2010年3月29日月曜日

桜

「思い出す、様々のことさくらかな」 芭蕉

「やは肌のあつき血潮にふれも見で さびしからずや道を説く君」   与謝野晶子

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 そろそろ桜が咲きだした。ここのところ寒さが戻ってきて春どころではないが、やっぱりちらほらと咲き始めた桜を見ると心浮き立つものがある。私にもしっかりと日本人のDNAが染み込んでいるようである。

 今朝から通勤のルートを少し変えた。いつもの駅までの道のりに桜の木がないから、少し遠回りして桜の木の下を通って行くのだ。というのも東京駅につけば味気ないビル街で桜などない。下手をすると桜を見ずに春を終えてしまうなんて事になりかねない。そんなわけでの遠回りである。

 今日札幌出身の人に聞いたのだが、東京の桜は本当にきれいだそうだ。かの地でも桜はあるのだが種類が違うとの事で、こちらのように花びらが多くないのだそうだ。
「『桜吹雪』という言葉は知っていたけどね、東京へ来て初めて本物を見た時は感動したよ」とその人は語ってくれた。そんな桜を毎年普通に見られるのは、実はありがたい事かもしれない。

 それでも都内のいわゆる桜の名所などというところに出かけて行く気は起こらない。人が多過ぎて、例えば上野公園などは酷い有り様だ。それでも11年前に行った北の丸公園は良かった。今ではわざわざそんなところに出かけて行く事もなくて、せいぜいが近所で楽しんでいる。近所と言っても、我が街にはなかなか見事な桜の並木道があって、それはそれで馬鹿にしたものでもない。

 しかしなんと言っても散るのも早い。11年前、北の丸公園に行った翌週に伊豆に旅行した時は、もう葉桜だった。途中で桜の名所のようなところがあったのだが、すっかり葉桜でもう一週間早く来たかったと残念だった事を覚えている。

 偶然にも今年はあの時と同じ暦。北の丸公園に行った3日と伊豆に行った10日が土曜日だ。たった一週間で満開の桜がもう葉桜。早いといえば早い。
 
 散ってしまうとみんなあまり桜の木など意識しなくなる。1年間じっとしていて、一瞬だけ存在感を発揮する。そんな桜は、なんだか人生のようだと言ったら大げさであろうか。普段は平凡な毎日。記憶にずっと残るような出来事が、そうそうあるものでもない。でもほんの一瞬、そういう時が必ずやってきて、あとはその記憶を大事にしながらまた平凡な日々をしっかりと過ごす。

 平凡な日々があるから、いつまでも輝いた記憶が生きてくるのだろう。そんな記憶をたまに引っ張り出してきて密かに愛でるのも悪くはない。日記の助けを借りるとかなり鮮明に思い出せる。そんな記憶をこれからいくつ積み重ねられるだろう。

 「花半開を看る」というが、これから徐々に咲いて行く桜を見るのはいいものである。同じ暦だからといって、同じ出来事が起こるわけではないが、桜は確実に咲く。確実に咲くからこそ、慌てず、ゆっくりと咲いてほしいものである。これからほんのしばらく、日本人として生まれた喜びを毎朝味わいたいと思うのである・・・


【本日の読書】
「最後の授業」ランディ・パウシュ
「時の風」廣岡洋子
     
     

2010年3月27日土曜日

その時どうすべきか

 五木寛之の『人間の運命』という本を読んだ。小説ではなく、運命について語った一冊である。

 少年の頃、両親と共に渡った朝鮮半島で終戦を向え、混乱の中で帰国。飢えと寒さとに苦しめられながら、ソ連兵と北朝鮮兵の目を盗んで脱出。途中で逃避行に足手まといとなる2歳の妹を置き去りにしようとする。そんな強烈な原体験を持つ五木寛之の運命論は、ぐっとくるものがある。

 印象的だったのは、そんな自らの経験の中で、人生は不条理であるとした中で語られる言葉。生きて帰国できたのは、常に良き行いをしていたものではなく、他人を押し退けた者。トラックの最後のスペースに人を押し退けて乗った人は帰国でき、親切にも譲った人はどうなったかわからない、というところ。

 そういえばタイタニック号の悲劇でも似たようなことがあった。沈みゆくタイタニック号に十分な数の救命ボートはなかった。極寒の海でボートに乗れないという事は、すなわち死を意味する。女性と子供を優先させた多くの紳士たちは命を落とし、ある日本人男性はボートに飛び乗って生還し、のちに大いなる批判を浴びた。

 順番を譲って死んでいった無名の紳士たちは確かに立派だが、生き残った日本人男性(本人はたまたまタイミング良くスペースが見つかったというような事を確か語っていた)が例え、人を押し退けて乗ったとしてもそれは果たして批判されるべきなのであろうか。法律では、海に落ちて溺れる者が別の者から浮き輪を奪って助かった場合、奪われた者が溺れ死んだとしても罪には問われない(緊急避難の法理)。

 法律的には認められていても感情的には難しい。家族としては「どんな事をしてでも」と思うだろうし、幼い子供を抱えていれば、自分としても「どんな事をしてでも」と思うだろう。常日頃「より良く生きたい」と思っているが、「他人を押し退ける」という行為はその中に入っていない。だが、命がかかった場合はどうだろうか。

 そんな事態に出会ったとして、理想論から言えばやっぱり人を押し退けるより周りを見回す余裕と冷静な判断力と他人に手を差し伸べられる力とをもった男でありたいと思う。だがもしも本当にそんな事態になってしまったら、理想通りに行動できるか、またそうすべきかどうかはわからない。少なくとも死んで英雄になるよりも、例え非難されようと生きていればきっと後悔よりも多くのものが残るような気がする。そもそも安全な立場にいた他人が非難する事自体間違っているのだが・・・

 こんな事を考えられるのも平和な時代に平和な環境下で暮らしていられるからに他ならない。五木寛之少年はきっとそんな事で悩んでいる余裕はなかったであろう。そんな事は机上の空論で終えるのがいいのであって、それに越したことはない。理想の自分はあくまで理想として、そんな男でありたいと思うだけに留める事にしよう。そんな妄想を気楽に楽しめる環境がずっと続いてほしいと、ただ思うのである・・・


【本日の読書】
「1年で駅弁売上を5000万円アップさせたパート主婦が明かす奇跡のサービス」三浦由紀江
     


2010年3月24日水曜日

薄型テレビ


 この連休、我が家もとうとう薄型テレビを買った。まだ必要性も感じていなかったのだが、政府が一生懸命消費対策に血道を上げているし、エコポイントも使えるうちに使ってしまえと決断したのである。とはいえ何か買いたい機種があるわけでもない。大阪在住の義弟が基礎調査をしてくれたので、それを基にしてターゲットを東芝のレグザ47インチに絞った。

機種選定から入念な価格調査まで一人で仕切ったのは我が家の妻。先週の木曜日に一人で買いに行って値切りに失敗し、連休中日に家族総出でリベンジとなったのである。

 向かったのは池袋のビックカメラ。ここと向いのヤマダ電機とで比較する予定だった。驚いた事に販売員に話を聞くのも順番制で、開店時間の10時過ぎに行ったにもかかわらず20人待ち。他のフロアーはそうでもなかったから、やっぱり地デジ、エコポイントが効いているようだ。

 我々の対応に出てきたのは、「実習生」のネームプレートが初々しいW君。妻は「あちゃ~と内心思った」そうである。「友人が先週ここで206,000円+ポイント25%で買ったのだが、同じ条件なら即金で買う」と先制パンチ。W君さっそく、裏へと走る。裏で控える責任者に談判に行ったのだ。基本的に ええかっこしいの私は高見の見物だ。

 W君、戻ってきて曰く、「214,000円+ポイント15%しか出せません」。まあ仕方ないんじゃないのと内心思う私。「えっ~」と大げさに驚く妻は、「それじゃ、あかんわ、ヤマダさんに行くわ。だって210,000円+ポイント25%って言われてんのやで、話にならんわ~」と切り返す。タジタジとなったW君は再び裏へと走る。

 ええかっこしいの私はそれでも、「一緒に買うハードディスク14,800円とセットで220,000円くらいで手を売ったら」と一応は妻にアドバイス。多少下げてくるかもしれないし、それで粘るより形を変えた方が下げやすいと踏んだのだ。戻ってきたW君、「204,000円+25%でどうでしょう!」と来た。上出来だ。

 ところが長期保証をつけるならポイント20%だと言う(まぁ仕方がないんじゃないのと内心思うええかっこしいの私)。
「あかんわ~、今時長期保証は当たり前やんか、ヤマダさんはそんなセコイこと言わへんでぇ~、ポイント25%にそこのハードディスクも買うから14,000円にしたってえや」
と妻は攻撃の手を緩めない。それは欲張り過ぎじゃないかと私は目で訴えるが伝わらない。W君再び裏へ走る。「あれじゃ嫌がられるんじゃないの」と妻に言うも、「言うのはタダや」と意に介さない。

 帰ってきたW君、「204,000円+長期保証付でポイント25%+ハードディスクは14,000円!」と回答。「うれしぃ~、実習生なのに優秀やわね」とW君をねぎらう妻。ちなみに今では「標準語を流暢に話せるようになったやろ」と自慢する妻であるが、喧嘩と値切る時は関西弁丸出しである。敵には回したくない、とつくづく思う。

 かくて我が家に薄型テレビがやってくるのは4月の中旬(生産が追いつかないようである)。今のテレビも十分使えるので、お払い箱にするのはちょっと気が引ける。景気対策も良いのだが、モノを長く大事に使うという事も大切にしたいところである。とはいえテレビの到着が待ち遠しい私なのである・・・


【本日の読書】
「人間の運命」五木寛之
「告白」湊かなえ
      


2010年3月22日月曜日

味覚狩り2010

 昨年は5回に及んだ我が家の味覚狩り。基本的に食いしん坊が過半数を占める我が家としてはもう外せない恒例行事だ。そして年間最初を飾るのがイチゴ狩りであるが、この連休初日に実施した。昨年は雨であったが、今年は見事な天気。例年は房総方面へ出かけるのを常としていたが、今年は趣向を変えて佐野へ向った。

 「イチゴ狩り→アウトレット探索→ランチは佐野ラーメン→公園で子供たちを遊ばせる→夕食も佐野ラーメン」というスケジュール。このスケジュールを考えた人物がいかに「花より団子」かがよくわかる。9時開園にあわせて向うも、渋滞で30分ほど遅れる。けっこうな人出であったが、さっそくイチゴ狩り。

 時間制限は30分であるが、さすがに30分もイチゴを食べ続けると「もういい」となる。鼻からイチゴ汁が出そうになったほどだが、甘いトチオトメはとっても美味であった。アウトレットへ行ったところでアクシデント発生。なんとなく調子が悪いと行っていた娘が、駐車場でもどしてしまったのだ。一面イチゴの残骸。近くの公衆トイレで清掃用のバケツを拝借して後始末に追われるハメとなった。まあそれでも車の中でなくてよかったし、幸か不幸か場所も排水溝の上だったから、ラッキーといえばラッキーであった。

 さすがに予定を変更して帰る事にした。しかし、落ち着くまでと、ポカポカ陽気の中、ベンチで小一時間休憩。娘と二人でベンチでまどろむのも悪くない(この間、母親はお買い物だ!)。ランチの頃には娘も少し元気を回復。
そのランチは佐野ラーメン。私自身ラーメン党だし、佐野ラーメンは楽しみにしていた。今回行ったのは、万里というところ。何より手打ちを謳っている麺が他にはない食感で美味であった。大盛りといきたいところであったが、娘は本調子ではないし、長男は一人前食べられないだろうと読んで普通を4人分注文。

 ところが、何だかんだ言って娘はラーメンをほぼ一人前食べてしまった。それどころか、そのあと「佐野名物いもフライ」はしっかり一本食べる始末。
名物芋フライ
食べる事に対するDNAは私譲りではないと断言できる。今はいいけどいつまでも「色気より食い気」だと困るよなぁと思う親心・・・
帰りのパーキングではソフトクリームまで平らげた。

 まあ楽しそうだったから何よりだ。先週からの一連のレジャー。この連休はこれで少し休ませてもらう事になった。いよいよもうじき桜の季節。芯から日本人の私としては、心和む季節の到来を楽しみたいと思うのである…




【本日の読書】
なし

2010年3月21日日曜日

スキー3

 別にネタがないわけではないが、先週スキーに行っていろいろ感じた事があるのでそれを書き留めておきたい。かつての隆盛を失ったスキー場。傍から見ても経営は苦しいのではないかなと思わされる。あれだけ人が溢れかえっていたゲレンデに嘘のように人がいないからだ。

 少子化という事もあるかもしれないが、それだけでもないだろう。今回家族4人で一泊で行ったが、交通費で約35,000円、宿泊で同程度、レンタルスキーとリフト代2日分とスキー教室、昼食費その他で大体100,000円超の出費だ。けっこうかかる。一冬何度も行くというわけにもいかない。独身の頃には気にせずにいられた事だ。

 世間は長い景気の低迷下にある。サラリーマンの給与は過去10年上がっていない。自ずとレジャー資金も減っているのだろうし、スキー場の低迷もそんなところが一因かもしれない。スキー場だけでなく、アルペンも先日我が家の近所の店舗を閉鎖した。ビクトリアもスキー用品コーナーは大幅に縮小されて、ゴルフコーナー等に切り替わっている。スキー市場は確実に縮小している。

 独身貴族の若者でさえゲレンデにはあまりお金を落とさないらしい。車で来て、日帰りで帰って行く。ゲレンデで使うのはリフト代とわずかな食費ぐらいだろう。スキー場側からすると、したがってターゲットはファミリーとなるのかもしれない。友人のブログを見ると「小学生はリフト代タダ」なんてところもあるようだ。少しでも節約したい親からすればありがたい。他のスキー場との少なくなった客の奪い合いを制するための施策なのかもしれない。

 ただ利用側からすると今の状況はありがたい。空いているゲレンデは何よりも楽しめる。かつてはスノーボード禁止なんてところが多かったが、今はスキーヤーと仲良く共存している。縮小したなかでうまく経営を維持してくれれば、スキー人口はなくなる事はないだろうし、残った人達でより楽しいレジャーとして生き残っていくだろう。

 景気は確かに良くなってほしいが、それもほどほどにと思うのは虫が良すぎるだろうかと思うのである・・・


【本日の読書】
「人間の運命」五木寛之
「告白」湊かなえ
  
   

2010年3月18日木曜日

スキー2

 初めてのスキーでおっかなびっくり滑る我が子の姿を見ていて、自分自身がスキーをはじめた頃の事を思い出した。私のスキーデビューは高校一年の正月だった。中学時代の友人3人と越後中里に行ったのだ。

 4人中、私とOとKの3人が初心者。スキーを履くところまでは良かったが、そのあとは慣れない感覚に動けなかったのを覚えている。やがてボーゲンで滑れるようになり、唯一の経験者であったTに誘われてリフトで上の方に向った。快調に降りてきたところ、最後の斜面で壁にぶち当たった。初心者にはちょっと厳しい斜面がそこにあったのだ。

 我々初心者3人組は覚悟を決めて滑り始めたが、たちまち立ち往生。OとKはギブアップして板を担いで斜面を降り始めた。しかし「逃げる」という事が嫌いな私は意地で滑り降りた。登るならともかく、板は担いで降りるものではないとうそぶいて気合いで降りた。逃げるくらいなら転がり落ちたほうがまだマシだと思ったのだ。

 やってみれば別に死ぬわけでもない。カッコ悪かったかもしれないが、とにかく滑り降りたからOとKに対しては優越感に浸った。絶対3人の中で一番うまくなるだろうと思った。しかしその後OとKは大学でスキーを本格的に始め(Oはおちゃらけサークルだ)、あっという間に私よりうまくなってしまった。

 大学ではラグビー部に入ったが、冬のオフになると(普通の大学は冬はシーズンオフなのだ)部内スキーツアーが開催されたのでよく参加した。ラグビー部のスキーツアーは、練習のノリだ。朝からリフトが止まるまで滑るわけだが、休憩は昼食時のみ。お茶タイムなんてものはない。滑り降りてすぐリフトに乗る。その繰り返し。リフトの上が休憩時間という具合だ。

 あの頃はテクニックを磨くよりもスピードとスリルを求めてすべる弾丸スキーだった。平日だからゲレンデも空いていた。みんな普段から「きつい」とか「休もう」なんて言わないから、スキーでも同様だった。一日存分に滑りまくった。

 社会人になって会社の女性たちとスキーに行くようになった時の事だ。さすがに遠慮してゆっくり数本滑ったところ、あとからついてきていた女性たちが、「こんなに一気に滑ったの初めて」と目をシロクロさせながら言った。「今までどんな滑り方をしていたのだ?」と驚いたものだ。ゲレンデも混む週末だし、2~3本滑っては「お茶しよう!」というペースにはなかなか慣れなかった。

 今ではさすがにそういうペースにも慣れてきた。子供たちとのんびり滑るというのも悪くはない。最初の頃を除いて、ほとんど今まで見よう見真似で滑ってきたし、ここらでスクールにでも入ってしっかり技術を身につけるのも良いかもしれない。来年はウェアーも新調して、スキー第2章のスタートと行くのもいいかもしれないと思うのである・・・


【本日の読書】
「8つの鍵」ロイス・クルーガー
「関東大震災~朝鮮人虐殺の真実」工藤美代子
                
      
    

2010年3月15日月曜日

スキー1

 週末に家族でスキーに行った。子供ができてからスキーに行くのは初めての事。私自身、実に10年振りのスキーであった。

 10年前はと言えば、シーズン中の関越自動車道はスキー渋滞が日常茶飯事。関越周辺のスキー場は土日は激混み。リフトに乗るのも30分待ちというのも珍しくなかった。リフトに並ぶ列で、板を3センチずつ動かして進んで行かなければならない侘しさに閉口していたものである。

 もっとも結婚してからは、東北方面に大倉山スキー場という穴場のスキー場を見つけ、主にそこばかりに行っていた。距離こそ遠いが、渋滞でノロノロ行っても時間的には変わらない。であれば、リフト待ちなく心ゆくまで滑れる方が気分がいい。あそこには何度通っただろう・・・

 ところが、訪れた六日町スキー場(越後湯沢からローカル線で20分ほど)は、実にゆったりのんびり。いや、最近はどこもそうらしい。リフト待ちなど皆無なのである。昼食もお昼の30分ほどのピーク時を避ければゆったりと食べられる。ただ高くてまずいところは昔のままだ・・・

 板も昔は「身長+20センチ」と言っていたのだが、今は「身長-10センチ」くらいで、しかも幅広。だが、かえって板はコントロールしやすい感じがして良かったと思う。埃を叩いて持っていったウェアーは明らかに「年代モノ」であったが、どうせ回りはみんな他人だし、まあ気にしないで滑っていた。10年という月日の差をあらためて感じてしまった。

 生まれて初めてスキーをする我が家の子供たち。二人ともスクールに放り込んだ。キッズスクールに入った長男などは、他に受講者がいなくて、インストラクターのお姉さんとマンツーマン。実に羨ましい限りであった。そのおかげで二人ともボーゲンで滑れるようになった。

 10年ぶりのスキーであちこち筋肉痛になるのではないかと危惧していたが、(実際、最後は膝が笑っていた)これがなんともない。平日帰宅後のスクワットの成果かもしれない。ただ日焼けして赤くなった鼻の頭だけが、何とも間が抜けていて玉に瑕だ。

 今回は往復新幹線を利用したが、心地良い疲労感の中でビールも飲めたし、新幹線も悪くない。また行きたいと子供たちにも好評であった。また来シーズンも行ってもいいだろう。ただ今度は車で行きたいと言う人がいる。我が家の筆頭運転手としてはその点だけが微妙な気分なのである・・・


【本日の読書】
「8つの鍵」ロイス・クルーガー
「関東大震災~朝鮮人虐殺の真実」工藤美代子
                
   
      

2010年3月11日木曜日

アカデミー賞

 今年のアカデミー賞が発表となった。映画ファンなら注目の大イベントである。今年はジェームズ・キャメロンとキャスリン・ビグロー監督の「元夫婦対決」とか、興業記録を塗り替えている 「アバター」が受賞するのか、とかいろいろと事前に話題となっていた。

 結果的にキャスリン・ビグロー監督が「元夫婦対決」を制し、監督賞とともに 「ハート・ロッカー」で作品賞も制した。ジェームズ・キャメロン監督の 「アバター」は主要な賞からは外れて「惨敗」と評された。

 しかしながら個人的には「意外だ」とか「残念だ」とかはあまり思わなかった。なぜなら、アカデミー賞(作品賞)のイメージと 「アバター」はちょっとあわないなと感じていたからだ。言葉ではうまく説明できないが、「タイプが違う」とでも言うべきだろうか。

 しかし、だからと言って 「アバター」の価値が下がるかと言えばそんな事はない。近年はもとより今年たぶん一番の作品だと思う。ただオスカーとは縁がなかったというだけの事だ。

