今は就職難、氷河期という言葉も使われているほど。
私などは超売り手市場の時代に就職したため、そんな苦労などしなかったものだから、今の若い人たちは誠に気の毒としか言いようがない。ただ一方で若い人たちの中には非常に勉強熱心な人たちもいて、やはり最初に就職で苦労するという事も結果的には良い事なのかもしれないとも思える。
さて、政府はそんな就職氷河期の学生に対し、企業に卒業3年目までの新卒採用に補助金を出すなどの支援策を発表している。
それはそれで良い事のような気もする。
ただちょっと気になるデータを見てしまった。
それは企業規模別の有効求人倍率だ。
有効求人倍率、すなわち新卒一人当たりに何倍の求人があるかという事だ。
従業員1,000人以上の企業が0.77倍。
つまり100人の学生に対し、77人の採用枠しかないという事である。
これに対し、従業員300人以上1,000人未満の企業だと2.16倍。
つまり100人の学生に対し、216人の採用枠があるという事になる。
さらに300人未満だと4.41倍。
100人に対し441人の採用枠である。
なんの事はない。
就職難とは、大企業の場合であって、中堅・中小企業では「引く手あまた」なわけである。
テレビなどでも就職が決まらなくて焦る学生の姿を映して、「大変だ」とやっているが、それは大企業だったわけである。そう考えると、どうして政府が税金を使ってまで就職サポートまでやらないといけないのかと疑問が湧いてくる。ないならともかく、働き口はあるわけで、好き嫌いを言っているだけなのになんで税金を使うのだろう。
そもそも大学全入時代に入っているわけである。
つまりすべての就職希望者が大企業に入れるわけではないのである。
溢れるのは自然の原理で、その人たちは中堅・中小に就職すればいいわけで、むしろそれが当然。
放っておけばいいのだ。どうしても大企業でなければ嫌だといって、卒業しないでいるのもフリーターになるのも個人の自由だ。我々が汗水たらして働いて納めた税金で、どうしてそこまで面倒をみてやる必要があるのか。
競争社会ゆえどうしても大企業に入りたかったら、努力して工夫して勉強して採用されるだけのものを身につければいいだけだ。
4年間遊ぶのもいいが、そのつけは本人が覚悟すればいい。
安易に税金を使う政府にも腹立たしい気持ちを持った。
ところが、先日某上場企業の人事担当をしている知人にこの支援策の話を振ってみた。
彼曰く、この程度の支援策ではとても採用意欲など湧かないそうである。
考えてみれば人一人を採用するにはかなりの経費がかかる。
政府の支給する「おこずかい程度」では話にならないそうである。
つまり作ったはいいが、“使えない”制度だと言う事だ。
今の政府のやる事ときたらこの程度なのだろう。
いや、待てよとそこでまた思う。
そんな事は百も承知なのかもしれない。
ただ事実をきちんと考えないマスコミがうるさいからとりあえず策を作ると。
しかし、予算もないしわざと使い勝手を悪くして誰も手を挙げないようにする。
そうすれば何もしないわけでなく、お金も使わない。
そこまで考えての事だろうか?
そこまで考えての事だったら、「さすが」と座布団一枚差し上げるところだが、真実は果たしてどうであろうか。深読み過ぎだとすれば、それもいいのか悪いのか。
いずれにせよ、若者たちには自分たちで何とかしろと言いたいところである・・・
【昨日の読書】
「これからの『正義』の話をしよう」マイケル・サンデル
「新参者」東野圭吾
2010年9月29日水曜日
2010年9月26日日曜日
スカイツリー
我が家に一本のビデオがある。
長女が生まれた10年前、まだ慣れない沐浴の様子を撮影したものである。
あれやこれやとワイワイやりながらの沐浴であるが、その中でその場にいた当時まだ20代後半の義妹が出てくるシーンがある。義妹を撮影しながら、私が「○○おばちゃんです、こ~んなに若いです」とコメントしている。
今このビデオを見ると、そのコメント通り確かに「若いっ!」と思ってしまう。
まあ今はすっかりアラフォーの義妹でとは言え、20代の頃だから当然若いわけである。
10数年後に見る時の事を考えてコメントしたのであるが、今あらためて見てみるとそのコメントに我ながら感心する。
ここ数日で一気に秋が深まったような天気である。
幸いにも朝から好天で、我が家は一家で現在建設中のスカイツリー見物に行って来た。
まだ建設中で、現在の高さは470メートル。
完成時には634メートルになるそうだから、だいたい3/4の高さまできているわけである。
竣工予定は2011年12月だそうだから、まだ1年以上も先である。開業にいたっては2012年春だから、まだ1年半以上もある。なぜこの時期にと言えば、「建設中」は今しかないからである。
「ALWAYS 三丁目の夕日」という映画がある。
私の大好きな映画であるが、この映画の中で背景に東京タワーが使われている。
昭和33年、建設中の東京タワーをバックにして物語が進んで行く。完成した東京タワーしか見た事のない私にとって、建設中の東京タワーは実に新鮮にうつった。
スカイツリーも、だから今のうちに行っておこうと考えたのである。
2012年になって完成してしまえば、その姿はずっと続く。
それが東京の一つの景色になっていく。
子供たちが大きくなって結婚して、やがて自分たちの子供を連れてスカイツリーに遊びに行くかもしれない。その時、「お父さん(お母さん)はまだ建設中の時に見に来たんだよ」と子供たちに語ってやれるだろう。あるいはそれは孫たち相手かもしれない。
そう考えるとなんだか楽しい気分になる。
一緒にお風呂に入りながら、「今日の事はよく覚えておきなさい」と子供たちには言い聞かせた。
証拠の写真も撮ったし、いつかこの写真を観ながら子供たちが、その子供たちあるいは孫たちとワイワイ話すところを想像してしまう。
そのスカイツリーであるが、本来はデジタル放送用の送信が主たる機能とされている。
しかしながらその目的とは別に観光スポットとして、これからは注目されていくだろう。
実際今日も大勢の人たちがカメラ片手に周辺に訪れていた。
商業施設もかなり併設されるようだし、開業してもすぐに行くのは避けた方が無難だと思う。
見学して浅草までブラブラ歩いて戻ってくるのもなかなかいい観光コースになるような気がする。
いずれ我が家も開業後にあらためて行くつもりである。
しかしながら当の子供たちはどのくらい理解できているのだろうか。
風呂の中でもお昼に食べたハンバーグがおいしかったねと嬉しそうに言っていた。
ハンバーグも良いが、今日の意味をしっかり理解してよく覚えておけよと念押ししたが、ちょっと心もとない気がする我が家の子供たちなのである・・・
【昨日の読書】
「新参者」東野圭吾
長女が生まれた10年前、まだ慣れない沐浴の様子を撮影したものである。
あれやこれやとワイワイやりながらの沐浴であるが、その中でその場にいた当時まだ20代後半の義妹が出てくるシーンがある。義妹を撮影しながら、私が「○○おばちゃんです、こ~んなに若いです」とコメントしている。
今このビデオを見ると、そのコメント通り確かに「若いっ!」と思ってしまう。
まあ今はすっかりアラフォーの義妹でとは言え、20代の頃だから当然若いわけである。
10数年後に見る時の事を考えてコメントしたのであるが、今あらためて見てみるとそのコメントに我ながら感心する。
幸いにも朝から好天で、我が家は一家で現在建設中のスカイツリー見物に行って来た。
まだ建設中で、現在の高さは470メートル。
完成時には634メートルになるそうだから、だいたい3/4の高さまできているわけである。
竣工予定は2011年12月だそうだから、まだ1年以上も先である。開業にいたっては2012年春だから、まだ1年半以上もある。なぜこの時期にと言えば、「建設中」は今しかないからである。
「ALWAYS 三丁目の夕日」という映画がある。
私の大好きな映画であるが、この映画の中で背景に東京タワーが使われている。
昭和33年、建設中の東京タワーをバックにして物語が進んで行く。完成した東京タワーしか見た事のない私にとって、建設中の東京タワーは実に新鮮にうつった。
スカイツリーも、だから今のうちに行っておこうと考えたのである。
2012年になって完成してしまえば、その姿はずっと続く。
それが東京の一つの景色になっていく。
子供たちが大きくなって結婚して、やがて自分たちの子供を連れてスカイツリーに遊びに行くかもしれない。その時、「お父さん(お母さん)はまだ建設中の時に見に来たんだよ」と子供たちに語ってやれるだろう。あるいはそれは孫たち相手かもしれない。
そう考えるとなんだか楽しい気分になる。
一緒にお風呂に入りながら、「今日の事はよく覚えておきなさい」と子供たちには言い聞かせた。
証拠の写真も撮ったし、いつかこの写真を観ながら子供たちが、その子供たちあるいは孫たちとワイワイ話すところを想像してしまう。
そのスカイツリーであるが、本来はデジタル放送用の送信が主たる機能とされている。
しかしながらその目的とは別に観光スポットとして、これからは注目されていくだろう。
実際今日も大勢の人たちがカメラ片手に周辺に訪れていた。
商業施設もかなり併設されるようだし、開業してもすぐに行くのは避けた方が無難だと思う。
見学して浅草までブラブラ歩いて戻ってくるのもなかなかいい観光コースになるような気がする。
いずれ我が家も開業後にあらためて行くつもりである。
しかしながら当の子供たちはどのくらい理解できているのだろうか。
風呂の中でもお昼に食べたハンバーグがおいしかったねと嬉しそうに言っていた。
ハンバーグも良いが、今日の意味をしっかり理解してよく覚えておけよと念押ししたが、ちょっと心もとない気がする我が家の子供たちなのである・・・
【昨日の読書】
「新参者」東野圭吾
2010年9月23日木曜日
お受験雑感2
妻が近所のお受験情報を仕入れてきた。
なんでも近所の某私立有名大学付属高校からは、9割が上の大学へ進学できるという。
それに比べてもう一つある付属の実業高校は、同じ付属と言いながら上の大学に進学できるのは1割程度。しかも学部もあまり選べないという。
近所のママ曰く、「小学校受験で付属の実業を受ける人の考えがわからない」らしい。
「当然付属高校を選ぶべきでしょう」と。
私も二児の父親。
子供の将来の事もあれこれ考える。
だがこうした受験情報に心を動かされる事はまったくない。
そんなの意味ない事だと思っているからだ。
かのご近所ママはたぶん経験していなくてわからないのだろう。
私の学生時代も「受験戦争」などという言葉が使われていた。
私立の付属高校へ行く友人も多かった。
しかしながら、たまたまだが、私の友人たちはみんな入ってから遊んでいた。
大学受験は確かに私より遥かに楽できたと思うが、その差がどうだとも思う。
浪人して予備校に通っていた先輩や友人達も結構遊んでいた。
ライバルと呼んでもいい友人O。
彼は家庭が経済的にあまり恵まれていなかった。
彼は親に負担をかけまいと塾にも予備校にも通わず、国立大学へストレートで進学した。
受験の時も私立には行けないからと受ける事すらせず、今と違って複数受験もできなかったから、文字通り一本勝負だ(ちなみに私も一本勝負だったが、負けて浪人した)。
Oは、「もし落ちたら受験勉強の傍ら、バイトして家に2万円入れる」と私に宣言していた。
落ちていたら奴はきっとそうしていただろう。
学校の勉強とラジオ講座というリーズナブルな勉強方法で彼は合格した。
もともと頭が良かったかというとそれほどでもない。
小学校時代から目の前で見ていたからよくわかる。
そもそもであるが、学校の勉強なんて極論すれば「やったかやらないか」だ。
頭の良し悪しはあまり関係ない(あくまでも学校の勉強だ)。
せいぜい凡人が1時間かかるところを天才は30分でできるという程度だ。
1時間かければ追いつくし、2時間かければ追い抜ける。
お受験ママは、それをやらずに「頭の良い子は違うから」と妙な理屈をこねて、この簡単な理屈を受け入れようとしない。彼は(だふん)相当やっていた。ただそれだけだ。
親が熱心に塾だ、家庭教師だと騒いでも、肝心な子供の心にスイッチが入らなければ何にもならない。学生時代に私が家庭教師で教えていた子は歯医者の息子。良い家に住んで、広い自室があって(トイレだって今の我が家の2倍の広さはあった)、こずかいだってたぶんたっぷりもらっていて、友人Oなら泣いて喜ぶ環境だ。
なのに勉強はやる気ゼロ。
高校時代のラグビー部の先輩たちは、浪人しながら気楽な予備校生活を満喫していた。
がけっぷちの必死さなど微塵も感じなかった。
机に向かっていても頭の中はゲームの事を考えているのかもしれない。
「水辺に連れて行っても水を飲ませる事はできない」のである。
お受験ママがどこまでそれをわかっているだろうか。
親が腐心すべきは学校選びではなく、いかに子供の心のスイッチを入れるかだ。
スイッチが入れば、自分で考え進んで行く。
親はそれを見守り、時に自分の経験に基づいてアドバイスし、必要なサポートをしてやればよい。
どこへ行くかだって、自分で決めた方がやる気だって出るだろう。
長女はまだ小学校4年生。
まずは我が子が学校の勉強についてどんな事を思っているのか。
好きな科目は?嫌いな科目は?それはなぜ?
