2009年5月28日木曜日

I love吉牛

仕事で外出する。
昼食時に重なると、当然外でランチとなる。
そんな時、月に1~2度は必ず吉野家へ向う。
そんな私は吉野家の牛丼好きである。
たぶん、中毒と言っても過言ではない。

牛丼なら松屋でもランプ亭でもなか卯でもあるのである。だが、味が違う。ビールのテイスティングはできなくても牛丼ならできる(吉野家とそれ以外という意味で、である)。アメリカ産牛肉とたまねぎとご飯の絶妙のコンビネーションが、他のチェーンのそれとは一味もふた味も違うのである。

ただいま研究中の「究極のメニュー」に加えるべきかどうか、迷うところではあるが、他のメニューとの優劣からするとちょっと入れ難い。ただし、丼モノとしてはカツ丼と天丼とでベスト3を形成する。究極の丼モノではある。

独身時代は週末の土日のどちらかのランチは必ず吉牛であった。
結婚するとなかなかそうもいかないので、今はもっぱら平日の外出時にふらっと寄ったりするのが唯一の機会だ。月1~2回程度に減ったとはいえ、1ヶ月以上も食べないと禁断症状が出てくる。そろそろ、と思うとわざわざ昼に重なるようにアポを入れるときもある。

そんな有り様だからBSE騒動の時は本当に辛かった。
耐え切れずに松屋やなか卯で牛丼を食べたが、味の違いに逆にフラストレーションが溜まってしまった。しかしあの時、あくまでも米国産の牛肉にこだわり、妥協する事なくそれを貫き通し、最大の経営危機を、単品経営を捨てるという英断で乗り切った姿勢はさすがである。あの時も、オーストラリア産牛肉で「これも吉野家の味」といって凌ぐ方法もあったはず。それをせずに、主力商品を引っ込めて他のメニューを開発した決断力は素晴らしい。

企業だから当然、儲けて存続しなければならない。
唯一の商品がなくなるという危機に、変えるべきは味かメニューかの選択をしたわけである。
そうしたこだわりは見習いたいところである。
自らのアイデンティティーとして「変えられないもの」、「変えたくないもの」、辛くても歯を食いしばって「守るべきものは守る」という哲学は個人にでも十分当てはまる。
大事なものを諦めてしまった事をいまだに後悔している身としては、一本筋が通っている事の大切さを感じずにはいられない。

その心意気に応えるべく、牛丼がない時期に豚丼も随分食べた。
BSE騒動が収束に向いつつある時、一日限定の牛丼復活があった。
その日は休みだったから、当然食べに行った。
家で宣言をしたら、妻には鼻でふふんとあしらわれたが、娘が「一緒に行く」と言ってくれた。
まだ幼い娘が一人付き合ってくれ、親子で吉牛の復活を祝った。
それは懐かしい味であり、待ち焦がれた味であった。

「食べたい時にいつでも食べられる」というのは、牛丼に限らず本当に幸せな事である。
この飽食の時代にそれを実感できた体験は貴重だ。
たかが牛丼、されど牛丼。
いつでもどこの店舗でも味わえる素晴らしさ。
これからも吉牛にはお世話になりたいと思うのである・・・
   
   

2009年5月25日月曜日

ファッション

男の第3の価値は「言葉」であり、
  第2の価値は「行動」であり、
   第1の価値は何より「生きる姿勢」である
                      里中満智子
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恥ずかしい話であるが、私はどうにもファッションセンスに乏しいようである。
洗濯をしていない薄汚れた服を平気で着る、という事こそないものの、流行遅れだったりパッとしないしょぼいものだったりという事はままあったらしい(「らしい」というところが肝なのである)。何度か人に指摘されたし、普通そういう事はあまり指摘しないものだと考えると、それ以上の冷たい視線は何度も注がれていたに違いない。

今でも覚えているのは、大学に入って間もなくの事、ラグビー部の部室で着替えようとしていたら、先輩が私の穿いていたジーンズを指差し、「それってラッパずぼんか?」と驚いて尋ねてきたことだ。かつて大好きだったテレビドラマ「俺達の旅」で中村雅俊演じる主人公が穿いていたベルボトム。憧れのスタイルであったのであるが、当時はすでに流行遅れになっていたのだ。それを全く知らず、しかも指摘されたのが、部内でもっともオッサンくさいと言われていたK先輩だったのがもの凄くショックであった。

社会人1年目の時も同じような指摘を同僚の女性から遠まわしに、そしてやんわりとされた。
女性からの指摘というものも年頃の身の上にはこたえるものである。
そして妻にも・・・

妻に対しては、そんなにセンスが悪いとバカにするなら東京にまで追いかけてくる事はなかったではないか、と逆襲を試みた事がある。妻の回答は、「最悪、服は変えさせれば何とかなると思うたんや」であった。あっさりと返り討ちにあった。まあ、間接的にではあるが、中味は認められたわけなので前向きに受け取ればいいのかもしれないが・・・

男は中味だ。
そう思い込むようにして体を鍛えてきたせいか、ファッションという苦手分野から逃げてきたのも事実である。しかし、結婚してからお気に入りのトレーナーなんかは何枚も捨てられたし、外出時着用禁止を出されたりしたのは切なかった。今でも「家の周り500メートル以内専用」とか「室内限定」の服はあるし、一緒にちょっとしたお出かけの時に、「その格好で行くの?(語尾が下がるのだ)」と言われないか冷や冷やする時がある。

そんな我が家は、今週末は子供の幼稚園の父兄参観。
昨日はそのための服を買いに行くハメになった。
もちろん、一人でなど行かせてもらえない。
服装に関しては完全に禁治○者扱いである。
と言ってもレジに商品を持って行って支払いをする事だけは許されているから準禁治○者だろうか?

今までは無関心でいたこの分野。
これまで頼りにしてきた肉体美ももはや遠い過去の栄光。
それに妻が私の服を選ぶより子供の服を選ぶ時間の方が、最近は長くなってきたように感じる。
そろそろ自立すべき時が来たのかもしれない。
少しずつ感心を持つところから始めようかと思うこの日この頃である・・・
   
   

2009年5月23日土曜日

開かずの踏み切り

その日、私は仕事で早朝から武蔵小金井にいた。いつもと違う街の通勤風景を眺めながら、駅の横の踏切を渡ろうとしていた。
目の前をすし詰めの通勤電車が通り過ぎる。
そして遮断機がゆっくりと・・・・・・

上がらない!
次の列車が近づいている事を知らせるランプとともに、踏み切りは鳴り続ける。
すぐそこにホームがある。
乗降客の様子が見える。
再び、電車を見送ると・・・
次の電車が近づいている。
遮断機は上がらない。
どうやら開かずの踏切らしい。

駅に電車が近づくと遮断機が下りる。
電車は静かにホームに入り、ドアが開いて乗客が乗り降りする。
電車が発車し、踏み切りを通り過ぎてしばらくすると遮断機が上がる。
そういうサイクルで動いている。

だが、朝の中央線はほとんど2分間隔くらいで運行されている。
踏切が開くわけない。
といっても中央線は高架工事中。
下り電車はすでに頭の上を通るから関係ない。
上り電車だけでこの有り様である。

そして遮断機を越えて渡る人が何人も現れる。
気持ちはよくわかるが、危険なのも事実だ。
駅に止まらない通勤快速が来たらどうするのだろうと思う。
すると何の事はない。通過する通勤快速が通る時は、踏み切りにアナウンスが流れるのである。
「速度の速い電車が来ます」と。

つまりJRもこの状態を知っているのだ。
ホームの端から駅員さんも踏み切りの様子を伺っているし、その間に何人もが渡っていく。
電車が行ったあと、すぐに遮断機を上げればいいのに、とは簡単に思う。
どうせ次の電車はホームで止まるのだ。
ホームで止まったところで遮断機を下ろすだけであり、出来ない事はない。

ではなぜやらないのか?
たぶん、問題意識を持っている駅員さんだっているだろう。
だけど仮に、もしももっと踏み切りの間隔を短くしましょう、なんて言い出したら、そんな駅員がいたとしても、たぶん社内の決裁の手続きのややこしさに潰されるような気がする。
状況を説明し、あるべき形を提案し、その実証と効果を説明し・・・
「そんな事しなくてももうすぐ高架工事も終わるだろう」という上司の声にかき消されるのではないだろうか?大きな組織ってそんなものである。

根本的な問題を棚上げにし、踏切内に警告を流すという手段でごまかしている・・・
大きな事故でも起こらない限りは変わらないだろう。
起こってもそれは「遮断機を潜る者が悪い」と言い訳されそうである。
高架工事が終わるまで、この綱渡りは続くに違いない。

時計を見ると10数分経っていた。
ディズニーランドでは大した事のない待ち時間である。
だが、終わりが見えないとなると、例え5分でもその長さは永遠にも等しい。
ホームには8本目の電車が止まっている。
ドアが閉まり、面倒くさそうに目の前の踏み切りを電車が通過していく。
今度こそ、という期待も空しく、警報機は9本目の電車の到来を告げる。

電車がホームに止まったのを確認し、私は遮断機を越えて踏み切りを渡った・・・

   
   

2009年5月22日金曜日

スポーツマンシップ

全身に何百の武器を仕込んでも 腹にくくった”一本の槍”にゃ適わねぇこともある・・・・
                         漫画:ONE PIECE(ワンピース)

他人を負かすってのはそんなむずかしい事じゃあないんだ… もっとも『むずかしい事』は!いいかい!もっとも『むずかしい事』は! 『自分を乗り越える事』さ!
                         漫画:ジョジョの奇妙な冒険
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高校に入ってラグビーを始めた私は、以前も触れたが教えられた通りのプレーを忠実にこなすプレーヤーであった。ラグビーは烈しいぶつかり合いのスポーツである。当然勢い余ってのラフプレーはある。だが、当時「殴られたらタックルで返せ」というのがコーチの教えであった。それは実に日本人の気質にあった考え方である。

何せ武士道精神の伝統ある国。正々堂々を旨とする気質だ。力道山もアントニオ猪木もジャイアント馬場も、外人レスラーの反則攻撃に耐えながら一切反則技で返すことはなく、最後に怒りの鉄拳を振るうというのが美しい勝利のパターンであった。
「タックルで返せ」というのもその考え方にそったものだ。
「目には目を」の文化とは明らかに違う。

だが、大学に入って「自我」に目覚めた私の前に、ヨーロッパの本場のラグビーは実に新鮮であった。そこではラフプレーにはラフプレーで返す文化があった。野球でも頭の近くにボールを投げられたメジャーリーガーは迷わずピッチャーに掴みかかる。
と言っても暴力礼賛ではない。要はそういう精神が大事なのだ、ということである。

それを意識したのはある試合で自分自身ラフプレーにあった時だ。
教えられた通り怒りを正当なプレーで返そうとした。しかし、その時に自分で感じたのは、「正当なプレーで返そう」と一生懸命自分に言い訳している自分の気持ちであった。教えられた通りといいつつも、実はラフプレーで返す勇気がなかったのだ。それまで何となく感じていた自分の限界=「壁」の存在をはっきりと意識した瞬間だ。何の事はない、教えられた通り「きれい事」で返そうとしていたのは、ラフプレーで返すのが実は怖かったからなのだ。

壁を乗り越えるためにやる事はただ一つ。
ラフプレーにはラフプレーで返す事だ。
殴られたら殴り返す。
ヨーロッパのプレーヤーのように、だ。
そう意識したところから新たな世界が開けた。
最初の一発をかましたあとは、無理しなくても自然に手が出るようになった。
そして自分自身感じていた壁も突破できた。

ラグビーは15人のスポーツだ。
一人が乱闘になっても必ず誰かが止めに入る。
それで試合が中止になる事はまずない。
そして「殴られたら殴り返す」熱い闘争心こそが、チームメイトをも鼓舞するのだ。
上手なプレーだけではチームを引っ張れない。
「タックルで返せ」と教えてくれた先輩には申し訳ないが、そんなプレーヤーは大成できないのだ。

ただし、ノーサイドの精神は大切だ。
試合終了の笛がなったら、すべてはノーサイド(敵サイドも味方サイドもない)。
殴りあった相手と笑顔で握手すればいいのだ。
そしてそれこそが、真のスポーツマンシップなのだと思うのである・・・
    
    

2009年5月20日水曜日

I love Rugby

興味のある人しか知らない話題であるが、今ラグビー界ではアジア5カ国対抗というのが行われている。本場の有名な5カ国対抗(アイルランド、イングランド、ウェールズ、スコットランド、フランス)のアジア版と言えるものだ。レベルこそ遠く及ばないが、アジアでもラグビーを盛り立てていこうという試みだ。

日本は16日に韓国に80-9(前半33-3)で圧勝し、シンガポールとの最終戦を待たずに2年連続2度目の優勝を決めた。野球やサッカーでは強力なライバルである韓国も、ラグビーでは日本にとって屁でもない存在である(とっても気分良く観ていられるのである)。

というかアジアは日本の独断場であり、ワールドカップも従って「出られる、出られない」のレベルではない(常連なのである)ラグビーの世界ランキングでは、日本は95か国中16位。けっこう頑張っているのだ。ちなみに韓国は24位。16位と24位の間で80-9と大差がつく。その下は推して知るべし、である。

そして、「ではトップ10を狙えるか」というと、まず不可能である(今のところは)。トップ10とそれ以下との間にはとてつもなく大きな壁がある。日本人は体格的に欧米人と比べて不利である、というのがその差の大きな理由である。そして、競技人口。ラグビーの国民間での位置づけがまるで違う。野球が日本では大きなステイタスを占めているのと同じで、欧米ではラグビーが大きな存在である。この違いは大きい。

やってみればこれほど面白いスポーツはない。
何せボールを持っている相手に思いっきり体当たりできるスポーツなど、アメフトやオージーボールなどを除くとほとんどないだろう。アメフトはボールプレーヤーが倒されればすぐにプレーが止まるが、ラグビーはくんずほぐれつの中からボールを奪い取ってゲームが連続して続く。華麗なプレーもあれば豪快な激突もある。高校に入ってラグビーと出会った事で、私の人生も大いに満たされた。

それがゆえに、これからも日本のラグビーの発展を願いたいところ。
ただ、懸念すべきは少子化で競技人口が減り続けている事。
人口が減れば国力が衰えるのは、経済でもスポーツでも同じである。
悩ましい問題だ。

来月はU20世界ラグビー選手権(20歳以下の選手による大会)が日本で開催される。
ラグビー協会もチケットをばら撒いて動員を図っている。
少しでもラグビーを盛り上げようという表れだ。
草の根ファンとして、できる事はやっていきたいと考えている。
まずは息子の洗脳からだ。
じっくりと少しずつ洗脳していくつもりだ。
男の子のいる家庭には、是非ともリアルスポーツとしてお勧めしたいところである・・・

ご参考
世界ランキング
1. ニュージーランド
2. 南アフリカ
3. オーストラリア
4. アイルランド★
5. アルゼンチン
6. イングランド★
7. ウェールズ★
8. フランス
9. フィジー
10. スコットランド★
★:ラグビーの世界ではサッカーと同様、いわゆる「イギリス」は「連合王国」の伝統に従い4カ国に分かれている

2009年5月16日土曜日

就活学生に思うこと

人事部長:残念ですが求人はしてないんですよ。会社に今、新しい戦力は必要じゃないですから・・・
求職者 :それならちょうどいい。私は戦力になりませんから雇っても安心です! 
          (出典:『たまにはジョークを』)
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平日丸の内界隈を歩いていると就活学生(我々の時は「就活」などとは言わなかったなぁ)を多く見かける。
我々の時はちょうど売り手市場であったが、今はそうではない。
せっかく決まっても内定取り消しなんて事態もありうる世の中だし、学生さんも大変である。

ところで「彼女たち」を見るにつけ前々から思っている事がある。
就活学生であるか否か、は男の場合はっきりとはわからない。
だが、女性はすぐわかる。なぜなら、いわゆる「みんな同じリクルートスタイルだから」、である。紺の上下に白のシャツ、というスタイルである。

なぜみんな同じスタイルなのだろうと考えると、たぶん日本人特有の横並び意識というやつだろう。
スーツスタイル自体は当然だとしても、なぜみんな同じような紺の上下なのか、と疑問に思う。
しかもせっかくのスーツなのに、入社して一月もすると着なくなるのである。
(たぶんやはりあくまでも就活用という意識なのだろう)
どうせだったら入社してもずっと着られるようなものにすればいいのに、と思ってしまう。
その点、男のスーツは経済的である。

同じリクルートスタイルを選ぶ背景としては、「無難」という事になるのだろう。
下手に目立つ格好をして逆効果になったら、と恐れるのだろう。
だが、人事担当者はそれこそ何百人と面接をするのだ。
次から次へと同じ格好の女性が現れたら、誰が誰だかわからなくなるのではないかと思う。
よっぽどルックスがよければ別であるが、少しでもライバルに差をつけないといけない立場としては不利だと思うのだが・・・

きちんとしたスーツであれば面接でも問題ないし、逆に一人だけ違った格好であれば面接官の印象にも残りやすいはず。よほど失敗しない限りは採用となる確率はぐっと高まると思うのだ。スーツが違うというだけで、面接官も特に注目してくれるはずだし、印象にも残りやすいはずだ(「ああ、あのスーツの娘ね」と面接後の人事担当者同士の意見交換でもすぐに記憶を呼び出しやすいはずだ)金太郎飴のようなリクルートスーツより目立つし、しかも入社後もずっと着られるし、メリットこそあれデメリットなどないと思うのだ。

とは言え、そんな「戦略的な」スーツ選びを出来る子など、例えアドバイスされてもいないだろうな、という気がする。他人と一緒で、例えメリットなどなくても万が一のデメリットがない方が良い、とみんな考えるだろう。みんなが歩く道をみんなと同じように歩いていれば心配は少ない。我々の社会はそういう社会だ。

だけどちょっとだけ、脇にそれて新しい道を切り開いてみる勇気というのも、若者には必要なのではないかと思う。閉塞感漂う社会に必要なのは、新しい道を切り拓くことができるパスファインダーだ。何もみんながビル・ゲイツになる必要はないが、ほんの少しだけでもみんなと違う道を目指す意識は持った方が良いだろうと思う。

組織に入る前から、「無難」を選ぶのも、寂しい気がしてしまう。
かくいう自分も何かと「決まり事」の多い組織にいるが、そういう意識だけは常に保ち続けているつもりである。一人でも「そうだな」と思って、私の意見の正しさを証明してくれる人が出てくれば、うれしい限りだと思うのである・・・

    

     