 そもそも映画なんて(本やドラマももちろんそうだが)、観た人がどう思うかは、十人十色だ。ある人にとって良きものが、別な人にもそうであるという保証はない。なんの変哲もないストーリーが、ある人にとっては同じような経験をした事があるといったような理由で感動を与える事だってあるだろう。逆もまた真なりで、オスカーを取ったからといってそれが良い映画、面白い映画であるという保証はどこにもない。

 私もかつては人の評価を気にしていた時がある。自分はいいと思うが他の人はどうだろう、とか。面白いと思ったのに、他の人がそうでもないというのを聞くとそんな気がしたり。

 「評価は他人が下したものが正しい」とは野村監督の言葉。ただこれは自分自身に関する評価についてであり、こと映画に関しては「自分が下したものが正しい」との信念を持っている。「人がどう思うか」ではなく、当然ながら「自分がどう思うか」を大事にしている。今は他人の評価に左右される事もない。

 「アバター」は残念であったかもしれないが、考えようによってはこれで 「ハート・ロッカー」も観に行きたいと思うようになったから、そういう意味では 「ハート・ロッカー」でも良かったかもしれない。先日観てきた 「インビクタス」もとても感動的だった。
今年は映画の当たり年かもしれない。

 「今年の一番は何にしようか」年末にそんな事で悩めたら嬉しいだろうな。あれこれと人の評価を気にする事もなく、自分の世界で悦に入れたら最高だと思うのである・・・


【本日の読書】
「8つの鍵」ロイス・クルーガー
「関東大震災~朝鮮人虐殺の真実」工藤美代子
                
           

2010年3月10日水曜日

病院にて

 両親が入院して以来、仕事帰りに週末にと見舞いに行っている。父親はまだリハビリが必要なものの、今週末には退院となった。母親の方はまだもう少しかかりそうである。

 母親は糖尿病ではないのであるが、一時的に血糖値が上がっているという事で、血糖値の検査とインシュリン注射を毎日「自分で」やらされている。今週末の一時帰宅に備えて家族の方もやり方を見ておいて下さいと言われて、現場を見学する事になった。

 注射と言えばインフルエンザの予防接種でも健康診断の採血でも私はじっと注射器を見つめる方である。みんな顔を背けているが、どこに何を打たれるのかはちきんと確認しておきたいタチなのである。その私もさすがに自分で自分に注射するという事に対しては滅茶苦茶抵抗感がある。とてもではないが自分ではできそうもない。

 なので自分で打つと聞いて、母親にできるものかと思ってしまった。だが、それはそれ。専用の注射器はシンプルな操作でお腹の肉にちょっと射して簡単に出来てしまう。へぇぇと思わず感心してしまった。簡単とはいえ、注射は注射、母親は一時的なものだからいいが、本格的な糖尿病の人は大変だろうなと実感した。

 ドクターは私よりも若そうな人。しかしながら病棟の筆頭医との事だから大したものだ。所謂「油の乗った」頃なのかもしれない。パソコンの画面を使って症状を丁寧に説明してくれたし、同席した女医さんが内容を丁寧にメモして最後に渡してくれた。丁寧ではあるが、これはあとで「言った言わない、聞いてない」といったトラブルを回避するためだろう。今の時代、医者も大変だ。

 母親の病室に見舞いに行くたびにメンバーが入れ替わっている。みんな短期間で退院していくようである。おかげで母親はすっかり古株だ。隣のベッドのおばさんは娘さんがいるらしいが、見舞いには来ないのだという。袖摺りあう縁だが、いろいろな家庭事情があるようである。

 どうやら母親の退院はまだまだ先のようである。まあ最終的に元気になるなら多少は仕方がない。もう少し通って、この機会にポイントを稼いでおくとしようと思うのである・・・


【本日の読書】
「弱者の兵法」野村克也
「聖夜の贈り物」百田尚樹
    



2010年3月7日日曜日

英語

 今日は娘の英語教室の発表会であった。出し物はクラスごとの英語劇。毎年この時期にやっていて、今回は3回目。

 娘が英語教室に通うようになったのは、「同級生がやっていて面白そうだから」という本人の希望。私としては、自分もそうだったせいか、あまり塾に通わせたいとは思わない。だから「早くから英語教育を」なんて考えはなかったのであるが、まあ本人がやりたいと言うものをダメというほどでもない。そういうわけで通わせた次第である。

 実は私も小学生の頃やっぱり英語教室に通っていた事がある。母親に勧められて、仲の良かった友達が行くというので行く気になったのである。しかし、先生は日本人だったし、2年ほど通って友達が辞めたため、一緒にやめてしまった。今でもあれはまったく役に立たなかったと思っている。

 そもそも英語は早くから習わせればいいというモノでもない。自分自身勉強してきてよくわかったが、英語は「読む、聞く、話す」をひたすら実践するモノで、「勉強する」モノではない。いくら覚えても使わなければ上達はしない。何年も「勉強した」のにいまだに私のしゃべる英語は4歳児程度なのが良い例だ。我が家の4歳の息子の日本語といい勝負だ。

 ただ娘の場合、先生はアメリカ人の女性だし、「英語でアメリカ人と接する」という点だけでもやらせる意義はあるのではないかと感じている。将来的にどうするかは自分の判断だ。慣れ親しんでおけば、「受験英語」でもある程度はなんとかなるだろう。

 劇の方は毎年定番の劇だ。自分の娘は毎年違う劇に出るのだが、どの劇も毎年同じだから正直言って他の子のを見るのは苦痛以外の何ものでもない。セリフは棒読みだし、子供によってはよく聞き取れないし、ストーリーはわかりきっているし・・・もう少し工夫してほしいものだと、アンケートにわざわざ欄を設けて書き込んできた。

 盛り上がっているのは何だかアメリカ人の先生たちと一部の親だけ。シャイな日本人は私も含めてああいう場で大きな声で声援などできやしない。民族性なのかアメリカ人たちの陽気さが羨ましく思えた。どうせだったら、娘にもああいう陽気さも一緒に吸収してもらいたいものである。せっかく「外国人にも発音しやすいように」と考えた名前にしたのだから、物怖じせずにコミュニケーションできるようになってほしいと思う親心である・・・

      
【本日の読書】
なし


      

2010年3月3日水曜日

このままでいいのだろうか?

 
 上巳(旧暦三月最初の巳の日)のころに咲く桃は、安産や強い生命力の象徴とされ、中国ではその実を不老長寿の仙薬とする伝説もあり、さらに魔を祓う力もあるとされていた。ちなみに昔の桃太郎の話は、老夫婦が桃を食べて若返り、子供を授かるという話だったそうである。
 雛壇に嫁入り道具一式が添えられるのは、我が娘が健やかに美しく育ち、良縁に恵まれるようにとの親の願いが込められており、生命力の象徴とされ、魔除けの力があるとされる桃の花を添えるのも、我が子を思う心なればこそだったという・・・
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 2010年度の予算案が決まった。歳出が92兆円。子供手当てだとか高校や高速道路無償化だとかが注目され、「ばら撒き」との批判もされている。ただ今の経済の状況からするとばら撒きもやむを得ないと思う。

 「ばら撒き」を批判する新聞の記事は目にするが、例によって「ではどうすればよいのか?」については書かれていない。今は経済が勢いよく収縮している。それを止めるには「薪」をどんどんくべないといけない。そのための「撒き」なのだし、アメリカも派手にやっている(それ=米国債=を日本に買わせようとしているところが気に食わないところだ・・・)。

 エコポイントだ、エコカー減税だ、子供手当てだとやって、そのあとどうなるかだ。家電も車も一巡りしたら売上はがくんと落ちる。そこでまた振り出しになんて事になったら、目も当てられない。うまく軌道に乗るのだろうか。

 怖いのは借金だ。銀行員という仕事柄、借金の怖さは身に沁みている。歳出92兆円に対して、税収は37兆円。その他を入れても48兆円。なんと歳入の2倍の歳出だ。足りない分は全部借金だ。

 溜まり溜まった借金は1,000兆円に届こうとしている。よくたとえられるが、年収4百万円の人が1億円の借金を抱えているのと同じだ。考えるだに恐ろしい。新聞も世間もそれに対して批判はするが、ではどうしたら無駄な歳出を減らせるのか、と言った議論は出てこない。「政府が悪い」という風潮が諸悪の根源のような気がする。

 本当は自分たちの国だし、自分たちのお金だ。「これは無駄だからやめた方がいいのではないか」という声があちこちから聞えてきて当然なのだ。払うべき税金はなんとか1円でも少なくしようと知恵を絞るわりには、もらうものは真っ先にもらう、人の金だから使って当然だし、痛みも感じない。そんな結果が1,000兆円と言ったら言い過ぎだろうか。

 政府が悪いと批判しても始まらない。自分に何ができると諦めるのもいかがなものか。少なくとも何かないかと周りを見渡すぐらいの気持ちは持っていたいと思うのである・・・


【本日の読書】
「筆談ホステス」斉藤里恵
「再生」石田衣良 
    
            

2010年2月28日日曜日

スポーツドラマ

 百田尚樹の本としては3冊目となる 「BOX!」、を読み終えた。これも前2冊とはまったく異なるジャンル、ボクシングの話である。

 ボクシング・ドラマといえば「あしたのジョー」や「がんばれ元気」といった往年の名作漫画や映画の「ロッキー」シリーズが思い起こされるが、これは高校アマチュアボクシングであるという点、そして何よりも活字で表現されるという点で大きな違いがある。また、高校生のスポーツといえば、バスケットボールの「スラムダンク」、野球の「ドカベン」などが個人的には思い出深い。こうした思い出に残るスポーツドラマの名作には、ある種の共通点があるような気がする。それを「あしたのジョー」と「スラムダンク」と「BOX!」とで比較してみたい。

 この3作に共通しているのは「主人公の成長」だ。「あしたのジョー」の矢吹丈は丹下段平に見出されてボクシングを始める。「スラムダンク」の桜木花道はバスケ部のキャプテンの妹晴子に誘われてバスケを始める。「BOX!」では女の子の前で中学時代のいじめっ子に殴られて恥をかいた木樽優紀が、親友のカブちゃんを頼ってボクシングを始める。

 そしてトレーニング。矢吹丈は少年院でひたすらジャブを打ち(「打つべし、打つべし」は有名なセリフだ)、桜木花道もおふざけが入りながらも肝心なところではシュート2万本の練習なんてのが出てくる。木樽優紀も学校での練習に加えて、早朝と夕食後のトレーニングでメキメキ腕を上げる。

 次にライバルの存在。矢吹丈には力石徹という格上のライバルがいて、少年院からプロのリングに場所を移し、バンタム級での対決は前半のクライマックスだった。そして力石の死後はしばらくその影響を引きずる事になる。桜木花道には天才流川楓がいて、チームとしてはクライマックスに強豪山王高校が登場する。木樽優紀には親友でもある天才ボクサー鏑矢義平がいて、さらに無敵の超高校級ボクサー稲村和明がいる。

 そして何と言っても白熱の試合シーン。「あしたのジョー」と「スラムダンク」は漫画ゆえにある程度はビジュアルに表現できる。しかし、「BOX!」は活字のみゆえにちょっと異色だ。しかし、どれも試合シーンはそれぞれの名場面だ。力石徹戦は矢吹丈の衝撃の逆転負け、絶対不利と言われた山王戦は残り3秒で流川→桜木へとパスが渡り、2万本シュートの成果が見事に決まった。木樽vs鏑矢戦、木樽vs稲村戦、そして鏑矢vs稲村戦はどれもが試合結果が予想を裏切る面白さだった。いずれの作品もページをめくる手が震えるが如き内容だった。

 またヒロインの存在もある。白木葉子が長年嫌っていたと思われていた矢吹丈に対して、世界タイトルマッチの前に「好きなのよ」と言うシーンは子供心に感動的だった。「スラムダンク」ではそういうシーンはないが、常に晴子の存在が彩りを添えていた。「BOX!」では教師と生徒という関係からか恋愛関係には発展しないが、それでも生徒以上恋人未満の微妙な関係があった。

 こうしてキーワードをみていくと、これらの要素をうまく加工すれば、自分にもなんだかスポーツドラマが描けそうな気がしてくる。私の場合はラグビーだが、恋愛こそ成就しなかったが、涙あり笑いありの実経験は豊富だし、いいドラマの素材には事欠かない気がする。ネックは「表現力」だろうな。「BOX!」のような目の前で展開されている試合を観ているが如き表現力は、とてもではないが難しい。まあ人生はまだまだあるし、アイディアを練る時間はたっぷりとある。人生の楽しみの一つとして、そんなドラマの構想を練ってみるのも悪くないと思うのである・・・


【本日の読書】
「暁のひかり」藤澤周平


     

2010年2月25日木曜日

ともだちコレクション

 我が家の小学校3年の娘は、ただいま「ともだちコレクション」にハマっている。「ともだちコレクション」とはニンテンドーDSのソフトで、クリスマスにサンタさんにもらったものである。これはゲームの中で自分の好みのキャラクターを作り、その世界の中で自分の作った住人たちとの交流を楽しむゲームである。

 パパママやおじいちゃんおばあちゃんといった家族から、大好きな嵐の櫻井翔くんまでいろいろと登録しては楽しんでいるようである。それぞれのキャラクターには性格もあるようで、部屋を覗くと何やらうろうろしていたり、バイトに行っていて不在だったりする。お金を溜めてプレゼントをしたり部屋の模様替えをしたりもできるらしい。昔流行った「たまごっち」の人間版のもっと高度なやつというイメージだ。

 そんなバーチャルゲームで模擬的な「人間関係」を楽しんでいると、何だか実際の人間関係の構築ができなくなってしまうのではないかと感じるのは、自分が古い人間になった証拠だろうか。昔、親が漫画ばかり読んでいると文章の読解力がなくなると心配していたのに通じるかもしれない。

 ゲームの中で相手の気を惹くためにプレゼントしたりするが、実際の人間関係ではもちろん、関係構築が先にこないといきなりプレゼントしてもダメである。おじさんたちが飲み屋のお姉さんを口説けない理由もここにある。

 先日、「ママがパパに告白した」と嬉しそうに報告に来たので、告白って意味わかっているのか聞いたところ、「付き合ってって言う事」という答えが返ってきた。どうやらわかっているらしい。続けて「付き合うってどういう事?」って聞いたら、「イチャイチャする事、お布団でゴロゴロする事」という答えだった。どうも現代は中途半端な情報が氾濫しているようである。

 そんな簡単に告白するって言うが、簡単じゃないんだぞと思わず言いたくなる。「昔は携帯電話なんてなかったから、女の子の家に電話するだけでも、胸がバクバクいって緊張してたいへんだったんだ」なんて言っても通じないのだろう。「あと5分したら電話しよう」、そして5分経つと「もう遅いから明日にした方がいいかもしれない」と思う。ようやくダイヤルしては切り、再びダイヤルする。コール音を聞きながら、「出るな」と願う。相手の親が出たらどうしようという緊張感。「あと1回で切ろう」「もう1回鳴らしてみよう」と矛盾した思いが交錯しながらコール数を数える・・・
今では懐かしい気もする。

 そんなバクバクとは無縁なバーチャル人間関係で育って大丈夫かとも思うが、よくよく考えてみれば自分も人間関係が苦手だった事に思い至る。バーチャルゲームの影響でなくてもそうだったのだ。小中学校時代はいつも特定の友達とばかり遊んでいたし、高校時代だって交流関係は狭かった。大学に至っては、ラグビー部以外の友達は片手でおつりが来る有り様だ。そんな自分が今ではなんとかまともにやっていけているのだから、くだらない心配のようだ。

 考えてみれば周りの友達もみんな持っているという事だから、同じ感覚でいいのかもしれない。スーパーマリオは自分でも面白いと思って一緒にやったが、どうもこのゲームは趣味にあいそうもない。まあ本人が楽しんでいるのが一番だからいいのだろう。ただあんまりやりすぎると現実世界のママに怒られるから注意した方がいいだろうねと、心の中でそっと注意したのである・・・


【本日の読書】
「MOMENT」本多孝好
いよいよクライマックス!
「BOX!」百田尚樹
     
    

2010年2月22日月曜日

走る!

「世界で最も住みやすい都市ランキング」
     1.バンクーバー  (カナダ)
   2.ウイーン      (オーストリア)
   3.メルボルン     (オーストラリア)
   4.トロント      (カナダ)
   5.カルガリー     (カナダ)
   6.ヘルシンキ     (フィンランド)
   7.シドニー      (オーストラリア)
   8.パース       (オーストラリア)
   9.アデレード     (オーストラリア)
  10.オークランド    (ニュージーランド)

エコノミスト・インテリジェンス・ユニット発表

う~ん、「3」と「7」は行ったが他はまだだ。
いつか住んでみたいなぁ・・・
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 今日は家族で両親のお見舞い。車で環七を走っていると何だか走っている人がやたらと目についた。特に気にもしていなかったが、やがてある表示が目に入った。
「2/28 東京マラソン 車線規制」
全員そうだとは思わないが、今日見た人達の何人かは来週の東京マラソンに出場するのだろうと考えた。聞くところによると32,000人も参加するそうだから、満更外れてもいないのだろう。

 最近マラソン(あるいはジョギング)が静かなブームだと聞いた。以前から皇居の周辺を走る人達は目にしていたが、ここのところその人口も増えているらしい。なんでも周辺の銭湯が、閉鎖しようと思っていたら、思わぬ利用者の急増で業績が息を吹き返したという記事も目にした事がある。走った後にひとっ風呂浴びる人が増えたのだろう。

 少し前に会社の指定医の先生の話を聞く機会があったが、その時、その先生は最近ハマっているというマラソンの話をしてくれた。50代後半にも関わらず、フルマラソンに出場しているだとか、走っている時に訪れる恍惚感(いわゆるランナーズハイ)についてだとか、楽しそうに語ってくれた。長距離が嫌いな私としては、どうにも理解しにくい話であった。

 昼休みに皇居を走っている人もいったいどんな仕事をしているのだろうかと興味深いが、やれと言われても走れば当然シャワーくらいは浴びたいし、疲れれば仕事の能率も落ちるだろうし、何よりランチだって食べたいし、一体ランチタイムは何時間あるのだと聞きたくなってしまう。まあ、仮に時間があっても私はやらないだろうけど・・・

 健康に良いのは明らかだし、金のかからないスポーツという事で、懐の寂しいサラリーマンにはもってこいなのかもしれない。しかし、ただ淡々と走るだけでメリハリがない長距離走はやっぱりまだ好きになれない。かといってスポーツジムに通うのも性に合わないし、大学のラグビー部のシニアチームに加わって、「激しくないラグビー」をやるのもなんとなく嫌だし・・・

 そんな事をあれこれ言っているから、運動不足はますます度合いを深める。腕立て伏せやスクワットも毎日やっているわけではないし、そろそろ何か始めようかなと思うこの日この頃である・・・


【本日の読書】
なし

    

2010年2月18日木曜日

現代の百科事典

 「永遠の0」に感動し、著者百田尚樹の本第2弾として 「風の中のマリア」を読んだ。これはなんとオオスズメバチが主人公。ハチが主人公というと我々の世代は「みつばちマーヤ」を思い出してしまう。しかし、これはミツバチなんて可愛いものではない。なんといっても昆虫の食物連鎖の頂点に立つオオスズメバチである。自らの巣を「帝国」と称する無敵のハンターたちなのである。

 そして主人公のマリアは、ワーカーと呼ばれる働き蜂(名前からわかる通りすべてメス)。毎日外へ行って獲物を捕らえてくるのが仕事。獲物を捕らえると、あっという間に手足を切り取り胴体だけを団子にして巣に持ち帰り、妹たち(幼虫)に食べさせる。獲物の豊富な夏はよいが、少なくなる秋になると次の女王蜂に豊富な餌を与えるため、他の蜂の巣を襲って根こそぎ幼虫を奪って全滅させてしまったりする・・・

 そんな習性と面白いストーリーに、「ふ~む」と唸りながら一気に読んでしまった。読み終わると知識だけは一端の専門家になっていた。しかし、いかんせん本だけの知識。そこで利用したのが、GoogleとYoutube。画像や動画を検索すると、出てくる出てくる。

 中でも圧巻なのが日本ミツバチが自分たちの巣に侵入したオオスズメバチを集団で取り囲み、熱で殺してしまうシーン。オオスズメバチは46度以上になると死んでしまうが、日本ミツバチは48度まで耐えられる。この2度の差を利用して、自分たちよりはるかに大きな敵を殺すのである。Youtubeでそれを見る事ができた。
→ 「オオスズメバチvsニホンミツバチ」

 また、セイヨウミツバチの巣を襲うシーンも凄まじい。何万匹を相手にして数時間で根こそぎにしてしまうのである。Youtubeの動画 「30匹対30,000匹」でも「これは戦いではなく、虐殺である」と語られている。こういうのは映像で観るとよけいにリアリティを感じる。