教科書にも目を通し、できれば同じ目線でどんな事を考えているのかわかるようにしたいと考えている。うまくスイッチが入るかどうか。我が子にはそんなことをしていきたいと思うのである・・・
【昨日の読書】
「これから『正義』の話をしよう」マイケル・サンデル
「Invitation」小池真理子他
なんでも近所の某私立有名大学付属高校からは、9割が上の大学へ進学できるという。
それに比べてもう一つある付属の実業高校は、同じ付属と言いながら上の大学に進学できるのは1割程度。しかも学部もあまり選べないという。
近所のママ曰く、「小学校受験で付属の実業を受ける人の考えがわからない」らしい。
「当然付属高校を選ぶべきでしょう」と。
私も二児の父親。
子供の将来の事もあれこれ考える。
だがこうした受験情報に心を動かされる事はまったくない。
そんなの意味ない事だと思っているからだ。
かのご近所ママはたぶん経験していなくてわからないのだろう。
私の学生時代も「受験戦争」などという言葉が使われていた。
私立の付属高校へ行く友人も多かった。
しかしながら、たまたまだが、私の友人たちはみんな入ってから遊んでいた。
大学受験は確かに私より遥かに楽できたと思うが、その差がどうだとも思う。
浪人して予備校に通っていた先輩や友人達も結構遊んでいた。
ライバルと呼んでもいい友人O。
彼は家庭が経済的にあまり恵まれていなかった。
彼は親に負担をかけまいと塾にも予備校にも通わず、国立大学へストレートで進学した。
受験の時も私立には行けないからと受ける事すらせず、今と違って複数受験もできなかったから、文字通り一本勝負だ(ちなみに私も一本勝負だったが、負けて浪人した)。
Oは、「もし落ちたら受験勉強の傍ら、バイトして家に2万円入れる」と私に宣言していた。
落ちていたら奴はきっとそうしていただろう。
学校の勉強とラジオ講座というリーズナブルな勉強方法で彼は合格した。
もともと頭が良かったかというとそれほどでもない。
小学校時代から目の前で見ていたからよくわかる。
そもそもであるが、学校の勉強なんて極論すれば「やったかやらないか」だ。
頭の良し悪しはあまり関係ない(あくまでも学校の勉強だ)。
せいぜい凡人が1時間かかるところを天才は30分でできるという程度だ。
1時間かければ追いつくし、2時間かければ追い抜ける。
お受験ママは、それをやらずに「頭の良い子は違うから」と妙な理屈をこねて、この簡単な理屈を受け入れようとしない。彼は(だふん)相当やっていた。ただそれだけだ。
親が熱心に塾だ、家庭教師だと騒いでも、肝心な子供の心にスイッチが入らなければ何にもならない。学生時代に私が家庭教師で教えていた子は歯医者の息子。良い家に住んで、広い自室があって(トイレだって今の我が家の2倍の広さはあった)、こずかいだってたぶんたっぷりもらっていて、友人Oなら泣いて喜ぶ環境だ。
なのに勉強はやる気ゼロ。
高校時代のラグビー部の先輩たちは、浪人しながら気楽な予備校生活を満喫していた。
がけっぷちの必死さなど微塵も感じなかった。
机に向かっていても頭の中はゲームの事を考えているのかもしれない。
「水辺に連れて行っても水を飲ませる事はできない」のである。
お受験ママがどこまでそれをわかっているだろうか。
親が腐心すべきは学校選びではなく、いかに子供の心のスイッチを入れるかだ。
スイッチが入れば、自分で考え進んで行く。
親はそれを見守り、時に自分の経験に基づいてアドバイスし、必要なサポートをしてやればよい。
どこへ行くかだって、自分で決めた方がやる気だって出るだろう。
長女はまだ小学校4年生。
まずは我が子が学校の勉強についてどんな事を思っているのか。
好きな科目は?嫌いな科目は?それはなぜ?
教科書にも目を通し、できれば同じ目線でどんな事を考えているのかわかるようにしたいと考えている。うまくスイッチが入るかどうか。我が子にはそんなことをしていきたいと思うのである・・・
【昨日の読書】
「これから『正義』の話をしよう」マイケル・サンデル
「Invitation」小池真理子他
2010年9月20日月曜日
恐竜展
3連休の最終日、我が家は男チームと女チームとに分かれてそれぞれ別行動となった。
男チームは六本木ヒルズへと向かう。5歳の長男と六本木ヒルズはあまりにもマッチしない。
しかし、ここの53階で『恐竜展』をやっているのだから、マッチするもしないもないのである。
5歳の長男は恐竜好き。
まあ男の子は仮面ライダーとかウルトラマンとか恐竜とかが好きなものである。
さらに言えばトミカにプラレールであろう。
連休でもあるし、というわけで大好きな恐竜を見に行くことにしたのである。
我が家からは六本木までは西武池袋線と都営大江戸線とを乗り継いで行く。
長男は先頭車両に乗って前方を見るのが大好きだ。
恐竜展だけがお楽しみではないのである。
しかし、西武線の窓は高く長男の背が届かない。
持ち上げてやらないといけないから結構大変なのだ。
顧客サービスを考えるのならこういうところにも気を配ってほしいと思ってしまう。
一方都営大江戸線は窓が低いから好都合。
もっとも地下鉄で何を見るのだと思うのだが、長男は熱心に見ているから面白いのだろう。
こちらも何気に見ていて面白い事に気がついた。
大江戸線では運転手がほとんど運転しないのである。
西武線では運転手がレバーを動かして加減速を行う。
“電車でGO”の世界だ。
ところが大江戸線ではドアが締まるたとボタンを押すだけ。
その他には何もしている気配がない。
されど電車は加速し、駅に来れば減速して止まる。
自動運行なのだろうかと不思議だった。
傍から見たらやけに熱心に前を見ている親子だと映ったに違いない。
恐竜展自体はまずまずと行ったところ。
六本木ヒルズの53階という事でスペース的な制約もあったせいか、見て回るのに時間はかからなかった。見終わると長男は目ざとく恐竜のフィギアを見つける。
「買って、買って」とダダをこねるならピシャリとはねつけるのだが、「買わないの?」と誘われると思わず苦笑が漏れる。前回のウルトラセブンの時といい、長男の交渉力はなかなか見所があるように思う。
お土産にトリケラトプスとティラノサウルスのフィギアをゲットし、大満足の長男と岐路に着く。
東京ミッドタウンも出来上がってからはまだ見ていない。
見学したいと思ったが、それはまた次の機会だ。
思えば昔からこの六本木というところはどうも馴染めないところだ。
どうにも自分が場違いなところにいるように思えてならない。
独身寮の行事や結婚式の二次会や誘われた飲み会などで随分行っているのだが、その感覚は今もって変わらない。今日も長居せずに帰ってきたのも、子供連れという以外にそういう意識もあったのである。
さて、3連休もお終い。
次の我が家の予定はスカイツリー見学である!