2009年5月15日金曜日

夫婦喧嘩の風景3

愛というのは、
どれだけ多くのものを与えたかではなく、
そこにどれだけの思いやりが注がれたか、ということなのです。
                 マザー・テレサ
妻とは自分がこしらえた作品であることを夫は知るべきである
                 バルザック
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ある夫婦の相談を受けた。
夫の言い分、妻の言い分それぞれであるが、一方の言い分を聞くと「もう一方が悪いわな」と思うものであるが、もう一方の言い分を聞くと、「なるほど、それも一理ある」と思う。

「夫婦喧嘩は犬も喰わぬ」とは昔から言われること。
放っておくべき事かもしれないが、相談を受けた以上はそうも言っていられない。
根本原因は、といえば「コミュニケーション不足」である。
家庭でも職場でも、凡その人間関係の不具合はすべてコミュニケーションに原因がある、と個人的には思っている。この夫婦もそうである。

互いにアツアツの新婚時代であれば、相手のミスにも寛大だ。
忘れていたりしたら自分が代わりにやってあげたりするものである。
ところが10年以上もたつと、次第に相手のミスを責めるようになる。

この夫婦は共働きである。
家事は当然、共同作業。
だが二人の間に十分なコミュニケーションはなく、互いに自分のテリトリーを決めている。
自分の仕事以外は「相手の仕事」。
ところが二人のテリトリーを足すと、どうも家事全般をカバーしていないようである。
となると、当然相手の仕事と思っている事が実は担当が決まっていなかったりするのである。

夫は「やる事はやったから気晴らしに飲みに行く」
妻は「夫はすぐに飲みに行ってばかり、私ばかり真面目にやっていられない」
そうして放置された家事が、双方のストレスとなる。
それに子供の問題と同居する(妻の)両親との関係が拍車をかける。

もしも二人の間に、「まず相手のために自分は何をしてあげられるか」という気持ちがあったなら、問題はたちどころに解決してしまう気がする。
ケネディ流に言うならば、「相手が自分に何をしてくれるのかを問うのではなく、自分が相手に何をしてあげられるのかを問え」となるであろうか。

新婚時代はあったはずの気持ちが、今の二人にはない。
少なくともどちらか一方だけでも、相手の不満の声に耳を傾ける姿勢さえ見せたなら、それだけでもうまくいくと思う。逆回転して転がりだした歯車を止めるのはなかなか至難の業。お互いに原点に帰れる様な何かがあるといいのだが・・・
せめて他山の石としたいところである。
      


2009年5月12日火曜日

母の日

「たわむれに母を背負いて そのあまり軽きに泣きて 三歩あゆまず」
啄木
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先日の日曜日は母の日であった。
日曜日は家族で出かけたため、前日に実家に行った。
ちょっと用事があって子供たちだけを母に預けておいた。
母としては、孫たちと水入らずで、(私たち夫婦に)気兼ねなく遊べたので結構楽しかったようである。母の日のプレゼントはまた後日としてしまったが、まあ孫との戯れのひと時が母の日のプレゼントといえばプレゼントである。

世間ではどうしているのだろう。
やっぱり「純粋な愛情」「ありがとう」などの花言葉を持つカーネーションが定番なのであろうか。最近の傾向として母の日が近づくとカレーがよく売れるとも聞く。
日頃の感謝をママに伝えたいという気持ちから、母の日にお父さんと子供たちでカレーをつくるご家庭が増えているらしいが、我が家では子供たちも小さいためか、母の日といえばまだ互いの両親が対象だ。

私の場合、中学生くらいになった頃から母親と一緒のところを友達に見られると恥ずかしいと思うようになった。それは高校生になっても、それ以降もしばらくはそうだった。だから大学受験に母親と一緒に来ている男を見た時には、蹴飛ばしてやりたくなったものだ。今でも社会人になった息子の職場に電話をかけてきて、その上司に「息子に残業をさせないでくれ」という母親もいるらしい。ここまでいくと世も末だ。

それはともかくとして、私は結構自立心が強かったせいか、母親と話し込んだりすることはほとんどなかったように思う。最近はあれこれと悩み事の相談を受けたりして話をする機会も増えてきた。過去には母の誕生日のプレゼントを買いに、二人で買い物に行った事もある。そうした事にもいつのまにか抵抗はなくなった。

実家に行けばいまだにあれこれと物をくれようとする。
ありがたいのでこちらも素直に受け取る。
いくつになっても息子は息子なのだろう。

唯一の難点は妻との関係だ。
表面上は互いに平穏であるが、双方から不満の声を聞く。
どちらがどうだという問題ではない。
これは永遠の課題なのかもしれない。

いずれにせよ親が健在だという事は、それだけでありがたい。
嫁姑のつばぜり合いくらいは私が何とかしないとバチが当たるかもしれない。
母からすればまだまだ息子には不満が多いようであるが、なんとか嫁姑間の緩衝材となるべく奮闘努力中である。この修行だけはなんだかずっと続きそうであるが、それもありがたく続けていきたいと思うのである・・・
     
 
   
   

2009年5月10日日曜日

夫婦喧嘩の風景2

「苦しい事もあるだろう 言いたい事もあるだろう
  不満な事もあるだろう 腹の立つ事もあるだろう
  泣きたい事もあるだろう
  これらをじっとこらえていくのが、男の修行である」
山本五十六
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先日の夕食時。
一家団欒の一時のこと、ささいな事から妻と言い争いになった。
地震レベルでいけば、震度3という程度であろうか。
そんなに腹も立たなかったのであるが、ちょっと腹が立ったところもあって言い返した。
そうしたところ、驚いた事に妻が泣き出した。
口論になって悔し涙を滲ませた事はあってもおいおい泣く事などない妻が、である。
そんなに強く言ってなかったし、もっと腹を立てて言い争いになった事はあったのに、この程度で、しかも泣くとは、とこちらがびっくりした。

何かこちらの気付かないところで蓄積したものでもあったようである。
食卓を離れ別室に篭る妻。
あとに残されたのは私と子供たち。
子供たちは下を向いている。

子供も大きくなれば「またやってるよ」と醒めて放っておこうという態度にでもなるのであろう。
だが、まだ年端もいかぬとなれば、どうしていいかわからず戸惑うところであろう。
私も子供の頃、口論する両親を前におろおろした記憶がある。

子供には常日頃、「友達と喧嘩になったらそれは仕方ないけど、必ずあとで自分から謝るんだよ」と教えている手前、言った本人も言った事をやらないといけない。
そこで「ちょっとゴメンネって言ってくるね」と子供に言い残して妻のところへ言った。
そこで散々罵られたが、黙って聞き流して謝って席に戻った。

すると今度は長女が妻のいる部屋へ行った。
あとで聞いたら「いっしょに食べよう」と言いに行ったらしい。
長女は長女なりに考えての行動で、それも嬉しい驚きであった。
子供も成長は背が伸びているだけではないのである。

その後は不機嫌な妻に気を使いながら食事を終えた。
寝る時に長女に聞いたら、私たちの喧嘩を聞いていて泣きそうになったと言う。
改めて両親の間柄が子供に与える影響は大きいと感じた。
子供の精神的な(健全な)成長には両親の仲が良いかどうかは大きな影響力を持つものであると、つくづく思う。

謝らない妻に不満はあるものの、もはやそれはささやかな問題にもなりえない。
喧嘩になるのは互いに気持ちの問題もあって仕方がないが、子供の手前早めに修復する事が必要だろう。せめて「またやってらぁ」と知らん顔できるくらいの大人になるくらいまでは、修復役は自分の役目になりそうである。一家の大黒柱はつくづく大変だと思うのである・・・






2009年5月9日土曜日

夫婦喧嘩の風景1

   
我が家も世間並みによく夫婦喧嘩をする。
といっても口論だけで、しかも結末は大概私が謝るかそれとも自然に元に戻るか、である。
妻のほうから謝る、という事はこれまでも決してなかったし、これからもたぶんないと思う。

妻の言い分は簡単だ。
「悪くもないのに謝る必要はない」
だが、喧嘩は互いに自分が正しいと思っているから喧嘩になるのだ。
そんな事を言っていたら仲直りなんてできるわけがない。

かつていつも私が謝ってばかりだから、こちらが謝らなかったらどうなるか試してみたことがある。
一週間くらいお互い口を利かなかったが、必要最小限の会話というのは出てくるもので、そうこうしているうちに大概私が意地を張るのがバカらしくなってしまい、自然に元に戻るのであった。
妻は「ごめんね」とはとうとう言わなかった。
意思が強いというのか、頑固というのか、その一貫したスタイルは立派である。

そもそも謝るという行為は、自分が悪かったと認める事ではあるが、主張が間違っていたと認める事とイコールではない。少なくとも喧嘩した時は、たとえ自分の意見は間違っていないと思っても相手との関係を修復するためには必要な行為なのだ。
あえて言うなら、「喧嘩という結果を招いてごめんなさい」となるだろう。
私はそう考えているので謝る事自体に抵抗はない。

だが、そんなことを例え妻に言っても馬耳東風だから、最近では妻の謝罪などはすっかり諦めている。「ごめんなさい」などとしおらしく言われたら、と憧れにも似た気持ちを抱き続けているが、どうやらそんな夢は間違っても実現しそうにない。「いくつになっても夢を持て」とはよく言われるが、儚い夢はかえって体によくないと反論したくなる。

妻に言えない分は子供に言う。
「友達と喧嘩しちゃだめだよ」などと言ったって、大人でさえ喧嘩するのだからそんなのは現実的じゃない。だから、「友達と喧嘩するのは仕方ないけど、喧嘩しちゃった時は自分からごめんねって言うんだよ」と教えている。「『ごめんね』って謝る事は、悪い事をしたからという意味じゃなくて、『喧嘩してごめんね』っていう意味だよ、だから悪くなくても仲直りするために謝るんだよ」と教えている。

妻の聞いている前でわざとらしく言ったりするが、どうやら自分にも当てはまると思うほど感受性は高くないらしい。幸い子供は私の教えを守ってくれているようである。
よく「今日友達と喧嘩しちゃった」と報告してくれるが、そのあとどうしたか聞くと、「ごめんねって言って仲直りした」と答えてくれる。今のところはとっても素直だ。
そしてそれが救いである。

儚い夢は夢のまま終わるとも、その夢が我が子の中でしっかりと芽吹き、やがては大きな花となっていつか誰かに幸をもたらす・・・
そう考えれば我が無念も無念足りえず、反面教師も反面教師ゆえに存在意義はある。
そう考えて未来を明るく見つめたいと思うのである・・・



2009年5月5日火曜日

憲法記念日

  1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
  2.  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本国憲法第九条

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 世間ではGWという事ばかりが強調されているが、5月3日は言わずと知れた憲法記念日である。日本国憲法といえば、世界に冠たる「平和憲法」と一部の人達は自負しているが、その象徴たる第九条は、第1項はともかくとして、第2項は自衛隊との関係でどうにも具合が悪い。なぜなら自衛隊は明らかに憲法違反だからである。それは誰でもわかっている事であるが、だからといって自衛隊は廃止できない。できないからこそ、憲法違反ではない、と苦し紛れの解釈論でごまかしてきている。  

 私自身は、憲法とは国の基本であるから「義務教育を終えた人であれば、誰もが読めて理解できるものでないといけない」と思っている。個別の法律は多少難しくてもしかたないかもしれない。だが憲法は誰もが理解できるほどシンプルでないといけない。だからそのまま素直に読めば自衛隊は憲法違反であるし、だからといってなくすわけにはいかないものである以上、憲法の方を正すべきだと思うのである。
 
 大学時代、法学部(ラグビー『部』、ではない)の学生であった私はある教授の憲法講座に出席した。その日の講義で、その教授は「自衛隊が憲法違反である」という事を90分の時間をフルに使って解説してくれた。それは目からうろこの論理展開で、大学の憲法講義とはこれほどすばらしいものかと感動したものである。
 
 だが、考えてみると、確かにすばらしい論理展開なのであるが、なにもわざわざそんな高度な論理を展開させずとも、「だれでも読めばわかるじゃないか」と思ってしまったことも事実である(その講義に象徴される一連の法律論に限界を感じて、私は法曹界へ進む道を放棄したのだ)。しかし、現代の世界において軍隊を持たないで済ますなどという事は非現実的であって、それゆえに早く憲法を(特に第九条第2項を)改正してあるべき姿にするべきだ、と常々思っている。 
 
 もうじき子供も憲法を習うことだろう。その時、今のままであれば大人の世代としてまったくみっともないと思う。だめだ、と書いてあるものを解釈で抜け道を作るという事は、ルールを逸脱する方法を自ら教えているようなもので、それこそ教育上好ましくない。

 なぜ軍隊が必要なのかという議論を始めたら、憲法改正の話とあわせてたぶん1時間は話をする事ができる。それをここにすべて書き記す事は今はやめておこう。ただ、子供たちがもう少し大人になったら「憲法記念日」には憲法の話をしたいと思っている。その時に「大人の複雑な事情から、ここには白と書いてあるけど、実は黒なんだよ」などというわけのわからない話は、できればしたくない。軍隊を自衛隊と言ったり、改正を改悪と言ったり、子供の白紙のキャンバスに描くには現実は少々醜すぎる。
 
 素直に読んで素直に理解できる。そんなあるべき姿に早く正したいものだと思う。いつまでも「臭いものに蓋」式に先送りせずに正面から議論すべきなのだ。それをやらないのは政治家が悪いとするのは解決策ではない。
 
 「世の中をよくするためにまず自分ができる小さな一歩は何か?」
いつもそう考えているが、この件に関しては、まずは子供たちにいつでもきちんと説明できるように考えをまとめておきたい、と思うのである・・・






   
  

2009年5月4日月曜日

忌野清志郎

 忌野清志郎が死んだ・・・
少し前から喉頭癌だとは聞いていたが、元気に闘病生活をしているものだと思っていた。
突然のニュースを聞いて、どこか予想はしていたものの、一つの時代の終わりを寂しく感じる。

 高校の時、初めてRCサクセションと忌野清志郎の名前を知った。
ハチャメチャでいながら、何か感じるところがあって一発で好きになった。
人は自分にないものを他人に求めると言う。だとすれば、自分とは180度異なる異次元に住む忌野清志郎は、まさに自分にはないものの塊であった。

 それまでの自分は、普通の無難な舗装された道をまっすぐに歩いていた。
ところが忌野清志郎は、無人の荒野を自由に飛び跳ねていたのだ。
自分が絶対やらない(やれない)事を自由にやっていた。
死につながるからといって、アパートには4号室がない日本で、「いまわの際」を芸名にしているのだ。そこからしてタダモノではない。

♪俺はつきあいにくいぜ 誰の言うこともきかねぇ 口やかましく言われても おれの態度を変えることはできねぇ だって俺は自由、自由、自由♪・・・・(自由)

 少ないこずかいをはたいてレコードを買うのに迷いはなかった。
邦楽のLPレコードを買ったのはそれが最初だったと記憶している。
社会人になって13万円で買ったマーチの助手席には、必ずRCのカセットテープが無造作に置いてあった。ドライブのお供はRCだった。だから、雨上がりの深夜の甲州街道でマーチが止まってしまった時は、どうしようという戸惑いよりもRCの世界を体験できた喜びが強かった。

「♪どうしたんだい、ヘイヘイベイビー、バッテリーはビンビンだぜ!♪」と鼻歌を歌いながら車を押した。一緒に押してくれた同期の友人は明らかに迷惑そうであったが・・・

 忌野清志郎のロックは、ロックではあるものの、「よろしく矢沢」の王道ロックとは一味違うように感じていた。社会の枠から飛び出る事がカッコいいのではない、自由に羽ばたくのがカッコいいのだというメッセージのようなものを感じたのだ。

 メロディーも好きだったが、共感できる歌詞も好きだった。
♪あーあ とうとう裸にされちゃったなんて  言いながら  あの娘が起き上がる朝  窓の外は雪♪(窓の外は雪)
こんな光景に強い憧れを感じた。

♪昨日は車の中で寝た あの娘と手をつないで 市営グランドの駐車場 二人で毛布にくるまって♪(スローバラード)
彼女ができたら、こんな風に付き合いたいと思った。
 
 そんな世界は何一つ実現できないまま、今日に至っている。人生の最後の瞬間に、これまでの人生を振り返って懐かしむとしたら、忌野清志郎とともにドライブしていたあの頃のことは、間違いなくそこに登場するに違いないと思うのだ。今夜、久しぶりに聞いてみようと思うのである。あの頃を思い出しながら・・・

     

2009年5月2日土曜日

小池真理子

 「つもり違いの十か条」
   一条 高いつもりで低いのは教養
   二条 低いつもりで高いのは気位
   三条 深いつもりで浅いのは知識
   四条 浅いつもりで深いのは 欲
   五条 厚いつもりで薄いのは人情
   六条 薄いつもりで厚いのが面の皮
   七条 強いつもりで弱いのは根性
   八条 弱いつもりで強いのが 我
   九条 多いつもりで少ないのは感謝
   十条 少ないつもりで多いのが無駄
************************************************************************************

 私の愛読する作家の一人に小池真理子がいる。
主として恋愛小説を書いている作家である。
何気なく読み始めたのであるが、ハマってしまい、以来新刊が出るたびに欠かさず読んでいる。

何が良いのかと問われれば、やはり文章と答えたい。
小説にはストーリーで読ませる作家と文章で読ませる作家があると思う。
スケートに例えるなら、スピードスケートとフィギアスケートのようなものだ。
東野圭吾や福井晴敏など、圧倒的なストーリーでぐいぐい引っ張るようなタイプはスピードスケートだ。一方の小池真理子は優雅な美しさを競うフィギアだ。

といってもストーリーが面白くない、というわけではない。
主人公は大概が40代の女性だ。
恋愛小説で主人公が40代となると、最近でこそ「アラフォー」などと言われてもてはやされているが、月9の恋愛ドラマに慣れた人からすると魅力は感じないかもしれない。
雨の中でびしょ濡れになりながら、「お前じゃなきゃダメなんだ!」なんて叫ぶシーンなどは無縁だからだ。

その代わり、登場人物たちを巧みに豊かに描き出していく。
さり気ない日常を、心の動きを優雅に綴る。
水道から滴り落ちる水滴や、窓から飛び込んでくるまばゆい光、路傍で解けずに残っている雪などの何気ないモノたちも、小池真理子の手にかかると、生き生きとして、まるでそれ自体が主人公であるかのように描かれる。ホームに入ってくる電車の中に人を探す登場人物の心の動き、新しい生活を始めるべく新転地の駅からタクシーに乗った人物の心の動きをつぶさに描き出す様は圧巻である。

文字だけしか見ていないはずなのに、脳裏に映像がまざまざと蘇ってくる。
「ああ、うまいなぁ」と読んでいてタメ息が漏れるのだ。
かつて将来は小説家、とはいかなくても本を書いてみたいなぁなどと漠然と思ったことがある。
銀行員とシンガーソングライターという二束のわらじを見事に履き分けた小椋佳とまではいかなくても、銀行員と小説家なんて素敵じゃないか、などと夢見たくもなる。