 昔はこういう時は百科事典で調べたのだろうが、今は実に簡単にいろいろな関連知識、画像に映像が入手できる。あらためてネット社会の凄さを感じてしまう。ちなみに暇があると、ここのところオオスズメバチ関連の動画を漁っている。本も面白かったが、それを踏まえた映像もまた興味深い。今やちょっとしたオオスズメバチ博士を気取っているくらいだ。

 いろいろな事に興味津々の子供だったら、もっと凄いかもしれない。あちこちであっという間に「博士くん」が出てきそうである。いやいや子供に負けているわけにもいくまい。大人も負けじと楽しみながら博士くんになりたいと思うのである・・・

(それにしても百田尚樹は面白い、今3冊目に取り掛かっている・・・)


【本日の読書】
「良い印象の言葉力」宮本隆治
「BOX!」百田尚樹
           
   

2010年2月16日火曜日

新三郷

 先週末に新三郷のショッピングスポットに出かけてきた。つい最近イケアにコストコにららぽーとができたところである。実はコストコについては、以前から三井アウトレットパークのところに行っていた。しかしながら新三郷の方が外環自動車道を使うと便利なため、これからはこちらを利用する事が多くなりそうである。妻はもう何度目かだが、私は新三郷のコストコとららぽーとは始めてであった。

 イケアは広大なスペースをこれでもかと活かして家具類を展示している。ここは2回目だが、なかなか暇つぶしにはよい。しかもレストランが併設されているので、食べてまた買い物を続けるという芸当もできる。軽食コーナーではホットドックとコーヒーのセットが150円だった。思わず買って食べてしまったが、さすがに150円だと食べないと損する気分になる。けっこう賑わっていたから、みんな同じ気分だったのだろう。これがメインというわけではないだろうが、原価もそんなにしないだろうし、馬鹿にできない売上はあるのではないかと思ってしまった。お客を外に出さない仕組みを考えての事なのだろう。

 コストコはとにかく量が多いし、変わったものもあるから、手持ち無沙汰でうろうろしても結構楽しめる。いつも近所のスーパーより安いバーボンを購入しているが、今回も買ってしまった。大量にしかもどんと無造作な陳列。日本的な行き届いたそれとは対照的であるが、これはこれで面白いものである。

 ららぽーとではChocolatería San Ginésという店に行く。
ここではチュロス&チョコレートドリンクが売り物である。なんでもスペインの人気店だそうで、そうなると食べ物にはうるさい我が家のメンバーが見逃すはずもなく、並ぶ事となったのである。チュロスは食べた事はあるが、ここではチョコレートドリンクに浸して食べるのが売りだとか。サクサクっと食べて満足。

 季節柄どこでもバレンタイン一色。娘は今年は誰にあげるのだろうかと思って尋ねたら、「誰にもあげない」だとか。ならばせめてパパにあげたらと誘い水を向けたが、笑ってごまかされた。早くも娘心が理解できなくなってきている。

 中に入っているイトーヨーカドーで息子は仮面ライダーのベルトを見つけてきた。クリスマスにサンタさんからもらえなかったベルトであるが、それとは種類の異なる500円のミニチュア版。目をきらきらさせて「良い子にする」というので買ってあげた。500円で感激されるのも悪くはない。

 子供たちのリクエストでフードコートで夕食。帰りはすっかり日も暮れていた。ちょっとした休日の暇つぶしにはもってこいのスポット。こんな休日も悪くはないと思うのである・・・


【本日の読書】
「良い印象の言葉力」宮本隆治
「BOXボックス!」百田尚樹

   

2010年2月13日土曜日

日頃鍛えし・・・

 心配してコメントやメールをいただいたみなさま、ありがとうございました。だいぶ慰められました。書いて言葉にする事によって自分自身にカツを入れる効果もありました。ブログの見えない効用でしょうね。これからも更新を続けていこうと強く思いました。

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 現在仲良く入院しているわが両親。先週はドタバタであったが、その発端は私がかけた電話。お正月から「具合が悪い」と聞いていたものの、その後どうなのか聞こうと思ったのだ。「いっそうよくない」というのがその答えだった。

 かかりつけの医師に診てもらっているが、原因はいまだわからない。自分で不安になり大学病院に行ったところ、総合案内で(言い方が悪かったのだろう)「紹介状をもらってくるように」と言われてすごすごと帰ってきたらしい。まるっきり初診の振りしていけばよかったものの、正直に要領悪く話し過ぎたのであろう。そう聞いて、「しらばっくれて初診に並べば良い」とアドバイスしたが、思い直して私がかかりつけ医のところに紹介状をもらいに行く事にした。

 初めは母も、「今後も長く付き合うつもりのかかりつけ医だから機嫌を損ねたくない」と躊躇していた。しかし、やはり初診で飛び込むよりは紹介状を持っていった方が良い。それまでの治療の経過がわかれば同じ検査を何度もする必要もない。素人的にもそんな風に思えた。そこで「うまくやるから大丈夫」と説得した。

 大事なのは母とかかりつけ医の関係を壊さぬように紹介状をもらう事。最悪、私が悪者になって「気の進まない母親」を「息子が強引に大きな病院へ連れて行った」という構図にしてしまえばよい、と腹を括って出かけて行った。私も日頃から、仕事柄鍛えられた「交渉術もどき」がある。何となく何とかなるだろうと考えていた。

 かかりつけの医師は私よりも少し若い感じ。始めに「病状と先生の考えを教えてほしい」と切り出した。そうしたところ丁寧に教えてくれた。どんな検査をしているのか、これから更にどんな検査をするつもりか、それによってはどうするか等々・・・

 そうしてその先生もある特定分野では専門外なので、そこは近くの大学病院で診てもらう他はない、その時は紹介状を書くと説明してくれた。そこで私は、「なるべく早く原因を知りたいので、並行して診てもらいたいがどうだろうか」と申し出た。先生はすぐに「では今紹介状を書きましょう」と言ってくれた。

 医者にとってみれば「自分では手に負えない」症状は嫌であろう。かと言って「自分にはできない」とは言い辛い。こちらの申し出は、ひょっとしたら「渡りに船」だったかもしれない。結果的には先生の顔を潰す事なく、喧嘩する事もなく、気持ちよく紹介状を書いてもらえた。なんとか悪者にはならずに済んだようだ。

 「相手の話を聞きながら、自分のメリットにつながる共通点を見出して、相手の顔を立てながら自分の動いてほしい方向に動いてもらう」
実は普段そんな話し合いをするケースが度々ある。弟などは喧嘩してでももらってくれば、という考え方をするが、相手にだってプライドや立場や考えなどがある。そんなものを尊重しながらうまくやる方法は常にどこかにあるはずなのだと思う。

 家に帰って紹介状を母親に見せながら、「まあこのくらいはわけない」と大げさに戦果を強調したのは言うまでもない。最近は親から不満をぶつけられる事の多い不肖の長男であるが、今回は面目躍如となった。こんな時でもなければ、失地回復といかないところが嘆かわしいが、まあこの機会にせいぜい点数を稼いでおきたいと思うのである・・・


【昨日の読書】
「クルマは家電量販店で買え!」吉本佳生
「闇の系譜-ヤクザ資本主義の主役たち」有森隆+グループK
  

  

2010年2月10日水曜日

幸か不幸か

人は心そのもの。
人はいつも思考という道具を持ち歩いて欲しいものを形作り、
いくつもの喜びといくつもの悲しみを生み出している
ジェームズ・アレン
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 ここのところちょっと実家が大変な事になっている。父親が膝の怪我で入院したのに合わせるが如く、ここにきて母親も具合が悪くなり入院する事になった。何もそんなところまで仲良くなくてもいいものを、と思うがこればっかりは仕方がない。見舞いやら付き添いやら先生との話やらで実家と病院と職場と家との間を奔走していたので、すっかりブログは疎かになってしまった。

 実は5年前にも妻と子供が同時に(しかも別々の病院に)入院するという事態があった。この時もそうだったが、今回も「何という不幸だろう」と、ともすれば思いがちだ。しかし、こういう時こそ意識的に「不幸中の幸い」に目を向けるようにしている。この世の不幸が一気に圧し掛かってきたような気は、確かにする。実際に心も生活のリズムも乱れるし、大変は大変である。ただ、本当に究極的な不幸かと言えば、よくよく考えるとそうでもない事が見えてくる。

 第一にここは先進国日本の、しかも首都東京のど真ん中。入院した昭和大学病院まではタクシーで1メーターの距離。かかりつけ医では原因がわからなかった母親の症状も、検査の結果すぐに原因が判明した。自然治癒は難しいとの説明だったから、これが発展途上国だったら死ぬまで苦しまないといけなかったのかもしれない。母親は、本人の意識は別として幸運だ。

 そしてゆとりが叫ばれる我が職場環境。私も仲間の理解を得られ、休暇や早退で事態に対応できる。一昔前だったら大変だったのではないかと思う(昔、私の上司は義理の親の葬儀も仕事を休めず欠席していた・・・)。そういう時代の雰囲気と仲間とに恵まれたタイミングで幸運だ。

 さらに心の余裕がなくなっているこの時、我が家は平和で何の心配もない。家の事を何も気にしなくていいのは非常にありがたい。伯母(母の姉と妹)も手伝いに来てくれる。遠くに住んでいたら不可能なわけで、この点でもありがたい。私自身も海外や地方勤務だったら、遠くでやきもきするだけだっただろうし、近くで機動的に対応できるのも、考えてみれば幸運だ。不幸よりも幸運の方が多いような気がしてくる。

 どんなにあがいても事実は一つ。ただ、それをどう受け止めるかでだいぶ変わってくる。今回の件も、ひたすら嘆いても「ああまだ良い方だった」と自分に言い聞かせても、どちらにしても事態は変わらない。ならば少しでも良かったと思う方が、心にゆとりもできるし、いいような気がする。実際、発展途上国の人からみたら、随分と羨ましい状況だろうと思う。

 不肖の息子の汚名返上にも良い機会かもしれない。ここは一つ頑張りどころだと自分に言い聞かせて乗り切りたいと思うのである・・・


【本日の読書】
「クルマは家電量販店で買え!」吉本佳生
「闇の系譜-ヤクザ資本主義の主役たち」有森隆+グループK



      

2010年2月3日水曜日

日記の効能

「恵方巻」
「節分」の夜にその年の恵方(吉神がいる方位=今年は『西南西』)を向いて「恵方巻」を無言で丸かぶりすると幸せが訪れるという。巻寿司は「福を巻き込む」とされ、「縁を切らない」ために包丁を入れずまるごと食べるのが良いとされている・・・
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 私はプライベートで日記をつけている。以前にも紹介したが、それは行動記録だ。その日一日の行動をざっと記録しておく。このスタイルはもうずっと変わっていない。

 よく昔の偉人の日記などが公開されたりしているが、もしも私の日記を誰かに見られたら、それは「何時に起きて、出勤して、○○の仕事をして・・・」なんて感じだからとてもレベルの低いものに見られてしまうかもしれない。ただ、個人的にはこれがけっこう役に立つ。

 最近は週末などに過去の同じ時期の日記何年か分を読み返している。そうすると、過去のそれぞれの同じ時期に何をしていたかが鮮明に思い起こされてくる。行動記録だからよけいに、である。平日などは同じような毎日を過ごしているようであるが、やっぱりその時その時異なっている。過ぎてみればあっと言う間で、早い早いと嘆いている月日であるが、やっぱり一日一日と違う日々を過ごしているのがわかる。

 自分のその時々の感情はあまり書いていないのだが、その時の様子とともに自然と思い出されるものである。面倒くさくなる事もやっぱりあるのだが、あとから読み返してみると「つけてて良かった」と思うから、それがずっと続けるモチベーションになっている。

 今はこうしてブログもあるから、ブログに移行しようかとも考えた。友人のブログなどを見ていて思うには、日記形式だと普段合わなくても彼ら(彼女ら)が何をしているのかがわかるので、身近に感じるという事だ。今忙しいんだなとか、また飲んでるんだなとか、気がつくとしばらく連絡を取っていなくても、そんな気がまるでしない。そういうメリットもあるのだと気がついた。

 しかし、それでもやっぱり日記は非公開だな。いろいろと表には出せない事もあるし・・・特に最近はPCに保存しているから、奥様に内緒のこともパスワードをかけて自由に書けるというメリットもある。これはこれで今後もこのスタイルだ。

 日記をつけ始めたのは確か小学校3年くらいだったと記憶している。それから断続的に続けてきて、ここ10年くらいは毎日書くことが定着した。ちょうど今娘がその年なので、日記をつけさせようと試みたが、あえなく断念。でも再チャレンジの機会をうかがっている。今度実家に帰った時に、小学生の頃の日記を探しだして娘に見せてみよう。どんな感想を持つだろうか。

 そして思考の記録はこのブログ。ネタはあるが、時間がなかなか捻出できないのが悩ましい。少なくとも3日に1度の更新ペースは維持して、ずっと続けていきたいと思うのである・・・


【本日の読書】
「オーケストラ指揮法」高木善之
「風の中のマリア」百田尚樹


     

2010年1月31日日曜日

映画雑感

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昨年までの世界興行収入ベスト5(億ドル未満切捨て)
 1.タイタニック               1997年  18億ドル
 2.ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還    2003年  11億ドル
 3.パイレーツ・オブ・カリビアン デッドマンズ・チェスト
                        2006年  10億ドル
 4.ダークナイト               2008年  10億ドル
 5.ハリー・ポッターと賢者の石        2001年   9億ドル
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 米映画 『アバター』(ジェームズ・キャメロン監督)が凄いヒットを飛ばしている。配給元である20世紀フォックスの発表によると、それまで世界興行収入第1位だった『タイタニック』(同監督)の18億4,290万ドルを越え、18億5,500万ドルに達したという。

 『タイタニック』の記録は1年半にわたるトータルだが、『アバター』はわずか39日間でこれを越えたという。『タイタニック』の記録といえば上記の通り、それまで2位にダントツの差をつけて10年以上も君臨してきた大記録である。それをいとも簡単に越えてしまったとは驚きだ。まぁ映画自体は非常に面白いのでそれはそれで頷けるものはある。

 監督のジェームズ・キャメロンは私の好きな映画監督の一人である。「エイリアン2」、「アビス」、「ターミネーター2」、「タイタニック」とどれもこれも私の映画史に輝いている。特に人間ドラマが秀逸だ。

 スピルバーグやルーカスといった大御所の映画は、「夢」溢れるものが多かった。現実世界とは異なる世界で、根底に流れるのは「夢」とか「希望」とかそういうもので、それはそれで素晴らしい。しかし、キャメロン監督の映画ではそれが重厚な人間ドラマなのである。その人間ドラマゆえに、胸が熱くなるのである。

 そしてその人間ドラマに共通しているのは「sacrifice」の精神である。「誰か(何か)のために、我が身を省みず信念をもって危機に立ち向かう姿」である。頼みの海兵隊が全滅し、たった一人で少女を守ってエイリアンと対峙するリプリー。深海に沈んだ核兵器を無力化するために片道切符覚悟で人類未踏の深度へと潜る「アビス」のバド。未来から送り込まれてきた殺人マシーンでありながら、「殺さない」事を学び、人類のために大きな決断を下すターミネーターT-800。沈みゆく船の中でパニックに陥り、我が身優先に考える人々の中にあって、最後まで恋人を守ろうとする青年。

 そうしたものは脚本までも手掛けるキャメロン監督の意図するものなのだろう。自分もそんな風にありたいと常々思っているせいか、観終わったあとあとにまで深く残るものがある。

 前作から10年以上も待たされた甲斐は十分にあった。満足する間もなく、「次回作」を期待してしまうが、それはまだまだ先の楽しみになりそうである。こういう映画を苦もなく観られる幸せをしっかりと噛み締めたいと思うのである・・・


【昨日の読書】
「ゴールドラッシュの超ビジネスモデル」野口悠紀雄
「コーヒーとサンドイッチの法則」竹内正浩
           
       

2010年1月28日木曜日

幼稚園児

 先週妻が風邪でダウンした。
鬼の霍乱ってやつだが、一家の主婦がダウンすると家事が混乱する。
それはわかるのだが、意外な悪影響がある事も発見した。
長男が幼稚園を休まざるをえなかったのだ。

 長男が通う幼稚園は親の送り迎えが義務付けられている。徒歩の子は幼稚園まで、バスの子はバス乗り場まで親が送迎しないといけないのだ。私が幼稚園の頃は、ほとんど一人で毎日テクテク歩いて通っていた。弟は甘えん坊で1年くらい母親に送り迎えしてもらっていたが、私はすぐに一人で通うようになっていた。やっぱり当時からしっかりしていたのだ。

 ちなみに当時のルートを地図ソフトで測ってみたら674mだった。大人の足で8分くらいか。記憶の中では遥かな距離を歩いた気がしていたが、意外と近い。長男の通う幼稚園は我が家から790mだから、私の通った幼稚園はそれより近かったわけだが、記憶の中ではずっと遠くに感じる。不思議なものだ。

 子供たちには早く自立してほしいと考えているので、当然幼稚園にも一人で通わせたい。しかし、昨今は信じ難いような事件も起こるし、おかしなやつがいるし、何かあるとすぐ責任を転嫁するモンスターペアレンツもいる。だからだろう、幼稚園が親の送迎を義務付けるのも自衛のためでやむをえない。園外までは責任持ちませんというわけだ。そうしたスタンスを責めるのは酷だ。

 そういえば先日妻がある番組の話をしてくれた。幼い子供たちに留守番をさせるという企画だったようである。あらかじめお母さんが子供たちに、「電話には出てはいけません、チャイムが鳴っても出てはいけません、知らない人について行ってはいけません」と言って外出する。その上で番組のスタッフが子供たちに仕掛ける。

 最初の電話こそ出なかったものの、2回目には応答し、聞かれるままに個人情報をべらべら喋ってしまう。工事を装ったスタッフをいとも簡単に家の中に上げてしまう。あげくに「お母さんが駅で待っている」と言われ、初対面のおばさんにホイホイついて行ってしまう。お母さんは見ていて頭を抱える、というものだったらしい。

 子供は純真で疑うという事を知らない。昔何かで読んだが、相手の悪事を見破ったり警戒したりできるのは、自分にそういう心があるからだ、という事だ。疑う事を知らない純真な人間はそれゆえにすぐに騙されるという訳だ。確かにそうだろう。インフルエンザの予防接種と同じで、悪をもって悪を撃退するのである。無菌室で育つと雑菌にすぐにやられてしまう。

 純真な子供たちがやがて雑菌の中で免疫を身につけていく。リンゴ農家の木村さんは農薬で「保護」する方法を否定して 「奇跡のリンゴ」を作り上げた。温室で大事に育てた子供が、外に出て逞しく生きていけるかというと不安がある。早くから外の厳しい環境で育てたいと、心密かに思う。園児が一人で通えたあの頃は、果たして良い時代だったのかどうなのか。どうなんだろう、何とも言えない気分の現代社会だと思うのである・・・


【本日の読書】
「ゴールドラッシュの超ビジネスモデル」野口悠紀雄
「コーヒーとサンドイッチの法則」竹内正浩
      


2010年1月27日水曜日

考えてみること

「永遠の0」を読んでいて考えた事の続きである。

 印象的なエピソードがある。特攻第1号となった関行男大尉の話である。関大尉は新婚の身であり、母一人子一人という境遇であったが、苦渋の決断で任務を受け入れ、米空母撃沈という戦果を上げる。

 祖国に残った母親はたった一人の子供を失ったが、「軍神の母」として周りの人達から畏敬を受ける。その心中は察するものがある。ところが、戦後は特攻批判の逆風に晒され、一人行商で生計を立てつつ昭和28年に亡くなっている。

 軍神とおだてたのも、戦後は掌を返して批判したのもマスコミであり、それを真に受けた周りの人達である。関大尉もその母も何ら変わったものでもない。その場の雰囲気の中で報道するマスコミと、それを盲目的に信じる国民という構図は、現代でもそのままである。

 私も銀行に勤務し、かつてのマスコミの「貸し渋り批判」を苦々しく思っていた。貸せば「ずさんな融資」と批判し(新銀行東京など良い例だ)、貸さなければ「貸し渋り」と批判し、ではその基準は何かと示すわけでもない。不況になればみんなお金を借りるのを控える。だから銀行貸出残高は当然下がるのだが、「貸出残高が下がった」という事実だけで、「銀行の貸し渋り姿勢鮮明に」という記事を平気で出していた。世間の人は「そうなんだ、ひどいな」と受け止めた。

 だからというわけではないが、今は新聞の記事を読んでも、そのまま受け止めることだけはやめている。例えば今は小沢さんの記事一色であるが、マスコミが批判論調を強めれば強めるほど、冷静に「事実はどうなのか、それをどう捉えるべきか」と想像している。別に小沢さんを擁護するつもりは毛頭ないが、それ以上にマスコミは信用しないようにしているのだ。