男チームは六本木ヒルズへと向かう。5歳の長男と六本木ヒルズはあまりにもマッチしない。
しかし、ここの53階で『恐竜展』をやっているのだから、マッチするもしないもないのである。
5歳の長男は恐竜好き。まあ男の子は仮面ライダーとかウルトラマンとか恐竜とかが好きなものである。
さらに言えばトミカにプラレールであろう。
連休でもあるし、というわけで大好きな恐竜を見に行くことにしたのである。
我が家からは六本木までは西武池袋線と都営大江戸線とを乗り継いで行く。
長男は先頭車両に乗って前方を見るのが大好きだ。
恐竜展だけがお楽しみではないのである。
しかし、西武線の窓は高く長男の背が届かない。
持ち上げてやらないといけないから結構大変なのだ。
顧客サービスを考えるのならこういうところにも気を配ってほしいと思ってしまう。
一方都営大江戸線は窓が低いから好都合。
もっとも地下鉄で何を見るのだと思うのだが、長男は熱心に見ているから面白いのだろう。
こちらも何気に見ていて面白い事に気がついた。
大江戸線では運転手がほとんど運転しないのである。
西武線では運転手がレバーを動かして加減速を行う。
“電車でGO”の世界だ。
ところが大江戸線ではドアが締まるたとボタンを押すだけ。
その他には何もしている気配がない。
されど電車は加速し、駅に来れば減速して止まる。
自動運行なのだろうかと不思議だった。
傍から見たらやけに熱心に前を見ている親子だと映ったに違いない。
恐竜展自体はまずまずと行ったところ。
六本木ヒルズの53階という事でスペース的な制約もあったせいか、見て回るのに時間はかからなかった。見終わると長男は目ざとく恐竜のフィギアを見つける。
「買って、買って」とダダをこねるならピシャリとはねつけるのだが、「買わないの?」と誘われると思わず苦笑が漏れる。前回のウルトラセブンの時といい、長男の交渉力はなかなか見所があるように思う。
お土産にトリケラトプスとティラノサウルスのフィギアをゲットし、大満足の長男と岐路に着く。
東京ミッドタウンも出来上がってからはまだ見ていない。
見学したいと思ったが、それはまた次の機会だ。
思えば昔からこの六本木というところはどうも馴染めないところだ。
どうにも自分が場違いなところにいるように思えてならない。
独身寮の行事や結婚式の二次会や誘われた飲み会などで随分行っているのだが、その感覚は今もって変わらない。今日も長居せずに帰ってきたのも、子供連れという以外にそういう意識もあったのである。
さて、3連休もお終い。
次の我が家の予定はスカイツリー見学である!
2010年9月18日土曜日
これからの正義の話をしよう
今、「これからの『正義』の話をしよう」(マイケル・サンデル著)という本を読んでいる。これが面白い。もともとハーバード大学の人気講座を本にしたらしいのであるが、タイトルにある通り『正義』に関する議論なのである。
5人の命を救うために1人を犠牲にする事は正しいか、とか。
フォード社が爆発の危険性がある欠陥を発見したのに、リコールにかかる費用と実際に爆発が起こって犠牲者が出た場合の賠償コストを比較して、リコールを見送ったとか。
アフガニスタンで作戦を展開していた米軍特殊部隊の偵察隊が地元の羊飼いの親子に遭遇。
アルカイダに通報されるのを防ぐために部下が親子を殺すように進言してきたが、あなたならどうするとか。
ちなみに最後の例では、親子を殺す事を躊躇した隊長は彼らを逃がす(人間として当然だ)。その結果、親子はアルカイダに通報、彼らの偵察隊はアルカイダに包囲され、部下は全滅、救出に来たヘリは撃墜され乗っていた16人も死亡という結果になったという(ちなみにその事件は映画化『ローン・サバイバー』されている)。読みながらあれこれと考えさせられる。
読みながら2年前に観た 「ダークナイト」という映画を思い出した。
バットマンの映画なのであるが、これが善と悪、正義と悪との哲学的な対立を描き、ストーリーもさることながら、その重厚な問いかけに圧倒される優れた映画だ。
悪のジョーカーがゴッサムシティーを闇に包む。
正義を代表する検事デントがこれに立ち向かう。
しかしジョーカーは彼を捉え、さらにバットマン=ブルース・ウェインの愛する女性レイチェルを捕らえる。二人を離れた2カ所に監禁し、それぞれ同時刻に爆発する爆弾をセットする。そしてバットマンにどちらを助けるか選ばせるのである。
観客もバットマンがどちらを助けに向かっているのかわからない。
二人は無線で状況を知る。
デントはレイチェルを助けに行けとバットマンに叫ぶ。
デントは表向き大衆の前に正義の味方として立てないバットマンになり代わり、市民に希望を与える存在だ。刻一刻と爆発時刻は近付く。
自分だったらどうするか?
ちなみにバットマンは私の予想を裏切って(ジョーカーの策略で)デントを助けてしまう。
バットマンの姿を見たデントは絶望の叫びを上げ、爆弾は爆発する。
正義が単純に正義で、悪が単純に悪だったらこんなに簡単な事はない。
しかし、ジョーカーに協力した人たちは、ただの金欲しさだったりではなく、家族の病院代がほしくて協力したりしているする人もいるのである。
病気に苦しむ家族を前にして、果たしてジョーカーの誘いを断れるだろうか?
「スターウォーズ・エピソードⅢ」のアナキン・スカイウォーカーがフォースの暗黒面に捉えられてダースベイダーに落ちてしまうのも、私利私欲ではない。
純粋に愛する女性を救おうと思う行為だった。
だからこそ、この映画も面白いのだ。
あれこれ考えてみると、正義というものは結局相対的なものだ。
アメリカにとっての正義は、アルカイダにとってのそれとは違う。
アルカイダにとっての正義もまた然り。
9.11は許されざる犯罪ではあるが、石油利権獲得のためにイラクに攻め込んだアメリカによって大勢のイラク人が死んでいる。アメリカは極東軍事法廷で日本の指導者を戦犯として処罰したが、その「正義の国アメリカ」は、空襲で30万人以上の無抵抗な日本国民を虐殺している。勝者の高らかな正義の宣言の前に、敗者の正義は踏みにじられる・・・
まだこれから後半だが、簡単な事例からカントの哲学まで登場してきてなかなか面白い。
さすがハーバード大学の人気講座だ。
こういう講座がある事自体がアメリカの大きさなのだと思う。
こういう授業、受けてみたいものである・・・
【昨日の読書】
「これからの『正義』の話をしよう」マイケル・サンデル
「Invitation」小池真理子他

5人の命を救うために1人を犠牲にする事は正しいか、とか。
フォード社が爆発の危険性がある欠陥を発見したのに、リコールにかかる費用と実際に爆発が起こって犠牲者が出た場合の賠償コストを比較して、リコールを見送ったとか。
アフガニスタンで作戦を展開していた米軍特殊部隊の偵察隊が地元の羊飼いの親子に遭遇。
アルカイダに通報されるのを防ぐために部下が親子を殺すように進言してきたが、あなたならどうするとか。
ちなみに最後の例では、親子を殺す事を躊躇した隊長は彼らを逃がす(人間として当然だ)。その結果、親子はアルカイダに通報、彼らの偵察隊はアルカイダに包囲され、部下は全滅、救出に来たヘリは撃墜され乗っていた16人も死亡という結果になったという(ちなみにその事件は映画化『ローン・サバイバー』されている)。読みながらあれこれと考えさせられる。
読みながら2年前に観た 「ダークナイト」という映画を思い出した。
バットマンの映画なのであるが、これが善と悪、正義と悪との哲学的な対立を描き、ストーリーもさることながら、その重厚な問いかけに圧倒される優れた映画だ。
悪のジョーカーがゴッサムシティーを闇に包む。
正義を代表する検事デントがこれに立ち向かう。
しかしジョーカーは彼を捉え、さらにバットマン=ブルース・ウェインの愛する女性レイチェルを捕らえる。二人を離れた2カ所に監禁し、それぞれ同時刻に爆発する爆弾をセットする。そしてバットマンにどちらを助けるか選ばせるのである。
観客もバットマンがどちらを助けに向かっているのかわからない。
二人は無線で状況を知る。
デントはレイチェルを助けに行けとバットマンに叫ぶ。
デントは表向き大衆の前に正義の味方として立てないバットマンになり代わり、市民に希望を与える存在だ。刻一刻と爆発時刻は近付く。
自分だったらどうするか?
ちなみにバットマンは私の予想を裏切って(ジョーカーの策略で)デントを助けてしまう。
バットマンの姿を見たデントは絶望の叫びを上げ、爆弾は爆発する。
正義が単純に正義で、悪が単純に悪だったらこんなに簡単な事はない。
しかし、ジョーカーに協力した人たちは、ただの金欲しさだったりではなく、家族の病院代がほしくて協力したりしているする人もいるのである。
病気に苦しむ家族を前にして、果たしてジョーカーの誘いを断れるだろうか?
