2009年4月9日木曜日

選択の人生

   
『ひさかたの 光りのどけき 春の日に 静心なく 花の散るらむ』

桜のまぶしい季節。
朝、ちょっとだけ遠回りして駅に向っている。
そのちょっとの先に桜の木があるからだ。
遠くで見るのと下を歩くのとはまた違う。
今日見た時は少し緑の葉が目に付くようになっていた。
今年も桜を楽しめるのはあと少しだ。

毎日毎日我々は知らず知らずのうちに「選択」をしている。
朝、目覚まし代わりに使っている携帯のアラームが鳴る。
最初に鳴るのは「ジェームス・ボンドのテーマ」だ。
巨大な陰謀がうごめいているかもしれない時に寝ていていいのか、という気になるかなと思ってセットしているが、ここで起きるかもう少し寝るか、との選択で一日が始まる。
(もう少し寝る、を選ぶと次は「ロッキーのテーマ」、その次は「スターウォーズ」。「スターウォーズ」のあとはない、それは恐ろしい事態を意味する)

いつもの電車に微妙に間に合わなさそうな時、急ぐか見送るか。(大抵は見送るのだ)
新聞を開いてどの記事から読むか。そんなささやかな選択から始って、ランチタイムに何を食べるか(幸いな事に行員食堂は悲しいほど選択肢が少ないので、あれこれ悩まなくてすんでいる)、何の本を読もうか、今月はどの映画を観ようか、などというものまで様々である。
そうした数々の選択の結果が今の自分なのである。

こういう選択は失敗しても大した事はないが、車や住宅などの大きな買い物や、学校選びだとか就職とか、結婚などの人生を左右するような選択は失敗するとけっこう致命的だ。
やり直すとなるとかなりの時間・費用・エネルギーを消費するし、精神的なダメージも大きい。

私は物事をとにかく楽観的に考えるようにしている。
なので失敗した、と思ってもそれもまた人生と割り切るようにしている。
無理やりにでもそう思うようにしている。

二つに分かれた道。
もし選ばなかった方に行っていたら、たぶん違う人生だったのであろう。
でもそっちに行っても結局別の問題で後悔していたに違いない、だから同じなのだ、と無理に自分に言い聞かせている。今の選択が本当に失敗だったかどうかは、時間が経ってみないとわからない。そして時間はいつもそれなりの結末を描いてくれるのだ。

無理にでも楽観的に考えるようにしていないと、「あの時もしも・・・」と考えるといても立ってもいられなくなる。今更嘆いてもどうしようもない事を嘆いて時間を浪費しても仕方がない。
だけど、嘆きたくなるような人生の選択の大きな失敗が、私にはある。

もしも道を歩いていて偶然魔法のランプを拾ったら、そしてその中から出てきた頭にターバンを巻いた魔人に「何か一つだけ願いをかなえてやろう」と言われたら、「もう一度あの時に戻って人生をやり直したい」という瞬間が私にはあるのだ。だが、そんなランプはやっぱり落ちていないし、「人生上を向いて歩こう」という主義の私だから、落ちていても気付かないかもしれない。

だからやっぱり過ぎてしまった選択よりも、これからの選択に目を向けたいと思う。
どんな結果であれ、自分で選んだのである。

「冬があり夏があり 昼と夜があり 晴れた日と雨の日があって ひとつの花が咲くように 悲しみも苦しみもあって 私が私になってゆく(星野富弘)」

くよくよせずに次に進んで行こうといつも自分で自分を励ますのである・・・




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