今日は誕生日だ。
子供の頃は、この日は世界で一番特別な日だと思っていた。
ある時期までは確かにそうだったが、今では特段、これといった特別な感慨はない。
まあなんだかんだでもう46回目だし、今日もいつもと変わらぬ一日だったし、そんなものなのかもしれない。
ただ、一つの区切りであるという意識はある。
元旦と同じ心境と言えるだろうか。
過去一年を振り返りつつ、今後一年を展望する一つのきっかけである。
だが、ここ数年は同じような日々の繰り返しになっている事は否めない。
流されているとも言えるし、穏やかで平和な日々を送っているとも言える。
こういう時代だから、毎年お祝いのメールをいただく。
何だかんだ言っても嬉しいものである。
今日は母親からも来た。
目を細め、不器用に時間をかけて送ってきたのが伝わってくるメールだ。
目をひかれたのは、「振り返ればいろんな事が遠くに」という一文だ。
自分も初めて親になって早や9年半。
長女の誕生日は自分が親になった記念日でもある。
その点、長男は可哀そうだ。「初めて」は大概お姉ちゃんに持って行かれてしまう。
幼稚園の入園式も、記憶に鮮明に残っているのは長女の時、という具合だ。
自分も長男だから、もしかしたら母親もそうなのかもしれない。
誕生から入園、入学、受験、卒業、就職と親としての成長は常に私とともにあったのだろう。
そんな思いが、先ほどの短い文章に込められているのだろうか。
自分で言うのもなんだが、私は比較的親に心配をかけずに来た方だと思う。
幼少時にひきつけを起こして病院に担ぎ込まれたエピソードくらい(私にその記憶はもちろんない)ではないだろうか。自分で何でもやって決めて、親の手を煩わせるという事がなかったと思う(その役は弟がたっぷりとやった)。
ただ結婚してからは、残念ながら期待にはほとんど応えられていない気がする。
良き夫である事と、良き息子である事を両立させる事は私にとって想像以上に至難の業だったのだ。
どちらも中途半端で、どちらからも不満を持たれてしまっているようだ。
子育てをしていて思うのは、常に子供たちの幸せだ。
今はいいのだが、いずれ独り立ちしたあと面倒はみてあげられない。
苦難を乗り切り幸せな人生を送れるかどうかは本人たちにかかっている。
親としては、今してあげられる事をして、あとはただ願うのみだ。
「健康にきおつけて。幸せな毎日が送れますように。」
母親のメールはそう短くまとめられていた。
どうやら自分の健康は棚にあげてしまったらしい。
親と言うものは考える事は誰でも大して違わないようだ。
そんなメールを読んで、一緒にいても離れていても、46回の誕生日すべてを無条件に祝ってくれた両親に、今日は素直に感謝したいと思った。
直接言えばいいのかもしれないが、気恥ずかしいからここで公開しておくことにした・・・
【本日の読書】
「新幹線ガール」徳渕真利子
「親指の恋人」石田衣良
2010年6月1日火曜日
2010年5月29日土曜日
すっぱいぶどう
今日はあるところでツイッターの話題が出た。
最近だいぶ利用人口が増えてきたが、10人ほど集まった40代の中では利用者は一人のみであった。
そういう私も興味を持ってはいるものの、やるところまではいっていない。
始めたばかりの者が内容を語り始めたところで、別の者が否定的な発言を始めた。
もちろん、その人物はツイッターをやっていない。
実は同じような否定的な声は耳にしたりする。
そうした指摘が間違っているとは言えないが、その時昔のあるシーンがフラッシュバックしてきた。
まだパソコンが普及し始めた15年ほど前の事だ。
当時の職場にも1台パソコンが設置された。
一人一台ではなく、職場に一台ののどかな時代だ。
私は既にだいぶ使いこなしていたから、さっそくあれこれと使い始めた。
他にはまだ誰も使えなかったのだ。
手書きの資料に定規で線を引き、電卓で計算し、会議資料を作成していた時代だ。
それをエクセルで作り始めたのだ。今では当たり前の作業だ。
ところがそれを見た当時の上司に一言言われた。
「パソコンを使っていれば仕事をしていると思ったら大間違いだ」
今からすれば、写真を撮られると命を取られると恐れる未開人のような発言だ。
自分が今までやってきたやり方に対する自信があり、自分の使えないモノに対するやっかみ・不信というものがあったのだろう。だが、その時新しいものに対して興味をもって、本当に有用なのかどんな風に使ったらいいのかと考えてみる姿勢があったら、15年たって笑われる事もなかったはずだ。ツイッターだって10年たったらどうなっているかわからない。
では私がやるかというと、それはまた別の話。残念ながら今はそんな時間はない。ブログまでで精一杯。「ガイアの夜明け」「カンブリア宮殿」と楽しみにしてるテレビもビデオに撮ったまま溜まっているし、WOWOWで録画した映画のストックは50本を越えているし、読みたい本のリストは長くなるばかりだし、ブログだって毎日更新できずにいるし、それ以上に毎日時間を割いてやっているある事ももっと時間をかけたいし、睡眠時間だって4時間半は確保したいし・・・
ツイッターどころではないし、もちろんミクシィだって同じ理由で手を出していない。
だが、興味はもってアンテナは張っている。機会があれば話を聞いているし、そうする事でいざ始めるとなっても抵抗なく始められるようにしているのだ。世の中は進化しているし、気が付いたら銀行のATMのそばに寄れないお年寄りのようにはなっていたくないからだ。
これからますます頭は固くなる一方で、世の中はどんどん進歩する。
iPadって何?とか言っているとあっという間に世の中から取り残されてしまう。
わからない事は恥ではないからその場でどんどん教えてもらうようにするつもりだし、見ざる聞かざるにはならないようにしたい。おもちゃ売り場に行った時の長男のあのキラキラした眼差しを、私もいつも持っていたいと思うのである・・・
【本日の読書】
「ちっちゃいけど世界一誇りにしたい会社」坂本光司
「眠れぬ真珠」石田衣良
最近だいぶ利用人口が増えてきたが、10人ほど集まった40代の中では利用者は一人のみであった。
そういう私も興味を持ってはいるものの、やるところまではいっていない。
始めたばかりの者が内容を語り始めたところで、別の者が否定的な発言を始めた。
もちろん、その人物はツイッターをやっていない。
実は同じような否定的な声は耳にしたりする。
そうした指摘が間違っているとは言えないが、その時昔のあるシーンがフラッシュバックしてきた。
まだパソコンが普及し始めた15年ほど前の事だ。
当時の職場にも1台パソコンが設置された。
一人一台ではなく、職場に一台ののどかな時代だ。
私は既にだいぶ使いこなしていたから、さっそくあれこれと使い始めた。
他にはまだ誰も使えなかったのだ。
手書きの資料に定規で線を引き、電卓で計算し、会議資料を作成していた時代だ。
それをエクセルで作り始めたのだ。今では当たり前の作業だ。
ところがそれを見た当時の上司に一言言われた。
「パソコンを使っていれば仕事をしていると思ったら大間違いだ」
今からすれば、写真を撮られると命を取られると恐れる未開人のような発言だ。
自分が今までやってきたやり方に対する自信があり、自分の使えないモノに対するやっかみ・不信というものがあったのだろう。だが、その時新しいものに対して興味をもって、本当に有用なのかどんな風に使ったらいいのかと考えてみる姿勢があったら、15年たって笑われる事もなかったはずだ。ツイッターだって10年たったらどうなっているかわからない。
では私がやるかというと、それはまた別の話。残念ながら今はそんな時間はない。ブログまでで精一杯。「ガイアの夜明け」「カンブリア宮殿」と楽しみにしてるテレビもビデオに撮ったまま溜まっているし、WOWOWで録画した映画のストックは50本を越えているし、読みたい本のリストは長くなるばかりだし、ブログだって毎日更新できずにいるし、それ以上に毎日時間を割いてやっているある事ももっと時間をかけたいし、睡眠時間だって4時間半は確保したいし・・・
ツイッターどころではないし、もちろんミクシィだって同じ理由で手を出していない。
だが、興味はもってアンテナは張っている。機会があれば話を聞いているし、そうする事でいざ始めるとなっても抵抗なく始められるようにしているのだ。世の中は進化しているし、気が付いたら銀行のATMのそばに寄れないお年寄りのようにはなっていたくないからだ。
これからますます頭は固くなる一方で、世の中はどんどん進歩する。
iPadって何?とか言っているとあっという間に世の中から取り残されてしまう。
わからない事は恥ではないからその場でどんどん教えてもらうようにするつもりだし、見ざる聞かざるにはならないようにしたい。おもちゃ売り場に行った時の長男のあのキラキラした眼差しを、私もいつも持っていたいと思うのである・・・
【本日の読書】
「ちっちゃいけど世界一誇りにしたい会社」坂本光司
「眠れぬ真珠」石田衣良
2010年5月27日木曜日
怖い親父として
義祖母の葬儀に出掛ける朝の事、出発間際で5歳の長男がぐずぐず言いだした。
何が不満なのかよくわからないが、このところ時々こうしたわけのわからないぐずりが出る。
怒っても最近はあまり効果がない。
それどころか、逆ギレしてこちらを叩いてきた。
こうなるとこちらも実力行使に出るしかない。
というわけで頬を叩いた。
私は自分より明らかに体格の劣る者に対しては、当然の事ながら手をあげるという事はない。
どんなに頭に来てもそこらへんは冷静だ。
だが子供に対しては、「しつけ」という意味もあるからそうも言っていられない。
長女に対しては、過去9年間で一度だけ引っ叩いたが、長男に対してはもうすでに何回かある。
こういう時は頬を張る事が多い。
お尻を叩くという考えもあるが、やっぱりインパクトが違うだろうと思うのだ。
とはいえそこは加減も必要。
利き腕の右手ではなく、いつも左手にしている。
しかも叩いた腕を振り抜いたりなどしたら、ひっくり返って頭を打ったなどとなったら大変。
だから振りあげる事はせず、近距離からぺちっという感じだ。
今回は長男が動いたせいもあって少し手元がずれた。
私の指が長男の鼻をかすめたのだが、そのため鼻血が出てしまった。
妻が「何感情的になってんのよっ!」と烈火の如くどなり散らしてきたが、感情的になっていたのは妻だけで、私は極めて冷静だった。
それに妻が怒ったのは長男に鼻血を出させた為というよりは、むしろそれによってお出かけ用のシャツとずぼんが血だらけになった為なのだ。
まあ手応えからして大したことではないとわかっていたし、ただの鼻血だからどうって事はないと私は気にもしなかった。それよりも「ぐずぐず言うと親父に引っ叩かれる」という印象を子供に与える事の方が大切だ。
よく子供とは友達感覚で、なんて事を耳にするが、やっぱり親子は親子だ。
振り回すつもりはないが、「親父の権威」というものも必要だろう。
そう言えば私は子供の頃親に引っ叩かれたという記憶があまりない。
もう忘れてしまっただけなのかもしれないが、それも悪い事ではない。
ただやっぱり人間何でも思い通りになるとなれば人格は歪む。
それが子供となればよけいにそうである。
これを越えたら親父に殴られると思えば、それは自制心を養う事にもなるだろう。
「親父は普段おとなしいけど怒らせると怖かったな」
大人になって子供たちがそう思い返してくれたら本望だ。
まだ鍛えているし、高校生くらいまでならまだ力で抑えられるだろうし、怖い親父でいられるだろう。とは言うものの、子供たちに我が家で一番怖いのはと尋ねたら、たぶんママと答えるのだろう。
それには私もしかたなく一票を投じざるを得ないのである・・・
【本日の読書】
「ちっちゃいけど世界一誇りにしたい会社」坂本光司
「眠れぬ真珠」石田衣良
何が不満なのかよくわからないが、このところ時々こうしたわけのわからないぐずりが出る。
怒っても最近はあまり効果がない。
それどころか、逆ギレしてこちらを叩いてきた。
こうなるとこちらも実力行使に出るしかない。
というわけで頬を叩いた。
私は自分より明らかに体格の劣る者に対しては、当然の事ながら手をあげるという事はない。
どんなに頭に来てもそこらへんは冷静だ。
だが子供に対しては、「しつけ」という意味もあるからそうも言っていられない。
長女に対しては、過去9年間で一度だけ引っ叩いたが、長男に対してはもうすでに何回かある。
こういう時は頬を張る事が多い。
お尻を叩くという考えもあるが、やっぱりインパクトが違うだろうと思うのだ。
とはいえそこは加減も必要。
利き腕の右手ではなく、いつも左手にしている。
しかも叩いた腕を振り抜いたりなどしたら、ひっくり返って頭を打ったなどとなったら大変。
だから振りあげる事はせず、近距離からぺちっという感じだ。
今回は長男が動いたせいもあって少し手元がずれた。
私の指が長男の鼻をかすめたのだが、そのため鼻血が出てしまった。
妻が「何感情的になってんのよっ!」と烈火の如くどなり散らしてきたが、感情的になっていたのは妻だけで、私は極めて冷静だった。
それに妻が怒ったのは長男に鼻血を出させた為というよりは、むしろそれによってお出かけ用のシャツとずぼんが血だらけになった為なのだ。
まあ手応えからして大したことではないとわかっていたし、ただの鼻血だからどうって事はないと私は気にもしなかった。それよりも「ぐずぐず言うと親父に引っ叩かれる」という印象を子供に与える事の方が大切だ。
よく子供とは友達感覚で、なんて事を耳にするが、やっぱり親子は親子だ。
振り回すつもりはないが、「親父の権威」というものも必要だろう。
そう言えば私は子供の頃親に引っ叩かれたという記憶があまりない。
もう忘れてしまっただけなのかもしれないが、それも悪い事ではない。
ただやっぱり人間何でも思い通りになるとなれば人格は歪む。
それが子供となればよけいにそうである。
これを越えたら親父に殴られると思えば、それは自制心を養う事にもなるだろう。
「親父は普段おとなしいけど怒らせると怖かったな」
大人になって子供たちがそう思い返してくれたら本望だ。
まだ鍛えているし、高校生くらいまでならまだ力で抑えられるだろうし、怖い親父でいられるだろう。とは言うものの、子供たちに我が家で一番怖いのはと尋ねたら、たぶんママと答えるのだろう。
それには私もしかたなく一票を投じざるを得ないのである・・・
【本日の読書】
「ちっちゃいけど世界一誇りにしたい会社」坂本光司
「眠れぬ真珠」石田衣良
2010年5月24日月曜日
義理の祖母の葬儀
大阪に住んでいた義理の祖母が亡くなった。
この週末はその葬儀だった。
私も家族とともに大阪へ行ってきた。
私が結婚した当時は、孫娘のダンナが来たという事で、妻の実家に行くたびに祖母はやって来て一緒に食卓を囲んだ。私と一緒にビールを一缶開けるのが楽しみだという人であった。そんな風に祖母が喜ぶ姿は、血はつながっていなくとも、私にはなんとなく嬉しいものであった。
しかし、ここ何年かは認知症でまともな会話はできなくなっていた。
最後は身内の者でさえ誰だかわからなくなってしまっていた。
晩年の姿を見ていたら、つくづく人間は感情の動物なのだと思わされた。
そこにいるのは同じ人間なのに、あの祖母はそこにはいなかったのだ。
祖母は第1次世界大戦終結の翌年に生まれ、激動この上ない昭和の時代を生きて、3人の子供と6人の孫と12人の曾孫を残した。義母は長女であるが、そのすぐ下の弟とは8歳の年齢差がある。年の割りに子供が少ないのは、私は会うこともなかった義理の祖父が長い期間戦争に行っていたからのようだ。
その祖父はといえば、多数の戦死者を出した有名なインパール作戦の生き残りだったそうである。そんな貴重な体験をした人とは是非話をしたかったと思うのだが、会う事もなく終わってまったく残念である。戦争が終わって帰ってきた祖父に、義母が初めて会ったのは5歳の時だったそうである。その時の光景は今でも義母の脳裏に焼き付いているらしい。時代とはいえ、6年近くも家族とは離れ離れだったわけだ。戦争中は大阪も空襲があったし、幼子を抱えた祖母はかなり不安な日々を過ごしたに違いない。
そんな話を聞くと、話にしか聞く事のできない時代の一組の夫婦のドラマチックな物語を想像してしまう。もっともずっとあとになって、実は祖母には別に想っていた人がいて、その人の事をずっと忘れられずにいたのだという話を聞いた。ちょっと祖父が気の毒な気もするが、人生ってそんなものであり、またそんな人生だからこそ、真実に勝るドラマはないのかもしれない。
認知症になって子供たちのことも孫たちのことも、一時は喜んで迎えた孫娘のダンナの事もわからない世界に行って、そんな祖母の秘められ思い出はどうなってしまったのだろうとふと思う。
「心」と言っても生物学的には脳味噌の活動の結果であり、そこがイカレテしまうともうそれっきりで、死んだらすべてが無に帰してあとには何も残らない。それが現実なのかもしれないが、やっぱり心は肉体とはどこか別のところにあるようにも思える。
そんな思いからたぶん宗教なんかは生まれてきたのだろう。
お経をあげてくれたお坊さんは、「故人は西方の浄土へ帰られました」と語ってくれた。
そう考えると残された者は何となく落ち着くし、だからこそ宗教は長い年月信じられ、受け継がれてきているのかもしれない。もっとも深く考えると、浄土で祖父と誰だか知らない想い人と再会して祖母はどんな顔をしているのだろうかと、想像の幅は広がっていく。
祖母は91年の人生を生きた。
日本人の平均余命からすると、私は人生の折り返し地点を通過している。
残りの人生がどんなものか、老人となった自分はどんな暮らしをしているのか興味は尽きないが、それを決めるのはこれからの自分自身。願わくば最後の瞬間までしっかりと目を見開いて、周りの世界を見つめていたいものだと思うのである・・・
【本日の読書】
「ちっちゃいけど世界一誇りにしたい会社」坂本光司
「マドンナ」奥田英朗
この週末はその葬儀だった。
私も家族とともに大阪へ行ってきた。
私が結婚した当時は、孫娘のダンナが来たという事で、妻の実家に行くたびに祖母はやって来て一緒に食卓を囲んだ。私と一緒にビールを一缶開けるのが楽しみだという人であった。そんな風に祖母が喜ぶ姿は、血はつながっていなくとも、私にはなんとなく嬉しいものであった。
しかし、ここ何年かは認知症でまともな会話はできなくなっていた。
最後は身内の者でさえ誰だかわからなくなってしまっていた。
晩年の姿を見ていたら、つくづく人間は感情の動物なのだと思わされた。
そこにいるのは同じ人間なのに、あの祖母はそこにはいなかったのだ。
祖母は第1次世界大戦終結の翌年に生まれ、激動この上ない昭和の時代を生きて、3人の子供と6人の孫と12人の曾孫を残した。義母は長女であるが、そのすぐ下の弟とは8歳の年齢差がある。年の割りに子供が少ないのは、私は会うこともなかった義理の祖父が長い期間戦争に行っていたからのようだ。
その祖父はといえば、多数の戦死者を出した有名なインパール作戦の生き残りだったそうである。そんな貴重な体験をした人とは是非話をしたかったと思うのだが、会う事もなく終わってまったく残念である。戦争が終わって帰ってきた祖父に、義母が初めて会ったのは5歳の時だったそうである。その時の光景は今でも義母の脳裏に焼き付いているらしい。時代とはいえ、6年近くも家族とは離れ離れだったわけだ。戦争中は大阪も空襲があったし、幼子を抱えた祖母はかなり不安な日々を過ごしたに違いない。
そんな話を聞くと、話にしか聞く事のできない時代の一組の夫婦のドラマチックな物語を想像してしまう。もっともずっとあとになって、実は祖母には別に想っていた人がいて、その人の事をずっと忘れられずにいたのだという話を聞いた。ちょっと祖父が気の毒な気もするが、人生ってそんなものであり、またそんな人生だからこそ、真実に勝るドラマはないのかもしれない。
認知症になって子供たちのことも孫たちのことも、一時は喜んで迎えた孫娘のダンナの事もわからない世界に行って、そんな祖母の秘められ思い出はどうなってしまったのだろうとふと思う。
「心」と言っても生物学的には脳味噌の活動の結果であり、そこがイカレテしまうともうそれっきりで、死んだらすべてが無に帰してあとには何も残らない。それが現実なのかもしれないが、やっぱり心は肉体とはどこか別のところにあるようにも思える。
そんな思いからたぶん宗教なんかは生まれてきたのだろう。
お経をあげてくれたお坊さんは、「故人は西方の浄土へ帰られました」と語ってくれた。
そう考えると残された者は何となく落ち着くし、だからこそ宗教は長い年月信じられ、受け継がれてきているのかもしれない。もっとも深く考えると、浄土で祖父と誰だか知らない想い人と再会して祖母はどんな顔をしているのだろうかと、想像の幅は広がっていく。
祖母は91年の人生を生きた。
日本人の平均余命からすると、私は人生の折り返し地点を通過している。
残りの人生がどんなものか、老人となった自分はどんな暮らしをしているのか興味は尽きないが、それを決めるのはこれからの自分自身。願わくば最後の瞬間までしっかりと目を見開いて、周りの世界を見つめていたいものだと思うのである・・・
【本日の読書】
「ちっちゃいけど世界一誇りにしたい会社」坂本光司
「マドンナ」奥田英朗
2010年5月16日日曜日
舞台裏
5歳になる長男は毎週日曜日の朝を楽しみにしている。
それはテレビで「仮面ライダーW」をやっているからである。
最近では仮面ライダーアクセルというもう一人正義の味方の仮面ライダーが登場。
子供の説明によると、どうやらアクセルの方がWよりも強そうなのだと言う。
たまに行くおもちゃ売り場にも仮面ライダーアクセルのベルトが目につくようになった。
そういえば、昨年のクリスマスに長男が仮面ライダーのベルトを欲しがり、探しに行ったものの、巷ではことごとく売り切れで、オークションでは3~4倍の価格もつけていた事が脳裏をよぎる。
今ではすっかり落ち着いていて、ベルトも正常価格(4,500円くらい)で売られている。

そんな仮面ライダーWであるが、最近はさらに進化。
仮面ライダーWエクストリームとなって、どうやらアクセルよりも強くなり、主人公らしくなってきたとのこと。
その進化にあわせて何やらまた凄い武器が出てきた。
これもまたガイアメモリというメモリを差し込んで使うのであるが、テレビで観ていると、「使う準備をしている間にやられてしまうんじゃないの」(戦っている最中に「○○メモリ!」とか言って4つも差し込むのである)なんて言うのは野暮なんだろうな・・・

それを観ていてふと思った。
こうした進化は子供も観ていて面白いし、飽きないのであろう。そしておもちゃ売り場には新しいグッズが並び、子供がおねだりしてそれを買ってもらう。ベルトを買ってもらって終わりではなく、次々と関連商品を出して2度3度と買わせる。実によくできている。
メーカーも番組のスポンサーとなって資金提供し、制作側はそれで番組を作る。それを観た子供向けにメーカーは関連グッズを売り出し収益を上げる。そしてその収益で次の番組の資金提供をする。一連の収穫サイクルが出来上がっている。ヒーローの進化の裏側をこんな風にみてしまうと元も子もないのかもしれない。
「商い」は「飽きない」とよく言われるが、子供たちを飽きさせない事がすなわち息の長い商売と言えるのだろう。大人のトレンディードラマはだいたい3カ月サイクルであるが、この仮面ライダーは昨年の9月から放映を開始し、まだ続いている。たぶん一年くらいやるのであろう。そうしてまたクリスマスを意識して次の仮面ライダーが登場するのだろう。
まあどんなに進化したところで、我が家の長男にとっては関係ない。
4月のお誕生日とクリスマス以外には高額なおもちゃは買ってもらえないからだ。
メーカーの戦略も我が家には通用しない。
もっともお誕生日のプレゼントには「天装戦隊ゴセイジャー」のグッズを買ってもらった長男。
メーカーにとってみれば最も子供たちの関心を集めるところに集中させないといけないから、それはそれで大変なのかもしれない。
ヒーローが活躍するのも簡単ではないようである・・・
【本日の読書】
なし
それはテレビで「仮面ライダーW」をやっているからである。
最近では仮面ライダーアクセルというもう一人正義の味方の仮面ライダーが登場。
子供の説明によると、どうやらアクセルの方がWよりも強そうなのだと言う。
たまに行くおもちゃ売り場にも仮面ライダーアクセルのベルトが目につくようになった。
そういえば、昨年のクリスマスに長男が仮面ライダーのベルトを欲しがり、探しに行ったものの、巷ではことごとく売り切れで、オークションでは3~4倍の価格もつけていた事が脳裏をよぎる。
今ではすっかり落ち着いていて、ベルトも正常価格(4,500円くらい)で売られている。

そんな仮面ライダーWであるが、最近はさらに進化。
仮面ライダーWエクストリームとなって、どうやらアクセルよりも強くなり、主人公らしくなってきたとのこと。
その進化にあわせて何やらまた凄い武器が出てきた。
これもまたガイアメモリというメモリを差し込んで使うのであるが、テレビで観ていると、「使う準備をしている間にやられてしまうんじゃないの」(戦っている最中に「○○メモリ!」とか言って4つも差し込むのである)なんて言うのは野暮なんだろうな・・・

それを観ていてふと思った。
こうした進化は子供も観ていて面白いし、飽きないのであろう。そしておもちゃ売り場には新しいグッズが並び、子供がおねだりしてそれを買ってもらう。ベルトを買ってもらって終わりではなく、次々と関連商品を出して2度3度と買わせる。実によくできている。
メーカーも番組のスポンサーとなって資金提供し、制作側はそれで番組を作る。それを観た子供向けにメーカーは関連グッズを売り出し収益を上げる。そしてその収益で次の番組の資金提供をする。一連の収穫サイクルが出来上がっている。ヒーローの進化の裏側をこんな風にみてしまうと元も子もないのかもしれない。
「商い」は「飽きない」とよく言われるが、子供たちを飽きさせない事がすなわち息の長い商売と言えるのだろう。大人のトレンディードラマはだいたい3カ月サイクルであるが、この仮面ライダーは昨年の9月から放映を開始し、まだ続いている。たぶん一年くらいやるのであろう。そうしてまたクリスマスを意識して次の仮面ライダーが登場するのだろう。
まあどんなに進化したところで、我が家の長男にとっては関係ない。
4月のお誕生日とクリスマス以外には高額なおもちゃは買ってもらえないからだ。
メーカーの戦略も我が家には通用しない。
もっともお誕生日のプレゼントには「天装戦隊ゴセイジャー」のグッズを買ってもらった長男。
メーカーにとってみれば最も子供たちの関心を集めるところに集中させないといけないから、それはそれで大変なのかもしれない。
ヒーローが活躍するのも簡単ではないようである・・・
【本日の読書】
なし
2010年5月14日金曜日
ただ自分の為でなく
先日、小学校の保護者会での話を妻に聞いた。
長女はこの春から4年生。
クラス替えはなく、そのままの進級である。
そして初回の保護者会では役員決めがあったそうである。
年間を通して保護者にも学校行事を手伝ってもらおうという事で、いろいろな役が決まっている。
そしてこれが毎年揉めるのだそうである。というのもみんなやりたがらないからなのである。不公平を無くすためにも2年間のうち1年やればお役御免と決まっているらしい。妻は昨年役員をやり、今年はお役御免の年。ところが次が決まらない。
みんなあれやこれやとできない理由を言って引き受け手がいない。
「上の子が受験だから」と言い訳をするお母さんには、妻も思わず「あんたも勉強するんかい!」と心の中で突っ込みを入れたそうである。もっとひどいのは「来年やる」と言っていた人が、今年は保護者会に来なかったらしい。欠席者を指名するわけにもいかず、まさに「逃げるが勝ち」のようである。延々と話し合いが続き、ようやく決まったらしいが、長時間にわたる不毛な話し合いの末、妻は厭な気分で帰ってきたらしい。
お母さんたちの気持ちもわからなくもない。何もそんな面倒なこと、好き好んでやりたくもないと言うのだろう。だがなぁと思わず嘆かわしい気持ちになる。自分の子供の通う学校ではないか。役員と言っても月に1回集まる程度の事らしい。そんなに大きな負担になるものでもない。やったらいいじゃないかと思う。
私だったら喜んで引き受けるところだ。
「パパじゃだめなの?」と聞いたら、会合はたいてい平日の昼間だという。
サラリーマンに務まるものでもない。およそ学校の役員となると、みんなそうみたいだから歯がゆい限りである。
考えてみれば我々はこれだけ平和で豊かな社会で暮らしていられるわけである。それを維持していくには当然の事ながら一人ひとりの協力が必要なわけで、そうした努力を惜しんではいけないわけである。みんなが少しずつ負担すれば、各々少ない負担で全体としては大きな負荷のかかる事も可能となる。
子供の学校だってそう。
自分の子供をいい学校に通わせたいと誰でも思うだろう。
それであるならば、その運営のほんの一端に積極的に関わるのは当然の事だ。
労せずおいしいところだけ持っていこうとするのはいかがなものかと思う。
私立ならともかく、公立の『公』の中には自分も含まれているのだという事を忘れてはいけない。
以前幼稚園のお遊戯会を観に行った時の事。
園長先生が挨拶した時、ぺちゃくちゃとおしゃべりするお母さんたちのざわめきで、園長先生の話がほとんど聞き取れなかった事があった。
「自分の子供が、先生が話している時にぺちゃくちゃおしゃべりしていたら、あんたたちは何と言うのだ!」とよっぽど注意しようかと思った。
子供にはあれこれ注意するくせに自分はやらないと言う親も実は多い。
自分の子供が学校で面倒な係、みんなのために働くような事は一切やりたくない、というような子供になったら、それでもいいのだろうか。我が子にはこうなってほしいと思う姿を親なら自ら実践して示さないといけない。権利ばかり主張し、義務や奉仕の精神を放棄する人間にはなってほしくない。そんな事を改めて思うのである・・・
【本日の読書】
「職業“振り込め詐欺”」NHKスペシャル取材班
「珍妃の井戸」浅田 次郎
長女はこの春から4年生。
クラス替えはなく、そのままの進級である。
そして初回の保護者会では役員決めがあったそうである。
年間を通して保護者にも学校行事を手伝ってもらおうという事で、いろいろな役が決まっている。
そしてこれが毎年揉めるのだそうである。というのもみんなやりたがらないからなのである。不公平を無くすためにも2年間のうち1年やればお役御免と決まっているらしい。妻は昨年役員をやり、今年はお役御免の年。ところが次が決まらない。
みんなあれやこれやとできない理由を言って引き受け手がいない。
「上の子が受験だから」と言い訳をするお母さんには、妻も思わず「あんたも勉強するんかい!」と心の中で突っ込みを入れたそうである。もっとひどいのは「来年やる」と言っていた人が、今年は保護者会に来なかったらしい。欠席者を指名するわけにもいかず、まさに「逃げるが勝ち」のようである。延々と話し合いが続き、ようやく決まったらしいが、長時間にわたる不毛な話し合いの末、妻は厭な気分で帰ってきたらしい。
お母さんたちの気持ちもわからなくもない。何もそんな面倒なこと、好き好んでやりたくもないと言うのだろう。だがなぁと思わず嘆かわしい気持ちになる。自分の子供の通う学校ではないか。役員と言っても月に1回集まる程度の事らしい。そんなに大きな負担になるものでもない。やったらいいじゃないかと思う。
私だったら喜んで引き受けるところだ。
「パパじゃだめなの?」と聞いたら、会合はたいてい平日の昼間だという。
サラリーマンに務まるものでもない。およそ学校の役員となると、みんなそうみたいだから歯がゆい限りである。
考えてみれば我々はこれだけ平和で豊かな社会で暮らしていられるわけである。それを維持していくには当然の事ながら一人ひとりの協力が必要なわけで、そうした努力を惜しんではいけないわけである。みんなが少しずつ負担すれば、各々少ない負担で全体としては大きな負荷のかかる事も可能となる。
子供の学校だってそう。
自分の子供をいい学校に通わせたいと誰でも思うだろう。
それであるならば、その運営のほんの一端に積極的に関わるのは当然の事だ。
労せずおいしいところだけ持っていこうとするのはいかがなものかと思う。
私立ならともかく、公立の『公』の中には自分も含まれているのだという事を忘れてはいけない。
以前幼稚園のお遊戯会を観に行った時の事。
園長先生が挨拶した時、ぺちゃくちゃとおしゃべりするお母さんたちのざわめきで、園長先生の話がほとんど聞き取れなかった事があった。
「自分の子供が、先生が話している時にぺちゃくちゃおしゃべりしていたら、あんたたちは何と言うのだ!」とよっぽど注意しようかと思った。
子供にはあれこれ注意するくせに自分はやらないと言う親も実は多い。
自分の子供が学校で面倒な係、みんなのために働くような事は一切やりたくない、というような子供になったら、それでもいいのだろうか。我が子にはこうなってほしいと思う姿を親なら自ら実践して示さないといけない。権利ばかり主張し、義務や奉仕の精神を放棄する人間にはなってほしくない。そんな事を改めて思うのである・・・
【本日の読書】
「職業“振り込め詐欺”」NHKスペシャル取材班
「珍妃の井戸」浅田 次郎
2010年5月13日木曜日
4年制大学
母校の財団のお手伝いをさせていただいている関係で、母校の情報が時折入ってくる。
ちょっと前にこの春の進学情報をいただいた。
卒業生の78.2%が大学へ進学したようである。
ここである数字に目がとまった。
「短期大学進学3人」
一瞬、えっと思う数字だ。
我々の頃は、女性は短大へ進学する人が多かった。
就職も珍しくなかったし、逆に4年制の大学に進学する人が少なかったようにも記憶している。
それが今では短大進学の方が珍しいようである。
まあ男女同権が進んできているし、「女は早く社会に出て花嫁修業をして結婚するもの」という価値観が確実に過去のものになっている証なのだろう。
さて、そんな時代の4年制大学の実情はどうなのだろう。
私自身、大学に入ってまず閉口したのは、「一般教養課程」だ。
吐くほど勉強して大学に入ったのに、また高校の延長のような授業が、「一般教養課程」として用意されていた。法学部に入って、やる気満々で早く法律の勉強をしたいと思っていたのに、法律の「専門課程」は3年になってからで、2年間もお預けだったのだ(もっとも初歩の法律講座は用意されていたが・・・)。ご丁寧に2年間も「高校のような授業」を受けないといけない事実に愕然としたものだ。「一般教養課程」には語学や自然科学系の授業に加えて、なんと体育まであったのである。
耐えがたい苦痛は英語と体育だった。
金髪の女性講師と楽しいレッスンならまだわかるが、テキストをただ訳すだけの授業は苦痛以外の何ものでもなかった。そんな事、宅浪の時代に毎日嫌になるほどやったのだ。