 ちなみに田中角栄をロッキード疑惑で叩いたのは、親米路線を変更した角栄さんを引きずり倒そうとしたアメリカの意思だと言われている。事実、事件はアメリカ議会における証言からスタートしたし、【反転 闇社会の守護神と呼ばれて】という本では、「不思議な事にアメリカ側から次々に証拠や証言を得られて、非常にやりやすい裁判だった」という記述がある(この本は別にロッキード事件を扱ったものではない)。小沢さんは田中角栄の影響を強く受けているし、アメリカから中国に軸足を移そうとしているところまで一緒だし、ひょっとしたら裏に何かあるのかもしれないと勘繰ってしまう。

 いずれにせよ、世の中の動きを観察し、マスコミの報道は見ても聞いてもそのまま受け止めずに、まずはいろいろと想像してみる、考えるというスタンスだけは持っておかないといけないだろう。よくよく心掛けておきたいと思うのである・・・


【本日の読書】
「ゴールドラッシュの超ビジネスモデル」野口悠紀雄
「永遠の0」百田尚樹
     

2010年1月24日日曜日

歴史から学べるか

 今「永遠の0」という本を読んでいる。太平洋戦争の時に、特攻で亡くなった祖父の足跡を孫たちが訪ね歩くというストーリーだ。読んでいて感じるのは無情感。結婚したばかりだった祖父。生きて帰りたいと願っていた祖父。しかし、国家の事情と軍隊という過酷な状況がその前に立ちはだかる。
 
 英語では”We are on the same boat”という表現がある。日本語では「一蓮托生」。国家をボートと捉えるか蓮の葉と捉えるかの違いはあるとしても、いずれも同じ運命共同体にある事は同じで、一人だけ逃れる事はできない。そしてその行く先を一人の意思で変える事もできない。

 戦争ともなると一国民としてはどうにもならない。その祖父は志願兵であったが、一般人も所謂「赤紙」で徴兵された。「嫌だ」と拒絶できるものでもない。他の国でも徴兵拒絶は重罪だろうが、戦前の我が国においてはそんな事は死にも値する行為だろう。選択肢はないわけである。

 そして旧日本軍では人間が一番軽視される。一機の飛行機の方が一人のパイロットよりも大事なのである。特攻も最後は戦果よりも死ぬ事自体が目的となっていく。そうした状況下で、個人の意思など荒れ狂う波間に漂うボートの如きである。どうしようもない。

 そしてそれが怖いところは、「過去の不幸な時期の話」と一概に言い切れないところだ。確かに戦後は民主主義の世の中になり、冷戦なんかもあったが、現代日本においては再び戦争へ進むという事は極めて考えにくい。そういう事態になる事は、共産党や社民党のおばちゃんがなんと言おうとありえないだろう。

 現代では差し詰め危険水準にある国家財政であろうか。このままではいずれ破綻するのは確実である。なにせ税収よりも支出が多い状態が続いているわけで、改善の道筋は見えていない。氷山に向ってひたすら進むタイタニック号なわけである。戦前の我が国も、現在の我が国も向っている氷山が違うとはいえ、同じ状況にあるように思えてならない。

 いずれ何とかなるだろうとみんな考えているが、戦前の我が国で敗戦による国家破綻を予想できた人がどれだけいただろうか。自分も含めて想像できない事態について考える事を放棄してしまっているのではないだろうか。どうなるかわからないが、もしも氷山に衝突したら自分だけ逃れる事ができない事だけは確かである。その事だけでも認識しておくしかないのだろうか。

 効果のほどはともかくとして、せめて自作のいかだくらい作っておくべきだろうかと思ってみるのである・・・

        
【本日の読書】
お休み
     

2010年1月22日金曜日

覚悟

 この年になってくると、昔ラグビーをしていて痛めた古傷があちこち痛む事がある。右肩を痛めたのでもう遠投はできないし(スピードボールも投げられない)、左肩はまっすぐに上がらない。靭帯が切れていて正座も長時間できないし、その他細かいのもたくさんある。だがそれでも幸いな事に大きな怪我はなかった。骨折もした事がない。一番大きな怪我は左肩の脱臼だ。

 4年の時の公式戦第1戦。開始直後に相手と激突して外れてしまった。ラグビー協会から派遣されて来ていたドクターが診てくれたが、その場で処置できないと判断し救急車を呼ぶように指示してくれた。その間、経験した事のない激痛に倒れたまま、体のどこも動かせずにいた(ちょっと動くだけで左肩に激痛が走ったのだ)。そんな状況下、実はある事を考えていた・・・

 高校時代の事である。やっぱり練習中に先輩が腹を強打して倒れた。当たり所が悪く、その先輩はまさにのたうち回って苦しんだ。幸い大した事はなかったが、いつも颯爽としている先輩が無様ともいえる姿を晒してちょっとイメージダウンだった。その時思ったのだ、「自分にもいつそんな時が来るかもしれない、自分は絶対醜態を晒さないようにしよう」と。

 救急車を待つ間、心の中では「早く来いよ~」と毒づいていたが、うめき声ももらさないようにあの時の先輩ののたうち回る姿を思い出して耐えていた。ようやく救急車が来たが、こちらは動けない。グラウンドもそんなに広くないし、私の倒れている場所まで来てもらうには試合を止めないといけない。「試合を止めろ!」と後輩が叫ぶのが聞えた。

 だが、冗談ではない。そんな事をしたら衆人環視の中、無様に運ばれて行く事になる。それに試合が止まれば試合中の敵も味方もそれをじっと見る事になる。味方が救急車で運ばれていくのは、心理的に敵を調子づかせ、味方にはダメージを与える。「試合を止めるな!」とその後輩に言って、激痛を堪えて救急車まで歩いた。その姿は背中の曲がった老婆のようでけっしてかっこ良くはなかったが、とりあえず最悪の醜態を晒す事だけは避けられた。

 生まれて初めて乗った救急車は、揺れると激痛が走るし、かといって後輩と女子マネがついていてくれたから、まだ醜態は晒せなかったし、病院までの道のりがひどく遠く感じられた。さらにその試合は負けるし、怪我でそのあと2試合出られなかったし、最後なのにひどいシーズンだった。それでもずっと意識していたからこそ、その時醜態を晒さずに済んだと思う。それだけは、まあ良かったのだ。

 その昔、武士は元服すると真っ先に切腹の作法を叩き込まれたという。常に武士道に生きていたサムライとは比ぶべくもないが、いざという時のための意識はしっかりとできていたつもりだ。怪我に限らずであるが、いざとなった時に醜態を晒さないようにしようとは今でも腹の中で思っている事だ。人間はピンチの時こそ真価を問われるし、その人の人間性が出るものだ。

 しかし失恋だけは辛かったなぁ・・・人前でこそなかったものの、けっこう枕を濡らしたよなぁ。これだけは、覚悟があってもなかなか厳しかったと、今も思うのである・・・     
   

【本日の読書】
「ゴールドラッシュの超ビジネスモデル」野口悠紀雄
「永遠の0」百田尚樹
   

2010年1月19日火曜日

街角雑感

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鍋の美味しい季節、東京電力が運営する生活情報リサーチサイトが以前行ったアンケート調査による鍋料理の人気ランキングは以下のようになっていた。
 総合1位 キムチ鍋  男性1位 すき焼き  女性1位 キムチ鍋
   2位 寄せ鍋     2位 寄せ鍋     2位 寄せ鍋
   3位 すき焼き    3位 キムチ鍋    3位 水炊き
   4位 水炊き     4位 水炊き     4位 すき焼き
   5位 湯豆腐     5位 湯豆腐     5位 しゃぶしゃぶ
男性の1位から3位までは僅差であったのに対し、女性のキムチ鍋(チゲ)は大差での1位。辛いものが嫌いな私としてはキムチ鍋だけは食べたいと思わない・・・
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 丸の内。改修工事中の東京駅前にずらりと並ぶタクシー。客待ち時間を潰すタクシーの運ちゃん(最近では女性も多い)たちだが、スポーツ新聞を読んでいたり、本を読んでいたり、ぼーっとしていたりと様々だ。最近はリストラで転職する人も多いらしいから、ちょっと前までスーツを着て私みたいに足早に歩いていた人もいるかもしれないと想像したりしてみる。かつて父は「食べていけなくなったらタクシーの運転手でもやろうと思った」と私に語ってくれた事があったが、今はタクシーの運転手も楽ではないだろうと思う。

 ふとドアの窓を見ると様々なステッカー。クレジットカードOKは最近よく見かけるが、今日は「ETC搭載」というのを見かけた。何か意味があるのかと考えてみたら、「1,000円高速か」と思い至った。高速料金は客持ちだ。ならばETCがあった方がお客さんの払う負担が少ないという考えなのだろう。自分たちが得するわけではないので、これも顧客サービスだ。こうして各社が顧客サービスを競っているわけだが、それもこれも不況で顧客が遠のいているためだろう。不況もサービス改善という点ではメリットもあるわけだ。

 皇居の近くでは一眼レフカメラを持った若い女性を見かけた。何よりも赤いカメラが目を引いた。最近ちらほらとカラフルなカメラを抱えた女性を見かける。


かつては一眼レフのような重厚なカメラは男性の専売特許のようなイメージがあったが、最近は性能がアップして素人でもそこそこの写真が撮れるようになったせいか、こうしたカメラを持っている女性も多く見かけるようになった。そしてやっぱり女性からすると黒一色の無愛想なカメラよりカラフルな方が「かわいい」となるのだろう。そうした消費者心理を見越しての製品開発なのだろう。最近は特に「デザイン」が商品の売れ行きを左右しているそうだが、改めてそんな実感を持った。どれくらい売れているのか知らないが、赤いカメラはなんとなく欲しい気がした。

 帰り道、立ち並ぶブランド店を眺めながら「このご時勢に果たしてどのくらい売れているのだろうか」と考えてみた。景気が悪いと言われつつも、こうしたブランドショップは高い家賃を支払えているわけで、という事は買う人がそれだけいるという事。まあよその人の事はともかく、働ける事に感謝しつつ、明日も地道に働こうと思ったのである・・・


【本日の読書】
「奇跡のリンゴ」石川拓治
「永遠の0」百田尚樹

 

2010年1月17日日曜日

子供の叱り方

テレビゲームばかりやっている息子に、お父さんは勉強させようと偉い人の話をしました。
「ジミー、リンカーンって知ってるだろ?リンカーンがお前の年の頃には、暖炉の明かりで勉強してたんだぞ。それぐらい勉強したんだ」
「ふうん。パパ、ボクも言っていい?」
「なんだ?」
「リンカーンはパパの年の頃には、アメリカの大統領だったよ」
                              アメリカン・ジョーク
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 二人の子供の父として、子育ては一応いろいろと考えてやっている。決して子供の躾は妻の責任などと言って責任回避する事はしていない。あれこれ迷う事もあるが、そんな時一つの指針となるのがやっぱり自分の経験だ。

 子供の頃、誰でも親には叱られる。私もそうだったし、だからといってそれで親を恨むという事もない。だがどうしても子供心に納得のいかない事があった。そしていつか自分が子供をもったらそういう叱り方はするまい、と心に誓った事がある。それが「お兄ちゃんなんだから我慢しなさい」というセリフだ。

 男二人の兄弟の長男であった私は、弟としょっちゅう喧嘩をしていた。そしてその都度親に叱られたものであるが、その時よくそう言われたのである。「同じ兄弟なのに僕ばかりずるい」と思ったものである(そして怒られている私の横で弟は舌を出していたりするのである)。親からすれば言っても聞かない次男に言い聞かせるより、長男に言い聞かせた方が早いという判断で、それは現在二人の子供をもってみるとよくわかる。だが、当時は不公平だ、長男は損だと思っていた。

 現在長女にはやっぱり「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」と言う事がたびたびある。だが長女はそれに対して「ずるい」とは言わない。なぜかと言えば、長女には事あるごとに「差をつけている」からだ。それはささやかな事で、例えばみんなでイチゴを食べる時に弟よりこっそり数を多くしてあげるといった程度の事だ。「これはお姉ちゃんとしていつも我慢している分」と囁いて渡すのである。その都度長女は長女としてのメリットを密かに享受している。

 あらかじめ長女には、「我慢して差をつけてもらうのと平等にするのとどちらがいい」と聞いている。長女の答えは「我慢する」だった。だからだろう、「お姉ちゃんだから我慢しなさい」と言ってもそれに対しては不満の声は上がらない。

 もっともある時から親も私にそう言わなくなった。いつだったか、やっぱり「お兄ちゃんだから我慢しなさい」と言われた時に、我慢しきれずに反論したのだ。「そんな事言っていつも僕ばかり我慢させられているけどね、僕は今の弟の年には『お兄ちゃんだから我慢しなさい』と言われて我慢していたんだよ、もう弟だって我慢できる年頃だ。今度は弟に我慢しなさいって言ってよ」と。

 今から思うと親だって完璧ではない。今の自分より若かったわけだし、無理からぬ事である。しかしながらそうは言っても子供心に不公平感は拭えなかったのは確かである。今でも親から「お前には理屈では適わない」と嘆かれている。すでにこの頃、その片鱗を見せていたわけだ。それが子供心に育まれた反発心から生まれたものだとしたら、悪いとも言い切れない。反面教師という事もある。

 さて我が娘はそういう私のやり方をどんな風に受け止め、そして自分の子供に対してどんな風に対処していくのだろう・・・想像してみると面白いものだと思うのである・・・


【本日の読書】
「永遠の0」 百田 尚樹
     
   

2010年1月15日金曜日

週間雑感思うまま

 先週の日曜日のラグビー大学選手権決勝戦。帝京大学が初めて日本一となったその試合、観客数は17,000人だったらしい。普通は30,000~50,000人くらい入っていたはずだが、今年は早慶明・関東学院などの人気校が残らなかったせいで、随分と寂しい限りだ。

 個人的には両チームとも昨年から良い成績を収めてきていたし(東海大学は3年連続でリーグ戦優勝しているし、帝京大学も昨年度の対抗戦優勝校だ)、「出るべくして出てきた」感があるので抵抗感はない。学生など毎年メンバーが代わるわけだし、本当に好きなら強豪同士の決勝戦というだけで観る価値はあると思うのだ(事実、見応えある良い試合だった)。なのに観客が激減したという事は、今まで会場に足を運んでいた大半がミーハーファンという事なのだろうか。

 それにしても両校とも外国人留学生が活躍していた。箱根駅伝でも目についたが、学生スポーツで留学生に頼るというのもどうかと思う(もちろんスポーツがメインでないというならわかるが・・・)。メジャー校には全国の強豪高校からどんどん選手が集まってくるが、それ以外の大学はこうした留学生を連れてこないとメジャー校に対抗できない、というものかもしれないが、それも問題あるなぁと思ってしまった・・・

 週央に野球の殿堂入りが発表された。東尾に江藤慎一・・・なんだか懐かしい名前だ。野球に最も熱中していた小学生時代に活躍していた選手だ。今頃になって殿堂入りだって・・・
しかも今回落合が落ちている。球史に残る屈指のバッターでさえ殿堂入りできていないというのもなんだかなぁと思ってしまう。ファンが忘れかけた爺さんたちを選んでどうするというのだろう。江川や落合や桑田といった、まだプレーが記憶に残っている選手をどんどん選んでもらいたいと個人的には思うのだが・・・どうにもよくわからない世界である。

 先日遅くに帰宅した際、近所でパトロール中のおまわりさんを見かけた。寒い中自転車に乗っていた。「ご苦労様です」と声をかけようかと思ったが、タイミングを逸してしまった。考えてみれば家の近所でこうしてパトロールしてもらえるというのはありがたい事だ。何よりそこにいるだけで防犯効果は抜群だ。おまわりさんというとつい駐車違反とかスピード違反の切符を切られたりとかで、あまり良いイメージを持たれていない気がする。しかし、全国各所に交番があってこうしてパトロールをしてくれているからこそ、我が国の治安は優れて良いのだと思う。もっと感謝の気持ちをもってもいいのでは、と感じた。今度はタイミングを逸する事なく、声をかけたいと思う。

 さて、週末だ。ゆっくりと英気を養いたいと思うのである・・・


【本日の読書】
「奇跡のリンゴ」NHK
「逆説の日本史16」井沢元彦




2010年1月12日火曜日

恥の文化

 朱建栄東洋学園大学教授から我が国の文化は「恥の文化」と指摘された。もともとあちこちでそう言われているのであるが、あらためて考えた。確かに我々日本人は何より他人に対して「恥じる」という感情を重んじる。他人から見て恥ずべき行為を忌避する文化があるのである。

 ある人から言わせると、それは「人に迷惑をかけるような恥ずかしい行為をしない」という事らしい。だが、それも不正確で、ただ「恥ずかしい行為をしない」という事だと思う。そうでないと「人に迷惑をかけなければ良い」となってしまうが、そうではないだろう。「お天道様がみているよ」と小さい頃に言われた記憶があるが、「恥ずかしい行為」の基準は他人にあるのではなくて、自分自身にあるものである。

 名誉を重んじ、時としてそれを命よりも重視したのが武士道であるが、今ではそんな伝統どこへやら、である。先日、電車の中で若い女性がおにぎりを食べていた。齧りかけのまま、バッグの中を探っていたが埒があかず、食べかけのおにぎりをぱくっと咥えて両手でがさごそとバッグを探っていた。化粧をするのはすっかり当たり前の感があるし・・・

 何を恥とするかは人によって微妙に違うのかもしれない。私などは妻から ええかっこしいとこばかにされているが、けっこう「かっこ悪さ」を気にする。例えば電車の中で夢中で本を読んでいて乗り過ごす時がある。瞬間的に気付いて走れば降りられるというタイミングでも敢えて乗り過ごす事を選ぶ。慌てて飛び降りるというかっこ悪い真似をするなら、一駅行って戻ってくる方を選択する、といった具合だ(ちょっと「恥の文化」とは違うかもしれないが・・・)。

 電車の中でおにぎりを咥えても人様に迷惑になるものでもない。だがやっぱり「人からどう見られるか」を意識する事は大切だ。男女を問わず、容姿の美しさを追求するのであれば、行動の美しさも追及したいところだ。そういう意味で ええかっこしいでもいいと私は考えている。

 今は風呂上りにすっぽんぽんで家の中を駆け回り、スカートからパンツが見えるのもお構いなしで遊んでいる我が娘も、いずれはそんな美しい行動ができるようになってほしいと思うのである・・・


【本日の読書】
「バフェットの教訓」メアリー・バフェット&デビッド・クラーク
「逆説の日本史16」井沢元彦
     
    

2010年1月10日日曜日

ああ中国人

ラグビー大学選手権決勝    
帝京大学 14-13 東海大学

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 母校(高校)の財団法人が後援している社会人向けの講座「寺子屋小山台」が昨日あった。今回は毎年お招きしている東洋学園大学の朱建栄教授が講師であった。「中国からみた日本」というタイトルで約3時間半にわたって講義と質疑応答の中味の濃い一時を過ごした。

 中国というと日本ではとかく斜に構えて見られがちだ。産経新聞でも先日自由主義先進諸国が手を出さないスーダンやアフガニスタンといった紛争国で、資源外交を展開する赤い帝国のことを苦々しいタッチで連載していたし、民主党政権が進めようとしている外国人参政権付与法案に対する反対理由として一党独裁国家中国による組織介入を警戒する意見もある。

 かつて北朝鮮を礼賛した朝日新聞は中国寄りだが、その他は全体として好意的とは言えないように感じる。自分としてはどう思うのか。マスコミは偏りがちだから相手の意見を聞くという意味で、朱教授の講座は毎年楽しみにしている。双方の意見を聞いた上で自分なりの考え方をもちたいものだ。

 今回は中国人そのものに関する話が面白かった。例えば中国人に何か頼みごとをする。してもらったら当然その場で御礼を言う。さらには後日、菓子折りとはいかなくても何かプレゼントして再度お礼をする。そんな行動は、日本人には違和感がないが中国人だと不快感を伴った違和感を持つという。

 この場合、中国人は後日お礼をされると、「それであなたとは貸し借りなしね」と言われているように受け止めるのだという。中国式には、「受けた恩義は次回別の事をしてあげる事で返す」となるのだと言う。その相互連鎖で互いの関係が深まっていくのだと。

 その根底には「大恩不言謝(大きな恩に対してはお礼を言わない、言葉ではなく別のもので返す)」という考え方があるそうである。だから日本のODAによる巨額の円借款にもお礼を言わないし(日本側からはお礼を言わないという批判がある)、だからといって何とも思っていないというわけではないのだ、と。所変われば、というやつである。知っているかいないかで大分違う。

 朱教授は日本と中国の文化をそれぞれ、「恥の文化と自己主張の文化」だと喝破する。以前も述べたが、まさに日頃思っていた通りで納得してしまった。赤い帝国中国ももはや単独で世界の覇権を握る事など不可能だと認識しているとの事。いずれは国政レベルで普通選挙が実現するだろうし、メディアの統制もインターネットの世界ではほぼ不可能になってきている(やっているが効果があがっていない)らしい。

