2010年6月29日火曜日

長嶋と落合と野茂1

まだラグビーの世界に入る前、私は野球少年だった。
親父が毎晩ナイター中継を観ていたし、小学校時代は友達と毎日のように校庭で野球をやっていた。ナイターはすべてジャイアンツ戦であり、自然と私もジャイアンツファンとなった。その頃の最初のヒーローは長嶋茂雄だった。

と言ってももう晩年だったと思う。
かつてONと言われていたが(3番王、4番長嶋でONだ)、すでに3番長嶋、4番王となっていたし、それも最後の年は打撃不振で1番とか7番とかになる事もあった。夢中になって長嶋の一挙手一投足に注目していたから、今でもバッターボックスに入ってから構えるまでの一連の動作を思い浮かべる事ができるほどだ。
そして私が小学校4年の時に長嶋は引退した。

ちょうどその頃前後して、町内野球のチームに入った。
背番号はというと、その頃はみんな「3」をつけたがる傾向があった。
当時からすでに天の邪鬼が入っていた私は、「3」をあえて避けて「6」にした。
何の意味もない、ただ誕生月と一緒にしただけだ。
それでも後年、大学のラグビー部で手に入れたレギュラーゼッケンが「6」だったから、何らかの相性のいい番号だったのかもしれない・・・

小学生当時は野球一色で、友達との話題もそうだった。
引退してもやっぱり長嶋が好きで、友達と自転車を飛ばして田園調布の自宅を見に行った事もあったし、多摩川の巨人軍グラウンドに行った事も2度や3度ではない。
ある時、偶然多摩川の巨人軍グラウンドで長嶋監督を見つけた。
生で見る長嶋は感動モノであった。

その長嶋が、練習後にあろうことか目の前まで歩いてきた。
その場にいた他のファンと一緒に長嶋を囲んで夢中になってノートを差し出した。
目の前で長嶋がそのノートにサインをしてくれた。
あの時の感動は格別だった。
ずっと大切にしていたサインだったが、引っ越しの混乱でどこかへ行ってしまったのがとても残念だ・・・

その後はテレビであのユーモラス過ぎるキャラクターとエピソードで国民的な人気者だ。
誰も悪く言わないし、また本人も他人の悪口・批判を言わない(少なくとも私は聞いた事がない)。そんなスタイルは社会人として自分も真似したいと思っている(なかなかできないが・・・)。
そう言えばあの野村監督も、現役時代得意の「囁き戦術」が王と長嶋にはまったく通用しなかったと告白している。王は集中力が強かったかららしいが、長嶋は囁きをまったく聞いていなかったというところが「らしくて」いい。

家族に関してはいろいろと大変なようだが、選手としても監督としても人としても、愛すべき人物だと思うのだ。野球に夢中になっていたあの頃から、目の前でサインしてくれたあの時から、それは今まで変わらない。

それにしてもあのサイン、どこ行っちゃったんだろうと残念でならないのである・・・


【本日の読書】
「史上最強の人生戦略マニュアル」フィリップ・マグロー
「ぼんくら」宮部みゆき

    

0 件のコメント:

コメントを投稿