体育だって、体育会ラグビー部で必要以上に運動するのに、何が悲しくて明らかに運動音痴の同級生と体育しなけりゃならんのだと、憤懣やるかたなかった。
それでも英語の授業は一つ上のラグビー部のK先輩と一緒に受けており、その先輩の奇妙奇天烈な「英文和訳」が面白くて、それが救いだった。
練習の合間に仲間に披露しては楽しんでいたな。
(それにしてもK先輩はよくあれで受験に受かったものだと今でも思う)
第二外国語はロシア語を選択したが、英語以外の言語をきちんと学ぶというのはいい刺激だった。
もうすっかり忘れてしまったが、今でも聞けばロシア語だという事はわかるし、映画なんか観ていても「ロシア語なまりの英語」なんかも聞き分けられるから、それなりに意味はあったのだろう。
体育は定期的に種目を選択する方式だったが、運動しなくて済むという理由だけでアーチェリーを選択した。(3か月単位くらいで選べたのだ)
後にも先にもアーチェリーをしたのはあの時だけだ。
(アーチェリーが体育かどうかはこの際おいておく事にしよう)
何事も経験であるから、あれも良い経験だった。
それに硬式テニスは、いつか女子大生とテニスコートで愛を育もうという夢のためには必要だったし、その夢は果たせなかったものの、社会人になって好きな女性と二人でテニスを楽しんだ時には大いに役立った。やっぱり運動神経とセンスだけではスポーツは覚束ない。あの時基礎を教わったのが生きたのだ。
そう考えてみると「一般教養課程」も無駄ではないのかもしれない。
(どっちなんだと言われそうだ)
まあ人生に無駄な事はないという事で、無理やり結論付けることにしよう。
この春4年制大学に進んだ母校の後輩たちは、どんなキャンパスライフを始めたのだろうか。
それなりに有意義な時間を過ごしてほしいと思うのである・・・
【本日の読書】
「2000社の赤字会社を黒字にした社長のノート」長谷川和廣
「珍妃の井戸」浅田次郎
ちょっと前にこの春の進学情報をいただいた。
卒業生の78.2%が大学へ進学したようである。
ここである数字に目がとまった。
「短期大学進学3人」
一瞬、えっと思う数字だ。
我々の頃は、女性は短大へ進学する人が多かった。
就職も珍しくなかったし、逆に4年制の大学に進学する人が少なかったようにも記憶している。
それが今では短大進学の方が珍しいようである。
まあ男女同権が進んできているし、「女は早く社会に出て花嫁修業をして結婚するもの」という価値観が確実に過去のものになっている証なのだろう。
さて、そんな時代の4年制大学の実情はどうなのだろう。
私自身、大学に入ってまず閉口したのは、「一般教養課程」だ。
吐くほど勉強して大学に入ったのに、また高校の延長のような授業が、「一般教養課程」として用意されていた。法学部に入って、やる気満々で早く法律の勉強をしたいと思っていたのに、法律の「専門課程」は3年になってからで、2年間もお預けだったのだ(もっとも初歩の法律講座は用意されていたが・・・)。ご丁寧に2年間も「高校のような授業」を受けないといけない事実に愕然としたものだ。「一般教養課程」には語学や自然科学系の授業に加えて、なんと体育まであったのである。
耐えがたい苦痛は英語と体育だった。
金髪の女性講師と楽しいレッスンならまだわかるが、テキストをただ訳すだけの授業は苦痛以外の何ものでもなかった。そんな事、宅浪の時代に毎日嫌になるほどやったのだ。
体育だって、体育会ラグビー部で必要以上に運動するのに、何が悲しくて明らかに運動音痴の同級生と体育しなけりゃならんのだと、憤懣やるかたなかった。
それでも英語の授業は一つ上のラグビー部のK先輩と一緒に受けており、その先輩の奇妙奇天烈な「英文和訳」が面白くて、それが救いだった。
練習の合間に仲間に披露しては楽しんでいたな。
(それにしてもK先輩はよくあれで受験に受かったものだと今でも思う)
第二外国語はロシア語を選択したが、英語以外の言語をきちんと学ぶというのはいい刺激だった。
もうすっかり忘れてしまったが、今でも聞けばロシア語だという事はわかるし、映画なんか観ていても「ロシア語なまりの英語」なんかも聞き分けられるから、それなりに意味はあったのだろう。
体育は定期的に種目を選択する方式だったが、運動しなくて済むという理由だけでアーチェリーを選択した。(3か月単位くらいで選べたのだ)
後にも先にもアーチェリーをしたのはあの時だけだ。
(アーチェリーが体育かどうかはこの際おいておく事にしよう)
何事も経験であるから、あれも良い経験だった。
それに硬式テニスは、いつか女子大生とテニスコートで愛を育もうという夢のためには必要だったし、その夢は果たせなかったものの、社会人になって好きな女性と二人でテニスを楽しんだ時には大いに役立った。やっぱり運動神経とセンスだけではスポーツは覚束ない。あの時基礎を教わったのが生きたのだ。
そう考えてみると「一般教養課程」も無駄ではないのかもしれない。
(どっちなんだと言われそうだ)
まあ人生に無駄な事はないという事で、無理やり結論付けることにしよう。
この春4年制大学に進んだ母校の後輩たちは、どんなキャンパスライフを始めたのだろうか。
それなりに有意義な時間を過ごしてほしいと思うのである・・・
【本日の読書】
「2000社の赤字会社を黒字にした社長のノート」長谷川和廣
「珍妃の井戸」浅田次郎
2010年5月11日火曜日
基地問題
沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ
海軍中将 大田 実
鳩山さんが普天間問題で窮地に陥っている。
まあ自業自得的なところがあるから仕方がないのかもしれない。
一国の首相だから当然政策ブレーンも一流の人が付いているはず。
ニュースでしか知り得ない我々とは到底比べようがない情報があるはず。
その上で政策を決めているのだからああせざるを得ないのかな、とも思うのだが、素人の私でも「基地は沖縄以外に移しようがない」とずっと思っていたので、どうしてあんなに迷走するんだろうと不思議である。
日本人は戦後、アメリカの薬が効きすぎてすっかり戦争アレルギーになってしまった。
もちろん、それは悪くないのであるが、世の中に警察が必要なように軍事力は不可欠なのだと思う。
核兵器と一緒で使わなくても、だ。
むしろ持っていて使わない努力をする事が大切なのだろう。
世界の先進国はみなそうだ。
国益の為に積極的に戦争をしているのは、いまやアメリカだけだ。
使わなくとも必要なもの、警察官の拳銃のようなものであろうか、軍隊とはそんなもので米軍にやってもらうのが嫌なら自分たちで賄うしかない。
本当は順番が逆のような気がする。
米軍が必要だという事を国民の間にもっと浸透させないといけない。
私自身どのくらい必要なのかと聞かれたら、何となく必要なのだろうという感じしかしない。
実際は中国の脅威とかもっとあるみたいだし、そうした情報を開示して国民に理解を求めないと、たぶん「米軍なんていらないじゃん」とどこかの党首のおばさんみたいに思っている人もたくさんいるはずだ。
連日の騒動なのに、国民の大半が、「何かやっているな」くらいにしか思っていないのではないだろうか。自分たちのところに来るとなったら猛反対するが、よそならいいやと思っているのではないか。本当はもっと国民的な議論にならないといけないはずだ。鳩山さんだけが頭を下げる問題ではないはずだ。
ある人が語っていた。
雪国に住んでいたら「雪は嫌いだ」などと言っていられない。
嫌なら出ていくしかない。
それと同じで、国境では必ず国防という問題を避けて通れないと。
国境に住んでいたら基地は嫌だとは言っていられない、と。
その意見には一理あると思う。
ただ「だから仕方ないだろう」と押しつけるのもいかがなものかだ。
その分、何かで優遇はされるべきだろう。
住民税がタダとか、固定資産税がタダとか、授業料がタダだとか、他にはないメリットがたくさんないとそれは不公平というものだろう。
みんな問題の本質をよく理解しないまま、人ごとだと思って鳩山さん一人をダメな首相だと言っているような気がする・・・
冒頭の大田中将の決別電報は有名なものだが、何度読んでも胸が熱くなる。
こうした過去も踏まえ、もっと国を挙げて深い議論をするべきではないか、と思うのである・・・
【本日の読書】
「職業“振り込め詐欺”」NHKスペシャル取材班
「パラドックス13」東野圭吾
海軍中将 大田 実
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鳩山さんが普天間問題で窮地に陥っている。
まあ自業自得的なところがあるから仕方がないのかもしれない。
一国の首相だから当然政策ブレーンも一流の人が付いているはず。
ニュースでしか知り得ない我々とは到底比べようがない情報があるはず。
その上で政策を決めているのだからああせざるを得ないのかな、とも思うのだが、素人の私でも「基地は沖縄以外に移しようがない」とずっと思っていたので、どうしてあんなに迷走するんだろうと不思議である。
日本人は戦後、アメリカの薬が効きすぎてすっかり戦争アレルギーになってしまった。
もちろん、それは悪くないのであるが、世の中に警察が必要なように軍事力は不可欠なのだと思う。
核兵器と一緒で使わなくても、だ。
むしろ持っていて使わない努力をする事が大切なのだろう。
世界の先進国はみなそうだ。
国益の為に積極的に戦争をしているのは、いまやアメリカだけだ。
使わなくとも必要なもの、警察官の拳銃のようなものであろうか、軍隊とはそんなもので米軍にやってもらうのが嫌なら自分たちで賄うしかない。
本当は順番が逆のような気がする。
米軍が必要だという事を国民の間にもっと浸透させないといけない。
私自身どのくらい必要なのかと聞かれたら、何となく必要なのだろうという感じしかしない。
実際は中国の脅威とかもっとあるみたいだし、そうした情報を開示して国民に理解を求めないと、たぶん「米軍なんていらないじゃん」とどこかの党首のおばさんみたいに思っている人もたくさんいるはずだ。
連日の騒動なのに、国民の大半が、「何かやっているな」くらいにしか思っていないのではないだろうか。自分たちのところに来るとなったら猛反対するが、よそならいいやと思っているのではないか。本当はもっと国民的な議論にならないといけないはずだ。鳩山さんだけが頭を下げる問題ではないはずだ。
ある人が語っていた。
雪国に住んでいたら「雪は嫌いだ」などと言っていられない。
嫌なら出ていくしかない。
それと同じで、国境では必ず国防という問題を避けて通れないと。
国境に住んでいたら基地は嫌だとは言っていられない、と。
その意見には一理あると思う。
ただ「だから仕方ないだろう」と押しつけるのもいかがなものかだ。
その分、何かで優遇はされるべきだろう。
住民税がタダとか、固定資産税がタダとか、授業料がタダだとか、他にはないメリットがたくさんないとそれは不公平というものだろう。
みんな問題の本質をよく理解しないまま、人ごとだと思って鳩山さん一人をダメな首相だと言っているような気がする・・・
冒頭の大田中将の決別電報は有名なものだが、何度読んでも胸が熱くなる。
こうした過去も踏まえ、もっと国を挙げて深い議論をするべきではないか、と思うのである・・・
【本日の読書】
「職業“振り込め詐欺”」NHKスペシャル取材班
「パラドックス13」東野圭吾
2010年5月9日日曜日
Youtubeを楽しむ
私は普段パソコンの前に座っている時間が多い方だと思う。
ブログを書く他にもいろいろとやりたい事があってそれをやっている。
またアンテナを張り巡らせており、それに引っ掛かってきたものを楽しんでいたりもする。
最近はYoutubeを利用した動画モノが増えてきた。
これがけっこう面白い。
例えば昨年紅白に出場したイギリスのスーザン・ボイルさん。
イギリスのBritains Got Talentという番組に出演して火がついた人である。
この番組は言ってみれば「素人腕自慢」というべきもので、さまざまな参加者が我こそはと得意技を持ち寄って競う番組である。
ここに登場したボイルさん、47歳の太っちょのおばさんで、登場すると名歌手エレン・ペイジみたいな歌手になりたいなどと言うものだから、審査員も鼻で笑ってしまう。
ところが歌い始めるとそのあまりの美声にみんな言葉を失ってしまう。
歌い終わるとスタンディングオベーション。
素晴らしい歌声と呆気にとられる審査員の様子が感動的である。
これを観ていたので、紅白に出場した時は、ここまできたかと感慨深いものがあった。
スーザン・ボイル
また同じ番組で登場するポール・ボッツさん。
携帯電話のセールスマンをしているという彼は、どうみても冴えないおじさん。
オペラ歌手になりたいけど自信がないと、どこかおどおどして語る彼。
その彼が歌い始めると会場にどよめきが走る。
冷やかな視線がスタンディング・オベーションへと変わる様子は観ていて心地良い。
ポール・ボッツ
さらに同じ番組のアメリカ版がある。
ここで登場するテリーさんは腹話術で歌を披露してくれる。
パペットを変え、声音も様々使い分けて別の意味で凄いと感じてしまう。
1000の声を持つ男と紹介されているが、見ていても楽しい。
日本のいっこく堂も凄いが、この人も凄い。
テリー・フェイター
同じような種類の番組の、今度は台湾版。
登場するのは台湾人の男の子。
ちょっとデブっちょでオタク風の外見は、絶対女の子にもてそうもないのだが、「アベ・マリア」や「I will always love you」を歌ってしまう。
これが絶品で、「I will always love you」などはホイットニー・ヒューストンも真っ青というシロモノである。
Lin Yu-Chun
関連するところをいろいろと観ているとあっという間に時間が過ぎてしまうのが難点か。
普段テレビはあまり見ないのだが、こういうものは見てしまう。
まあ面白い時代になったものだと思う。
これからもいろいろと楽しみたいと思うのである・・・
【本日の読書】
「パラドックス13」東野圭吾
ブログを書く他にもいろいろとやりたい事があってそれをやっている。
またアンテナを張り巡らせており、それに引っ掛かってきたものを楽しんでいたりもする。
最近はYoutubeを利用した動画モノが増えてきた。
これがけっこう面白い。
例えば昨年紅白に出場したイギリスのスーザン・ボイルさん。
イギリスのBritains Got Talentという番組に出演して火がついた人である。
この番組は言ってみれば「素人腕自慢」というべきもので、さまざまな参加者が我こそはと得意技を持ち寄って競う番組である。
ここに登場したボイルさん、47歳の太っちょのおばさんで、登場すると名歌手エレン・ペイジみたいな歌手になりたいなどと言うものだから、審査員も鼻で笑ってしまう。
ところが歌い始めるとそのあまりの美声にみんな言葉を失ってしまう。
歌い終わるとスタンディングオベーション。
素晴らしい歌声と呆気にとられる審査員の様子が感動的である。
これを観ていたので、紅白に出場した時は、ここまできたかと感慨深いものがあった。
スーザン・ボイル
また同じ番組で登場するポール・ボッツさん。
携帯電話のセールスマンをしているという彼は、どうみても冴えないおじさん。
オペラ歌手になりたいけど自信がないと、どこかおどおどして語る彼。
その彼が歌い始めると会場にどよめきが走る。
冷やかな視線がスタンディング・オベーションへと変わる様子は観ていて心地良い。
ポール・ボッツ
さらに同じ番組のアメリカ版がある。
ここで登場するテリーさんは腹話術で歌を披露してくれる。
パペットを変え、声音も様々使い分けて別の意味で凄いと感じてしまう。
1000の声を持つ男と紹介されているが、見ていても楽しい。
日本のいっこく堂も凄いが、この人も凄い。
テリー・フェイター
同じような種類の番組の、今度は台湾版。
登場するのは台湾人の男の子。
ちょっとデブっちょでオタク風の外見は、絶対女の子にもてそうもないのだが、「アベ・マリア」や「I will always love you」を歌ってしまう。
これが絶品で、「I will always love you」などはホイットニー・ヒューストンも真っ青というシロモノである。
Lin Yu-Chun
関連するところをいろいろと観ているとあっという間に時間が過ぎてしまうのが難点か。
普段テレビはあまり見ないのだが、こういうものは見てしまう。
まあ面白い時代になったものだと思う。
これからもいろいろと楽しみたいと思うのである・・・
【本日の読書】
「パラドックス13」東野圭吾
2010年5月8日土曜日
ドライバーズ・マナー
キャンプに行った友人がブログでマナーの悪いキャンパーたちの事を嘆いていた。
そういえば私も最近あちこちでマナーの悪さを感じる事がある。
GWに潮干狩りに行った帰りには、ドライバーのそれに閉口した。
場所が場所なだけにマナーが悪いだけでは済まないケースもあるので、本当に嘆かわしい。
最初はようやくアクアラインの渋滞を抜けだして首都高を走り始めた時の事だ。
そこは左右から来た路線が合流し、また左右に分かれていく地点だった。
私は右の路線から左の路線へ行くべく車線変更をしようとした。
ある車の動きに合わせてウィンカーを出し、その車の後ろに入ろうとした。
ところが、その後ろを走っていた車がスピードを上げて車間をつめてきたのだ。
普通はスピードを維持し入れるところだ。
何せここは左右の路線が合流し分岐していくポイントだ。
多くの車が左に右にと車線変更する。
行く先に合わせた、いわば「不可欠な車線変更」だ。
車間をつめて入れないなどという行為は事故につながりかねない危険な行為だ。
その場は事なきを得たが、憤慨しながら高島平の出口に向かっているところで次の行為だ。
ここは右車線が出口へと繋がっている。
もう次だという事で私も右側の追い越し車線を走っていた。
前後と隣の走行車線も車が多く、私も前の車との車間が少し近い事を気にしながら時速80キロで走行していた。
その時一台の車がうしろにピタッとつけてきた。
車間距離も何もあったものではない。
明らかに煽ってきていた。
普通の場面なら隣に移って通すところだ。
だが私はもうじき出口で降りるし、しかも前の車との車間もそんなにあいていない。
隣の走行車線も同じで無理に車線変更するようなスペースもなかった。
そんな状況は後ろでも十分わかるはず。
腹立たしい限りだった。
極めつけは自宅近く。
いつもの角を左折したら目の前を自転車がよぎった。
幸い減速していたのですぐに止まったが、後ろから猛烈なクラクション。
自転車が見えなかったのかもしれないし、それだけなら腹を立てるほどでもないのだが、そこからすぐの踏み切りで停止したところでその車が後ろでアクセルを空ぶかしして威嚇してきた。
まだ文句が言い足りなかったのだろう。
立て続けなので私も頭にきた。
踏切が開いたが、あえて車を出さなかった。
後ろの車はいったんクラクションを鳴らしてきたが、それを無視して止まっていた。
その間、ほんの10~20秒程度であったと思うのだが、それで十分にこちらの意図は伝わったようで、そのあと徐行したら大人しくついてきてそれ以上何もなかった。
振り返ってみても私が運転が下手で周りに迷惑をかけていたとは思えない。
家族みんなが乗っているし、安全運転は当然だが、周りの車の動きに合わせて流れを維持するようにも心掛けている。なのでこうした行為はよけい腹立たしい。
合流は交互に入る、暗くなり始めたら前後の車のために早目に点灯する、そうしたちょっとした事でさえできていないドライバーはけっこう多い。
狭い国土でこれだけの車社会。
快適に過ごすためにはマナーは必要だ。
今は教習所できちんと教えているのだろうか。
免許の更新時にもマナー講座などもやってほしいものだ。
そんな事をつくづくと考えたのである・・・
(今思い出しても腹立たしい限りである)
【本日の読書】
「パラドックス13」東野圭吾
そういえば私も最近あちこちでマナーの悪さを感じる事がある。
GWに潮干狩りに行った帰りには、ドライバーのそれに閉口した。
場所が場所なだけにマナーが悪いだけでは済まないケースもあるので、本当に嘆かわしい。
最初はようやくアクアラインの渋滞を抜けだして首都高を走り始めた時の事だ。
そこは左右から来た路線が合流し、また左右に分かれていく地点だった。
私は右の路線から左の路線へ行くべく車線変更をしようとした。
ある車の動きに合わせてウィンカーを出し、その車の後ろに入ろうとした。
ところが、その後ろを走っていた車がスピードを上げて車間をつめてきたのだ。
普通はスピードを維持し入れるところだ。
何せここは左右の路線が合流し分岐していくポイントだ。
多くの車が左に右にと車線変更する。
行く先に合わせた、いわば「不可欠な車線変更」だ。
車間をつめて入れないなどという行為は事故につながりかねない危険な行為だ。
その場は事なきを得たが、憤慨しながら高島平の出口に向かっているところで次の行為だ。
ここは右車線が出口へと繋がっている。
もう次だという事で私も右側の追い越し車線を走っていた。
前後と隣の走行車線も車が多く、私も前の車との車間が少し近い事を気にしながら時速80キロで走行していた。
その時一台の車がうしろにピタッとつけてきた。
車間距離も何もあったものではない。
明らかに煽ってきていた。
普通の場面なら隣に移って通すところだ。
だが私はもうじき出口で降りるし、しかも前の車との車間もそんなにあいていない。
隣の走行車線も同じで無理に車線変更するようなスペースもなかった。
そんな状況は後ろでも十分わかるはず。
腹立たしい限りだった。
極めつけは自宅近く。
いつもの角を左折したら目の前を自転車がよぎった。
幸い減速していたのですぐに止まったが、後ろから猛烈なクラクション。
自転車が見えなかったのかもしれないし、それだけなら腹を立てるほどでもないのだが、そこからすぐの踏み切りで停止したところでその車が後ろでアクセルを空ぶかしして威嚇してきた。
まだ文句が言い足りなかったのだろう。
立て続けなので私も頭にきた。
踏切が開いたが、あえて車を出さなかった。
後ろの車はいったんクラクションを鳴らしてきたが、それを無視して止まっていた。
その間、ほんの10~20秒程度であったと思うのだが、それで十分にこちらの意図は伝わったようで、そのあと徐行したら大人しくついてきてそれ以上何もなかった。
振り返ってみても私が運転が下手で周りに迷惑をかけていたとは思えない。
家族みんなが乗っているし、安全運転は当然だが、周りの車の動きに合わせて流れを維持するようにも心掛けている。なのでこうした行為はよけい腹立たしい。
合流は交互に入る、暗くなり始めたら前後の車のために早目に点灯する、そうしたちょっとした事でさえできていないドライバーはけっこう多い。
狭い国土でこれだけの車社会。
快適に過ごすためにはマナーは必要だ。
今は教習所できちんと教えているのだろうか。
免許の更新時にもマナー講座などもやってほしいものだ。
そんな事をつくづくと考えたのである・・・
(今思い出しても腹立たしい限りである)
【本日の読書】
「パラドックス13」東野圭吾
2010年5月5日水曜日
連休の日々~完~
連休4日目は潮干狩りに行く。もうすでにこういうスケジュールを立てた事にかなり後悔が入っていたのだが、それを支えたのが「最終日は徹底的にごろごろするぞ」という思いである。出掛けて行ったのが、千葉県の富津海岸。昨年に引き続き2回目である。
近所はひっそりと静まり返っていたが、さすがに高速に乗ると渋滞である。アクアラインを抜けたあとは、昔工場見学に来た事がある新日鉄の君津製鉄所をはじめとした工業地帯を右手に見ながらのドライブ。
目的地の富津海岸は木更津南インターから車で30分ほどの距離である。
ここは地元の漁協が運営しているようで、正規の駐車場に入りきれない分は船着き場のスペースを開放して駐車場にしてくれているところからもそれが伺える。
今や漁業だけで食べていけるとも思えないし、大人1,600円、子供800円という安くはない価格設定からすると、これがかなりの収入源になっているのだろうと想像させられる。
天気は幸いにして薄曇り。
直射日光を浴びせかけられたら大変なところだったから、助かったと言える。
持参した熊手を片手に手当たり次第掘るわけである。
ここはあらかじめあさりとはまぐりを撒いているようで、そういう意味では自然の潮干狩りというものでもない。ただ、それは楽しむのには関係ない。
実際、5歳の長男に対しては、私が掘り当てたあさりをわざわざ目の前に埋めておいて、「ここ掘れワンワン」とやっていたのであるが、そんな事は知らない長男は自分の「発見」に心底喜んでいたから、まあ良いのである。
そのうち飽きて浅瀬で砂遊びにシフトしてしまったから、せめて少しでも元を取ろうとする両親と、さすがに楽しんでいる長女とで3時間ほど続けたのである。
4,000円払ったと考えると随分高いあさりであるが、体験というものを加味するのであれば、まあ十分と言える。
小学生の頃、やっぱり実家が木更津にあった友達のお母さんのお誘いで、潮干狩りに連れて行ってもらった記憶がある。その時は熊手なんかなくて、足で砂の中を探って取るという原始的な方法だった事だけ覚えている。そんな記憶があるからこそ、我が子にも経験させたいと思うのでもある。
取ってきた貝は、大きな容器に入れ海水に浸して砂抜きをする。貝が潮を吹く様子を子供たちが面白がって眺めていた。なにせその勢いは凄くて、新聞紙を一晩被せておいたのだが、朝起きたらびしょびしょになっていたぐらいである。
砂を掘って貝を取る。
砂抜きをする間、潮を吹く貝を眺める。
仕上げに調理された貝を食べる。
こうした流れを体験させるのも、良い機会だと思う。
アクアラインの渋滞と田植えスタイルでの貝取りとでさすがにへとへとになった。
朝栄養ドリンクを飲んで出掛けたのであるが、どれほどの効果があったかはわからない。
のんびりまったり優雅な連休というものに憧れる気持ちもなくはないのだが、当面はそんなものとは無縁な感じがする。
学生時代、世間の若者が海に山にと青春を謳歌している時に、私はラグビー部の夏合宿に行っていた。なんでこんな事してるんだろうと思わなくもなかったが、その代わりに大きな対価があった。けだるさと筋肉痛と日焼けだけが残ったような感じがするが、少なくとも子供たちは楽しそうだったし、長女は宿題の日記のテーマにしていたし、まあこれはこれで良かったのだろう。のんびりまったりの連休はいずれやってくるに違いない。
明日の朝はネクタイが一発で結べそうもない気がするのである・・・
【本日の読書】
「資本主義崩壊最終ラウンド」船井幸雄
2010年5月4日火曜日
続連休の日々
連休中日は再び公園だ。今回行ったのは、埼玉県にある国営武蔵丘陵森林公園。ここはとにかく広い。ちょうどこの冬に息子が補助輪なしで自転車に乗れるようになったので、みんなでサイクリングをしようというのが、今回の目的。したがって広いサイクリングコースがある、という事でここを選んだのだ。全長17キロという事であるが、適度に起伏もあって16インチの自転車をこぐ長男にはちょうどいい感じである。3/4くらい走って1時間半。ランチタイム前の運動としては、これも子供にはほどよい感じである。
園内にも貸自転車はあるのであるが、園の入り口にも貸自転車の看板がある。園内は当然公営であるが、園外は私営。両者の比較も面白い。私営の方はなんと自転車を借りると駐車場はタダとなっている。公園の駐車場が610円なのに対して、私営のそれは400円である。園の駐車場はガラガラであったが、周辺の民間駐車場はそこそこ埋まっていた。公共施設だからクレームなど出ないのであろうが、ここでも民間の商魂のたくましさを感じた。
持参した弁当を家族で食べる。
快晴ゆえに気持ちがいい事この上ない。
芝生の上にレジャーシートを敷き、食べ終わってごろりと横になる。
さわやかな風が吹くたびに頭の上の木々の葉がざわめく。
木々の葉は新緑。
生命の息吹が伝わってきそうな眩しい緑である。
そしてその上の空は真っ青。
暑くもなく、寒くもない。
いつの間にかうたた寝をしてしまったが、心地良いのなんの・・・
森林公園という名の通り、園内にいると森の中にいるような錯覚に陥る。
何せ高い建物も、道路を走る車も木々に遮られて見えないため、非日常を感じる事ができるのである。池や沼があったり、芝生の広場があったり、遊具もあるし、一日ですべて楽しもうとするのはたぶん不可能だ。
今回は何よりも天気に恵まれた。
一日半袖で過ごしても平気だったし。
4月の桜も良かったが、5月の新緑もまた良いものである。
家族連れもいて、カップルもいる。
時間ものんびりと流れているような感じがした。
忙しい日常から離れて、何だかとても贅沢な気分になって帰ってきた。
もっと足を延ばせば、そんなところはたくさんあるのだろう。
例えば親父の故郷の富士見(長野県諏訪郡)の高原などは夏の避暑には最高だ。
ただ渋滞を考えるとプラスマイナスどうかとなってしまうだろう。
ほんの一時ではあったが、最高の昼寝ができたという事だけでも有意義な連休だと思うのである・・・
2010年5月2日日曜日
我が連休の日々
5連休の初日。朝から妻に買い物を頼まれ近所のスーパーに向かう。安売りのチラシが入っていたようである。大型連休とあって世間はお出かけムード。そんな中で何とかお客さんを呼び寄せようとするスーパーの戦略なのだろう。
ふと目にしたビールのコーナーでは、「家飲み」の文字が。最近は「巣篭り消費」などと言われ、不景気で家で大人しくしている傾向があるらしいので、そんな流れをうまく捉えたキャッチフレーズなのだろう。本当に民間企業は涙ぐましい努力をしている。それに対して郵政法案が見直しとなったというニュース。我が国はどうなってしまうのだろう・・・
そして出掛けたのは小金井公園。近いというわけでもないが、車で行けば遠くもない。芝生の広場があってサイクリングコースがあって、遊具があってと子供がいるといろいろ楽しめるので、よく行くところである。同じような家族連れも多くいる。公園で遊ぶいろいろな家族をみていると本当に平和の縮図という気がしてしまう。
ここで閉園まで遊んだ後は「おふろの王様」に向かう。ここは平たく言えば銭湯なのだが、いわゆるスーパー銭湯と呼ばれるものなのだろうか、各種の湯船にさまざまな施設が付属しているちょっとしたレジャー施設である。一応温泉もあり、スパやサウナ、寝湯、座湯などの湯船がいろいろある。本格的な温泉とはいかないが、温泉気分には十分なれる。
銭湯と言えば昔は各地にあって、私も幼い頃に通った記憶がある。各家庭に風呂が普及し(私も4歳から家に風呂がある生活になった)、銭湯も次々に姿を消してしまった。実家のある武蔵小山にも何カ所か銭湯があったが、今は近くに一軒だけ残っている有り様だ。今の我が家の近所にも数年前まで銭湯があって、14年前にこの街に越してきた時に、ガスが通じるまで風呂に入れず2日間ほど通った事があった。昔ながらの銭湯だったが、その後利用する事もなく、今は分譲住宅になってしまった。
考えてみれば銭湯は我が国の伝統文化だとも言える。それがなくなってしまうのも残念な気がする(だったら通えばいいのだが、それもなぁ・・・)。しかし、形は変われどこうして残っているのはありがたい。風呂以外にも散髪やマッサージ、レストランまである。流行りの岩盤浴もあり、何かとお金を落とす仕組みができていて、それで採算を確保しているのだろう。
私も長男と二人、湯あがりにお約束のコーヒー牛乳(フルーツ牛乳とどちらにしようか迷ってしまった)を飲んだ。腰に手を当てて飲むんだとレクチャーしたのは言うまでもない。家の風呂も良いが、やっぱり大きな風呂も良い。富士山の絵はないけど、お湯は適度な温度で子供が水でうめて爺さんに怒られるという事もない。銭湯の風景は昔と違ってしまっているが、現代風の銭湯も良いものである。
武蔵小山に一軒残っている銭湯は実は温泉なのである。伝統文化維持に貢献するためにも、そのうち一度行ってみようかなと思っている。我が街にもいつか銭湯が復活しないだろうか、と思わずにはいられないのである・・・
【本日の読書】
なし
ふと目にしたビールのコーナーでは、「家飲み」の文字が。最近は「巣篭り消費」などと言われ、不景気で家で大人しくしている傾向があるらしいので、そんな流れをうまく捉えたキャッチフレーズなのだろう。本当に民間企業は涙ぐましい努力をしている。それに対して郵政法案が見直しとなったというニュース。我が国はどうなってしまうのだろう・・・
そして出掛けたのは小金井公園。近いというわけでもないが、車で行けば遠くもない。芝生の広場があってサイクリングコースがあって、遊具があってと子供がいるといろいろ楽しめるので、よく行くところである。同じような家族連れも多くいる。公園で遊ぶいろいろな家族をみていると本当に平和の縮図という気がしてしまう。
ここで閉園まで遊んだ後は「おふろの王様」に向かう。ここは平たく言えば銭湯なのだが、いわゆるスーパー銭湯と呼ばれるものなのだろうか、各種の湯船にさまざまな施設が付属しているちょっとしたレジャー施設である。一応温泉もあり、スパやサウナ、寝湯、座湯などの湯船がいろいろある。本格的な温泉とはいかないが、温泉気分には十分なれる。
銭湯と言えば昔は各地にあって、私も幼い頃に通った記憶がある。各家庭に風呂が普及し(私も4歳から家に風呂がある生活になった)、銭湯も次々に姿を消してしまった。実家のある武蔵小山にも何カ所か銭湯があったが、今は近くに一軒だけ残っている有り様だ。今の我が家の近所にも数年前まで銭湯があって、14年前にこの街に越してきた時に、ガスが通じるまで風呂に入れず2日間ほど通った事があった。昔ながらの銭湯だったが、その後利用する事もなく、今は分譲住宅になってしまった。
考えてみれば銭湯は我が国の伝統文化だとも言える。それがなくなってしまうのも残念な気がする(だったら通えばいいのだが、それもなぁ・・・)。しかし、形は変われどこうして残っているのはありがたい。風呂以外にも散髪やマッサージ、レストランまである。流行りの岩盤浴もあり、何かとお金を落とす仕組みができていて、それで採算を確保しているのだろう。
私も長男と二人、湯あがりにお約束のコーヒー牛乳(フルーツ牛乳とどちらにしようか迷ってしまった)を飲んだ。腰に手を当てて飲むんだとレクチャーしたのは言うまでもない。家の風呂も良いが、やっぱり大きな風呂も良い。富士山の絵はないけど、お湯は適度な温度で子供が水でうめて爺さんに怒られるという事もない。銭湯の風景は昔と違ってしまっているが、現代風の銭湯も良いものである。
武蔵小山に一軒残っている銭湯は実は温泉なのである。伝統文化維持に貢献するためにも、そのうち一度行ってみようかなと思っている。我が街にもいつか銭湯が復活しないだろうか、と思わずにはいられないのである・・・
【本日の読書】
なし
2010年4月29日木曜日
GWだ!
