2009年8月8日土曜日

世襲議員

 各党のマニュフェストも出揃い、そろそろ選挙のムードも出てきそうである。
民主党などまるでもうすでに与党になったかのごとく、批判を浴びている。
今回ばかりは自民党も失政のあとだけに、一回退場もやむを得ないかもしれない。
といって民主党に期待しているかというと、手放しでは支持できないところがあるからジレンマだ。
(何といっても日教組と絡んでいるし・・・)

ところで今回は世襲議員が批判の的となっている。
世襲議員の定義は「親子に渡る議員で地盤もそのまま受け継いだ議員」を言うらしく、代々立派な議員である民主党の鳩山さんは父親と地盤が違うから「世襲」ではないらしい。

そもそも正直に言って何で世襲が問題なのかわからない。
なぜなら世襲とはいっても政治家はみんな選挙という関門を潜り抜けている。お隣のお国とは違うのである。いくら親議員が子供を同じ政治家にしたくて地盤を受け継がせたとしても、選挙で票が集まらなければそれまでだ。

組織票だって立派な票だ。親父さんの後援会が丸抱えで当選させたとしても、それが票という形で大勢の人の支持を得たのであれば、まったく問題はない。それが問題であるというのであれば、世襲か否かの前に選挙に出ている宗教団体こそ糾弾されるべきである。だから何が問題なのだかよくわからない。

「すべてお膳立てされて楽々当選したため、苦労知らず。」
「裕福な家庭で育って、苦労もせず政治家になったから庶民感覚に乏しい。」
そんな個人的な資質を批判する声もあるが、すべての責任はそんな政治家を選んだ国民にあるとしか言いようがない。投票率が低いから組織票のある政治家が強いという意見もあるが、それも同様だ。

そもそも我が国は歴史的にいって親の仕事を継ぐのが当たり前のカルチャーがあった。現代ではサラリーマンが多数派を占めるためそういった風潮は廃れたが、それでも家で商売をやっているところでは、子供たちは「親の仕事を継がないのか?」と当たり前のように聞かれるはずだ。政治家だって同じだ。

例えば医者の親父が子供を医者にさせようと、大枚叩いて子供を医大に行かせるのはよく聞く話だ。そして出来の悪いバカ息子が歯医者にしかなれない例も・・・
金を積んで無理やり医者に仕立て上げるよりも、選挙という関門があるだけ政治家の方がはるかにマシだ。議論を履き違えているのではないだろうか。

『警官の血』という佐々木譲の小説がある。親子三代にわたる警官の物語だ。その中で、息子が警官となった父親は仲間に一目置かれるのだというような内容があった。「息子の育て方を間違えなかったから」である。子供は父親の背中を見て育つ。その後を歩いて行きたいと思えば自ら同じ道を選ぶはず。もしも、純粋に親父のように国民に仕えたいと思って政治家を志す息子がいたら、「世襲だから」という理由でその道を閉ざすのはいかがなものか?(もっとも本当にそんな親父や息子がいるかどうかはわからないが・・・)

私はサラリーマンだから、子供たちが跡を継ぎたいと思っても無理な話だ。でもやっぱり背中で語りたいものはある。生きる姿勢、働く姿勢、社会に向けた姿勢。そんなものを背中で語れる親父でありたいと心から思う。そうしたものをできるのなら「世襲」してもらいたいと思うのである・・・

     

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