だが、こんな文章を目にしてしまうとそんな甘い幻想はたちどころに吹き消されてしまうのだ。
これほど優雅な舞いは、どうあがいても舞う事はできないと思わされる。
プロのなせる業と言ってしまえばそれまでなのであるが、そのほんの一部だけでもいただきたいものだと思わずにはいられない。

まだまだたくさんの作品を生み出してくれそうなので、これからも一冊一冊、その深い味わいを楽しみたいと思うのである・・・




  

2009年4月30日木曜日

時計2

 昨日ご紹介した腕時計の他にももう一つ思い入れのある時計がある。これも10何年か前に知人にもらったスウォッチである。スイスのお土産として、それこそスイスらしいお土産としていただいたものである。

 説明書もついていたのだが、英語でなかったのでいまだに使い方がよくわからない。上部のボタンを押すと軽快なメロディーとともに針がくるくると回る。まるで時間だけ表示していたら飽きるでしょうから、何かやってみせましょうってな感じで芸を披露してくれるみたいなのだ。とっても気に入って、もらって以来職場で使っている。

職場ではたびたび見た人が手に取る。特に女性の場合はかなりの割合で興味を持つ。そのたびにちょっと誇らしい気になるのだ。
   
 ところが先日この時計が止まってしまった。電池切れだと思った。考えてみるともらって10数年、電池交換などした事がない。そんなにもつものだろうかと思っているが、誰かが換えてくれたわけでもないので事実はそうなのである。

 さっそく池袋のスウォッチ店に持って行った。応対してくれた若い女性の店員さん、時計を受け取ってドライバーで蓋を開けようとしたが開かない。「力を入れるとひびが入るかもしれませんが、どうしますか?」と聞いてくる。どうやら万が一の時の責任回避にきたようだ。やり方を聞いたら簡単そうであったので自分でやる事にした。

 相手がゼペット爺さんのような時計職人なら任せたのだが、若いおねえちゃんでは心もとない。たとえ壊れても自らの手でなら諦めもつく。電池だけ購入して帰ってきた。

 やってみると蓋は簡単に開き、交換も問題なくできた。
ところが・・・動かない。
上部のボタンを押してもメロディーも鳴らなければ、針もピクリとも動かない。これは内部の故障だと判断して再び店に持って行った。
   
 若いおねえちゃんが今度は簡単に蓋を開ける。「電圧を測ってみましょう」などと言っている(昨日ここで買った電池だぞ!)その間、国内にはスウォッチの修理工場はないこと、海外だとコストが高くつくことなどの説明をしてくれる。やれやれ、いくらくらいまでならコストをかけようかと算段する。何せこのままお終いにするにはちょっと未練が残る。できる事なら修理したい。

 と、蓋を閉じたおねえちゃんが「直りましたね」と言う。驚いて受け取ると、確かに動いている。上部のボタンを押すと例の軽快なメロディーとともに芸を披露してくれる。死んだように沈黙していたスウォッチは見事に息を吹き返した。

 頼りなさそうなおねえちゃんだと馬鹿にしていたが、この店員凄いと思った。
そうしたらおねえちゃん曰く、「電池が逆さまに入っていました!」
「・・・」
  
 何にせよ無事に職場復帰した我がスウォッチ。ちなみに文字盤を斜めに見ると製造年がわかると教えてもらった。1995年製だとの事。セイコーの腕時計の半分か。それでも時計の本場もメイド・イン・ジャパンに負けていない。
 
 この時計ももらった時の思い出とともに定年まで職場で使いたいと思っている・・・




     

2009年4月29日水曜日

時計1

私はいくつか時計を持っている。
まあ大概の人は少なくとも2~3個は持っているものであろう。私もそうなのであるが、そのうちの一つはもう長く使っているものだ。セイコーの純国産腕時計である。
ちょうど19歳の春、大学の合格祝いとして父親に買ってもらったものだ。だからもうかれこれ26年使っている事になる。

それまでは大して必要性を感じなかったので、これといった時計はもっていなかった。
それを知っていたのか、大学に受かった時に突然父親が「時計を買ってやる」と言ってきたのだ。
もともと自立心が強かったのもあって(何せ高校生になってからこずかいはもらっていなかったのだ)、親に何かをねだるという事もなかったし、親もわざわざこれを買ってやるということもなかった。だから突然父親が「時計を買ってやる」と言ってきた事に少々驚いた事を覚えている。

父親からすれば、浪人したとはいえ息子が無事大学に受かり、(しかも予備校にも通わず学費の安い国立に行ったから随分安上がりだったのだ)少しは何かしてやろうと思ってくれたのかもしれない。あるいは自分が行けなかった(行きたかった)大学なるものに息子が行く事になり、そのことが誇らしかったのかもしれない。

それはともかく、父親と二人で買い物に行く、などという事はそれまでほとんどなかった事であった。買い物というと、ほとんど直感でパッと物を買うタイプである私は、普段あちこち見て回ってから買うなどという事はなかったのであるが、(それは今に至るまで変わっていない)その時ばかりは何件かハシゴした。父親の何か思いのようなものを感じていたためか、中途半端に妥協したものを選びたくはなかったのだ。

そうして何件か回った後で見つけたのが上の腕時計だ。
見た瞬間に気に入ってしまった。
そしてこれが、自分にとって初めてまともに買った腕時計となった。
それをはめて19歳の春、新しい生活を始めたのだ。

以来ずっと私の腕で私と同じ時間を刻んでいる。
その後いくつかの新しい腕時計を手に入れたが、だからといってこの時計を隅に追いやるつもりはさらさらない。逆に使わないとダメになるかもしれないと思い、今でも週に1~2回はつけて出勤している。26年たってもいまだに若いものに遅れる事なく動いているのはさすがメイド・イン・ジャパンだ。

もしも誰か奇特な人がいて、この時計を譲ってくれと言ってきても(100万円までなら)、その場で断る自信がある(それ以上だったらちょっと考える)。
いつまでも、できる事なら定年を迎えるその時まで使い続けたいと思っている。
まだまだ長い人生、これからも私の大切な時を刻み続けてほしいと思うのである・・・

    

2009年4月25日土曜日

やってみること

百聞不如一見、百見不如一考、百考不如一行
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私はけっこう好奇心が強い。
といっても誰でもそうであると思うが、私の場合は興味を持つと取りあえずやってみようと、すぐに行動に移すという意味である。元が面倒くさがりやであるから、あれこれ考えるよりもやってみればわかると思うところもある。

パソコンは随分早くから始めた。これからパソコンが便利らしいとの話を知り、何ができるのかよくわからないまま大枚15万円をはたいて東芝のPCを買った。まだMS-DOSの時代だ。それは結局、何に使えるかよくわからないまま表計算ソフトでこずかい帳を作って終わった。

それからウィンドウズなるものが良いらしいと聞いて、早速買い換えた。ウィンドウズ3.1だ。インターネットというものがあるらしいと聞いて、わけのわからぬまま装備を揃え、やり方を聞きに休みの日に後輩の家に押しかけた。その効果は職場にPCが導入され始めた時にはっきりした。「一日の長」の効果は大であった。

とにかくやってみる。そしてやってみて合わないと判断すれば撤退も早い。
アムウェイもねずみ講ではないかと疑ったが、面白そうなので入ってみた。
リスクは入会金の1万円と割り切って覚悟はした。だが心配をよそに制度自体はきちんと機能しているとわかったし、自分には合わないとわかったのですぐにやめた。1万円もちゃんと戻ってきた。

「喧嘩芸骨法」という古武術にも入門した。
こちらは「喧嘩OK」だったのだ。
しかし、仕事の合間に通うのは難しく、土日はラグビーでつぶれていたため、泣く泣く辞めた。
今でも残念に思う。

ブログなるものが出回った時もすぐに喰いついた。
だが実際にどう活用するかはつかめなかった。
今では古いものだと2年半ほど続けているが、副収入でおこずかいもあったりする。
自分の考えを活字にするのは楽しいし、ブログの記事を見た見知らぬ人からコメントやメールをもらったりというのも面白いものである。
アフイリエイトは実入りもあると期待したが、手間隙がかけられず中断状態だ。

興味を持つのは早いし、やってみるのにもさしたる抵抗はない。ただ問題は手間と時間だ。あらゆることに手を染めるには人生はあまりにも短すぎる。取捨選択がどうしても必要だ。だから興味がそれ以上わかないとわかれば、意識的に早い撤退を心掛けている。

今興味があるものの意識的に避けているものがある。
そんな時間とてもではないが捻出できないからだ。
今以上長い時間PCの前に張り付いていると家庭内で大変な事になる。
今でも「忙しそうね」などと冷ややかな言葉をかけられたりするから尚更だ。

だからmixi参加は涙を堪えて見送っているのである・・・
     

2009年4月24日金曜日

武術を学ぶということは・・・

実は私は格闘技ファンである。
見る方専門であるが、自分でやりたいと思った事も当然ある。
柔道、空手、合気道、と特に日本の武術については、子供の頃にやっておけばよかったなとつくづく思う。タイミングを逃してしまったのだ。
だが、合気道については実は入門一歩手前までいった事がある。

社会人になってしばらくした頃、取引先の社長が合気道の道場を運営している事がわかった。
話を聞いて興味を持ち、いい機会だからやろうと思った。
そして入門を申し入れようとしたその時、その社長が言った一言で興味を失ったのだ。
「喧嘩に使ったら破門ですよ」

そもそも格闘技を学ぶ目的は何なのか?
その社長も言っていたが、「精神の修養」である。異論はない。
では「精神の修養」とは何なのか。
残念ながらその社長にはわかっていなかった。「喧嘩に使ったら破門」などと言う人物がわかっているとはとてもではないが、思えなかったのである。

例えばタクシー待ちの行列に並んでいたとする。
そこへチンピラ風の者が割り込んできた。
誰もが見て見ぬ振りをしようとする中、勇気ある老人が注意した。
頭に来たチンピラが老人に殴りかかろうとしたその時、どうするのか?
止めに入れば間違いなく喧嘩になる。

ここで「喧嘩に使ったら破門だから」と言って見て見ぬ振りをするようであれば、私が道場主であればそれこそ破門だ。先の社長の一律禁止論ではこれに答えられない。
「子供にはそんな判断は無理だから、一律禁止とする」というのも正解ではない。
子供だからこそ、考えさせるのだ。
友達がいじめられていたらどうするのだ、と。

「精神の修養」とは、「感情と技術のコントロール」であると言える。
例えば5歳の子供に喧嘩を売られたとして、まともに相手をする大人がいるだろうか。
適度に相手をして、必要があれば「お灸を据える」かもしれないが、まともに殴る大人はいない。
それは相手の力と自分の力を比較し、絶対勝てるという安心感から心の余裕が生まれ、適度に力を加減して必要最小限の対応ができるからである。
格闘技を学ぶ目的は、この境地に達する事である。

余裕があれば、例え揉めそうになっても謝る余裕ができる。
ライオンに勝てると思えば猫にもなれるのである。
例え喧嘩になっても相手を怪我させない程度に戦意喪失させる事もできる。
どの程度まで力を使えばいいかの判断ができる。
その余裕の境地こそが、格闘技を身につける目的である。

一律喧嘩禁止ではその答えに到達できない。
仮に精神の未熟さから喧嘩をして破門された子供はどうなるのだ。
中途半端なままの力を無制約に振り回す事になる。
中途半端に教えて放り出すのは無責任極まりない。
それがわかっていない。

もしも私が道場主であったなら、道場には次のようなルールを決めるだろう。

1. 格闘技を学ぶ究極の目的は「闘わずして勝つこと」、そこに至るまで各人精進すること
2. 力を使うのは自分、または誰かを守る時のみ、いたずらに喧嘩で使う事は厳禁
3. 力を使った時は報告する事、胸を張って報告できるか、力を使う前に考えよ
4. 力を使う時は本道場の生徒として恥ずかしくない結果を出す事   
                                    
以上


2009年4月21日火曜日

私の地球の歩き方

   
週末、些細な事で妻と口論になった。
子供の机の高さ調節で、いきなり取り掛かろうとした私に対し、説明書を読んでからにしろと妻が文句を言ってきたのだ。
諍いはいつもささいな原因であり、いつも私が戦意喪失して終わる。

その口論の時、ふと学生時代の卒業旅行の事を思い出した。
ラグビー部の同期のKと二人で行ったオーストラリア3週間の旅である。
何事も慎重なKは全行程にわたって計画を立てようとし、すごろく方式の旅を望む私とは事あるごとに衝突した。

「宿は現地についてから探そう」と言う私をこの世のものとは思えないものを見るような眼差しで見つめるK。わかってはいたものの対照的な性格。
議論の末、妥協の産物として日本から予約していく宿は、現地で当日確保が困難であるエアーズロック2泊とあらかじめ旅行会社指定の4泊の合計6泊のみ、あとは現地で選ぶ、ただしその先はあらかじめKが調べて行ったところを優先する、というところでスタートすることになった。

行く先々で宿探しから始める旅、というのも素敵じゃないかと考える私と、もし泊まるところがなかったらどうするのだ、というK。
「そんなの何とでもなるし、なけりゃ野宿したっていいじゃないか」なんて私も言うから大変であった。Kはあらかじめ宿をピックアップしておく事で安心し、私はその場で「今晩泊まれる?」と交渉する楽しみを得られるところでの妥協だった。

二人の主張はお互いの性格の違いだ。
旅行の間中、
「そんな誰かが行ったところを回って、その通りだったと確認する旅が面白いか?」と私が言うと、
「せっかくオーストラリアに行ってつまんない経験しかできなかったらもったいないだろう、確実に楽しめるところに行くのは当然だ!」とKは反論する。
当時は自分の考え方が正しいと信じていたが、今になるとKの気持ちもよくわかる。

それでも4年間苦楽をともにした仲、お互い妥協しあった。
Kがガイドブックから選び出したレストランに二人で行く。
ガイドブックに載っているお勧めメニューを食べて満足するK。
一方そんなKを横目で見つつ、せっかく話しかけるならときれいなウエイトレスさんを探してキョロキョロし、答えを聞いても理解できないのにお勧めメニューを尋ね(結局Kと同じものを食べた)、生バンドには勝手にリクエストし、と私もそれなりに「ガイドブックに載っていない旅」を楽しんだ。

しかし、とうとう最後のケアンズで大喧嘩。
4泊5日のケアンズは別行動を取ることになった。
と言っても、お互い懐が寂しいので泊まる部屋だけは同じにした。
朝起きると口もきかずにそれぞれ出て行く。
最初の日こそ一人寂しく後悔したものの、夜になって部屋での沈黙に耐えかね、ホテルのバーに一人繰り出したところ、現地の旅行者たちと意気投合。
それから毎晩、片言の英語でやり取りをして楽しい夜を過ごした。
トイレで並んで用を足しながら、互いに覗き込んで、それは英語で何と言うのだ、日本語ではどう言うのだ、などと話したのはいい思い出だ。

「俺は砂漠でバーを経営している、お前も来て一緒にやらないか」、とバーの写真を見せられた時は心が動いた。贅沢ではなくても心豊かに生きているオージーたちの生活に溶け込みたいと強く思った。興奮と酔いとで部屋に戻ると、高鼾で寝ているKに対して「どうだ、地球の歩き方に載っている旅は?」と心の中で勝ち誇った。
結果的にケアンズでの滞在は、オーストラリアでもっとも楽しい4日間となった。
旅先に持っていった「地球の歩き方」も結局、新品同様の状態で長く本棚に眠る事になった。

その後互いに別々の人生を歩んでいるKとは、たまにラグビー部の同期の集まりで会っている。
もちろん、今では何のわだかまりもない(たぶん・・・)。
ただあの4日間については、Kが何をして過ごしたのかいまだに知らない。
お互いに自分のしたい旅をしたのであるからそれでいいと思っているし、今ではKを批判する気持ちはサラサラない。

その後、旅行もデートも基本的には「その場でサイコロ」方式だ。
けっこう失敗もしているが、それもあとから振り返ればいい思い出だ。
これからも計画的にきっちりと、とは性格的にできそうもない。
「ガイドブックに載っていない旅」は、これからも妻の逆鱗に触れない程度に続いていくと思うのである・・・
      

2009年4月19日日曜日

球界人の本

 イチローが日本人最多の安打記録を更新した。
それで3,085本というそれまでの最多安打記録も引き合いに出される形で注目されていた。3,085本という数字は言うまでもなく張本勲のものだ。
張本といえば往年の大打者で、私はまだ野球小僧の時代だったが、晩年の巨人時代の記憶がわずかに残っている。

 しかし今年に入ってから、ちょうど氏の「最強打撃力」という本を読んだところだったから、張本氏の言動に自然と注目してしまった。
イチローもいろいろとその考えが広まっていて、それはそれでとても凄いが、この本を読むと張本氏の努力もまた凄い。

 貧しい生活の中から、とにかく生活のために必死に這い上がろうとする。
しかも、右手の指が曲がっているという左バッターとしては致命的なハンディを抱えながら、である。後年、野球の神様川上哲治氏だけにずっと隠してきた右手を見せたところ、「よくぞこの手で・・・」と神様も言葉を失ったらしい。

 毎晩の素振りを欠かした事がなかったという不断の努力に裏付けられた打撃論は、野球に興味がなくても面白く、かつその生き様には心をうたれるものがある。
3,085本というこれまでずっと破られる事のなかった記録は、それなりの理由があったのだ。
その3,085本を抜いたのだから、やっぱりイチローは凄いのだろう。

 張本氏以外でも野球選手の本は結構読んでいるのだが、一流選手のものはそれなりに示唆に富むものが多い。特に最近のお気に入りはノムさんの本だ。
『野村ノート』『野村再生工場』など多数あるが、野球以外にも読みどころは多い。
とかく氏自身の暗いイメージと奥さんに対する悪いイメージがあって、長島に反発的なところからも私はずっと好きではなかったのだが、本を読んでイメージが180度変わってしまった。

 野球を愛し、やっぱり貧しさから母親のため、自分を高校に行かせるために大学進学を諦めてくれた兄のためにと、頑張ってきた青年時代のエピソードは胸を打つものがある。
江夏、山内、山崎などの選手を再生させてきた手腕は、現役時代の努力と勉強の賜物だったのである。

 今年は楽天も出足好調であるが、この頃すっかり応援するようになってしまった。
一流のプロにはどの道にも通じる一流のものがある。
そんな事を感じさせる野球人の本である。
         

2009年4月17日金曜日

行列

この15日、東京ディズニーランドの新アトラクション"モンスターズ・インク"に最長5時間半待ちの長蛇の列ができたとニュースでやっていた。
本当に5時間半並んだというのなら、大したものである。
私だったら「また今度にしよう」と言って諦めるところだ。

