2009年11月25日水曜日

歴史について想う

 明日は旧暦で言えば亥の月(旧暦十月)の最初の亥の日で、昔から亥の月の亥の日に暖房器具を使い始めると安全で火難を逃れるという言い伝えがある。上記のような習わしから亥月亥日は「炬燵の日」あるいは「炬燵開き」とされ、江戸の頃は武家では亥月最初の亥日、町民は亥月二の亥日に暖房を使い始めたそうである。
 そして、茶の湯でも明日は旧暦十月朔日(ついたち)、中旬の亥の日に行われる「炉開き」は、それまでの風炉をしまい茶室に地炉を開き新茶を楽しむことから、茶の湯の正月とも言われている。お茶をやっている方にはお馴染みだろう・・・
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 私はいつの頃からか歴史好きである。自分の生まれる以前の世の中を想像しては、そこはどんな世界だったのだろうと考える事が好きなのだ。日本史や世界史や人類史やらいろいろあるが、そのどれもが興味深い。

 学校では日本史・世界史と色分けしていたが、私は「世界史」派であった。特に理由があったわけではなく、「なんとなく」というのが正直なところである。もっともどうしても受験勉強となってしまうのが学校で習う歴史というもの。受験勉強というとへどが出るくらいやったからもう二度とごめんだとは思うものの、それでも世界史だけは苦にならなかった。

 ただ、今考えてみると、受験用の世界史というと何年に何があったという事実を学ぶのが大半だったように思う。当然の事ながら、歴史にはなぜそうなったのかという事情があるのだが、多くの場合それらはほんの申し訳程度にしか語られていない。

 そうして一生懸命覚えた年号も最近は変わってきているものもあるらしい。例えば「いいくに作ろう鎌倉幕府」で有名な鎌倉幕府の成立は1192年であった。ところが最近の教科書では1185年(いいはこ作ろう鎌倉幕府)らしい。実質的に幕府が成立したのは1185年、1192年は源頼朝が征夷大将軍に任じられ、「名実ともに」幕府が完成した年という事らしい。まあ事実は一つなわけで、それはそれでいいのであるが、一生懸命年号を覚える勉強のあほらしさがわかるというモノである。

 受験生の頃は世界史派であったが、最近はもっぱら日本史派だ。そのきっかけとなったのは 「逆説の日本史」シリーズだ。これがほんとうに面白い。たんなる事実の説明ではなく、それはなぜなのか、当時どんな事情があったのかを推測も交えて考証していく。

 著者は、「資料が残されていないからといってその事実がなかったということにはならない」と資料絶対主義に反旗を翻して歴史を順に語ってくれる。資料が残っていないものについては仮説を立て、ただ単に何年に何があったというものではなく、事実はこうだったのではないかと歴史を語っていくのである。そしてこのたび楽しみにしていた16巻が発売された。ほぼ1年に1冊のペースで発売されているが、毎年読むのを楽しみにしている。

 その昔、小学生の頃、「歴史学者になりたい」と母親に言った事がある。無邪気な子供の夢は「よしなさい、食べていけないわよ」という母親の無情なアドバイスで砕け散った。だが、「逆説の日本史」を読んでいるうちに、やっぱり自分でも研究してみたいと思うようになった。将来名所旧跡を訪ねながら、歴史を研究してみるというのも面白いかもしれないと思っている。

 いつかそんな生活をしてみたいと思うのである・・・


【本日の読書】
「マスターの教え」ジョン・マクドナルド
「反転 闇社会の守護神と呼ばれて」田中森一

 
    

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