「スターウォーズ・エピソードⅢ」のアナキン・スカイウォーカーがフォースの暗黒面に捉えられてダースベイダーに落ちてしまうのも、私利私欲ではない。
純粋に愛する女性を救おうと思う行為だった。
だからこそ、この映画も面白いのだ。
あれこれ考えてみると、正義というものは結局相対的なものだ。
アメリカにとっての正義は、アルカイダにとってのそれとは違う。
アルカイダにとっての正義もまた然り。
9.11は許されざる犯罪ではあるが、石油利権獲得のためにイラクに攻め込んだアメリカによって大勢のイラク人が死んでいる。アメリカは極東軍事法廷で日本の指導者を戦犯として処罰したが、その「正義の国アメリカ」は、空襲で30万人以上の無抵抗な日本国民を虐殺している。勝者の高らかな正義の宣言の前に、敗者の正義は踏みにじられる・・・
まだこれから後半だが、簡単な事例からカントの哲学まで登場してきてなかなか面白い。
さすがハーバード大学の人気講座だ。
こういう講座がある事自体がアメリカの大きさなのだと思う。
こういう授業、受けてみたいものである・・・
【昨日の読書】
「これからの『正義』の話をしよう」マイケル・サンデル
「Invitation」小池真理子他
2010年9月15日水曜日
懐かしき紫煙
タバコについてもう少し。
前回も書いた通り、初めてタバコを吸ったのは高校生になった時のこと。
従兄が布団の中で吸い方を教えてくれたのだ。
「一回吸って軽く口の中に蓄えてから肺に吸い込むようにする」と教わった。
知らないと一呼吸で煙を吸いこんでいるイメージがあるが、厳密に言うと2段階で吸いこんでいるのである。
大学一年の時に掃除のアルバイトに行った時のことだ。
たまたま一緒になった同じ大学の同級生がタバコをふかしていた。
「なんかへんだな」と思ってよく観察したら、その彼は煙を口に入れて次に吐き出していたのだ。
吸いこむたびにほっぺが膨らむ。
そしてプフォーと吐き出す。
見ていて笑い転げそうになった。
彼は煙を肺に入れていなかったのだ。
真面目そうな彼だったから、子供の頃から勉強一筋で、たぶんタバコなんか吸う友達も、ましてや吸い方を教えてくれる従兄もいなかったのだと思う。
20歳になって、俺も大人になったからとタバコを吸おうと思ったのだが、見よう見真似で吸い方がわからなかったのだと思う(あるいはひょっとしたら、体に悪いからそういう吸い方をしていたのかもしれない)。笑い転げそうになった私だが、従兄がいなければ彼と同じ事をしていたに違いない(といっても高校の友達が教えてくれたかもしれないな)。
思えば従兄にはタバコも酒も教えてもらった。
学校の勉強は教えてくれなかったが、こうした事を教えてもらった恩恵は計り知れない。
「彼女ができた」と聞いた時には、どんな付き合い方をしているのか、おばさんの目を盗んで彼女を部屋に連れ込んで、それから・・・なんて話を、目をランランと輝かせて聞いたものである。
味を覚えるといろいろと自分に合ったタバコ、うまい吸い方などを研究するようになった。国産、洋モク、葉巻といろいろ試した末、一番気に入ったのがセブンスターと赤い箱のマルボロだった。
ダメだったのがメンソール。
あれはタバコの本来の味がまったくわからなくなる。
どこがどういう風にいいのだろうと今でも疑問だ。
「食後のコーヒーとともに吸うマルボロ」
これが一番うまいタバコだった。
余談だが、コーヒーと一緒に吸うというのは意外に好きな人が多いようである。会社でも、「タバコをやめた途端、コーヒー代が激減した」という人がいる。いつも喫茶店でタバコを吸っていたからだそうである。私も家に帰ってきてから、食後のコーヒーと一緒にタバコを吸う一時が、まさに至福の一時であった。
あの時代、身の回りでもテレビでもタバコはいたるところで吸われていた。
松田優作のジーパン刑事だって最後にタバコを咥えて息絶えたし、映画やドラマの二枚目はみんなカッコよくタバコを燻らせていた。
多感な時期の若者が真似するわけだ。
今では喫煙族は肩身が狭いことこの上ない。
個人的にはまったく困る事もないのであるが、どういうわけであろうか、時折、独身寮にいたあの頃、疲れて帰りついた部屋で一人食後のコーヒーとともに燻らせていたマルボロの煙が懐かしく思う時がある。そんな時、たまには吸ってみようかなと思うのである。
とは思うものの、買いに行ってもタスポはないから販売機では買えないし、高校生の頃付き合っていた彼女にもらったライターは実家のロフトのどこかにはいったままだし、灰皿はとっくに処分したしで障害が大きい。なにせへそ曲がりで天の邪鬼の私ゆえ、時代が嫌煙なら俺は喫煙と思わなくもない。いずれ長い休煙期間が終わる時が近いかもしれないと思うのである・・・
Life is beautiful!
【本日の読書】
「これからの『正義』の話をしよう」マイケル・サンデル
「生きっぱなしの記」阿久悠
前回も書いた通り、初めてタバコを吸ったのは高校生になった時のこと。
従兄が布団の中で吸い方を教えてくれたのだ。
「一回吸って軽く口の中に蓄えてから肺に吸い込むようにする」と教わった。
知らないと一呼吸で煙を吸いこんでいるイメージがあるが、厳密に言うと2段階で吸いこんでいるのである。
大学一年の時に掃除のアルバイトに行った時のことだ。
たまたま一緒になった同じ大学の同級生がタバコをふかしていた。
「なんかへんだな」と思ってよく観察したら、その彼は煙を口に入れて次に吐き出していたのだ。
吸いこむたびにほっぺが膨らむ。
そしてプフォーと吐き出す。
見ていて笑い転げそうになった。
彼は煙を肺に入れていなかったのだ。
真面目そうな彼だったから、子供の頃から勉強一筋で、たぶんタバコなんか吸う友達も、ましてや吸い方を教えてくれる従兄もいなかったのだと思う。
20歳になって、俺も大人になったからとタバコを吸おうと思ったのだが、見よう見真似で吸い方がわからなかったのだと思う(あるいはひょっとしたら、体に悪いからそういう吸い方をしていたのかもしれない)。笑い転げそうになった私だが、従兄がいなければ彼と同じ事をしていたに違いない(といっても高校の友達が教えてくれたかもしれないな)。
思えば従兄にはタバコも酒も教えてもらった。
学校の勉強は教えてくれなかったが、こうした事を教えてもらった恩恵は計り知れない。
「彼女ができた」と聞いた時には、どんな付き合い方をしているのか、おばさんの目を盗んで彼女を部屋に連れ込んで、それから・・・なんて話を、目をランランと輝かせて聞いたものである。
味を覚えるといろいろと自分に合ったタバコ、うまい吸い方などを研究するようになった。国産、洋モク、葉巻といろいろ試した末、一番気に入ったのがセブンスターと赤い箱のマルボロだった。ダメだったのがメンソール。
あれはタバコの本来の味がまったくわからなくなる。
どこがどういう風にいいのだろうと今でも疑問だ。
「食後のコーヒーとともに吸うマルボロ」
これが一番うまいタバコだった。
余談だが、コーヒーと一緒に吸うというのは意外に好きな人が多いようである。会社でも、「タバコをやめた途端、コーヒー代が激減した」という人がいる。いつも喫茶店でタバコを吸っていたからだそうである。私も家に帰ってきてから、食後のコーヒーと一緒にタバコを吸う一時が、まさに至福の一時であった。
あの時代、身の回りでもテレビでもタバコはいたるところで吸われていた。
松田優作のジーパン刑事だって最後にタバコを咥えて息絶えたし、映画やドラマの二枚目はみんなカッコよくタバコを燻らせていた。
多感な時期の若者が真似するわけだ。
今では喫煙族は肩身が狭いことこの上ない。
個人的にはまったく困る事もないのであるが、どういうわけであろうか、時折、独身寮にいたあの頃、疲れて帰りついた部屋で一人食後のコーヒーとともに燻らせていたマルボロの煙が懐かしく思う時がある。そんな時、たまには吸ってみようかなと思うのである。
とは思うものの、買いに行ってもタスポはないから販売機では買えないし、高校生の頃付き合っていた彼女にもらったライターは実家のロフトのどこかにはいったままだし、灰皿はとっくに処分したしで障害が大きい。なにせへそ曲がりで天の邪鬼の私ゆえ、時代が嫌煙なら俺は喫煙と思わなくもない。いずれ長い休煙期間が終わる時が近いかもしれないと思うのである・・・
Life is beautiful!
【本日の読書】
「これからの『正義』の話をしよう」マイケル・サンデル
「生きっぱなしの記」阿久悠
2010年9月12日日曜日
タバコをやめられないなんて・・・
10月からタバコが100円も値上がりするようである。
一時は海外のように一箱1,000円になるという話もまことしやかに流れていたが、100円で良かったのか、100円も値上がりしたと考えるのか、たばこを吸わない私には何とも言えないところである。
何でもこれを機にたばこを辞めようと言う人が、禁煙クリニックやら禁煙グッズやらに殺到しており、今それらの関連の売り上げが急増しているという。私にしてみるとそんなものに頼らないとたばこをやめられないなんて、情けないと思わざるを得ない。医者やグッズに頼るのははっきり言って「甘え」以外の何ものでもない。
よく「俺はたばこをやめられないしやめるつもりもない」と豪語していた人が、肺癌と診断された途端、ピタッと煙草をやめたという話を耳にした事があるが、要は真剣にやめようと思えばやめられるのである。真剣に思わないから、「吸いたい」という誘惑に耐えられないだけである。
私は今こそたばこを吸っていないが、初めて吸ったのは高校生になってからだ。
小学校4年から春と夏の休みには2週間程度 御代田に住む従兄の家に一人遊びに行っていた。
一つ年上のその従兄は、長男の私にしてみれば良い兄貴だったのだ。その従兄に、夜布団のなかでたばこの吸い方を教わったのだ(ちなみに酒も教えてもらった)。
それ以来、カッコつけのためだけに親に隠れてタバコを吸っていた。
最初はカッコつけでも、やがて味がわかってくる。そうすると次に「吸いたい」と思って吸うようになり、やがてどういう状況で吸うと「おいしいか」がわかるようになる。私の場合、「食後のコーヒーと一緒に吸う」のが一番であった。
逆に歩きタバコはあんまりうまいと感じなかった。
風があるとその影響を受けるらしい。
だからあまり歩きタバコはしなかったし、今でも歩きタバコをしている人を見ると、「タバコを味わっているのか、味がわかっているのか」と思ってしまう。
人やモノに頼ってまでタバコをやめようとするなんて、ナンセンスだ。
まあ自分にはあまり関わりのない事だし、他人の事をとやかく言う事でもない。
果たして、また吸いたくなる時がくるのだろうか。
それがちょっとだけ興味深いところである・・・
一時は海外のように一箱1,000円になるという話もまことしやかに流れていたが、100円で良かったのか、100円も値上がりしたと考えるのか、たばこを吸わない私には何とも言えないところである。
何でもこれを機にたばこを辞めようと言う人が、禁煙クリニックやら禁煙グッズやらに殺到しており、今それらの関連の売り上げが急増しているという。私にしてみるとそんなものに頼らないとたばこをやめられないなんて、情けないと思わざるを得ない。医者やグッズに頼るのははっきり言って「甘え」以外の何ものでもない。