もともと並ぶのは好きなほうではない、というか好きな人はいないだろう。
耐えられるか否かといった方が正確だ。
学生時代は学食で昼時に長蛇の列が出来ていたが、(並んだとしても10分くらいだったと思うのだが)私は並んだ事がなかった。並ぶのが嫌だったからいつも割り込みをしていたものだ。どんな時でも30秒以上並んだ事はなかった。今思えばとんでもない奴だ。
でも言い訳ではないが、もしも勇気を持って注意してくる奴がいたらいつでも最後尾に並ぶ覚悟はできていたのだ。ただそんな骨のあるやつは、ついに4年間お目にかからなかったのである。

それはともかく、みんな行列にはどのくらい辛抱できるのだろう。
東日本高速道路関東支社が全国の20代から50代の男女を対象にしたアンケート調査で、「並んででも欲しい商品を購入するために何分程度なら並ぶか」をたずねたところ、20代の平均待ち時間が69分であったのに対し、50代の平均は29分と20代の半分以下だったそうだ。しかも50代の27%は「並ばない」と回答しているらしい。人気の飲食店で順番を待つ時間に関して同様の結果で、20代が29分だったのに対し、50代は18分。50代の4人に1人は「並ばない」と回答したらしい。なんとなくおじさんたちの気持ちはよくわかる。

私は今では結構並ぶクチだ。
大阪では行列が並んでいない店はうまくないと言われ、行列の長さがうまさのバロメーターになっている。並びたくない、などと言っていると美味しいものにはありつけない。さすがに社会人にもなると割り込みというわけにもいかないから大人しく並んでいるのだが、いつの間にか慣れてしまった。以前、大勝軒というラーメン店では50分待ったこともある。「並んだ甲斐」があるなら、並ぶのも悪くないと思えるようになったのだ。

と言っても本性は変わらないから、並ばなくても良い方法があれば常にその努力はする。
社会人になってお盆に夏休みを取った事がない、というのも混雑を避けるためだ。
だが、人気のラーメン店やディズニーランドなんかはそうもいかない。
腹を括って並ぶのだ。
並んだだけの対価が得られればそれで満足だ。

そんな明日、我が家はディズニーランドへ行く。
混むだろうな・・・
家族が効率良く遊ぶため、並ぶのはいつもパパの役目だ。
文庫本は忘れないようにしないといけない。

並んだ対価は、と言えば子供たちの笑顔なのである・・・



     
    

2009年4月15日水曜日

日本語入力

   
先日職場の同僚と飲みに行った時のことだ。
ふとしたきっかけで、パソコンの入力方法について話題になった。
その場にいた8人のうち、実に6人が「日本語入力」派であった。
その結果に一堂大いに驚いた。

私はずっと「日本語入力」で通している。
だが、世の中の主流は圧倒的に「ローマ字入力」だ。
「日本語入力」だと言うと大抵驚かれる。
もうすっかり慣れてしまったが、私はずっと自分が少数派であると思ってきた。
だから6/8という数字に驚きまくったのである。

どちらがいいのか、優れているのか、という議論をここでするつもりはない。
「やりやすいのが一番」だからであって、それは「人それぞれだから」、である。
ただ、普段使いもしない「ローマ字入力」をパソコンの時だけ使うのも何か違和感がある。
それに「英語入力」をするときに、圧倒的に紛らわしい。
そんな二つの理由から私は「日本語入力」に徹しているのである。

というと何やら英語ができそうに聞えるかもしれないが、そうではない。
できないからこそ、なのである。
以前外資系の人と机を並べて仕事をしていた事がある。その時、彼に英語とローマ字とでごっちゃにならないか聞いてみた。例えば「チェンジ」は英語だとCHANGEであるが、ローマ字だとCHENNJIでる。
ファックスはFAXで慣れているが、FAKKUSUと打つのはどうにもへんだ。
帰国子女で英語ペラペラの彼は何の苦もなく使い分けていたが、慣れない私は時間がかかってしかたない。それで「日本語は日本語入力で」、で通してきたのだ。

日本語入力だと、頭の中でアルファベットの組み合わせを考える時間がかからず、スムーズに入力できる。その効果はかつて英文でメール文通していた時に確信した。
(相手は海外在住で現地の人と結婚した日本人女性だったのだが・・・)

アルファベットは英語、日本語は日本語と分けておくと頭の中のワープロもしっくりいく。
これから英語はやっぱり機会をみつけてもっと磨きたいし、そのためにもローマ字入力でへんな癖をつけたくないと考えている。
我が職場で主流派になったから、というわけではないが、自分スタイルとしてこれからも堂々と貫き通したいと考えているのである・・・




2009年4月13日月曜日

留学その2

我が母校の財団が運営する海外派遣制度。
縁あってその派遣審査員に任命され、昨日行ってきた。
応募者は新一年生、在校生、卒業生(大学生)からなる総勢75名。
審査員6名が、それぞれ持ち点を持って一人一人を採点していく。
新一年生など入学式から一週間も経っておらず、湯気が出ている状態だ。
そしてみんなガチガチに緊張している。

質問は3問。
志望動機、自己PR、最近印象に残った事。
ポイントは、態度(挨拶、笑顔、好感度等)、表現(自分の言いたい事が伝わってくるか、取ってつけた他人の言葉でないか、言葉がはっきりと聞き取れるか)、論理(筋道が通っているか)である。
とは言え、大半は印象でかなりの割合が決まってくる。

やっぱり我が母校を代表してイギリスに行くわけで、イギリスに行けば「日本人ってこうなんだ」と思われるわけである。何よりも好感度が高い子の方が採点は甘くなる。どうせ言葉は十分に伝わらないのだ。せめて笑顔と一生懸命さで心が相手に伝わりそうな子の方が好ましく思うからだ。自分なりの基準を作って行ったが、なかなかどうして審査は難しい。
緊張で顔が引きつっている子、言葉が震えている子にマイナス点はつけられない。
結局、どの子にもマイナス点はつけられなかった。

審査員の合計点で順番に並べてみると、トップ10のうち実に9人が女の子。
笑顔でハキハキとしている子が上位に並んだ。
「何でも親にしてもらってばかりいるので、一人で親のいないところで頑張ってみたい」などと言う子には二重丸をつけてしまった。唯一の黒1点は、2年生の男の子。去年落ちたリベンジ派で、さすがに2年生ともなるとしっかりしていたが、男の子は総じてハンディをつけようかと思ったくらい評価は女の子より低かった。

上から順番に選んでいって、最後に同点数で並んだ5人から4人を選ぶことになった。
その中の男の子一人は、「男女調整のため」無条件で合格。
残り4人で審査員であれこれと悩んだ。
「この制度があるために入学を希望した」とあれば心情的に落としにくい。
「得意の書道を教えたい」とあれば文化交流的に入れたい。
結局、最後の決め手は一人が遅刻してきた点であった。飛行機に乗り遅れたら笑い事ではない。何より意欲があれば遅れる事はありえない。やっぱりこういう基本は大事だ。

落ちた子は残念だったと思うし、心情的にはみんな合格にしたいところだ。
これに懲りずまた来年チャレンジしてほしいものである。
合格した子たちは夏休みにイギリスへと向う。
きっと忘れられない経験をしてくるのだろうと思うと羨ましいかぎりである。
審査員としても良い経験のできた一日であった・・・


~蛇足~
申し込み書を見ていて興味を惹かれたのは、メールアドレスと趣味だ。
わけのわからないアドレスは何か意味があるのか、迷惑メール対策なのか?
○○p--q@○○・・・なんかは顔文字みたいだったし・・・
趣味「テレビ観賞」って何だそれは!
特技「バイト」ってどんなバイトだ!
それに「ゲーム」に「漫画」!?
確かに今や日本の文化だからなぁ・・・ 
    

2009年4月11日土曜日

留学

我らが出身高校には、卒業生の運営する財団がある。
そしてその活動の一つに、海外派遣というものがある。
イギリスまたはドイツに、夏休みの間3週間程度の短期語学留学する制度である。
対象は現役の母校生徒、一定年齢の卒業生及びその親族である。
研修制度もあり、費用も格安とあってこれを目当てに入学してくる生徒もいる。
我々の現役の時には、残念ながらなかった制度である。

その派遣にあたっての選考会に、縁があって面接官として参加させていただくことになった。
(今回はイギリス留学である)
例によって簡単に引き受けはしたものの、総勢77名の面接はけっこう大変である。
選ばれるのは36名。
派遣コースによって違いはあるが、競争率は最も高いところで3倍である。

みんな行かせてあげたいがそうもいかない。
となると選ぶのも大変だ。
選ばれなかった人の気持ちを考えると責任感も重い。
というわけで、事前に頂いた申し込み書類を一枚一枚読んでいる。
申し込み書類を読んでいて気付いたのは、「女高男低」とでもいうべき流れ。
同じ審査委員の一人は、「いつからうちは女子高になったんだって思うよ」とぼやいていた。
時代の流れか女の子の積極性が噂通り目に付く。

申込者の割合は女:男=2:1。
志望動機を読んでいて、「これは行かせたいな」と思う内容も女の子が多い。
募集動機に将来の夢や向こうに行って何がしたいか、きちんと書いてあったりするのは女の子が多い。中には「親に費用負担をかけたくないから自分でお金を溜めているが、少しでも安く行きたいから応募した」なんて書いてあった大学生の女の子などは、これだけで合格にしたいところだ。

CAになりたい、国際関係の仕事がしたい、通訳になりたい(だからその足がかりにしたい)、歴史ある建築物を見たい、剣道を通して日本のよさを英語で伝えたい、そんな言葉が並んでいるのをみると、なかなかどうしてしっかりしている。
「みんなまとめて行ってこい!」といいたくなる。

男の子も全滅というわけではないが、女の子の勢いに押されている感は否めない。
と言っても、我が身を振り返ると今の男の子を責める事はできない。
現役の時にこんなにしっかりとした考え方を持っていただろうか、と自問するとお恥ずかしい限りである。

とはいえいい機会をいただいた。
明日はどんな面接になるのか、とっても楽しみである・・・



2009年4月9日木曜日

選択の人生

   
『ひさかたの 光りのどけき 春の日に 静心なく 花の散るらむ』

桜のまぶしい季節。
朝、ちょっとだけ遠回りして駅に向っている。
そのちょっとの先に桜の木があるからだ。
遠くで見るのと下を歩くのとはまた違う。
今日見た時は少し緑の葉が目に付くようになっていた。
今年も桜を楽しめるのはあと少しだ。

毎日毎日我々は知らず知らずのうちに「選択」をしている。
朝、目覚まし代わりに使っている携帯のアラームが鳴る。
最初に鳴るのは「ジェームス・ボンドのテーマ」だ。
巨大な陰謀がうごめいているかもしれない時に寝ていていいのか、という気になるかなと思ってセットしているが、ここで起きるかもう少し寝るか、との選択で一日が始まる。
(もう少し寝る、を選ぶと次は「ロッキーのテーマ」、その次は「スターウォーズ」。「スターウォーズ」のあとはない、それは恐ろしい事態を意味する)

いつもの電車に微妙に間に合わなさそうな時、急ぐか見送るか。(大抵は見送るのだ)
新聞を開いてどの記事から読むか。そんなささやかな選択から始って、ランチタイムに何を食べるか(幸いな事に行員食堂は悲しいほど選択肢が少ないので、あれこれ悩まなくてすんでいる)、何の本を読もうか、今月はどの映画を観ようか、などというものまで様々である。
そうした数々の選択の結果が今の自分なのである。

こういう選択は失敗しても大した事はないが、車や住宅などの大きな買い物や、学校選びだとか就職とか、結婚などの人生を左右するような選択は失敗するとけっこう致命的だ。
やり直すとなるとかなりの時間・費用・エネルギーを消費するし、精神的なダメージも大きい。

私は物事をとにかく楽観的に考えるようにしている。
なので失敗した、と思ってもそれもまた人生と割り切るようにしている。
無理やりにでもそう思うようにしている。

二つに分かれた道。
もし選ばなかった方に行っていたら、たぶん違う人生だったのであろう。
でもそっちに行っても結局別の問題で後悔していたに違いない、だから同じなのだ、と無理に自分に言い聞かせている。今の選択が本当に失敗だったかどうかは、時間が経ってみないとわからない。そして時間はいつもそれなりの結末を描いてくれるのだ。

無理にでも楽観的に考えるようにしていないと、「あの時もしも・・・」と考えるといても立ってもいられなくなる。今更嘆いてもどうしようもない事を嘆いて時間を浪費しても仕方がない。
だけど、嘆きたくなるような人生の選択の大きな失敗が、私にはある。

もしも道を歩いていて偶然魔法のランプを拾ったら、そしてその中から出てきた頭にターバンを巻いた魔人に「何か一つだけ願いをかなえてやろう」と言われたら、「もう一度あの時に戻って人生をやり直したい」という瞬間が私にはあるのだ。だが、そんなランプはやっぱり落ちていないし、「人生上を向いて歩こう」という主義の私だから、落ちていても気付かないかもしれない。

だからやっぱり過ぎてしまった選択よりも、これからの選択に目を向けたいと思う。
どんな結果であれ、自分で選んだのである。

「冬があり夏があり 昼と夜があり 晴れた日と雨の日があって ひとつの花が咲くように 悲しみも苦しみもあって 私が私になってゆく(星野富弘)」

くよくよせずに次に進んで行こうといつも自分で自分を励ますのである・・・




2009年4月7日火曜日

オヤジの背中

   
花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは。
 雨に対ひて月を恋ひ、垂れこめて春の行衛知らぬも、なほ、あはれに情深し。
       徒然草  第百三十七段

************************************************************************************

 桜も満開のこの季節。
学校の新学期も始った。
待ち焦がれた満開の桜であるが、これから散るばかり。
風に舞う桜の花びらほど風情のあるものはなく、桜吹雪ともなれば圧巻だ。
咲くのを待つも良し、満開を見るのも良し、そして散りゆく様を見るのもまた良し、である。

 ところで、ランドセルなどの合成皮革を手がけるクラレが新入学の児童を対象に「将来なりたい職業」を聞いたアンケート調査を目にした。
男の子は「スポーツ選手」、女の子は「お菓子屋さん」が不動の1位となったようである。

 <男の子>            <女の子>
  1位 スポーツ選手   (1)        1位 お菓子屋    (1)
  2位 職人          (5)     2位 花屋      (2)
  3位 警察官      (4)     3位 芸能人     (3)
  4位 運転士      (3)     4位 教員      (5)
  5位 消防士      (2)     5位 看護師     (4)(  )は前年順位

 ちなみに、親が男の子に就かせたい職業は、17年連続で「公務員」が首位だったのに、今年はなんと子供の夢と同じ「スポーツ選手」。また、親が女の子に就かせたい職業では、「お菓子屋さん」が前年の9位から1位に躍進。どうやら今年は親子の意見が一致したらしい。
 
 驚きなのは、これまで不動の1位だった公務員が後退した事だ。
この不況下では、公務員に対しては嫌味をいいつつも、「我が子は公務員」と思うのだと思っていたら違うようだ。そう言えば、私もその昔「公務員になったら」と親に言われた事がある。その時は歴史が好きだったから、「歴史学者になりたい!」と言ったのだが、母親に「よしなさい、食べていけないわよ!」と言われてしまった。純真な子供の夢に向ってなんて事を言う親だと、今でもたまに母親をからかう。
 
 ただ、逆に親の立場ともなると複雑だ。
今のうちはどんな職業でも笑って、「そうか、そうか」と言っていられるが、本当にその職業に就くとなったら正直悩ましい。スポーツ選手はいいとして、2位~5位だとついつい年収はどうなのだろうと考えてしまう。
 
 そういえば、流行りのキッザニアに行った時も、子供たちの人気は制服系の職業だった。知的労働系などは閑古鳥だった。世知辛い話だが、やっぱりついつい考えてしまう。
ガソリンスタンドで楽しそうに働く我が子に向って、「せいぜい学生時代のアルバイトに留めてくれよ」と心の中で語りかけたものである。翻って自分はどうかと言えば、まあ仕事の内容も大変であるが、それなりに楽しんでいる。少なくとも「嫌々ながらやっている」という事はない。
 
 以前よく「自分の仕事は子供には継がせたくない」というセリフをあちこちで聞いた。
大変なのだろうが、そんな親父の働く姿こそ子供には見せたくないものだ。やっぱり仕事自体もさることながら、どんな仕事であれ、中味よりも仕事との関わり方こそ重要だ。
嫌だ嫌だと思って働く親にはなりたくない。どんな仕事にも共通する「働き方」はあるはずで、それだけはしっかりと背中で語れるようになりたいと思うのである・・・
    

2009年4月6日月曜日

関西弁

    
我が家の公用語は、標準語と関西弁である。
しかし飛び交う頻度から言えば、圧倒的に関西弁である。
何せ母と娘という家の中の会話の大半を占める二人が関西弁だから、当然と言えば当然なのである。
言葉の点だけから言えば、我が家は東京の中の関西、かつての東ドイツにおける西ベルリンのようだと言える。

そんな関西弁であるが、自然と喋れるようになるかと言えばそうでもない。
逆もまた真なりで、妻もよく初対面の人に「関西の人?」と言われるそうである。
(「標準語しゃべってるのになんでやろ?」とよくぼやいている)
表面上は関西弁の単語を使ったり、「そやねん」とか「ほんま」とか言ってみたりして関西弁を使う事はできることはできる。ただ関東人が圧倒的に真似できないのが、おそらくはそのリズムだ。平たく言えば会話の中でのボケとツッコミである。

テンポ良く交わされる会話には必ずボケとツッコミが入る。
それが会話のリズムとなって活き活きとしたやり取りになるのだ。
私はよくそれで妻から、「ここっていう時につっこんでくれないからストレスやわ」と言われる。
私からすれば、「なんで夫婦でつっこみ漫才やらなあかんのや、ボケ!」と言いたいところだし、実際そう言えばたぶんいいのだろうが、「もしも本気で怒らせたら」と思うとそのセリフを吐く勇気はない。難しいところだ。せめて心の中でちゃぶ台をひっくり返すのがせいぜだ。

私自身は無口な父親の性格をかなり引き継いでおり、もともと言葉数が多いほうではない。
だから新婚当初は大阪の実家へ行った折、「真面目で堅物で面白みのない銀行員」という目で見られぬよう、都会の洗練されたジョークで対抗しようと勇んで乗り込んでいったものである。
ところが目の前で展開される母娘3人の会話のストロークにまるでついて行けず、私は貝になってしまった(考えてみればその会話がたとえ標準語であったとしても、それについていけたかどうかは疑問ではあるのだが・・・)。

