2010年6月1日火曜日

誕生日に思う

今日は誕生日だ。
子供の頃は、この日は世界で一番特別な日だと思っていた。
ある時期までは確かにそうだったが、今では特段、これといった特別な感慨はない。
まあなんだかんだでもう46回目だし、今日もいつもと変わらぬ一日だったし、そんなものなのかもしれない。

ただ、一つの区切りであるという意識はある。
元旦と同じ心境と言えるだろうか。
過去一年を振り返りつつ、今後一年を展望する一つのきっかけである。
だが、ここ数年は同じような日々の繰り返しになっている事は否めない。
流されているとも言えるし、穏やかで平和な日々を送っているとも言える。

こういう時代だから、毎年お祝いのメールをいただく。
何だかんだ言っても嬉しいものである。
今日は母親からも来た。
目を細め、不器用に時間をかけて送ってきたのが伝わってくるメールだ。
目をひかれたのは、「振り返ればいろんな事が遠くに」という一文だ。

自分も初めて親になって早や9年半。
長女の誕生日は自分が親になった記念日でもある。
その点、長男は可哀そうだ。「初めて」は大概お姉ちゃんに持って行かれてしまう。
幼稚園の入園式も、記憶に鮮明に残っているのは長女の時、という具合だ。

自分も長男だから、もしかしたら母親もそうなのかもしれない。
誕生から入園、入学、受験、卒業、就職と親としての成長は常に私とともにあったのだろう。
そんな思いが、先ほどの短い文章に込められているのだろうか。

自分で言うのもなんだが、私は比較的親に心配をかけずに来た方だと思う。
幼少時にひきつけを起こして病院に担ぎ込まれたエピソードくらい(私にその記憶はもちろんない)ではないだろうか。自分で何でもやって決めて、親の手を煩わせるという事がなかったと思う(その役は弟がたっぷりとやった)。

ただ結婚してからは、残念ながら期待にはほとんど応えられていない気がする。
良き夫である事と、良き息子である事を両立させる事は私にとって想像以上に至難の業だったのだ。
どちらも中途半端で、どちらからも不満を持たれてしまっているようだ。

子育てをしていて思うのは、常に子供たちの幸せだ。
今はいいのだが、いずれ独り立ちしたあと面倒はみてあげられない。
苦難を乗り切り幸せな人生を送れるかどうかは本人たちにかかっている。
親としては、今してあげられる事をして、あとはただ願うのみだ。

「健康にきおつけて。幸せな毎日が送れますように。」
母親のメールはそう短くまとめられていた。
どうやら自分の健康は棚にあげてしまったらしい。
親と言うものは考える事は誰でも大して違わないようだ。
そんなメールを読んで、一緒にいても離れていても、46回の誕生日すべてを無条件に祝ってくれた両親に、今日は素直に感謝したいと思った。
直接言えばいいのかもしれないが、気恥ずかしいからここで公開しておくことにした・・・


【本日の読書】
「新幹線ガール」徳渕真利子
「親指の恋人」石田衣良
    
    

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