よく「俺はたばこをやめられないしやめるつもりもない」と豪語していた人が、肺癌と診断された途端、ピタッと煙草をやめたという話を耳にした事があるが、要は真剣にやめようと思えばやめられるのである。真剣に思わないから、「吸いたい」という誘惑に耐えられないだけである。
私は今こそたばこを吸っていないが、初めて吸ったのは高校生になってからだ。
小学校4年から春と夏の休みには2週間程度 御代田に住む従兄の家に一人遊びに行っていた。
一つ年上のその従兄は、長男の私にしてみれば良い兄貴だったのだ。その従兄に、夜布団のなかでたばこの吸い方を教わったのだ(ちなみに酒も教えてもらった)。
それ以来、カッコつけのためだけに親に隠れてタバコを吸っていた。
最初はカッコつけでも、やがて味がわかってくる。そうすると次に「吸いたい」と思って吸うようになり、やがてどういう状況で吸うと「おいしいか」がわかるようになる。私の場合、「食後のコーヒーと一緒に吸う」のが一番であった。
逆に歩きタバコはあんまりうまいと感じなかった。
風があるとその影響を受けるらしい。
だからあまり歩きタバコはしなかったし、今でも歩きタバコをしている人を見ると、「タバコを味わっているのか、味がわかっているのか」と思ってしまう。
また、酒の席だとタバコが進む。
だから酒を飲みながら吸う人の気持ちはよくわかる。
だが、これは飲み過ぎたりすると次の日に倍の気持ち悪さとなって現れたりする。
そんなタバコ生活をやめようと思った事は、実は今まで一度もない。今でもそうである。
30歳になった時に会社の業務研修で大阪に行き、3ヶ月ほどの研修生活を送った。
年齢的にも体力の低下を自覚し、当時まだ現役でラグビーをやっていた私は危機感を覚え、最後の一カ月間を体力回復期間に充てる決意をした。
朝起きて走り、朝食はリンゴ一個。
タバコは一カ月間の期間限定禁煙を自分に課し、夜は筋トレに励んだ。
「一カ月間の禁煙くらいできなくてどうする」と自分に言い聞かせ、ぴしゃりと吸いたい気持ちを抑えきった。簡単な事だった。
だから酒を飲みながら吸う人の気持ちはよくわかる。
だが、これは飲み過ぎたりすると次の日に倍の気持ち悪さとなって現れたりする。
そんなタバコ生活をやめようと思った事は、実は今まで一度もない。今でもそうである。
30歳になった時に会社の業務研修で大阪に行き、3ヶ月ほどの研修生活を送った。
年齢的にも体力の低下を自覚し、当時まだ現役でラグビーをやっていた私は危機感を覚え、最後の一カ月間を体力回復期間に充てる決意をした。
朝起きて走り、朝食はリンゴ一個。
タバコは一カ月間の期間限定禁煙を自分に課し、夜は筋トレに励んだ。
「一カ月間の禁煙くらいできなくてどうする」と自分に言い聞かせ、ぴしゃりと吸いたい気持ちを抑えきった。簡単な事だった。
その間、一度だけ夢で吸った。
タバコを吸いながら、「なぜ迷わなかったのだろう」とえらく後悔した。
普通、「吸っちゃえ」という悪魔の声と「吸うな」という天使の声が交錯するだろうと。
だが迷いもなく火をつけ吸っていたからショックだったのだ。
目が覚めてほっとしたのを覚えている。
そして東京に戻ったが、それ以後不思議とタバコを吸いたいと思わなくなっていた。
吸いたくないから吸わないという、いわば【休煙】状態がそのままずっと続いている。
だが禁煙したわけでもない。たまに実家で弟と会い、なんとなくタバコをうまそうに吸っている弟を見て、「一本よこせ」と言って火をつけた事がたびたびある。しかし、不思議とあんまりうまいと感じずにそのまま吸う事もないのである。
将来どうなるかはわからない。
また吸いたくなるかもしれないし、このままかもしれない。
だが基本は「吸いたいから吸う、吸いたくないから吸わない」だ。
健康にどうだとか、値段がどうだとかは関係ない。
タバコを吸いながら、「なぜ迷わなかったのだろう」とえらく後悔した。
普通、「吸っちゃえ」という悪魔の声と「吸うな」という天使の声が交錯するだろうと。
だが迷いもなく火をつけ吸っていたからショックだったのだ。
目が覚めてほっとしたのを覚えている。
そして東京に戻ったが、それ以後不思議とタバコを吸いたいと思わなくなっていた。
吸いたくないから吸わないという、いわば【休煙】状態がそのままずっと続いている。
だが禁煙したわけでもない。たまに実家で弟と会い、なんとなくタバコをうまそうに吸っている弟を見て、「一本よこせ」と言って火をつけた事がたびたびある。しかし、不思議とあんまりうまいと感じずにそのまま吸う事もないのである。
将来どうなるかはわからない。
また吸いたくなるかもしれないし、このままかもしれない。
だが基本は「吸いたいから吸う、吸いたくないから吸わない」だ。
健康にどうだとか、値段がどうだとかは関係ない。
人やモノに頼ってまでタバコをやめようとするなんて、ナンセンスだ。
まあ自分にはあまり関わりのない事だし、他人の事をとやかく言う事でもない。
果たして、また吸いたくなる時がくるのだろうか。
それがちょっとだけ興味深いところである・・・
2010年9月10日金曜日
大腸内視鏡検査
勤務先では毎年健康診断をやってくれている。
こういう事は自分でやるとなるとおっくうだ。
勤務先で年に一度、忘れずに通知をくれてやってもらえるのは非常にありがたい。
実はここ数年、毎回ちょっとひっかかっている。
メタボは詐欺みたいなものだからあまり気にしていないが、大腸である。
医師の勧めで今年は内視鏡検査を受ける事になった。
(過去、バリウム検査は2度もやっている)
前日寝る前に下剤を飲み、朝から絶食して病院へ。
準備の後、腸管洗浄液なるものを飲まされた。1時間で2リットルを飲めという。これがほんのり塩味のきいた微妙な味の飲み物で、飲み進むうちに気分が悪くなる。最後は吐き気との戦い。一緒に検査を受けていた人たちは苦も無く飲んでいたのが不思議だった。
飲み終えてから検査まで3時間。
昼を挟んで、トイレに何往復もしながらひたすら待つ。
まあいい読書タイムではあったが、普段読みもしない週刊誌なんかも読んだりして、これはこれで良かったかもしれない。
本番の内視鏡検査が始まる。
肛門から内視鏡を入れられるわけで、初めは身構えていたが、あっさりするすると入っていく。
目の前のモニターには内視鏡の映像が映し出される。初めて見る己の腹の中。それは意外にもあざやかなピンク色の世界であった。
大腸内をぐるりと内視鏡が進むのだが、さすがに何とも言えない嫌な感覚。
「ここが盲腸、終点です」と言われ、ちょっと安心する。しばらくして「ポリープがありますね」と言われる。アップになった画像には、言われてみれば突起物が・・・
何やら看護師さんが準備を初め、ポリープ切除が始まる。事前にポリープはいずれ癌になるので、見つけたら取りますと言われていたが、まさかそんな事態になるとは思っていなかった。と言ってもこっちは尻から管を入れられて情けなく横たわっているだけ。
生理食塩水をポリープの下の腸壁に注入してポリープを浮き上がらせる。
そこを輪っかのようなものを巻きつけ、きゅっとその輪を締める。
たぶん電気メスの一種なのだろうが、あっさり終わる。抜くときはいとも簡単。
一応、これも手術なのだと言う(請求書にしっかりと書いてあった)。
というわけで今日は人生初の手術記念日と言える。
結局一日がかりだったが、まあこれで済んで良かったのだろう。
「一週間激しい運動は控えて下さい。お酒はダメです。それと食べ物も消化の良いものにして下さい。例えば・・・」
今週末には社会人向け勉強会で、夜は懇親会。
メーリングリストではピザを頼もうとかいろいろ盛り上がっている。
説明を聞きながら、「お茶飲んでいるだけかい」と一人心の中で愚痴る。
「これで来年の健康診断は大丈夫なんだろうな」
まだゴロゴロ言うお腹をさすりながら家路に着く。
おばちゃん看護師さんはとても親切だったが、また行きたいとは思わない。
大好きなコーヒーも飲めないし、食べられるもののリストを眺めていたら、何だか痩せそうな気がする(メタボにもちょっと良いかもしれない)。
健康のありがたさに感謝しつつ、一週間過ごすとしようと思うのである・・・
Life is beautiful!
【本日の読書】
「2000社の赤字会社を黒字にした社長のノート2」長谷川和廣
「ザ・クリスタル・ボール」エリヤフ・ゴールドラット
こういう事は自分でやるとなるとおっくうだ。
勤務先で年に一度、忘れずに通知をくれてやってもらえるのは非常にありがたい。
実はここ数年、毎回ちょっとひっかかっている。
メタボは詐欺みたいなものだからあまり気にしていないが、大腸である。
医師の勧めで今年は内視鏡検査を受ける事になった。
(過去、バリウム検査は2度もやっている)
前日寝る前に下剤を飲み、朝から絶食して病院へ。
準備の後、腸管洗浄液なるものを飲まされた。1時間で2リットルを飲めという。これがほんのり塩味のきいた微妙な味の飲み物で、飲み進むうちに気分が悪くなる。最後は吐き気との戦い。一緒に検査を受けていた人たちは苦も無く飲んでいたのが不思議だった。
飲み終えてから検査まで3時間。
昼を挟んで、トイレに何往復もしながらひたすら待つ。
まあいい読書タイムではあったが、普段読みもしない週刊誌なんかも読んだりして、これはこれで良かったかもしれない。
本番の内視鏡検査が始まる。肛門から内視鏡を入れられるわけで、初めは身構えていたが、あっさりするすると入っていく。
目の前のモニターには内視鏡の映像が映し出される。初めて見る己の腹の中。それは意外にもあざやかなピンク色の世界であった。
大腸内をぐるりと内視鏡が進むのだが、さすがに何とも言えない嫌な感覚。
「ここが盲腸、終点です」と言われ、ちょっと安心する。しばらくして「ポリープがありますね」と言われる。アップになった画像には、言われてみれば突起物が・・・
何やら看護師さんが準備を初め、ポリープ切除が始まる。事前にポリープはいずれ癌になるので、見つけたら取りますと言われていたが、まさかそんな事態になるとは思っていなかった。と言ってもこっちは尻から管を入れられて情けなく横たわっているだけ。
生理食塩水をポリープの下の腸壁に注入してポリープを浮き上がらせる。
そこを輪っかのようなものを巻きつけ、きゅっとその輪を締める。
たぶん電気メスの一種なのだろうが、あっさり終わる。抜くときはいとも簡単。
一応、これも手術なのだと言う(請求書にしっかりと書いてあった)。
というわけで今日は人生初の手術記念日と言える。
結局一日がかりだったが、まあこれで済んで良かったのだろう。
「一週間激しい運動は控えて下さい。お酒はダメです。それと食べ物も消化の良いものにして下さい。例えば・・・」
今週末には社会人向け勉強会で、夜は懇親会。
メーリングリストではピザを頼もうとかいろいろ盛り上がっている。
説明を聞きながら、「お茶飲んでいるだけかい」と一人心の中で愚痴る。
「これで来年の健康診断は大丈夫なんだろうな」
まだゴロゴロ言うお腹をさすりながら家路に着く。
おばちゃん看護師さんはとても親切だったが、また行きたいとは思わない。
大好きなコーヒーも飲めないし、食べられるもののリストを眺めていたら、何だか痩せそうな気がする(メタボにもちょっと良いかもしれない)。
健康のありがたさに感謝しつつ、一週間過ごすとしようと思うのである・・・
Life is beautiful!
