長女はこの春から小学校の4年生。4年生になるとこれまでと一つだけ大きく異なる事がある。「クラブ活動」が始まるのである。
長女が入ったのは「手芸調理クラブ」。何のアドバイスをしたわけでもないが、自分で面白そうだと選んだのである。
メンバーはさすがに女の子ばかり。それでも5年生の男の子が一人だけいるそうである。そういえば先日の面談で、趣味=家庭科という高校生の男の子がいた。「時代だな」と感じたのであるが、たった一人で女の子の間に交じってどんな気持ちなのだろうかとちょっと興味深い。
そういえば私も4年生で確か囲碁クラブに入った記憶がある。将棋はすでに爺様の手ほどきを受けてかなりイケていたので、この際囲碁もと考えたのだ。そして5・6年生では卓球クラブだ。ずいぶん地味な小学生だったのだ。この卓球には強烈なエピソードがある。
その日はクラブ紹介で、4~6年生が体育館に集まる中、なぜか私が模範試合に出場した。相手はなぜか一つ年下の女の子。どういう経緯でこういう対戦になったのか、もう覚えていない。覚えているのは、目のくりっとした可愛いその子に、事もあろうに大観衆のただ中でなんとその試合に私は負けたのである。その子が別に福原愛みたいな天才少女だったわけではない。二人でのどかにピンポンパンポンしていて、気が付いたら負けていたのだ。(当時の)人生最大の屈辱だった。
私はただでさえ勝負事で負けると心中穏やかではいられない。それが相手が女の子で、しかもみんなの見ている前となると尚更だ。その後、あるところで「オセロ三連敗」も経験したが、この二つは今もって悔しい。今頃あの子はどこで何をしているのだろうか。たぶん、今会ったら懐かしがって一緒にグラスを傾ける前にきっとラケットを差し出して、何が何でもリベンジマッチへと誘うだろう(オセロだっていつかリベンジしようと思っている)。そういう性格なのだ。
中学に入ってバスケット、高校に入ってラグビーと激しいスポーツへとその後進んでいったが、さすがにスポーツでそういう屈辱を味わう事はなかった。もしかして心のどこかで女の子には負けないスポーツを、無意識のうちに求めていたのかもしれない。
振り返ってみると、長い学生時代の思い出にクラブ活動が占める割合はかなり多い。特に親しい友人はといえばクラブの友人である事が多い。授業や運動会などの行事なども大事だが、クラブ活動もそういう意味では大事だ。受験だからやらない、とか大検受けるから高校へは行かない、とかそれはそれで一つの考え方だが、随分損しているなと思わざるをえない。学校というところは、勉強のためだけに行くところではないのだと改めて思う。
過ぎてみればあっという間だったが、幸せな学校生活を送れた要因の一つは間違いなくクラブ活動だ。家に帰ると私のもとにさっそく「今日ポップコーンを作った」と嬉しそうに報告しにきた我が娘。これから楽しいクラブ活動ができるといいなと思うのである・・・
【昨日の読書】
「太平洋戦争は無謀な戦争だったのか」ジェームズ・B・ウッド
「自由への長い道(上)」ネルソン・マンデラ
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