 若者達の間には日本に対する反日的雰囲気は親の世代より薄れており、ファッションや音楽や漫画などは広く浸透しているらしい。その点では韓国よりは親しみやすいものがあると、個人的には思う。不必要な警戒論には踊らされたくはないものである。

 その他にも、
・ 白人なら無条件に相手を理解しようとするが、同じ顔の東洋人だと自分たちとの違いに目を向けがちな日本人の傾向
・ 中国人に対する頼み方と断り方
・ 軍事費増大の背景にある裏事情
などなど興味深い話が満載であった。

 「相手の立場からみる」事が大切だと教授は言う。まさにその通り。前々回に述べたが、今年は関わりあいのある人達との関係を大事にしたいと思っているが、その基本となるべき考え方だ。今回中国人の話を聞いて、「日本人てやっぱり良いな」と思う一方、彼らには彼らの世界があるのだと広く思える。これからもそんな気持ちで臨んでいきたいと思うのである・・・


【本日の読書】
「バフェットの教訓」メアリー・バフェット&デビッド・クラーク




     

2010年1月7日木曜日

お正月はラグビー

 ラグビーというと「お正月のスポーツ」というイメージを持っている人はかなりいると思う。まあ高校・大学・社会人と、全国大会がこの時期開催されるので無理もない事であるが、この時期試合をしているのは、「勝ち残った一部のチームだけ」なのである。

 もっともそんな一部のチームのハイレベルな試合を堪能できるのもこの時期のいいところである。結婚前は1月2日の大学選手権準決勝2試合は毎年欠かさず国立競技場に観戦に行っていたものである。最近は大阪の妻の実家に行く日なので、観れたり観れなかったりである。そして今日は高校生(花園)の決勝戦があった。

 優勝した東福岡高校は、今年はダントツの強さで優勝してしまった。まだ昼間の試合のビデオは見ていないが、ここまでの圧倒的な強さは全盛期のマイク・タイソン並みである。先日友人がベスト4に大阪朝鮮高校が残っているのを差して、「優勝したらどうする?」と不安気に聞いてきた(ちょっとアブナイ発言である)。しかし、私はベスト8の試合をダイジェストで見比べていたので、「大丈夫!東福岡に勝てるチームはいない」と断言していたが、その通りとなった(もっともその高校はベスト4で消えていったが・・・)。高校生といえども馬鹿にはできないものがある。

 大学生は今週末に対抗戦の帝京大学とリーグ戦の東海大学の決勝戦が行われる。どちらかと言えば現役時代に対抗戦で試合をした帝京に愛着があるので、やっぱり帝京を応援する事になるだろう。テレビでじっくり観戦だ。

 こんな具合にたくさん試合を観ているとやっぱり沸々と湧き上がってくるものがある。
「ラグビーやりてぇ~!」
と心から思うのである。

 今でも高校や大学のラグビー部にはシニアチームがあってやろうと思えばそこで出来ない事もない。しかし高校のシニアチームの試合など観ていると「そんな醜態を晒してまでやりたいか?」と思えてならない。60を過ぎたじいさんたちが、昔を懐かしんでよぼよぼとラグビーの真似事をしているのは微笑ましいのを通り越してみっともない。あんな中には入りたくはないものだ。

 私がやりたいのは現役時代さながらの正面からぶつかり合うラグビーだ。何かあれば即座に胸倉をつかみ合うような緊張感溢れる試合だ。ただ、運動不足で鈍りきった体では土台無理な話である。仕事から離れて2ヶ月くらいの時間があれば、筋力以外はかなり元の体に戻せるのではないかと思うが、それはまず無理な話。もうああいった緊張感のある試合はできないのか、と思うと何だか切ない気持ちになる。

 現役時代は練習を休みたいなと思ったり、何でラケット持って女子大生とテニスする方を選ばなかったんだろうと思ったりした事もあったが、あの時はラグビー漬けの、今から思うと本当に幸せな時代だったのだ。今やその時代の名残りと言えば、たまに集まってバカ話をする仲間たちだけだ。それはそれで良いのだが・・・

 まあそんな幸せな時代を過ごせた事を親に感謝しつつ、今週末はゆっくりと試合観戦をしたいと思うのである・・・


【本日の読書】
「家族の言い訳」 森浩美
「逆説の日本史16」井沢元彦
    


2010年1月4日月曜日

新春雑感

 大晦日から新年にかけて、我が家のスケジュールは毎年決まっている。大晦日に最後の大掃除と昼に年越しそば。夜は紅白を見ながらすき焼き。元旦は近所の北野神社に初詣に行き、破魔矢を買って帰る。午後は私の実家へ新年の挨拶に行く。2日から妻の実家(大阪)へ行く。当日午後はそのまま道明寺に初詣に行き、ここではおみくじを引き、なぜかベビーカステラを買って食べる。
とこんな具合だ。

 結婚以来、これは不変である。決まりきったスケジュールというのもこの時期は良いものだと思う。毎年どうしようかと悩む必要はないし、それは我が家に限らず、双方の実家もそうである。子供たちも年末年始とはそういうものだと思うだろうし、いつか巣立っていったあとも、「実家ではこうだったな」と思い出すだろう。

 いつもみているある人のブログでは、そこも年末は年に一度のすき焼きだという。もう定年を過ぎているその方は、この飽食の時代は食べ物にありがたみを感じなくなったと言う。昔は盆暮れのみ食べられた白米が楽しみで楽しみで仕方がなかったが、今はそんなにまでして食べるのが楽しみなものはない、と。贅沢に慣れ、その結果感動を失っていると・・・

 確かにそうである。その家では家族全員が年に一度の大晦日のすき焼きを心待ちにしているという。それが心地よいのだ、と。そういえば、我が家もすき焼きと言えば普段あまりしない。別にできないわけではないし、たまたまなのだが、言われてみればそういう考え方もある。「すき焼きは年末のみ」と決めるのもいいかもしれない(事実、1年振りのすき焼きは某所のおいしい肉を使ったせいもあって、美味だった)。

 大阪へ移動したあとの道明寺への初詣。これは妻の実家の恒例行事。私は内心毎年この日に行われるラグビー大学選手権準決勝2試合の方が気になって仕方がなかったのだが、第1試合の後半と第2試合の前半だけ観て、参拝した。

 参拝した後はいつもおみくじを引くのである。今年は小吉。だからどうだという事もないのだ。日本に生まれ育った以上、そうした風習に染まるのも悪くはないし、大事にしたいと思う。昨年も書いたが、「神仏は尊ぶが神仏を恃まず」で、風習としての神事には積極的に関わりたいが、困った末の神頼みだけは神様にも申し訳ないし、避けたいと思っている(といいながら昨年は密かに何度か弱音を吐いてしまったが・・・)。

 今年もまたその不変のスケジュール通りの年末年始を過ごした。家族はそのまま大阪で過ごし、私は本日帰京(1日休みをいただいたのである)。夜は大学ラグビー部のメンバーと久々に酒を酌み交わし、楽しい一時を過ごした。明日からの仕事始めに気分良く臨める。今年の目標はといえばいろいろあるが、関わり合いのある人達との関係を大事にしていきたいと思う。どんな一年になるか、すべて自分次第だ。

 ラグビー部の友人が別れ際、「良いお年を」と言ってくれた。そう、2010年は始まったのだ。その通りに今年もいい年にしたいと思うのである・・・


【本日の読書】
「くるま椅子のパティシエ」 ニッポン放送編
「逆説の日本史16」井沢元彦

     

2009年12月31日木曜日

現役

「年の瀬や 川の流れと 人の身は あした待たるる その宝船」
  宝井其角と赤穂浪士の大高源吾が交わした歌

年の瀬の「瀬」は、川が浅く流れが急なところを指す。一年のうちでもこの時期は急き立てられるように時間が経過する。昔の人は、急流を船で越すように、年の暮れを乗り越えるという感覚であったというが、それは現代でもあまり変わらないように思う・・・
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 工藤公康投手が現役続行を宣言し、横浜から西武へと移籍する事になった。古巣に復帰するわけであるが、かつて西武に在籍していた時はエースとして何度も優勝に貢献した。FAでダイエー、そしてジャイアンツと移り、3年間横浜に在籍した上での古巣復帰である。46歳、現役生活26年はこれまでの野村監督の記録を抜いて歴代最長である。

 さすがに横浜移籍以降は勝ち星も少なくなり、とうとう戦力外通知を受けた。それでも現役続行を宣言して西武に復帰である。行く先々で中心投手として活躍し、知名度も高くもうそうとう稼いだであろう。プロ野球選手は体力勝負。40歳を越えて現役でいる事は難しいだろう。西武に復帰してもエースどころか、中継ぎとかワンポイントリリーフとか、そんな脇役的なマウンドとなるだろう。なのになぜ現役を続けるのだろうか?

 確かな事は、お金や名誉や記録のためではないだろうという事だ。それらはもうみんな手にしているはずだ。体を気遣った食事メニューなんかも有名だし、そこには一日でも長くマウンドに立ち、一球でも多く投げようという強い意欲が伺える。たぶん野球がとことん好きなのだろう。

 引退したジャイアンツの桑田も最後はジャイアンツで勇退の道を断って、あえて投げる機会を求めてメジャーに挑戦した。全盛期の選手のような流行のメジャー行きではなく、ジャイアンツで投げる機会が与えられないまま引退していくのを避けるための悲痛なメジャー挑戦だった。残念ながら有終の美を飾るというわけにはいかなかったが、「まだ投げたい」という気持ちには感じるものがあった。

 サッカーの元日本代表、ゴン中山も戦力外通知にめげず、現役続行を宣言して格下のJ2チームに移籍した。すでに十分な実績と名声があるだろうし、辞めても食べていくことは十分可能だろう。あのキャラクターであれば、タレントとしてもやっていけるだろう。にもかかわらず、陽の当たらないJ2チームで新しいシーズンを迎える道を選んだ。それは金のためであるはずがない。やっぱりサッカーが好きで、まだまだやりたい、やれるという気持ちが強いのだろう。矢吹丈のようにまだ心の中で燃えきらない灰が燻っているのかもしれない。

 ずっと続けてきた事を、ただ好きだから続けたいという気持ちだけで努力を続ける姿には心打たれるものがある。工藤や中山のファンだったというわけではないが、やっぱり一日でも長く現役を続けられるように応援したいと思う。

 スポーツ選手に比べたら体力的な限界はないのかもしれないが、アーチストの中にもそういう人はいる。矢沢永吉は還暦を迎えてもなお、現役のロックンローラーを続けている。桑田佳祐はいまだに同世代のみか若者にも受ける新曲を出し続けてヒットチャートに君臨している。新日鉄釜石で一時代を築いたラグビーの松尾は、今はラグビーでは2流の成城大学の監督をやりながら日本のラグビー界を底辺で支えている。

 工藤に現役最長記録を抜かれるまではずっと記録保持者だった野村監督の現役時代の座右の銘は「生涯一捕手」だった。自分はずっと一人のプレーヤーだというアイデンティティーをもって現役を続ける姿は見習いたいと思う。自分にはそんな一流の何かがあるわけではないが、気持ちだけはそういうつもりでいたいのだ。

 慌しい年の瀬。日付が変われば新しい年が明け、気がつけばいつもの日常生活。日々の生活の中に流される事なく、来年も何か心に残るような事を一つでも多く残したいと思うのである・・・


【本日の読書】
なし


     

2009年12月28日月曜日

ライバル2

 受験の時に久しぶりに会った彼であるが、まったく変わっていなかった。お互いの嗜好も合わないまま。当時私はアントニオ猪木と新日本プロレスのストロングスタイルのプロレスが好きであったが、彼は全日本プロレスの天龍源一郎のファンだった。私は天龍のドンくさいプロレスは嫌いだった。

 一緒に受験し、一緒に合格発表を見に行った。受かるかどうか不安だったが、かと言って別々に行くのも逃げているようで嫌だったのだ。合格発表を見に行く道中、彼は自分は落ちると思っていて、浪人に備えて準備していると私に語った。ラジオ講座のテキストを買い、家で勉強しながらバイトもして、毎月2万円家に入れるのだと、そんな計画だった(私はといえば、その時自分だけ受かったら彼に何と慰めの言葉をかけたらよいだろうかと考えていたのである・・・)。彼は家があまり豊かではなく、したがって受験は国立のみ、予備校なんてとんでもないといった具合だったが、その点では彼も偉かったのだ。

 合格して飛び上がって喜ぶ彼の横で、私は掲示板を隅々まで探したが、自分の受験番号は見つけられなかった。屈辱的だったがオメオメ帰るのも癪だから合格手続きに付き合った。1年くらいの遅れはどうって事はない、来年受かれば良いのだ、そう自分に言い聞かせた。

 だが問題があった。予備校に行って受かっても、それはむしろ当然で、彼に追いついた事にはならない。彼がやろうとしていたのと同じ条件で受からないと・・・それで帰りの電車の中で、私は彼に自分も予備校には行かないと宅浪宣言した。彼は浪人生活に備えて自分が買っておいたテキスト一式を、その日のうちに私の家に届けてくれた。

 親や親戚はなぜ予備校に行かないのか、としつこく聞いてきた。私は浪人生は現役よりも遥かに使える時間が多い事、勉強するのも受験科目だけで良いこと、したがって現役生より有利であり問題はない、と論理的に答えていたが、本当のところは彼に負けたくなかったからなのだ。とはいえ、さすがに家に2万円入れるのは困難だったからやれなかったが・・・そして翌年、私は宣言通り彼に1年遅れて志望大学に合格した。

 彼は目標に向って猪突猛進するタイプである。弁護士になるのが目標で、脇目も振らず勉強して弁護士になった。同じ目標を立てて、同じ法学部で学んでいたが、私は法律と肌があわず、方向転換して金融の世界へ進んだ。法律は言ってみれば私にとっては「長距離走」と同じで、自分が生きるフィールドではないと判断したので、それは問題ない。

 あとはどれだけ充実した人生を送るか、だ。大学時代はそれなりに勉強したし、何よりラグビー部に入って世界が広がった。彼の4年間よりは充実していたはずだ。彼はまったくの奥手だから、女の子と付き合った経験だってこちらの方が上だろう(もっともフラれたのをマイナスとカウントするとトータルでは惨敗してしまうが、プラス面だけ比較することにする)。

 収入面では劣るかもしれないが、子供はうちの子の方が絶対可愛いだろうし、仕事面の充実振りや、仕事以外での世界の広がりでも負けていないだろう。もう10年以上会っていないが、いつか会った時にこの充実振りを見せつけてやるのだ。特急電車の如く人生を送るあいつに、各駅停車ながらも一駅一駅で人生を楽しむ姿をみせてやりたいと思うのだ。まだまだ負けるわけにはいかない。そのためにも来年もより一層心豊かに楽しく過ごそうと、そんな風に思うのだ。

 もうまもなく、あいつからまた味気ない年賀状が届くはずだ。それを凌駕する明るい年賀状を送りつけないといけない。今年は遅れをとったが、これからやるとしようと思うのである・・・


【本日の読書】
「よくわかる経営分析」高田直芳
「ストロベリー・フィールズ」小池真理子
     

     

2009年12月27日日曜日

ライバル1

 就職試験の面接で、「ライバルはいますか」と学生たちに尋ねると、「ライバルは自分です」と8割方が答えるそうである。そもそも今の時代ライバルのいる人なんていったら、何かスポーツでポジション争いをしているとか、そんな人だけなのではないかな、とふと思った。かく言う私自身も、これまでライバルなどと呼べるような存在はいなかった。

 「いなかった」と言いつつも、一人の男の顔が脳裏を過ぎる。その男は小中学校の同級生だ。といっても決してライバルという存在ではない。「ライバル」を定義するなら、「同レベルで甲乙つけ難く争っている者」と言えるだろう。そういう意味でも彼はライバルではない。

 確かに何かにつけて張り合っていた事は事実だ。小学生だから、それは本当に些細な事だった。例えばなぜか彼は中日ドラゴンズのファンだった。ジャイアンツファンの私とは、したがってよく互いの勝敗に一喜一憂していたものだ。ちょうどジャイアンツがV10を逃した年に優勝したのがドラゴンズだったから、彼は有頂天だった。私はその年の最終戦、長嶋茂雄が自らが引退するまさにその試合で、相手のドラゴンズからホームランを打って一矢報いた、といった具合だ。

 野球と言えば、彼も私もチームこそ違えど近所の野球チームに所属していた。彼の運動神経はお粗末そのもので、野球をする姿は滑稽。下手なお笑い芸人より笑わせてくれた。スポーツ全般で彼は私の足元にも及ばなかった。しかし、そんな彼でも唯一得意だったのが長距離走だった。

 中学生の時に品川区のマラソン大会に出場し、5キロ走った事がある。エントリーしたあと、彼と私を含む4人ぐらいで練習し、本番を向かえた。4人の中でトップは彼で、私は2番。もっともその時から、ただ黙々と走るだけの長距離は退屈この上なく、好きになれなかった私は、負けても悔しくもなんともなかった。長距離は私が闘うフィールドではないのだ。今も長距離では、他では負けず嫌いを自負する私でも、負けて悔しいという気持ちは起こりえない。

 将棋も彼には負けた事がない。彼は「将棋世界」という雑誌を定期購読し、勉強して初段をとった。私にそれを自慢しに来たが、ではと勝負をしてはそれまで通り返り討ちにした。無冠の私は彼にたった一度引き分けただけで、無敗を守り通したのだ。とてもではないが、彼は私のライバルたり得なかったのだ。

 高校は互いに違う都立高校に進学したため、年賀状だけのやり取りになった。大学受験を間近に控えたお正月、彼からの年賀状に息を飲んだ。彼はそこで私が目指しているのと同じ大学を受験すると宣言していたのだ。しかも同じ法学部だ。プレッシャーがかかってしまった。彼が長距離走に加えてもう一つ私より勝っていたものが、「勉強」だったのだ・・・

     


2009年12月24日木曜日

サンタクロース奮闘記

 街にジングルベルが流れるこの季節は、子供の頃から大好きな季節である。大人のクリスマスには反発を覚え(あんまり良い思い出がない)、浮かれている人達に向かっては、「けっ!」となってしまうが、やっぱり子供の頃からの印象ゆえか、この時期は心ウキウキするものがある。

 とはいえ、大人は大変である。早くから我が家の子供たちにサンタさんにお願いするものをリサーチし、心積もりをする。長女はDSの「ともだちコレクション」。長男は仮面ライダーWのベルト。

 12月に入りそろそろ買いに行くかと、会社帰りにまずはヨドバシカメラへ。ポイントが溜まっていて有効期限が近づいていたのだ。ところが、山のように積みあがったグッズの中に肝心のベルトがない。店員さんに聞いてみたら、売り切れでいつ入荷するかわからない、との事。たらり、と何やら嫌な予感とともに冷や汗が流れる。

 翌日仕事を早目に終えて、池袋へ。最初に行ったトイザらスも売り切れ。ならばと向ったヤマダ電機もビックカメラも売り切れ(最近は家電量販店でおもちゃを買う時代なのだ)。どうしようかと頭を抱えていたら、やっぱり仕事帰りと思しきサラリーマン風のサンタクロースがやってきて、キョロキョロしている。向った視線の先はといえば、ほんの少し前に藁をもすがる心境で私が何度も眺め回した棚。「売り切れみたいですよ」と優しい言葉をかけたくなった。そのあとの西武・東武のデパートもなし。

 さればとてネットで検索すると、4,700円ちょっとのベルトが、7,000~8,000円の価格はザラで、中には15,000円なんてとんでもないプレミアムがついて売られている。いくら子供のためとはいえ、そこまでしたくはない。みんなが殺到すれば、そんなところへは行きたくないという反発精神がこんなところでも働いてしまう。

 17日にはヤマダ電機で売り出しとのニュースをキャッチしたが、朝一で完売したらしい。豊島園のトイザらスは18日に入荷したが、私も妻も両方都合がつかず、やっぱり諦める。もっと早くに動けばよかった。やむなく第2希望のリボルキャリーに変更。

 こちらも南田中のヤマダ電機やトイザらスでは先週末に売れきれになり、明らかにベルトから流れてきたサンタが買っている傾向が伺えたので、あちこち走り回りダイエーでGET!(トイザらスより1,000円高かった・・・(T_T))

 思い起こせば、子供の頃サンタさんに救急車をリクエストしていたが、消防車をもらった事があった。「なかったんだって」という父親の説明に「ふ~ん」と答えた記憶がある。あの時のサンタもきっと仕事帰りに、今はなき武蔵小山商店街のおもちゃ屋「ささや」で探したんだろうなと思う。救急車がなくて、サンタさんがその時どんな心境だったか、今ならわかる気がする。

