スーダンのサレム運輸相は26日、同国北東部で1月、パレスチナ自治区ガザ地区に密輸する武器を運搬していた車列が外国軍機の攻撃を受け、死者が出ていたと明らかにした。AFP通信が伝えた。米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は米当局者の話として、武器密輸の阻止を図るイスラエル軍の空爆だったと伝えた。 (毎日新聞)
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世界では見知らぬところで見知らぬ事件が毎日起こっている。すべてが報道されるわけでもないが、報道されていても目に留まらないこともある。上記のニュースもそんな一つであろう。イスラエルは1948年、2000年にわたる放浪の末にようやく建国できたユダヤ人の国。
だが、その建国によって土地を追われたパレスチナ人やアラブ人と敵対し、血で血を洗う紛争を繰り返してきている。少しずつ和平のプロセスは進んでいるが、いまだ国境を接するシリア・レバノン(ヒズボラ)とは一触即発の状態だし、国内ではガザでの紛争は終結したとはいえまだ湯気が出ている状態である。
そんなイスラエルは、これまでにも「攻撃は最大の防御なり」を徹底している。
古くは遠く離れたイラクの原子炉を空爆したし、近年でもシリアへの空爆が行われている。
イランの原子炉空爆の噂もちらほら出ている。
イラク原子炉の空爆は、同国が核武装する事を未然に防ぐためであったが、紛争の真っ最中という状態でもないのにやってしまうところが日本の感覚とはかけ離れている。
今回の空爆も国境を接しているわけでもないスーダンへ、わざわざ飛行してのものである。
しかも固定目標ではなく車列という移動目標だ。
おそらくイスラエルの情報機関モサドが情報を収集した上で実行したのであろうが、実際に武器が自国内に運び込まれる前に叩いてしまうというところがなかなか凄いところだ。
北朝鮮の「人工衛星」を迎撃するのしないのと言って大騒ぎしている我が国とはスケールが違う。
そのスケールの違いはしかし喜ばしいものでもある。
それだけ我が国が平和であるという証だからである。
空爆行為を非難するのは簡単である。
だがいずれ武器が国内に持ち込まれ、ゲリラの手に渡れば自国民が危険に晒される。
それを未然に防ぐのはむしろ当然というべきである。
自国民を危険から未然に防ぐ仕組みのない我が国とは対照的だ。
しかし空爆で死んだ人達もまた悲劇だ。
密輸しようとしたパレスチナゲリラは直接武器を生産できないから買うしかない。
購入資金はイランとかシリアとかのアラブ諸国から出ているのだろう。
買おうとしても直接生産国から買えないから、スーダンなどを経由して買うわけである。
やはり内戦状態で貧しいスーダンはそれで稼ぐのだろう。
ソマリアの海賊と同じでそれしか生活の手段がなければ誰でもやるだろう。
誰が正しくて誰が悪いという図式はそこにはない。
毎日毎日が平和な日常生活。
ただそれは世の中すべてがそうだというわけではない。
遠く離れた他所の地域の事に対する感心は失われがちだ。
だが、それらの現実も事実は事実として捉えて、せめて心のどこかに留め置いて平和な毎日を楽しみたいと思うのである・・・
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