唯一の救いは北海道生まれで関西弁をしゃべれないお義父さんだ。
性格的にはかなり明るくて、時折勇敢にも母娘の会話に割って入り、大ボケをかますのだ。
一瞬のうちに母娘の会話を断ち切ってしまうのはさすがなのである(本当に一瞬だけなのであるが・・・)。ただ、すぐに再開された会話からはじき出されてしまう。そんな義父の遠くを見つめる眼差しに数十年後の自分を重ねてしまい、思わず優しく接してあげたくなるのだ。

一方同じ環境下ながら、4歳の長男はバリバリの標準語だ。
大阪では近所の同世代の子供に、「あの子、あんなにちっちゃいのに標準語しゃべってる!」と感動されたそうだ。次代の標準語のホープとして大いに期待しているところである。

何せ回りは標準語なのだ。
やがて娘も年頃になれば、しとやかな標準語をしゃべるようになるのではないか、そしていつの日か我が家にもベルリンの壁が崩壊する日がくるのではないか、と儚い望みを抱いていたりするのである・・・
    

2009年4月4日土曜日

君が代

「世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」      
在原業平

【「君が代で起立」職務命令は合憲】という記事を少し前に目にした。私は幸いなことに経験した事はないが、卒業式などで君が代に抵抗して起立しないなどの抗議をしている教師の話をよく耳にする。「教師が」というところに信じ難い思いがしていた。

判決では卒業式典で国旗に向って起立し、国歌斉唱を命じた都教委の通達と、これに基づく校長の職務命令について合憲である、としたものである。極めて当たり前すぎる判決なのであるが、個人的に驚いたのは、訴えていたのが都立高校の教職員172名だという事だ。「一部の変わり者」だけかと思っていたが、そんなにいたのか、と。

もっとも都立高校は200校あるらしいので、1校あたり教職員50人くらいとしても10,000人だから、そう考えると「一部の変わり者」なのかもしれない。この変わり者たちはいったい何を考えているのか、一度話を聞いてみたいものだと逆に興味深い。

国旗・国歌問題では板ばさみに苦しんだ校長先生が自殺するという事件があって、だからこそわざわざ(当たり前すぎて)くだらない通達など出さざるを得ないのであるが、誠に嘆かわしい。
我々は否応なく日本という国の中で、同じ文化・ルールの中で暮らしている。
ある程度の一体感は必要であり、同じ旗の下で同じ歌を歌う事はむしろ必要なことだ。
本来それは通達などで強制されるものではなく(この点では彼らと同意見だ)、自主的にすべきことなのだ。

たぶん、であるが自分たちは戦争反対の平和主義者で、二度と戦争という過ちを起こさないために、二度と国家によって統制されないために、日の丸に向って全員が起立したり、全員で「君(=天皇)が代」を歌ったりということに反対するのだ、という陶酔の中での行動なのだろう。それで平和が達成できると考えるおめでたい人達だ。

こういう人達は、オリンピックの表彰台で君が代とともに掲げられる日の丸を苦々しく見ているのだろう。サッカーのワールドカップでは、ドイツのスタジアムで君が代が流れ、若い人達もみな起立して歌っていたらしいが、先の教職員たちはみな「今の若者達は」と顔をしかめていたのだろう。

「私たちは平和主義者」、そういう人達に限って歴史をきちんと学んでなく、したがって戦争の原因すら正確に理解していなかったりするのである。原因がきちんとわかっていないから、君が代を歌わなかったり、国旗に敬意を払わなければ国に統制されて再び戦場に駆り出されることもない、と純粋に信じているのだろう。純粋なる無知ほど手に負えないものはない。

幸いなことに我が子が通う小学校にはこういうおかしな輩はいないようである。
教育の現場だけに、素直に言うことを聞きやすい子供たちの先生というだけに、こういう輩にあたってしまったらと考えると危機感を覚える。
172/10,000。
この数字が自然と静かに消えていってほしいと切に願う次第である・・・
   
   

2009年4月3日金曜日

究極のメニュー

かつて「美味しんぼ」という漫画が一世を風靡した。
「究極のメニュー」VS「至高のメニュー」という対立で、毎回極上の料理が紹介されていた。
そんな漫画を熱心に見ていたわけではないが(漫画好きの私でも趣味ではなかったのだ)、いつの間にやらヒントを得て自分流の「究極のメニュー」探しをするようになった。

といっても、どこぞのレストランの有名シェフの手による究極の一品などというような、極上の一品というものとは程遠いものである。
「もしも明日が人生最後の一日だとしたら、3食何を食べたいか」というごく庶民的なテーマだ。

朝食は既に決まった。炊き立ての白いご飯、アジの開き、焼き海苔、豆腐と油揚げの味噌汁、しらす干しに梅干、そして緑茶だ。それぞれどこの産地のものとまではまだ決めていない。けれどもやっぱり人生最後の朝食のメニューとしてはこれが一番だ。

ランチがまだ迷っている。
筆頭候補としてはラーメン+おにぎりなのだ。
ラーメン好きの私としてはやっぱりラーメンは外したくない。
ただ醤油、味噌、とんこつとどれにしようかはまだ迷うところだ。
おにぎりも外せない。
何せ小さい頃「おむすびころりん」の話を聞いて、ねずみの穴におむすびを落としてしまったおじいさんに同情した上に、「自分だったら追加で穴におむすびを入れるなんて絶対しない」と、子供心にすでに思っていたほどの筋金入りのおにぎり好きを自負しているくらいだ。

次点候補としてはカツ丼だ。
数ある丼モノのなかでもカツ丼は大好きだ。
(あんまりおいしいところはないのであるが・・・)
半ラーメンにおにぎり(ネタはこれまた迷うところだ)に半カツ丼なんて言ったら欲張りすぎであろうか・・・

最後の晩餐はまだ思案中だ。
日本人だから寿司もいいなと思うし、ステーキ類もいい。
隣町にたまに食べに行くカレーとナンのインド料理もおいしいし、イタリアンも好きだ。
アルコールもちょっとぐらいつけたいところだが、それは料理によって決まるだろう。
決めかねたらバイキングという手もあるもしれない。
機会を見つけてはあれもいいな、これもいいなと決めかねている。

いずれにしてもまだまだ人生は長いからゆっくりと決めたいと思っている。
決めたは良いが食べられない、という状態にだけはならないように、やっぱり健康には留意しようと思うのである・・・

     

2009年3月31日火曜日

世界のニュースより

【カイロ和田浩明、エルサレム前田英司】
スーダンのサレム運輸相は26日、同国北東部で1月、パレスチナ自治区ガザ地区に密輸する武器を運搬していた車列が外国軍機の攻撃を受け、死者が出ていたと明らかにした。AFP通信が伝えた。米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は米当局者の話として、武器密輸の阻止を図るイスラエル軍の空爆だったと伝えた。        (毎日新聞)
****************************************
世界では見知らぬところで見知らぬ事件が毎日起こっている。すべてが報道されるわけでもないが、報道されていても目に留まらないこともある。上記のニュースもそんな一つであろう。

イスラエルは1948年、2000年にわたる放浪の末にようやく建国できたユダヤ人の国。
だが、その建国によって土地を追われたパレスチナ人やアラブ人と敵対し、血で血を洗う紛争を繰り返してきている。少しずつ和平のプロセスは進んでいるが、いまだ国境を接するシリア・レバノン(ヒズボラ)とは一触即発の状態だし、国内ではガザでの紛争は終結したとはいえまだ湯気が出ている状態である。

そんなイスラエルは、これまでにも「攻撃は最大の防御なり」を徹底している。
古くは遠く離れたイラクの原子炉を空爆したし、近年でもシリアへの空爆が行われている。
イランの原子炉空爆の噂もちらほら出ている。
イラク原子炉の空爆は、同国が核武装する事を未然に防ぐためであったが、紛争の真っ最中という状態でもないのにやってしまうところが日本の感覚とはかけ離れている。

今回の空爆も国境を接しているわけでもないスーダンへ、わざわざ飛行してのものである。
しかも固定目標ではなく車列という移動目標だ。
おそらくイスラエルの情報機関モサドが情報を収集した上で実行したのであろうが、実際に武器が自国内に運び込まれる前に叩いてしまうというところがなかなか凄いところだ。
北朝鮮の「人工衛星」を迎撃するのしないのと言って大騒ぎしている我が国とはスケールが違う。
そのスケールの違いはしかし喜ばしいものでもある。
それだけ我が国が平和であるという証だからである。

空爆行為を非難するのは簡単である。
だがいずれ武器が国内に持ち込まれ、ゲリラの手に渡れば自国民が危険に晒される。
それを未然に防ぐのはむしろ当然というべきである。
自国民を危険から未然に防ぐ仕組みのない我が国とは対照的だ。

しかし空爆で死んだ人達もまた悲劇だ。
密輸しようとしたパレスチナゲリラは直接武器を生産できないから買うしかない。
購入資金はイランとかシリアとかのアラブ諸国から出ているのだろう。
買おうとしても直接生産国から買えないから、スーダンなどを経由して買うわけである。
やはり内戦状態で貧しいスーダンはそれで稼ぐのだろう。
ソマリアの海賊と同じでそれしか生活の手段がなければ誰でもやるだろう。
誰が正しくて誰が悪いという図式はそこにはない。

毎日毎日が平和な日常生活。
ただそれは世の中すべてがそうだというわけではない。
遠く離れた他所の地域の事に対する感心は失われがちだ。
だが、それらの現実も事実は事実として捉えて、せめて心のどこかに留め置いて平和な毎日を楽しみたいと思うのである・・・
    
   

2009年3月29日日曜日

ランチタイム

   
   
昼休み、その時ちょうどパスタを食べていた私におじさん同僚が話しかけてきた。
「そういえば今日はメニューにパスタってありましたね、だけど何でスパゲッティをパスタって言うんですかね?」
言われてみればその通り。
いつから「パスタ」って言うようになったんだろう。

考えてみればそういう例は他にもある。
「パンツ」と言えば最近は「ずぼん」の事だ。
逆に下着という意味では「インナー」だ。
「パンツ」とか、ましてや「パンティー」などとは言わないし、「パンティー」などはもう死語になっているんではなかろうかと思うほどだ。

「ケーキ」はどうやら「スイーツ」だ。
流行には疎い私でも何とかついていっている。
何でなんだろうかと思うがよくわからない。
総じて女性向けのお洒落な言葉がそのまま広まったように思っている。

確かに「パンツ」などは女性では口にしにくいかもしれない。
ましてや「パンティー」などは、書いている私でも赤面してしまうくらいだから尚更だ。
「ショーツ」だとか「インナー」だとか言えば赤面しなくてもすむ。
だがもうじき4歳になる我が家の息子が、「ママ、お漏らししてインナーぬらしちゃった」などと言えば頭を小突かないといけない。
やはり大人の女性用語なのだろう。

最近は、女性が世の中の流行をすべて作り出していると言っても過言ではない。
わが勤務地でも「丸の内OL」が幅を利かせて街を闊歩している。
そうしたネーミングが世の中に伝わるのも無理はない、と私流に分析している。

ネーミングと言えば、かつて関西人の妻に「東京の人間は気取っているというイメージがある」と言われた事がある。もちろん、イメージなのだが、それを実感したのは大阪でドライブに行った時の事だ。南港という大阪ではちょっとしたおしゃれな港町にかかる大きな橋を渡ったのだ。カップルのデートにはぴったりの橋で、東京の「レインボーブリッジ」か横浜の「ベイブリッジ」に匹敵するその橋の名前は、

「かもめ大橋」。

のどかな潮風が心に優しく吹いてきそうではないか・・・
気取っていると言われるわけである。

さて気取っているかどうかはともかく、結局いつのまにやらそういう呼び名が広まっているのは確かである。周りに目を向ける事を怠っていると、世の中の動きからずれたおじさんになってしまいそうである。同僚達と昼メシに行くのもいいが、たまには女性陣とランチにでも行かないといけないかもしれないと心密かに思うのである・・・
   
   

2009年3月27日金曜日

チームワークという名の迷信

WBCでは大分盛り上がった。
2連覇の要因としては、やはり世界に通じる一流プレーヤーが多くなってきたという事だと思う。
それが一番の要因だろう。

日本人は聖徳太子の時代から「和をもって貴し」を重視する民族だ。
だからいきおい、「チームワークの勝利だ」とか、「個よりもチーム」という精神が重要視される。
それはそれで悪くはない。

だが、「どうしたら強いチームになるか」という事を考えた場合、一番肝心な事が抜け落ちる事がしばしばある。それは、チームが強くなるには「個人のレベルアップがまず必要である」という当たり前の理屈だ。

「チームワークによって1+1を3にする」という考え方は確かに美しい。
だが実のところ、本当に3になるかどうかは怪しい。
それよりも大事なのは、「1の力を1.5にする」という事である。
そうすれば、無理をしなくても1.5+1.5=3となる。
さらに1+1が3になるのであるならば、1.5+1.5は5になるはずである。

サッカーの中田英寿は、若い頃しばしば味方の取れないパスを出したそうである。
しかし、それは実は絶妙のコースへ出したパスで、味方がそこに追いつきさえすればゴールというものだったという。
「味方の取れないパスを出すプレーヤー」か、「絶妙のパスに追いつけないプレーヤー」か。
視点をどこに置くかでチームのレベルが違ってくる。

我が出身高校のラグビー部では、私の在籍中個人プレーを諌める事がしばしあった。
一人で敵陣に切り込んだプレーヤーに対し、「一人で行くな」と注意されたのだ。
一人になると数に勝る敵にボールを奪われる、だからチームでまとまって攻めなければならない。
当時は疑問に思わなかったが、これも実はおかしな事であった。
なぜなら一人で切り込んでいったプレーヤーに対し、本来であれば彼が孤立するのを防ぐべく、味方が必死にサポートしてついていかないといけないからだ。
後に残って「一人で行くな!」と叫んでいる暇があったら、必死になって追いつくべきなのだ。
「中田の出すパス」に必死に食らいつかないといけなかったのだ。
「チームプレー」という美しい言葉の前に、本来やるべきプレーを見失っていたのだ。

WBCに終結した一流メンバーは、一流ゆえにチームプレーも簡単にできる。
それは各々が、一流の個人プレーヤーとして確立されているからだ。
個人技を極める事こそが、チームプレーを極める事にもつながるのだ。

ラグビーの本場ニュージーランドでは、チームの練習時間が日本よりも短い。
みんな個人個人が必要な練習を自分でこなすそうだ。
そうして全体でしかできない練習をチームで集中してやるという。
個として確立されているがゆえの結果だ。

「チームよりもまず個人」
これからのスポーツ指導者にとって、覚えておかなければならない事である・・・

       

2009年3月24日火曜日

I Love Baseball 2

今日はWBCの話題で、いろいろなブログがもの凄く盛り上がっているようである。
野球で若者がそれほど盛り上がるのは何だか嬉しい気分だ。それと卒業シーズンのこの時期に日の丸で盛り上がる意味は大きい。

キューバ・アメリカと連覇して、最後に韓国を叩いての2連覇は実に気分がいい。私の職場でも同僚がPCの横にワンセグを置いて、ずっと横目で見て仕事していた。
(どの程度していたかは疑問だ)
ただ残念なのは、ベースボール超大国アメリカが、WBCを小ばかにして本気で参入してこないことだ。
熱気溢れる日韓が決勝というのも、本当は問題があるところだ。

結局、韓国とは5回やって3勝2敗。
クライマックスシリーズも5戦だからちょうど日韓シリーズだと思えばいいのかもしれない。
毎年日本シリーズのあとにやったら面白いかもしれないと思ったりする。それよりも、昔は日本の足元にも及ばなかった韓国が確実に強くなっている。事実は事実、脅威は脅威だ。

そういえば春の選抜も始まった。
驚いた事に高校の硬式野球部員数は、昨年5月末時点で過去最高の16万9,298人に達しているそうだ。少子化の中にあっても野球人気は衰えていないのだ。
(それに比べてラグビーは危機的状況だ)
テレビ放送は少なくなっているものの、メジャー進出やWBCの影響なのだろうか。

何にしても底辺からの盛り上がり、これが国力となる事は間違いない。
ニュージーランドがなぜ世界のラグビー界で王者となっているかと言えば、子供の頃から誰もがやるからだ。オールブラックスの選手になるべく、みんなが子供の頃から切磋琢磨する。それがラグビー王者としての国力になっている。日本の野球もそれに近い。

欲を言えば、日本の野球も高校野球の坊主頭がなくなればもっと進化できると思う。
あれは自由な発想を阻む悪しき風習だ。高校野球の枠の中だけだと松坂のようなタイプは出てきても、かつての落合や野茂のようなタイプは出てこない。大勢に逆らってでも己を通すタイプがもっと出てこないと、超大国アメリカが真剣になったら勝てないだろう。日本の野球に必要なのはもっと野茂や落合タイプの選手が増える事なのだ。

勝って兜の緒を絞めて、是非とも次に臨んでもらいたいと思うのである・・・

    

2009年3月22日日曜日

晴れ男

私は晴れ男である、と自認している。
そう思わずにはいられない経験を繰り返しているからなのである。だが、我が家にはそれを頑なに拒絶する一人の女性がいる。
彼女曰く、「だって○○の時も、△△の時も雨だったじゃない」。

確かにそれはそうなのである。
今回の3連休も前半で1泊2日の旅行に行ってきたのだが、天気予報で「雨」と報じられるたびにため息混じりに、「俺は晴れ男だなんて言わないでよね」と五寸釘を刺されてしまった。そして実際、雨は降った。

しかし、である。
晴れ男も考えようなのだ。
実際私がどんなに頑張ったところで天候には何の影響力も持ち得ない。
それは誰でもがそうである。

しかし、しかし、である。
今回は、東京湾アクアラインの海ほたるに着いた途端に雨が降り出した。
前回は海ほたるを見学する事自体が目的であったが今回は違った。
だから雨でも影響は何もなかったのだ。

車で移動している時もそうだ。
イチゴ狩りをはじめた時も雨であったが、イチゴ狩りはビニールハウスの中だ。
雨音が激しくハウスを降り叩くが、中では何の影響もない。
それどころか昼食時には雨は上がった。
そして房総のフラワーラインは海を見ながら快適にドライブできたし、足を留めた野島崎灯台では外を見学できた。さらに雨上がりに雲間から日の光が降り注ぐ幻想的な景色も眺められた。
一日戸外で過ごす予定であった翌日は、朝からこれでもか、という快晴だ。

こういう事は過去にも数多くあった。
何も晴れ男と言ってもいつも朝から快晴、というわけではない。
ここぞ、というイベントの時は「最悪でも必要な時には雨が降らない」のだ。
雨の中ドライブしていて、目的地に着いたところで雨がやみ、また走り出した時に雨が降り出した、という事もあったのだ。天気になど影響力を何も及ぼせない私であるのに、である。
これは何か目に見えないツキとしか言いようがない。