GWが始まった。私の場合、暦通りの出勤なので本日は飛び石の初日という事になる。家族そろって出かけた先は、国立科学博物館。だいぶ昔に行った記憶があるが、ほとんど忘れている。フーコーの振り子があった事だけが記憶に残っている程度だ。最近5歳の長男が恐竜にハマっていて、それじゃあ化石の実物でも見せてやるかと行く事にしたのだ。
上野駅から歩いてすぐ。中に入るといきなりフーコーの振り子があった。前の日に娘に説明しておいたが、果たしてどれくらい理解していたのだろう。ちょうどガイドツアーがスタートするところで、便乗して1時間くらい案内してもらう。日本館では日本にかかわる事柄。地球館では地球に関する事柄という具合に分かれている。
興味深かったのは、日本とイギリスとニュージーランドとの比較。同じような島国であるが、大陸とより長く地続きだった事と、緯度の微妙な差異により何と我が国の動植物は他の2国に比べて圧倒的な種類を誇っているという事だった。鮮やかな四季といい、改めて我が国は恵まれた環境にあったようである。
縄文・弥生時代の人々の暮らしぶり、江戸時代の巧妙な時計にからくり人形、ゼロ戦などの展示物は大人であっても楽しめる。特に縄文・弥生時代の暮らしぶりには、娘はかなり心に残ったようである。「車もなかったんだよね~」という発言には、今度は江戸東京博物館にでも連れて行こうかなという気にさせられた。
長男お楽しみの恐竜コーナー。これまで図鑑でしかお目にかかっていなかった恐竜の化石を目の前にして、やっぱりその大きさに圧倒されたようである。「この家と同じくらい」と言ったところで、やっぱりそこは幼稚園児の想像力。実際に目にするのとは大違い。
大好きなテイラノサウルスの大きさは圧巻だったようである。「目の前に現れたらどうする?」と聞いたところ、「逃げる」と答えた。そりゃそうだよな、この大きさだもんなぁと思う。以前は恐竜絶滅の原因は諸説あったと思うのだが、今は隕石説に統一されたのか、ほぼこの説明に終始していたのが印象的だった。
1階下がるとそこにはもっと歴史を下って哺乳類の歴史となる。ナウマンゾウやマンモスなんかにも子どもたちは興味を引かれたようである。そして人類の歴史。地球の歴史からすると、一瞬なのであるが、人類の歴史もなかなかだ。リアルな人類の模型たちが展示されている。もっとも子どもたちは「おち○○んが見えてる!」とそっちにしか興味がいかなかったみたいだが・・・
閉館までたっぷりいたら、すっかり疲れてしまった。明日は仕事だから頑張らないといけない。そのあと5日間。休むんだか疲れるんだかよくわからないが、奥様の機嫌を損ねないよう気を配りながら楽しく過ごしたいと思うのである・・・
【本日の読書】
なし
2010年4月28日水曜日
わからない事々
ニュースを見ていてもよくわからないなと思う事はけっこう多い。
以前ならいざ知らず、今であればわからないならちょっと検索すればかなり調べられるとは思う。だが、いちいちそんな事している暇はないし、ついついわからないままにしてしまう。だからいっそうわからないままである。
今日は検察審議会が、先ごろ政治資金規正法違反を問われた民主党の小沢一郎を不起訴とした事を「起訴相当」と判断したとやっていた。そもそも小沢一郎の何が悪かったのか、これがよくわからない。虚偽記載と言われているが、「だったらどうなの?」と思ってしまう。
確かに虚偽記載はルール違反といえばそうなのだろう。だが、それだけだったら、「ちゃんと記載しろよな」という話だ。せいぜい罰金レベルの問題ではないか。虚偽記載して何をごまかしたのか、賄賂なのか何かのマネーロンダリングなのか?何がこれだけ大げさに騒ぎ立てるほどの問題なのか?ロッキード事件やリクルート事件などはわかりやすかったが、今度のはよくわからない。どこかから得たお金を不正にちょろまかしたという事なのだろうか・・・
次にわからないのは検察審議会の考え方だ。市民目線で不起訴はおかしいという事は、何らかの証拠があるのだろうか。少なくともその道のプロ中のプロである東京地検が一旦起訴を諦めたのだ。という事は、有罪にするだけの材料が揃えられなかったという事だ。「おかしい」という感情論と「有罪にできるか」という技術論は相容れない。法律には、「疑わしきは罰せず」というルールがある。「知らなかったはずはない」という「疑わしき」だけでは罪には問えないのである。いったいどういう議論が尽くされたのだろう。
なんでこんな疑問が出てくるのか、と言えばそれは新聞報道がそうした素人レベルだからだ。私だったら、検察審議会がどういうメンバーで構成され、どういう議論を経て不起訴となったのかを報道するだろう。小沢氏にマイクを向けたって、「そんな事いまさら言われてもねぇ~、コメントしようがないよ」というのが本音だろう。検察審議会のメンバーにこそマイクを向けてほしいものなんだけどなぁ・・・
「何が問題なんですよ」という視点でニュースを報道してくれるのなら、たぶんもっとニュースはわかりやすいと思うのだ。今、民主党はかなり批判を浴びて支持率を落としている。しかし市民の問題に対する理解度ってどれくらいなんだろうと、本当に疑問に思う。
子供手当がバラまきだと批判するなら、過去のバラまきがどれだけ無意味だったか説明してほしい。1,000円高速道路はどれだけのメリットとデメリットがこれまで出ているのか。ゆうちょの預け入れ限度額を2,000万円に引き上げるのは、増え続ける国債を買う資金を集めるためだとか、アメリカの国債を買うためというのが本音らしいが、どうなんだとか。
普天間問題では、集会に集まった何万人という人はその多くが活動家で、基地によって潤っている地主や地元商店などの人たちは声を出せずにいるが、本当は移転してほしくないというサイレント・マジョリティの姿なのだとか。もっとそういう風に問題にスポットライトを当てて、真の報道ってものをやってほしいなぁという気がする。
これでも一時はマスコミ志望だった事もある。カメラ一つ担いで人の行かないところを取材してみたい、というイメージに憧れを抱いたのだ。湾岸戦争でCNNのガッツのあるスタッフが、最後までバクダットに残っていたのを見て感動したものだ。日本人は真っ先に引き上げてきていたのを知って、やっぱりその道に進まなくてよかった思った。下手したら「エリカ様」の取材に行かされていたかもしれないものな。
やっぱり、もう少しわからないなりの努力というものをしないといけないように感じるのである・・・
【本日の読書】
「資本主義崩壊最終ラウンド」船井幸雄
「自由への長い道(下)」ネルソン・マンデラ
以前ならいざ知らず、今であればわからないならちょっと検索すればかなり調べられるとは思う。だが、いちいちそんな事している暇はないし、ついついわからないままにしてしまう。だからいっそうわからないままである。
今日は検察審議会が、先ごろ政治資金規正法違反を問われた民主党の小沢一郎を不起訴とした事を「起訴相当」と判断したとやっていた。そもそも小沢一郎の何が悪かったのか、これがよくわからない。虚偽記載と言われているが、「だったらどうなの?」と思ってしまう。
確かに虚偽記載はルール違反といえばそうなのだろう。だが、それだけだったら、「ちゃんと記載しろよな」という話だ。せいぜい罰金レベルの問題ではないか。虚偽記載して何をごまかしたのか、賄賂なのか何かのマネーロンダリングなのか?何がこれだけ大げさに騒ぎ立てるほどの問題なのか?ロッキード事件やリクルート事件などはわかりやすかったが、今度のはよくわからない。どこかから得たお金を不正にちょろまかしたという事なのだろうか・・・
次にわからないのは検察審議会の考え方だ。市民目線で不起訴はおかしいという事は、何らかの証拠があるのだろうか。少なくともその道のプロ中のプロである東京地検が一旦起訴を諦めたのだ。という事は、有罪にするだけの材料が揃えられなかったという事だ。「おかしい」という感情論と「有罪にできるか」という技術論は相容れない。法律には、「疑わしきは罰せず」というルールがある。「知らなかったはずはない」という「疑わしき」だけでは罪には問えないのである。いったいどういう議論が尽くされたのだろう。
なんでこんな疑問が出てくるのか、と言えばそれは新聞報道がそうした素人レベルだからだ。私だったら、検察審議会がどういうメンバーで構成され、どういう議論を経て不起訴となったのかを報道するだろう。小沢氏にマイクを向けたって、「そんな事いまさら言われてもねぇ~、コメントしようがないよ」というのが本音だろう。検察審議会のメンバーにこそマイクを向けてほしいものなんだけどなぁ・・・
「何が問題なんですよ」という視点でニュースを報道してくれるのなら、たぶんもっとニュースはわかりやすいと思うのだ。今、民主党はかなり批判を浴びて支持率を落としている。しかし市民の問題に対する理解度ってどれくらいなんだろうと、本当に疑問に思う。
子供手当がバラまきだと批判するなら、過去のバラまきがどれだけ無意味だったか説明してほしい。1,000円高速道路はどれだけのメリットとデメリットがこれまで出ているのか。ゆうちょの預け入れ限度額を2,000万円に引き上げるのは、増え続ける国債を買う資金を集めるためだとか、アメリカの国債を買うためというのが本音らしいが、どうなんだとか。
普天間問題では、集会に集まった何万人という人はその多くが活動家で、基地によって潤っている地主や地元商店などの人たちは声を出せずにいるが、本当は移転してほしくないというサイレント・マジョリティの姿なのだとか。もっとそういう風に問題にスポットライトを当てて、真の報道ってものをやってほしいなぁという気がする。
これでも一時はマスコミ志望だった事もある。カメラ一つ担いで人の行かないところを取材してみたい、というイメージに憧れを抱いたのだ。湾岸戦争でCNNのガッツのあるスタッフが、最後までバクダットに残っていたのを見て感動したものだ。日本人は真っ先に引き上げてきていたのを知って、やっぱりその道に進まなくてよかった思った。下手したら「エリカ様」の取材に行かされていたかもしれないものな。
やっぱり、もう少しわからないなりの努力というものをしないといけないように感じるのである・・・
【本日の読書】
「資本主義崩壊最終ラウンド」船井幸雄
「自由への長い道(下)」ネルソン・マンデラ
2010年4月25日日曜日
他人の事を考えようじゃないか
最近通勤電車が混んでいる。いつもの電車が心なしか混みあっているのは、たぶんこの春から通勤・通学で新たにこの時間帯の人が増えたからかもしれない。それはそれで仕方ないのであるが、どうしてもこうした電車で自分の事ばかり考える輩が出てくる。
先日も満員の車内で吊革につかまっている腕を鋭角に突っ張っている奴がいた。その先端が私の背中をぐりぐりと押す。力を入れているので私が押されて後ろに体重が移動すると肘がいっそう背中に突き刺さる。私としては誠に不快な気分になった。力を抜いてくれればそんな事にはならないのだから、意図的にやっているわけである。
どうしようかと迷う。振り返るにも満員の車内ゆえにそれも大変。あえてやって苦情を申し立てるのも人目を引くし、そういう事は好きではない。それに相手が逆ギレしてきたら、こちらも引けないからひょっとしたら朝から殴り合いという事態になるかもしれない。スーツだし、仕事前にそんな事は勘弁願いたいし・・・
それでも我慢の限度を超えたため、あえてわざわざオーバーアクションで振り向いて相手を睨みつけた。そこにいたのはしょぼいサラリーマンで(これなら喧嘩になっても勝てると)安堵したが、相手も力を抜いて目をそらしたので事なきを得た。不愉快さは残ったが、そのまま飲み込む事にした。
10年くらい前にもやっぱり混み合う終電で同じような事があった。注意したらその相手の返事に我慢できず、次の駅で引きずりおろした。酔ったサラリーマンだったが、相手が体制を整える前に先制攻撃をかましたところ、あっという間に周りにいた6~7人のサラリーマンに制止された。何より見ず知らずの人たちの突然の連携に驚いた。相手の男はやられたまま反撃する間もなく取り押さえられ、怒り狂っていた。
満員電車で不快な気分になるのはみな同じ。自分も相手を不快にさせているのだという事を認識しないといけないのだが、そんな事は思いもしない。自分の都合だけで判断する。
会社でもスタッフの人に雑事や簡単な事務仕事をお願いする。出来上がって一言声をかけて持ってきてくれる人もいれば、黙って机に置いていくベテランさんもいる。その人は説明してもつっけんどんな態度と事務的な対応しかしてくれない。仕事はきちんとやってくれているが、自分の仕事だけをやるというスタンスで、そこには「誰と」という姿勢が入っていない。
そうするとこちらも笑顔で対応などと言う事もしなくなるし、よそよそしい関係に終始する事になる。なんでそうなのかよくわからない。仕事自体が厭なのか(でも仕事しないわけにはいかない)、ひょっとしたら私の事を嫌いなのか(その可能性もある)、もともとの性格なのか(だとしたらとても損している)・・・
いつも気持ちよく手伝ってくれている人に対しては、こちらもなるべく負担のかからないようにと気をつかうし、そういう相互関係は相乗効果で結果として負担も減るし、気持ちのいいものになる。何よりも自分が一番助かるものだと思う。
およそこの世の中は人間関係なくしてはあり得ない。自分の周りには常に人がいて、やっぱり自分と同じように考えているわけで、自分の事を考えて欲しかったら自分も相手の事を考えないといけない。それはそのままいつも自分に言い聞かせている事でもある。
明日から通勤は少し早く家を出て、比較的空いている各駅停車に乗る事にした。時間はかかるが、不快な思いをしなくてもいいし、させる事もない。ゆっくりと本を読んで快適な通勤時間を楽しめる。やっぱりゆとりは大事なのだ。良い仕事をして、良い一日を過ごすためにもそうしようと思うのである・・・
【本日の読書】
なし
先日も満員の車内で吊革につかまっている腕を鋭角に突っ張っている奴がいた。その先端が私の背中をぐりぐりと押す。力を入れているので私が押されて後ろに体重が移動すると肘がいっそう背中に突き刺さる。私としては誠に不快な気分になった。力を抜いてくれればそんな事にはならないのだから、意図的にやっているわけである。
どうしようかと迷う。振り返るにも満員の車内ゆえにそれも大変。あえてやって苦情を申し立てるのも人目を引くし、そういう事は好きではない。それに相手が逆ギレしてきたら、こちらも引けないからひょっとしたら朝から殴り合いという事態になるかもしれない。スーツだし、仕事前にそんな事は勘弁願いたいし・・・
それでも我慢の限度を超えたため、あえてわざわざオーバーアクションで振り向いて相手を睨みつけた。そこにいたのはしょぼいサラリーマンで(これなら喧嘩になっても勝てると)安堵したが、相手も力を抜いて目をそらしたので事なきを得た。不愉快さは残ったが、そのまま飲み込む事にした。
10年くらい前にもやっぱり混み合う終電で同じような事があった。注意したらその相手の返事に我慢できず、次の駅で引きずりおろした。酔ったサラリーマンだったが、相手が体制を整える前に先制攻撃をかましたところ、あっという間に周りにいた6~7人のサラリーマンに制止された。何より見ず知らずの人たちの突然の連携に驚いた。相手の男はやられたまま反撃する間もなく取り押さえられ、怒り狂っていた。
満員電車で不快な気分になるのはみな同じ。自分も相手を不快にさせているのだという事を認識しないといけないのだが、そんな事は思いもしない。自分の都合だけで判断する。
会社でもスタッフの人に雑事や簡単な事務仕事をお願いする。出来上がって一言声をかけて持ってきてくれる人もいれば、黙って机に置いていくベテランさんもいる。その人は説明してもつっけんどんな態度と事務的な対応しかしてくれない。仕事はきちんとやってくれているが、自分の仕事だけをやるというスタンスで、そこには「誰と」という姿勢が入っていない。
そうするとこちらも笑顔で対応などと言う事もしなくなるし、よそよそしい関係に終始する事になる。なんでそうなのかよくわからない。仕事自体が厭なのか(でも仕事しないわけにはいかない)、ひょっとしたら私の事を嫌いなのか(その可能性もある)、もともとの性格なのか(だとしたらとても損している)・・・
いつも気持ちよく手伝ってくれている人に対しては、こちらもなるべく負担のかからないようにと気をつかうし、そういう相互関係は相乗効果で結果として負担も減るし、気持ちのいいものになる。何よりも自分が一番助かるものだと思う。
およそこの世の中は人間関係なくしてはあり得ない。自分の周りには常に人がいて、やっぱり自分と同じように考えているわけで、自分の事を考えて欲しかったら自分も相手の事を考えないといけない。それはそのままいつも自分に言い聞かせている事でもある。
明日から通勤は少し早く家を出て、比較的空いている各駅停車に乗る事にした。時間はかかるが、不快な思いをしなくてもいいし、させる事もない。ゆっくりと本を読んで快適な通勤時間を楽しめる。やっぱりゆとりは大事なのだ。良い仕事をして、良い一日を過ごすためにもそうしようと思うのである・・・
【本日の読書】
なし
2010年4月24日土曜日
集合!
高校時代のラグビー部の同期で久々に集まった。
13人いた同期が10人集まったわけで、地方在住1名を考慮するとなかなかの出席率だ。もっとも前回集まったのは、10年くらい前のような気がする。そう考えると仲が良いのか悪いのかよくわからない。何人かは学年の同期会などの機会に会っているが、ほとんど20年振りくらいのものもいた。
卒業以来27年。入学して初めてラグビーのボールを持ってからなんと30年の月日が経っている。髪型や体系の変化は人それぞれだが、笑ってしまうものがある。たぶん16歳の春に30年後の自分の姿を見せられたら、こいつらは絶対ショック死するなというのが何人かいた。私はと言えば幸い「変わっていない」という評価を受けた。
卒業以来の歩みは本当にバラバラだ。今だ独身もいれば、2年前に高校時代のクラスメートと結婚したという奴もいた。海外に行っていたやつもいれば、癌に罹って手術したという奴もいた。サラリーマンもいれば会社を経営しているやつもいる。子供が我々の通った母校に入っている奴もいる。酒を飲み、語り合ううちに空白の時間が埋まっていく。
姿形は変わっても、変わらないのが人の心。酔いが回るうちに時間は逆行していき、いつの間にやら高校時代に戻った錯覚を受ける。たわいない与太話やえげつない会話は、高校時代の会話そのまま。周りから見たらやかましい中年オヤジの恥ずかしい集団だったに違いない。
辛かった夏合宿に参加しなかったやつはいまだにそれを非難される。たぶん終身刑だ。一生言われ続けるだろう。最後の試合(当時は最後になるなんて思っていなかった)についての思い出もバラバラだ。「ああそう言えばそうだった」と思うエピソードがいくつもあった。あの試合、今でも勝てたチャンスはあったし、みんなの話を聞いていてやっぱり勝ちたかったなとあらためて思う。1回戦負けだったものな・・・
みんな満足して散会となった。「毎年やろうぜ」という声が自然と出てきた。時間は元に戻せないし、みんなでもう一度試合をする事ももうないだろう。残ったのは思い出と絆だけだが、それはそれで大事にしたい。練習でみんなに「集合!」と声をかけるのは私の役目だったが、今度は久々にその役目を果たそうかなと、そんな風に思いながら帰ってきたのである・・・
【昨日の読書】
「太平洋戦争は無謀な戦争だったのか」ジェームズ・B・ウッド
「自由への長い道(下)」ネルソン・マンデラ
13人いた同期が10人集まったわけで、地方在住1名を考慮するとなかなかの出席率だ。もっとも前回集まったのは、10年くらい前のような気がする。そう考えると仲が良いのか悪いのかよくわからない。何人かは学年の同期会などの機会に会っているが、ほとんど20年振りくらいのものもいた。
卒業以来27年。入学して初めてラグビーのボールを持ってからなんと30年の月日が経っている。髪型や体系の変化は人それぞれだが、笑ってしまうものがある。たぶん16歳の春に30年後の自分の姿を見せられたら、こいつらは絶対ショック死するなというのが何人かいた。私はと言えば幸い「変わっていない」という評価を受けた。
卒業以来の歩みは本当にバラバラだ。今だ独身もいれば、2年前に高校時代のクラスメートと結婚したという奴もいた。海外に行っていたやつもいれば、癌に罹って手術したという奴もいた。サラリーマンもいれば会社を経営しているやつもいる。子供が我々の通った母校に入っている奴もいる。酒を飲み、語り合ううちに空白の時間が埋まっていく。
姿形は変わっても、変わらないのが人の心。酔いが回るうちに時間は逆行していき、いつの間にやら高校時代に戻った錯覚を受ける。たわいない与太話やえげつない会話は、高校時代の会話そのまま。周りから見たらやかましい中年オヤジの恥ずかしい集団だったに違いない。
辛かった夏合宿に参加しなかったやつはいまだにそれを非難される。たぶん終身刑だ。一生言われ続けるだろう。最後の試合(当時は最後になるなんて思っていなかった)についての思い出もバラバラだ。「ああそう言えばそうだった」と思うエピソードがいくつもあった。あの試合、今でも勝てたチャンスはあったし、みんなの話を聞いていてやっぱり勝ちたかったなとあらためて思う。1回戦負けだったものな・・・
みんな満足して散会となった。「毎年やろうぜ」という声が自然と出てきた。時間は元に戻せないし、みんなでもう一度試合をする事ももうないだろう。残ったのは思い出と絆だけだが、それはそれで大事にしたい。練習でみんなに「集合!」と声をかけるのは私の役目だったが、今度は久々にその役目を果たそうかなと、そんな風に思いながら帰ってきたのである・・・
【昨日の読書】
「太平洋戦争は無謀な戦争だったのか」ジェームズ・B・ウッド
「自由への長い道(下)」ネルソン・マンデラ
2010年4月20日火曜日
クラブ活動
長女はこの春から小学校の4年生。4年生になるとこれまでと一つだけ大きく異なる事がある。「クラブ活動」が始まるのである。
長女が入ったのは「手芸調理クラブ」。何のアドバイスをしたわけでもないが、自分で面白そうだと選んだのである。
メンバーはさすがに女の子ばかり。それでも5年生の男の子が一人だけいるそうである。そういえば先日の面談で、趣味=家庭科という高校生の男の子がいた。「時代だな」と感じたのであるが、たった一人で女の子の間に交じってどんな気持ちなのだろうかとちょっと興味深い。
そういえば私も4年生で確か囲碁クラブに入った記憶がある。将棋はすでに爺様の手ほどきを受けてかなりイケていたので、この際囲碁もと考えたのだ。そして5・6年生では卓球クラブだ。ずいぶん地味な小学生だったのだ。この卓球には強烈なエピソードがある。
その日はクラブ紹介で、4~6年生が体育館に集まる中、なぜか私が模範試合に出場した。相手はなぜか一つ年下の女の子。どういう経緯でこういう対戦になったのか、もう覚えていない。覚えているのは、目のくりっとした可愛いその子に、事もあろうに大観衆のただ中でなんとその試合に私は負けたのである。その子が別に福原愛みたいな天才少女だったわけではない。二人でのどかにピンポンパンポンしていて、気が付いたら負けていたのだ。(当時の)人生最大の屈辱だった。
私はただでさえ勝負事で負けると心中穏やかではいられない。それが相手が女の子で、しかもみんなの見ている前となると尚更だ。その後、あるところで「オセロ三連敗」も経験したが、この二つは今もって悔しい。今頃あの子はどこで何をしているのだろうか。たぶん、今会ったら懐かしがって一緒にグラスを傾ける前にきっとラケットを差し出して、何が何でもリベンジマッチへと誘うだろう(オセロだっていつかリベンジしようと思っている)。そういう性格なのだ。
中学に入ってバスケット、高校に入ってラグビーと激しいスポーツへとその後進んでいったが、さすがにスポーツでそういう屈辱を味わう事はなかった。もしかして心のどこかで女の子には負けないスポーツを、無意識のうちに求めていたのかもしれない。
振り返ってみると、長い学生時代の思い出にクラブ活動が占める割合はかなり多い。特に親しい友人はといえばクラブの友人である事が多い。授業や運動会などの行事なども大事だが、クラブ活動もそういう意味では大事だ。受験だからやらない、とか大検受けるから高校へは行かない、とかそれはそれで一つの考え方だが、随分損しているなと思わざるをえない。学校というところは、勉強のためだけに行くところではないのだと改めて思う。
過ぎてみればあっという間だったが、幸せな学校生活を送れた要因の一つは間違いなくクラブ活動だ。家に帰ると私のもとにさっそく「今日ポップコーンを作った」と嬉しそうに報告しにきた我が娘。これから楽しいクラブ活動ができるといいなと思うのである・・・
【昨日の読書】
「太平洋戦争は無謀な戦争だったのか」ジェームズ・B・ウッド
「自由への長い道(上)」ネルソン・マンデラ
長女が入ったのは「手芸調理クラブ」。何のアドバイスをしたわけでもないが、自分で面白そうだと選んだのである。
メンバーはさすがに女の子ばかり。それでも5年生の男の子が一人だけいるそうである。そういえば先日の面談で、趣味=家庭科という高校生の男の子がいた。「時代だな」と感じたのであるが、たった一人で女の子の間に交じってどんな気持ちなのだろうかとちょっと興味深い。
そういえば私も4年生で確か囲碁クラブに入った記憶がある。将棋はすでに爺様の手ほどきを受けてかなりイケていたので、この際囲碁もと考えたのだ。そして5・6年生では卓球クラブだ。ずいぶん地味な小学生だったのだ。この卓球には強烈なエピソードがある。
その日はクラブ紹介で、4~6年生が体育館に集まる中、なぜか私が模範試合に出場した。相手はなぜか一つ年下の女の子。どういう経緯でこういう対戦になったのか、もう覚えていない。覚えているのは、目のくりっとした可愛いその子に、事もあろうに大観衆のただ中でなんとその試合に私は負けたのである。その子が別に福原愛みたいな天才少女だったわけではない。二人でのどかにピンポンパンポンしていて、気が付いたら負けていたのだ。(当時の)人生最大の屈辱だった。
私はただでさえ勝負事で負けると心中穏やかではいられない。それが相手が女の子で、しかもみんなの見ている前となると尚更だ。その後、あるところで「オセロ三連敗」も経験したが、この二つは今もって悔しい。今頃あの子はどこで何をしているのだろうか。たぶん、今会ったら懐かしがって一緒にグラスを傾ける前にきっとラケットを差し出して、何が何でもリベンジマッチへと誘うだろう(オセロだっていつかリベンジしようと思っている)。そういう性格なのだ。
中学に入ってバスケット、高校に入ってラグビーと激しいスポーツへとその後進んでいったが、さすがにスポーツでそういう屈辱を味わう事はなかった。もしかして心のどこかで女の子には負けないスポーツを、無意識のうちに求めていたのかもしれない。
振り返ってみると、長い学生時代の思い出にクラブ活動が占める割合はかなり多い。特に親しい友人はといえばクラブの友人である事が多い。授業や運動会などの行事なども大事だが、クラブ活動もそういう意味では大事だ。受験だからやらない、とか大検受けるから高校へは行かない、とかそれはそれで一つの考え方だが、随分損しているなと思わざるをえない。学校というところは、勉強のためだけに行くところではないのだと改めて思う。
過ぎてみればあっという間だったが、幸せな学校生活を送れた要因の一つは間違いなくクラブ活動だ。家に帰ると私のもとにさっそく「今日ポップコーンを作った」と嬉しそうに報告しにきた我が娘。これから楽しいクラブ活動ができるといいなと思うのである・・・
【昨日の読書】
「太平洋戦争は無謀な戦争だったのか」ジェームズ・B・ウッド
「自由への長い道(上)」ネルソン・マンデラ
2010年4月17日土曜日
もしも願いが叶うなら
ある日しっぽにトゲのある悪魔がやってきて、「お前の願い事を3つかなえてやろう」と言われたら、みんなは果たして何を望むだろうか。そんな事が昔、寺沢武一のコミックで著者の一言として書いてあった。男であれば、金と女と不老不死といったありきたりの三大欲望であろうか。実際、そんな機会がやってこないものかと本気で考えなくもない。
しかし、相手が悪魔となるとちょっと考えてしまう。何せ相手は悪魔だ。望みが叶えられたとしてもその対価に何を要求されるかわかったものではない。だからすぐに飛びつくのではなく、まずは取引の全体像を確認すべきだろう。「願い事を叶える代わりに俺の望むものをほんの少しだけいただくとしよう」などと言われたら警戒警報発令だ。
相手に最初に要求するものを確認してから取引したいものだが、「まず取引するかしないかを決めろ」と言われたら、どうするかだ。願い事をかなえてもらったあとで、『では苦しみを味わってもらおう』などと言われたらたまったものではない。山のような現金と美女を侍らせておいて、自分はベッドの上で微動だにできない、その苦痛を不死の身で永遠に味わうなんて事になったら目も当てられない。
「君子危うきに近寄らず」が、一番なのかもしれない。しかしそれだと面白くない。ひょっとしたら警戒しすぎでチャンスをみすみす逃してしまうのかもしれない。そうするとここはひとまず相手の考え方を知るのが先決。第一の願いは、「相手(悪魔を含めて)の考え方を読める力をくれ」だろうか。
それで相手の考え方がわかったとして、何も問題なければ残り二つは欲望のまま進めばいい。だがもし3つの願い事のあとに来る相手の要求がとんでもないものだとしたら・・・二つ目の願い事は、「あと50年願い事を待て」になるだろうか。50年たったらあとはもういいだろう。また、その間不死となったら逆に儲けものだ。
そして50年後となったら、もう欲望も消えているに違いない。子孫繁栄でも願って残り少ない人生を差し出すか。こうしてみると何だか得したのか損したのか・・・結局、悪魔との取引なんて割に合わないって事だろう。願い事は地道に努力して自分で叶えるしかなさそうである。
でももし相手が天使だったら・・・妄想は膨らんでいくのである・・・
【昨日の読書】
「太平洋戦争は無謀な戦争だったのか」ジェームズ・B・ウッド
「自由への長い道(上)」ネルソン・マンデラ
2010年4月15日木曜日
ヤマアラシのジレンマ
寒さの中、二匹のヤマアラシが暖め合おうと近づく。しかし、近づきすぎるとお互いの体の針が相手に刺さってしまう。かといって離れると寒くなる。二匹は近づいたり離れたりを繰り返し、ようやくお互いに傷つかず、寒くも無い距離を見つける。哲学者ショーペンハウエルの寓話を元に心理学の大家フロイトが考えた話。
お互いが体中にトゲを持っていることに気づかず、近寄れば相手の体を傷つけることに気づいていない。そして自分も相手を傷つけているのも知らずに、相手だけが自分を傷つけると思い込んで、怒ったり、攻撃したり、ストレスを抱えたりする。
人間関係のストレスとは、このヤマアラシの関係のようなもので、自分が相手を傷つけているとは知らないで、自分だけが傷つけられると思い込む。傷つけあうのが嫌だからと人間関係から逃れようとするのだが、人間関係から逃れてみるとさびしくて仕方がない。また誰かとつながっていたいと思うようになる。
人と接触したくないけど、人とつながっていたいという心の矛盾を心理学では「ヤマアラシジレンマ」と言うそうである。
******************************************************************************************
そんなヤマアラシジレンマの話とはちょっと違うかもしれないが、改めて思う事がある。『自分が相手を傷つけているとは知らないで、自分だけが傷つけられると思い込む』というくだりがどうにも心に引っ掛かるのである。私も実はそういう経験をする。
気がつけば妻の機嫌が悪い。思い当たる節はない。後で聞けば、何気なく発した私の一言が原因だったりするが、こちらにそんなつもりは毛頭なく、「なんでそんなひねくれた受け取り方をするのか」と、腹立たしくさえ思う。家庭内だけでなく、外でも同じである。
意図的に発した悪意ある発言に相手が気分を害するのは気にならない。だがこちらに悪意がない場合は困惑してしまう。しかも相手の態度でわかればいいが、表面上は平静を装われた日には最悪だ。だが気をつけたくても無理がある。
「自分の背中」が見えないのと同様、相手が自分の言葉や行動をどのように受け取ったかまではわからない。ひょっとしたら、このブログを読んで気分を害している人だっているかもしれない。心配ならば何も言わなければいいのかもしれないが、現実的にはそれも難しい。
だから最近はせめて相手の言葉にカチンときても、すぐに腹を立てるのではなく、なるべくその真意を探ろうとするようにしている。相手もきっとなんらかの思いがあって、そういう発言をしたのだろうと思うようにしている。
今日も同じ職場のベテランさんにグサリと嫌味を言われてしまった。その人はいつも棘のあるモノの言い方をするので私も苦手にしているのだ。だがよくよく考えてみればその人だって自分の仕事をしているわけで、その人からすれば私のやった事が仕事の効率化の妨げになっていたのだと思う。私がまったく気にも留めていなかった事を、その人は気にしていたのだ。嫌みの一つも言いたくなるわけだ。
ここでまともに腹を立てていたら憎しみの応酬になってしまう。考えてみれば、以前はそんな事が原因のイライラが多かった気がする。「申し訳ない」と明るく言ってお終い。相手の針も受け止め方を変えるとこちらも心穏やかに過ごせる。
最近、そんなやり方ができるようになった。自分にも針があるって事をいつも意識していたいと思うのである・・・
【本日の読書】
「日本で一番大切にしたい会社2」坂本光司
「自由への長い道(上)」ネルソン・マンデラ
お互いが体中にトゲを持っていることに気づかず、近寄れば相手の体を傷つけることに気づいていない。そして自分も相手を傷つけているのも知らずに、相手だけが自分を傷つけると思い込んで、怒ったり、攻撃したり、ストレスを抱えたりする。
人間関係のストレスとは、このヤマアラシの関係のようなもので、自分が相手を傷つけているとは知らないで、自分だけが傷つけられると思い込む。傷つけあうのが嫌だからと人間関係から逃れようとするのだが、人間関係から逃れてみるとさびしくて仕方がない。また誰かとつながっていたいと思うようになる。
人と接触したくないけど、人とつながっていたいという心の矛盾を心理学では「ヤマアラシジレンマ」と言うそうである。
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そんなヤマアラシジレンマの話とはちょっと違うかもしれないが、改めて思う事がある。『自分が相手を傷つけているとは知らないで、自分だけが傷つけられると思い込む』というくだりがどうにも心に引っ掛かるのである。私も実はそういう経験をする。
気がつけば妻の機嫌が悪い。思い当たる節はない。後で聞けば、何気なく発した私の一言が原因だったりするが、こちらにそんなつもりは毛頭なく、「なんでそんなひねくれた受け取り方をするのか」と、腹立たしくさえ思う。家庭内だけでなく、外でも同じである。
意図的に発した悪意ある発言に相手が気分を害するのは気にならない。だがこちらに悪意がない場合は困惑してしまう。しかも相手の態度でわかればいいが、表面上は平静を装われた日には最悪だ。だが気をつけたくても無理がある。
「自分の背中」が見えないのと同様、相手が自分の言葉や行動をどのように受け取ったかまではわからない。ひょっとしたら、このブログを読んで気分を害している人だっているかもしれない。心配ならば何も言わなければいいのかもしれないが、現実的にはそれも難しい。
だから最近はせめて相手の言葉にカチンときても、すぐに腹を立てるのではなく、なるべくその真意を探ろうとするようにしている。相手もきっとなんらかの思いがあって、そういう発言をしたのだろうと思うようにしている。
今日も同じ職場のベテランさんにグサリと嫌味を言われてしまった。その人はいつも棘のあるモノの言い方をするので私も苦手にしているのだ。だがよくよく考えてみればその人だって自分の仕事をしているわけで、その人からすれば私のやった事が仕事の効率化の妨げになっていたのだと思う。私がまったく気にも留めていなかった事を、その人は気にしていたのだ。嫌みの一つも言いたくなるわけだ。
ここでまともに腹を立てていたら憎しみの応酬になってしまう。考えてみれば、以前はそんな事が原因のイライラが多かった気がする。「申し訳ない」と明るく言ってお終い。相手の針も受け止め方を変えるとこちらも心穏やかに過ごせる。
最近、そんなやり方ができるようになった。自分にも針があるって事をいつも意識していたいと思うのである・・・
【本日の読書】
「日本で一番大切にしたい会社2」坂本光司
「自由への長い道(上)」ネルソン・マンデラ
2010年4月12日月曜日
海外派遣の面接官をした
我が出身高校の卒業生で運営している財団法人がある。その事業の一つである「国際交流事業」では、母校の高校生、卒業生である大学生および卒業生の親族を対象として、海外研修派遣を行っている。昨年に引き続き今年も面接官として選考会に参加した。
総勢80名。昨年よりも3名多い。面接をしてそのあと合否判定までやるので、けっこう大変である。でも現役の高校生、大学生と、面接とはいえ相対して話を聞けるというのはなかなか貴重な経験だ。
あらかじめ用意した同じ質問を投げかける。3~5人一組で面接を実施するのだが、昨年とはまた違った雰囲気の面接となった。昨年は始めの子の回答にあとの子が引っ張られる傾向があったが、今年は比較的ばらばらだった。例えば「最近印象に残った事」という質問に関しては、5人が5人すべて違う回答となったりしてちょっと驚いた。緊張して思考回路が働かず、前の子と同じ回答になるという事にはならなかったということだろうか。
同じニュースについても、高校生と大学生とでは回答が異なっていたのはさすがだなと感じさせられた。高校生は、(考えてみれば1年生は先月まで中学生だったのだ)喜怒哀楽的な回答が多かったが、大学生ともなるとそこから発展して自分の問題意識にまで展開したりする。しゃべる量も大学生の方が総じて多い。
それに今回はグループ単位での優劣もはっきりとした。合格者をみてみると同じグループの子が固まっていたりする。受かるグループと落ちるグループという色分けができた。一人二人積極的な子がいると、それに負けじと追随するパターンが見られたのだ。みんな緊張している中で、うまく引っ張られて持ち味を出せたという子もいたと思う。
やっていて一番大変なのは合否判定だ。面接官5名で採点するのだが、問題は当落線上の子をどうするか、だ。僅差で並んでいる中から選ぶのは難しい。そうなると点数以外の要素がかなり働く。今回は昨年落ちた子がこの当落線上に入ってきた。「どうしても行きたくて今回も応募した」と言われると、さすがに連続で落とすのは忍びない。という意見で一致して見事合格。喜ぶ顔が目に浮かぶようである。
高校生の中には定時制の子もいる。昼間は働いているその子は、さすがに社会に出ているだけあって同世代の子からするとしっかりした内容の話をする。家族構成をみると大変な事情が伺えて、考えさせられてしまった。自分はあまりにも恵まれた学生生活を送れたのだと改めて思う。その子には手心を加える必要はまったくなく合格したが、何がしかの手助けになれたかと思うと嬉しく思う。
自分たちの頃にはなかった制度であるが、こうして縁あって関われるのは喜ばしい限りだ。この夏、彼ら彼女らは3週間、イギリスとドイツに分かれてそれぞれ行くことになる。いい経験になると思うと嬉しいやら羨ましいやらだ。この面接官であるが、機会をもらえる限りは続けていきたいと思うのである・・・
【本日の読書】
「日本で一番大切にしたい会社2」坂本光司
「自由への長い道(上)」ネルソン・マンデラ
総勢80名。昨年よりも3名多い。面接をしてそのあと合否判定までやるので、けっこう大変である。でも現役の高校生、大学生と、面接とはいえ相対して話を聞けるというのはなかなか貴重な経験だ。
あらかじめ用意した同じ質問を投げかける。3~5人一組で面接を実施するのだが、昨年とはまた違った雰囲気の面接となった。昨年は始めの子の回答にあとの子が引っ張られる傾向があったが、今年は比較的ばらばらだった。例えば「最近印象に残った事」という質問に関しては、5人が5人すべて違う回答となったりしてちょっと驚いた。緊張して思考回路が働かず、前の子と同じ回答になるという事にはならなかったということだろうか。
同じニュースについても、高校生と大学生とでは回答が異なっていたのはさすがだなと感じさせられた。高校生は、(考えてみれば1年生は先月まで中学生だったのだ)喜怒哀楽的な回答が多かったが、大学生ともなるとそこから発展して自分の問題意識にまで展開したりする。しゃべる量も大学生の方が総じて多い。
それに今回はグループ単位での優劣もはっきりとした。合格者をみてみると同じグループの子が固まっていたりする。受かるグループと落ちるグループという色分けができた。一人二人積極的な子がいると、それに負けじと追随するパターンが見られたのだ。みんな緊張している中で、うまく引っ張られて持ち味を出せたという子もいたと思う。
