仲良くダブル入院していた実家の両親も今は退院している。
膝の怪我の親父は、びっこを引きながらもあとは治るのを待つだけ。
母親の方はちょっと厄介で、一時退院という位置づけ。
通院しながら原因究明と治療法探しを続けないといけない状態である。
週末を利用して実家に顔を出した。
ここぞとばかりに親父が私に頼んできた事は、「実家の間取り図を書いて欲しい」という事だった。
これまでもよく文章を書いてくれとは頼まれていた。
私はまったく苦にならないが、親父は文章を書くのが苦手。
よく頼まれていたものであるが、今回の依頼はこちらも面食らった。
図面とか絵とかになるとこちらも苦手だ。
理由を聞いてみたところ、どうやら家相を見てもらうとの事。
何せ昨年リフォームをした途端、両方揃っての入院騒ぎである。
さては何か家相的に良からぬリフォームをしてしまったのではないか、というのが親父の心配事であった。
昔の私だったらこの手の「迷信」は笑い飛ばしていた。
そんなものが影響するはずがないからである。
その考えは今でも変わらない。
変わったのは、そういう考え方に対する「態度」である。
私は快く引き受けて図面を書いた。
家相は昔から信じられている。
でも大事なのは「実際どうなのか」という事ではなく(そんな事は証明できないし100年議論しても結論は出ない)、「信じている人にどう接するか」だ。
信じている親父に、「そんなの迷信だ」など言っても始まらない。
見てもらって気が済むならそれに越した事はない。
親父には、「見てもらって『ダメだ』と言われてもやり直すわけにもいかない、田舎の広い家なら可能かもしれないが、東京のこの狭い家で台所の位置が悪いと言われても移すところなんてないだろう、だからいっその事お祓いしてもらったら」とアドバイスした。
いくら「家相なんて何の根拠もない」なんて説得したところで、人間は不安な動物だ。
心のどこかで、「それでもやっぱり」と心配してしまうものである。
それを笑い飛ばしたところで、親父の心の問題は解決できない。
親父の信心は大事にしないといけない。
実は私も自宅を新築した時、家相の問題が出てきたが、それ自体は無視してお祓いしてもらう事で解決した。外野の声をそれで抑えたし、「まったくバカにしてもしかしたら」という私自身のわずかな不安もそれで封殺した。近所の神社の神主さんに来てもらったが、いつも初詣だけは欠かさないし、そういう気持ちも大事にしないといけないと思ったからだ。
幸いお祓い案は良かったようだ。
あの調子だとお祓いしてもらうのかもしれない。
私の書いた図面を見た親父だが、「そんな感じで書けばいいのか」と自分で書く事にしたようである。間接的にお前の絵は頼りにならないと言っていた事に、どうやら鈍感な親父は気付かなかったようである・・・
【本日の読書】
「最後の授業」ランディ・パウシュ
「姫椿」浅田次郎
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