そう強力に主張したいところはやまやまなのであるが、敢えて家庭内では反論しない事にした。
そんなの自分だけで満足していればいい話だし、わざわざ真っ向から主張して嵐を招く事もない。
私は「晴れ男」であって、「嵐を呼ぶ男」ではないのである。

家庭内がいつも晴れているようにする事だけは、天気と違ってコントロールできる。
やっぱり私は「晴れ男だ」と、世界の中心で叫びたいと思うのである・・・
   
   

2009年3月19日木曜日

心待ち

「花看半開、酒飲微酔、此中大有佳趣」
(花は半開を看る、酒は微酔に飲む。この中大いに佳趣あり)・・・菜根譚
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 段々と暖かくなってきた。
暦の上ではもう春だし、予報によれば早ければあと数日で東京にも桜が咲き出すらしい。
この時期、満開の桜の花が咲き誇る様を思い起こすと心が自然とウキウキしてくる。
桜の花に心を馳せるところは、私もしっかりと日本人のアイデンティティーが根付いているなと感じてしまう。
 
 実際に満開の桜を眺めるのはもちろん心洗われるのだが、その前の今の時分の雰囲気も好きだ。何せ桜は咲いたらすぐに散ってしまう。ようやく待っていた「その時」には、すでにカウントダウンが始っている。その儚さも桜の魅力なのだが、だからこそ、今の時分もいいのだと思う。
 
 何かイベントを控えている時、そのイベントそのものもそうであるが、それを心待ちにして過ごす瞬間もまたいい。そういえば大学4年の夏の終わり、最後のシーズンを前にしてグラウンドを眺めた時の事を思い出す。公式戦が始れば勝ち負けに夢中になる日々。そして結果が出た時はもうそれでおしまい。卒業して毎日顔を合わせていた仲間たちともバラバラになる。2度と同じチームで同じ時間を過ごす事はない。そう思うと何だかワクワク感とともに寂寥感を感じたのだ。
できればずっと今この瞬間を味わっていたい、と。

楽しみにしている旅行に行く前とか、デートの前とかもそうだ。
1週間で言えば金曜日の仕事を終えた後の雰囲気だ。
楽しい一時を心待ちにしている瞬間に愛おしさを感じるのである。
楽しみなイベントはなるべくゆっくりとやってきてほしい。
心待ちにする一時をゆっくり楽しみたい。
そう感じる3連休前夜である・・・
   

2009年3月17日火曜日

プリウス

ここのところ街でよくプリウスを見かける。
朝出勤時に近所の家に1台から始まり、日中外に出ると必ず何台かは見かける。
タクシーにも登場している。
今、世の中はエコエコエコの大合唱。
だから環境に貢献しているというPRになるのだろう。タクシー会社なんかはとくにそうなのだろう。

それだけではなく、やっぱりガソリン代の節約という面も大きいのだろう。昨年ガソリン代が高騰した時にはさすがに泡食った。いつもと同じように、いつもと同じくらいに入れたのに、2倍近い請求がきた。タクシー会社の社長さんなんかは頭を抱えたであろう。だからガソリン代を節約するため、エコを隠れ蓑にプリウスを導入したのかもしれない。

そう言えば、かのブラッド・ピットもプリウスに乗っているとか。
こちらはガソリン代などというけち臭い事はないだろうから、純粋にエコPRだろう。
ただ、そのわりにプライベート・ジェットをバンバン乗り回しているから意味ないじゃんという批判もあるらしい。まあそれはともかくブラピが乗る、という効果も大きいだろう。

最近はホンダもインサイトを出して追随。
こちらは車体価格が200万円を切っていてプリウスよりも買いやすいから、売れている秘訣は間違いなく車体価格だろう。やっぱりみなさん節約しているようだ。

そういう我が家の愛車はマツダのプレマシー。(写真と同じ赤だ)
私はもともと車には拘らない。
何てったって初めて買った車が13万円のマーチというくらいだから。
幸い乗り心地が良くて気に入っている。
環境の事も考えてはいるが、車は当分替える予定はない。

でも環境に優しくても、ガソリン代がかからなくても何となくプリウスやインサイトには乗りたいと思わない。拘らないわりには矛盾しているが・・・
我が家のエコカー導入はまだまだ遠い未来の事である・・・
   
   

2009年3月15日日曜日

ポジティブ・シンキング

   
私はかなり物事を楽観的に考える。
というかそのように努めているという方が正確であろう。
よく例えで半分水の入ったコップの例が使われる。
それを「半分しか入っていない」と捉えるか、「半分入っている」と捉えるかというやつである。
私は後者である。

コップに「半分しか」入っていないと考える人は、コップに水が一杯になっている状態が念頭にある。しかし「半分」と考える人は、それがカラの状態だ。カラである事を考えれば、まだ半分も入っていていいじゃないかと考えられるのである。

もちろん、下を見て満足するのはいかがなものかという考え方もある。
「あそこまで行きたい」という欲望こそが成長の源泉である事も間違いではない。
不足分を補おうとする事は大事な事だ。
だからそういう健全な考え方にもっていけるのならそれでいいだろう。

しかし、やっぱり「半分しか入っていない」という事を嘆く人はいるものであり、そんな例を身近に見るとそんなに悲観的になるほどではないのにと思うのである。
「半分しか」でも「半分も」でも、どちらであっても前向きであるならばそれでいいのだ。
要はどんな状況下にあっても「まだまだマシだ」と思えるか、であると思う。

4年前に妻と子供が同時に別々の病院に入院する事になり大いに慌てたことがあった。
厄年を前にして不幸の始りかと一瞬考えた(親にもそう言われた)。
仕事に行って定時に帰り、子供の病院に顔を出す。
休日は東京の西と東に離れた二つの病院の間を行き来した。
慌しく落ち着かない毎日だった。

しかし職場環境に恵まれ、休みも遅刻も早退も好きなようにしてよいと言ってもらえたから仕事の心配はしなくて済んだ。両親も健在だったし、同じ国内だったから手伝いに来てもらえた。何より「アメリカに移植手術を受けに行かなくてはならない」、などというとんでもない事態とはまったく違っていた。たかが1~2週間の入院だった。我が身の不幸を嘆く要素などどこにもなかった。そう考えられたから気持ちは楽だった。

3年前に仕事で大きな失敗をして毎日が針の筵だった時もそうだ。
毎朝会社に行くのが嫌で、あの時は鬱になる人の気持ちがよくわかった。
「その不幸を何か他のものと交換してやろう」と尖ったシッポをはやした悪魔が提案してきたら、歓迎していたかもしれない。だけど「他のもの」が、例えば家族の不幸だとしたらとんでもない。
そんな事態よりは自分で背負える今の不幸の方がはるかに楽だと思ったから、逃げずに正面から事態に向き合えた。

金融危機の時、銀行の経営が傾いてボーナスカットになった時も、「8割カット」と嘆かずに「2割支給」と考えようと、同僚たちには半ば自虐的に呼びかけた。
取引先の中にはボーナスなど出ないどころか、給与もカットなどというところがあったのだ。
苦境にある時はそこを抜け出す努力とあわせて、いかに楽観的でいられるかがピンチを脱するカギだと思う。

考えてみれば、こんなに恵まれた現代の日本に暮らしている事自体がかなりの幸運だ。
毎日今日も何も良い事がなかったと嘆くならば、今日も何も悪い事がなかったと喜びたい。
明日は良いことがあるだろうかと案ずる前に、今日を無事に終えて明日を迎えられる事を素直に喜びたい。

これからもいろいろな試練の弾が飛んでくるに違いない。
倒れたとしても前に倒れられるように、やるだけやってだめなら笑ってごまかせるように、いつでも前向き、楽観的に生きたいと思うのである・・・
     

2009年3月12日木曜日

贈り物

   
バレンタインデーのお返しをするのもすっかり定着した昨今、あちらこちらの売り場はホワイトデー一色になってきている。プレゼント選びが大の苦手ときている私としては、できる限り避けて通りたいところである。

今年も大阪に住む義母と義妹とからバレンタインのチョコが送られてきた。
面倒くさいからネットで適当に送ろうかなどと考えていたら、先に妻から請求書が回ってきた。
なんでも欲しかったお菓子があって、それをくれと言われて送ったとの事だった。
表向きは忙しい私によけいな面倒をかけさせたくないとの思いやりだが、本当は私に(適当に)選んでほしくなかっただけなのではないかと、思わずにはいられない。
どちらにしろ「私に選ばせないように」という配慮には違いないから、素直に感謝した。

とはいえ「現役の」人達はたいへんだろう。
プレゼントにふさわしい品物は何かを、義理と本命のそれぞれのケースについて聞いたアンケート結果では、義理では男女ともクッキーが第1位となり、以下ケーキ、キャンデー、チョコレートなどの菓子類が並んだそうである。本命では、1位から5位までが「アクセサリー」「レストランで食事」「花束」「バッグ、財布など」「宝石、指輪」と、男女の回答が完全に一致し、義理とは完全に商品性が異なっているから面白い。

尚、女性にとってこれまでもらったプレゼントの中で感動したものとしては、「花束」「指輪」などがあり、逆に困ったものとしては「下着」、そして「好きでもない人からの高価なプレゼント」などだそうである。「花束」を贈った事はあるが「指輪」や、当然の事ながら「下着」は経験はない。

また、男性に同様の質問をしたところ、感動したもの、困ったものいずれも「手作りのもの(チョコレート、セーターなど)」が大勢を占めるという結果だそうである。
手作りのプレゼントは、心がこもっているからこそ諸刃の剣になってしまうのだろう。
でもやっぱり手作りのプレゼントはあげたいし、もらいたいものだろう。
例え諸刃の剣であったとしても・・・

私も手作りのプレゼントをあげた事が、実はある。
あの時は悩んだものである。
編み物ができるわけでもないし、ピアノも弾けないから思いのすべてを歌にして伝えることもできない。手作りのバラというアイディアもあったが、球根を買ってきて育てている時間はない。
あれこれ悩んでふと思いついたのが、「童話」であった。
自分で思いをストーリーにしてワープロ打ちで作ったのである。
結果は・・・

勝負には確かに勝った、しかし試合には負けた、といったところだ。
今から16年前の切ない思い出である・・・
    
   

2009年3月10日火曜日

3月10日とは

3月10日といえば東京大空襲。
12月8日や8月6日、9日、15日と並んで語り継がれる日である。
私自身、東京生まれであるが、両親は地方出身。したがって直接話を聞くなどという経験はなく、ましてや64年も前の事だと歴史の教科書の1ページでしかない。

以前お取引先の家を訪問した時、80歳過ぎのおばあさんに話を聞く機会があった。
しわしわの顔からは想像もできないが、当時は18歳の乙女だったという。
爆撃が始まって、とっさに「B-29の飛んできた方に逃げろ」と言われ、父親と逃げたそうである。近所の人も大勢いたが、反対方向に逃げた人は行方がわからなくなったそうだ。

朝になって家に戻ってきたが、どこが自宅かわからない。
焼け跡を探し回っているうちに、唯一焼け残った大きな金庫を見つけ、そこが家だった場所だとわかったそうである。
街中にはクロ焦げの死体があちこちに転がっていたという。

 約300のB-29爆撃機による爆撃は深川地区へ初弾が投下され、その後に城東地区、午前0時20分には浅草地区や芝地区にも投下され、逃げ惑う市民には超低空のB-29から大量の榴弾や機銃掃射が浴びせられたという。犠牲者は広島の原爆犠牲者に匹敵する10万人。いくら戦争とはいえひどい事をするものである。それが正義の味方、アメリカ軍の行った事だ。

「クロ焦げの死体があちこちに転がっている」状況など、想像力をどう働かせても想像できるものではない。「貴重な経験」といっていいものかどうか・・・
その後の生活も、闇で仕入れた食べ物を警察官から没収されないように隠れて移動した話とかを伺った。そういう話が好きだったせいか、肝心の仕事の話は「また今度」と言って帰って来てしまうくらいに聞き入っていた。そういう話を伺いたくても、回りに人が少なくなっている。

日本人はアメリカ人が大好きだ。
だが、世界にはアメリカを憎む人達もいる。
そんな人達を「キチガイ」と決めつけるわけにもいかない。
立場が違えば考え方も変わる。
自分と違うからおかしいとはいえない。

そういえば、あのおばあさんはアメリカの事をどう思っているのだろう。
今になって思えば聞いてみればよかったと思う。
ただ、もう昔の事だから穏やかな返事しか返ってこない気もする。
つらつらとそんな事を考えてみた一日である・・・
    
    

2009年3月9日月曜日

I Love Baseball

やっぱり今日の話題はWBCであろう。
宿敵韓国にコールドで圧勝というのは誠に気分が良い。溜飲をどくどくと下げてしまった。

愛するラグビーでは、日本はワールドカップの常連で韓国など相手にならないのであるが、野球やサッカーは幾度となく苦渋を舐めている。サッカーには愛着などないからどうでもいいが、野球はそうはいかない。
もどかしくて仕方がない。

「国技」の要件が「子供の頃からやった事がない人はいないスポーツ」であるならば、野球は間違いなく相撲と並んで日本の国技だと、個人的には思っている。その野球で韓国に負けるというのは、どうにも我慢ならない。
例えメジャーリーガーが抜けていたとしても、だ。

もともと子供の頃から親父の見ていたナイターを一緒になって見ていた事から、野球好きになった。
小学校3年になると、近所の野球チーム「小山5丁目ハリケーン」に入って野球にいそしんだ。友達と自転車を飛ばして、当時住んでいた武蔵小山から多摩川の巨人軍グラウンドへ通ったのもこの頃だ。片道1時間以上の冒険であったが、練習を見たあとに長島さんからサインをもらった感動は、今でも忘れられない(あのサインどこへいってしまったのだろう・・・)。
田園調布まで足を延ばして長島さんの自宅を見に行った事もあったほどだ。

そんな野球少年が高校へ行ってラクビーに転向したのは、「高校球児は坊主頭」という馬鹿げた不条理からだ。だから日本のスポーツはだめなんだという証のような制度である。坊主頭が嫌だったのではなく、そういう不文律が嫌だったのである。徹底的に逆らって、引退した時に坊主にしようかなどとも考えたが、そんなマイナスに若いエネルギーを向けるのもいかがなものかと思い、新しい世界を選んだのだ。

しかし、ラグビーの世界に進んだとはいえ野球は常に故郷だ。
野茂がメジャーに風穴を開けた時は嬉しかった。
日本の野球も世界に解き放たれたのだと思った。
だから本家にチャレンジする立場は許容できるのであるが、アジアでは圧倒的な地位を築いてほしいのだ。

これで次のステージへ進む事は確定したが、是非とももう一度韓国チームを叩き潰してからにしてほしいと願わずにはいられないのである・・・
    
   

2009年3月7日土曜日

小野道風のごとく


聖徳太子の頃に遣隋使を務めた小野妹子の子孫で、書道の神と崇められる小野道風には次のような逸話がある。

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道風は自分の才能のなさに自己嫌悪に陥り、書の道をやめてしまおうかと真剣に悩んでいた。そんなある雨の日、蛙が柳に飛びつこうと、何度も何度も挑戦しているのを見かける。

初めは不可能なことと蛙をバカにしていたが、いつしか蛙を応援している道風。その時、偶然に風が起こって柳がしなり、蛙は見事に柳に飛び移る。これを見た道風は蛙をバカにした自分を恥じる。

一生懸命努力をして、偶然を自分のものとした蛙ほどの努力を自分はしていないことに気づき、その後の血を滲むほどの努力をするきっかけになったといわれている。花札で人物が登場する唯一の絵柄「雨(に小野道風)」は、この場面を描いたものである。
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個人的にこういう話は大好きである。
「努力」などという言葉を使うのが、ちょっと憚られる昨今。
個人的にもあまり人前では使いたくない。
でもやっている事はこの言葉通りのような気がする。

例えばこういう話がでるとすぐに、「自分だったらどうする?」と考えてしまう。
以前ご披露した「北風と太陽」でもそうだったように・・・
もしも自分がこの蛙だったら・・・

まずは人前で何度も何度も飛びつくようなマネはしないだろう。
早朝とか深夜とか、とにかく人のいない時間帯にやるのである。
冷静に自分のジャンプ力と柳の高さを比べて、あとどのくらいの高さが必要なのか研究するのだ。
そしてもしもその差を埋めるのに風の力が必要であるなら、風のタイミングをじっと待つ。
成功したらもう一度。そしてもう一度・・・
何度か繰り返して確かなものにしてから、人前に出て行くのだ。
何食わぬ顔で出て行って、やってみたら偶然できてしまったような顔をするだろう。

そう言えば大学時代、ラグビー部ではいつも私が部室に一番乗りだった。
そしてみんなが来る前に一人でバーベルを上げていた。
一人で黙々とバーベルを上げるあの時間帯が、けっこう好きだった。
あの頃あんなに鍛えた筋肉も、今や「いい思い出」となってしまった。

何か新しい柳の枝が、自分には必要だと感じるこの日この頃である・・・
   
  

2009年3月5日木曜日

映画館

私の趣味の一つに映画鑑賞がある。
映画館に映画を観に行くようになったのは、小学生になってからだと記憶している。
親に映画館へ連れて行ってもらうようになったのである。
といっても、観に行ったのは主に「東映まんが祭り」だった。
その頃は、これがけっこう楽しみなイベントだったのだ。

当時住んでいた武蔵小山には3つの映画館があった。
ちなみに「映画館のある街」というのが、その街を評価する私の中での大きなポイントだ。
3つの映画館のうち、1つが東映系、1つが東宝系、残りは日活ロマンポルノ系であった。
東映系には足しげく通った。東宝系は「ゴジラシリーズ」とかで、ちょっと背伸びが必要だった。日活系は高校3年の時に一度だけ行ったきりだったが、あの場末の雰囲気が今となっては何とも言えずに懐かしい。残念ながら、今では3館とも閉館してしまった。

大きくなるにつれ、親父が「○○ロードショー」、「○○洋画劇場」などの映画番組をいつも観ていた影響で、大人の映画も観るようになった。そして小学校6年の時に、渋谷にあったパンテオンという映画館に友達と『ジョーズ』を観に行ったのが、記念すべき字幕洋画デビューだった。以来映画館では419本の映画を観ている。

最もよく映画館に足を運んでいたのはやはり学生時代で、毎週必ず何か観に行っていた。
渋谷・新宿・吉祥寺が通学路にあり、便がよかったのだ。
初めは友達と連れ立って観に行っていたが、いつのまにか一人で観に行く事がほとんどになった。
誰彼憚る事なく、自分の好きな映画を観たかったからだ。

