2010年6月23日水曜日

大事な事は何だろうか

先日の事、知人が転職した会社が倒産したと聞いた。
そのニュースをもたらしたのは今の同僚。
半分憐れみ、半分は一時は成功した者が失敗した事を快く思っている印象を受けた。

転職した彼とは、一時は机を並べて仕事をしていた。
「俺は最後までこの会社にしがみつく」と宣言していた彼の、突然の転職宣言には驚いたが、あとでその彼を翻意させるに足る破格の好条件だったと聞いて納得した。
その時は羨ましく思ったものだが、今日の結果をみるとどうなのだろうと思う。

先日あるところで話をしていて、就職ランキングなるものが羨望の眼差しで語られているのを知った。就活学生にとっては一つの大きな指標となっているものだ。
だが、就職という人生の一大事を決める時に、あれほどいい加減な指標はない。
何もわからない学生の就職希望ランキングなんてこれほどいい加減なものはない。
みんなが美人だと言うだけの理由で、その美人と結婚したいと思うのと同じだからだ。
美しいバラも飛びついたら棘だらけということだってある。

私が就職の時に偉かったのは、当時入る事を決めた銀行に対し、将来倒産しないとは限らないから、そうなっても恨みがましい事を言うまいと既に決意していた点だ。
けっして将来安泰などとは夢にも考えていなかった。
(そして事実、後年実際に吸収合併されて元の銀行は消滅したのである)
私にそう思わせたのは、学生時代の監督の存在だ。

私が今も尊敬するその監督は、学生時代優秀で本当は東大に行くはずだったのが、学園紛争で入試が中止となり、やむなく我らの大学に来たという人だった。
その監督は卒業して、当時のトップ企業に就職した。
しかし、不況の影響で私が就職する時には、その企業のかつての栄光はすっかり寂れてしまっていた。もちろん、就職ランキング上位には入っていなかった。
「企業は10年後、20年後にどうなっているかわからない」
それが、その監督の背中を見ていて学んだ事だ。
(今その監督はその大企業の副社長だからやっぱり超優秀な方なのだ)

希望の大企業に入れたから安泰、入れなかったからお先真っ暗、そんな事はまったくない。
転職して羨ましいぐらい成功している知人もいれば、先の知人のようなケースも数多く見聞きしている。何がよくて何が悪いかはわからない。

長男の通う幼稚園は近所では一応「お受験幼稚園」の一つとされている。
我が家は、長女が卒園後近所の公立小学校へ入学した通り、お受験なんてつもりはさらさらない。
しかし、熱心なお母さんはいる。子供をお受験させて、いい学校に入れてどうなるのだ?という私の根本的な疑問は常にここにある。

一流大学を出たところで一流企業に例え入ったとして、それが何になる。
10年後には倒産しているかもしれないのだ。
あるいは破格の好条件でヘッドハンティングされたところで、先の知人のようになるかもしれない。
結局のところ、○○に入れば大丈夫などという事は幻想でしかない。
公務員だって心の病になってしまうかもしれない(それでも手厚い保証があるからいいということかもしれない)。

そんなもので勝ち負けなんて判定できないし、もちろん、先の知人だってこれが人生の転機となって次のチャンスにつながる事もあるわけで、この結果だけをもって、「馬鹿だなぁ」とは決して言えない。転職した知人が失敗例で残った私が成功例かは、人生が終わるまで結論は出ない。
いくら大きな船でも沈む時は沈む。
大事な事は大きな船に乗る事ではなく、荒海に投げ出されても大丈夫なように準備を怠らない事だ。

いつかまたどこかで彼と会って、その後の人生を比べあった時に、大きな船の真ん中で縮こまっていただけなんてならないようにしたいものだ。今のところ荒海に飛び込むつもりはないが、いつ放りだされても困らないように鍛錬だけは続けていきたいものである・・・


【本日の読書】
「たった1通で人を動かすメールの仕掛け」浅野ヨシオ
「最悪」奥田英朗
    
    

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