やっていて一番大変なのは合否判定だ。面接官5名で採点するのだが、問題は当落線上の子をどうするか、だ。僅差で並んでいる中から選ぶのは難しい。そうなると点数以外の要素がかなり働く。今回は昨年落ちた子がこの当落線上に入ってきた。「どうしても行きたくて今回も応募した」と言われると、さすがに連続で落とすのは忍びない。という意見で一致して見事合格。喜ぶ顔が目に浮かぶようである。
高校生の中には定時制の子もいる。昼間は働いているその子は、さすがに社会に出ているだけあって同世代の子からするとしっかりした内容の話をする。家族構成をみると大変な事情が伺えて、考えさせられてしまった。自分はあまりにも恵まれた学生生活を送れたのだと改めて思う。その子には手心を加える必要はまったくなく合格したが、何がしかの手助けになれたかと思うと嬉しく思う。
自分たちの頃にはなかった制度であるが、こうして縁あって関われるのは喜ばしい限りだ。この夏、彼ら彼女らは3週間、イギリスとドイツに分かれてそれぞれ行くことになる。いい経験になると思うと嬉しいやら羨ましいやらだ。この面接官であるが、機会をもらえる限りは続けていきたいと思うのである・・・
【本日の読書】
「日本で一番大切にしたい会社2」坂本光司
「自由への長い道(上)」ネルソン・マンデラ
2010年4月10日土曜日
罪と罰
中国で日本人が死刑になった。容疑は麻薬密輸罪。日本の感覚でいけばとても死刑になどなるほどの犯罪ではない。とはいえ、中国には中国の事情がある。一概に批判するのは難しいかもしれない。
そもそも世界の大半の国で、すでに死刑そのものが廃止されている。それらの国々からみれば、死刑がある日本だって奇異に見られているかもしれない。中国の事情はよくわからないが、麻薬による犯罪が危機的レベルにあってやむを得ないのかもしれない。
思い起こせば法学部に在籍していた学生時代、ある時「心神耗弱」について議論したことがあった。殺人を犯しても心神耗弱の状態にあると無罪になる事がある。「麻薬を使用し心神耗弱状態にあった者が殺人を犯しても無罪になる」事について、それはおかしいのではないか、と担当教官に疑問をぶつけた。「もしも、やむを得ないとしても麻薬使用の罪で(殺人と同様の)刑を適用できないのか」と問うたのだ。
教官は穏やかに笑っておられた。当時の私が今日の中国の制度を知ったら、きっと我が意を得たりと納得していただろう。とは言っても当時ですら、「結果として重犯罪を犯した場合」を想定していたので、「所持していた」だけで死刑とまではさすがに考えなかったのも確かである。
罰則を強化すれば犯罪は抑制される。もしも日本でも麻薬取締法違反=死刑となったら、次から次へと捕まる芸能人だってさすがにビビって手を出さないだろう。あれだけ社会問題となっているにも関わらず、相変わらずなくならない飲酒運転だって、死刑となればピタッとなくなるのではないだろうか。
そもそも麻薬も飲酒運転も本気でやめようとしないからなくならないのだ。心のどこかで「ちょっとぐらい構いやしない」と思っているのだろう。麻薬も飲酒運転も即死刑としたっていいではないか。そうなったとしても、私自身は何とも思わない。要は犯さなければ良いわけで、麻薬だって飲酒運転だってこの先やらないで生きていく事は十分可能だ。もしも反対する人がいたとしたら、それは「犯罪を犯す」事を前提にしているわけで、それがそもそもおかしいとさえ言える。中国の法制度も問題があるとは言えない。
そんな罪など犯すはずはないから全然怖くないと言っても、それでもやっぱり恐ろしさが脳裏を過ぎる。それはきっとそんな罪状で簡単に死刑としてしまう発想の怖さだろう。中国では一人当たりのGDPと同様、命も日本人よりは遥かに軽い。
なんでも死刑は銃殺が普通で、頭を打ちぬかれたあと体は臓器移植とか医療用の検体に提供されるようだ。もちろん本人の承諾などいらない。今回日本人は薬物注射による死刑だったようなので、中国もそれなりに我が国に配慮したのだろう。死刑になった一人は、日本でも強盗で指名手配されていたようであるから、自業自得なのかもしれない。
死刑制度自体は存続してしかるべきだが、社会が荒んでくれば重罰をもって対処するのもやむを得ない。そんなものに頼らなくてもきちんと社会のシステムが維持していけるのが一番望ましいことだ。かの国のようにならないようになってほしいものだと思うのである・・・
【昨日の読書】
「シンプルでうまくいくコミュニケーションの技術」天野雅晴
「自由への長い道」ネルソン・マンデラ
そもそも世界の大半の国で、すでに死刑そのものが廃止されている。それらの国々からみれば、死刑がある日本だって奇異に見られているかもしれない。中国の事情はよくわからないが、麻薬による犯罪が危機的レベルにあってやむを得ないのかもしれない。
思い起こせば法学部に在籍していた学生時代、ある時「心神耗弱」について議論したことがあった。殺人を犯しても心神耗弱の状態にあると無罪になる事がある。「麻薬を使用し心神耗弱状態にあった者が殺人を犯しても無罪になる」事について、それはおかしいのではないか、と担当教官に疑問をぶつけた。「もしも、やむを得ないとしても麻薬使用の罪で(殺人と同様の)刑を適用できないのか」と問うたのだ。
教官は穏やかに笑っておられた。当時の私が今日の中国の制度を知ったら、きっと我が意を得たりと納得していただろう。とは言っても当時ですら、「結果として重犯罪を犯した場合」を想定していたので、「所持していた」だけで死刑とまではさすがに考えなかったのも確かである。
罰則を強化すれば犯罪は抑制される。もしも日本でも麻薬取締法違反=死刑となったら、次から次へと捕まる芸能人だってさすがにビビって手を出さないだろう。あれだけ社会問題となっているにも関わらず、相変わらずなくならない飲酒運転だって、死刑となればピタッとなくなるのではないだろうか。
そもそも麻薬も飲酒運転も本気でやめようとしないからなくならないのだ。心のどこかで「ちょっとぐらい構いやしない」と思っているのだろう。麻薬も飲酒運転も即死刑としたっていいではないか。そうなったとしても、私自身は何とも思わない。要は犯さなければ良いわけで、麻薬だって飲酒運転だってこの先やらないで生きていく事は十分可能だ。もしも反対する人がいたとしたら、それは「犯罪を犯す」事を前提にしているわけで、それがそもそもおかしいとさえ言える。中国の法制度も問題があるとは言えない。
そんな罪など犯すはずはないから全然怖くないと言っても、それでもやっぱり恐ろしさが脳裏を過ぎる。それはきっとそんな罪状で簡単に死刑としてしまう発想の怖さだろう。中国では一人当たりのGDPと同様、命も日本人よりは遥かに軽い。
なんでも死刑は銃殺が普通で、頭を打ちぬかれたあと体は臓器移植とか医療用の検体に提供されるようだ。もちろん本人の承諾などいらない。今回日本人は薬物注射による死刑だったようなので、中国もそれなりに我が国に配慮したのだろう。死刑になった一人は、日本でも強盗で指名手配されていたようであるから、自業自得なのかもしれない。
死刑制度自体は存続してしかるべきだが、社会が荒んでくれば重罰をもって対処するのもやむを得ない。そんなものに頼らなくてもきちんと社会のシステムが維持していけるのが一番望ましいことだ。かの国のようにならないようになってほしいものだと思うのである・・・
【昨日の読書】
「シンプルでうまくいくコミュニケーションの技術」天野雅晴
「自由への長い道」ネルソン・マンデラ
2010年4月6日火曜日
どうにもならない
週末に実家に行って両親と話した事をもう少し。
ダブル入院を凶事と捉え、原因はリフォームと家相ではないかと心配する親父。
いまだ原因がはっきりせず、体調も思わしくない母親。
二人から出てくる言葉はネガティブで、雰囲気は明るくない。
医者でもない私にはどうする事もできない。
「そのうち良くなるよ」と、何の根拠もない気休めを言う事も性格的にできない。
できる事といえば、「物は考え様」という話をするだけだった。
半分水の入ったコップを見て、半分「しか」入っていないと捉えるか、半分「も」入っていると捉えるか、同じ現象でも捉え方によって気持ちは随分と違う。
交通事故で車に撥ねられた親父は確かに不運だ。
入院して手術までしたわけであるから当然だ。
だが車に撥ねられて半身不随になる人だっている。
ひき逃げされてしまうケースだって時折ニュースでやっている。
入院中、母親の隣のベッドに寝ていた患者さんは末期癌だったらしい。
手術しなければいけないかもしれないと按ずる母に、「手術するって事は可能性があるってことよ、私はもうダメみたいだから」と語って、その後間もなく「退院」していったそうである。
コップに水が溢れんばかりの状態が当たり前だと考えていれば、半分「しか」なくなれば一大事だ。
だが、空っぽの状態からみれば、せめてわずかなりともと渇望していた期間、半分「も」入っている状態はありがたくて仕方がない。
両者ともコップの水の量は同じなのに、である。
「人生良い事ばかりではない」という事に疑問を持つ人はいないだろう。
必ず凶事はあるのである。
それを「こんなに酷い」と捉えるか、「この程度で良かった」と捉えるかで随分と結果は変わってくるに違いない。
「そりゃそうだ」と頷く親父に無言の母親。
「理屈はそうだが・・・」と言いたげな様子。
受け止め方の違いは心の余裕の表れだろう。
一方は良くなるだけで希望が見えているが、もう一方はまだトンネルの中。
理屈はわかっていても今現在の体調が気持ちを下に引っ張る。
「健全な精神は健全な肉体に宿る」ではないが、やはり健康な肉体があってこそ前向きな考え方につながるのだろう。かく言う自分も同じ立場になっても尚、半分「も」と言えるだろうか。やはり健康ってとても大事な事なのだ。早く出口の光が見えればと思うのである・・・
【本日の読書】
「シンプルでうまくいくコミュニケーションの技術」天野雅晴
「自由への長い道」ネルソン・マンデラ
ダブル入院を凶事と捉え、原因はリフォームと家相ではないかと心配する親父。
いまだ原因がはっきりせず、体調も思わしくない母親。
二人から出てくる言葉はネガティブで、雰囲気は明るくない。
医者でもない私にはどうする事もできない。
「そのうち良くなるよ」と、何の根拠もない気休めを言う事も性格的にできない。
できる事といえば、「物は考え様」という話をするだけだった。
半分水の入ったコップを見て、半分「しか」入っていないと捉えるか、半分「も」入っていると捉えるか、同じ現象でも捉え方によって気持ちは随分と違う。
交通事故で車に撥ねられた親父は確かに不運だ。
入院して手術までしたわけであるから当然だ。
だが車に撥ねられて半身不随になる人だっている。
ひき逃げされてしまうケースだって時折ニュースでやっている。
入院中、母親の隣のベッドに寝ていた患者さんは末期癌だったらしい。
手術しなければいけないかもしれないと按ずる母に、「手術するって事は可能性があるってことよ、私はもうダメみたいだから」と語って、その後間もなく「退院」していったそうである。
コップに水が溢れんばかりの状態が当たり前だと考えていれば、半分「しか」なくなれば一大事だ。
だが、空っぽの状態からみれば、せめてわずかなりともと渇望していた期間、半分「も」入っている状態はありがたくて仕方がない。
両者ともコップの水の量は同じなのに、である。
「人生良い事ばかりではない」という事に疑問を持つ人はいないだろう。
必ず凶事はあるのである。
それを「こんなに酷い」と捉えるか、「この程度で良かった」と捉えるかで随分と結果は変わってくるに違いない。
「そりゃそうだ」と頷く親父に無言の母親。
「理屈はそうだが・・・」と言いたげな様子。
受け止め方の違いは心の余裕の表れだろう。
一方は良くなるだけで希望が見えているが、もう一方はまだトンネルの中。
理屈はわかっていても今現在の体調が気持ちを下に引っ張る。
「健全な精神は健全な肉体に宿る」ではないが、やはり健康な肉体があってこそ前向きな考え方につながるのだろう。かく言う自分も同じ立場になっても尚、半分「も」と言えるだろうか。やはり健康ってとても大事な事なのだ。早く出口の光が見えればと思うのである・・・
【本日の読書】
「シンプルでうまくいくコミュニケーションの技術」天野雅晴
「自由への長い道」ネルソン・マンデラ
2010年4月3日土曜日
親父心配する
仲良くダブル入院していた実家の両親も今は退院している。
膝の怪我の親父は、びっこを引きながらもあとは治るのを待つだけ。
母親の方はちょっと厄介で、一時退院という位置づけ。
通院しながら原因究明と治療法探しを続けないといけない状態である。
週末を利用して実家に顔を出した。
ここぞとばかりに親父が私に頼んできた事は、「実家の間取り図を書いて欲しい」という事だった。
これまでもよく文章を書いてくれとは頼まれていた。
私はまったく苦にならないが、親父は文章を書くのが苦手。
よく頼まれていたものであるが、今回の依頼はこちらも面食らった。
図面とか絵とかになるとこちらも苦手だ。
理由を聞いてみたところ、どうやら家相を見てもらうとの事。
何せ昨年リフォームをした途端、両方揃っての入院騒ぎである。
さては何か家相的に良からぬリフォームをしてしまったのではないか、というのが親父の心配事であった。
昔の私だったらこの手の「迷信」は笑い飛ばしていた。
そんなものが影響するはずがないからである。
その考えは今でも変わらない。
変わったのは、そういう考え方に対する「態度」である。
私は快く引き受けて図面を書いた。
家相は昔から信じられている。
でも大事なのは「実際どうなのか」という事ではなく(そんな事は証明できないし100年議論しても結論は出ない)、「信じている人にどう接するか」だ。
信じている親父に、「そんなの迷信だ」など言っても始まらない。
見てもらって気が済むならそれに越した事はない。
親父には、「見てもらって『ダメだ』と言われてもやり直すわけにもいかない、田舎の広い家なら可能かもしれないが、東京のこの狭い家で台所の位置が悪いと言われても移すところなんてないだろう、だからいっその事お祓いしてもらったら」とアドバイスした。
いくら「家相なんて何の根拠もない」なんて説得したところで、人間は不安な動物だ。
心のどこかで、「それでもやっぱり」と心配してしまうものである。
それを笑い飛ばしたところで、親父の心の問題は解決できない。
親父の信心は大事にしないといけない。
実は私も自宅を新築した時、家相の問題が出てきたが、それ自体は無視してお祓いしてもらう事で解決した。外野の声をそれで抑えたし、「まったくバカにしてもしかしたら」という私自身のわずかな不安もそれで封殺した。近所の神社の神主さんに来てもらったが、いつも初詣だけは欠かさないし、そういう気持ちも大事にしないといけないと思ったからだ。
幸いお祓い案は良かったようだ。
あの調子だとお祓いしてもらうのかもしれない。
私の書いた図面を見た親父だが、「そんな感じで書けばいいのか」と自分で書く事にしたようである。間接的にお前の絵は頼りにならないと言っていた事に、どうやら鈍感な親父は気付かなかったようである・・・
【本日の読書】
「最後の授業」ランディ・パウシュ
「姫椿」浅田次郎
膝の怪我の親父は、びっこを引きながらもあとは治るのを待つだけ。
母親の方はちょっと厄介で、一時退院という位置づけ。
通院しながら原因究明と治療法探しを続けないといけない状態である。
週末を利用して実家に顔を出した。
ここぞとばかりに親父が私に頼んできた事は、「実家の間取り図を書いて欲しい」という事だった。
これまでもよく文章を書いてくれとは頼まれていた。
私はまったく苦にならないが、親父は文章を書くのが苦手。
よく頼まれていたものであるが、今回の依頼はこちらも面食らった。
図面とか絵とかになるとこちらも苦手だ。
理由を聞いてみたところ、どうやら家相を見てもらうとの事。
何せ昨年リフォームをした途端、両方揃っての入院騒ぎである。
さては何か家相的に良からぬリフォームをしてしまったのではないか、というのが親父の心配事であった。
昔の私だったらこの手の「迷信」は笑い飛ばしていた。
そんなものが影響するはずがないからである。
その考えは今でも変わらない。
変わったのは、そういう考え方に対する「態度」である。
私は快く引き受けて図面を書いた。
家相は昔から信じられている。
でも大事なのは「実際どうなのか」という事ではなく(そんな事は証明できないし100年議論しても結論は出ない)、「信じている人にどう接するか」だ。
信じている親父に、「そんなの迷信だ」など言っても始まらない。
見てもらって気が済むならそれに越した事はない。
親父には、「見てもらって『ダメだ』と言われてもやり直すわけにもいかない、田舎の広い家なら可能かもしれないが、東京のこの狭い家で台所の位置が悪いと言われても移すところなんてないだろう、だからいっその事お祓いしてもらったら」とアドバイスした。
いくら「家相なんて何の根拠もない」なんて説得したところで、人間は不安な動物だ。
心のどこかで、「それでもやっぱり」と心配してしまうものである。
それを笑い飛ばしたところで、親父の心の問題は解決できない。
親父の信心は大事にしないといけない。
実は私も自宅を新築した時、家相の問題が出てきたが、それ自体は無視してお祓いしてもらう事で解決した。外野の声をそれで抑えたし、「まったくバカにしてもしかしたら」という私自身のわずかな不安もそれで封殺した。近所の神社の神主さんに来てもらったが、いつも初詣だけは欠かさないし、そういう気持ちも大事にしないといけないと思ったからだ。
幸いお祓い案は良かったようだ。
あの調子だとお祓いしてもらうのかもしれない。
私の書いた図面を見た親父だが、「そんな感じで書けばいいのか」と自分で書く事にしたようである。間接的にお前の絵は頼りにならないと言っていた事に、どうやら鈍感な親父は気付かなかったようである・・・
【本日の読書】
「最後の授業」ランディ・パウシュ
「姫椿」浅田次郎
2010年4月1日木曜日
新人たちよ
今日から学校は新学期、企業は新年度。
今日から社会人という人も多かったであろう。
それらしき若者を多数見かけたが、残念ながら新人なのか就活学生なのかはよくわからなかった。
思い起こせば、もう就職して22年だ。
気がつけば定年までの期間の方が短くなってしまった。
あれからもう22年も経ったのかと思うと、感慨深いものがある。
私が就職した頃は、超売り手市場。企業回りなどすれば熱烈大歓迎で、うっかり気軽に企業訪問などしようものならあとで断るのが大変だった。嬉しいやら困惑やらで、美人の気持ちってこんなだろうかなどと思ったものである。
ただ入ったあとは酷かった。銀行も本部あたりだとスマートな人ばかりであったが、最初に配属された東京郊外の支店ではまったく人種の違う人達がいた。「仕事は盗むもの」という価値観の人達が、飲みに行けば酒の注ぎ方まで文句を言われ、箸の上げ下ろしまでとやかく言われた。仕事で厳しくされるなら何ともなかったが、それ以外のことでのストレスに、とにかく毎日腹を立てていた。
辞めなかったのは、やっぱり体育会ラグビー部で鍛えられて、「根を上げる」という事を知らなかった事と、いずれ転勤すれば何とかなると思った事と、嫌でも5年間はとにかく勤めようと一番初めに決めていたからだ。最初の支店は人間関係というものを大いに学ばされた。
今振り返ってみれば、あれはあれなりに良かったと思っている。酒の注ぎ方だってそのあと接待の時に役立ったと思うし、何より自分で仕事ができるようになると心のゆとりができてきて、自然と考え方も変わる。
初めてボーナスをもらった時、「仕事もしていないのにボーナスもらうのか」と言われて一日中気分が悪かったが、今なら「○○さんの時はもらえなかったんですか?」と笑顔で切り返せるだろう。もし今の自分があの頃に逆戻りしたら、もっと楽しくやれただろうと思うと、あの時衝突した人達に何だか申し訳ない気がする。
一頃、今時の若者は3年で辞めると言われていた。就職氷河期の今はどうなのだろう。エントリーシートなるものを何通も提出し、一生懸命企業訪問し、ようやく内定を取ったと思ったら内定取り消しなんて事もあり、今の学生さんは大変だ。今日社会人デビューした人達は、これから職場でどんな経験を重ねていくのだろう。
もし何かアドバイスを求められたら、社会人22年目の自分は何て答えるだろう?
「勉強しなさい」って事だろうな。
今は会社に頼っていてはいけない時代だ。
上場企業だって倒産する時代だ。
船が沈没して荒海に放り出されたら、溺れないようしっかり泳がないといけない。
しっかり泳げるかは日頃の鍛錬だ。
電車の中で漫画なんか読んでる場合ではない。
とにかく進んで経験を積ませてもらう事だろうな。
直接アドバイスする機会は少ないと思うが、自分自身いつ彼らに盗まれてもいいようにそんなスタンスを心掛けていたいものだと、今日改めてそう思うのである・・・
【本日の読書】
「最後の授業」ランディ・パウシュ
「姫椿」浅田次郎
今日から社会人という人も多かったであろう。
それらしき若者を多数見かけたが、残念ながら新人なのか就活学生なのかはよくわからなかった。
思い起こせば、もう就職して22年だ。
気がつけば定年までの期間の方が短くなってしまった。
あれからもう22年も経ったのかと思うと、感慨深いものがある。
私が就職した頃は、超売り手市場。企業回りなどすれば熱烈大歓迎で、うっかり気軽に企業訪問などしようものならあとで断るのが大変だった。嬉しいやら困惑やらで、美人の気持ちってこんなだろうかなどと思ったものである。
ただ入ったあとは酷かった。銀行も本部あたりだとスマートな人ばかりであったが、最初に配属された東京郊外の支店ではまったく人種の違う人達がいた。「仕事は盗むもの」という価値観の人達が、飲みに行けば酒の注ぎ方まで文句を言われ、箸の上げ下ろしまでとやかく言われた。仕事で厳しくされるなら何ともなかったが、それ以外のことでのストレスに、とにかく毎日腹を立てていた。
辞めなかったのは、やっぱり体育会ラグビー部で鍛えられて、「根を上げる」という事を知らなかった事と、いずれ転勤すれば何とかなると思った事と、嫌でも5年間はとにかく勤めようと一番初めに決めていたからだ。最初の支店は人間関係というものを大いに学ばされた。
今振り返ってみれば、あれはあれなりに良かったと思っている。酒の注ぎ方だってそのあと接待の時に役立ったと思うし、何より自分で仕事ができるようになると心のゆとりができてきて、自然と考え方も変わる。
初めてボーナスをもらった時、「仕事もしていないのにボーナスもらうのか」と言われて一日中気分が悪かったが、今なら「○○さんの時はもらえなかったんですか?」と笑顔で切り返せるだろう。もし今の自分があの頃に逆戻りしたら、もっと楽しくやれただろうと思うと、あの時衝突した人達に何だか申し訳ない気がする。
一頃、今時の若者は3年で辞めると言われていた。就職氷河期の今はどうなのだろう。エントリーシートなるものを何通も提出し、一生懸命企業訪問し、ようやく内定を取ったと思ったら内定取り消しなんて事もあり、今の学生さんは大変だ。今日社会人デビューした人達は、これから職場でどんな経験を重ねていくのだろう。
もし何かアドバイスを求められたら、社会人22年目の自分は何て答えるだろう?
「勉強しなさい」って事だろうな。
今は会社に頼っていてはいけない時代だ。
上場企業だって倒産する時代だ。
船が沈没して荒海に放り出されたら、溺れないようしっかり泳がないといけない。
しっかり泳げるかは日頃の鍛錬だ。
電車の中で漫画なんか読んでる場合ではない。
とにかく進んで経験を積ませてもらう事だろうな。
直接アドバイスする機会は少ないと思うが、自分自身いつ彼らに盗まれてもいいようにそんなスタンスを心掛けていたいものだと、今日改めてそう思うのである・・・
【本日の読書】
「最後の授業」ランディ・パウシュ
「姫椿」浅田次郎
2010年3月29日月曜日
桜
「思い出す、様々のことさくらかな」 芭蕉
「やは肌のあつき血潮にふれも見で さびしからずや道を説く君」 与謝野晶子
そろそろ桜が咲きだした。ここのところ寒さが戻ってきて春どころではないが、やっぱりちらほらと咲き始めた桜を見ると心浮き立つものがある。私にもしっかりと日本人のDNAが染み込んでいるようである。
今朝から通勤のルートを少し変えた。いつもの駅までの道のりに桜の木がないから、少し遠回りして桜の木の下を通って行くのだ。というのも東京駅につけば味気ないビル街で桜などない。下手をすると桜を見ずに春を終えてしまうなんて事になりかねない。そんなわけでの遠回りである。
今日札幌出身の人に聞いたのだが、東京の桜は本当にきれいだそうだ。かの地でも桜はあるのだが種類が違うとの事で、こちらのように花びらが多くないのだそうだ。
「『桜吹雪』という言葉は知っていたけどね、東京へ来て初めて本物を見た時は感動したよ」とその人は語ってくれた。そんな桜を毎年普通に見られるのは、実はありがたい事かもしれない。
それでも都内のいわゆる桜の名所などというところに出かけて行く気は起こらない。人が多過ぎて、例えば上野公園などは酷い有り様だ。それでも11年前に行った北の丸公園は良かった。今ではわざわざそんなところに出かけて行く事もなくて、せいぜいが近所で楽しんでいる。近所と言っても、我が街にはなかなか見事な桜の並木道があって、それはそれで馬鹿にしたものでもない。
しかしなんと言っても散るのも早い。11年前、北の丸公園に行った翌週に伊豆に旅行した時は、もう葉桜だった。途中で桜の名所のようなところがあったのだが、すっかり葉桜でもう一週間早く来たかったと残念だった事を覚えている。
偶然にも今年はあの時と同じ暦。北の丸公園に行った3日と伊豆に行った10日が土曜日だ。たった一週間で満開の桜がもう葉桜。早いといえば早い。
散ってしまうとみんなあまり桜の木など意識しなくなる。1年間じっとしていて、一瞬だけ存在感を発揮する。そんな桜は、なんだか人生のようだと言ったら大げさであろうか。普段は平凡な毎日。記憶にずっと残るような出来事が、そうそうあるものでもない。でもほんの一瞬、そういう時が必ずやってきて、あとはその記憶を大事にしながらまた平凡な日々をしっかりと過ごす。
平凡な日々があるから、いつまでも輝いた記憶が生きてくるのだろう。そんな記憶をたまに引っ張り出してきて密かに愛でるのも悪くはない。日記の助けを借りるとかなり鮮明に思い出せる。そんな記憶をこれからいくつ積み重ねられるだろう。
「花半開を看る」というが、これから徐々に咲いて行く桜を見るのはいいものである。同じ暦だからといって、同じ出来事が起こるわけではないが、桜は確実に咲く。確実に咲くからこそ、慌てず、ゆっくりと咲いてほしいものである。これからほんのしばらく、日本人として生まれた喜びを毎朝味わいたいと思うのである・・・
【本日の読書】
「最後の授業」ランディ・パウシュ
「時の風」廣岡洋子
「やは肌のあつき血潮にふれも見で さびしからずや道を説く君」 与謝野晶子
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そろそろ桜が咲きだした。ここのところ寒さが戻ってきて春どころではないが、やっぱりちらほらと咲き始めた桜を見ると心浮き立つものがある。私にもしっかりと日本人のDNAが染み込んでいるようである。
今朝から通勤のルートを少し変えた。いつもの駅までの道のりに桜の木がないから、少し遠回りして桜の木の下を通って行くのだ。というのも東京駅につけば味気ないビル街で桜などない。下手をすると桜を見ずに春を終えてしまうなんて事になりかねない。そんなわけでの遠回りである。
今日札幌出身の人に聞いたのだが、東京の桜は本当にきれいだそうだ。かの地でも桜はあるのだが種類が違うとの事で、こちらのように花びらが多くないのだそうだ。
「『桜吹雪』という言葉は知っていたけどね、東京へ来て初めて本物を見た時は感動したよ」とその人は語ってくれた。そんな桜を毎年普通に見られるのは、実はありがたい事かもしれない。
それでも都内のいわゆる桜の名所などというところに出かけて行く気は起こらない。人が多過ぎて、例えば上野公園などは酷い有り様だ。それでも11年前に行った北の丸公園は良かった。今ではわざわざそんなところに出かけて行く事もなくて、せいぜいが近所で楽しんでいる。近所と言っても、我が街にはなかなか見事な桜の並木道があって、それはそれで馬鹿にしたものでもない。
しかしなんと言っても散るのも早い。11年前、北の丸公園に行った翌週に伊豆に旅行した時は、もう葉桜だった。途中で桜の名所のようなところがあったのだが、すっかり葉桜でもう一週間早く来たかったと残念だった事を覚えている。
偶然にも今年はあの時と同じ暦。北の丸公園に行った3日と伊豆に行った10日が土曜日だ。たった一週間で満開の桜がもう葉桜。早いといえば早い。
散ってしまうとみんなあまり桜の木など意識しなくなる。1年間じっとしていて、一瞬だけ存在感を発揮する。そんな桜は、なんだか人生のようだと言ったら大げさであろうか。普段は平凡な毎日。記憶にずっと残るような出来事が、そうそうあるものでもない。でもほんの一瞬、そういう時が必ずやってきて、あとはその記憶を大事にしながらまた平凡な日々をしっかりと過ごす。
平凡な日々があるから、いつまでも輝いた記憶が生きてくるのだろう。そんな記憶をたまに引っ張り出してきて密かに愛でるのも悪くはない。日記の助けを借りるとかなり鮮明に思い出せる。そんな記憶をこれからいくつ積み重ねられるだろう。
「花半開を看る」というが、これから徐々に咲いて行く桜を見るのはいいものである。同じ暦だからといって、同じ出来事が起こるわけではないが、桜は確実に咲く。確実に咲くからこそ、慌てず、ゆっくりと咲いてほしいものである。これからほんのしばらく、日本人として生まれた喜びを毎朝味わいたいと思うのである・・・
【本日の読書】
「最後の授業」ランディ・パウシュ
「時の風」廣岡洋子
2010年3月27日土曜日
その時どうすべきか
五木寛之の『人間の運命』という本を読んだ。小説ではなく、運命について語った一冊である。
少年の頃、両親と共に渡った朝鮮半島で終戦を向え、混乱の中で帰国。飢えと寒さとに苦しめられながら、ソ連兵と北朝鮮兵の目を盗んで脱出。途中で逃避行に足手まといとなる2歳の妹を置き去りにしようとする。そんな強烈な原体験を持つ五木寛之の運命論は、ぐっとくるものがある。
印象的だったのは、そんな自らの経験の中で、人生は不条理であるとした中で語られる言葉。生きて帰国できたのは、常に良き行いをしていたものではなく、他人を押し退けた者。トラックの最後のスペースに人を押し退けて乗った人は帰国でき、親切にも譲った人はどうなったかわからない、というところ。
そういえばタイタニック号の悲劇でも似たようなことがあった。沈みゆくタイタニック号に十分な数の救命ボートはなかった。極寒の海でボートに乗れないという事は、すなわち死を意味する。女性と子供を優先させた多くの紳士たちは命を落とし、ある日本人男性はボートに飛び乗って生還し、のちに大いなる批判を浴びた。
順番を譲って死んでいった無名の紳士たちは確かに立派だが、生き残った日本人男性(本人はたまたまタイミング良くスペースが見つかったというような事を確か語っていた)が例え、人を押し退けて乗ったとしてもそれは果たして批判されるべきなのであろうか。法律では、海に落ちて溺れる者が別の者から浮き輪を奪って助かった場合、奪われた者が溺れ死んだとしても罪には問われない(緊急避難の法理)。
法律的には認められていても感情的には難しい。家族としては「どんな事をしてでも」と思うだろうし、幼い子供を抱えていれば、自分としても「どんな事をしてでも」と思うだろう。常日頃「より良く生きたい」と思っているが、「他人を押し退ける」という行為はその中に入っていない。だが、命がかかった場合はどうだろうか。
そんな事態に出会ったとして、理想論から言えばやっぱり人を押し退けるより周りを見回す余裕と冷静な判断力と他人に手を差し伸べられる力とをもった男でありたいと思う。だがもしも本当にそんな事態になってしまったら、理想通りに行動できるか、またそうすべきかどうかはわからない。少なくとも死んで英雄になるよりも、例え非難されようと生きていればきっと後悔よりも多くのものが残るような気がする。そもそも安全な立場にいた他人が非難する事自体間違っているのだが・・・
こんな事を考えられるのも平和な時代に平和な環境下で暮らしていられるからに他ならない。五木寛之少年はきっとそんな事で悩んでいる余裕はなかったであろう。そんな事は机上の空論で終えるのがいいのであって、それに越したことはない。理想の自分はあくまで理想として、そんな男でありたいと思うだけに留める事にしよう。そんな妄想を気楽に楽しめる環境がずっと続いてほしいと、ただ思うのである・・・
【本日の読書】
「1年で駅弁売上を5000万円アップさせたパート主婦が明かす奇跡のサービス」三浦由紀江
少年の頃、両親と共に渡った朝鮮半島で終戦を向え、混乱の中で帰国。飢えと寒さとに苦しめられながら、ソ連兵と北朝鮮兵の目を盗んで脱出。途中で逃避行に足手まといとなる2歳の妹を置き去りにしようとする。そんな強烈な原体験を持つ五木寛之の運命論は、ぐっとくるものがある。
印象的だったのは、そんな自らの経験の中で、人生は不条理であるとした中で語られる言葉。生きて帰国できたのは、常に良き行いをしていたものではなく、他人を押し退けた者。トラックの最後のスペースに人を押し退けて乗った人は帰国でき、親切にも譲った人はどうなったかわからない、というところ。
そういえばタイタニック号の悲劇でも似たようなことがあった。沈みゆくタイタニック号に十分な数の救命ボートはなかった。極寒の海でボートに乗れないという事は、すなわち死を意味する。女性と子供を優先させた多くの紳士たちは命を落とし、ある日本人男性はボートに飛び乗って生還し、のちに大いなる批判を浴びた。
順番を譲って死んでいった無名の紳士たちは確かに立派だが、生き残った日本人男性(本人はたまたまタイミング良くスペースが見つかったというような事を確か語っていた)が例え、人を押し退けて乗ったとしてもそれは果たして批判されるべきなのであろうか。法律では、海に落ちて溺れる者が別の者から浮き輪を奪って助かった場合、奪われた者が溺れ死んだとしても罪には問われない(緊急避難の法理)。
法律的には認められていても感情的には難しい。家族としては「どんな事をしてでも」と思うだろうし、幼い子供を抱えていれば、自分としても「どんな事をしてでも」と思うだろう。常日頃「より良く生きたい」と思っているが、「他人を押し退ける」という行為はその中に入っていない。だが、命がかかった場合はどうだろうか。
そんな事態に出会ったとして、理想論から言えばやっぱり人を押し退けるより周りを見回す余裕と冷静な判断力と他人に手を差し伸べられる力とをもった男でありたいと思う。だがもしも本当にそんな事態になってしまったら、理想通りに行動できるか、またそうすべきかどうかはわからない。少なくとも死んで英雄になるよりも、例え非難されようと生きていればきっと後悔よりも多くのものが残るような気がする。そもそも安全な立場にいた他人が非難する事自体間違っているのだが・・・
こんな事を考えられるのも平和な時代に平和な環境下で暮らしていられるからに他ならない。五木寛之少年はきっとそんな事で悩んでいる余裕はなかったであろう。そんな事は机上の空論で終えるのがいいのであって、それに越したことはない。理想の自分はあくまで理想として、そんな男でありたいと思うだけに留める事にしよう。そんな妄想を気楽に楽しめる環境がずっと続いてほしいと、ただ思うのである・・・
【本日の読書】
「1年で駅弁売上を5000万円アップさせたパート主婦が明かす奇跡のサービス」三浦由紀江
2010年3月24日水曜日
薄型テレビ

この連休、我が家もとうとう薄型テレビを買った。まだ必要性も感じていなかったのだが、政府が一生懸命消費対策に血道を上げているし、エコポイントも使えるうちに使ってしまえと決断したのである。とはいえ何か買いたい機種があるわけでもない。大阪在住の義弟が基礎調査をしてくれたので、それを基にしてターゲットを東芝のレグザ47インチに絞った。
機種選定から入念な価格調査まで一人で仕切ったのは我が家の妻。先週の木曜日に一人で買いに行って値切りに失敗し、連休中日に家族総出でリベンジとなったのである。
向かったのは池袋のビックカメラ。ここと向いのヤマダ電機とで比較する予定だった。驚いた事に販売員に話を聞くのも順番制で、開店時間の10時過ぎに行ったにもかかわらず20人待ち。他のフロアーはそうでもなかったから、やっぱり地デジ、エコポイントが効いているようだ。
我々の対応に出てきたのは、「実習生」のネームプレートが初々しいW君。妻は「あちゃ~と内心思った」そうである。「友人が先週ここで206,000円+ポイント25%で買ったのだが、同じ条件なら即金で買う」と先制パンチ。W君さっそく、裏へと走る。裏で控える責任者に談判に行ったのだ。基本的に ええかっこしいの私は高見の見物だ。
W君、戻ってきて曰く、「214,000円+ポイント15%しか出せません」。まあ仕方ないんじゃないのと内心思う私。「えっ~」と大げさに驚く妻は、「それじゃ、あかんわ、ヤマダさんに行くわ。だって210,000円+ポイント25%って言われてんのやで、話にならんわ~」と切り返す。タジタジとなったW君は再び裏へと走る。
ええかっこしいの私はそれでも、「一緒に買うハードディスク14,800円とセットで220,000円くらいで手を売ったら」と一応は妻にアドバイス。多少下げてくるかもしれないし、それで粘るより形を変えた方が下げやすいと踏んだのだ。戻ってきたW君、「204,000円+25%でどうでしょう!」と来た。上出来だ。
ところが長期保証をつけるならポイント20%だと言う(まぁ仕方がないんじゃないのと内心思うええかっこしいの私)。
「あかんわ~、今時長期保証は当たり前やんか、ヤマダさんはそんなセコイこと言わへんでぇ~、ポイント25%にそこのハードディスクも買うから14,000円にしたってえや」
と妻は攻撃の手を緩めない。それは欲張り過ぎじゃないかと私は目で訴えるが伝わらない。W君再び裏へ走る。「あれじゃ嫌がられるんじゃないの」と妻に言うも、「言うのはタダや」と意に介さない。
帰ってきたW君、「204,000円+長期保証付でポイント25%+ハードディスクは14,000円!」と回答。「うれしぃ~、実習生なのに優秀やわね」とW君をねぎらう妻。ちなみに今では「標準語を流暢に話せるようになったやろ」と自慢する妻であるが、喧嘩と値切る時は関西弁丸出しである。敵には回したくない、とつくづく思う。
かくて我が家に薄型テレビがやってくるのは4月の中旬(生産が追いつかないようである)。今のテレビも十分使えるので、お払い箱にするのはちょっと気が引ける。景気対策も良いのだが、モノを長く大事に使うという事も大切にしたいところである。とはいえテレビの到着が待ち遠しい私なのである・・・
【本日の読書】
「人間の運命」五木寛之
「告白」湊かなえ
2010年3月22日月曜日
味覚狩り2010
昨年は5回に及んだ我が家の味覚狩り。基本的に食いしん坊が過半数を占める我が家としてはもう外せない恒例行事だ。そして年間最初を飾るのがイチゴ狩りであるが、この連休初日に実施した。昨年は雨であったが、今年は見事な天気。例年は房総方面へ出かけるのを常としていたが、今年は趣向を変えて佐野へ向った。
「イチゴ狩り→アウトレット探索→ランチは佐野ラーメン→公園で子供たちを遊ばせる→夕食も佐野ラーメン」というスケジュール。このスケジュールを考えた人物がいかに「花より団子」かがよくわかる。9時開園にあわせて向うも、渋滞で30分ほど遅れる。けっこうな人出であったが、さっそくイチゴ狩り。
時間制限は30分であるが、さすがに30分もイチゴを食べ続けると「もういい」となる。鼻からイチゴ汁が出そうになったほどだが、甘いトチオトメはとっても美味であった。アウトレットへ行ったところでアクシデント発生。なんとなく調子が悪いと行っていた娘が、駐車場でもどしてしまったのだ。一面イチゴの残骸。近くの公衆トイレで清掃用のバケツを拝借して後始末に追われるハメとなった。まあそれでも車の中でなくてよかったし、幸か不幸か場所も排水溝の上だったから、ラッキーといえばラッキーであった。
さすがに予定を変更して帰る事にした。しかし、落ち着くまでと、ポカポカ陽気の中、ベンチで小一時間休憩。娘と二人でベンチでまどろむのも悪くない(この間、母親はお買い物だ!)。ランチの頃には娘も少し元気を回復。
そのランチは佐野ラーメン。私自身ラーメン党だし、佐野ラーメンは楽しみにしていた。今回行ったのは、万里というところ。何より手打ちを謳っている麺が他にはない食感で美味であった。大盛りといきたいところであったが、娘は本調子ではないし、長男は一人前食べられないだろうと読んで普通を4人分注文。