 いろいろとサンタさんにプレゼントをもらったと思うのだが、なぜだか覚えているのはその時もらった消防車の事だけだ。サンタさんの残念な気持ちが伝わったのかもしれない。ベルトをもらう気満々の長男はどんな反応を示すのだろう。もっと早くに動いていればと残念で仕方ないが、ひょっとしたらリボルキャリーもずっと記憶に残るプレゼントになるかもしれない。そうだと少しは報われる気もするが、どうだろうか。

今夜、そんな親の心は知らず、子供たちはどんな夢をみているのだろうかと思うのである・・・
  
 
【本日の読書】
「よくわかる経営分析」高田直芳
「ストロベリー・フィールズ」小池真理子

    
    
       

2009年12月22日火曜日

JINにみる真のプロフェッショナル

 本日は二十四節気にいう「冬至」。野菜が不足しがちなこの時期に栄養価の高いかぼちゃを食すのも、精油成分や有機酸類が含まれ香りのよい「柚子湯」につかるのも、健康を保つという発想から、経験によってその科学的効用を知っていたからであり、そこには無病息災への祈りが込められている。また、冬至は年間を通して夜が一番長く昼が最も短い日でもある。つまり、この日以降は太陽が出ている時間がしだいに長くなり、「一陽来復」と言われるように「陰極まりて陽再び生じ始める日」でもある。「悪いことが長く続いたあとで,ようやく良い方へ向かうこと」という意味でも使われるが、一陽来復、季節が巡るように、誰のもとにも良い時期が必ず巡ってくるものだと、そう信じたいこの日この頃である・・・
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 テレビドラマ「JIN」が、先日最終回を迎えた。我が家の奥様も「話しかけないで!」とあらかじめ周りをシャットアウトしてテレビの前に陣取っていた。私自身はこのドラマは観ていない。しかしながら週に一度の楽しみにしている漫画喫茶で毎週1巻ずつ読んでいる。ドラマはほぼ原作通りに進んでおり、原作はまだまだ続くのであるが、ドラマは途中で終了となったようである。

 ストーリーは現代に生きる医師南方仁が江戸時代にタイムスリップしてしまう話である。140年ほど前の時代に現代の医療技術を持った医師がタイムスリップしたら・・・ちょっと想像しても面白そうであるが、実際漫画も面白く、ドラマも久々のヒットで視聴率も良かったようである。

 ところで原作を読んでいてつくづく思ったのである。現代の医師であれば誰でも南方仁のように活躍できるわけではないだろうな、と。ドラマの面白さはひとえに南方仁の創意工夫にかかっている。何せ現代医学の知識があるとはいえ、時は江戸時代、満足な道具が揃っているわけではない。仮に病名と手術の仕方を知っていても、何もない江戸時代ではどうしようもないだろう。

 例えば、エピソードの一つとして南方仁が梅毒治療のためペニシリンを精製するところがある。当時はまだペニシリンが発見されていない。「ペニシリンが効くんだがなぁ」と言ったところで、誰も凄いなんて言ってくれない。現代の医師であってもぶつぶつ言っているだけだったら、ただのでくの坊だ。ところが南方仁は、曖昧な記憶を頼りに手に入るものを使ってペニシリンを精製するのである。

 また、麻疹やコレラの流行に際しても、独自に工夫した点滴や原始的な療法で被害の拡大を防ぐ。江戸煩いとまで言われた脚気も、ビタミンB1を含む食物を取る事で治療する。ビタミンB1を多く含む食物を取ろうとしなかった患者に対しては、現代のアンドーナッツ仕立てのお菓子にして食べさせるといった工夫までするのである。そこには単に医療技術に留まらない、医学知識や食物や昔の人の知恵などの深い知識が見え隠れする。「設備が整っていないから治療できない」などと言っている医師にはとうていできない事である。

 現代は確かにかつてから比べたら遥かに進んでいる。しかし上っ面だけ使いこなせているからといって、果たしてそれが本物だろうかと考えてみてしまうのだ。例えば今の自分が江戸時代にタイムスリップしたとして、銀行員としての知識で当時の人々の尊敬を集められるようなものを、果たして示せるだろうか。「EXCELを使えば簡単に導き出せる」値を果たして紙と鉛筆で出せるか、と言ったらかなり心もとない。それどころかソロバンも使えないし、きっと商家の丁稚にも笑われてしまうに違いない。そういう意味では技術系の人なんかは有利かもしれない。

 技術系は確かに有利な部分はあるかもしれないが、自分の持っている知識と経験とが「道具頼み」になっていないかはよく考えてみる必要がある。何も江戸時代にタイムスリップしたら、なんて空想をする必要はない。アフリカあたりに行って、現地で放り出されたとしたら食べていけるかどうかでもいいかもしれない。言葉の問題はあるとしても、そこでも通用するようなものを身につけていたいと、漠然とではあるが思うのである。

 ドラマは終わってしまったが、原作はまだ16巻中の8巻目。終末の金曜日の仕事帰りに寄る漫画喫茶。まだまだゆっくりと楽しめそうである・・・


  
【本日の読書】
「よくわかる経営分析」高田直芳
「ストロベリー・フィールズ」小池真理子

    

2009年12月19日土曜日

フランダースの犬

今年生まれた赤ちゃんの名前ランキング

【男の子】             【女の子】
第1位(昨年1位)大翔「ひろと」 第1位(昨年4位)凜 「りん」
第2位(同6位)翔太「しょうた」   第2位(同 8位)さくら
第3位(同2位)蓮 「れん」      第3位(同 3位)陽菜「ひな」
第4位(同8位)颯太「そうた」     第4位(同 5位)結愛「ゆあ」
第5位(同10位)蒼空「そら」    第5位(同 6位)結奈「ゆな」
(ベネッセコーポレーション調査)
なんだか漫画の主人公みたいだなと思ってしまった・・・
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 自分が本好きだという理由もあるが、子供には読書の習慣をつけさせたいと常日頃考えている。小さい頃は図書館で借りてきた紙芝居を中心にし、やがて絵本から徐々にレベルを上げていく。幼稚園年少の長男は紙芝居と絵本が中心。小学校3年の長女には図書館で目についた本をパラパラとめくって、なるべくきちんとしたストーリーのモノを選ぶようにしている。

 自分で選ばせると、「ずっこけ3人組の~」とか「解決ゾロリシリーズ」なんかを読みたがるから、こちらでも選んでいるのだ。もっとも楽しいのが一番だから、そういうのも禁止したりはしないし「ブラック・ジャック」もそんなわけで読ませている。

 しかし、どうにも何か物足りない。もっと何か娘の心にインパクトを与えるようなものを読ませたいと思っていた。そんなところに思い出したのが「フランダースの犬」である。ちょうど日本版「フランダースの犬」という触れ込みの映画のCMをやっていたので思い出したのだ。「これだ!」と。

 さっそく読ませる事にした。実は私もいつだったか子供の頃、従妹の家でこの本を偶然読んだことがある。一気に読んでしまったのだが、その時子供心に大感動してしまった。ちょうど今の長女くらいかもっと小さかった頃だからちょうどよい。長女がどんな反応を見せるだろうか、とわくわくしながら何気なくページをめくる・・・

 おじいさんと二人暮らしの少年ネロが、虐げられて弱っていたパトラッシュを見つけ一緒に暮らし始める。貧しい中、ネロはパトラッシュと牛乳配達をして家計を助ける。絵が好きで、一度でいいからルーベンスの絵を見たいと憧れるも、お金がなくて見られない。そんな願望を友達の少女アロアを描いて紛らす。

 ある日アロアの家の小屋が火事になり、貧乏なくせに娘と仲良くするとネロを快く思わないアロアの父によりネロは放火の濡れ衣を着せられる。それが元でネロは仕事を失う。おじいさんも亡くなり、お金がなくなり、住んでいた家も追い出され、飢えと寒さの中、行き場を失ったネロは最後に憧れていたルーベンスの絵が飾られている大伽藍に行く。そして月明かりの中、ようやくルーベンスの2枚の絵を見る事ができたネロは、パトラッシュとともに静かに眠りにつく・・・

 何十年か振りに読みながら、不覚にもまたうるうるしてしまった・・・最近涙腺が緩くなっているから、子供の前だと危ない。それにしてももう少し周りの人達が早く手を差し伸べていたら、と子供のお話にも関わらず真面目に考えてしまう。自分はそんな時に手を差し伸べられる大人でありたい。そんな風に思う。

 さて、長女はこの本を読んでどんな感想を持つのだろうか。ちょっと楽しみである・・・


ネロが最後に見たルーベンスの絵
















2009年12月16日水曜日

終末のフール

 「終末のフール」を読んだ。ここでは詳しくは述べないが、小惑星の衝突により3年後に人類が滅亡するとわかった仙台市内のあるマンションの住人たちを描いた小説である。
読みながら、また妄想を膨らませた。もしも、3年後に人類が滅びるとしたら、自分はどうするだろう・・・

 たぶん、腹を括って残りをいかに充実して過ごすか考えるだろう。仕事は辞めて、子供たちと遊び、毎日映画を観て、本を読み、日本国中を車で旅するのもいいだろう。ハワイに行って、青い海と空を眺め、ビーチパラソルの下でトロピカルドリンクを飲んで、本を読むのだ。その前に少し走ってシェイプ・アップしないといけない。そうして最後の日を穏やかに迎えるのだ・・・

 となんとなく考えたが、ふと気がついた。他の人はどうするのだろう、と。そして重大な事に気がついた。みんながそんな風に考えたら、大変な事になる・・・

 当たり前の事だが、この世の中は相互依存社会だ。何をするにもどこかの誰かの力が必要になる。映画を観るには創る人がいて、上映する映画館があって(もちろん、そこで働く人がいて)、本屋さんで働く人がいないと本は買えないし、テレビもビデオもDVDも、そもそも電力の供給が止まったらそこまでだ。

 銀座に行くのだって西武鉄道の人達が働いていないといけない。車だってガソリンを供給してくれないとすぐに鉄くずだ。それに何より食料の流通に携る人達がいなくなったら、食べるものもなくなる。ただでさえ、食料自給率の低い我が国だ、たちまち飢えてしまう。食料の争奪戦が始まっても治安を維持する警察官が働いていなければ、まさに弱肉強食の無法地帯。3年どころか3ヶ月ともたないかもしれない・・・

 つまり、仕事を辞めて余生を面白おかしく過ごすためには、社会に生きる人達に今まで通り働いてもらわなければならない。それはまた自分も働かなければならないという事だ。「2012」では、混乱を恐れた各国首脳は人類滅亡のニュースを伏せて水面下で箱舟を用意した。終末のフール」では逆に8年前に公表し、混乱の5年間を過ごした。やっぱり、公表されて知ってしまうと自滅する可能性の方が高そうだ・・・

 でも調和を重んじる日本人なら、ひょっとしたらすべてを説明されれば、今の秩序を維持しながら最後の日を迎えられるかもしれない。一部には自暴自棄になる者たちも出てくるだろうが、みんなで協力し合って3年間を平和に過ごそうとなったら、他ならぬ我々日本人ならできるかもしれない。そんな風に思ってしまう。単なる希望的観測かもしれないが、できないとも言い切れない。

 自分はどうだろうか。たぶんそういう説明がなされれば、今と同じように働き続けるだろう。毎日映画を観て、本を読んで、日がな一日子供と遊ぶ優雅な生活は、今でも出来ないのだから仕方がない。まあ残り1週間となったら、そこらあたりでいよいよ休むかもしれない。途中1週間くらいの休暇ならこれまで通り取れるだろうし、短い時間だがハワイでトロピカル・ドリンクも堪能できるだろう。もしも、そんな事態になったとしても、やっぱり世の中の為に働き続ける意識は大事だと改めて思った。

 妄想はあくまでも妄想だ。果てしない妄想だ。だが、どんな事態になったとしても、やっぱり世の中の一員だし、自分なりに果たせる役割をはたさないといけない。そんな自覚を持ち続けたいもだと思うのである・・・


【本日の読書】
「よくわかる経営分析」高田直芳
「ストロベリー・フィールズ」小池真理子



     

2009年12月15日火曜日

ネコ派な自分

年間ベストセラー
総合1位 「1Q84」(1)(2)  
  2位 「読めそうで読めない間違いやすい漢字 誤読の定番から漢検1級クラスまで」 
  3位 「ドラゴンクエストIX 星空の守り人 大冒険プレイヤーズガイド」
  4位 「新・人間革命」(20)  
  5位 「日本人の知らない日本語」        
   (トーハン調査より)
なんと一冊も読んでいない・・・
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 前回の記事を書いていて考えた。昔から犬派、ネコ派という議論がある。どちらかと言えば私はネコ派だ。高校生の時から実家でネコを飼っていた、という事実もその大きな要因であるのだが、性格の違う犬とネコとを比較すれば、やっぱりネコの方に近いと思うからである。

 ネコは人に媚を売らない。
犬に比べれば可愛げがないかもしれない。犬を飼っているある友人が言うには、なんで犬が可愛いかと言うと、「家に帰った時に家族で唯一玄関まで迎えに来てくれる(しかも尻尾を振って嬉しそうに)」からだそうである。確かに、誰も迎えてくれない私としては、もしもそんな犬が迎えに出てきたら愛おしく思うだろう。ネコは絶対そんな真似はしない。

 唯一、人に寄ってきて甘えるのは腹が減った時だ。餌をくれる人(実家では母親だった)に擦り寄ってにゃーにゃー鳴く。しかしそれも甘えるというよりは、腹が減ったと茶碗を叩く子供のようで、媚びるというよりも「早くしろよ」と言っていたのかもしれない。

 夜になるとよく私の布団に潜り込んできたが、それも恋人が彼の布団に潜り込んでくるようなかわいらしいものではなく、そろそろ温まった頃だから入ってやろうと言わんばかりだった。きっとプライドが高いのであろう。ごろりとする時も畳の上ではなく、座布団の上だったり、何もないと人が読んでいる新聞の上だったり、とにかく直接座ったりはしない。読んでいる新聞の上にどさりと座られ、おもむろに体中を舐めて毛づくろいされると、その偉そうな態度に呆れる事しばしばだった。

 遊んでやるかと呼んでみても、興味なさそうにあくびしてそっぽ向くことしばしば。呼んだ立場がないだろうと文句を言ったものである。それでも気が向いて遊ぶ時は真剣だ。ネコじゃらしなどには目の色を変えて追い回す。顔を掌で掴むと、前足でその手を掴み、後ろ足でこちらの前腕部に連続ネコキックをかましてくる。こちらがその気になって本腰を入れようとすると、さっと興味を失ったように向こうへ歩いて行って座布団にどかりと座る・・・

 人が右へ行くなら我は左と思う私としては、たぶん前世が犬かネコのどちらかだとしたら、間違いなくネコだと思う。プロレスを観戦していても、周りが興奮して拳を振り回す中で一人じっくりとリングを見つめているし、全員総立ちのコンサートは「じっくり座って聴けない」という唯一の理由で行きたいと思わない。映画『2012』で人を押し退けたくないと思ったのも同じ理由だ。

 昔読んだ星新一のショートストーリーでは宇宙からやってきた宇宙人に、この星の支配者は人間ではなくて自分たちだよと語るネコの話があった。人間は自分たちに仕えるために文明を築き、働いているのさと座布団の上に寝転んで宇宙人に答え、その宇宙人はなるほどと頷く内容だった。それもある意味事実なのかもしれない。

 人間からすれば媚を売らずに可愛げがないかもしれないが、ネコはなんとなく自分の世界をしっかりと守っているような気がする。その昔書いた自作の童話もネコを主人公としたものだったのは偶然だが、やっぱり自分は犬派よりはネコ派だよな~と思うのである・・・



【本日の読書】
「天使と悪魔(下)」 ダン・ブラウン
「ストロベリー・フィールズ」小池真理子

      

2009年12月12日土曜日

ペット天国

【夫婦に関するいくつかのアンケート調査結果より】
●既婚者に聞いた夫婦円満の秘訣
20代・・・「会話の時間を多くもつ」
60代・・・「プライバシーの尊重」

●「生まれかわっても、今の配偶者と結婚したいと思いますか」
20代男性・60代男性ともに・・・半数以上が「YES」
20代女性・60代女性ともに・・・半数以上が「NO」

●夫や妻にほぼ毎日イラッとする・・・夫が7%、妻は23%
週1~3回の頻度でイラッとする・・・夫が36%、妻は63%

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この時期にしては暖かな本日、年末大掃除第一弾として私は窓のシャッターを洗っていた。そこへ通りかかった犬を連れた年配のご夫婦と、やっぱり犬を連れて買い物へ出かけようとして出てきたお向かいの奥様が鉢合わせ。そこで互いのペット談義が始まった。話の内容からするとお互い見ず知らずの間柄だったようであるが、互いのペットをだしにして5分ほど話し込んでいた。我が家ではペットを飼っていないが、ご近所ではかなりの家でペットを飼っている。

 かつて動物を飼うという事は、牛や豚や鳥は食用だし、馬は使役、犬は番犬か猟犬といった具合に、それぞれ働く役割があった。昔、御代田の伯父の家でもネコを飼っていた。が、それは「ネズミ対策」のためであった。したがってその家のネコも「ネコっ可愛がり」されていたわけでもなく、餌は残飯のいわゆるネコマンマだし、生まれた子猫はおばさんが「沢にぶちやる(捨てる)」有り様だった。

 そんな動物たちは、現在は(特に都心では)「家族」という新たな役割を与えられている。餌やら服やらはどんどんと進化し、贅沢になっている。先日仙台に出張した際は、郊外にペット専用霊園ができているのを発見した。そんな環境下だから、ユニ・チャームグループのユニチャームペットケア株式会社などは、今や拡大する市場にあわせて業績絶好調だという。

 こうした背景としては、核家族化で家族が少なくなっている事もあるだろう。子供が巣立っていった後に残された夫婦が、それを埋めるためにペットを飼うというケースなどだ。そして何よりも世の中がそれだけ豊かになってきた証に違いない。今やペット可の賃貸マンションも喫茶店・レストランも珍しくない。ニュージーランドでは人間の数よりも羊の数のほうが多いらしいが、少子化の進む我が国もそのうち人間の数よりもペットの数の方が多いという事にもなるかもしれない。

 我が家には今のところペットはいない。二人の子供がいて賑やかだからいなくても何ら寂しい事もない。しかし、妻はいずれは犬を飼いたいと思っているようである。ほぼ毎日イラッとしている相手と将来二人っきりになったら堪らないと思っているのかどうかは定かではないが、「鎮静剤」としての役割を果たしてくれるのであれば、私としても歓迎したいと思うのである・・・


【本日の読書】
「終末のフール」伊坂幸太郎
「天使と悪魔(下)」ダン・ブラウン
 
     

2009年12月10日木曜日

ああ日本人

第一条 和を以って貴しとなす
第二条 篤く三宝を敬え、三宝とは仏法僧なり
第三条 詔(天皇の命令)を承りては必ず謹め 君は天なり 臣は地なり
                          (十七条憲法)
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中国に留学経験もある同僚氏。
彼の語る中国人の姿は誠に面白い。
今回はさらに韓国人の話も聞いた。

それは彼が中国留学中のこと、同じ留学生のクラスメート(日本人と韓国人)とでバス旅行に出掛けた時の事らしい。最初は日本人韓国人それぞれバラバラに満員のバスに座っていたという。それがトイレ休憩が終わってバスが走り出したところ、気がつくと通路上の補助席はすべて日本人で埋め尽くされていたという。というのも、トイレ休憩中に戻ってきた韓国人はみな通常座席に座ってしまったからだそうである。座席の上に荷物が置いてあっても、「勝手にどけて」座ってしまったらしい。日本人は「自分の席」に韓国人が座っているとおろおろしてしまい、結局残った補助席に座るハメになったのだという。クラスメートでも平気でそんな事をする韓国人に、彼は度肝を抜かれたらしい。

日本人ならレストランでもちょっとした小物でも置いてあれば、「誰かが席を取っているのだ」と考えて遠慮する。他人の(それもクラスメートのだ)荷物をどけて座ってしまうなどという事はしない。国際社会で日本人が出遅れるのは言葉の壁だけではないようだ。

そんな話を聞いていたら、先日ディズニーランドでの出来事が記憶に蘇ってきた。あるクリスマスのオブジェの前で写真を撮っている家族を見かけ、我が家も撮ろうと言うことになった。シンデレラ城をバックにしたそのオブジェは絶好のフォトスポットだったのである。すでに次を待っているらしい家族がいたので、我が家はその後に並んだ。そうしていざ我が家の順番が来て、ふと気がついたら後にずらりと列ができていた。

ちょうどパレードが終わったところだったので、通りかかった人が次々に並んでいたのである。みんなお行儀よく並んでいる。写真を撮る人達も1~2枚撮るとすぐ次の人に譲る。子供がもたもたしていたりすると、お母さんが「早くしなさい」と子供を叱る。誰に言われたわけでもないのに、自然に列をつくり、次の人の事を自然と考えての行動を取る。そんな話を彼にしたところ、「中国人や韓国人は絶対にそんな事はしない」と唾を飛ばしながら答えてくれた。