そして鑑賞後は、たっぷりと余韻に浸って映画館から出てきたものである。
007シリーズを観たあとは、すっかりジェームス・ボンドになりきっていた。
一人で観に行っていたのは、映画館を出た後に「ねぇ何食べる?」なんて現実に引き戻されたくはなかったからかもしれない。

当時は、どんなに混んでいても無理なく映画館で座れるコツを研究して会得していたものだ。
それが今や全席指定でそんな苦労をする事も、並んで待つこともなくなった。
座席も座り心地いい。傘やドリンク用のホルダーもあって気がきいている。
映画人口が減って、映画館のサービスも劇的に改善した。
それはそれで歓迎だ。

なのに最近はもっぱらビデオ派になってしまい、映画館に足を運ぶのはせいぜい月1回だ。
それでもやっぱりこれという映画は、映画館で観るようにしている。
場内が暗くなり、やがて最後のエンドクレジットが流れ終わって再び場内に明るさが戻るまでの至福の一時・・・
「あなたは何のために生きているのですか?」と問われたら、いくつもあるうちの一つに必ずこの至福の一時をあげるだろう。

愛するラグビーはもはや引退状態。
仕事には定年がある。
しかし映画館へ通う事は、もうろくするまでは続けられる。
願わくば、人生最後のぎりぎりまで映画館に通いたいと思うのである・・・
   
   

2009年3月2日月曜日

若者達よ


「♪いつの間にか君と暮しはじめていた 西日だけが入るせまい部屋で二人
君に出来ることはボタン付けとそうじ だけど充ち足りていた♪」
                            布施明 「積木の部屋」
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先日家族でマックに行った時の事だ。
我が家はみんなマック好きである。
(ちなみに関東人の私はマクドナルドを「マック」と言い、関西人の妻と東西ハーフの子供たちは「マクド」と言う)

混み合う店内をふと見回すとちらほらとアベックがいる。
「最近のカップルはマックでデートするんだね」と私が言うと、「マクドは安いからちゃうん」と妻が答えた。だとしたら微笑ましいなぁとうらやましく思う。

私はバブル期を過ごした経験があるから、とにかくデートには金がかかるという印象が強い。
特にクリスマスなんて酷かった。レストランはすべて予約だし、半年前からホテルの予約だのなんとかのアクセサリーだのと・・・
幸い私はそんなバカなクリスマスの風潮に踊らされる事はなかったのだが・・・(T涙T)
安いマックでコーヒー片手に語り合うカップルがまぶしく感じられた。

そんな私の気分を壊したのが妻の一言。
「私の若い頃だったらマクドでデートなんていったら一発で別れてたわ」
(その言葉、当時聞きたかった気もする・・・)

そういえば新婚間もない頃、近所を散歩していてふと目にした安そうなアパート。
私は新婚生活のスタートは、4畳半一間で何もなくとも互いの存在だけで満足するような生活に、ある種の憧れを感じていた。そんな話を妻にしたところ、「いややわ、こんなカンカンアパート(階段を登る時の音からよくある2階建てのアパートを妻はこう呼ぶ)」とのたまわった。現実の冷たい壁を感じた瞬間だった(そのくせ「愛こそすべて」系のドラマを観てうるうるしていたりするのだ・・・)。

社会人になりたての頃は金がなかったから、寮では余っているテレビを調達してきて見ていたし、愛車は13万円で買った日産マーチだった。甲州街道で雨上がりの夜空にエンジンが止まってしまった事もあった車だ。そんなマーチに乗って無謀にも男二人女二人でドライブに行ったりした事もあったが、乗り心地はフェラーリにも勝ると信じていた。いまでもあのマーチが懐かしく、そして誇らしく思う。

お金をかけなくったって若者には幸せな時間を過ごせる特技があるのだ。
今はマックに連れて行ってもふられない良い時代みたいだ。
幸せそうなカップルたちに心からのエールを送ったのである・・・
   
    

2009年2月27日金曜日

84年に一度の危機

今仕事が忙しい。
みんなで一段落したらパァーっと行こうという話になった。
そうしたところ、かねてよりW氏お勧めのウズラ鍋のお店に行く事になった。
今から早速予約となって、昨日予約をとった。
まだまだ一段落するのは早いのだけど、頑張り目標というわけだ。
そうしていたところ、本日「国内でトリインフルエンザ発生」のニュース。
しかも「ウズラ」・・・
国内での発見は84年ぶりらしい。

さてそうしたところ、「キャンセルだ」との声が上がった。
「一瞬大げさな」と思ったが、言った本人は極めて真面目な顔。
W氏は初めは笑って取り合おうとしなかったが、マジだとわかるとこちらも真面目な顔で反論。
「いやいやニュースによれば、感染したウズラ2羽は死んでいないし、毒性も弱いとの事で平気だ」と主張。

しかし、キャンセル派は一人二人と増殖。
「こんな時期にわざわざ行く事あるまい。」
「もしもみんなが具合悪くなって休みでもしたら問題だ、リスク管理が甘いとなってしまう」等々・・・
もっともなご指摘。

「こんな時に行けば感謝されてサービスもよくなる」と一人反論するW氏。
I氏に救いを求めるも「私は常に多数派です」と逃げられる。
W氏がつぶらな瞳で私に救いの眼差しを向けてくる。
私は「行ってもいいんじゃないですか」とW氏に援軍。
別にウズラが食べたかったわけではないが、「人が右向きゃ、我左」というところもあって、賛成派に回ったのだ。

かつてのカイワレ大根や狂牛病、鯉やら餃子やらと食物にまつわる問題がいろいろと出た。そのたびに食べ控えが起こっている。敢えて渦中の栗を拾う必要もなく、君子危うきに近寄らずであるから悪い事だと言うつもりはない。安全が確認されてから行ったってまったく問題ない。ただ、そうした行動を現実に目の当たりにして、世間の人々の行動といったものを垣間見たような気になった。

ちょっと前に事故米をそれと知らずに購入していた酒造メーカーが、それを正直に発表したところ売上が9割落ちたとテレビで取り上げられていた。
黙っていた他のメーカーは影響を受けずに済んでいた。
必死で信頼回復を目指すそのメーカーと頬っかむりした他のメーカーの安全度は比べるまでもないはず。でもそれが現実だ。

結局、議論は2対6で反対多数によりキャンセルとなった。
目をうるうるさせるW氏に「また今度行けばいいじゃん」と反対派の何人かが慰めていた。目の前には確実に世間の縮小版が存在する事を痛感した出来事だったのである・・・
    
    

2009年2月25日水曜日

涙そうそう

この頃涙もろくなったと強く感じる。
子供の頃から「男は人に涙を見せるものではない」という感覚でいたので(たぶん漫画の影響だ)、人前で泣いたなどという事は、あんまり記憶にない。

わずかな例外が高校3年の時。
ラグビーの最後(になってしまった)試合で負けてみんなで泣いた。
(タイムマシンがあっても、とてもじゃないが見に行きたいとは思えない思い出だ)

それと大学3年の時、気合の入ったラグビーの試合2試合。
勝って泣き、負けて泣いた。
この時は感情が頂点まで達したのだ(あの時以来、あそこまで感情が高ぶった経験はない)。

が、それ以外はない。
といっても、それはあくまでも「人前で」の話だ。
人知れず失恋の心の痛みに耐えかねて、一人枕を濡らした事はちゃんとある。
人前では映画や本を読んで感動しても、涙腺はしっかりと締まっていた。

それがどうだろう。
この頃はちょっと感動してもすぐ涙腺が緩む。
人前だと危なくて仕方ない。
まさか年というほどでもあるまい。
年寄りの失禁と同じなどとも思えない。

感動するのは悪い事じゃないと思うのだが、ポロポロと涙をこぼすのはみっともない。
(と今でもそう思うのだ)
家族と何気なく見ていたテレビのちょっと「良い話」でもほろっとくるし、通勤電車の中で読んでいた本にもほろっときたりする。
ごまかすのが大変だ。

どうしてなんだかよくわからない。
もともと冷静な外面とは裏腹に、内面の感情の起伏は激しいほうだと自覚はしていた。熱く語るのは好きな方だ。だから共感力はもともとあると思うのだが、それが押さえられなくなってきたのかもしれない。まあ無理に抑えるのもなんだし、当面は危なくなったらごまかすテクニックを磨くしかないかと思うのである・・・
     
    

2009年2月24日火曜日

教育

銀行員という仕事柄、いろいろな取引先を訪問する機会が多い。
今回、さるお取引先の資材管理場を訪問させていただいた。
所長に話を伺いながら、場内を見て歩いた。

その時にちらほらと黒人の姿が目に入った。
また小耳に挟んだ会話は、たどたどしい日本語。
顔は東洋人であったから、たぶん中国人だと考えた。
(韓国人はこういう田舎の中小企業で働かないだろうと想像したのだ)
あとで事務所に帰ってふと見ると、タイムカードに数名の横文字の名前。
そして中国研修生というタイトルで数名の名前があった。
研修生といってもどういう研修生なのか、合法なのかそうでないのかは定かではない。
この時期人件費を抑えるために中小企業も大変なのだ。

敢えて尋ねなかったのに、自然と話題が黒人の話になった。
所長曰く、「数が数えられないんですよ」と。
なんと「手の指以上は数えられない」のだという。
と言っても障害者なのではない。
そういう教育を受けていないらしい。
俄かには信じられない話だ。

日本人であれば、どんなに学校の成績が悪くても数ぐらいは数えられる。
どこの国かは聞かなかったが、まだまだそういう国があるようだ。
江戸時代には、識字率の高さで当時の世界のトップクラスであったという我が国。
そういう伝統なのか、今では数が数えられない人など健常者であればまずいない。
ゆとり教育の弊害で、世界レベルでは学力低下が著しい我が国の行く末を嘆いていたら、こんなレベルの国もあるのである。

下を見て安心してはいけないが、数を数えるなんて学校で学ぶ以前の問題だ。
「仕方がないので数える以外の仕事をやらせているんですよ」とは所長の弁。
ふと自分だったら時間外に基礎的な事を教えてあげるのにな、と思った。
思うだけなら誠に簡単である。
ただ、そういう機会があったらそんな貢献もしてみたいと思った次第である。

いつかはわからないけど、そんな気持ちは持ち続けていたいなどと考えてみた取引先訪問であった・・・
     
   

2009年2月21日土曜日

肉食草食

かつて女性が男性に求める条件として、「三高」という事がもてはやされた。
「高学歴」・「高収入」・「高身長」である。
それを聞いて「てやんでぇ、男は中味だ!」と言って、一生懸命体を鍛えていた気がする。

それがどうやら今の時代は「三低」らしい。
といっても「低学歴」・「低収入」・「低身長」では、もちろんない。
「低姿勢」:女性を大切にし、全般に丁寧で威圧的でない等の真摯な態度、他の人を尊重する姿勢。
「低依存」:家事や身の回りの諸事をパートナーに頼らず、お互いを尊重し束縛しない。
「低リスク」:リストラや事故・事件等に巻き込まれることの少ない職種、または資格・免許を持っている。安定収入。

まあ、言葉は違えど「好きな事言ってらぁ」ってレベルでは同じである。
といっても、男も好きな事言ってるからお互い様ではある。
幸いな事に結婚してしまったので、今さら女性に選んでもらう必要はなく、そういう意味では余裕である。

かつてほど女性に対してガツガツする事もなく、今ではゆとりをもって付き合えるし、そういう女性の友人がたくさん欲しいな、などとも思っている。
これも年を経てナイスミドルに近づいているのかと思っていたら、最近の若い男もどうやらそんな傾向の者が増えているらしい。

【酒を飲んでも乱れず、すきがあっても体を求めず、異性との関係でも心地よさを重視しガツガツしない】らしいのである。
「なんだ自分と一緒じゃないか」と思っていたら、そういうタイプの男を今は、【草食系男子】または【お嬢マン】と言うらしい。

というと俺は草食系か?
お嬢だあ?
そう言われると腹立たしくなる。
飼いならされてお行儀良くなったワンちゃんみたいじゃないか。
と言っても、昔は「良い人ね」と女性に言われると屈辱的に思っていたものが、今では心地良く思うようになっている。

やっぱりベジタリアン化しているのだろうか?

メタボリックボディには良いかもしれないが、心の中まで草食系にはなりたくない。
かといっていつまでもよだれ垂らしているオオカミでもみっともないし・・・
ここはやっぱり尊敬するジェームス・ボンド系を目指そうと思う。
昔は、“タキシードを着た狼”とも言っていたが、やはり死ぬまで肉食系でいたいものである。

そんなことをつらつら考えた次第である・・・
     
     

2009年2月19日木曜日

痛勤地獄

 
「楽しみながら生きよ、憂いながら生きるよりその過ぎ行く時は幸いなり」
                                      作者不明

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 サラリーマンのデメリットの一つとしてあげられるのが、いわゆる「通勤地獄」である。
確かに山の手線や中央線といった都心の電車のラッシュは、凄まじいものがある。
まさに苦行と言える。だが幸いな事に、私は「地獄」とは感じないで済んでいる。

 それは「災いを前もって回避する」という事と、「災いもって福となす」という事によって、である。まずは「回避」であるが、住む場所を選ぶ時に中央線沿線は避けたことが挙げられる。勤務地は選べないから、せめて住む場所は混雑がひどい中央線を利用しなくてもよい場所を、と考えたのだ。それとなるべく早い時間(空いている時間)を選ぶ、混んでいる急行より少しでも空いている各停に乗る、それができないのなら1本遅らせても余裕をもって乗り込む等だ。これで比較的すし詰め状態は回避できている。

 あとは通勤時間帯そのものを読書タイムにして「楽しい一時」に変えたのだ。電車に揺られている時間は、基本的に読書タイムだ。けっこう集中して読んでいる。家では正直あまりゆっくりと本は読めない。本を読むのが好きな私にとって、この時間は貴重だ。だから今のような朝の寒い時期でも、通勤時間は楽しい一時だ。座って寝たいなどという考えは起きてこない。

 行く時はいつも同じ電車の同じ車両に乗っている。そうすると、余計なところに神経を使わなくて済む。余計なところに神経を使わないから、それだけ本に集中できるのだ。周りがどっと下りたらそこは大手町。大手町の次が降りる駅なので、そこで初めて現実世界に戻ってくるのである。

 問題は帰りだ。
いつも一定していないからあまり本に集中していると、ついつい一つ先の駅まで行って戻ってくる羽目になる。東野圭吾など読んでいる時は要注意だ。こんな具合に通勤時間を楽しんでいる。だから「痛勤地獄」などという言葉とは、これまでずっと無縁でこれた。考え方一つだと思うのだが、しなくても良い苦行は避けたいと思うのである・・・
  
     

2009年2月17日火曜日

バレンタインその後

  
バレンタインデーに娘は予定通り№3にチョコを渡し、一方で友達の女の子から友チョコをもらっていた。3歳の長男も近所の同じ年の女の子からチョコをもらっていた。
今は良い時代と言えるのだろう、きっと私も今の時代ならあの頃のような寂しい思いをしなくて済んだはず、と確信している。かつては業者の陰謀と批判していたものである。

さてそのバレンタインが終わるとホワイトデーだ。
これも業者の陰謀で頭に来るが、「お返し」と言われると弱いところで否定もできない。
バレンタインもホワイトデーもすっかり定着した感がある。
頭の痛いところだが、仕掛けた業者もうまくやったものである。

さらに2匹目ならぬ3匹目のどじょうを狙ってオレンジデーなるものもあるらしい。
【バレンタインデーで愛を告白し、1カ月後のホワイトデーでその返礼をした後、4月14日のオレンジデーでオレンジ(オレンジ色のプレゼントも可)を持って相手を訪問し、二人の愛を確かなものとします】というものだそうである。

まだある。
【バレンタインデーから88日目の5月13日はメイストームデー(5月の嵐の日)であり、「八十八夜の別れ霜」ということで別れ話を切り出すのに最適とされます。
これを乗り切れば6月12日は恋人の日。
恋人同士が写真立てに写真を入れ交換し合います。
さらに7月7日の七夕はサマーバレンタインデーで、2月14日に告白を逃した人にセカンドチャンスが訪れます。
 いずれの日においても愛を逃し続けた男性には9月14日のメンズバレンタインデーが設けられています。男性から女性に下着を送って愛を告白する日とされています。
 愛を何度も確かめ合わないと不安という方には、11月11日の恋人達の日に靴下(新品に限る)を贈り合い、12月12日のダズンローズデーには12本の薔薇を贈ります。いよいよクリマスが近づいてまいりますが、遠距離恋愛の方は念のため12月21日の遠距離恋愛の日に、会ってお互いの愛を確かめます・・・】
という事らしい。

あほらしい・・・
いきなり女性に下着を送って愛の告白なんぞした日には、よほどのイイ男でない限り悲惨な結末は火を見るより明らかだ。どうせ考えるならもうちょっとましなものを考えてあげないと不幸な男性が出てくる。もっともそんなのに乗せられて失敗したら自業自得ともいえるが・・・

もともと女性はプレゼント好きという習性(?)がある。
それがバレンタインの場合はロマンチックな習慣と見事マッチしてしまったわけである。
これだけ長いこと定着してしまうと、もはやこれはこれで仕方ない。
しかし、あげる楽しさともらう喜びばかりが脚光を浴び、もらえない寂しさは語られない。

またもらえばもらったで、今度はホワイトデーの悪夢だ。
これは「もらったらお返しを」という事で始った日本独自の習慣だ。
大きなお世話でしかない。
言われなくてもやる事をわざわざ押し付けられたくないと思うのはひがみ根性だろうか。
毎度毎度の狂想曲。
いっその事すべてなくなってしまえと心密かに願うひねくれ根性の私なのである・・・
   
      

2009年2月15日日曜日

ABBA

突然同僚に「『マンマ・ミーア』観ましたか?」と尋ねられた。
私が映画好きと知ってか知らずかであるが、「まだですよ」と回答した。
始めは行きたいなと思っていたが、どうやら時間的に厳しそうだ。
同僚は実はアバが好きだったと言うのであり、しばしアバ談義となった。

「マンマ・ミーア」は映画が公開されているが、全編これアバの曲を散りばめたミュージカルである。
ストーリー展開にあわせて、そこにフィットするアバの曲を巧みにブレンドしていて絶妙な仕上がりの楽しめるお話だ。
私は劇団四季のミュージカル版を観に行ったのであるが、懐かしいアバのヒット曲も楽しめて、劇場も最後は総立ちであった。

アバについては昔から特別好きだったというわけではないが、何となく曲は好きだった。
それにこれまでの生涯で唯一行った事のあるコンサートがアバという「縁」もある。
(その時はアバ好きの友達に誘われて大枚叩いて日本武道館に行ったのだ)
私は総立ちコンサートが大嫌いである。
何でも座ってじっくり楽しみたいのだ。
だから最近のミュージシャンのコンサートにはまったく食指が動かない。
浜崎あゆみでもそうだし、例えフレディ・マーキュリーが生き返ってきたとしても、だ。
(いや、フレディ・マーキュリーだったら行くかな・・・)
30年前のアバのコンサートは座って楽しめたのだ。
良い時代だった。