ところが、何だかんだ言って娘はラーメンをほぼ一人前食べてしまった。それどころか、そのあと「佐野名物いもフライ」はしっかり一本食べる始末。
食べる事に対するDNAは私譲りではないと断言できる。今はいいけどいつまでも「色気より食い気」だと困るよなぁと思う親心・・・
帰りのパーキングではソフトクリームまで平らげた。
まあ楽しそうだったから何よりだ。先週からの一連のレジャー。この連休はこれで少し休ませてもらう事になった。いよいよもうじき桜の季節。芯から日本人の私としては、心和む季節の到来を楽しみたいと思うのである…
【本日の読書】
なし
「イチゴ狩り→アウトレット探索→ランチは佐野ラーメン→公園で子供たちを遊ばせる→夕食も佐野ラーメン」というスケジュール。このスケジュールを考えた人物がいかに「花より団子」かがよくわかる。9時開園にあわせて向うも、渋滞で30分ほど遅れる。けっこうな人出であったが、さっそくイチゴ狩り。
時間制限は30分であるが、さすがに30分もイチゴを食べ続けると「もういい」となる。鼻からイチゴ汁が出そうになったほどだが、甘いトチオトメはとっても美味であった。アウトレットへ行ったところでアクシデント発生。なんとなく調子が悪いと行っていた娘が、駐車場でもどしてしまったのだ。一面イチゴの残骸。近くの公衆トイレで清掃用のバケツを拝借して後始末に追われるハメとなった。まあそれでも車の中でなくてよかったし、幸か不幸か場所も排水溝の上だったから、ラッキーといえばラッキーであった。
さすがに予定を変更して帰る事にした。しかし、落ち着くまでと、ポカポカ陽気の中、ベンチで小一時間休憩。娘と二人でベンチでまどろむのも悪くない(この間、母親はお買い物だ!)。ランチの頃には娘も少し元気を回復。
そのランチは佐野ラーメン。私自身ラーメン党だし、佐野ラーメンは楽しみにしていた。今回行ったのは、万里というところ。何より手打ちを謳っている麺が他にはない食感で美味であった。大盛りといきたいところであったが、娘は本調子ではないし、長男は一人前食べられないだろうと読んで普通を4人分注文。ところが、何だかんだ言って娘はラーメンをほぼ一人前食べてしまった。それどころか、そのあと「佐野名物いもフライ」はしっかり一本食べる始末。
![]() |
| 名物芋フライ |
帰りのパーキングではソフトクリームまで平らげた。
まあ楽しそうだったから何よりだ。先週からの一連のレジャー。この連休はこれで少し休ませてもらう事になった。いよいよもうじき桜の季節。芯から日本人の私としては、心和む季節の到来を楽しみたいと思うのである…
【本日の読書】
なし
2010年3月21日日曜日
スキー3
別にネタがないわけではないが、先週スキーに行っていろいろ感じた事があるのでそれを書き留めておきたい。かつての隆盛を失ったスキー場。傍から見ても経営は苦しいのではないかなと思わされる。あれだけ人が溢れかえっていたゲレンデに嘘のように人がいないからだ。
少子化という事もあるかもしれないが、それだけでもないだろう。今回家族4人で一泊で行ったが、交通費で約35,000円、宿泊で同程度、レンタルスキーとリフト代2日分とスキー教室、昼食費その他で大体100,000円超の出費だ。けっこうかかる。一冬何度も行くというわけにもいかない。独身の頃には気にせずにいられた事だ。
世間は長い景気の低迷下にある。サラリーマンの給与は過去10年上がっていない。自ずとレジャー資金も減っているのだろうし、スキー場の低迷もそんなところが一因かもしれない。スキー場だけでなく、アルペンも先日我が家の近所の店舗を閉鎖した。ビクトリアもスキー用品コーナーは大幅に縮小されて、ゴルフコーナー等に切り替わっている。スキー市場は確実に縮小している。
独身貴族の若者でさえゲレンデにはあまりお金を落とさないらしい。車で来て、日帰りで帰って行く。ゲレンデで使うのはリフト代とわずかな食費ぐらいだろう。スキー場側からすると、したがってターゲットはファミリーとなるのかもしれない。友人のブログを見ると「小学生はリフト代タダ」なんてところもあるようだ。少しでも節約したい親からすればありがたい。他のスキー場との少なくなった客の奪い合いを制するための施策なのかもしれない。
ただ利用側からすると今の状況はありがたい。空いているゲレンデは何よりも楽しめる。かつてはスノーボード禁止なんてところが多かったが、今はスキーヤーと仲良く共存している。縮小したなかでうまく経営を維持してくれれば、スキー人口はなくなる事はないだろうし、残った人達でより楽しいレジャーとして生き残っていくだろう。
景気は確かに良くなってほしいが、それもほどほどにと思うのは虫が良すぎるだろうかと思うのである・・・
【本日の読書】
「人間の運命」五木寛之
「告白」湊かなえ
少子化という事もあるかもしれないが、それだけでもないだろう。今回家族4人で一泊で行ったが、交通費で約35,000円、宿泊で同程度、レンタルスキーとリフト代2日分とスキー教室、昼食費その他で大体100,000円超の出費だ。けっこうかかる。一冬何度も行くというわけにもいかない。独身の頃には気にせずにいられた事だ。
世間は長い景気の低迷下にある。サラリーマンの給与は過去10年上がっていない。自ずとレジャー資金も減っているのだろうし、スキー場の低迷もそんなところが一因かもしれない。スキー場だけでなく、アルペンも先日我が家の近所の店舗を閉鎖した。ビクトリアもスキー用品コーナーは大幅に縮小されて、ゴルフコーナー等に切り替わっている。スキー市場は確実に縮小している。
独身貴族の若者でさえゲレンデにはあまりお金を落とさないらしい。車で来て、日帰りで帰って行く。ゲレンデで使うのはリフト代とわずかな食費ぐらいだろう。スキー場側からすると、したがってターゲットはファミリーとなるのかもしれない。友人のブログを見ると「小学生はリフト代タダ」なんてところもあるようだ。少しでも節約したい親からすればありがたい。他のスキー場との少なくなった客の奪い合いを制するための施策なのかもしれない。
ただ利用側からすると今の状況はありがたい。空いているゲレンデは何よりも楽しめる。かつてはスノーボード禁止なんてところが多かったが、今はスキーヤーと仲良く共存している。縮小したなかでうまく経営を維持してくれれば、スキー人口はなくなる事はないだろうし、残った人達でより楽しいレジャーとして生き残っていくだろう。
景気は確かに良くなってほしいが、それもほどほどにと思うのは虫が良すぎるだろうかと思うのである・・・
【本日の読書】
「人間の運命」五木寛之
「告白」湊かなえ
2010年3月18日木曜日
スキー2
初めてのスキーでおっかなびっくり滑る我が子の姿を見ていて、自分自身がスキーをはじめた頃の事を思い出した。私のスキーデビューは高校一年の正月だった。中学時代の友人3人と越後中里に行ったのだ。
4人中、私とOとKの3人が初心者。スキーを履くところまでは良かったが、そのあとは慣れない感覚に動けなかったのを覚えている。やがてボーゲンで滑れるようになり、唯一の経験者であったTに誘われてリフトで上の方に向った。快調に降りてきたところ、最後の斜面で壁にぶち当たった。初心者にはちょっと厳しい斜面がそこにあったのだ。
我々初心者3人組は覚悟を決めて滑り始めたが、たちまち立ち往生。OとKはギブアップして板を担いで斜面を降り始めた。しかし「逃げる」という事が嫌いな私は意地で滑り降りた。登るならともかく、板は担いで降りるものではないとうそぶいて気合いで降りた。逃げるくらいなら転がり落ちたほうがまだマシだと思ったのだ。
やってみれば別に死ぬわけでもない。カッコ悪かったかもしれないが、とにかく滑り降りたからOとKに対しては優越感に浸った。絶対3人の中で一番うまくなるだろうと思った。しかしその後OとKは大学でスキーを本格的に始め(Oはおちゃらけサークルだ)、あっという間に私よりうまくなってしまった。
大学ではラグビー部に入ったが、冬のオフになると(普通の大学は冬はシーズンオフなのだ)部内スキーツアーが開催されたのでよく参加した。ラグビー部のスキーツアーは、練習のノリだ。朝からリフトが止まるまで滑るわけだが、休憩は昼食時のみ。お茶タイムなんてものはない。滑り降りてすぐリフトに乗る。その繰り返し。リフトの上が休憩時間という具合だ。
あの頃はテクニックを磨くよりもスピードとスリルを求めてすべる弾丸スキーだった。平日だからゲレンデも空いていた。みんな普段から「きつい」とか「休もう」なんて言わないから、スキーでも同様だった。一日存分に滑りまくった。
社会人になって会社の女性たちとスキーに行くようになった時の事だ。さすがに遠慮してゆっくり数本滑ったところ、あとからついてきていた女性たちが、「こんなに一気に滑ったの初めて」と目をシロクロさせながら言った。「今までどんな滑り方をしていたのだ?」と驚いたものだ。ゲレンデも混む週末だし、2~3本滑っては「お茶しよう!」というペースにはなかなか慣れなかった。
今ではさすがにそういうペースにも慣れてきた。子供たちとのんびり滑るというのも悪くはない。最初の頃を除いて、ほとんど今まで見よう見真似で滑ってきたし、ここらでスクールにでも入ってしっかり技術を身につけるのも良いかもしれない。来年はウェアーも新調して、スキー第2章のスタートと行くのもいいかもしれないと思うのである・・・
【本日の読書】
「8つの鍵」ロイス・クルーガー
「関東大震災~朝鮮人虐殺の真実」工藤美代子
4人中、私とOとKの3人が初心者。スキーを履くところまでは良かったが、そのあとは慣れない感覚に動けなかったのを覚えている。やがてボーゲンで滑れるようになり、唯一の経験者であったTに誘われてリフトで上の方に向った。快調に降りてきたところ、最後の斜面で壁にぶち当たった。初心者にはちょっと厳しい斜面がそこにあったのだ。
我々初心者3人組は覚悟を決めて滑り始めたが、たちまち立ち往生。OとKはギブアップして板を担いで斜面を降り始めた。しかし「逃げる」という事が嫌いな私は意地で滑り降りた。登るならともかく、板は担いで降りるものではないとうそぶいて気合いで降りた。逃げるくらいなら転がり落ちたほうがまだマシだと思ったのだ。
やってみれば別に死ぬわけでもない。カッコ悪かったかもしれないが、とにかく滑り降りたからOとKに対しては優越感に浸った。絶対3人の中で一番うまくなるだろうと思った。しかしその後OとKは大学でスキーを本格的に始め(Oはおちゃらけサークルだ)、あっという間に私よりうまくなってしまった。
大学ではラグビー部に入ったが、冬のオフになると(普通の大学は冬はシーズンオフなのだ)部内スキーツアーが開催されたのでよく参加した。ラグビー部のスキーツアーは、練習のノリだ。朝からリフトが止まるまで滑るわけだが、休憩は昼食時のみ。お茶タイムなんてものはない。滑り降りてすぐリフトに乗る。その繰り返し。リフトの上が休憩時間という具合だ。
あの頃はテクニックを磨くよりもスピードとスリルを求めてすべる弾丸スキーだった。平日だからゲレンデも空いていた。みんな普段から「きつい」とか「休もう」なんて言わないから、スキーでも同様だった。一日存分に滑りまくった。
社会人になって会社の女性たちとスキーに行くようになった時の事だ。さすがに遠慮してゆっくり数本滑ったところ、あとからついてきていた女性たちが、「こんなに一気に滑ったの初めて」と目をシロクロさせながら言った。「今までどんな滑り方をしていたのだ?」と驚いたものだ。ゲレンデも混む週末だし、2~3本滑っては「お茶しよう!」というペースにはなかなか慣れなかった。
今ではさすがにそういうペースにも慣れてきた。子供たちとのんびり滑るというのも悪くはない。最初の頃を除いて、ほとんど今まで見よう見真似で滑ってきたし、ここらでスクールにでも入ってしっかり技術を身につけるのも良いかもしれない。来年はウェアーも新調して、スキー第2章のスタートと行くのもいいかもしれないと思うのである・・・
【本日の読書】
「8つの鍵」ロイス・クルーガー
「関東大震災~朝鮮人虐殺の真実」工藤美代子
2010年3月15日月曜日
スキー1
週末に家族でスキーに行った。子供ができてからスキーに行くのは初めての事。私自身、実に10年振りのスキーであった。
10年前はと言えば、シーズン中の関越自動車道はスキー渋滞が日常茶飯事。関越周辺のスキー場は土日は激混み。リフトに乗るのも30分待ちというのも珍しくなかった。リフトに並ぶ列で、板を3センチずつ動かして進んで行かなければならない侘しさに閉口していたものである。
もっとも結婚してからは、東北方面に大倉山スキー場という穴場のスキー場を見つけ、主にそこばかりに行っていた。距離こそ遠いが、渋滞でノロノロ行っても時間的には変わらない。であれば、リフト待ちなく心ゆくまで滑れる方が気分がいい。あそこには何度通っただろう・・・
ところが、訪れた六日町スキー場(越後湯沢からローカル線で20分ほど)は、実にゆったりのんびり。いや、最近はどこもそうらしい。リフト待ちなど皆無なのである。昼食もお昼の30分ほどのピーク時を避ければゆったりと食べられる。ただ高くてまずいところは昔のままだ・・・
板も昔は「身長+20センチ」と言っていたのだが、今は「身長-10センチ」くらいで、しかも幅広。だが、かえって板はコントロールしやすい感じがして良かったと思う。埃を叩いて持っていったウェアーは明らかに「年代モノ」であったが、どうせ回りはみんな他人だし、まあ気にしないで滑っていた。10年という月日の差をあらためて感じてしまった。
生まれて初めてスキーをする我が家の子供たち。二人ともスクールに放り込んだ。キッズスクールに入った長男などは、他に受講者がいなくて、インストラクターのお姉さんとマンツーマン。実に羨ましい限りであった。そのおかげで二人ともボーゲンで滑れるようになった。
10年ぶりのスキーであちこち筋肉痛になるのではないかと危惧していたが、(実際、最後は膝が笑っていた)これがなんともない。平日帰宅後のスクワットの成果かもしれない。ただ日焼けして赤くなった鼻の頭だけが、何とも間が抜けていて玉に瑕だ。
今回は往復新幹線を利用したが、心地良い疲労感の中でビールも飲めたし、新幹線も悪くない。また行きたいと子供たちにも好評であった。また来シーズンも行ってもいいだろう。ただ今度は車で行きたいと言う人がいる。我が家の筆頭運転手としてはその点だけが微妙な気分なのである・・・
【本日の読書】
「8つの鍵」ロイス・クルーガー
「関東大震災~朝鮮人虐殺の真実」工藤美代子
10年前はと言えば、シーズン中の関越自動車道はスキー渋滞が日常茶飯事。関越周辺のスキー場は土日は激混み。リフトに乗るのも30分待ちというのも珍しくなかった。リフトに並ぶ列で、板を3センチずつ動かして進んで行かなければならない侘しさに閉口していたものである。
もっとも結婚してからは、東北方面に大倉山スキー場という穴場のスキー場を見つけ、主にそこばかりに行っていた。距離こそ遠いが、渋滞でノロノロ行っても時間的には変わらない。であれば、リフト待ちなく心ゆくまで滑れる方が気分がいい。あそこには何度通っただろう・・・
ところが、訪れた六日町スキー場(越後湯沢からローカル線で20分ほど)は、実にゆったりのんびり。いや、最近はどこもそうらしい。リフト待ちなど皆無なのである。昼食もお昼の30分ほどのピーク時を避ければゆったりと食べられる。ただ高くてまずいところは昔のままだ・・・
板も昔は「身長+20センチ」と言っていたのだが、今は「身長-10センチ」くらいで、しかも幅広。だが、かえって板はコントロールしやすい感じがして良かったと思う。埃を叩いて持っていったウェアーは明らかに「年代モノ」であったが、どうせ回りはみんな他人だし、まあ気にしないで滑っていた。10年という月日の差をあらためて感じてしまった。
生まれて初めてスキーをする我が家の子供たち。二人ともスクールに放り込んだ。キッズスクールに入った長男などは、他に受講者がいなくて、インストラクターのお姉さんとマンツーマン。実に羨ましい限りであった。そのおかげで二人ともボーゲンで滑れるようになった。
10年ぶりのスキーであちこち筋肉痛になるのではないかと危惧していたが、(実際、最後は膝が笑っていた)これがなんともない。平日帰宅後のスクワットの成果かもしれない。ただ日焼けして赤くなった鼻の頭だけが、何とも間が抜けていて玉に瑕だ。
今回は往復新幹線を利用したが、心地良い疲労感の中でビールも飲めたし、新幹線も悪くない。また行きたいと子供たちにも好評であった。また来シーズンも行ってもいいだろう。ただ今度は車で行きたいと言う人がいる。我が家の筆頭運転手としてはその点だけが微妙な気分なのである・・・
【本日の読書】
「8つの鍵」ロイス・クルーガー
「関東大震災~朝鮮人虐殺の真実」工藤美代子
2010年3月11日木曜日
アカデミー賞
今年のアカデミー賞が発表となった。映画ファンなら注目の大イベントである。今年はジェームズ・キャメロンとキャスリン・ビグロー監督の「元夫婦対決」とか、興業記録を塗り替えている 「アバター」が受賞するのか、とかいろいろと事前に話題となっていた。結果的にキャスリン・ビグロー監督が「元夫婦対決」を制し、監督賞とともに 「ハート・ロッカー」で作品賞も制した。ジェームズ・キャメロン監督の 「アバター」は主要な賞からは外れて「惨敗」と評された。
しかしながら個人的には「意外だ」とか「残念だ」とかはあまり思わなかった。なぜなら、アカデミー賞(作品賞)のイメージと 「アバター」はちょっとあわないなと感じていたからだ。言葉ではうまく説明できないが、「タイプが違う」とでも言うべきだろうか。
しかし、だからと言って 「アバター」の価値が下がるかと言えばそんな事はない。近年はもとより今年たぶん一番の作品だと思う。ただオスカーとは縁がなかったというだけの事だ。
そもそも映画なんて(本やドラマももちろんそうだが)、観た人がどう思うかは、十人十色だ。ある人にとって良きものが、別な人にもそうであるという保証はない。なんの変哲もないストーリーが、ある人にとっては同じような経験をした事があるといったような理由で感動を与える事だってあるだろう。逆もまた真なりで、オスカーを取ったからといってそれが良い映画、面白い映画であるという保証はどこにもない。
私もかつては人の評価を気にしていた時がある。自分はいいと思うが他の人はどうだろう、とか。面白いと思ったのに、他の人がそうでもないというのを聞くとそんな気がしたり。
「評価は他人が下したものが正しい」とは野村監督の言葉。ただこれは自分自身に関する評価についてであり、こと映画に関しては「自分が下したものが正しい」との信念を持っている。「人がどう思うか」ではなく、当然ながら「自分がどう思うか」を大事にしている。今は他人の評価に左右される事もない。
「アバター」は残念であったかもしれないが、考えようによってはこれで 「ハート・ロッカー」も観に行きたいと思うようになったから、そういう意味では 「ハート・ロッカー」でも良かったかもしれない。先日観てきた 「インビクタス」もとても感動的だった。
今年は映画の当たり年かもしれない。
「今年の一番は何にしようか」年末にそんな事で悩めたら嬉しいだろうな。あれこれと人の評価を気にする事もなく、自分の世界で悦に入れたら最高だと思うのである・・・
【本日の読書】
「8つの鍵」ロイス・クルーガー
「関東大震災~朝鮮人虐殺の真実」工藤美代子
2010年3月10日水曜日
病院にて
両親が入院して以来、仕事帰りに週末にと見舞いに行っている。父親はまだリハビリが必要なものの、今週末には退院となった。母親の方はまだもう少しかかりそうである。
母親は糖尿病ではないのであるが、一時的に血糖値が上がっているという事で、血糖値の検査とインシュリン注射を毎日「自分で」やらされている。今週末の一時帰宅に備えて家族の方もやり方を見ておいて下さいと言われて、現場を見学する事になった。
注射と言えばインフルエンザの予防接種でも健康診断の採血でも私はじっと注射器を見つめる方である。みんな顔を背けているが、どこに何を打たれるのかはちきんと確認しておきたいタチなのである。その私もさすがに自分で自分に注射するという事に対しては滅茶苦茶抵抗感がある。とてもではないが自分ではできそうもない。
なので自分で打つと聞いて、母親にできるものかと思ってしまった。だが、それはそれ。専用の注射器はシンプルな操作でお腹の肉にちょっと射して簡単に出来てしまう。へぇぇと思わず感心してしまった。簡単とはいえ、注射は注射、母親は一時的なものだからいいが、本格的な糖尿病の人は大変だろうなと実感した。
ドクターは私よりも若そうな人。しかしながら病棟の筆頭医との事だから大したものだ。所謂「油の乗った」頃なのかもしれない。パソコンの画面を使って症状を丁寧に説明してくれたし、同席した女医さんが内容を丁寧にメモして最後に渡してくれた。丁寧ではあるが、これはあとで「言った言わない、聞いてない」といったトラブルを回避するためだろう。今の時代、医者も大変だ。
母親の病室に見舞いに行くたびにメンバーが入れ替わっている。みんな短期間で退院していくようである。おかげで母親はすっかり古株だ。隣のベッドのおばさんは娘さんがいるらしいが、見舞いには来ないのだという。袖摺りあう縁だが、いろいろな家庭事情があるようである。
どうやら母親の退院はまだまだ先のようである。まあ最終的に元気になるなら多少は仕方がない。もう少し通って、この機会にポイントを稼いでおくとしようと思うのである・・・
【本日の読書】
「弱者の兵法」野村克也
「聖夜の贈り物」百田尚樹
母親は糖尿病ではないのであるが、一時的に血糖値が上がっているという事で、血糖値の検査とインシュリン注射を毎日「自分で」やらされている。今週末の一時帰宅に備えて家族の方もやり方を見ておいて下さいと言われて、現場を見学する事になった。
注射と言えばインフルエンザの予防接種でも健康診断の採血でも私はじっと注射器を見つめる方である。みんな顔を背けているが、どこに何を打たれるのかはちきんと確認しておきたいタチなのである。その私もさすがに自分で自分に注射するという事に対しては滅茶苦茶抵抗感がある。とてもではないが自分ではできそうもない。
なので自分で打つと聞いて、母親にできるものかと思ってしまった。だが、それはそれ。専用の注射器はシンプルな操作でお腹の肉にちょっと射して簡単に出来てしまう。へぇぇと思わず感心してしまった。簡単とはいえ、注射は注射、母親は一時的なものだからいいが、本格的な糖尿病の人は大変だろうなと実感した。
ドクターは私よりも若そうな人。しかしながら病棟の筆頭医との事だから大したものだ。所謂「油の乗った」頃なのかもしれない。パソコンの画面を使って症状を丁寧に説明してくれたし、同席した女医さんが内容を丁寧にメモして最後に渡してくれた。丁寧ではあるが、これはあとで「言った言わない、聞いてない」といったトラブルを回避するためだろう。今の時代、医者も大変だ。
母親の病室に見舞いに行くたびにメンバーが入れ替わっている。みんな短期間で退院していくようである。おかげで母親はすっかり古株だ。隣のベッドのおばさんは娘さんがいるらしいが、見舞いには来ないのだという。袖摺りあう縁だが、いろいろな家庭事情があるようである。
どうやら母親の退院はまだまだ先のようである。まあ最終的に元気になるなら多少は仕方がない。もう少し通って、この機会にポイントを稼いでおくとしようと思うのである・・・
【本日の読書】
「弱者の兵法」野村克也
「聖夜の贈り物」百田尚樹
2010年3月7日日曜日
英語
今日は娘の英語教室の発表会であった。出し物はクラスごとの英語劇。毎年この時期にやっていて、今回は3回目。
娘が英語教室に通うようになったのは、「同級生がやっていて面白そうだから」という本人の希望。私としては、自分もそうだったせいか、あまり塾に通わせたいとは思わない。だから「早くから英語教育を」なんて考えはなかったのであるが、まあ本人がやりたいと言うものをダメというほどでもない。そういうわけで通わせた次第である。
実は私も小学生の頃やっぱり英語教室に通っていた事がある。母親に勧められて、仲の良かった友達が行くというので行く気になったのである。しかし、先生は日本人だったし、2年ほど通って友達が辞めたため、一緒にやめてしまった。今でもあれはまったく役に立たなかったと思っている。
そもそも英語は早くから習わせればいいというモノでもない。自分自身勉強してきてよくわかったが、英語は「読む、聞く、話す」をひたすら実践するモノで、「勉強する」モノではない。いくら覚えても使わなければ上達はしない。何年も「勉強した」のにいまだに私のしゃべる英語は4歳児程度なのが良い例だ。我が家の4歳の息子の日本語といい勝負だ。
ただ娘の場合、先生はアメリカ人の女性だし、「英語でアメリカ人と接する」という点だけでもやらせる意義はあるのではないかと感じている。将来的にどうするかは自分の判断だ。慣れ親しんでおけば、「受験英語」でもある程度はなんとかなるだろう。
劇の方は毎年定番の劇だ。自分の娘は毎年違う劇に出るのだが、どの劇も毎年同じだから正直言って他の子のを見るのは苦痛以外の何ものでもない。セリフは棒読みだし、子供によってはよく聞き取れないし、ストーリーはわかりきっているし・・・もう少し工夫してほしいものだと、アンケートにわざわざ欄を設けて書き込んできた。
盛り上がっているのは何だかアメリカ人の先生たちと一部の親だけ。シャイな日本人は私も含めてああいう場で大きな声で声援などできやしない。民族性なのかアメリカ人たちの陽気さが羨ましく思えた。どうせだったら、娘にもああいう陽気さも一緒に吸収してもらいたいものである。せっかく「外国人にも発音しやすいように」と考えた名前にしたのだから、物怖じせずにコミュニケーションできるようになってほしいと思う親心である・・・
【本日の読書】
なし
娘が英語教室に通うようになったのは、「同級生がやっていて面白そうだから」という本人の希望。私としては、自分もそうだったせいか、あまり塾に通わせたいとは思わない。だから「早くから英語教育を」なんて考えはなかったのであるが、まあ本人がやりたいと言うものをダメというほどでもない。そういうわけで通わせた次第である。
実は私も小学生の頃やっぱり英語教室に通っていた事がある。母親に勧められて、仲の良かった友達が行くというので行く気になったのである。しかし、先生は日本人だったし、2年ほど通って友達が辞めたため、一緒にやめてしまった。今でもあれはまったく役に立たなかったと思っている。
そもそも英語は早くから習わせればいいというモノでもない。自分自身勉強してきてよくわかったが、英語は「読む、聞く、話す」をひたすら実践するモノで、「勉強する」モノではない。いくら覚えても使わなければ上達はしない。何年も「勉強した」のにいまだに私のしゃべる英語は4歳児程度なのが良い例だ。我が家の4歳の息子の日本語といい勝負だ。
ただ娘の場合、先生はアメリカ人の女性だし、「英語でアメリカ人と接する」という点だけでもやらせる意義はあるのではないかと感じている。将来的にどうするかは自分の判断だ。慣れ親しんでおけば、「受験英語」でもある程度はなんとかなるだろう。
劇の方は毎年定番の劇だ。自分の娘は毎年違う劇に出るのだが、どの劇も毎年同じだから正直言って他の子のを見るのは苦痛以外の何ものでもない。セリフは棒読みだし、子供によってはよく聞き取れないし、ストーリーはわかりきっているし・・・もう少し工夫してほしいものだと、アンケートにわざわざ欄を設けて書き込んできた。
盛り上がっているのは何だかアメリカ人の先生たちと一部の親だけ。シャイな日本人は私も含めてああいう場で大きな声で声援などできやしない。民族性なのかアメリカ人たちの陽気さが羨ましく思えた。どうせだったら、娘にもああいう陽気さも一緒に吸収してもらいたいものである。せっかく「外国人にも発音しやすいように」と考えた名前にしたのだから、物怖じせずにコミュニケーションできるようになってほしいと思う親心である・・・
【本日の読書】
なし
2010年3月3日水曜日
このままでいいのだろうか?
上巳(旧暦三月最初の巳の日)のころに咲く桃は、安産や強い生命力の象徴とされ、中国ではその実を不老長寿の仙薬とする伝説もあり、さらに魔を祓う力もあるとされていた。ちなみに昔の桃太郎の話は、老夫婦が桃を食べて若返り、子供を授かるという話だったそうである。
雛壇に嫁入り道具一式が添えられるのは、我が娘が健やかに美しく育ち、良縁に恵まれるようにとの親の願いが込められており、生命力の象徴とされ、魔除けの力があるとされる桃の花を添えるのも、我が子を思う心なればこそだったという・・・
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2010年度の予算案が決まった。歳出が92兆円。子供手当てだとか高校や高速道路無償化だとかが注目され、「ばら撒き」との批判もされている。ただ今の経済の状況からするとばら撒きもやむを得ないと思う。
「ばら撒き」を批判する新聞の記事は目にするが、例によって「ではどうすればよいのか?」については書かれていない。今は経済が勢いよく収縮している。それを止めるには「薪」をどんどんくべないといけない。そのための「撒き」なのだし、アメリカも派手にやっている(それ=米国債=を日本に買わせようとしているところが気に食わないところだ・・・)。
エコポイントだ、エコカー減税だ、子供手当てだとやって、そのあとどうなるかだ。家電も車も一巡りしたら売上はがくんと落ちる。そこでまた振り出しになんて事になったら、目も当てられない。うまく軌道に乗るのだろうか。
怖いのは借金だ。銀行員という仕事柄、借金の怖さは身に沁みている。歳出92兆円に対して、税収は37兆円。その他を入れても48兆円。なんと歳入の2倍の歳出だ。足りない分は全部借金だ。
溜まり溜まった借金は1,000兆円に届こうとしている。よくたとえられるが、年収4百万円の人が1億円の借金を抱えているのと同じだ。考えるだに恐ろしい。新聞も世間もそれに対して批判はするが、ではどうしたら無駄な歳出を減らせるのか、と言った議論は出てこない。「政府が悪い」という風潮が諸悪の根源のような気がする。
本当は自分たちの国だし、自分たちのお金だ。「これは無駄だからやめた方がいいのではないか」という声があちこちから聞えてきて当然なのだ。払うべき税金はなんとか1円でも少なくしようと知恵を絞るわりには、もらうものは真っ先にもらう、人の金だから使って当然だし、痛みも感じない。そんな結果が1,000兆円と言ったら言い過ぎだろうか。
政府が悪いと批判しても始まらない。自分に何ができると諦めるのもいかがなものか。少なくとも何かないかと周りを見渡すぐらいの気持ちは持っていたいと思うのである・・・
【本日の読書】
「筆談ホステス」斉藤里恵
「再生」石田衣良
2010年2月28日日曜日
スポーツドラマ
百田尚樹の本としては3冊目となる 「BOX!」、を読み終えた。これも前2冊とはまったく異なるジャンル、ボクシングの話である。
ボクシング・ドラマといえば「あしたのジョー」や「がんばれ元気」といった往年の名作漫画や映画の「ロッキー」シリーズが思い起こされるが、これは高校アマチュアボクシングであるという点、そして何よりも活字で表現されるという点で大きな違いがある。また、高校生のスポーツといえば、バスケットボールの「スラムダンク」、野球の「ドカベン」などが個人的には思い出深い。こうした思い出に残るスポーツドラマの名作には、ある種の共通点があるような気がする。それを「あしたのジョー」と「スラムダンク」と「BOX!」とで比較してみたい。
この3作に共通しているのは「主人公の成長」だ。「あしたのジョー」の矢吹丈は丹下段平に見出されてボクシングを始める。「スラムダンク」の桜木花道はバスケ部のキャプテンの妹晴子に誘われてバスケを始める。「BOX!」では女の子の前で中学時代のいじめっ子に殴られて恥をかいた木樽優紀が、親友のカブちゃんを頼ってボクシングを始める。
そしてトレーニング。矢吹丈は少年院でひたすらジャブを打ち(「打つべし、打つべし」は有名なセリフだ)、桜木花道もおふざけが入りながらも肝心なところではシュート2万本の練習なんてのが出てくる。木樽優紀も学校での練習に加えて、早朝と夕食後のトレーニングでメキメキ腕を上げる。
次にライバルの存在。矢吹丈には力石徹という格上のライバルがいて、少年院からプロのリングに場所を移し、バンタム級での対決は前半のクライマックスだった。そして力石の死後はしばらくその影響を引きずる事になる。桜木花道には天才流川楓がいて、チームとしてはクライマックスに強豪山王高校が登場する。木樽優紀には親友でもある天才ボクサー鏑矢義平がいて、さらに無敵の超高校級ボクサー稲村和明がいる。
そして何と言っても白熱の試合シーン。「あしたのジョー」と「スラムダンク」は漫画ゆえにある程度はビジュアルに表現できる。しかし、「BOX!」は活字のみゆえにちょっと異色だ。しかし、どれも試合シーンはそれぞれの名場面だ。力石徹戦は矢吹丈の衝撃の逆転負け、絶対不利と言われた山王戦は残り3秒で流川→桜木へとパスが渡り、2万本シュートの成果が見事に決まった。木樽vs鏑矢戦、木樽vs稲村戦、そして鏑矢vs稲村戦はどれもが試合結果が予想を裏切る面白さだった。いずれの作品もページをめくる手が震えるが如き内容だった。
またヒロインの存在もある。白木葉子が長年嫌っていたと思われていた矢吹丈に対して、世界タイトルマッチの前に「好きなのよ」と言うシーンは子供心に感動的だった。「スラムダンク」ではそういうシーンはないが、常に晴子の存在が彩りを添えていた。「BOX!」では教師と生徒という関係からか恋愛関係には発展しないが、それでも生徒以上恋人未満の微妙な関係があった。
こうしてキーワードをみていくと、これらの要素をうまく加工すれば、自分にもなんだかスポーツドラマが描けそうな気がしてくる。私の場合はラグビーだが、恋愛こそ成就しなかったが、涙あり笑いありの実経験は豊富だし、いいドラマの素材には事欠かない気がする。ネックは「表現力」だろうな。「BOX!」のような目の前で展開されている試合を観ているが如き表現力は、とてもではないが難しい。まあ人生はまだまだあるし、アイディアを練る時間はたっぷりとある。人生の楽しみの一つとして、そんなドラマの構想を練ってみるのも悪くないと思うのである・・・
【本日の読書】
「暁のひかり」藤澤周平
ボクシング・ドラマといえば「あしたのジョー」や「がんばれ元気」といった往年の名作漫画や映画の「ロッキー」シリーズが思い起こされるが、これは高校アマチュアボクシングであるという点、そして何よりも活字で表現されるという点で大きな違いがある。また、高校生のスポーツといえば、バスケットボールの「スラムダンク」、野球の「ドカベン」などが個人的には思い出深い。こうした思い出に残るスポーツドラマの名作には、ある種の共通点があるような気がする。それを「あしたのジョー」と「スラムダンク」と「BOX!」とで比較してみたい。
この3作に共通しているのは「主人公の成長」だ。「あしたのジョー」の矢吹丈は丹下段平に見出されてボクシングを始める。「スラムダンク」の桜木花道はバスケ部のキャプテンの妹晴子に誘われてバスケを始める。「BOX!」では女の子の前で中学時代のいじめっ子に殴られて恥をかいた木樽優紀が、親友のカブちゃんを頼ってボクシングを始める。
そしてトレーニング。矢吹丈は少年院でひたすらジャブを打ち(「打つべし、打つべし」は有名なセリフだ)、桜木花道もおふざけが入りながらも肝心なところではシュート2万本の練習なんてのが出てくる。木樽優紀も学校での練習に加えて、早朝と夕食後のトレーニングでメキメキ腕を上げる。
次にライバルの存在。矢吹丈には力石徹という格上のライバルがいて、少年院からプロのリングに場所を移し、バンタム級での対決は前半のクライマックスだった。そして力石の死後はしばらくその影響を引きずる事になる。桜木花道には天才流川楓がいて、チームとしてはクライマックスに強豪山王高校が登場する。木樽優紀には親友でもある天才ボクサー鏑矢義平がいて、さらに無敵の超高校級ボクサー稲村和明がいる。
そして何と言っても白熱の試合シーン。「あしたのジョー」と「スラムダンク」は漫画ゆえにある程度はビジュアルに表現できる。しかし、「BOX!」は活字のみゆえにちょっと異色だ。しかし、どれも試合シーンはそれぞれの名場面だ。力石徹戦は矢吹丈の衝撃の逆転負け、絶対不利と言われた山王戦は残り3秒で流川→桜木へとパスが渡り、2万本シュートの成果が見事に決まった。木樽vs鏑矢戦、木樽vs稲村戦、そして鏑矢vs稲村戦はどれもが試合結果が予想を裏切る面白さだった。いずれの作品もページをめくる手が震えるが如き内容だった。
またヒロインの存在もある。白木葉子が長年嫌っていたと思われていた矢吹丈に対して、世界タイトルマッチの前に「好きなのよ」と言うシーンは子供心に感動的だった。「スラムダンク」ではそういうシーンはないが、常に晴子の存在が彩りを添えていた。「BOX!」では教師と生徒という関係からか恋愛関係には発展しないが、それでも生徒以上恋人未満の微妙な関係があった。
こうしてキーワードをみていくと、これらの要素をうまく加工すれば、自分にもなんだかスポーツドラマが描けそうな気がしてくる。私の場合はラグビーだが、恋愛こそ成就しなかったが、涙あり笑いありの実経験は豊富だし、いいドラマの素材には事欠かない気がする。ネックは「表現力」だろうな。「BOX!」のような目の前で展開されている試合を観ているが如き表現力は、とてもではないが難しい。まあ人生はまだまだあるし、アイディアを練る時間はたっぷりとある。人生の楽しみの一つとして、そんなドラマの構想を練ってみるのも悪くないと思うのである・・・
【本日の読書】
「暁のひかり」藤澤周平
2010年2月25日木曜日
ともだちコレクション
我が家の小学校3年の娘は、ただいま「ともだちコレクション」にハマっている。「ともだちコレクション」とはニンテンドーDSのソフトで、クリスマスにサンタさんにもらったものである。これはゲームの中で自分の好みのキャラクターを作り、その世界の中で自分の作った住人たちとの交流を楽しむゲームである。
パパママやおじいちゃんおばあちゃんといった家族から、大好きな嵐の櫻井翔くんまでいろいろと登録しては楽しんでいるようである。それぞれのキャラクターには性格もあるようで、部屋を覗くと何やらうろうろしていたり、バイトに行っていて不在だったりする。お金を溜めてプレゼントをしたり部屋の模様替えをしたりもできるらしい。昔流行った「たまごっち」の人間版のもっと高度なやつというイメージだ。
そんなバーチャルゲームで模擬的な「人間関係」を楽しんでいると、何だか実際の人間関係の構築ができなくなってしまうのではないかと感じるのは、自分が古い人間になった証拠だろうか。昔、親が漫画ばかり読んでいると文章の読解力がなくなると心配していたのに通じるかもしれない。
ゲームの中で相手の気を惹くためにプレゼントしたりするが、実際の人間関係ではもちろん、関係構築が先にこないといきなりプレゼントしてもダメである。おじさんたちが飲み屋のお姉さんを口説けない理由もここにある。
先日、「ママがパパに告白した」と嬉しそうに報告に来たので、告白って意味わかっているのか聞いたところ、「付き合ってって言う事」という答えが返ってきた。どうやらわかっているらしい。続けて「付き合うってどういう事?」って聞いたら、「イチャイチャする事、お布団でゴロゴロする事」という答えだった。どうも現代は中途半端な情報が氾濫しているようである。
そんな簡単に告白するって言うが、簡単じゃないんだぞと思わず言いたくなる。「昔は携帯電話なんてなかったから、女の子の家に電話するだけでも、胸がバクバクいって緊張してたいへんだったんだ」なんて言っても通じないのだろう。「あと5分したら電話しよう」、そして5分経つと「もう遅いから明日にした方がいいかもしれない」と思う。ようやくダイヤルしては切り、再びダイヤルする。コール音を聞きながら、「出るな」と願う。相手の親が出たらどうしようという緊張感。「あと1回で切ろう」「もう1回鳴らしてみよう」と矛盾した思いが交錯しながらコール数を数える・・・
今では懐かしい気もする。
そんなバクバクとは無縁なバーチャル人間関係で育って大丈夫かとも思うが、よくよく考えてみれば自分も人間関係が苦手だった事に思い至る。バーチャルゲームの影響でなくてもそうだったのだ。小中学校時代はいつも特定の友達とばかり遊んでいたし、高校時代だって交流関係は狭かった。大学に至っては、ラグビー部以外の友達は片手でおつりが来る有り様だ。そんな自分が今ではなんとかまともにやっていけているのだから、くだらない心配のようだ。
考えてみれば周りの友達もみんな持っているという事だから、同じ感覚でいいのかもしれない。スーパーマリオは自分でも面白いと思って一緒にやったが、どうもこのゲームは趣味にあいそうもない。まあ本人が楽しんでいるのが一番だからいいのだろう。ただあんまりやりすぎると現実世界のママに怒られるから注意した方がいいだろうねと、心の中でそっと注意したのである・・・
【本日の読書】
「MOMENT」本多孝好
いよいよクライマックス!