幼稚園では「かわりばんこ」「じゅんばんこ」と言われながら育つ。わんぱく坊主は時に従わなかったりしても、そういう環境の中で、自然とそうすべきだという事を身につけていく。そうした日本の文化は実にすばらしいと思わずにはいられない。我こそと人を押しのける事なく、周りとの調和を重んじる精神文化は、「逆説の日本史」の作者井沢元彦氏によると聖徳太子の十七条憲法にすでに見られるという。天皇よりも仏教よりもまず「第一条」に「和」が大事と謳われている。

マクドナルドでは、人を押しのけなくていかなくても順番に注文を聞いてくれる文化。スーパーのレジで気を抜いていても割り込みされる心配のない文化。なんと居心地のよい社会に我々は住んでいるのである。「日本の社会はすばらしい」と喜ぶと同時に、そんな社会をこれからもきちんと維持していこうとする努力を忘れてはならないだろう。安易な移民政策には断固として反対していきたいものである。

親としても一人の社会人としても子供たちに伝えていきたいカルチャーだと思うのである・・・


【本日の読書】
「終末のフール」伊坂幸太郎
「天使と悪魔(下)」ダン・ブラウン
  

            

2009年12月7日月曜日

みかん狩り

 昨日は家族と両親とでみかん狩りに行った。イチゴ狩りからスタートした我が家の味覚狩りシリーズ(イチゴ→さくらんぼ→桃→ぶどう)の最後を飾るイベントである。場所は神奈川県の山北村。東名高速大井松田インターから少し行ったところである。

 実は両親がここでみかんの木のオーナーとなっている。よくあるものだが、年間15,000円ほど出資し、手入れはすべて農家の方がやってくれ、収穫だけできるというものである。孫と触れ合いたい両親がその一心でオーナーになっているのである。

 一本の木と言っても今回はかなり実り多い木であった。目安として100キロという説明であったが、目算で15キロのダンボール8箱分くらいあったから、まあかなり良かったのではないかと思う。子供たちも喜んで鋏を持って収穫していた。3世代で和気藹々とやるのだから、まあいいレジャーなのかもしれない。

 それにしても、と例によってすぐソロバンを弾くのが私の習性。「我々の」木のあった一角にはおよそ30本くらい同じような木があった。@15,000円としてその一角で450,000円。他にどのくらい所有しているのかわからないが、仮に100本としても1,500,000円。それだけで食べていけるほどではない。

 実はこの日は村を上げてのオーナー祭り。前回は何もなく、みかん狩りしかできなかったが、お弁当を売っていたり、畑から取ってきた野菜を売っていたり、無料の豚汁サービスがあったりとなかなか賑やかであった。1,000円出すと畑で5種類の野菜の収穫まで体験させてくれたので、子供たちにもやらせる事にした。ジャガイモを掘り、蕪と大根を引っこ抜き、白菜を切り取り、山芋をほじくって楽しそうであった。こうした野菜の収入がどれほどかはわからないが、やっぱり農家は大変だろうと実感させられた。FTA(自由貿易協定)を恐れて、締結に反対する農家の考え方も現場を見ると理解できる。

 祭りの世話役はみんな高齢者だったが、若い人達の姿もちらほら見えた。きっと後継者なのだろう。オーナー祭りのようなイベントはひっとしたらこうした若い人達のアイディアなのかもしれない。宅急便の受付場所を設けたりして利用者の利便性も高められていた。100キロを越えるみかんとなると家族だけでは食べきれない。帰る時に見ると宅急便の箱が積み上がっていたので、大分利用があったようである。

 朴訥とした田舎の人達の手作り感丸出しのイベントで、不案内でおろおろする事も多かったが、その分肩肘張らずにのんびり楽しめたのも事実である。こうした都会の人を引きつける工夫を凝らせば、不況だなんだと暗い顔をしていなくてもすむかも知れない。仙台で元気に頑張る先輩の事を思い浮かべながらそんな事を考えていた。

 子供たちも喜んだし、両親も喜んでいた(帰りの東名高速の事故渋滞がなければもっと良かったのだが・・・)。また利用したいと思うが、農家の人達にも頑張ってこうしたイベントを続けてほしいものである。
 家族のためにも、日本の農業の未来のためにも、来年もまた行きたいと思うのである・・・


【本日の読書】
「サブプライム後の新資産運用」中原圭介
「天使と悪魔(下)」ダン・ブラウン
     

    

2009年12月4日金曜日

2012

 映画『2012』を観た。
地殻の大変動によって絶滅の危機に立たされた人類が、現代版箱舟を作って生き残ろうとする物語である。詳細は「マイシネマ日記」に譲るが、こういう映画を観るとつい「自分だったらどうするだろう」と考えてしまう。

 映画では4種類の人間が登場する。
すなわち、
 ① 箱舟に乗る権利があって乗ろうとする人
 ② 箱舟に乗る権利はあるが、(他人に譲って)乗らない人
 ③ 箱舟に乗る権利はないが、乗ろうとする人
 ④ 箱舟に乗る権利はなく、また乗ろうともしない人
果たして自分はどのタイプだろうか。

 もともと私は「人が右に行くなら我左」という天邪鬼的なところがある。だからみんなが箱舟に殺到し、そして明らかに全員が乗れないとわかったら、その時点で乗るのをやめるだろう。人を押しのけて行こうと思えば、たぶんかなり行けるとは思うが、なんとなくそれは自分の性分には合わないからだ。押しのける必要がなければ乗るかもしれない。

 だが、一人ならともかく、家族が一緒だったらちょっと微妙だ。自分の思いとは別のものが働くからだ。だから一人だったらという前提であれば、たぶん②か④になると思う。いざとなったら本当にそうするかどうかはわからないが、今の時点では取りあえずそう思うのだ。

 映画では登場人物たちはみな子供は守ろうとしていた。それはある意味当然だろう。ただ疑問に思うシーンもあった。それは母親が「自分はだめでもせめて子供だけでも」と頼むシーンだ。よくあるパターンだが、自分ならしないだろう。なぜなら、高校生ぐらいになって親がいなくても一人で生き抜いていけそうであるならともかく、そうでなければ、誰が困難な状況の中で他人の子供の面倒をみてくれるというのだ。それが本当に子供のためなのかは疑問だ。私だったら最後の瞬間まで一緒にいるだろう。

 映画「タイタニック」でもそうであったが、全員が乗れないボートに人を押しのけて乗り込むかどうかは難しいところだ。法律ではそういう危機下にある時は、乗り込むために人を殺しても罪にはならない。そうではあっても女性や子供を押しのけてまでボートに乗ろうとする人間にはなりたくないものだ。

 そんな事を考える事はくだらない妄想だろうか。私はそうは思わない。なぜなら人はとっさの時に普段考えている通りに行動するものだと思うからだ。「こういう時にはこうしよう」と考えていると、いざという時には反射的にそういう行動を取るものだと思うからだ。本当にそういう状況におかれた時には、迷わず恥じない行動を取れるようにしたいものである。

 だがやっぱり、願わくばそんな英雄的な行動を取って死後に名誉を称えられるような事が一生なければ、それに越した事はない。そんな妄想に耽るのは映画館の中だけにしたいと思うのである・・・


【本日の読書】
「サブプライム後の新資産運用」中原圭介
「天使と悪魔(上)」ダン・ブラウン
    
   

2009年12月1日火曜日

TDL

 昨日、娘の小学校が創立記念日で休みであったため、毎年この時期恒例のディズニーランドへ家族で行ってきた。12月生まれの長女は、入園時に誕生日シールを貼ってもらえるのを楽しみにしている。長男と私はこの日の為に休みをとってのて参加である。

 前日夜半から当日午前にかけて雨の予報。日程は動かせない。恨めしく思いつつも強行は規定路線。されど「晴れ男」の私としては、「何とかなるだろう」と思っていたのも事実。そしてその通り、夜半に降った雨は出発時には止んでいたのである。

 結果的にこの雨が効いたのだろう、例年よりも人出は少なかった。いくつかの人気のアトラクションを除いて、ほとんど待ち時間なしだったのはありがたい。昼のパレードは場所取りも不要だった。アトラクションの順番待ち要員兼パレードの場所取り要員の私としては誠にありがたい限りであった。

 もう開業から26年目のTDL。そういえば開業したころは、「子供向け遊園地」という認識だったという記憶がある。私は、東京に住んでいたわりにはデビューは社会人になってからと遅く、たぶん開園から4~5年後だと思う。男同士で行くところでもないし、かといって一緒に行くような女の子もいなかった結果だが、「遊園地」にさして興味も湧かなかったのも事実だ。

 高校のラグビー部の先輩が「行った」と聞いて、内心「その顔で?」と思った事を覚えている(まあ今思い返してみてもそう思うのだが・・・)。初めて行った時は、「これで(行った事がないと)バカにされなくてすむな」と思ったものだ。行ってみてもキャラクターにきゃあきゃあ言うわけでもない。雰囲気とスペースマウンテンのような動的アトラクションが面白かった程度だ。当時の事はあまり印象に残っていない。

 それでも初めてスターツアーズに乗った時は感動した。スターウォーズを下敷きとした設定と、何より「動かないジェットコースター」の仕組みに素直に感動したのだ。当時2時間くらい並んだのには閉口したが、それでも満足度は高かった。今では15分も待たずに乗れる。行けば必ず乗るのは子供が好きなせいもあるが、この時の感動がまだ生きているからに他ならない。もう少し中味を変更すれば、例えマイナーチェンジでも人気は回復できると思うのだが、簡単にはいかないのだろうか?あのシステムは広く使えると思うのだが・・・

 TDLの魅力を今更あれこれ論じるのも陳腐だが、屋外の施設にもかかわらずこの寒空にあれだけの集客を続けているのだから、やっぱり大したものだ。何より子供の満足度が高い。我が家はいつも開園から閉園まで滞在するから親も体力がいる。朝から栄養ドリンクを飲んで完全防寒体制で臨む。場所取りと順番待ちと運転手が私の主な任務だが、子供が喜んでいるのをみるとそれだけでも甲斐はあるというものだ。

 それ以外にも「カリブの海賊」「ウエスタン・リバー鉄道」「ジャングル・クルーズ」といったゆったり系アトラクションがけっこうお気に入りだ。かつての好みとはまったく異なってきている。いつまで行くだろうかと考えてみるが、たぶん子供が大きくなってそれぞれ友達と行くようになるまでだろうな、と思う。まあそれで十分だと思うし、それ以上望む気もない。「その時」が来るまでは、親も楽しませてもらおうと思うのである・・・


【本日の読書】
「株の勝ち方はすべて外国人投資家が教えてくれた」中原圭介
「天使と悪魔(上)」ダン・ブラウン


      
    

2009年11月28日土曜日

お受験雑感

 子供が大きくなると必然的に「お受験」という言葉が耳に入ってくる。長女がかつて通い、長男が今通っている幼稚園は近所ではちょっとした「お受験用幼稚園」と言われている。けっこう離れたところから通ってくる子も多いようである(ちなみに我が家がこの幼稚園を選んだのは「家から一番近いから」である)。よその家の事はあれこれ言うつもりはないが、どうにも理解できない。

 そもそも何のためにお受験などさせるのか、常々興味があるので機会があれば聞いている。ある先輩は幼稚舎からの筋金入りの慶応ボーイ。こよなく慶応を愛する彼は当然の如く、子供を幼稚舎から慶応漬けにしようと夫婦で面接に行っていた。私も母校には愛着がある。だからその先輩の行動には十分納得できた。

 「公立だと荒れているから行かせたくない」、「公立だとゆとり教育の弊害でだめになる」という理由も納得できる。何より朱に交われば何とやらだし、女の子の親であれば当然だろう。また、日教組の掲げる教育方針・理念といったものは誠に理解に苦しむものである。山梨や広島や、東京でもちょっと前の国立市などはひどいものだったから、そういうところを避けるために私立へ向うのも理解できる(ちなみに私は子供たちにはしっかりと愛国心教育を授けたいと思っている、もちろん「君が代」も「日の丸」も大事にさせたい)。

 納得できないのは、「将来のため」とか「受験で苦労させないため」とかいう「表面上」子供のためを思っての「わかったつもりのお受験派」の勘違いペアレンツだ。そんな理由で私立の一貫校に入れようとする。それは大きな過ちだし、そういう親に限って「入れたら安心」して終わるのである。私は「受験大いに結構派」である。

 受験は一つの試練だ。自分自身高校受験の時はかつてない不安と緊張感を味わったし、大学受験は一度失敗し、しかもその時、一緒に受けた子供の頃からのライバルが目の前で受かるという屈辱も味わった。捲土重来の2度目の受験は、「後がない」「2度も落ちてライバルに見下されたくない」というプレッシャーに押しつぶされそうになりながら宅浪生活を送った。それらの「苦労」は精神の筋肉となって今も残っている。

 そういう苦労はむしろさせるべきなのだ。そうして鍛えれば、精神に筋肉がつく。我が子を温室に入れて育て上げ、いつまで温室で育てられるというのだろうか。卒業したらいきなり世間の寒風にさらすのだろうか。親はいつまでも子供を守れるわけではない。ならば親がサポートできる間に我が子を試練にさらすべきなのだ。そして受験はその試練としては適度な機会だと思うのだ。

 将来のためと言って仮に一流企業に入ったとしても、今や出身大学によって出世が約束されているわけでもないし、上場企業でも倒産するし、リストラだってある。仕事で失敗する事もある。その時学歴という看板はまったく役に立たない。まあ東大法学部を出て官公庁へ行けばまだ何とかなるかもしれないが・・・

 この恵まれた我が国で、毎年3万人を越える人が自ら命を絶つ。さらには鬱で会社にいけなくなる人も数多い。その理由はさまざまだろうし、一概には言えないと思うのだが、精神的なタフさがあったら少しは数字も変わるのではないかと思う。そんな精神的なタフさは早くから鍛えるに越した事はない。

「子孫に美田を残さず」
「可愛い子には旅をさせろ」
「獅子は千尋の谷に我が子を突き落とす」
これらの言葉が何を意味しているのか、今一度よく学べと「わかったつもりのお受験派」の親には言いたくなる。

 「我が家に美田なんてないじゃない」
ぼそっと妻に言われた一言に、「今に見ておれ」と心に誓うタフさも受験の賜物だと信じて疑わない私なのである・・・


【本日の読書】
「株の勝ち方はすべて外国人投資家が教えてくれた」中原圭介


     

2009年11月25日水曜日

歴史について想う

 明日は旧暦で言えば亥の月(旧暦十月)の最初の亥の日で、昔から亥の月の亥の日に暖房器具を使い始めると安全で火難を逃れるという言い伝えがある。上記のような習わしから亥月亥日は「炬燵の日」あるいは「炬燵開き」とされ、江戸の頃は武家では亥月最初の亥日、町民は亥月二の亥日に暖房を使い始めたそうである。
 そして、茶の湯でも明日は旧暦十月朔日(ついたち)、中旬の亥の日に行われる「炉開き」は、それまでの風炉をしまい茶室に地炉を開き新茶を楽しむことから、茶の湯の正月とも言われている。お茶をやっている方にはお馴染みだろう・・・
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 私はいつの頃からか歴史好きである。自分の生まれる以前の世の中を想像しては、そこはどんな世界だったのだろうと考える事が好きなのだ。日本史や世界史や人類史やらいろいろあるが、そのどれもが興味深い。

 学校では日本史・世界史と色分けしていたが、私は「世界史」派であった。特に理由があったわけではなく、「なんとなく」というのが正直なところである。もっともどうしても受験勉強となってしまうのが学校で習う歴史というもの。受験勉強というとへどが出るくらいやったからもう二度とごめんだとは思うものの、それでも世界史だけは苦にならなかった。

 ただ、今考えてみると、受験用の世界史というと何年に何があったという事実を学ぶのが大半だったように思う。当然の事ながら、歴史にはなぜそうなったのかという事情があるのだが、多くの場合それらはほんの申し訳程度にしか語られていない。

 そうして一生懸命覚えた年号も最近は変わってきているものもあるらしい。例えば「いいくに作ろう鎌倉幕府」で有名な鎌倉幕府の成立は1192年であった。ところが最近の教科書では1185年(いいはこ作ろう鎌倉幕府)らしい。実質的に幕府が成立したのは1185年、1192年は源頼朝が征夷大将軍に任じられ、「名実ともに」幕府が完成した年という事らしい。まあ事実は一つなわけで、それはそれでいいのであるが、一生懸命年号を覚える勉強のあほらしさがわかるというモノである。

 受験生の頃は世界史派であったが、最近はもっぱら日本史派だ。そのきっかけとなったのは 「逆説の日本史」シリーズだ。これがほんとうに面白い。たんなる事実の説明ではなく、それはなぜなのか、当時どんな事情があったのかを推測も交えて考証していく。

 著者は、「資料が残されていないからといってその事実がなかったということにはならない」と資料絶対主義に反旗を翻して歴史を順に語ってくれる。資料が残っていないものについては仮説を立て、ただ単に何年に何があったというものではなく、事実はこうだったのではないかと歴史を語っていくのである。そしてこのたび楽しみにしていた16巻が発売された。ほぼ1年に1冊のペースで発売されているが、毎年読むのを楽しみにしている。

 その昔、小学生の頃、「歴史学者になりたい」と母親に言った事がある。無邪気な子供の夢は「よしなさい、食べていけないわよ」という母親の無情なアドバイスで砕け散った。だが、「逆説の日本史」を読んでいるうちに、やっぱり自分でも研究してみたいと思うようになった。将来名所旧跡を訪ねながら、歴史を研究してみるというのも面白いかもしれないと思っている。

 いつかそんな生活をしてみたいと思うのである・・・


【本日の読書】
「マスターの教え」ジョン・マクドナルド
「反転 闇社会の守護神と呼ばれて」田中森一

 
    

2009年11月23日月曜日

早慶戦

 11月23日はラグビー界では「早慶戦の日」として知られている。伝統ある両校(慶応のグラウンドには日本ラグビー発祥の地の碑が立っている)ゆえ、12月第一日曜日の早明戦とあわせて不動の日程である。そしてこの日には同じ対抗戦グループに所属する大学は公式戦を組まないという不文律もある。

 そもそも関東大学ラグビー界は対抗戦グループとリーグ戦グループとの2つがある(これ以外にも地区対抗グループがあるが、大学選手権に出場資格はない)。対抗戦とはもともと古くからある早稲田、慶応、明治といった伝統校が対抗試合を始めたのが始まりである。以来、年に一度互いの力をぶつけ合う場として定期戦を組んできたのである。

 やがてラクビーが各大学に広まるが、伝統校は新興大学とは一線を画しており、新興勢力は独自にリーグ戦グループを形成する(ちなみに弱小ながらも我が母校は1922年創部の伝統を誇り、対抗戦グループの一角を担っている)。やがて大学一番を決めるという流れができてくる。しかし伝統ある対抗戦グループはあくまでも年一回の定期戦を重視し、「順位を決める」という考え方に反発する。しかし、それが抗しきれなくなり、渋々順位を決めるようになったという経緯がある。

 最初は伝統ある定期戦第一で、その結果に基づき便宜的に順位を決めていたのであるが、何せ各校バラバラに組んでいた定期戦。試合数がバラバラで順位を決めるのが困難になってくる(慶応・東大などの保守的グループは試合数を増やさなかったし、帝京などは伝統がないためやたらとグループ内で定期戦を組んで地位向上を図っていた)。そしてとうとう今のABグループに分けて、試合数を均一化し順位が明確になるようになったのである。

 だが、定期戦の伝統は脈々と生きていて、その象徴が今日の早慶戦と12月の早明戦と言える(我が母校も東大との定期戦の伝統があり、かつてABに分かれて公式戦はなくなった事があるが、その時でも定期戦としての試合はやったのである)。聞くところによると、早慶戦・早明戦に出る事は、選手にとって限りない名誉らしい。そんな試合だからか、結果は終わってみなければわからない。他の試合ではありえない力を発揮し、その日までに何敗かして優勝戦線から離脱したチームが、全勝で来ている相手に予想を覆して勝つという事も過去にあったほどである。そんな特別の試合に際し、他の対抗戦グループ各校もこの日に試合を組まない事で、両校に敬意を示しているのである。

 そして私も今日は試合開始の5分前にはテレビの前に陣取っていた(もちろん、奥様に言いつけられていた事はすべて終わらせて、である)。試合は今年全勝同士の「事実上の決勝戦」に相応しい迫力あるものであった。観ている時に「矛盾」の元となった故事を思い出した。どんな盾でも貫く矛で、どんな矛でも跳ね返す盾を突いたらどうなるか、というあれである。その答えが今日の試合だったような気がする。どちらを応援するという事もなく、ただ良いプレーを堪能していたが、20-20の引き分けという結果は、見応えあるものであった。

 観終わると体が疼く。学生の頃は次の日の練習には力が入ったものだ。体はともかくとして、気持ちの上ではあの頃のままだ。今週末の最終戦を控え、現役の学生たちはきっと力が入っているに違いない。本日、秩父宮競技場には22,000人の観客が押しかけたそうである。まだまだラグビー人気は健在なのだろうか。ラグビー・シーズンもいよいよ後半戦。じっくり楽しみたいと思うのである・・・
      



2009年11月21日土曜日

新型インフルエンザ到来!