それに気がつけばベスト版のCD(ABBA GOLD)だって持っている。
アバの曲は詩もわかりやすい英語だ。
だから中学生くらいの時でもなんとなく詩の意味もわかってよかったのだ。
今でも時折CDを聞いているし、車のオーディオにもコピーしてある。
ファンというわけではないのだが、なんだかいつも手元に置いておきたいのがアバである。
たぶんポップ・ミュージックデビュー時の入門編だったから、その原体験が遺伝子レベルに組み込まれているのかもしれない。

だからではないが、「マンマ・ミーア」はとっても楽しめた。
よくこういうものが創れるものだとその創造力と想像力に感心してしまう。
(最後の「総立ち」には閉口したが・・・)
何度観に行ってもたぶん飽きるという事はないのではないだろうか。
そのうち機会をつくって四季版を観に行きたいと思っているのである・・・
    
   

2009年2月14日土曜日

密かな楽しみ

  
仕事が忙しくなって遅くに家に帰る。
子供たちは寝ている。
空腹を通り越した胃袋も静かだ。
妻が寝てしまっているか風呂に入っている時は一人で夕食だ。
何とも寂しいサラリーマンの姿に映るかもしれない。

ところがこういうシチュエーションだと私の目はきらりと光る。
好機到来。
テーブルに着くやごはんに味噌汁をぶっかける。
ああ、味噌汁ぶっかけご飯!
これが実はひそかな楽しみなのである。

妻の目がある時はこれができない。
昔からこれが好きなのであるが、結婚してからは、いや独身時代に実家にいる時もできなかった。
「みっともない」とか「品がない」とか言われて、大っぴらには食べられないのだ。
だからこそ、一人で食べる時は大チャンスなのだ。
味噌汁ぶっかけご飯を食べる幸せなひと時・・・

そもそも何でこんな食べ方するのかと言えば、今はなき祖父の影響だ。
長野県は諏訪に住んでいた祖父は、よくこうしてご飯に味噌汁をかけて食べていた。
母親たちはみな顔をしかめていたが、そこは絶対家長の祖父のこと、表立って批判はできない。
それを見つめる私だけが、目をキラキラさせていたのだ。

家に帰ってから真似して食べようとしたら母親に怒られた。
「何でお茶漬けはよくて味噌汁はだめなのか?」
昔から理論派の私は幾度となく納得のいく説明を求めたが、無駄であった。
田舎ではネコの餌に残飯を与えていたが、余ったご飯に味噌汁をかけたりしていて、要はネコの餌と同じという理屈だった。
それでも、別々ならよくて一緒ならいけないというのも納得がいかないものだ。
禁じられると一層甘美な味となる。
いつしか誰もいない時に、一人で食べる楽しみとなったのだ。

それほどうまいかと言えば正直どうだろう。
でもやっぱり好きなのだ。
残業で遅くなっても「今日は食べられるかな」と思うと、自然と足取りも軽くなるというものだ。

そうして祖父がしていたようにご飯に味噌汁をぶっかけるのだ。
品などなくたっていいではないか。
何も高級レストランでやっているわけではない。
遠い昔に大好きだった祖父が、おいしそうに食べていた姿が今でも脳裏に浮かぶ。
あの時爺さんが食べていたのと同じ味だろうか?
母親たちの非難の目などどこ吹く風で、一緒に並んで食べたかったなと思う。

静まり返った食卓で一人ずるずると味噌汁ぶっかけご飯を食べている孫の姿を見たら、あの世でじいさん何て言うだろうか。
誰になんと批判されようとこれだけは一生やめられない。
これは愛すべきじいさんへのオマージュだと思うのである・・・




2009年2月11日水曜日

バレンタイン


小学校2年の我が家の娘は、本日はチョコレート作りである。
14日のバレンタインに備えてのものであるが、今は小学生から手作りなのであろうか?
その材料を買いに行った池袋の東急ハンズ。
専用コーナーでは、下は小中学生と思しき子供たちも友達と連れ立って来ていて、ちょっとした熱気であった。

今では特別何も感じなくなってしまったが、小中学生の頃はバレンタインデーが嫌で嫌でたまらなかったのを覚えている。
見事なくらいチョコレートをもらえなかったからだ。
人一倍のチョコ好きとしてはかなりの苦痛だ。
さらに追い討ちをかけたのは、弟が毎年のようにもらってきていた事だ。
そう大して容姿が変わるわけでもないし、いや、むしろ私の方が良いくらいだと思っていたのに、兄貴としての面目などあったものではなかった。

中学時代にたった一度だけ机の中にチョコレートが入っていた事がある。
大感激してこっそり隠れて中を見たのだが、差出人がなかった。
入れ忘れたのか、名乗れなかったのかはわからないが感激もしぼんでしまった。
なので高校生になってまともにもらえた時は、ようやく一人前になれた気がしたものだ。

不遇の大学時代を経て社会人になるとそんな状況が一変。
最初の年は7~8個もらった記憶がある。
もちろん義理チョコであるが、当時のおじさんたちが1~2個だったのから比べると同じ義理でも意味合いは大きく違う。
50歩100歩というなかれである。

それから「複数個もらうのは当たり前」という黄金時代を迎えた。
職場の女性陣はみんな義理堅かったのだ(繰り返すが義理チョコでも数はおじさんたちのそれを凌駕していたのだ)。
良い習慣だと初めて思えた。

今ではというと、お返しが面倒だと思うようになってしまった。
妻などは端からお返し期待のひも付きODAだし、義母などからももらうのだがかえってもらわない方が、などとも思ってしまう。
しかし、何せ大好きなチョコレートだけにそういうのも辛い。
まあ、お中元やお歳暮のようなものだと思っている。

長女は今年は№3にあげるのだそうだ。
№1になぜあげないのか聞いたところ、「去年あげたから」だそうだ。
№2の立場はどうなのかとも思うが、娘心は計り知れない・・・

3歳の長男はまだこれからだ。
学校へ行くようになるといろいろわかってくるから、やっぱりわくわくドキドキしたりするのだろう。からかって楽しみたい気もするが、「お父さんの子供の頃はな、」などと語れる過去がないだけに厳しいものがある。

しかし我が身を翻ってみれば「もらえない寂しさ」というのを味わうのも人格形成にはいいのかもしれない。子供の頃から「もらって当たり前」と天狗になられても困るし・・・
やっぱり我が子には自分と同様、千尋の谷から這い上がることが必要だろうと思うのである・・・
   
    
     

2009年2月9日月曜日

美容室

この週末に髪を切りに行った。
以前は床屋へ行っていたが、最近はもっぱら美容室だ。
といってもお洒落に目覚めたわけではない。
というかその方面はどうにも昔から苦手だ(妻の実家では私の独身時代の服装センスはいまだ物笑いのタネにされている)。

始めは「美容室なんて・・・」と気恥ずかしく思っていたが、散髪後のヘアースタイルを毎回バカにされるのもなんだしと思って、とりあえず行ってみたのが始りだ(私はけっこうチャレンジ精神は旺盛だと思う。何でもやってみて判断すべし、と考えるタイプだ)。

行ってみると、それまで描いていたイメージとは程遠く、結構男性客も多いらしく、welcomeという雰囲気だった。客商売だから当然と言えば当然かもしれない。
さらにやってもらうと床屋との大きな違いが一つあった。それは「髭剃りがない」という事だ。

実は私は床屋での「髭剃り」は苦手だ。
毎朝、シェービングクリームをあわ立てて、髭を剃っているが床屋のそれはもっと本格的。
いいといえば良いのだが、どうも良すぎてジョリジョリと皮膚まで削られている感じがする。
蒸しタオルで温めてもらうが、終わった後の感触は自分でやるのとは大違いで、根こそぎ剃られた感じがする。せめて休みの日くらい髭剃りはしたくない派の私としては、休みの日にここまでやられるのには抵抗があったのだ。

さらに髭剃りタイムの分、時間も10~15分短くて済むというメリットにも気がついた。
料金はそんなにかわらないなら初めから髭剃りはなくて、しかも時間も短い方が都合が良い。
カットのあとも馬鹿にされなくなったし、今では何の抵抗感もなく美容室へ行っている。

最近は男性客もかなり増えてきたと担当の美容師さんが話してくれた。
若者ばかりでなく40~50代の男性客もけっこう多くて、土日など下手をすると男性客の中に女性客が一人で逆に居心地悪そうにしている、という事もあるらしい。

そんな話を聞くとついつい、「床屋の将来性は大丈夫か?」と考えてしまう。
両業態は免許で分けられているから、転換も容易ではない。
床屋が生き残っていくためには、
①美容室に奪われた男性客を取り返す
②他の床屋からシェアを奪って残存者利益の拡大を目指す
③美容室には絶対行かない老人客を開拓する
などの対策が必要だろうな、などと考えてしまう。

③では暇な平日に出張サービスを展開し、話し相手も兼ねてやったらいいかもしれないなどと考えてしまう。根本的には免許で規制されているのが、大きなネックなのかもしれない。
両者を融合したような店舗で、個々の顧客に合わせたきめ細かいサービスを展開してくれるようなところがあったら、利用者にとっては本当は一番ありがたい事だという気がする。

お役人さんも床屋の将来のためにも規制緩和を考えた方がいいんじゃないのという気がしてならないのである・・・

     


2009年2月8日日曜日

頼まれ事

私はよく人にモノを頼まれる。
まあ誰でも頼まれ事はするであろう。
私も特別その頻度が高いというわけでもない。
ただ、誰かに何か頼まれた時、一つだけ心掛けている事がある。
それは「断らない事」である。

もちろん、妻からの頼まれ事のようにそれ自体「断りたくても断れない」ものは別としてであるが、基本的に何でも受けることにしている。中には能力的に明らかにできない事や、例えば日程的に無理があったりしてやむを得ない場合は当然この限りではない。
その旨きちんと説明してお断りする。

が、そういうのは極々例外だ。
基本的に何でも受ける。
昔からそういう性格だったわけではない。
むしろ昔は面倒な事はなるべく避けるようにしていた。
だがいつのまにかこうなっていた。

というのも、「頼まれる」という事は「認められる」という事だと思うようになったからである。
頼んできた相手は、自分であれば引き受けてくれる(引き受けてほしい)と思っているから頼むのであり、自分はそれだけその相手の中に存在感を占めているということになる。
もともとそんなに社交的でもないし、友達が多いわけでもない。
謙遜でもなく、実際高校・大学時代は交友関係は極めて狭かった。
無理に広げたいとも思わなかったし、広げるのも苦痛だったのだ。
なので自分の存在自体も極めて狭い範囲にしかないように思えていた。

何気なく引き受けた頼まれ事もやって喜ばれれば気分もいいし、頼まれる事によって自分の存在感を確認できるような気がするのも確かである。何でも引き受けていると、いつのまにか面倒な事を押し付けられる便利な存在となるかもしれないという危惧もあるかもしれない。
だが幸い今のところそんな気配はない。

思い返してみればいろいろ頼まれたものだ。
結婚式の司会や会議の議長、ラグビーは高校・大学とも学年幹事だし、さらに大学のラグビー部に至っては4学年分の取りまとめ幹事だ。その他に世話人などをやっているのもあるし、くだらないものまで入れるとけっこうあるものである。

でもそれでもありがたいものだと思っている。
声をかけられる事は見過ごされる事から比べると遥かにいい。
そうして目に留めてもらえたというだけで引き受ける理由になると思っている。

その昔は何か世の中に役に立つようになりたいと思っていたものである。
今となっては「世の中に」などという大事は難しい。
だが目の前の一人の役に立つ事も世の中の役に立つ事の一つだ。
千里の道は行けねども目の前の一里なら可能だ。
ならば目の前の一里から一歩一歩進んでいくのも悪くはない。
これからもそういう精神で頼まれ事を引き受けていこうと思うのである・・・
    
   

2009年2月6日金曜日

おでん

我が家は東西食物文化の交差点である。
「食は関西にあり」とはよく言われるが、それは確かである。
お好み焼きやたこ焼きばかりでなく、関西に行けばおいしいところにおいしいものは至るところにある。しかし全部が全部、というわけでもない。

結婚前だが、妻に大阪の老舗のおでん屋に連れて行かれた事がある。
カウンターがぐるりと囲む真ん中でおでんがぐつぐつと煮えていて、入った瞬間に食欲をくすぐられる店であった。席についてさっそくオーダー。
いの一番に注文するのはやっぱり「ちくわぶ」。
ところが、目を凝らせども姿が見えない。
値札にもない。不思議に思って妻に尋ねたところ、「ちくわぶ?竹輪の事?」ととんちんかんな回答。あれこれとやり取りをして初めて知った。

「関西のおでんにはちくわぶがない」

この衝撃度は東京育ちのおでん好きであれば理解していただけるであろう。
ちくわぶの入っていないおでんなんて想像できるだろうか?
「おでんと言えばちくわぶ」、「ちくわぶと言えばおでん」。
おでんの主役はちくわぶであり、その他の具はちくわぶの引き立て役でしかないと言っても過言ではあるまい。ジェームズ・ボンドの出ていない007映画を誰が観たいと思うであろう。
それがないのである!
その店のおでんの味も何を食べたかももう忘れてしまったが、ちくわぶがないという事実だけが今も強烈な思い出として脳内皮質に焼きついている。

結婚してからはもちろん、おでんの時にはちくわぶは欠かさないようにしてもらっている。
そのおいしさを教えてあげようと思ったが、一口食べて「こんなのどこがおいしいの」と来た。
星一徹ならちゃぶ台をひっくり返すところだ。

あきれ果てたが悪い事でもないと気がついた。
なぜなら妻がちくわぶを食べないがために、我が家ではちくわぶは私が独占できるからだ。
子供たちも母親へ右へならえで食べようとしない。
だから翌日に残ったおでんを食べる時だって、竹輪やはんぺんは跡形もないが、ちくわぶはしっかりと私を待っていてくれる。これは幸せだ。

とはいえ、最近ちょっと悩みがでてきた。
妻はともかく子供たちだ。
東京に生まれたのにこのままちくわぶのおいしさを知らずに育っていいものだろうか、と。
ちくわぶの味を伝えるのは東京人の私の務めではないか、と・・・

良いはずがあるわけもなく、「教育」することにした。
とはいえ、無理に「食べろ」と言ってもそこは逆効果。
自らおいしそうに食べる姿を見せるしかない。
それこそが、親父が態度で語るものだろう。
というわけで、我が家で夕食におでんが出る時は、なるべくおいしそうに食べるように(もちろん本当においしいのだが)しようと思うのである・・・

    

2009年2月2日月曜日

恵方巻き

節分である。
節分と言えばやはり「豆まき」である。
まあこれは日本全国どこへ言っても共通である。
子供がいればまず家でやる事になるだろう。

ところが我が家はこれだけではない。
もう一つ行事がある。
それが「恵方巻」である。

東京生まれの東京育ちの身であれば、あまり馴染みがない。
かく言う私も結婚するまでは知らなかった。
ところが関西人と結婚したためこのようなけったいな風習がある事を知る事となったのである。

恵方巻とは節分にその年の恵方(ちなみに今年は東北東である)を向いて目を閉じ、太巻きを願い事を願いながら一言も発せずにまるかじり(関西では「まるかぶり」と言う)するのである。
悪いけどとてもじゃないが願い事なんか叶いそうもない風習だ。
家族揃って黙々と食べるわけであるが、なんともはやという感じである。

ローカルな風習と思っていたらここ数年東京でも恵方巻の文字が目につきだした。
主にコンビニであるので見かけた人も多いと思う。
たぶん常に新しいネタを探しているコンビニ業界であるから、関西のローカル風習に目をつけて東京に持ってきたのだろう。

だが、東京人に広まるのであろうか。
我が家は実権者が有無を言わさずやっているから毎年やるが、東京人同士のカップルのご家庭ではいくらコンビニが頑張っても広まらない気もする。
バレンタインのチョコのようにはいかないだろう。

そもそも何でこんなもの広めようと思ったのだろうか?
単なる話題作りだろうか、季節のイベント作りだろうか?
米食推進委員会みたいなものが自給率アップのために取り組んでいるのだろうか?
別に文句があるわけでもないし、(あっても言えるわけないし)子供たちも喜んでいるので季節のイベントとして我が家ではこれからも続くだろう。
何もないよりいいだろう。
そういうわけで明日の我が家の夕食は太巻きなのである・・・

    

2009年2月1日日曜日

世界遺産は世界の遺産

   
先日関越自動車道を往復した時の事だ。
行きの下り斜線で「富岡製糸場を世界遺産へ」という看板を見つけた。そういえばいつも見ているテレビ東京の「ガイアの夜明け」で世界遺産登録を目指す平泉の様子を取り上げていた事を思い出した。ここもどうやらそうらしい。

富岡製糸場といえば日本史の教科書にも出てくる、日本の近代史の一ページを飾る象徴的な存在だ。日本人であるし、行った事はなくてもその価値は十分にわかるつもりだ。だからそれを世界遺産にしようという考え方は理解できる。しかしどうもすんなりと腹落ちしない何かがある。

そもそも世界遺産とは「後世に残すべき人類の資産」という事である。その目的は保護と保存である。だからそれなりの価値のあるものを保護しよう、保存しようという考えもわかる。だが、それだけだろうか?

世界遺産に指定されるとどうやら観光客が激増するらしい。世界遺産巡りは格好の旅行テーマとしていいのであろう。かくいう自分もいずれ世界遺産巡りをしてみたいと思う。しかし、先の番組で取り上げられていた平泉は「街興し」としてそれをやっていた。世界遺産に指定してもらい、それで観光客を呼び込み街の活性化につなげようというものである。

街興しそれ自体否定するものではない。世界遺産への登録申請もしかり。しかしそれが結びつくと違和感を覚える。世界遺産はあくまでも保護・保存が目的であるはずで、それで観光客を呼び込もうというのは筋違いに思える。平泉が落選したのも当然だ。

観光客の増加はあくまでも結果であって、目的ではないはずだ。それを平泉の人達は履き違えている。富岡製紙場も見たことないのでそれ自体は何とも言い難い。しかしやはり観光客誘致目的なのは明らかだ。そういう意図はおかしいだろう。

世界の人の目もあるのだ。おかしな意図で登録申請などしていたら、審査員の手間隙だって大変だし何より日本の良識を疑われないか?街興しは他の方法で考えればいいのだ。世界の中の日本人である。身を正して世界と向き合う気概が欲しいという気がしてならないのである・・・