「BOX!」百田尚樹
パパママやおじいちゃんおばあちゃんといった家族から、大好きな嵐の櫻井翔くんまでいろいろと登録しては楽しんでいるようである。それぞれのキャラクターには性格もあるようで、部屋を覗くと何やらうろうろしていたり、バイトに行っていて不在だったりする。お金を溜めてプレゼントをしたり部屋の模様替えをしたりもできるらしい。昔流行った「たまごっち」の人間版のもっと高度なやつというイメージだ。
そんなバーチャルゲームで模擬的な「人間関係」を楽しんでいると、何だか実際の人間関係の構築ができなくなってしまうのではないかと感じるのは、自分が古い人間になった証拠だろうか。昔、親が漫画ばかり読んでいると文章の読解力がなくなると心配していたのに通じるかもしれない。
ゲームの中で相手の気を惹くためにプレゼントしたりするが、実際の人間関係ではもちろん、関係構築が先にこないといきなりプレゼントしてもダメである。おじさんたちが飲み屋のお姉さんを口説けない理由もここにある。
先日、「ママがパパに告白した」と嬉しそうに報告に来たので、告白って意味わかっているのか聞いたところ、「付き合ってって言う事」という答えが返ってきた。どうやらわかっているらしい。続けて「付き合うってどういう事?」って聞いたら、「イチャイチャする事、お布団でゴロゴロする事」という答えだった。どうも現代は中途半端な情報が氾濫しているようである。
そんな簡単に告白するって言うが、簡単じゃないんだぞと思わず言いたくなる。「昔は携帯電話なんてなかったから、女の子の家に電話するだけでも、胸がバクバクいって緊張してたいへんだったんだ」なんて言っても通じないのだろう。「あと5分したら電話しよう」、そして5分経つと「もう遅いから明日にした方がいいかもしれない」と思う。ようやくダイヤルしては切り、再びダイヤルする。コール音を聞きながら、「出るな」と願う。相手の親が出たらどうしようという緊張感。「あと1回で切ろう」「もう1回鳴らしてみよう」と矛盾した思いが交錯しながらコール数を数える・・・
今では懐かしい気もする。
そんなバクバクとは無縁なバーチャル人間関係で育って大丈夫かとも思うが、よくよく考えてみれば自分も人間関係が苦手だった事に思い至る。バーチャルゲームの影響でなくてもそうだったのだ。小中学校時代はいつも特定の友達とばかり遊んでいたし、高校時代だって交流関係は狭かった。大学に至っては、ラグビー部以外の友達は片手でおつりが来る有り様だ。そんな自分が今ではなんとかまともにやっていけているのだから、くだらない心配のようだ。
考えてみれば周りの友達もみんな持っているという事だから、同じ感覚でいいのかもしれない。スーパーマリオは自分でも面白いと思って一緒にやったが、どうもこのゲームは趣味にあいそうもない。まあ本人が楽しんでいるのが一番だからいいのだろう。ただあんまりやりすぎると現実世界のママに怒られるから注意した方がいいだろうねと、心の中でそっと注意したのである・・・
【本日の読書】
「MOMENT」本多孝好
いよいよクライマックス!
「BOX!」百田尚樹
2010年2月22日月曜日
走る!
「世界で最も住みやすい都市ランキング」
1.バンクーバー (カナダ)
2.ウイーン (オーストリア)
3.メルボルン (オーストラリア)
4.トロント (カナダ)
5.カルガリー (カナダ)
6.ヘルシンキ (フィンランド)
7.シドニー (オーストラリア)
8.パース (オーストラリア)
9.アデレード (オーストラリア)
10.オークランド (ニュージーランド)
エコノミスト・インテリジェンス・ユニット発表
う~ん、「3」と「7」は行ったが他はまだだ。
いつか住んでみたいなぁ・・・
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今日は家族で両親のお見舞い。車で環七を走っていると何だか走っている人がやたらと目についた。特に気にもしていなかったが、やがてある表示が目に入った。
「2/28 東京マラソン 車線規制」
全員そうだとは思わないが、今日見た人達の何人かは来週の東京マラソンに出場するのだろうと考えた。聞くところによると32,000人も参加するそうだから、満更外れてもいないのだろう。
最近マラソン(あるいはジョギング)が静かなブームだと聞いた。以前から皇居の周辺を走る人達は目にしていたが、ここのところその人口も増えているらしい。なんでも周辺の銭湯が、閉鎖しようと思っていたら、思わぬ利用者の急増で業績が息を吹き返したという記事も目にした事がある。走った後にひとっ風呂浴びる人が増えたのだろう。
少し前に会社の指定医の先生の話を聞く機会があったが、その時、その先生は最近ハマっているというマラソンの話をしてくれた。50代後半にも関わらず、フルマラソンに出場しているだとか、走っている時に訪れる恍惚感(いわゆるランナーズハイ)についてだとか、楽しそうに語ってくれた。長距離が嫌いな私としては、どうにも理解しにくい話であった。
昼休みに皇居を走っている人もいったいどんな仕事をしているのだろうかと興味深いが、やれと言われても走れば当然シャワーくらいは浴びたいし、疲れれば仕事の能率も落ちるだろうし、何よりランチだって食べたいし、一体ランチタイムは何時間あるのだと聞きたくなってしまう。まあ、仮に時間があっても私はやらないだろうけど・・・
健康に良いのは明らかだし、金のかからないスポーツという事で、懐の寂しいサラリーマンにはもってこいなのかもしれない。しかし、ただ淡々と走るだけでメリハリがない長距離走はやっぱりまだ好きになれない。かといってスポーツジムに通うのも性に合わないし、大学のラグビー部のシニアチームに加わって、「激しくないラグビー」をやるのもなんとなく嫌だし・・・
そんな事をあれこれ言っているから、運動不足はますます度合いを深める。腕立て伏せやスクワットも毎日やっているわけではないし、そろそろ何か始めようかなと思うこの日この頃である・・・
【本日の読書】
なし
1.バンクーバー (カナダ)
2.ウイーン (オーストリア)
3.メルボルン (オーストラリア)
4.トロント (カナダ)
5.カルガリー (カナダ)
6.ヘルシンキ (フィンランド)
7.シドニー (オーストラリア)
8.パース (オーストラリア)
9.アデレード (オーストラリア)
10.オークランド (ニュージーランド)
エコノミスト・インテリジェンス・ユニット発表
う~ん、「3」と「7」は行ったが他はまだだ。
いつか住んでみたいなぁ・・・
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今日は家族で両親のお見舞い。車で環七を走っていると何だか走っている人がやたらと目についた。特に気にもしていなかったが、やがてある表示が目に入った。
「2/28 東京マラソン 車線規制」
全員そうだとは思わないが、今日見た人達の何人かは来週の東京マラソンに出場するのだろうと考えた。聞くところによると32,000人も参加するそうだから、満更外れてもいないのだろう。
最近マラソン(あるいはジョギング)が静かなブームだと聞いた。以前から皇居の周辺を走る人達は目にしていたが、ここのところその人口も増えているらしい。なんでも周辺の銭湯が、閉鎖しようと思っていたら、思わぬ利用者の急増で業績が息を吹き返したという記事も目にした事がある。走った後にひとっ風呂浴びる人が増えたのだろう。
少し前に会社の指定医の先生の話を聞く機会があったが、その時、その先生は最近ハマっているというマラソンの話をしてくれた。50代後半にも関わらず、フルマラソンに出場しているだとか、走っている時に訪れる恍惚感(いわゆるランナーズハイ)についてだとか、楽しそうに語ってくれた。長距離が嫌いな私としては、どうにも理解しにくい話であった。
昼休みに皇居を走っている人もいったいどんな仕事をしているのだろうかと興味深いが、やれと言われても走れば当然シャワーくらいは浴びたいし、疲れれば仕事の能率も落ちるだろうし、何よりランチだって食べたいし、一体ランチタイムは何時間あるのだと聞きたくなってしまう。まあ、仮に時間があっても私はやらないだろうけど・・・
健康に良いのは明らかだし、金のかからないスポーツという事で、懐の寂しいサラリーマンにはもってこいなのかもしれない。しかし、ただ淡々と走るだけでメリハリがない長距離走はやっぱりまだ好きになれない。かといってスポーツジムに通うのも性に合わないし、大学のラグビー部のシニアチームに加わって、「激しくないラグビー」をやるのもなんとなく嫌だし・・・
そんな事をあれこれ言っているから、運動不足はますます度合いを深める。腕立て伏せやスクワットも毎日やっているわけではないし、そろそろ何か始めようかなと思うこの日この頃である・・・
【本日の読書】
なし
2010年2月18日木曜日
現代の百科事典
「永遠の0」に感動し、著者百田尚樹の本第2弾として 「風の中のマリア」を読んだ。これはなんとオオスズメバチが主人公。ハチが主人公というと我々の世代は「みつばちマーヤ」を思い出してしまう。しかし、これはミツバチなんて可愛いものではない。なんといっても昆虫の食物連鎖の頂点に立つオオスズメバチである。自らの巣を「帝国」と称する無敵のハンターたちなのである。
そして主人公のマリアは、ワーカーと呼ばれる働き蜂(名前からわかる通りすべてメス)。毎日外へ行って獲物を捕らえてくるのが仕事。獲物を捕らえると、あっという間に手足を切り取り胴体だけを団子にして巣に持ち帰り、妹たち(幼虫)に食べさせる。獲物の豊富な夏はよいが、少なくなる秋になると次の女王蜂に豊富な餌を与えるため、他の蜂の巣を襲って根こそぎ幼虫を奪って全滅させてしまったりする・・・
そんな習性と面白いストーリーに、「ふ~む」と唸りながら一気に読んでしまった。読み終わると知識だけは一端の専門家になっていた。しかし、いかんせん本だけの知識。そこで利用したのが、GoogleとYoutube。画像や動画を検索すると、出てくる出てくる。
中でも圧巻なのが日本ミツバチが自分たちの巣に侵入したオオスズメバチを集団で取り囲み、熱で殺してしまうシーン。オオスズメバチは46度以上になると死んでしまうが、日本ミツバチは48度まで耐えられる。この2度の差を利用して、自分たちよりはるかに大きな敵を殺すのである。Youtubeでそれを見る事ができた。
→ 「オオスズメバチvsニホンミツバチ」
また、セイヨウミツバチの巣を襲うシーンも凄まじい。何万匹を相手にして数時間で根こそぎにしてしまうのである。Youtubeの動画 「30匹対30,000匹」でも「これは戦いではなく、虐殺である」と語られている。こういうのは映像で観るとよけいにリアリティを感じる。
昔はこういう時は百科事典で調べたのだろうが、今は実に簡単にいろいろな関連知識、画像に映像が入手できる。あらためてネット社会の凄さを感じてしまう。ちなみに暇があると、ここのところオオスズメバチ関連の動画を漁っている。本も面白かったが、それを踏まえた映像もまた興味深い。今やちょっとしたオオスズメバチ博士を気取っているくらいだ。
いろいろな事に興味津々の子供だったら、もっと凄いかもしれない。あちこちであっという間に「博士くん」が出てきそうである。いやいや子供に負けているわけにもいくまい。大人も負けじと楽しみながら博士くんになりたいと思うのである・・・
(それにしても百田尚樹は面白い、今3冊目に取り掛かっている・・・)
【本日の読書】
「良い印象の言葉力」宮本隆治
「BOX!」百田尚樹
そして主人公のマリアは、ワーカーと呼ばれる働き蜂(名前からわかる通りすべてメス)。毎日外へ行って獲物を捕らえてくるのが仕事。獲物を捕らえると、あっという間に手足を切り取り胴体だけを団子にして巣に持ち帰り、妹たち(幼虫)に食べさせる。獲物の豊富な夏はよいが、少なくなる秋になると次の女王蜂に豊富な餌を与えるため、他の蜂の巣を襲って根こそぎ幼虫を奪って全滅させてしまったりする・・・
そんな習性と面白いストーリーに、「ふ~む」と唸りながら一気に読んでしまった。読み終わると知識だけは一端の専門家になっていた。しかし、いかんせん本だけの知識。そこで利用したのが、GoogleとYoutube。画像や動画を検索すると、出てくる出てくる。
中でも圧巻なのが日本ミツバチが自分たちの巣に侵入したオオスズメバチを集団で取り囲み、熱で殺してしまうシーン。オオスズメバチは46度以上になると死んでしまうが、日本ミツバチは48度まで耐えられる。この2度の差を利用して、自分たちよりはるかに大きな敵を殺すのである。Youtubeでそれを見る事ができた。
→ 「オオスズメバチvsニホンミツバチ」
また、セイヨウミツバチの巣を襲うシーンも凄まじい。何万匹を相手にして数時間で根こそぎにしてしまうのである。Youtubeの動画 「30匹対30,000匹」でも「これは戦いではなく、虐殺である」と語られている。こういうのは映像で観るとよけいにリアリティを感じる。
昔はこういう時は百科事典で調べたのだろうが、今は実に簡単にいろいろな関連知識、画像に映像が入手できる。あらためてネット社会の凄さを感じてしまう。ちなみに暇があると、ここのところオオスズメバチ関連の動画を漁っている。本も面白かったが、それを踏まえた映像もまた興味深い。今やちょっとしたオオスズメバチ博士を気取っているくらいだ。
いろいろな事に興味津々の子供だったら、もっと凄いかもしれない。あちこちであっという間に「博士くん」が出てきそうである。いやいや子供に負けているわけにもいくまい。大人も負けじと楽しみながら博士くんになりたいと思うのである・・・
(それにしても百田尚樹は面白い、今3冊目に取り掛かっている・・・)
【本日の読書】
「良い印象の言葉力」宮本隆治
「BOX!」百田尚樹
2010年2月16日火曜日
新三郷
先週末に新三郷のショッピングスポットに出かけてきた。つい最近イケアにコストコにららぽーとができたところである。実はコストコについては、以前から三井アウトレットパークのところに行っていた。しかしながら新三郷の方が外環自動車道を使うと便利なため、これからはこちらを利用する事が多くなりそうである。妻はもう何度目かだが、私は新三郷のコストコとららぽーとは始めてであった。
イケアは広大なスペースをこれでもかと活かして家具類を展示している。ここは2回目だが、なかなか暇つぶしにはよい。しかもレストランが併設されているので、食べてまた買い物を続けるという芸当もできる。軽食コーナーではホットドックとコーヒーのセットが150円だった。思わず買って食べてしまったが、さすがに150円だと食べないと損する気分になる。けっこう賑わっていたから、みんな同じ気分だったのだろう。これがメインというわけではないだろうが、原価もそんなにしないだろうし、馬鹿にできない売上はあるのではないかと思ってしまった。お客を外に出さない仕組みを考えての事なのだろう。
コストコはとにかく量が多いし、変わったものもあるから、手持ち無沙汰でうろうろしても結構楽しめる。いつも近所のスーパーより安いバーボンを購入しているが、今回も買ってしまった。大量にしかもどんと無造作な陳列。日本的な行き届いたそれとは対照的であるが、これはこれで面白いものである。
ららぽーとではChocolatería San Ginésという店に行く。
ここではチュロス&チョコレートドリンクが売り物である。なんでもスペインの人気店だそうで、そうなると食べ物にはうるさい我が家のメンバーが見逃すはずもなく、並ぶ事となったのである。チュロスは食べた事はあるが、ここではチョコレートドリンクに浸して食べるのが売りだとか。サクサクっと食べて満足。
季節柄どこでもバレンタイン一色。娘は今年は誰にあげるのだろうかと思って尋ねたら、「誰にもあげない」だとか。ならばせめてパパにあげたらと誘い水を向けたが、笑ってごまかされた。早くも娘心が理解できなくなってきている。
中に入っているイトーヨーカドーで息子は仮面ライダーのベルトを見つけてきた。クリスマスにサンタさんからもらえなかったベルトであるが、それとは種類の異なる500円のミニチュア版。目をきらきらさせて「良い子にする」というので買ってあげた。500円で感激されるのも悪くはない。
子供たちのリクエストでフードコートで夕食。帰りはすっかり日も暮れていた。ちょっとした休日の暇つぶしにはもってこいのスポット。こんな休日も悪くはないと思うのである・・・
【本日の読書】
「良い印象の言葉力」宮本隆治
「BOXボックス!」百田尚樹
イケアは広大なスペースをこれでもかと活かして家具類を展示している。ここは2回目だが、なかなか暇つぶしにはよい。しかもレストランが併設されているので、食べてまた買い物を続けるという芸当もできる。軽食コーナーではホットドックとコーヒーのセットが150円だった。思わず買って食べてしまったが、さすがに150円だと食べないと損する気分になる。けっこう賑わっていたから、みんな同じ気分だったのだろう。これがメインというわけではないだろうが、原価もそんなにしないだろうし、馬鹿にできない売上はあるのではないかと思ってしまった。お客を外に出さない仕組みを考えての事なのだろう。
コストコはとにかく量が多いし、変わったものもあるから、手持ち無沙汰でうろうろしても結構楽しめる。いつも近所のスーパーより安いバーボンを購入しているが、今回も買ってしまった。大量にしかもどんと無造作な陳列。日本的な行き届いたそれとは対照的であるが、これはこれで面白いものである。
ららぽーとではChocolatería San Ginésという店に行く。

ここではチュロス&チョコレートドリンクが売り物である。なんでもスペインの人気店だそうで、そうなると食べ物にはうるさい我が家のメンバーが見逃すはずもなく、並ぶ事となったのである。チュロスは食べた事はあるが、ここではチョコレートドリンクに浸して食べるのが売りだとか。サクサクっと食べて満足。
季節柄どこでもバレンタイン一色。娘は今年は誰にあげるのだろうかと思って尋ねたら、「誰にもあげない」だとか。ならばせめてパパにあげたらと誘い水を向けたが、笑ってごまかされた。早くも娘心が理解できなくなってきている。
中に入っているイトーヨーカドーで息子は仮面ライダーのベルトを見つけてきた。クリスマスにサンタさんからもらえなかったベルトであるが、それとは種類の異なる500円のミニチュア版。目をきらきらさせて「良い子にする」というので買ってあげた。500円で感激されるのも悪くはない。
子供たちのリクエストでフードコートで夕食。帰りはすっかり日も暮れていた。ちょっとした休日の暇つぶしにはもってこいのスポット。こんな休日も悪くはないと思うのである・・・
【本日の読書】
「良い印象の言葉力」宮本隆治
「BOXボックス!」百田尚樹
2010年2月13日土曜日
日頃鍛えし・・・
心配してコメントやメールをいただいたみなさま、ありがとうございました。だいぶ慰められました。書いて言葉にする事によって自分自身にカツを入れる効果もありました。ブログの見えない効用でしょうね。これからも更新を続けていこうと強く思いました。
現在仲良く入院しているわが両親。先週はドタバタであったが、その発端は私がかけた電話。お正月から「具合が悪い」と聞いていたものの、その後どうなのか聞こうと思ったのだ。「いっそうよくない」というのがその答えだった。
かかりつけの医師に診てもらっているが、原因はいまだわからない。自分で不安になり大学病院に行ったところ、総合案内で(言い方が悪かったのだろう)「紹介状をもらってくるように」と言われてすごすごと帰ってきたらしい。まるっきり初診の振りしていけばよかったものの、正直に要領悪く話し過ぎたのであろう。そう聞いて、「しらばっくれて初診に並べば良い」とアドバイスしたが、思い直して私がかかりつけ医のところに紹介状をもらいに行く事にした。
初めは母も、「今後も長く付き合うつもりのかかりつけ医だから機嫌を損ねたくない」と躊躇していた。しかし、やはり初診で飛び込むよりは紹介状を持っていった方が良い。それまでの治療の経過がわかれば同じ検査を何度もする必要もない。素人的にもそんな風に思えた。そこで「うまくやるから大丈夫」と説得した。
大事なのは母とかかりつけ医の関係を壊さぬように紹介状をもらう事。最悪、私が悪者になって「気の進まない母親」を「息子が強引に大きな病院へ連れて行った」という構図にしてしまえばよい、と腹を括って出かけて行った。私も日頃から、仕事柄鍛えられた「交渉術もどき」がある。何となく何とかなるだろうと考えていた。
かかりつけの医師は私よりも少し若い感じ。始めに「病状と先生の考えを教えてほしい」と切り出した。そうしたところ丁寧に教えてくれた。どんな検査をしているのか、これから更にどんな検査をするつもりか、それによってはどうするか等々・・・
そうしてその先生もある特定分野では専門外なので、そこは近くの大学病院で診てもらう他はない、その時は紹介状を書くと説明してくれた。そこで私は、「なるべく早く原因を知りたいので、並行して診てもらいたいがどうだろうか」と申し出た。先生はすぐに「では今紹介状を書きましょう」と言ってくれた。
医者にとってみれば「自分では手に負えない」症状は嫌であろう。かと言って「自分にはできない」とは言い辛い。こちらの申し出は、ひょっとしたら「渡りに船」だったかもしれない。結果的には先生の顔を潰す事なく、喧嘩する事もなく、気持ちよく紹介状を書いてもらえた。なんとか悪者にはならずに済んだようだ。
「相手の話を聞きながら、自分のメリットにつながる共通点を見出して、相手の顔を立てながら自分の動いてほしい方向に動いてもらう」
実は普段そんな話し合いをするケースが度々ある。弟などは喧嘩してでももらってくれば、という考え方をするが、相手にだってプライドや立場や考えなどがある。そんなものを尊重しながらうまくやる方法は常にどこかにあるはずなのだと思う。
家に帰って紹介状を母親に見せながら、「まあこのくらいはわけない」と大げさに戦果を強調したのは言うまでもない。最近は親から不満をぶつけられる事の多い不肖の長男であるが、今回は面目躍如となった。こんな時でもなければ、失地回復といかないところが嘆かわしいが、まあこの機会にせいぜい点数を稼いでおきたいと思うのである・・・
【昨日の読書】
「クルマは家電量販店で買え!」吉本佳生
「闇の系譜-ヤクザ資本主義の主役たち」有森隆+グループK
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現在仲良く入院しているわが両親。先週はドタバタであったが、その発端は私がかけた電話。お正月から「具合が悪い」と聞いていたものの、その後どうなのか聞こうと思ったのだ。「いっそうよくない」というのがその答えだった。
かかりつけの医師に診てもらっているが、原因はいまだわからない。自分で不安になり大学病院に行ったところ、総合案内で(言い方が悪かったのだろう)「紹介状をもらってくるように」と言われてすごすごと帰ってきたらしい。まるっきり初診の振りしていけばよかったものの、正直に要領悪く話し過ぎたのであろう。そう聞いて、「しらばっくれて初診に並べば良い」とアドバイスしたが、思い直して私がかかりつけ医のところに紹介状をもらいに行く事にした。
初めは母も、「今後も長く付き合うつもりのかかりつけ医だから機嫌を損ねたくない」と躊躇していた。しかし、やはり初診で飛び込むよりは紹介状を持っていった方が良い。それまでの治療の経過がわかれば同じ検査を何度もする必要もない。素人的にもそんな風に思えた。そこで「うまくやるから大丈夫」と説得した。
大事なのは母とかかりつけ医の関係を壊さぬように紹介状をもらう事。最悪、私が悪者になって「気の進まない母親」を「息子が強引に大きな病院へ連れて行った」という構図にしてしまえばよい、と腹を括って出かけて行った。私も日頃から、仕事柄鍛えられた「交渉術もどき」がある。何となく何とかなるだろうと考えていた。
かかりつけの医師は私よりも少し若い感じ。始めに「病状と先生の考えを教えてほしい」と切り出した。そうしたところ丁寧に教えてくれた。どんな検査をしているのか、これから更にどんな検査をするつもりか、それによってはどうするか等々・・・
そうしてその先生もある特定分野では専門外なので、そこは近くの大学病院で診てもらう他はない、その時は紹介状を書くと説明してくれた。そこで私は、「なるべく早く原因を知りたいので、並行して診てもらいたいがどうだろうか」と申し出た。先生はすぐに「では今紹介状を書きましょう」と言ってくれた。
医者にとってみれば「自分では手に負えない」症状は嫌であろう。かと言って「自分にはできない」とは言い辛い。こちらの申し出は、ひょっとしたら「渡りに船」だったかもしれない。結果的には先生の顔を潰す事なく、喧嘩する事もなく、気持ちよく紹介状を書いてもらえた。なんとか悪者にはならずに済んだようだ。
「相手の話を聞きながら、自分のメリットにつながる共通点を見出して、相手の顔を立てながら自分の動いてほしい方向に動いてもらう」
実は普段そんな話し合いをするケースが度々ある。弟などは喧嘩してでももらってくれば、という考え方をするが、相手にだってプライドや立場や考えなどがある。そんなものを尊重しながらうまくやる方法は常にどこかにあるはずなのだと思う。
家に帰って紹介状を母親に見せながら、「まあこのくらいはわけない」と大げさに戦果を強調したのは言うまでもない。最近は親から不満をぶつけられる事の多い不肖の長男であるが、今回は面目躍如となった。こんな時でもなければ、失地回復といかないところが嘆かわしいが、まあこの機会にせいぜい点数を稼いでおきたいと思うのである・・・
【昨日の読書】
「クルマは家電量販店で買え!」吉本佳生
「闇の系譜-ヤクザ資本主義の主役たち」有森隆+グループK
2010年2月10日水曜日
幸か不幸か
人は心そのもの。
人はいつも思考という道具を持ち歩いて欲しいものを形作り、いくつもの喜びといくつもの悲しみを生み出している
ジェームズ・アレン
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ここのところちょっと実家が大変な事になっている。父親が膝の怪我で入院したのに合わせるが如く、ここにきて母親も具合が悪くなり入院する事になった。何もそんなところまで仲良くなくてもいいものを、と思うがこればっかりは仕方がない。見舞いやら付き添いやら先生との話やらで実家と病院と職場と家との間を奔走していたので、すっかりブログは疎かになってしまった。
実は5年前にも妻と子供が同時に(しかも別々の病院に)入院するという事態があった。この時もそうだったが、今回も「何という不幸だろう」と、ともすれば思いがちだ。しかし、こういう時こそ意識的に「不幸中の幸い」に目を向けるようにしている。この世の不幸が一気に圧し掛かってきたような気は、確かにする。実際に心も生活のリズムも乱れるし、大変は大変である。ただ、本当に究極的な不幸かと言えば、よくよく考えるとそうでもない事が見えてくる。
第一にここは先進国日本の、しかも首都東京のど真ん中。入院した昭和大学病院まではタクシーで1メーターの距離。かかりつけ医では原因がわからなかった母親の症状も、検査の結果すぐに原因が判明した。自然治癒は難しいとの説明だったから、これが発展途上国だったら死ぬまで苦しまないといけなかったのかもしれない。母親は、本人の意識は別として幸運だ。
そしてゆとりが叫ばれる我が職場環境。私も仲間の理解を得られ、休暇や早退で事態に対応できる。一昔前だったら大変だったのではないかと思う(昔、私の上司は義理の親の葬儀も仕事を休めず欠席していた・・・)。そういう時代の雰囲気と仲間とに恵まれたタイミングで幸運だ。
さらに心の余裕がなくなっているこの時、我が家は平和で何の心配もない。家の事を何も気にしなくていいのは非常にありがたい。伯母(母の姉と妹)も手伝いに来てくれる。遠くに住んでいたら不可能なわけで、この点でもありがたい。私自身も海外や地方勤務だったら、遠くでやきもきするだけだっただろうし、近くで機動的に対応できるのも、考えてみれば幸運だ。不幸よりも幸運の方が多いような気がしてくる。
どんなにあがいても事実は一つ。ただ、それをどう受け止めるかでだいぶ変わってくる。今回の件も、ひたすら嘆いても「ああまだ良い方だった」と自分に言い聞かせても、どちらにしても事態は変わらない。ならば少しでも良かったと思う方が、心にゆとりもできるし、いいような気がする。実際、発展途上国の人からみたら、随分と羨ましい状況だろうと思う。
不肖の息子の汚名返上にも良い機会かもしれない。ここは一つ頑張りどころだと自分に言い聞かせて乗り切りたいと思うのである・・・
【本日の読書】
「クルマは家電量販店で買え!」吉本佳生
「闇の系譜-ヤクザ資本主義の主役たち」有森隆+グループK
2010年2月3日水曜日
日記の効能
「恵方巻」
「節分」の夜にその年の恵方(吉神がいる方位=今年は『西南西』)を向いて「恵方巻」を無言で丸かぶりすると幸せが訪れるという。巻寿司は「福を巻き込む」とされ、「縁を切らない」ために包丁を入れずまるごと食べるのが良いとされている・・・
私はプライベートで日記をつけている。以前にも紹介したが、それは行動記録だ。その日一日の行動をざっと記録しておく。このスタイルはもうずっと変わっていない。
よく昔の偉人の日記などが公開されたりしているが、もしも私の日記を誰かに見られたら、それは「何時に起きて、出勤して、○○の仕事をして・・・」なんて感じだからとてもレベルの低いものに見られてしまうかもしれない。ただ、個人的にはこれがけっこう役に立つ。
最近は週末などに過去の同じ時期の日記何年か分を読み返している。そうすると、過去のそれぞれの同じ時期に何をしていたかが鮮明に思い起こされてくる。行動記録だからよけいに、である。平日などは同じような毎日を過ごしているようであるが、やっぱりその時その時異なっている。過ぎてみればあっと言う間で、早い早いと嘆いている月日であるが、やっぱり一日一日と違う日々を過ごしているのがわかる。
自分のその時々の感情はあまり書いていないのだが、その時の様子とともに自然と思い出されるものである。面倒くさくなる事もやっぱりあるのだが、あとから読み返してみると「つけてて良かった」と思うから、それがずっと続けるモチベーションになっている。
今はこうしてブログもあるから、ブログに移行しようかとも考えた。友人のブログなどを見ていて思うには、日記形式だと普段合わなくても彼ら(彼女ら)が何をしているのかがわかるので、身近に感じるという事だ。今忙しいんだなとか、また飲んでるんだなとか、気がつくとしばらく連絡を取っていなくても、そんな気がまるでしない。そういうメリットもあるのだと気がついた。
しかし、それでもやっぱり日記は非公開だな。いろいろと表には出せない事もあるし・・・特に最近はPCに保存しているから、奥様に内緒のこともパスワードをかけて自由に書けるというメリットもある。これはこれで今後もこのスタイルだ。
日記をつけ始めたのは確か小学校3年くらいだったと記憶している。それから断続的に続けてきて、ここ10年くらいは毎日書くことが定着した。ちょうど今娘がその年なので、日記をつけさせようと試みたが、あえなく断念。でも再チャレンジの機会をうかがっている。今度実家に帰った時に、小学生の頃の日記を探しだして娘に見せてみよう。どんな感想を持つだろうか。
そして思考の記録はこのブログ。ネタはあるが、時間がなかなか捻出できないのが悩ましい。少なくとも3日に1度の更新ペースは維持して、ずっと続けていきたいと思うのである・・・
【本日の読書】
「オーケストラ指揮法」高木善之
「風の中のマリア」百田尚樹
「節分」の夜にその年の恵方(吉神がいる方位=今年は『西南西』)を向いて「恵方巻」を無言で丸かぶりすると幸せが訪れるという。巻寿司は「福を巻き込む」とされ、「縁を切らない」ために包丁を入れずまるごと食べるのが良いとされている・・・
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私はプライベートで日記をつけている。以前にも紹介したが、それは行動記録だ。その日一日の行動をざっと記録しておく。このスタイルはもうずっと変わっていない。
よく昔の偉人の日記などが公開されたりしているが、もしも私の日記を誰かに見られたら、それは「何時に起きて、出勤して、○○の仕事をして・・・」なんて感じだからとてもレベルの低いものに見られてしまうかもしれない。ただ、個人的にはこれがけっこう役に立つ。
最近は週末などに過去の同じ時期の日記何年か分を読み返している。そうすると、過去のそれぞれの同じ時期に何をしていたかが鮮明に思い起こされてくる。行動記録だからよけいに、である。平日などは同じような毎日を過ごしているようであるが、やっぱりその時その時異なっている。過ぎてみればあっと言う間で、早い早いと嘆いている月日であるが、やっぱり一日一日と違う日々を過ごしているのがわかる。
自分のその時々の感情はあまり書いていないのだが、その時の様子とともに自然と思い出されるものである。面倒くさくなる事もやっぱりあるのだが、あとから読み返してみると「つけてて良かった」と思うから、それがずっと続けるモチベーションになっている。
今はこうしてブログもあるから、ブログに移行しようかとも考えた。友人のブログなどを見ていて思うには、日記形式だと普段合わなくても彼ら(彼女ら)が何をしているのかがわかるので、身近に感じるという事だ。今忙しいんだなとか、また飲んでるんだなとか、気がつくとしばらく連絡を取っていなくても、そんな気がまるでしない。そういうメリットもあるのだと気がついた。
しかし、それでもやっぱり日記は非公開だな。いろいろと表には出せない事もあるし・・・特に最近はPCに保存しているから、奥様に内緒のこともパスワードをかけて自由に書けるというメリットもある。これはこれで今後もこのスタイルだ。
日記をつけ始めたのは確か小学校3年くらいだったと記憶している。それから断続的に続けてきて、ここ10年くらいは毎日書くことが定着した。ちょうど今娘がその年なので、日記をつけさせようと試みたが、あえなく断念。でも再チャレンジの機会をうかがっている。今度実家に帰った時に、小学生の頃の日記を探しだして娘に見せてみよう。どんな感想を持つだろうか。
そして思考の記録はこのブログ。ネタはあるが、時間がなかなか捻出できないのが悩ましい。少なくとも3日に1度の更新ペースは維持して、ずっと続けていきたいと思うのである・・・
【本日の読書】
「オーケストラ指揮法」高木善之
「風の中のマリア」百田尚樹
2010年1月31日日曜日
映画雑感
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昨年までの世界興行収入ベスト5(億ドル未満切捨て)1.タイタニック 1997年 18億ドル
2.ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還 2003年 11億ドル
3.パイレーツ・オブ・カリビアン デッドマンズ・チェスト
2006年 10億ドル
4.ダークナイト 2008年 10億ドル
5.ハリー・ポッターと賢者の石 2001年 9億ドル
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米映画 『アバター』(ジェームズ・キャメロン監督)が凄いヒットを飛ばしている。配給元である20世紀フォックスの発表によると、それまで世界興行収入第1位だった『タイタニック』(同監督)の18億4,290万ドルを越え、18億5,500万ドルに達したという。
『タイタニック』の記録は1年半にわたるトータルだが、『アバター』はわずか39日間でこれを越えたという。『タイタニック』の記録といえば上記の通り、それまで2位にダントツの差をつけて10年以上も君臨してきた大記録である。それをいとも簡単に越えてしまったとは驚きだ。まぁ映画自体は非常に面白いのでそれはそれで頷けるものはある。
監督のジェームズ・キャメロンは私の好きな映画監督の一人である。「エイリアン2」、「アビス」、「ターミネーター2」、「タイタニック」とどれもこれも私の映画史に輝いている。特に人間ドラマが秀逸だ。
スピルバーグやルーカスといった大御所の映画は、「夢」溢れるものが多かった。現実世界とは異なる世界で、根底に流れるのは「夢」とか「希望」とかそういうもので、それはそれで素晴らしい。しかし、キャメロン監督の映画ではそれが重厚な人間ドラマなのである。その人間ドラマゆえに、胸が熱くなるのである。
そしてその人間ドラマに共通しているのは「sacrifice」の精神である。「誰か(何か)のために、我が身を省みず信念をもって危機に立ち向かう姿」である。頼みの海兵隊が全滅し、たった一人で少女を守ってエイリアンと対峙するリプリー。深海に沈んだ核兵器を無力化するために片道切符覚悟で人類未踏の深度へと潜る「アビス」のバド。未来から送り込まれてきた殺人マシーンでありながら、「殺さない」事を学び、人類のために大きな決断を下すターミネーターT-800。沈みゆく船の中でパニックに陥り、我が身優先に考える人々の中にあって、最後まで恋人を守ろうとする青年。
そうしたものは脚本までも手掛けるキャメロン監督の意図するものなのだろう。自分もそんな風にありたいと常々思っているせいか、観終わったあとあとにまで深く残るものがある。
前作から10年以上も待たされた甲斐は十分にあった。満足する間もなく、「次回作」を期待してしまうが、それはまだまだ先の楽しみになりそうである。こういう映画を苦もなく観られる幸せをしっかりと噛み締めたいと思うのである・・・
【昨日の読書】
「ゴールドラッシュの超ビジネスモデル」野口悠紀雄
「コーヒーとサンドイッチの法則」竹内正浩
2010年1月28日木曜日
幼稚園児
先週妻が風邪でダウンした。
鬼の霍乱ってやつだが、一家の主婦がダウンすると家事が混乱する。
それはわかるのだが、意外な悪影響がある事も発見した。
長男が幼稚園を休まざるをえなかったのだ。
長男が通う幼稚園は親の送り迎えが義務付けられている。徒歩の子は幼稚園まで、バスの子はバス乗り場まで親が送迎しないといけないのだ。私が幼稚園の頃は、ほとんど一人で毎日テクテク歩いて通っていた。弟は甘えん坊で1年くらい母親に送り迎えしてもらっていたが、私はすぐに一人で通うようになっていた。やっぱり当時からしっかりしていたのだ。