 昨日熱が出て寝込んでいた我が家の長女。本日さっそくかかりつけの小児科に連れて行ったところ、見事「新型インフルエンザ」との診断。ある程度予想はしていたので、昨夜から隔離して寝かせていたが、かくして我が家の3連休は家で大人しくして過ごす事になる。

 それにしても春先にメキシコで流行と騒がれていた新型インフルエンザ。国内上陸時には罹っただけでニュースになっていたが、その後は国内各地に感染拡大。そしてとうとう我が家にもやってきたわけである。変な意味で感慨深いものがある。

 そんな暢気な気でいられるのも「死ぬほどではない」という安心感からである。「私などは、早く罹れば免疫ができていい」と思っていたので、なんら逃げ隠れするつもりもなかったし、したがってマスクなどもつけようとすら思わなかった。ただ、知り合いの小児科医の先生によると「子供と年寄りと病気もちは気をつけないといけない」という事だったので、子供に移さないようにとうがいと手洗いは励行していた。

 今のところ熱はあるものの、まぁ大丈夫だろうと安心はしている。妻などは「軽く済めば予防接種も不要になるからラッキー」とのたまわっている。予防注射もやりたかったのだが、新型はできなかったのである。何せ近所の病院はどこも、かかりつけ医でないと打ってくれないという「一見さんお断り」状態。そして頼みのかかりつけ医2件はいずれも喘息やアレルギー分野に秀でたところで、それらの重い子供優先なので我が家の子供たちまで順番が回ってこない状態なのだった。

 逆に耳鼻科や整形外科などの病院で打ってもらったというお友達もいてびっくりした。何でも医者であれば要請するとワクチンをまわしてもらえるらしい。耳鼻科で打ってもらったお友達は、たまたまいつものように行ったところ、「あるよ」と言われてその場で打ってもらったとのことだ。だが、そういうところは通院歴がないので我が家の子供たちは行っても打ってもらえない。そんな凸凹があるようである。

 それにしてもウィルスの感染力は大したものである。あっと言う間に世界中に広まっていく。それだけ世界がグローバルに密接になっている証拠であるが、これが映画のように致死力の強いものだったら、人類にはなす術もないのかもしれない。そうならないようにするにはどうしたらいいのだろうか。新型インフルエンザに対する対応だけをみていると、今のところ有効な手段は「お祈り」しかなさそうである。

 せめて得意の「気合」で感染を防げるかどうか、実践してみようと思うのである・・・


【本日の読書】
「金融大狂乱 リーマン・ブラザーズはなぜ暴走したのか」ローレンス・マクドナルド他
    
    

2009年11月20日金曜日

官と民

 前回の記事を書いていて、かつて特殊法人に出向していた時の事を思い出した。そこでは民間の各銀行からの出向者(いわゆる「民」)と国税・社会保険庁・警察からの出向者(いわゆる「官」)との混成部隊による組織であった。不良債権関連の調査をやっていたのだが、出向早々に上司となった官の方(国税局査察部ご出身の方だった)から「民間だと1億円回収するのに2億円はかけないでしょう、でもここ(官)はできるんですよ」と言われた。それまでコストに手足を縛られながら走っていた身としては小躍りして喜んだものだ。これで思い切って好きなように仕事ができる、と・・・

 しかしそんな悦びは少しの間しか続かなかった。その使い方がひどかったからだ。まず調査する先を選ぶ基準が「地方に何らかの関連があるか」であった。なぜかと言えば、その地方に「出張に行ける」からだ。だから北海道や沖縄などに関連があったりすると、それだけで調査対象に選ばれるのだ。当然、出張とは「ついでに調査もしてくる官費旅行」に近いものだった。

 半日で済む大阪での調査も、今なら(当時でも)日帰りが当たり前だが、まるまる二日かけるのは当たり前(当然二日間出社しない)。近場でもちょっと離れていれば「直行直帰」は当たり前だった。それに反発して銀行にいる時のペースで仕事していたら、やんわりとたしなめられたものだ。「気楽にやったらどう?」と。その後私が独自に選んだ調査案件は、「人気のない」純東京圏内完結案件ばかりだった。

 グループで調査分担を決める時など、地方の旅行、もとい出張案件は譲ってあげたものだ。それでとても感謝された事もある。私としても行って成果が上がると見込めるなら、人を押しのけてでも行くが、行っても無駄だと思う出張調査などに行きたくなかったのだ。よく会議では、「成果が見込めるかどうかを考えるべきだ」と主張したが、「無駄だとわかっただけでも調査の甲斐があったではないか」という官の理論に跳ね返された。「2億円かかる」わけである。

 そのうち、「官が2億円かけるところを民なら1億、いやそれ未満でできる!」と主張していたものである(もちろんやんわりと、ではあるが・・・)。しかし、そうして日々カッコいい正論を吐き続けられたのも、2年間限定出向という立場の為せるわざであった事は間違いない。ぶつかっても後腐れないから好きな事が言えたのだ。

 それに官の人達には「俺たちは儲けるために仕事しているわけではない」という「一段上の意識」がある。何せ士農工商の歴史ある国だ。利益のために奔走する者を見下す意識が、外には出さなくてもなんとなく雰囲気で感じられたのだ。そうしたモノへの反発に他ならなかったと思う。

 官の人にしても、母体に帰ればそれなりにハードワークが待っているみたいだったし、けっしていい加減な人達ばかりだったわけでもない。出向期間中は何の評価もされなかったらしいので、必然的にそうなったようだった。それに民はやっぱり「コストが嵩めばやらない」が、官は「何が何でもやらないといけない」という事もあるだろう。要は文化の違いなのである。私も官の世界に行っていたら、おそらくそんな一人になっていたのだろう。

 事業仕分けでは「無駄を省く」と息巻いているが、そもそも官の人達には「無駄」という概念がない。すべて「必要」なのだ。そうした論理を理解していないと、「本当の無駄」は削減できない。一人一人の意識が高まらないと借金は益々増え続け、つけはあとで確実に自分たちに回ってくる。それをもっと意識していきたいと思うのである・・・


【本日の読書】
「金融大狂乱 リーマン・ブラザーズはなぜ暴走したのか」ローレンス・マクドナルド他
「反転 闇社会の守護神と呼ばれて」田中森一

    

2009年11月18日水曜日

事業仕分け雑感

 最近「事業仕分け」が話題を呼んでいる。
景気対策を始めとして、誠に景気の良い大盤振る舞いを約束した民主党としてはその政策の弱みである財源をヒネリ出そうとしているのだろうし、何よりも「無駄を排除します!」と言いたいが為のパフォーマンスなのだろう。それはそれで、やらないよりましだとは思うが、どうにもじれったい気がする。

 それでヒネリ出そうとしている金額は3兆円だというが、予算全体の95兆円からみればわずかだし、何よりも収入の2倍近くを使うという予算の枠組みは変わらない。宣伝効果以外は正直言ってあまりないのではないかという気もする。それに公開されているやり取りを聞いていても、どうにも議論が噛み合わない。

 それもそのはず、削る方と削られる方のそれぞれの拠って立つ根拠が異なるからだ。削られる方は必死になって「必要性」を説く。一方削る方は、「代替可能性(他-例えば民間-でできないか)」か「優先性(他と比べて優先されるべきか)」で考える。だから両者の議論は相容れない。

 「私の話も聞きなさい」とどこかのおばちゃんがヒステリックに叫んでいたが、そもそも根拠が違うのだから議論が成り立たない。「必要性」の話など聞いても仕方ないのだ。削られる方はそれが理解できていない。

 一方削る方ももどかしい。そもそも財政を立て直すなら根本からやり直さないとだめだ。イノベーションの例としてよく語られるが、「馬車を何台繋げても自動車にはならない」のだ。ちまちま「おこずかい」を削ったところで「収入の2倍の支出」という構造を変えない限り意味はない。だから「子供手当てを増やして扶養控除を減らす」というほとんど朝三暮四の政策でお茶を濁す事になる(小さい子がいる家庭はどうやら恩恵があるようだ)。

 もっと大胆に、例えば「今年の予算は前年の90%!」と決めてしまって、あとはその中で官僚に考えてもらうようにしないと解決にはならない(政治家がやってもいいのだが・・・)。日本の官僚は優秀だから、その中で効果的な予算の使い道を考えろとすれば、あれこれとうまくやれると思うのだ(民間にできる事ができないわけはない)。

 そもそも「予算は使うもの」という意識が官の人達にはある。よく巷にも伝わってくるが、「余っているから使ってしまわないといけない」とか、「使わないと必要ないとみなされて翌年からもらえなくなる」というのが実情だ。自分の財布の中のお金だったら絶対そんな使い方はしないだろう(まぁ中にはそうでない人もいるかもしれない・・・)。

 そんな官の人々のエネルギーの向う先を変えればきっとうまく行く、と考えるのは希望的観測であろうか・・・
 いずれにせよ、当の政治家も政治主導と言いながら、官をそして国民をリードしていくほどのリーダーシップに溢れるところを見せてはいない。とんちんかんな亀井さんのような政治家だけが目に付いている。始まったばかりとはいえせっかくの政権交代だし、早く何らかの効果をあげてほしいと思うのである・・・


【本日の読書】
「金融大狂乱 リーマン・ブラザーズはなぜ暴走したのか」ローレンス・マクドナルド他
「反転 闇社会の守護神と呼ばれて」田中森一
    



2009年11月15日日曜日

ノーサイド


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♪彼は目を閉じて 枯れた芝生の匂い 深く吸った
長いリーグ戦 しめくくるキックは ゴールをそれた
肩を落として 土をはらった
ゆるやかな 冬の日の黄昏に
彼はもう二度と かぐことのない風 深く吸った♪
                 松任谷由実「ノーサイド」
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 大学ラグビーは今がピーク。世間では「お正月のスポーツ」というイメージで捉えられているが、お正月に試合をしているのは、秋のシーズンの戦いを勝ち抜いたほんの一握りである。そしてそんな「ほんの一握り」になるべく、全国各地で熱い戦いが展開されているのである。

 先日も触れたが、今年のわが大学ラグビー部はいいところにきている。残り2試合に全部勝てば対抗戦Bグループで単独2位となり、史上初めてAグループ7位との入替戦に臨む事ができるのである(ちなみに1位だとAグループの8位との対戦になる)。そしてその鍵を握るのが今日の試合であった。

 残念ながら観戦にはいけなかったが、家族サービスはしていても心はグラウンド。相手は皇室ご用達の学習院大学。これまでの戦績では分が悪いが、今年は向こうも負けが込んでいる。しかもこちらが毎年分がいい武蔵大学に今年は負けている。そしてわがチームの最終戦はその武蔵大学。つまり今日の学習院大学が最後の壁なのであった。

 結果はOBのメーリングリストでまわってくるのだが、待ちきれずに「関東ラグビーフットボール協会のサイト」でチェック!その結果は・・・・
「11-36」 (T悔T)
力が抜けてしまった・・・
しかしたぶん学生たちはもっとショックだっただろう。
 
 学生のスポーツはその場限りだ。勝っても負けても同じメンバーで同じ相手と試合をする事は二度とない。次の年には4年生はいなくなっているし(一部いたりするが・・・)、4年であればもうチームのジャージを身につけてグラウンドに立つ事はない。次のシーズンには同じゼッケンをつけた誰かが駆けてゆくのだ。

 今のこの時期、そんなドラマがグラウンドでは繰り広げられている。季節は秋から冬へと移りゆく。夏には雑草取りに追われたグラウンドも枯れ草が土に混じるようになる。一試合終わるごとに二度と戻る事のない日々が過ぎてゆく寂寥感に襲われる。たぶん4年生はそんな思いに駆られている事だろう。

 残り1試合。相手は対戦成績のいい武蔵大学。気落ちする事なく、今シーズンの勝ち越しと有終の美を飾ってほしいものである。最終戦は11/29。次回はなんとか観に行こうかな。自分にとっても誇らしく、汗と涙と得難い経験がたくさん詰まっているあのグラウンドに久々に行ってみようかと思うのである・・・


【本日の読書】
なし

     

2009年11月14日土曜日

規律ある生活

 11月11日はアメリカではVeteran's Dayと呼ばれる祝日である。これは退役軍人の日という事で、文字通り復員軍人を称える日である。ずっと戦争をやっている国だけあって、退役軍人を正当に評価することによって士気を高めるという狙いもあるのだろう。これはニュースで知ったのであるが、これを聞いて先週観た映画「告発のとき」のワンシーンを思い出した。

 映画はボスのCMで今や日本でもすっかり有名人となったトミー・リー・ジョーンズが主演である。彼が演じる退役軍人は、イラクから帰還後行方不明となった息子を探しに行くが、泊まったモーテルの一室での事。四隅まで丁寧に折りたたんでベッドメーキングし、靴をピカピカに磨き、ズボンの折り目もきっちりと伸ばす。かつて現役時代の習慣が残っている事をうかがわせるシーンだ。

 個人的に軍隊生活の経験はないが、あちこちの映画で軍隊での生活態度に対するこうした厳しさを目にする。新兵などは靴がちょっと汚れていたというだけで、重装備で走らされたりする。そんなシーンを目にしているので、軍隊というところはそういうところだと何となく知っているのである。

 そうした規律がなぜ必要なのかと言えば、やはりちょっと間違えば命を落とす世界だからであろう。命令は忠実に果たさねばならないし、武器も普段から嫌というほど整備しておかなければならない。いい加減に扱えば命取りだ。厳しすぎるくらいきっちりしていなければならないというのも頷ける。

 ただ、先の映画でも「部隊内で盗難が多い」というセリフもあった。そういえば、昔習志野自衛隊とラグビーの試合をした時も、着替えとして提供されたロッカールームで、「盗まれるからモノを残すな」と案内してくれた隊員さんに注意された。洋の東西を問わず、そうしたところは厳しい規律とは裏腹らしい。

 軍隊でなくても大学の体育会などでは、厳しいところがやっぱりあるようである。私の場合は幸いな事に比較的規律の緩いチームだったから、気楽で良かった。だが、時間のけじめとかいくつかのところでは「グラウンド10周!」となる規律があった(練習後、体力消耗したあとでの10周はけっこうキツイのだ)。それはやっぱり必要な緊張感を生み出すのに役立っていたと思う。

 家庭内でのそれは躾だろう。我が家ではそんなに大した事をしているわけではない。靴を揃えさせたり、食事の時のちょっとしたマナーだったり。他にもすべき事があるのかもしれないが、たぶん最低限このくらいというレベルでずっと続けている。それがこの先どう活きてくるのかはわからないが、たぶん何かの役に立ちそうな気がする。自由はすばらしいが、他人と暮らしていかねばならないのがこの世の中。規律ある集団の中で生活した経験は、何らかの形で生きていくのではないかと漠然と思うのである・・・


【昨日の読書】
「金融大狂乱 リーマン・ブラザーズはなぜ暴走したのか」ローレンス・マクドナルド他
「反転 闇社会の守護神と呼ばれて」田中森一
   



  

2009年11月11日水曜日

ドラマの行方

 我が家の奥様はここのところ日曜日のドラマ「JIN」にハマっている。現代の医師が江戸時代末期にタイムスリップし、そこで現代医療を駆使して活躍するというストーリーである。原作は村上もとかの漫画であるが、「全巻買い揃えたらいくらになるやろ」とぶつぶつ呟くほど我が家の奥様は気に入っているらしい。

 この番組に限らず最近は、「原作は漫画」というドラマが多い。何せ日本は世界屈指の漫画大国なだけに、ネタにはまったく困らないだろう。そしてストーリーもけっこうしっかりしていたりするから、ドラマとしても視聴率が稼げるのだろう。観る立場としては「面白ければよい」のだから問題はない。

 ところが一方では「脚本家が育たない」という懸念が生じているようである。安易に漫画のドラマ化が主流となると、これまでのような専門の脚本家(放送作家というのだろうか)の出番がなくなり、次の人材が育たなくなるというのだ。なるほど、そういう悪影響もあるのか。

 たぶん、スポンサーなどに新番組を売り込む時は、「脚本は売れっ子の○○先生で、主演はキムタクで・・・ヒット間違いなしです!」などとやっているのだろう。そんな時に、「脚本はこれがデビュー作の○○で・・・」となると、スポンサーから「大丈夫なのか?」などとなって、当然スポンサー社内でも同様のプレゼンがあるのだろうから、そこでも決裁に支障がでたりするのかもしれない。

 そうした冒険をするよりも手っ取り早く、「ただいま好評連載中の・・・」とやりたくなるのかもしれない。まあ漫画が売れて、それがドラマだ映画だとなれば漫画家の地位も収入も向上して、漫画家を目指す若者が増えて、そういう好循環からさらに漫画業界が活況を呈するのなら、それはそれで歓迎なのだろう。「あちらを立てれば」ではないが、自然淘汰されるのならば、それはそれで仕方ないのかもしれない。

 それにしても「JIN」の漫画は面白い(まだ始めの方しか読んでいないのだが・・・)。個人的に日本史は大好きで、「江戸を舞台にした」などというだけで、興味をそそられるから尚更だ。これから少しずつ読んで行くつもりだ。

 ところで、今から350年程前、江戸の町のおよそ6割を焼失し多数の犠牲者をだした明暦の大火があった。被害の大きさで歴史に残る大火事となっているが、この出来事をきっかけに、火に強い街づくりの一環として施されたのが銀杏の植樹。「水を噴く」といわれるほど火に強く燃えにくい樹木で、火除け地や防火帯を多数作る意図のもとに公園や主要道路などにも銀杏の植樹が盛んに行われたそうである。今では東京都のシンボルマークとなっているイチョウにも、江戸の世からのこんな歴史がある。
 
 そんな歴史の面白さが味わえるといいなと、ドラマには少し期待しているのである・・・


【本日の読書】
「金融大狂乱 リーマン・ブラザーズはなぜ暴走したのか」ローレンス・マクドナルド他
「反転 闇社会の守護神と呼ばれて」田中森一


     

2009年11月8日日曜日

民主党とマニュフェスト

 民主党が政権をとって2ヶ月が経過。八ツ場ダムだとか普天間基地だとかいろいろと話題になっている。日本郵政の社長も脱官僚の掛け声に反した動きになっているようだし、首相自身の献金問題も燻っている。マニュフェストに拘る姿勢に対する批判もある。まあもともと政治などは何をやっても批判はあるものだから、それがどうだとか今の段階で判断するのは難しいだろう。

 マニュフェスト批判については難しいところだ。メディアではマニュフェストに拘泥する姿が連日批判されている。それは確かにそうだとは思うが、でも待てよとも思う。そもそも選挙で「政権を取ったらこうします」と約束したのがマニュフェストだ。実際に政権を取ったら、公約を果たそうとするのは当然だ。わずか2ヶ月で「やっぱり無理でした」では、「マニュフェストはそんないい加減なものを作っているのか」、と逆に問いたくなる。そこはどう考えるのか、マニュフェスト主義を批判するメディアには何のコメントもない。

 実際、聞くところによると民主党は経済界からも官僚からも距離を置かれた状況らしい。いわば現場の状況がわからない中でマニュフェストのみを頼りに突っ走っているところがあって危険だという意見も聞いた。状況は変化しているのだから柔軟に対応しなければならないのだ、とも。それはやっぱりそうなのだろう。

 亀井さんの暴走は結局理性的な取り巻きがうまく骨を抜いて鞘を納めた。あれだけ大騒ぎしたモラトリアム法案も、結局わけのわからないシロモノに落ち着いた。無知な人に権力を渡すのは危険なのだという良い例であり、またそんな人が権力を持ったとしても、うまく花を持たせつつ納めるところに納めてしまう安全装置があるという良い例でもある。

 この先民主党政権がどうなるかは未知数だ。日米関係も、アメリカは共和党政権より民主党政権の方が、日本にとってベースとしては安心だという意見もある一方で、きな臭さもプンプンしている。いろいろと批判もあるし、私も民主党を支援しているわけではない。ただ忘れてはいけないのは、国民は自民党にNoと言った事実である。選択肢がない以上はしばらく任せるしかない。結果に対する判断は次の選挙できちんと下せばよい。それまでは、これまた問題の多いメディアの報道に惑わされないように自分の頭で考えていきたいものである。

 それにしても期待していた子供手当て。結局扶養控除と差し引きというなら、あんまり意味はなさそうだ。財源がないのだろうが、まさかサルと同等と思われたのだろうか、朝三暮四のマニュフェストにはがっくりなのである・・・


【本日の読書】
なし