【本日の読書】
「2000社の赤字会社を黒字にした社長のノート2」長谷川和廣
「ザ・クリスタル・ボール」エリヤフ・ゴールドラット
2010年9月7日火曜日
Life is beautiful!
人生は心のあり方で決まる
心のあり方を変えれば決定が変わる
決定が変われば行動が変わる
行動が変われば人生が変わる
実は今大きな問題を抱えている。
もう長い事悪戦苦闘しているが、なかなか出口が見えない。
踏み出すべきではなかった道に迷いこみ、その結果、長くて出口の見えないトンネルに迷い込んでしまった。後悔する一方で、トンネルを抜けた先に開ける未来への期待もあり、相交差して複雑な心境である。
人生最大のピンチだと思っており、真剣に考えれば夜も眠れなくなるほどの不安に襲われるが、いつの頃からかあまり深刻に考えなくなった。どうやら私の心にはサーキットブレーカーがあって、心に一定以上の負荷がかかるとそれが働いて、心に必要以上の負荷がかからなくなるようになっているらしい。
数年前、仕事で大きな失敗をした時もこのサーキットブレーカーが働いた。
会社にも大きな迷惑をかけるミスで、毎日針のムシロだった。
会社に行きたくないと思った。
周りの人の視線が痛かった。
しかし、何日かしてからこのサーキットブレーカーが働き、すっと力が抜けた。会社から見事な「厳重注意書」をいただいたが、休むことなくすべての批判を正面から受け止められた。まあ良い経験だったが、二度としたくはない経験だ。
今もサーキットブレーカーが働いているが、問題が解決したわけではない。
日々、根拠のない楽観と「夜明け前が一番暗い」という信仰が支えだ。
そういう問題があるからだろうか、それとも 「自分が源泉」という考え方が身についてきたからだろうか、毎日平凡な一日を過ごしていてもそれだけでありがたいと思う。
毎日の通勤も、“痛勤電車”などと揶揄する人もいるが、私にしてみれば本が読めるくらいのスペースはあるし、時間もDoor to doorで1時間とそんなに苦にならない。
暑いと言ってもクールビズでネクタイからは解放されているし、職場の人間関係で悩む事もない。
子供の寝顔しか見れないというほど過酷な残業もないし、帰れば家族がわいわいやっていて家の中は賑やかだ。親の体調は心配だが、それ以上に心を痛める問題もない。
週末の深夜には大好きな映画を観られるし、月一回は銀座の映画館でも楽しんでいる。
大事にしている時間は過ごせているし、友人知人にも恵まれている。
コインを見て表と見るか裏と見るかは見方次第だ。
表から見れば表が、裏から見れば裏が見える。
平凡な一日も、「良い事がなかった」と考えるか、「悪い事がなかった」と考えるかも考え方だ。
以前、「ライフ イズ ビューティフル」という映画があった。
ナチスドイツに捉えられたユダヤ人父子の物語だ。
母親と引き離されて収容所で暮らす毎日に、父は毎日をゲームに見たてて、子供を楽しませて過ごす。最後に悲しい結末があるのだが、悲劇だけの映画とも言えず、なぜか映画のタイトルと内容とが見事に一致していると感じた映画である。
バラ色の人生を送りたいとは思うが、良い事ずくめが果たしてハッピーライフなのかどうかはわからない。重荷は重荷で確かに辛いが、辛い練習を経てライバルに勝った試合ほど喜びは大きい。
もちろん、それは“勝てば”の話であって、負ければ悲惨だ。
そこに大きな不安があって、それこそが心を乱す原因ではあるのだ。
ただそれこそが、大げさに言えば生きている証。
『冬があり夏があり、昼と夜があり、晴れた日と雨の日があってひとつの花が咲くように、悲しみも苦しみもあって私が私になってゆく(星野富弘)』
そんな心境で乗り越えていきたいものだ。
その名の通り“Life is beuatiful”というサイトがある。
みんなが感じたちょっとした感動を投稿したサイトだ。
一つ一つ読んで行くと、大きな喜びやささやかな喜びといろいろ感じ方があるのがわかる。
山あり谷ありと今もこれからもあるのだろうが、これも自分の人生と割り切って楽しむ気持ちを持っていたいと思うのである・・・
【本日の読書】
「2000社の赤字会社を黒字にした社長のノート2」長谷川和廣
「ザ・クリスタル・ボール」エリヤフ・ゴールドラット
心のあり方を変えれば決定が変わる
決定が変われば行動が変わる
行動が変われば人生が変わる
ヒンドゥー教の教え
*******************************************************************************************************************
実は今大きな問題を抱えている。
もう長い事悪戦苦闘しているが、なかなか出口が見えない。
踏み出すべきではなかった道に迷いこみ、その結果、長くて出口の見えないトンネルに迷い込んでしまった。後悔する一方で、トンネルを抜けた先に開ける未来への期待もあり、相交差して複雑な心境である。
人生最大のピンチだと思っており、真剣に考えれば夜も眠れなくなるほどの不安に襲われるが、いつの頃からかあまり深刻に考えなくなった。どうやら私の心にはサーキットブレーカーがあって、心に一定以上の負荷がかかるとそれが働いて、心に必要以上の負荷がかからなくなるようになっているらしい。
数年前、仕事で大きな失敗をした時もこのサーキットブレーカーが働いた。
会社にも大きな迷惑をかけるミスで、毎日針のムシロだった。
会社に行きたくないと思った。
周りの人の視線が痛かった。
しかし、何日かしてからこのサーキットブレーカーが働き、すっと力が抜けた。会社から見事な「厳重注意書」をいただいたが、休むことなくすべての批判を正面から受け止められた。まあ良い経験だったが、二度としたくはない経験だ。
今もサーキットブレーカーが働いているが、問題が解決したわけではない。
日々、根拠のない楽観と「夜明け前が一番暗い」という信仰が支えだ。
そういう問題があるからだろうか、それとも 「自分が源泉」という考え方が身についてきたからだろうか、毎日平凡な一日を過ごしていてもそれだけでありがたいと思う。
毎日の通勤も、“痛勤電車”などと揶揄する人もいるが、私にしてみれば本が読めるくらいのスペースはあるし、時間もDoor to doorで1時間とそんなに苦にならない。
暑いと言ってもクールビズでネクタイからは解放されているし、職場の人間関係で悩む事もない。
子供の寝顔しか見れないというほど過酷な残業もないし、帰れば家族がわいわいやっていて家の中は賑やかだ。親の体調は心配だが、それ以上に心を痛める問題もない。
週末の深夜には大好きな映画を観られるし、月一回は銀座の映画館でも楽しんでいる。
大事にしている時間は過ごせているし、友人知人にも恵まれている。
コインを見て表と見るか裏と見るかは見方次第だ。
表から見れば表が、裏から見れば裏が見える。
平凡な一日も、「良い事がなかった」と考えるか、「悪い事がなかった」と考えるかも考え方だ。
以前、「ライフ イズ ビューティフル」という映画があった。
ナチスドイツに捉えられたユダヤ人父子の物語だ。
母親と引き離されて収容所で暮らす毎日に、父は毎日をゲームに見たてて、子供を楽しませて過ごす。最後に悲しい結末があるのだが、悲劇だけの映画とも言えず、なぜか映画のタイトルと内容とが見事に一致していると感じた映画である。
バラ色の人生を送りたいとは思うが、良い事ずくめが果たしてハッピーライフなのかどうかはわからない。重荷は重荷で確かに辛いが、辛い練習を経てライバルに勝った試合ほど喜びは大きい。
もちろん、それは“勝てば”の話であって、負ければ悲惨だ。
そこに大きな不安があって、それこそが心を乱す原因ではあるのだ。
ただそれこそが、大げさに言えば生きている証。
『冬があり夏があり、昼と夜があり、晴れた日と雨の日があってひとつの花が咲くように、悲しみも苦しみもあって私が私になってゆく(星野富弘)』
そんな心境で乗り越えていきたいものだ。
その名の通り“Life is beuatiful”というサイトがある。
みんなが感じたちょっとした感動を投稿したサイトだ。
一つ一つ読んで行くと、大きな喜びやささやかな喜びといろいろ感じ方があるのがわかる。
山あり谷ありと今もこれからもあるのだろうが、これも自分の人生と割り切って楽しむ気持ちを持っていたいと思うのである・・・
【本日の読書】
「2000社の赤字会社を黒字にした社長のノート2」長谷川和廣
「ザ・クリスタル・ボール」エリヤフ・ゴールドラット
2010年9月4日土曜日
ひと夏の思い出
本日は家族で昭和記念公園のレインボープールに行って来た。
なにせ9月とはいえ、この暑さ。
しかも私の住んでいる練馬は、東京の最高気温というと必ず引き合いに出されるというありがたい土地柄。この夏の締めくくりとして、行く事にしたのだ。
実は都内のプールは8月一杯というところが結構多い。
我が家の近所の区民プールは軒並み8月一杯だし、近くのプールもそういうところが多い。
9月の頭までやっているというのは珍しいようである。
そして今日はその狙いが見事的中したような天気。
選択は間違っていなかったようである。
日中は肌をさす日差し。
地面も暑くて裸足で歩けない(どうやら足の裏を少しやけどしたみたいである)。
流れるプールは水も冷たく(他のプールはさすがに温まっていた)、気持ちよかった。
子供たちも喜んでいたし、今年はリベンジできた。
実は昨年は散々だった。
私の夏休み期間中はほとんど雨で、やっぱり昭和記念公園のプールに行ったのだが、午後から雨。
しかも雷のおまけつき。プールの噴水の下に入った長男が、「去年のプールみたい!」と喜んでいたが、笑えない冗談だった。区民プールも室内のある所に、雨だから車で妻に送ってもらって子供たちと行ったほどであった。だからリベンジなのである。
そういえば我が家はプールオンリーである。
海には行かない(関東近辺では、という意味である)。
海だと距離があるし、せっかく行っても江の島あたりは汚いし、房総、九十九里などは遠いし渋滞するし、で勇気が出ないのだ。そのあたりの海は子供の頃によく連れて行ってもらったものである。
子供の頃と言っても小学生の頃だ。
電車に乗って行った記憶がある。
そのうち何回かは仲の良い友達家族と行ったが、親父の姿はそこにはなかった。たぶん、夏休みの平日に行ったのだろう。千葉の御宿とか、そのあたりだったと思う。民宿に泊まって、いつも焼き過ぎた肌がヒリヒリ痛かったのを覚えている。