ちなみに当時のルートを地図ソフトで測ってみたら674mだった。大人の足で8分くらいか。記憶の中では遥かな距離を歩いた気がしていたが、意外と近い。長男の通う幼稚園は我が家から790mだから、私の通った幼稚園はそれより近かったわけだが、記憶の中ではずっと遠くに感じる。不思議なものだ。
子供たちには早く自立してほしいと考えているので、当然幼稚園にも一人で通わせたい。しかし、昨今は信じ難いような事件も起こるし、おかしなやつがいるし、何かあるとすぐ責任を転嫁するモンスターペアレンツもいる。だからだろう、幼稚園が親の送迎を義務付けるのも自衛のためでやむをえない。園外までは責任持ちませんというわけだ。そうしたスタンスを責めるのは酷だ。
そういえば先日妻がある番組の話をしてくれた。幼い子供たちに留守番をさせるという企画だったようである。あらかじめお母さんが子供たちに、「電話には出てはいけません、チャイムが鳴っても出てはいけません、知らない人について行ってはいけません」と言って外出する。その上で番組のスタッフが子供たちに仕掛ける。
最初の電話こそ出なかったものの、2回目には応答し、聞かれるままに個人情報をべらべら喋ってしまう。工事を装ったスタッフをいとも簡単に家の中に上げてしまう。あげくに「お母さんが駅で待っている」と言われ、初対面のおばさんにホイホイついて行ってしまう。お母さんは見ていて頭を抱える、というものだったらしい。
子供は純真で疑うという事を知らない。昔何かで読んだが、相手の悪事を見破ったり警戒したりできるのは、自分にそういう心があるからだ、という事だ。疑う事を知らない純真な人間はそれゆえにすぐに騙されるという訳だ。確かにそうだろう。インフルエンザの予防接種と同じで、悪をもって悪を撃退するのである。無菌室で育つと雑菌にすぐにやられてしまう。
純真な子供たちがやがて雑菌の中で免疫を身につけていく。リンゴ農家の木村さんは農薬で「保護」する方法を否定して 「奇跡のリンゴ」を作り上げた。温室で大事に育てた子供が、外に出て逞しく生きていけるかというと不安がある。早くから外の厳しい環境で育てたいと、心密かに思う。園児が一人で通えたあの頃は、果たして良い時代だったのかどうなのか。どうなんだろう、何とも言えない気分の現代社会だと思うのである・・・
【本日の読書】
「ゴールドラッシュの超ビジネスモデル」野口悠紀雄
「コーヒーとサンドイッチの法則」竹内正浩
鬼の霍乱ってやつだが、一家の主婦がダウンすると家事が混乱する。
それはわかるのだが、意外な悪影響がある事も発見した。
長男が幼稚園を休まざるをえなかったのだ。
長男が通う幼稚園は親の送り迎えが義務付けられている。徒歩の子は幼稚園まで、バスの子はバス乗り場まで親が送迎しないといけないのだ。私が幼稚園の頃は、ほとんど一人で毎日テクテク歩いて通っていた。弟は甘えん坊で1年くらい母親に送り迎えしてもらっていたが、私はすぐに一人で通うようになっていた。やっぱり当時からしっかりしていたのだ。
ちなみに当時のルートを地図ソフトで測ってみたら674mだった。大人の足で8分くらいか。記憶の中では遥かな距離を歩いた気がしていたが、意外と近い。長男の通う幼稚園は我が家から790mだから、私の通った幼稚園はそれより近かったわけだが、記憶の中ではずっと遠くに感じる。不思議なものだ。
子供たちには早く自立してほしいと考えているので、当然幼稚園にも一人で通わせたい。しかし、昨今は信じ難いような事件も起こるし、おかしなやつがいるし、何かあるとすぐ責任を転嫁するモンスターペアレンツもいる。だからだろう、幼稚園が親の送迎を義務付けるのも自衛のためでやむをえない。園外までは責任持ちませんというわけだ。そうしたスタンスを責めるのは酷だ。
そういえば先日妻がある番組の話をしてくれた。幼い子供たちに留守番をさせるという企画だったようである。あらかじめお母さんが子供たちに、「電話には出てはいけません、チャイムが鳴っても出てはいけません、知らない人について行ってはいけません」と言って外出する。その上で番組のスタッフが子供たちに仕掛ける。
最初の電話こそ出なかったものの、2回目には応答し、聞かれるままに個人情報をべらべら喋ってしまう。工事を装ったスタッフをいとも簡単に家の中に上げてしまう。あげくに「お母さんが駅で待っている」と言われ、初対面のおばさんにホイホイついて行ってしまう。お母さんは見ていて頭を抱える、というものだったらしい。
子供は純真で疑うという事を知らない。昔何かで読んだが、相手の悪事を見破ったり警戒したりできるのは、自分にそういう心があるからだ、という事だ。疑う事を知らない純真な人間はそれゆえにすぐに騙されるという訳だ。確かにそうだろう。インフルエンザの予防接種と同じで、悪をもって悪を撃退するのである。無菌室で育つと雑菌にすぐにやられてしまう。
純真な子供たちがやがて雑菌の中で免疫を身につけていく。リンゴ農家の木村さんは農薬で「保護」する方法を否定して 「奇跡のリンゴ」を作り上げた。温室で大事に育てた子供が、外に出て逞しく生きていけるかというと不安がある。早くから外の厳しい環境で育てたいと、心密かに思う。園児が一人で通えたあの頃は、果たして良い時代だったのかどうなのか。どうなんだろう、何とも言えない気分の現代社会だと思うのである・・・
【本日の読書】
「ゴールドラッシュの超ビジネスモデル」野口悠紀雄
「コーヒーとサンドイッチの法則」竹内正浩
2010年1月27日水曜日
考えてみること
「永遠の0」を読んでいて考えた事の続きである。
印象的なエピソードがある。特攻第1号となった関行男大尉の話である。関大尉は新婚の身であり、母一人子一人という境遇であったが、苦渋の決断で任務を受け入れ、米空母撃沈という戦果を上げる。
祖国に残った母親はたった一人の子供を失ったが、「軍神の母」として周りの人達から畏敬を受ける。その心中は察するものがある。ところが、戦後は特攻批判の逆風に晒され、一人行商で生計を立てつつ昭和28年に亡くなっている。
軍神とおだてたのも、戦後は掌を返して批判したのもマスコミであり、それを真に受けた周りの人達である。関大尉もその母も何ら変わったものでもない。その場の雰囲気の中で報道するマスコミと、それを盲目的に信じる国民という構図は、現代でもそのままである。
私も銀行に勤務し、かつてのマスコミの「貸し渋り批判」を苦々しく思っていた。貸せば「ずさんな融資」と批判し(新銀行東京など良い例だ)、貸さなければ「貸し渋り」と批判し、ではその基準は何かと示すわけでもない。不況になればみんなお金を借りるのを控える。だから銀行貸出残高は当然下がるのだが、「貸出残高が下がった」という事実だけで、「銀行の貸し渋り姿勢鮮明に」という記事を平気で出していた。世間の人は「そうなんだ、ひどいな」と受け止めた。
だからというわけではないが、今は新聞の記事を読んでも、そのまま受け止めることだけはやめている。例えば今は小沢さんの記事一色であるが、マスコミが批判論調を強めれば強めるほど、冷静に「事実はどうなのか、それをどう捉えるべきか」と想像している。別に小沢さんを擁護するつもりは毛頭ないが、それ以上にマスコミは信用しないようにしているのだ。
ちなみに田中角栄をロッキード疑惑で叩いたのは、親米路線を変更した角栄さんを引きずり倒そうとしたアメリカの意思だと言われている。事実、事件はアメリカ議会における証言からスタートしたし、【反転 闇社会の守護神と呼ばれて】という本では、「不思議な事にアメリカ側から次々に証拠や証言を得られて、非常にやりやすい裁判だった」という記述がある(この本は別にロッキード事件を扱ったものではない)。小沢さんは田中角栄の影響を強く受けているし、アメリカから中国に軸足を移そうとしているところまで一緒だし、ひょっとしたら裏に何かあるのかもしれないと勘繰ってしまう。
いずれにせよ、世の中の動きを観察し、マスコミの報道は見ても聞いてもそのまま受け止めずに、まずはいろいろと想像してみる、考えるというスタンスだけは持っておかないといけないだろう。よくよく心掛けておきたいと思うのである・・・
【本日の読書】
「ゴールドラッシュの超ビジネスモデル」野口悠紀雄
「永遠の0」百田尚樹
印象的なエピソードがある。特攻第1号となった関行男大尉の話である。関大尉は新婚の身であり、母一人子一人という境遇であったが、苦渋の決断で任務を受け入れ、米空母撃沈という戦果を上げる。
祖国に残った母親はたった一人の子供を失ったが、「軍神の母」として周りの人達から畏敬を受ける。その心中は察するものがある。ところが、戦後は特攻批判の逆風に晒され、一人行商で生計を立てつつ昭和28年に亡くなっている。
軍神とおだてたのも、戦後は掌を返して批判したのもマスコミであり、それを真に受けた周りの人達である。関大尉もその母も何ら変わったものでもない。その場の雰囲気の中で報道するマスコミと、それを盲目的に信じる国民という構図は、現代でもそのままである。
私も銀行に勤務し、かつてのマスコミの「貸し渋り批判」を苦々しく思っていた。貸せば「ずさんな融資」と批判し(新銀行東京など良い例だ)、貸さなければ「貸し渋り」と批判し、ではその基準は何かと示すわけでもない。不況になればみんなお金を借りるのを控える。だから銀行貸出残高は当然下がるのだが、「貸出残高が下がった」という事実だけで、「銀行の貸し渋り姿勢鮮明に」という記事を平気で出していた。世間の人は「そうなんだ、ひどいな」と受け止めた。
だからというわけではないが、今は新聞の記事を読んでも、そのまま受け止めることだけはやめている。例えば今は小沢さんの記事一色であるが、マスコミが批判論調を強めれば強めるほど、冷静に「事実はどうなのか、それをどう捉えるべきか」と想像している。別に小沢さんを擁護するつもりは毛頭ないが、それ以上にマスコミは信用しないようにしているのだ。
ちなみに田中角栄をロッキード疑惑で叩いたのは、親米路線を変更した角栄さんを引きずり倒そうとしたアメリカの意思だと言われている。事実、事件はアメリカ議会における証言からスタートしたし、【反転 闇社会の守護神と呼ばれて】という本では、「不思議な事にアメリカ側から次々に証拠や証言を得られて、非常にやりやすい裁判だった」という記述がある(この本は別にロッキード事件を扱ったものではない)。小沢さんは田中角栄の影響を強く受けているし、アメリカから中国に軸足を移そうとしているところまで一緒だし、ひょっとしたら裏に何かあるのかもしれないと勘繰ってしまう。
いずれにせよ、世の中の動きを観察し、マスコミの報道は見ても聞いてもそのまま受け止めずに、まずはいろいろと想像してみる、考えるというスタンスだけは持っておかないといけないだろう。よくよく心掛けておきたいと思うのである・・・
【本日の読書】
「ゴールドラッシュの超ビジネスモデル」野口悠紀雄
「永遠の0」百田尚樹
2010年1月24日日曜日
歴史から学べるか
今「永遠の0」という本を読んでいる。太平洋戦争の時に、特攻で亡くなった祖父の足跡を孫たちが訪ね歩くというストーリーだ。読んでいて感じるのは無情感。結婚したばかりだった祖父。生きて帰りたいと願っていた祖父。しかし、国家の事情と軍隊という過酷な状況がその前に立ちはだかる。
英語では”We are on the same boat”という表現がある。日本語では「一蓮托生」。国家をボートと捉えるか蓮の葉と捉えるかの違いはあるとしても、いずれも同じ運命共同体にある事は同じで、一人だけ逃れる事はできない。そしてその行く先を一人の意思で変える事もできない。
戦争ともなると一国民としてはどうにもならない。その祖父は志願兵であったが、一般人も所謂「赤紙」で徴兵された。「嫌だ」と拒絶できるものでもない。他の国でも徴兵拒絶は重罪だろうが、戦前の我が国においてはそんな事は死にも値する行為だろう。選択肢はないわけである。
そして旧日本軍では人間が一番軽視される。一機の飛行機の方が一人のパイロットよりも大事なのである。特攻も最後は戦果よりも死ぬ事自体が目的となっていく。そうした状況下で、個人の意思など荒れ狂う波間に漂うボートの如きである。どうしようもない。
そしてそれが怖いところは、「過去の不幸な時期の話」と一概に言い切れないところだ。確かに戦後は民主主義の世の中になり、冷戦なんかもあったが、現代日本においては再び戦争へ進むという事は極めて考えにくい。そういう事態になる事は、共産党や社民党のおばちゃんがなんと言おうとありえないだろう。
現代では差し詰め危険水準にある国家財政であろうか。このままではいずれ破綻するのは確実である。なにせ税収よりも支出が多い状態が続いているわけで、改善の道筋は見えていない。氷山に向ってひたすら進むタイタニック号なわけである。戦前の我が国も、現在の我が国も向っている氷山が違うとはいえ、同じ状況にあるように思えてならない。
いずれ何とかなるだろうとみんな考えているが、戦前の我が国で敗戦による国家破綻を予想できた人がどれだけいただろうか。自分も含めて想像できない事態について考える事を放棄してしまっているのではないだろうか。どうなるかわからないが、もしも氷山に衝突したら自分だけ逃れる事ができない事だけは確かである。その事だけでも認識しておくしかないのだろうか。
効果のほどはともかくとして、せめて自作のいかだくらい作っておくべきだろうかと思ってみるのである・・・
【本日の読書】
お休み
英語では”We are on the same boat”という表現がある。日本語では「一蓮托生」。国家をボートと捉えるか蓮の葉と捉えるかの違いはあるとしても、いずれも同じ運命共同体にある事は同じで、一人だけ逃れる事はできない。そしてその行く先を一人の意思で変える事もできない。
戦争ともなると一国民としてはどうにもならない。その祖父は志願兵であったが、一般人も所謂「赤紙」で徴兵された。「嫌だ」と拒絶できるものでもない。他の国でも徴兵拒絶は重罪だろうが、戦前の我が国においてはそんな事は死にも値する行為だろう。選択肢はないわけである。
そして旧日本軍では人間が一番軽視される。一機の飛行機の方が一人のパイロットよりも大事なのである。特攻も最後は戦果よりも死ぬ事自体が目的となっていく。そうした状況下で、個人の意思など荒れ狂う波間に漂うボートの如きである。どうしようもない。
そしてそれが怖いところは、「過去の不幸な時期の話」と一概に言い切れないところだ。確かに戦後は民主主義の世の中になり、冷戦なんかもあったが、現代日本においては再び戦争へ進むという事は極めて考えにくい。そういう事態になる事は、共産党や社民党のおばちゃんがなんと言おうとありえないだろう。
現代では差し詰め危険水準にある国家財政であろうか。このままではいずれ破綻するのは確実である。なにせ税収よりも支出が多い状態が続いているわけで、改善の道筋は見えていない。氷山に向ってひたすら進むタイタニック号なわけである。戦前の我が国も、現在の我が国も向っている氷山が違うとはいえ、同じ状況にあるように思えてならない。
いずれ何とかなるだろうとみんな考えているが、戦前の我が国で敗戦による国家破綻を予想できた人がどれだけいただろうか。自分も含めて想像できない事態について考える事を放棄してしまっているのではないだろうか。どうなるかわからないが、もしも氷山に衝突したら自分だけ逃れる事ができない事だけは確かである。その事だけでも認識しておくしかないのだろうか。
効果のほどはともかくとして、せめて自作のいかだくらい作っておくべきだろうかと思ってみるのである・・・
【本日の読書】
お休み
2010年1月22日金曜日
覚悟
この年になってくると、昔ラグビーをしていて痛めた古傷があちこち痛む事がある。右肩を痛めたのでもう遠投はできないし(スピードボールも投げられない)、左肩はまっすぐに上がらない。靭帯が切れていて正座も長時間できないし、その他細かいのもたくさんある。だがそれでも幸いな事に大きな怪我はなかった。骨折もした事がない。一番大きな怪我は左肩の脱臼だ。
4年の時の公式戦第1戦。開始直後に相手と激突して外れてしまった。ラグビー協会から派遣されて来ていたドクターが診てくれたが、その場で処置できないと判断し救急車を呼ぶように指示してくれた。その間、経験した事のない激痛に倒れたまま、体のどこも動かせずにいた(ちょっと動くだけで左肩に激痛が走ったのだ)。そんな状況下、実はある事を考えていた・・・
高校時代の事である。やっぱり練習中に先輩が腹を強打して倒れた。当たり所が悪く、その先輩はまさにのたうち回って苦しんだ。幸い大した事はなかったが、いつも颯爽としている先輩が無様ともいえる姿を晒してちょっとイメージダウンだった。その時思ったのだ、「自分にもいつそんな時が来るかもしれない、自分は絶対醜態を晒さないようにしよう」と。
救急車を待つ間、心の中では「早く来いよ~」と毒づいていたが、うめき声ももらさないようにあの時の先輩ののたうち回る姿を思い出して耐えていた。ようやく救急車が来たが、こちらは動けない。グラウンドもそんなに広くないし、私の倒れている場所まで来てもらうには試合を止めないといけない。「試合を止めろ!」と後輩が叫ぶのが聞えた。
だが、冗談ではない。そんな事をしたら衆人環視の中、無様に運ばれて行く事になる。それに試合が止まれば試合中の敵も味方もそれをじっと見る事になる。味方が救急車で運ばれていくのは、心理的に敵を調子づかせ、味方にはダメージを与える。「試合を止めるな!」とその後輩に言って、激痛を堪えて救急車まで歩いた。その姿は背中の曲がった老婆のようでけっしてかっこ良くはなかったが、とりあえず最悪の醜態を晒す事だけは避けられた。
生まれて初めて乗った救急車は、揺れると激痛が走るし、かといって後輩と女子マネがついていてくれたから、まだ醜態は晒せなかったし、病院までの道のりがひどく遠く感じられた。さらにその試合は負けるし、怪我でそのあと2試合出られなかったし、最後なのにひどいシーズンだった。それでもずっと意識していたからこそ、その時醜態を晒さずに済んだと思う。それだけは、まあ良かったのだ。
その昔、武士は元服すると真っ先に切腹の作法を叩き込まれたという。常に武士道に生きていたサムライとは比ぶべくもないが、いざという時のための意識はしっかりとできていたつもりだ。怪我に限らずであるが、いざとなった時に醜態を晒さないようにしようとは今でも腹の中で思っている事だ。人間はピンチの時こそ真価を問われるし、その人の人間性が出るものだ。
しかし失恋だけは辛かったなぁ・・・人前でこそなかったものの、けっこう枕を濡らしたよなぁ。これだけは、覚悟があってもなかなか厳しかったと、今も思うのである・・・
【本日の読書】
「ゴールドラッシュの超ビジネスモデル」野口悠紀雄
「永遠の0」百田尚樹
4年の時の公式戦第1戦。開始直後に相手と激突して外れてしまった。ラグビー協会から派遣されて来ていたドクターが診てくれたが、その場で処置できないと判断し救急車を呼ぶように指示してくれた。その間、経験した事のない激痛に倒れたまま、体のどこも動かせずにいた(ちょっと動くだけで左肩に激痛が走ったのだ)。そんな状況下、実はある事を考えていた・・・
高校時代の事である。やっぱり練習中に先輩が腹を強打して倒れた。当たり所が悪く、その先輩はまさにのたうち回って苦しんだ。幸い大した事はなかったが、いつも颯爽としている先輩が無様ともいえる姿を晒してちょっとイメージダウンだった。その時思ったのだ、「自分にもいつそんな時が来るかもしれない、自分は絶対醜態を晒さないようにしよう」と。
救急車を待つ間、心の中では「早く来いよ~」と毒づいていたが、うめき声ももらさないようにあの時の先輩ののたうち回る姿を思い出して耐えていた。ようやく救急車が来たが、こちらは動けない。グラウンドもそんなに広くないし、私の倒れている場所まで来てもらうには試合を止めないといけない。「試合を止めろ!」と後輩が叫ぶのが聞えた。
だが、冗談ではない。そんな事をしたら衆人環視の中、無様に運ばれて行く事になる。それに試合が止まれば試合中の敵も味方もそれをじっと見る事になる。味方が救急車で運ばれていくのは、心理的に敵を調子づかせ、味方にはダメージを与える。「試合を止めるな!」とその後輩に言って、激痛を堪えて救急車まで歩いた。その姿は背中の曲がった老婆のようでけっしてかっこ良くはなかったが、とりあえず最悪の醜態を晒す事だけは避けられた。
生まれて初めて乗った救急車は、揺れると激痛が走るし、かといって後輩と女子マネがついていてくれたから、まだ醜態は晒せなかったし、病院までの道のりがひどく遠く感じられた。さらにその試合は負けるし、怪我でそのあと2試合出られなかったし、最後なのにひどいシーズンだった。それでもずっと意識していたからこそ、その時醜態を晒さずに済んだと思う。それだけは、まあ良かったのだ。
その昔、武士は元服すると真っ先に切腹の作法を叩き込まれたという。常に武士道に生きていたサムライとは比ぶべくもないが、いざという時のための意識はしっかりとできていたつもりだ。怪我に限らずであるが、いざとなった時に醜態を晒さないようにしようとは今でも腹の中で思っている事だ。人間はピンチの時こそ真価を問われるし、その人の人間性が出るものだ。
しかし失恋だけは辛かったなぁ・・・人前でこそなかったものの、けっこう枕を濡らしたよなぁ。これだけは、覚悟があってもなかなか厳しかったと、今も思うのである・・・
【本日の読書】
「ゴールドラッシュの超ビジネスモデル」野口悠紀雄
「永遠の0」百田尚樹
2010年1月19日火曜日
街角雑感
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鍋の美味しい季節、東京電力が運営する生活情報リサーチサイトが以前行ったアンケート調査による鍋料理の人気ランキングは以下のようになっていた。
総合1位 キムチ鍋 男性1位 すき焼き 女性1位 キムチ鍋
2位 寄せ鍋 2位 寄せ鍋 2位 寄せ鍋
3位 すき焼き 3位 キムチ鍋 3位 水炊き
4位 水炊き 4位 水炊き 4位 すき焼き
5位 湯豆腐 5位 湯豆腐 5位 しゃぶしゃぶ
男性の1位から3位までは僅差であったのに対し、女性のキムチ鍋(チゲ)は大差での1位。辛いものが嫌いな私としてはキムチ鍋だけは食べたいと思わない・・・
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丸の内。改修工事中の東京駅前にずらりと並ぶタクシー。客待ち時間を潰すタクシーの運ちゃん(最近では女性も多い)たちだが、スポーツ新聞を読んでいたり、本を読んでいたり、ぼーっとしていたりと様々だ。最近はリストラで転職する人も多いらしいから、ちょっと前までスーツを着て私みたいに足早に歩いていた人もいるかもしれないと想像したりしてみる。かつて父は「食べていけなくなったらタクシーの運転手でもやろうと思った」と私に語ってくれた事があったが、今はタクシーの運転手も楽ではないだろうと思う。
ふとドアの窓を見ると様々なステッカー。クレジットカードOKは最近よく見かけるが、今日は「ETC搭載」というのを見かけた。何か意味があるのかと考えてみたら、「1,000円高速か」と思い至った。高速料金は客持ちだ。ならばETCがあった方がお客さんの払う負担が少ないという考えなのだろう。自分たちが得するわけではないので、これも顧客サービスだ。こうして各社が顧客サービスを競っているわけだが、それもこれも不況で顧客が遠のいているためだろう。不況もサービス改善という点ではメリットもあるわけだ。
皇居の近くでは一眼レフカメラを持った若い女性を見かけた。何よりも赤いカメラが目を引いた。最近ちらほらとカラフルなカメラを抱えた女性を見かける。

かつては一眼レフのような重厚なカメラは男性の専売特許のようなイメージがあったが、最近は性能がアップして素人でもそこそこの写真が撮れるようになったせいか、こうしたカメラを持っている女性も多く見かけるようになった。そしてやっぱり女性からすると黒一色の無愛想なカメラよりカラフルな方が「かわいい」となるのだろう。そうした消費者心理を見越しての製品開発なのだろう。最近は特に「デザイン」が商品の売れ行きを左右しているそうだが、改めてそんな実感を持った。どれくらい売れているのか知らないが、赤いカメラはなんとなく欲しい気がした。
帰り道、立ち並ぶブランド店を眺めながら「このご時勢に果たしてどのくらい売れているのだろうか」と考えてみた。景気が悪いと言われつつも、こうしたブランドショップは高い家賃を支払えているわけで、という事は買う人がそれだけいるという事。まあよその人の事はともかく、働ける事に感謝しつつ、明日も地道に働こうと思ったのである・・・
【本日の読書】
「奇跡のリンゴ」石川拓治
「永遠の0」百田尚樹
鍋の美味しい季節、東京電力が運営する生活情報リサーチサイトが以前行ったアンケート調査による鍋料理の人気ランキングは以下のようになっていた。
総合1位 キムチ鍋 男性1位 すき焼き 女性1位 キムチ鍋
2位 寄せ鍋 2位 寄せ鍋 2位 寄せ鍋
3位 すき焼き 3位 キムチ鍋 3位 水炊き
4位 水炊き 4位 水炊き 4位 すき焼き
5位 湯豆腐 5位 湯豆腐 5位 しゃぶしゃぶ
男性の1位から3位までは僅差であったのに対し、女性のキムチ鍋(チゲ)は大差での1位。辛いものが嫌いな私としてはキムチ鍋だけは食べたいと思わない・・・
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丸の内。改修工事中の東京駅前にずらりと並ぶタクシー。客待ち時間を潰すタクシーの運ちゃん(最近では女性も多い)たちだが、スポーツ新聞を読んでいたり、本を読んでいたり、ぼーっとしていたりと様々だ。最近はリストラで転職する人も多いらしいから、ちょっと前までスーツを着て私みたいに足早に歩いていた人もいるかもしれないと想像したりしてみる。かつて父は「食べていけなくなったらタクシーの運転手でもやろうと思った」と私に語ってくれた事があったが、今はタクシーの運転手も楽ではないだろうと思う。
ふとドアの窓を見ると様々なステッカー。クレジットカードOKは最近よく見かけるが、今日は「ETC搭載」というのを見かけた。何か意味があるのかと考えてみたら、「1,000円高速か」と思い至った。高速料金は客持ちだ。ならばETCがあった方がお客さんの払う負担が少ないという考えなのだろう。自分たちが得するわけではないので、これも顧客サービスだ。こうして各社が顧客サービスを競っているわけだが、それもこれも不況で顧客が遠のいているためだろう。不況もサービス改善という点ではメリットもあるわけだ。
皇居の近くでは一眼レフカメラを持った若い女性を見かけた。何よりも赤いカメラが目を引いた。最近ちらほらとカラフルなカメラを抱えた女性を見かける。

かつては一眼レフのような重厚なカメラは男性の専売特許のようなイメージがあったが、最近は性能がアップして素人でもそこそこの写真が撮れるようになったせいか、こうしたカメラを持っている女性も多く見かけるようになった。そしてやっぱり女性からすると黒一色の無愛想なカメラよりカラフルな方が「かわいい」となるのだろう。そうした消費者心理を見越しての製品開発なのだろう。最近は特に「デザイン」が商品の売れ行きを左右しているそうだが、改めてそんな実感を持った。どれくらい売れているのか知らないが、赤いカメラはなんとなく欲しい気がした。
帰り道、立ち並ぶブランド店を眺めながら「このご時勢に果たしてどのくらい売れているのだろうか」と考えてみた。景気が悪いと言われつつも、こうしたブランドショップは高い家賃を支払えているわけで、という事は買う人がそれだけいるという事。まあよその人の事はともかく、働ける事に感謝しつつ、明日も地道に働こうと思ったのである・・・
【本日の読書】
「奇跡のリンゴ」石川拓治
「永遠の0」百田尚樹
2010年1月17日日曜日
子供の叱り方
テレビゲームばかりやっている息子に、お父さんは勉強させようと偉い人の話をしました。
「ジミー、リンカーンって知ってるだろ?リンカーンがお前の年の頃には、暖炉の明かりで勉強してたんだぞ。それぐらい勉強したんだ」
「ふうん。パパ、ボクも言っていい?」
「なんだ?」
「リンカーンはパパの年の頃には、アメリカの大統領だったよ」
二人の子供の父として、子育ては一応いろいろと考えてやっている。決して子供の躾は妻の責任などと言って責任回避する事はしていない。あれこれ迷う事もあるが、そんな時一つの指針となるのがやっぱり自分の経験だ。
子供の頃、誰でも親には叱られる。私もそうだったし、だからといってそれで親を恨むという事もない。だがどうしても子供心に納得のいかない事があった。そしていつか自分が子供をもったらそういう叱り方はするまい、と心に誓った事がある。それが「お兄ちゃんなんだから我慢しなさい」というセリフだ。
男二人の兄弟の長男であった私は、弟としょっちゅう喧嘩をしていた。そしてその都度親に叱られたものであるが、その時よくそう言われたのである。「同じ兄弟なのに僕ばかりずるい」と思ったものである(そして怒られている私の横で弟は舌を出していたりするのである)。親からすれば言っても聞かない次男に言い聞かせるより、長男に言い聞かせた方が早いという判断で、それは現在二人の子供をもってみるとよくわかる。だが、当時は不公平だ、長男は損だと思っていた。
現在長女にはやっぱり「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」と言う事がたびたびある。だが長女はそれに対して「ずるい」とは言わない。なぜかと言えば、長女には事あるごとに「差をつけている」からだ。それはささやかな事で、例えばみんなでイチゴを食べる時に弟よりこっそり数を多くしてあげるといった程度の事だ。「これはお姉ちゃんとしていつも我慢している分」と囁いて渡すのである。その都度長女は長女としてのメリットを密かに享受している。
あらかじめ長女には、「我慢して差をつけてもらうのと平等にするのとどちらがいい」と聞いている。長女の答えは「我慢する」だった。だからだろう、「お姉ちゃんだから我慢しなさい」と言ってもそれに対しては不満の声は上がらない。
もっともある時から親も私にそう言わなくなった。いつだったか、やっぱり「お兄ちゃんだから我慢しなさい」と言われた時に、我慢しきれずに反論したのだ。「そんな事言っていつも僕ばかり我慢させられているけどね、僕は今の弟の年には『お兄ちゃんだから我慢しなさい』と言われて我慢していたんだよ、もう弟だって我慢できる年頃だ。今度は弟に我慢しなさいって言ってよ」と。
今から思うと親だって完璧ではない。今の自分より若かったわけだし、無理からぬ事である。しかしながらそうは言っても子供心に不公平感は拭えなかったのは確かである。今でも親から「お前には理屈では適わない」と嘆かれている。すでにこの頃、その片鱗を見せていたわけだ。それが子供心に育まれた反発心から生まれたものだとしたら、悪いとも言い切れない。反面教師という事もある。
さて我が娘はそういう私のやり方をどんな風に受け止め、そして自分の子供に対してどんな風に対処していくのだろう・・・想像してみると面白いものだと思うのである・・・
【本日の読書】
「永遠の0」 百田 尚樹
「ジミー、リンカーンって知ってるだろ?リンカーンがお前の年の頃には、暖炉の明かりで勉強してたんだぞ。それぐらい勉強したんだ」
「ふうん。パパ、ボクも言っていい?」
「なんだ?」
「リンカーンはパパの年の頃には、アメリカの大統領だったよ」
アメリカン・ジョーク
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二人の子供の父として、子育ては一応いろいろと考えてやっている。決して子供の躾は妻の責任などと言って責任回避する事はしていない。あれこれ迷う事もあるが、そんな時一つの指針となるのがやっぱり自分の経験だ。
子供の頃、誰でも親には叱られる。私もそうだったし、だからといってそれで親を恨むという事もない。だがどうしても子供心に納得のいかない事があった。そしていつか自分が子供をもったらそういう叱り方はするまい、と心に誓った事がある。それが「お兄ちゃんなんだから我慢しなさい」というセリフだ。
男二人の兄弟の長男であった私は、弟としょっちゅう喧嘩をしていた。そしてその都度親に叱られたものであるが、その時よくそう言われたのである。「同じ兄弟なのに僕ばかりずるい」と思ったものである(そして怒られている私の横で弟は舌を出していたりするのである)。親からすれば言っても聞かない次男に言い聞かせるより、長男に言い聞かせた方が早いという判断で、それは現在二人の子供をもってみるとよくわかる。だが、当時は不公平だ、長男は損だと思っていた。
現在長女にはやっぱり「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」と言う事がたびたびある。だが長女はそれに対して「ずるい」とは言わない。なぜかと言えば、長女には事あるごとに「差をつけている」からだ。それはささやかな事で、例えばみんなでイチゴを食べる時に弟よりこっそり数を多くしてあげるといった程度の事だ。「これはお姉ちゃんとしていつも我慢している分」と囁いて渡すのである。その都度長女は長女としてのメリットを密かに享受している。
あらかじめ長女には、「我慢して差をつけてもらうのと平等にするのとどちらがいい」と聞いている。長女の答えは「我慢する」だった。だからだろう、「お姉ちゃんだから我慢しなさい」と言ってもそれに対しては不満の声は上がらない。
もっともある時から親も私にそう言わなくなった。いつだったか、やっぱり「お兄ちゃんだから我慢しなさい」と言われた時に、我慢しきれずに反論したのだ。「そんな事言っていつも僕ばかり我慢させられているけどね、僕は今の弟の年には『お兄ちゃんだから我慢しなさい』と言われて我慢していたんだよ、もう弟だって我慢できる年頃だ。今度は弟に我慢しなさいって言ってよ」と。
今から思うと親だって完璧ではない。今の自分より若かったわけだし、無理からぬ事である。しかしながらそうは言っても子供心に不公平感は拭えなかったのは確かである。今でも親から「お前には理屈では適わない」と嘆かれている。すでにこの頃、その片鱗を見せていたわけだ。それが子供心に育まれた反発心から生まれたものだとしたら、悪いとも言い切れない。反面教師という事もある。
さて我が娘はそういう私のやり方をどんな風に受け止め、そして自分の子供に対してどんな風に対処していくのだろう・・・想像してみると面白いものだと思うのである・・・
【本日の読書】
「永遠の0」 百田 尚樹
2010年1月15日金曜日
週間雑感思うまま
先週の日曜日のラグビー大学選手権決勝戦。帝京大学が初めて日本一となったその試合、観客数は17,000人だったらしい。普通は30,000~50,000人くらい入っていたはずだが、今年は早慶明・関東学院などの人気校が残らなかったせいで、随分と寂しい限りだ。
個人的には両チームとも昨年から良い成績を収めてきていたし(東海大学は3年連続でリーグ戦優勝しているし、帝京大学も昨年度の対抗戦優勝校だ)、「出るべくして出てきた」感があるので抵抗感はない。学生など毎年メンバーが代わるわけだし、本当に好きなら強豪同士の決勝戦というだけで観る価値はあると思うのだ(事実、見応えある良い試合だった)。なのに観客が激減したという事は、今まで会場に足を運んでいた大半がミーハーファンという事なのだろうか。
それにしても両校とも外国人留学生が活躍していた。箱根駅伝でも目についたが、学生スポーツで留学生に頼るというのもどうかと思う(もちろんスポーツがメインでないというならわかるが・・・)。メジャー校には全国の強豪高校からどんどん選手が集まってくるが、それ以外の大学はこうした留学生を連れてこないとメジャー校に対抗できない、というものかもしれないが、それも問題あるなぁと思ってしまった・・・
週央に野球の殿堂入りが発表された。東尾に江藤慎一・・・なんだか懐かしい名前だ。野球に最も熱中していた小学生時代に活躍していた選手だ。今頃になって殿堂入りだって・・・
しかも今回落合が落ちている。球史に残る屈指のバッターでさえ殿堂入りできていないというのもなんだかなぁと思ってしまう。ファンが忘れかけた爺さんたちを選んでどうするというのだろう。江川や落合や桑田といった、まだプレーが記憶に残っている選手をどんどん選んでもらいたいと個人的には思うのだが・・・どうにもよくわからない世界である。
先日遅くに帰宅した際、近所でパトロール中のおまわりさんを見かけた。寒い中自転車に乗っていた。「ご苦労様です」と声をかけようかと思ったが、タイミングを逸してしまった。考えてみれば家の近所でこうしてパトロールしてもらえるというのはありがたい事だ。何よりそこにいるだけで防犯効果は抜群だ。おまわりさんというとつい駐車違反とかスピード違反の切符を切られたりとかで、あまり良いイメージを持たれていない気がする。しかし、全国各所に交番があってこうしてパトロールをしてくれているからこそ、我が国の治安は優れて良いのだと思う。もっと感謝の気持ちをもってもいいのでは、と感じた。今度はタイミングを逸する事なく、声をかけたいと思う。
さて、週末だ。ゆっくりと英気を養いたいと思うのである・・・
【本日の読書】
「奇跡のリンゴ」NHK
「逆説の日本史16」井沢元彦
個人的には両チームとも昨年から良い成績を収めてきていたし(東海大学は3年連続でリーグ戦優勝しているし、帝京大学も昨年度の対抗戦優勝校だ)、「出るべくして出てきた」感があるので抵抗感はない。学生など毎年メンバーが代わるわけだし、本当に好きなら強豪同士の決勝戦というだけで観る価値はあると思うのだ(事実、見応えある良い試合だった)。なのに観客が激減したという事は、今まで会場に足を運んでいた大半がミーハーファンという事なのだろうか。
それにしても両校とも外国人留学生が活躍していた。箱根駅伝でも目についたが、学生スポーツで留学生に頼るというのもどうかと思う(もちろんスポーツがメインでないというならわかるが・・・)。メジャー校には全国の強豪高校からどんどん選手が集まってくるが、それ以外の大学はこうした留学生を連れてこないとメジャー校に対抗できない、というものかもしれないが、それも問題あるなぁと思ってしまった・・・
週央に野球の殿堂入りが発表された。東尾に江藤慎一・・・なんだか懐かしい名前だ。野球に最も熱中していた小学生時代に活躍していた選手だ。今頃になって殿堂入りだって・・・
しかも今回落合が落ちている。球史に残る屈指のバッターでさえ殿堂入りできていないというのもなんだかなぁと思ってしまう。ファンが忘れかけた爺さんたちを選んでどうするというのだろう。江川や落合や桑田といった、まだプレーが記憶に残っている選手をどんどん選んでもらいたいと個人的には思うのだが・・・どうにもよくわからない世界である。
