2009年4月6日月曜日
関西弁
我が家の公用語は、標準語と関西弁である。
しかし飛び交う頻度から言えば、圧倒的に関西弁である。
何せ母と娘という家の中の会話の大半を占める二人が関西弁だから、当然と言えば当然なのである。
言葉の点だけから言えば、我が家は東京の中の関西、かつての東ドイツにおける西ベルリンのようだと言える。
そんな関西弁であるが、自然と喋れるようになるかと言えばそうでもない。
逆もまた真なりで、妻もよく初対面の人に「関西の人?」と言われるそうである。
(「標準語しゃべってるのになんでやろ?」とよくぼやいている)
表面上は関西弁の単語を使ったり、「そやねん」とか「ほんま」とか言ってみたりして関西弁を使う事はできることはできる。ただ関東人が圧倒的に真似できないのが、おそらくはそのリズムだ。平たく言えば会話の中でのボケとツッコミである。
テンポ良く交わされる会話には必ずボケとツッコミが入る。
それが会話のリズムとなって活き活きとしたやり取りになるのだ。
私はよくそれで妻から、「ここっていう時につっこんでくれないからストレスやわ」と言われる。
私からすれば、「なんで夫婦でつっこみ漫才やらなあかんのや、ボケ!」と言いたいところだし、実際そう言えばたぶんいいのだろうが、「もしも本気で怒らせたら」と思うとそのセリフを吐く勇気はない。難しいところだ。せめて心の中でちゃぶ台をひっくり返すのがせいぜだ。
私自身は無口な父親の性格をかなり引き継いでおり、もともと言葉数が多いほうではない。
だから新婚当初は大阪の実家へ行った折、「真面目で堅物で面白みのない銀行員」という目で見られぬよう、都会の洗練されたジョークで対抗しようと勇んで乗り込んでいったものである。
ところが目の前で展開される母娘3人の会話のストロークにまるでついて行けず、私は貝になってしまった(考えてみればその会話がたとえ標準語であったとしても、それについていけたかどうかは疑問ではあるのだが・・・)。
唯一の救いは北海道生まれで関西弁をしゃべれないお義父さんだ。
性格的にはかなり明るくて、時折勇敢にも母娘の会話に割って入り、大ボケをかますのだ。
一瞬のうちに母娘の会話を断ち切ってしまうのはさすがなのである(本当に一瞬だけなのであるが・・・)。ただ、すぐに再開された会話からはじき出されてしまう。そんな義父の遠くを見つめる眼差しに数十年後の自分を重ねてしまい、思わず優しく接してあげたくなるのだ。
一方同じ環境下ながら、4歳の長男はバリバリの標準語だ。
大阪では近所の同世代の子供に、「あの子、あんなにちっちゃいのに標準語しゃべってる!」と感動されたそうだ。次代の標準語のホープとして大いに期待しているところである。
何せ回りは標準語なのだ。
やがて娘も年頃になれば、しとやかな標準語をしゃべるようになるのではないか、そしていつの日か我が家にもベルリンの壁が崩壊する日がくるのではないか、と儚い望みを抱いていたりするのである・・・
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