今から思うと、当時は週休2日制なんてない。
家族で海に行った記憶もあるが、あれはあるいは日帰りだったのかもしれない。
せっかくの週に一度の休みに親父は疲れただろうな、と今になってみれば思う。
私も今日は疲れたから、明日は寝坊しようなんて思っているが、あの頃の親父はそんな事言ってられなかったわけだ。
私の母親は、いろいろと家事の手伝いをする私の姿を見て、「今のお嫁さんはいいわねぇ」なんて言うが(それを妻が嫌味ととるからあとで私も大変なのである)、当時の親父の立場にたってみれば、週に6日間働いて(しかも水曜日には早帰りしましょうなんて習慣もなかったわけである)ようやくの日曜日、何もする気にはなれなかったのだろうと思う(神様だって7日目にはお休みになられたのだ)。
いつも何も言わずにあさっての方を見て、母の独り言を聞き流している親父であるが、男には男の辛さがあるよなぁと、今ではちゃんと肩をもっている。
世の中の進歩なのだとは思うが、今は良い時代で私も親父よりは楽になっている。
親父も大変だっただろうが、あの頃の家族で行った海の思い出は、ちゃんといい思い出として私の中に残っている。
さて、記録的な猛暑のこの夏の一連のプールの思い出が、我が家の子供たちにどのくらい残るだろうか。「プールに入ってたら、雨が降って雷が鳴ったんだよね」じゃ浮かばれないぞ、と思うのである・・・
【昨日の読書】
「新・ニッポン開国論」丹羽宇一朗
「ブラック・ペアン(下)」海堂尊
なにせ9月とはいえ、この暑さ。
しかも私の住んでいる練馬は、東京の最高気温というと必ず引き合いに出されるというありがたい土地柄。この夏の締めくくりとして、行く事にしたのだ。
実は都内のプールは8月一杯というところが結構多い。
我が家の近所の区民プールは軒並み8月一杯だし、近くのプールもそういうところが多い。
9月の頭までやっているというのは珍しいようである。
そして今日はその狙いが見事的中したような天気。
選択は間違っていなかったようである。
日中は肌をさす日差し。
地面も暑くて裸足で歩けない(どうやら足の裏を少しやけどしたみたいである)。
流れるプールは水も冷たく(他のプールはさすがに温まっていた)、気持ちよかった。
子供たちも喜んでいたし、今年はリベンジできた。
実は昨年は散々だった。
私の夏休み期間中はほとんど雨で、やっぱり昭和記念公園のプールに行ったのだが、午後から雨。
しかも雷のおまけつき。プールの噴水の下に入った長男が、「去年のプールみたい!」と喜んでいたが、笑えない冗談だった。区民プールも室内のある所に、雨だから車で妻に送ってもらって子供たちと行ったほどであった。だからリベンジなのである。
そういえば我が家はプールオンリーである。
海には行かない(関東近辺では、という意味である)。
海だと距離があるし、せっかく行っても江の島あたりは汚いし、房総、九十九里などは遠いし渋滞するし、で勇気が出ないのだ。そのあたりの海は子供の頃によく連れて行ってもらったものである。
子供の頃と言っても小学生の頃だ。
電車に乗って行った記憶がある。
そのうち何回かは仲の良い友達家族と行ったが、親父の姿はそこにはなかった。たぶん、夏休みの平日に行ったのだろう。千葉の御宿とか、そのあたりだったと思う。民宿に泊まって、いつも焼き過ぎた肌がヒリヒリ痛かったのを覚えている。
今から思うと、当時は週休2日制なんてない。
家族で海に行った記憶もあるが、あれはあるいは日帰りだったのかもしれない。
せっかくの週に一度の休みに親父は疲れただろうな、と今になってみれば思う。
私も今日は疲れたから、明日は寝坊しようなんて思っているが、あの頃の親父はそんな事言ってられなかったわけだ。
私の母親は、いろいろと家事の手伝いをする私の姿を見て、「今のお嫁さんはいいわねぇ」なんて言うが(それを妻が嫌味ととるからあとで私も大変なのである)、当時の親父の立場にたってみれば、週に6日間働いて(しかも水曜日には早帰りしましょうなんて習慣もなかったわけである)ようやくの日曜日、何もする気にはなれなかったのだろうと思う(神様だって7日目にはお休みになられたのだ)。
いつも何も言わずにあさっての方を見て、母の独り言を聞き流している親父であるが、男には男の辛さがあるよなぁと、今ではちゃんと肩をもっている。
世の中の進歩なのだとは思うが、今は良い時代で私も親父よりは楽になっている。
親父も大変だっただろうが、あの頃の家族で行った海の思い出は、ちゃんといい思い出として私の中に残っている。
さて、記録的な猛暑のこの夏の一連のプールの思い出が、我が家の子供たちにどのくらい残るだろうか。「プールに入ってたら、雨が降って雷が鳴ったんだよね」じゃ浮かばれないぞ、と思うのである・・・
【昨日の読書】
「新・ニッポン開国論」丹羽宇一朗
「ブラック・ペアン(下)」海堂尊
2010年9月1日水曜日
English!
英語が話せたらいいな、とは誰でも思う事だろう。私もそう思う一人である。
と言っても本当は話すよりも「字幕なしで映画を観たい」という欲求の方が強い。
もともと映画好きだし、多少なりとも英語がわかってくると、字幕とセリフとの微妙なニュアンスの差に気付いたり、絶妙な訳に関心したりする機会が増えてくるからだ。
ただ、なかなか道は険しい。
中学一年の時、英語を受け持ってくれたのはY先生。
この先生、通訳のバイトをしていたというくらい英語ペラペラで、発音もネイティブそのもの。
授業だけでなく、英語にまつわる話も面白く、実に楽しい2年間の授業だった。
いつかY先生のようになりたいと思ったものだ。
だが、Y先生の転勤で至福の一時は終わりを告げ、その後の授業はジャパニーズ・イングリッシュで、受験モードまっしぐらだった。
それでも受験では英語が重要視されている大学を受けたため、ヒアリングも含めてかなり頑張った。
今、文章であればなんとなく読めるのもこの時の蓄積が大きい。
社会人になってしばらくして、もう一度英語力を鍛えようと決めた時があった。
毎朝、ネットでCNNのニュースを読む事から始めた。
オーストラリア在住の主婦の方(日本人だ)を紹介され、毎週末英文メールで文通した。
ケーブルテレビでCNNやBBCの英語ニュース番組を見た。
ちなみにダイアナ妃事故死のニュースを初めて見たのはBBCのニュース番組だった。
しかし、映画はなかなか遠い道だ。
まず映画の世界に没頭してしまうのが一番の原因だ。
ほんとうは2回、3回と続けて観ればいいのだと思うが、どうしても2回続けて観るなら別のものと思ってしまう。最近はDVDだと英語字幕も観られるらしいから、そのうち試してみようかとも思うが、その前に溜めこんだ50本の映画を観る方が先決だったりする・・・
先月グアムに行った帰りの飛行機の中、映画が上映された。
タイトルを見たらつまらなそうな映画。
「Dear John」という映画だった。
よし、と決意してイヤフォンを英語モードにして観る事にした。
映画だから、画面を見ているだけでもなんとなくストーリーはわかる。
英語もところどころ聞き取れる。だが、だめだった。
細かいニュアンスがわからない。たぶん、口語が多いのも原因だとは思う。
本当につまらないストーリーだったのか、わからないからつまらなかったのかは不明だが、とにかくつまらなかった。まだまだ目指す道は遠そうだ。
たぶん一定期間、徹底して英語漬けの生活を送ったら、そこそこ話せるようにはなるんだろう。だが、なかなかそういう生活はいまのところ難しい。
かつて知り合った人で、読み書きはペラペラという人がいた。
一度も外国に行った事がなく、読み書きはできてもしゃべれないと笑っていたが、その人は猛烈に英文を読んで独学したそうである(まあ書ければ話せるとは思うのだが・・・)。
私も再び一念発起しようかな、と思うものの、「あれもやりたいこれもやりたい」と思い患う毎日で発起できるかは微妙だ。とりあえずは、毎日CNNの英語ニュースを読む事だけは、欠かさずやろうと思うのである・・・
【本日の読書】
「新・ニッポン開国論」丹羽宇一朗
「ブラック・ペアン(上)」海堂尊
と言っても本当は話すよりも「字幕なしで映画を観たい」という欲求の方が強い。
もともと映画好きだし、多少なりとも英語がわかってくると、字幕とセリフとの微妙なニュアンスの差に気付いたり、絶妙な訳に関心したりする機会が増えてくるからだ。
ただ、なかなか道は険しい。
中学一年の時、英語を受け持ってくれたのはY先生。
この先生、通訳のバイトをしていたというくらい英語ペラペラで、発音もネイティブそのもの。
授業だけでなく、英語にまつわる話も面白く、実に楽しい2年間の授業だった。
いつかY先生のようになりたいと思ったものだ。
だが、Y先生の転勤で至福の一時は終わりを告げ、その後の授業はジャパニーズ・イングリッシュで、受験モードまっしぐらだった。
それでも受験では英語が重要視されている大学を受けたため、ヒアリングも含めてかなり頑張った。
今、文章であればなんとなく読めるのもこの時の蓄積が大きい。
社会人になってしばらくして、もう一度英語力を鍛えようと決めた時があった。
毎朝、ネットでCNNのニュースを読む事から始めた。
オーストラリア在住の主婦の方(日本人だ)を紹介され、毎週末英文メールで文通した。
ケーブルテレビでCNNやBBCの英語ニュース番組を見た。
ちなみにダイアナ妃事故死のニュースを初めて見たのはBBCのニュース番組だった。
しかし、映画はなかなか遠い道だ。
まず映画の世界に没頭してしまうのが一番の原因だ。
ほんとうは2回、3回と続けて観ればいいのだと思うが、どうしても2回続けて観るなら別のものと思ってしまう。最近はDVDだと英語字幕も観られるらしいから、そのうち試してみようかとも思うが、その前に溜めこんだ50本の映画を観る方が先決だったりする・・・
先月グアムに行った帰りの飛行機の中、映画が上映された。
タイトルを見たらつまらなそうな映画。
「Dear John」という映画だった。
よし、と決意してイヤフォンを英語モードにして観る事にした。
映画だから、画面を見ているだけでもなんとなくストーリーはわかる。
英語もところどころ聞き取れる。だが、だめだった。
細かいニュアンスがわからない。たぶん、口語が多いのも原因だとは思う。