先日遅くに帰宅した際、近所でパトロール中のおまわりさんを見かけた。寒い中自転車に乗っていた。「ご苦労様です」と声をかけようかと思ったが、タイミングを逸してしまった。考えてみれば家の近所でこうしてパトロールしてもらえるというのはありがたい事だ。何よりそこにいるだけで防犯効果は抜群だ。おまわりさんというとつい駐車違反とかスピード違反の切符を切られたりとかで、あまり良いイメージを持たれていない気がする。しかし、全国各所に交番があってこうしてパトロールをしてくれているからこそ、我が国の治安は優れて良いのだと思う。もっと感謝の気持ちをもってもいいのでは、と感じた。今度はタイミングを逸する事なく、声をかけたいと思う。
さて、週末だ。ゆっくりと英気を養いたいと思うのである・・・
【本日の読書】
「奇跡のリンゴ」NHK
「逆説の日本史16」井沢元彦
2010年1月12日火曜日
恥の文化
朱建栄東洋学園大学教授から我が国の文化は「恥の文化」と指摘された。もともとあちこちでそう言われているのであるが、あらためて考えた。確かに我々日本人は何より他人に対して「恥じる」という感情を重んじる。他人から見て恥ずべき行為を忌避する文化があるのである。
ある人から言わせると、それは「人に迷惑をかけるような恥ずかしい行為をしない」という事らしい。だが、それも不正確で、ただ「恥ずかしい行為をしない」という事だと思う。そうでないと「人に迷惑をかけなければ良い」となってしまうが、そうではないだろう。「お天道様がみているよ」と小さい頃に言われた記憶があるが、「恥ずかしい行為」の基準は他人にあるのではなくて、自分自身にあるものである。
名誉を重んじ、時としてそれを命よりも重視したのが武士道であるが、今ではそんな伝統どこへやら、である。先日、電車の中で若い女性がおにぎりを食べていた。齧りかけのまま、バッグの中を探っていたが埒があかず、食べかけのおにぎりをぱくっと咥えて両手でがさごそとバッグを探っていた。化粧をするのはすっかり当たり前の感があるし・・・
何を恥とするかは人によって微妙に違うのかもしれない。私などは妻から ええかっこしいとこばかにされているが、けっこう「かっこ悪さ」を気にする。例えば電車の中で夢中で本を読んでいて乗り過ごす時がある。瞬間的に気付いて走れば降りられるというタイミングでも敢えて乗り過ごす事を選ぶ。慌てて飛び降りるというかっこ悪い真似をするなら、一駅行って戻ってくる方を選択する、といった具合だ(ちょっと「恥の文化」とは違うかもしれないが・・・)。
電車の中でおにぎりを咥えても人様に迷惑になるものでもない。だがやっぱり「人からどう見られるか」を意識する事は大切だ。男女を問わず、容姿の美しさを追求するのであれば、行動の美しさも追及したいところだ。そういう意味で ええかっこしいでもいいと私は考えている。
今は風呂上りにすっぽんぽんで家の中を駆け回り、スカートからパンツが見えるのもお構いなしで遊んでいる我が娘も、いずれはそんな美しい行動ができるようになってほしいと思うのである・・・
【本日の読書】
「バフェットの教訓」メアリー・バフェット&デビッド・クラーク
「逆説の日本史16」井沢元彦
ある人から言わせると、それは「人に迷惑をかけるような恥ずかしい行為をしない」という事らしい。だが、それも不正確で、ただ「恥ずかしい行為をしない」という事だと思う。そうでないと「人に迷惑をかけなければ良い」となってしまうが、そうではないだろう。「お天道様がみているよ」と小さい頃に言われた記憶があるが、「恥ずかしい行為」の基準は他人にあるのではなくて、自分自身にあるものである。
名誉を重んじ、時としてそれを命よりも重視したのが武士道であるが、今ではそんな伝統どこへやら、である。先日、電車の中で若い女性がおにぎりを食べていた。齧りかけのまま、バッグの中を探っていたが埒があかず、食べかけのおにぎりをぱくっと咥えて両手でがさごそとバッグを探っていた。化粧をするのはすっかり当たり前の感があるし・・・
何を恥とするかは人によって微妙に違うのかもしれない。私などは妻から ええかっこしいとこばかにされているが、けっこう「かっこ悪さ」を気にする。例えば電車の中で夢中で本を読んでいて乗り過ごす時がある。瞬間的に気付いて走れば降りられるというタイミングでも敢えて乗り過ごす事を選ぶ。慌てて飛び降りるというかっこ悪い真似をするなら、一駅行って戻ってくる方を選択する、といった具合だ(ちょっと「恥の文化」とは違うかもしれないが・・・)。
電車の中でおにぎりを咥えても人様に迷惑になるものでもない。だがやっぱり「人からどう見られるか」を意識する事は大切だ。男女を問わず、容姿の美しさを追求するのであれば、行動の美しさも追及したいところだ。そういう意味で ええかっこしいでもいいと私は考えている。
今は風呂上りにすっぽんぽんで家の中を駆け回り、スカートからパンツが見えるのもお構いなしで遊んでいる我が娘も、いずれはそんな美しい行動ができるようになってほしいと思うのである・・・
【本日の読書】
「バフェットの教訓」メアリー・バフェット&デビッド・クラーク
「逆説の日本史16」井沢元彦
2010年1月10日日曜日
ああ中国人
ラグビー大学選手権決勝
帝京大学 14-13 東海大学
母校(高校)の財団法人が後援している社会人向けの講座「寺子屋小山台」が昨日あった。今回は毎年お招きしている東洋学園大学の朱建栄教授が講師であった。「中国からみた日本」というタイトルで約3時間半にわたって講義と質疑応答の中味の濃い一時を過ごした。
中国というと日本ではとかく斜に構えて見られがちだ。産経新聞でも先日自由主義先進諸国が手を出さないスーダンやアフガニスタンといった紛争国で、資源外交を展開する赤い帝国のことを苦々しいタッチで連載していたし、民主党政権が進めようとしている外国人参政権付与法案に対する反対理由として一党独裁国家中国による組織介入を警戒する意見もある。
かつて北朝鮮を礼賛した朝日新聞は中国寄りだが、その他は全体として好意的とは言えないように感じる。自分としてはどう思うのか。マスコミは偏りがちだから相手の意見を聞くという意味で、朱教授の講座は毎年楽しみにしている。双方の意見を聞いた上で自分なりの考え方をもちたいものだ。
今回は中国人そのものに関する話が面白かった。例えば中国人に何か頼みごとをする。してもらったら当然その場で御礼を言う。さらには後日、菓子折りとはいかなくても何かプレゼントして再度お礼をする。そんな行動は、日本人には違和感がないが中国人だと不快感を伴った違和感を持つという。
この場合、中国人は後日お礼をされると、「それであなたとは貸し借りなしね」と言われているように受け止めるのだという。中国式には、「受けた恩義は次回別の事をしてあげる事で返す」となるのだと言う。その相互連鎖で互いの関係が深まっていくのだと。
その根底には「大恩不言謝(大きな恩に対してはお礼を言わない、言葉ではなく別のもので返す)」という考え方があるそうである。だから日本のODAによる巨額の円借款にもお礼を言わないし(日本側からはお礼を言わないという批判がある)、だからといって何とも思っていないというわけではないのだ、と。所変われば、というやつである。知っているかいないかで大分違う。
朱教授は日本と中国の文化をそれぞれ、「恥の文化と自己主張の文化」だと喝破する。以前も述べたが、まさに日頃思っていた通りで納得してしまった。赤い帝国中国ももはや単独で世界の覇権を握る事など不可能だと認識しているとの事。いずれは国政レベルで普通選挙が実現するだろうし、メディアの統制もインターネットの世界ではほぼ不可能になってきている(やっているが効果があがっていない)らしい。
若者達の間には日本に対する反日的雰囲気は親の世代より薄れており、ファッションや音楽や漫画などは広く浸透しているらしい。その点では韓国よりは親しみやすいものがあると、個人的には思う。不必要な警戒論には踊らされたくはないものである。
その他にも、
・ 白人なら無条件に相手を理解しようとするが、同じ顔の東洋人だと自分たちとの違いに目を向けがちな日本人の傾向
・ 中国人に対する頼み方と断り方
・ 軍事費増大の背景にある裏事情
などなど興味深い話が満載であった。
「相手の立場からみる」事が大切だと教授は言う。まさにその通り。前々回に述べたが、今年は関わりあいのある人達との関係を大事にしたいと思っているが、その基本となるべき考え方だ。今回中国人の話を聞いて、「日本人てやっぱり良いな」と思う一方、彼らには彼らの世界があるのだと広く思える。これからもそんな気持ちで臨んでいきたいと思うのである・・・
【本日の読書】
「バフェットの教訓」メアリー・バフェット&デビッド・クラーク
帝京大学 14-13 東海大学
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母校(高校)の財団法人が後援している社会人向けの講座「寺子屋小山台」が昨日あった。今回は毎年お招きしている東洋学園大学の朱建栄教授が講師であった。「中国からみた日本」というタイトルで約3時間半にわたって講義と質疑応答の中味の濃い一時を過ごした。
中国というと日本ではとかく斜に構えて見られがちだ。産経新聞でも先日自由主義先進諸国が手を出さないスーダンやアフガニスタンといった紛争国で、資源外交を展開する赤い帝国のことを苦々しいタッチで連載していたし、民主党政権が進めようとしている外国人参政権付与法案に対する反対理由として一党独裁国家中国による組織介入を警戒する意見もある。
かつて北朝鮮を礼賛した朝日新聞は中国寄りだが、その他は全体として好意的とは言えないように感じる。自分としてはどう思うのか。マスコミは偏りがちだから相手の意見を聞くという意味で、朱教授の講座は毎年楽しみにしている。双方の意見を聞いた上で自分なりの考え方をもちたいものだ。
今回は中国人そのものに関する話が面白かった。例えば中国人に何か頼みごとをする。してもらったら当然その場で御礼を言う。さらには後日、菓子折りとはいかなくても何かプレゼントして再度お礼をする。そんな行動は、日本人には違和感がないが中国人だと不快感を伴った違和感を持つという。
この場合、中国人は後日お礼をされると、「それであなたとは貸し借りなしね」と言われているように受け止めるのだという。中国式には、「受けた恩義は次回別の事をしてあげる事で返す」となるのだと言う。その相互連鎖で互いの関係が深まっていくのだと。
その根底には「大恩不言謝(大きな恩に対してはお礼を言わない、言葉ではなく別のもので返す)」という考え方があるそうである。だから日本のODAによる巨額の円借款にもお礼を言わないし(日本側からはお礼を言わないという批判がある)、だからといって何とも思っていないというわけではないのだ、と。所変われば、というやつである。知っているかいないかで大分違う。
朱教授は日本と中国の文化をそれぞれ、「恥の文化と自己主張の文化」だと喝破する。以前も述べたが、まさに日頃思っていた通りで納得してしまった。赤い帝国中国ももはや単独で世界の覇権を握る事など不可能だと認識しているとの事。いずれは国政レベルで普通選挙が実現するだろうし、メディアの統制もインターネットの世界ではほぼ不可能になってきている(やっているが効果があがっていない)らしい。
若者達の間には日本に対する反日的雰囲気は親の世代より薄れており、ファッションや音楽や漫画などは広く浸透しているらしい。その点では韓国よりは親しみやすいものがあると、個人的には思う。不必要な警戒論には踊らされたくはないものである。
その他にも、
・ 白人なら無条件に相手を理解しようとするが、同じ顔の東洋人だと自分たちとの違いに目を向けがちな日本人の傾向
・ 中国人に対する頼み方と断り方
・ 軍事費増大の背景にある裏事情
などなど興味深い話が満載であった。
「相手の立場からみる」事が大切だと教授は言う。まさにその通り。前々回に述べたが、今年は関わりあいのある人達との関係を大事にしたいと思っているが、その基本となるべき考え方だ。今回中国人の話を聞いて、「日本人てやっぱり良いな」と思う一方、彼らには彼らの世界があるのだと広く思える。これからもそんな気持ちで臨んでいきたいと思うのである・・・
【本日の読書】
「バフェットの教訓」メアリー・バフェット&デビッド・クラーク
2010年1月7日木曜日
お正月はラグビー
ラグビーというと「お正月のスポーツ」というイメージを持っている人はかなりいると思う。まあ高校・大学・社会人と、全国大会がこの時期開催されるので無理もない事であるが、この時期試合をしているのは、「勝ち残った一部のチームだけ」なのである。
もっともそんな一部のチームのハイレベルな試合を堪能できるのもこの時期のいいところである。結婚前は1月2日の大学選手権準決勝2試合は毎年欠かさず国立競技場に観戦に行っていたものである。最近は大阪の妻の実家に行く日なので、観れたり観れなかったりである。そして今日は高校生(花園)の決勝戦があった。
優勝した東福岡高校は、今年はダントツの強さで優勝してしまった。まだ昼間の試合のビデオは見ていないが、ここまでの圧倒的な強さは全盛期のマイク・タイソン並みである。先日友人がベスト4に大阪朝鮮高校が残っているのを差して、「優勝したらどうする?」と不安気に聞いてきた(ちょっとアブナイ発言である)。しかし、私はベスト8の試合をダイジェストで見比べていたので、「大丈夫!東福岡に勝てるチームはいない」と断言していたが、その通りとなった(もっともその高校はベスト4で消えていったが・・・)。高校生といえども馬鹿にはできないものがある。
大学生は今週末に対抗戦の帝京大学とリーグ戦の東海大学の決勝戦が行われる。どちらかと言えば現役時代に対抗戦で試合をした帝京に愛着があるので、やっぱり帝京を応援する事になるだろう。テレビでじっくり観戦だ。
こんな具合にたくさん試合を観ているとやっぱり沸々と湧き上がってくるものがある。
「ラグビーやりてぇ~!」
と心から思うのである。
今でも高校や大学のラグビー部にはシニアチームがあってやろうと思えばそこで出来ない事もない。しかし高校のシニアチームの試合など観ていると「そんな醜態を晒してまでやりたいか?」と思えてならない。60を過ぎたじいさんたちが、昔を懐かしんでよぼよぼとラグビーの真似事をしているのは微笑ましいのを通り越してみっともない。あんな中には入りたくはないものだ。
私がやりたいのは現役時代さながらの正面からぶつかり合うラグビーだ。何かあれば即座に胸倉をつかみ合うような緊張感溢れる試合だ。ただ、運動不足で鈍りきった体では土台無理な話である。仕事から離れて2ヶ月くらいの時間があれば、筋力以外はかなり元の体に戻せるのではないかと思うが、それはまず無理な話。もうああいった緊張感のある試合はできないのか、と思うと何だか切ない気持ちになる。
現役時代は練習を休みたいなと思ったり、何でラケット持って女子大生とテニスする方を選ばなかったんだろうと思ったりした事もあったが、あの時はラグビー漬けの、今から思うと本当に幸せな時代だったのだ。今やその時代の名残りと言えば、たまに集まってバカ話をする仲間たちだけだ。それはそれで良いのだが・・・
まあそんな幸せな時代を過ごせた事を親に感謝しつつ、今週末はゆっくりと試合観戦をしたいと思うのである・・・
【本日の読書】
「家族の言い訳」 森浩美
「逆説の日本史16」井沢元彦
もっともそんな一部のチームのハイレベルな試合を堪能できるのもこの時期のいいところである。結婚前は1月2日の大学選手権準決勝2試合は毎年欠かさず国立競技場に観戦に行っていたものである。最近は大阪の妻の実家に行く日なので、観れたり観れなかったりである。そして今日は高校生(花園)の決勝戦があった。
優勝した東福岡高校は、今年はダントツの強さで優勝してしまった。まだ昼間の試合のビデオは見ていないが、ここまでの圧倒的な強さは全盛期のマイク・タイソン並みである。先日友人がベスト4に大阪朝鮮高校が残っているのを差して、「優勝したらどうする?」と不安気に聞いてきた(ちょっとアブナイ発言である)。しかし、私はベスト8の試合をダイジェストで見比べていたので、「大丈夫!東福岡に勝てるチームはいない」と断言していたが、その通りとなった(もっともその高校はベスト4で消えていったが・・・)。高校生といえども馬鹿にはできないものがある。
大学生は今週末に対抗戦の帝京大学とリーグ戦の東海大学の決勝戦が行われる。どちらかと言えば現役時代に対抗戦で試合をした帝京に愛着があるので、やっぱり帝京を応援する事になるだろう。テレビでじっくり観戦だ。
こんな具合にたくさん試合を観ているとやっぱり沸々と湧き上がってくるものがある。
「ラグビーやりてぇ~!」
と心から思うのである。
今でも高校や大学のラグビー部にはシニアチームがあってやろうと思えばそこで出来ない事もない。しかし高校のシニアチームの試合など観ていると「そんな醜態を晒してまでやりたいか?」と思えてならない。60を過ぎたじいさんたちが、昔を懐かしんでよぼよぼとラグビーの真似事をしているのは微笑ましいのを通り越してみっともない。あんな中には入りたくはないものだ。
私がやりたいのは現役時代さながらの正面からぶつかり合うラグビーだ。何かあれば即座に胸倉をつかみ合うような緊張感溢れる試合だ。ただ、運動不足で鈍りきった体では土台無理な話である。仕事から離れて2ヶ月くらいの時間があれば、筋力以外はかなり元の体に戻せるのではないかと思うが、それはまず無理な話。もうああいった緊張感のある試合はできないのか、と思うと何だか切ない気持ちになる。
現役時代は練習を休みたいなと思ったり、何でラケット持って女子大生とテニスする方を選ばなかったんだろうと思ったりした事もあったが、あの時はラグビー漬けの、今から思うと本当に幸せな時代だったのだ。今やその時代の名残りと言えば、たまに集まってバカ話をする仲間たちだけだ。それはそれで良いのだが・・・
まあそんな幸せな時代を過ごせた事を親に感謝しつつ、今週末はゆっくりと試合観戦をしたいと思うのである・・・
【本日の読書】
「家族の言い訳」 森浩美
「逆説の日本史16」井沢元彦
2010年1月4日月曜日
新春雑感
大晦日から新年にかけて、我が家のスケジュールは毎年決まっている。大晦日に最後の大掃除と昼に年越しそば。夜は紅白を見ながらすき焼き。元旦は近所の北野神社に初詣に行き、破魔矢を買って帰る。午後は私の実家へ新年の挨拶に行く。2日から妻の実家(大阪)へ行く。当日午後はそのまま道明寺に初詣に行き、ここではおみくじを引き、なぜかベビーカステラを買って食べる。
とこんな具合だ。
結婚以来、これは不変である。決まりきったスケジュールというのもこの時期は良いものだと思う。毎年どうしようかと悩む必要はないし、それは我が家に限らず、双方の実家もそうである。子供たちも年末年始とはそういうものだと思うだろうし、いつか巣立っていったあとも、「実家ではこうだったな」と思い出すだろう。
いつもみているある人のブログでは、そこも年末は年に一度のすき焼きだという。もう定年を過ぎているその方は、この飽食の時代は食べ物にありがたみを感じなくなったと言う。昔は盆暮れのみ食べられた白米が楽しみで楽しみで仕方がなかったが、今はそんなにまでして食べるのが楽しみなものはない、と。贅沢に慣れ、その結果感動を失っていると・・・
確かにそうである。その家では家族全員が年に一度の大晦日のすき焼きを心待ちにしているという。それが心地よいのだ、と。そういえば、我が家もすき焼きと言えば普段あまりしない。別にできないわけではないし、たまたまなのだが、言われてみればそういう考え方もある。「すき焼きは年末のみ」と決めるのもいいかもしれない(事実、1年振りのすき焼きは某所のおいしい肉を使ったせいもあって、美味だった)。
大阪へ移動したあとの道明寺への初詣。これは妻の実家の恒例行事。私は内心毎年この日に行われるラグビー大学選手権準決勝2試合の方が気になって仕方がなかったのだが、第1試合の後半と第2試合の前半だけ観て、参拝した。
参拝した後はいつもおみくじを引くのである。今年は小吉。だからどうだという事もないのだ。日本に生まれ育った以上、そうした風習に染まるのも悪くはないし、大事にしたいと思う。昨年も書いたが、「神仏は尊ぶが神仏を恃まず」で、風習としての神事には積極的に関わりたいが、困った末の神頼みだけは神様にも申し訳ないし、避けたいと思っている(といいながら昨年は密かに何度か弱音を吐いてしまったが・・・)。
今年もまたその不変のスケジュール通りの年末年始を過ごした。家族はそのまま大阪で過ごし、私は本日帰京(1日休みをいただいたのである)。夜は大学ラグビー部のメンバーと久々に酒を酌み交わし、楽しい一時を過ごした。明日からの仕事始めに気分良く臨める。今年の目標はといえばいろいろあるが、関わり合いのある人達との関係を大事にしていきたいと思う。どんな一年になるか、すべて自分次第だ。
ラグビー部の友人が別れ際、「良いお年を」と言ってくれた。そう、2010年は始まったのだ。その通りに今年もいい年にしたいと思うのである・・・
【本日の読書】
「くるま椅子のパティシエ」 ニッポン放送編
「逆説の日本史16」井沢元彦
とこんな具合だ。
結婚以来、これは不変である。決まりきったスケジュールというのもこの時期は良いものだと思う。毎年どうしようかと悩む必要はないし、それは我が家に限らず、双方の実家もそうである。子供たちも年末年始とはそういうものだと思うだろうし、いつか巣立っていったあとも、「実家ではこうだったな」と思い出すだろう。
いつもみているある人のブログでは、そこも年末は年に一度のすき焼きだという。もう定年を過ぎているその方は、この飽食の時代は食べ物にありがたみを感じなくなったと言う。昔は盆暮れのみ食べられた白米が楽しみで楽しみで仕方がなかったが、今はそんなにまでして食べるのが楽しみなものはない、と。贅沢に慣れ、その結果感動を失っていると・・・
確かにそうである。その家では家族全員が年に一度の大晦日のすき焼きを心待ちにしているという。それが心地よいのだ、と。そういえば、我が家もすき焼きと言えば普段あまりしない。別にできないわけではないし、たまたまなのだが、言われてみればそういう考え方もある。「すき焼きは年末のみ」と決めるのもいいかもしれない(事実、1年振りのすき焼きは某所のおいしい肉を使ったせいもあって、美味だった)。
大阪へ移動したあとの道明寺への初詣。これは妻の実家の恒例行事。私は内心毎年この日に行われるラグビー大学選手権準決勝2試合の方が気になって仕方がなかったのだが、第1試合の後半と第2試合の前半だけ観て、参拝した。
参拝した後はいつもおみくじを引くのである。今年は小吉。だからどうだという事もないのだ。日本に生まれ育った以上、そうした風習に染まるのも悪くはないし、大事にしたいと思う。昨年も書いたが、「神仏は尊ぶが神仏を恃まず」で、風習としての神事には積極的に関わりたいが、困った末の神頼みだけは神様にも申し訳ないし、避けたいと思っている(といいながら昨年は密かに何度か弱音を吐いてしまったが・・・)。
今年もまたその不変のスケジュール通りの年末年始を過ごした。家族はそのまま大阪で過ごし、私は本日帰京(1日休みをいただいたのである)。夜は大学ラグビー部のメンバーと久々に酒を酌み交わし、楽しい一時を過ごした。明日からの仕事始めに気分良く臨める。今年の目標はといえばいろいろあるが、関わり合いのある人達との関係を大事にしていきたいと思う。どんな一年になるか、すべて自分次第だ。
ラグビー部の友人が別れ際、「良いお年を」と言ってくれた。そう、2010年は始まったのだ。その通りに今年もいい年にしたいと思うのである・・・
【本日の読書】
「くるま椅子のパティシエ」 ニッポン放送編
「逆説の日本史16」井沢元彦
2009年12月31日木曜日
現役
「年の瀬や 川の流れと 人の身は あした待たるる その宝船」
年の瀬の「瀬」は、川が浅く流れが急なところを指す。一年のうちでもこの時期は急き立てられるように時間が経過する。昔の人は、急流を船で越すように、年の暮れを乗り越えるという感覚であったというが、それは現代でもあまり変わらないように思う・・・
工藤公康投手が現役続行を宣言し、横浜から西武へと移籍する事になった。古巣に復帰するわけであるが、かつて西武に在籍していた時はエースとして何度も優勝に貢献した。FAでダイエー、そしてジャイアンツと移り、3年間横浜に在籍した上での古巣復帰である。46歳、現役生活26年はこれまでの野村監督の記録を抜いて歴代最長である。
さすがに横浜移籍以降は勝ち星も少なくなり、とうとう戦力外通知を受けた。それでも現役続行を宣言して西武に復帰である。行く先々で中心投手として活躍し、知名度も高くもうそうとう稼いだであろう。プロ野球選手は体力勝負。40歳を越えて現役でいる事は難しいだろう。西武に復帰してもエースどころか、中継ぎとかワンポイントリリーフとか、そんな脇役的なマウンドとなるだろう。なのになぜ現役を続けるのだろうか?
確かな事は、お金や名誉や記録のためではないだろうという事だ。それらはもうみんな手にしているはずだ。体を気遣った食事メニューなんかも有名だし、そこには一日でも長くマウンドに立ち、一球でも多く投げようという強い意欲が伺える。たぶん野球がとことん好きなのだろう。
引退したジャイアンツの桑田も最後はジャイアンツで勇退の道を断って、あえて投げる機会を求めてメジャーに挑戦した。全盛期の選手のような流行のメジャー行きではなく、ジャイアンツで投げる機会が与えられないまま引退していくのを避けるための悲痛なメジャー挑戦だった。残念ながら有終の美を飾るというわけにはいかなかったが、「まだ投げたい」という気持ちには感じるものがあった。
サッカーの元日本代表、ゴン中山も戦力外通知にめげず、現役続行を宣言して格下のJ2チームに移籍した。すでに十分な実績と名声があるだろうし、辞めても食べていくことは十分可能だろう。あのキャラクターであれば、タレントとしてもやっていけるだろう。にもかかわらず、陽の当たらないJ2チームで新しいシーズンを迎える道を選んだ。それは金のためであるはずがない。やっぱりサッカーが好きで、まだまだやりたい、やれるという気持ちが強いのだろう。矢吹丈のようにまだ心の中で燃えきらない灰が燻っているのかもしれない。
ずっと続けてきた事を、ただ好きだから続けたいという気持ちだけで努力を続ける姿には心打たれるものがある。工藤や中山のファンだったというわけではないが、やっぱり一日でも長く現役を続けられるように応援したいと思う。
スポーツ選手に比べたら体力的な限界はないのかもしれないが、アーチストの中にもそういう人はいる。矢沢永吉は還暦を迎えてもなお、現役のロックンローラーを続けている。桑田佳祐はいまだに同世代のみか若者にも受ける新曲を出し続けてヒットチャートに君臨している。新日鉄釜石で一時代を築いたラグビーの松尾は、今はラグビーでは2流の成城大学の監督をやりながら日本のラグビー界を底辺で支えている。
工藤に現役最長記録を抜かれるまではずっと記録保持者だった野村監督の現役時代の座右の銘は「生涯一捕手」だった。自分はずっと一人のプレーヤーだというアイデンティティーをもって現役を続ける姿は見習いたいと思う。自分にはそんな一流の何かがあるわけではないが、気持ちだけはそういうつもりでいたいのだ。
慌しい年の瀬。日付が変われば新しい年が明け、気がつけばいつもの日常生活。日々の生活の中に流される事なく、来年も何か心に残るような事を一つでも多く残したいと思うのである・・・
【本日の読書】
なし
宝井其角と赤穂浪士の大高源吾が交わした歌
年の瀬の「瀬」は、川が浅く流れが急なところを指す。一年のうちでもこの時期は急き立てられるように時間が経過する。昔の人は、急流を船で越すように、年の暮れを乗り越えるという感覚であったというが、それは現代でもあまり変わらないように思う・・・
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工藤公康投手が現役続行を宣言し、横浜から西武へと移籍する事になった。古巣に復帰するわけであるが、かつて西武に在籍していた時はエースとして何度も優勝に貢献した。FAでダイエー、そしてジャイアンツと移り、3年間横浜に在籍した上での古巣復帰である。46歳、現役生活26年はこれまでの野村監督の記録を抜いて歴代最長である。
さすがに横浜移籍以降は勝ち星も少なくなり、とうとう戦力外通知を受けた。それでも現役続行を宣言して西武に復帰である。行く先々で中心投手として活躍し、知名度も高くもうそうとう稼いだであろう。プロ野球選手は体力勝負。40歳を越えて現役でいる事は難しいだろう。西武に復帰してもエースどころか、中継ぎとかワンポイントリリーフとか、そんな脇役的なマウンドとなるだろう。なのになぜ現役を続けるのだろうか?
確かな事は、お金や名誉や記録のためではないだろうという事だ。それらはもうみんな手にしているはずだ。体を気遣った食事メニューなんかも有名だし、そこには一日でも長くマウンドに立ち、一球でも多く投げようという強い意欲が伺える。たぶん野球がとことん好きなのだろう。
引退したジャイアンツの桑田も最後はジャイアンツで勇退の道を断って、あえて投げる機会を求めてメジャーに挑戦した。全盛期の選手のような流行のメジャー行きではなく、ジャイアンツで投げる機会が与えられないまま引退していくのを避けるための悲痛なメジャー挑戦だった。残念ながら有終の美を飾るというわけにはいかなかったが、「まだ投げたい」という気持ちには感じるものがあった。
サッカーの元日本代表、ゴン中山も戦力外通知にめげず、現役続行を宣言して格下のJ2チームに移籍した。すでに十分な実績と名声があるだろうし、辞めても食べていくことは十分可能だろう。あのキャラクターであれば、タレントとしてもやっていけるだろう。にもかかわらず、陽の当たらないJ2チームで新しいシーズンを迎える道を選んだ。それは金のためであるはずがない。やっぱりサッカーが好きで、まだまだやりたい、やれるという気持ちが強いのだろう。矢吹丈のようにまだ心の中で燃えきらない灰が燻っているのかもしれない。
ずっと続けてきた事を、ただ好きだから続けたいという気持ちだけで努力を続ける姿には心打たれるものがある。工藤や中山のファンだったというわけではないが、やっぱり一日でも長く現役を続けられるように応援したいと思う。
スポーツ選手に比べたら体力的な限界はないのかもしれないが、アーチストの中にもそういう人はいる。矢沢永吉は還暦を迎えてもなお、現役のロックンローラーを続けている。桑田佳祐はいまだに同世代のみか若者にも受ける新曲を出し続けてヒットチャートに君臨している。新日鉄釜石で一時代を築いたラグビーの松尾は、今はラグビーでは2流の成城大学の監督をやりながら日本のラグビー界を底辺で支えている。
工藤に現役最長記録を抜かれるまではずっと記録保持者だった野村監督の現役時代の座右の銘は「生涯一捕手」だった。自分はずっと一人のプレーヤーだというアイデンティティーをもって現役を続ける姿は見習いたいと思う。自分にはそんな一流の何かがあるわけではないが、気持ちだけはそういうつもりでいたいのだ。
慌しい年の瀬。日付が変われば新しい年が明け、気がつけばいつもの日常生活。日々の生活の中に流される事なく、来年も何か心に残るような事を一つでも多く残したいと思うのである・・・
【本日の読書】
なし
2009年12月28日月曜日
ライバル2
受験の時に久しぶりに会った彼であるが、まったく変わっていなかった。お互いの嗜好も合わないまま。当時私はアントニオ猪木と新日本プロレスのストロングスタイルのプロレスが好きであったが、彼は全日本プロレスの天龍源一郎のファンだった。私は天龍のドンくさいプロレスは嫌いだった。
一緒に受験し、一緒に合格発表を見に行った。受かるかどうか不安だったが、かと言って別々に行くのも逃げているようで嫌だったのだ。合格発表を見に行く道中、彼は自分は落ちると思っていて、浪人に備えて準備していると私に語った。ラジオ講座のテキストを買い、家で勉強しながらバイトもして、毎月2万円家に入れるのだと、そんな計画だった(私はといえば、その時自分だけ受かったら彼に何と慰めの言葉をかけたらよいだろうかと考えていたのである・・・)。彼は家があまり豊かではなく、したがって受験は国立のみ、予備校なんてとんでもないといった具合だったが、その点では彼も偉かったのだ。
合格して飛び上がって喜ぶ彼の横で、私は掲示板を隅々まで探したが、自分の受験番号は見つけられなかった。屈辱的だったがオメオメ帰るのも癪だから合格手続きに付き合った。1年くらいの遅れはどうって事はない、来年受かれば良いのだ、そう自分に言い聞かせた。
だが問題があった。予備校に行って受かっても、それはむしろ当然で、彼に追いついた事にはならない。彼がやろうとしていたのと同じ条件で受からないと・・・それで帰りの電車の中で、私は彼に自分も予備校には行かないと宅浪宣言した。彼は浪人生活に備えて自分が買っておいたテキスト一式を、その日のうちに私の家に届けてくれた。
親や親戚はなぜ予備校に行かないのか、としつこく聞いてきた。私は浪人生は現役よりも遥かに使える時間が多い事、勉強するのも受験科目だけで良いこと、したがって現役生より有利であり問題はない、と論理的に答えていたが、本当のところは彼に負けたくなかったからなのだ。とはいえ、さすがに家に2万円入れるのは困難だったからやれなかったが・・・そして翌年、私は宣言通り彼に1年遅れて志望大学に合格した。
彼は目標に向って猪突猛進するタイプである。弁護士になるのが目標で、脇目も振らず勉強して弁護士になった。同じ目標を立てて、同じ法学部で学んでいたが、私は法律と肌があわず、方向転換して金融の世界へ進んだ。法律は言ってみれば私にとっては「長距離走」と同じで、自分が生きるフィールドではないと判断したので、それは問題ない。
あとはどれだけ充実した人生を送るか、だ。大学時代はそれなりに勉強したし、何よりラグビー部に入って世界が広がった。彼の4年間よりは充実していたはずだ。彼はまったくの奥手だから、女の子と付き合った経験だってこちらの方が上だろう(もっともフラれたのをマイナスとカウントするとトータルでは惨敗してしまうが、プラス面だけ比較することにする)。
収入面では劣るかもしれないが、子供はうちの子の方が絶対可愛いだろうし、仕事面の充実振りや、仕事以外での世界の広がりでも負けていないだろう。もう10年以上会っていないが、いつか会った時にこの充実振りを見せつけてやるのだ。特急電車の如く人生を送るあいつに、各駅停車ながらも一駅一駅で人生を楽しむ姿をみせてやりたいと思うのだ。まだまだ負けるわけにはいかない。そのためにも来年もより一層心豊かに楽しく過ごそうと、そんな風に思うのだ。
もうまもなく、あいつからまた味気ない年賀状が届くはずだ。それを凌駕する明るい年賀状を送りつけないといけない。今年は遅れをとったが、これからやるとしようと思うのである・・・
【本日の読書】
「よくわかる経営分析」高田直芳
「ストロベリー・フィールズ」小池真理子
一緒に受験し、一緒に合格発表を見に行った。受かるかどうか不安だったが、かと言って別々に行くのも逃げているようで嫌だったのだ。合格発表を見に行く道中、彼は自分は落ちると思っていて、浪人に備えて準備していると私に語った。ラジオ講座のテキストを買い、家で勉強しながらバイトもして、毎月2万円家に入れるのだと、そんな計画だった(私はといえば、その時自分だけ受かったら彼に何と慰めの言葉をかけたらよいだろうかと考えていたのである・・・)。彼は家があまり豊かではなく、したがって受験は国立のみ、予備校なんてとんでもないといった具合だったが、その点では彼も偉かったのだ。
合格して飛び上がって喜ぶ彼の横で、私は掲示板を隅々まで探したが、自分の受験番号は見つけられなかった。屈辱的だったがオメオメ帰るのも癪だから合格手続きに付き合った。1年くらいの遅れはどうって事はない、来年受かれば良いのだ、そう自分に言い聞かせた。
だが問題があった。予備校に行って受かっても、それはむしろ当然で、彼に追いついた事にはならない。彼がやろうとしていたのと同じ条件で受からないと・・・それで帰りの電車の中で、私は彼に自分も予備校には行かないと宅浪宣言した。彼は浪人生活に備えて自分が買っておいたテキスト一式を、その日のうちに私の家に届けてくれた。
親や親戚はなぜ予備校に行かないのか、としつこく聞いてきた。私は浪人生は現役よりも遥かに使える時間が多い事、勉強するのも受験科目だけで良いこと、したがって現役生より有利であり問題はない、と論理的に答えていたが、本当のところは彼に負けたくなかったからなのだ。とはいえ、さすがに家に2万円入れるのは困難だったからやれなかったが・・・そして翌年、私は宣言通り彼に1年遅れて志望大学に合格した。
彼は目標に向って猪突猛進するタイプである。弁護士になるのが目標で、脇目も振らず勉強して弁護士になった。同じ目標を立てて、同じ法学部で学んでいたが、私は法律と肌があわず、方向転換して金融の世界へ進んだ。法律は言ってみれば私にとっては「長距離走」と同じで、自分が生きるフィールドではないと判断したので、それは問題ない。
あとはどれだけ充実した人生を送るか、だ。大学時代はそれなりに勉強したし、何よりラグビー部に入って世界が広がった。彼の4年間よりは充実していたはずだ。彼はまったくの奥手だから、女の子と付き合った経験だってこちらの方が上だろう(もっともフラれたのをマイナスとカウントするとトータルでは惨敗してしまうが、プラス面だけ比較することにする)。
収入面では劣るかもしれないが、子供はうちの子の方が絶対可愛いだろうし、仕事面の充実振りや、仕事以外での世界の広がりでも負けていないだろう。もう10年以上会っていないが、いつか会った時にこの充実振りを見せつけてやるのだ。特急電車の如く人生を送るあいつに、各駅停車ながらも一駅一駅で人生を楽しむ姿をみせてやりたいと思うのだ。まだまだ負けるわけにはいかない。そのためにも来年もより一層心豊かに楽しく過ごそうと、そんな風に思うのだ。
もうまもなく、あいつからまた味気ない年賀状が届くはずだ。それを凌駕する明るい年賀状を送りつけないといけない。今年は遅れをとったが、これからやるとしようと思うのである・・・
【本日の読書】
「よくわかる経営分析」高田直芳
「ストロベリー・フィールズ」小池真理子
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