を取られると恐れる未開人のような発言だ。

自分が今までやってきたやり方に対する自信があり、自分の使えないモノに対するやっかみ・不信というものがあったのだろう。だが、その時新しいものに対して興味をもって、本当に有用なのかどんな風に使ったらいいのかと考えてみる姿勢があったら、15年たって笑われる事もなかったはずだ。ツイッターだって10年たったらどうなっているかわからない。

では私がやるかというと、それはまた別の話。残念ながら今はそんな時間はない。ブログまでで精一杯。「ガイアの夜明け」「カンブリア宮殿」と楽しみにしてるテレビもビデオに撮ったまま溜まっているし、WOWOWで録画した映画のストックは50本を越えているし、読みたい本のリストは長くなるばかりだし、ブログだって毎日更新できずにいるし、それ以上に毎日時間を割いてやっているある事ももっと時間をかけたいし、睡眠時間だって4時間半は確保したいし・・・
ツイッターどころではないし、もちろんミクシィだって同じ理由で手を出していない。

だが、興味はもってアンテナは張っている。機会があれば話を聞いているし、そうする事でいざ始めるとなっても抵抗なく始められるようにしているのだ。世の中は進化しているし、気が付いたら銀行のATMのそばに寄れないお年寄りのようにはなっていたくないからだ。

これからますます頭は固くなる一方で、世の中はどんどん進歩する。
iPadって何?とか言っているとあっという間に世の中から取り残されてしまう。
わからない事は恥ではないからその場でどんどん教えてもらうようにするつもりだし、見ざる聞かざるにはならないようにしたい。おもちゃ売り場に行った時の長男のあのキラキラした眼差しを、私もいつも持っていたいと思うのである・・・


【本日の読書】
「ちっちゃいけど世界一誇りにしたい会社」坂本光司
「眠れぬ真珠」石田衣良
  

0 件のコメント:

コメントを投稿