本当につまらないストーリーだったのか、わからないからつまらなかったのかは不明だが、とにかくつまらなかった。まだまだ目指す道は遠そうだ。
たぶん一定期間、徹底して英語漬けの生活を送ったら、そこそこ話せるようにはなるんだろう。だが、なかなかそういう生活はいまのところ難しい。
かつて知り合った人で、読み書きはペラペラという人がいた。
一度も外国に行った事がなく、読み書きはできてもしゃべれないと笑っていたが、その人は猛烈に英文を読んで独学したそうである(まあ書ければ話せるとは思うのだが・・・)。
私も再び一念発起しようかな、と思うものの、「あれもやりたいこれもやりたい」と思い患う毎日で発起できるかは微妙だ。とりあえずは、毎日CNNの英語ニュースを読む事だけは、欠かさずやろうと思うのである・・・
【本日の読書】
「新・ニッポン開国論」丹羽宇一朗
「ブラック・ペアン(上)」海堂尊
2010年8月29日日曜日
最後の日曜日
夏休みと言えば東京では8月一杯というのが一般的だが、我が家ではそれは幼稚園に通う長男だけの話である。娘の小学校は25日から始まる。
その昔、 御代田に住む従兄と議論した事がある。
御代田は夏休みが25日頃までだった。
向こうは東京よりも涼しいからだ。
「東京の学校の方が休みが長くていい」と主張したら、彼は「その代わりこっちは冬休みが長いし、“田植え休み”や“稲刈り休み”がある」と反論してきた。
トータルでは同じくらいだったが、今の娘だとその議論は成り立たないかもしれない。
なんで短くなったかというと、悪名高いゆとり教育から脱却し、授業日数を増やすにあたって他の日程では調整つかなかったらしい。もっとも周辺の学校の対応はまちまちで、一日あたりの授業数を増やす事で従来通り9月からにしている学校もあるようだ。なんでも校長の裁量判断らしいが、やっぱり8月一杯休みたいだろうなと個人的には思う。
そんな最後の日曜日、子供たちと近所の区民プールに行って来た。
そのプールも開催は今月いっぱいらしいので今年はこれでお終いである。
泳ぐというよりも「浸かっている」という表現の方が正しいのだが、それでも疲れてしまった。
娘もいつのまにかダイナミックなクロールで泳ぐようになっていた。
5歳の長男も少しずつ上手に泳ぐようになっている。
来年はどのくらい進歩しているだろう・・・

昨日から毎年恒例の社会人向け勉強会が始まった。
母校の財団法人が主体となったもので、今年が5年目。
最初の年に受講生として参加し、2年目からは世話役としてお手伝いさせていただいている。最初の講義は毎年恒例の「自分が源泉」という講座だ。
「すべての結果は自分が創っているという立場を取る」という考え方の実践で、とかくうまくいかない事を、他人や外部の責任にしがちな我々であるが、それを「原因は自分にある」と考えることで、まずは心のあり方から変えて行こうという趣旨のものだ。
事実は一つだが、それをどう解釈するかは我々自身にかかっている。この考え方を取り入れて、私も日々穏やかに前向きに暮らしていられるような気がする。
講座では「エゴグラム」という性格診断も取り入れて、参加者も楽しみながら学べる。
性格診断のようなものは誰でも興味あるだろうし、結果があたっていたりすると妙に納得したりもする。エリック・バーンという精神科医によって提唱された「交流分析」が元になっているのだが、参加者もワイワイと楽しんでいた。
今年もこれから月に一回のペースで半年間続いていく。
私も学べるので毎年大きな「役得」だと思ってお手伝いさせていただいている。
仕事以外にこうした活動があるのもいい刺激だ。
自分自身楽しみながら、受講生にも満足していただけるようやっていきたいと思う。
窓を開ければ、蝉の声がいつのまにか涼しげな虫たちの声に変わっている。
もう9月。
早いものである・・・
その昔、 御代田に住む従兄と議論した事がある。
御代田は夏休みが25日頃までだった。
向こうは東京よりも涼しいからだ。
「東京の学校の方が休みが長くていい」と主張したら、彼は「その代わりこっちは冬休みが長いし、“田植え休み”や“稲刈り休み”がある」と反論してきた。
トータルでは同じくらいだったが、今の娘だとその議論は成り立たないかもしれない。
なんで短くなったかというと、悪名高いゆとり教育から脱却し、授業日数を増やすにあたって他の日程では調整つかなかったらしい。もっとも周辺の学校の対応はまちまちで、一日あたりの授業数を増やす事で従来通り9月からにしている学校もあるようだ。なんでも校長の裁量判断らしいが、やっぱり8月一杯休みたいだろうなと個人的には思う。
そんな最後の日曜日、子供たちと近所の区民プールに行って来た。
そのプールも開催は今月いっぱいらしいので今年はこれでお終いである。
泳ぐというよりも「浸かっている」という表現の方が正しいのだが、それでも疲れてしまった。
娘もいつのまにかダイナミックなクロールで泳ぐようになっていた。
5歳の長男も少しずつ上手に泳ぐようになっている。
来年はどのくらい進歩しているだろう・・・

昨日から毎年恒例の社会人向け勉強会が始まった。
母校の財団法人が主体となったもので、今年が5年目。
最初の年に受講生として参加し、2年目からは世話役としてお手伝いさせていただいている。最初の講義は毎年恒例の「自分が源泉」という講座だ。
「すべての結果は自分が創っているという立場を取る」という考え方の実践で、とかくうまくいかない事を、他人や外部の責任にしがちな我々であるが、それを「原因は自分にある」と考えることで、まずは心のあり方から変えて行こうという趣旨のものだ。
事実は一つだが、それをどう解釈するかは我々自身にかかっている。この考え方を取り入れて、私も日々穏やかに前向きに暮らしていられるような気がする。
講座では「エゴグラム」という性格診断も取り入れて、参加者も楽しみながら学べる。
性格診断のようなものは誰でも興味あるだろうし、結果があたっていたりすると妙に納得したりもする。エリック・バーンという精神科医によって提唱された「交流分析」が元になっているのだが、参加者もワイワイと楽しんでいた。
今年もこれから月に一回のペースで半年間続いていく。
私も学べるので毎年大きな「役得」だと思ってお手伝いさせていただいている。
仕事以外にこうした活動があるのもいい刺激だ。
自分自身楽しみながら、受講生にも満足していただけるようやっていきたいと思う。
窓を開ければ、蝉の声がいつのまにか涼しげな虫たちの声に変わっている。
もう9月。
早いものである・・・
2010年8月28日土曜日
日本の空港
国内初の格安航空会社(LCC)対応空港として生き残りをかける茨城空港は、中国上海のLCCである春秋航空が茨城─上海線で片道4,000円(1便あたり総座席数の約1割にあたる18席程度)の航空券を販売することで話題になっている。片道4,000円というのは魅力だが、茨城空港までどのくらいかかるのだろう・・・
一方、1978年の成田空港の開港による棲み分けで、長い間国内線専用だった羽田空港が、今年10月に再国際化する。 2002年のサッカーワールドカップ日韓大会開催を契機に、羽田空港と金浦空港を結ぶチャーター便が就航し、現在は上海(虹橋空港)、ソウル(金浦空港)、香港便が定期便に限りなく近い「定期チャーター便」という方式で運行されている。今年10月21日には4本目の滑走路(D滑走路)と新国際ターミナルの併用が開始され、31日には32年ぶりに国際定期便が再就航し、国際線定期チャーター便は定期便に格上げされるという。
これにより、前述の上海、ソウル、香港に加えて、サンフランシスコ、ロサンゼルス、ホノルル、パリ、バンコク、シンガポール、台北などへも羽田から行けるようになる予定だ。羽田空港は都心からモノレールで約20分で行けるという好立地に加え、新滑走路の新設と新国際ターミナルの開業、P4平面駐車場の立体化(完成)、第2ターミナルビルの増床で利便性はさらに増す事になる。
子供の頃に成田闘争の様子をテレビで見た記憶がある。
あんな思いをして開港したのに、都心からのアクセスが悪く、アジアのハブ空港にもなれないでいる。羽田の沖合への拡張という形になっていたら、あんな無駄なエネルギーを使う事もなかったのにと、なんとなく思う。
我が家も先日成田空港を利用した。
我が家はいつも自家用車で空港まで行く。
近くのパーキングに車を預けるのだ。
大きなスーツケース2つに子供連れとなると、電車での移動はなかなかの負担だ。
片道2時間半のドライブとなるが、そのくらいならはるかに楽だ。
羽田となると確かに都心に近くて便利なのであるが、車となると駐車料金がかかる。
成田だと最安値で一日500円。
先日は6日間で、いろいろ込みで4,000円かからなかった。
羽田だと6日間で13,200円。
高速料金を考えても成田の方が安い。
最近少なくなったが、たまに出張で羽田を使う。
国内の移動では羽田は圧倒的に便利だ。
個人的には、羽田と成田の棲み分けはできている。
しかし、ここ最近羽田も周辺に安い駐車場が登場している。
6日間で8,700円というのもある。こうなると往復の高速代と時間差で(羽田は車で約1時間で行ける)、羽田の方が便利になる。
大阪では伊丹と関空がこの関係にある。
伊丹は府内であまりにも便利だから、廃止されずに残っている。
もう拡張は難しいだろうが、関空の不便さが際立っているから存在意義も大きい。
羽田はどこまで便利になるのだろう。
たぶん、大騒動の経緯もあり、成田廃止という動きにもなりにくいだろう。
それが羽田がますます便利になっていく事に対するブレーキになるのかもしれない。
お役人の考える事はとバカにするのは簡単だが、やっぱり随分と空しい騒動だったと思う。
東京と大阪のそんな状況を横目に韓国やシンガポールの空港は、アジアのハブ空港として高い地位を築いている。失敗はやむを得ないが、肝心なのはその失敗からいかに立ち直るか、だ。ここで成田を切って、羽田を拡大・拡張して日本の玄関にできたら大したものだと思う。
基本的に未来は過去よりも便利な社会であるべきだろう。
空港についてはそんな未来がくるのだろうか。
まあそんな話を家庭でしようものなら、「羽田でも成田でもいいけど、毎年海外旅行に行きたいわねぇ」という声が聞こえてきそうである。便利になってもまだまだ空港は遠そうな我が家の現実なのである・・・
【本日の読書】
「モンスター」百田尚樹
【昨日の漫画】
「マネーの拳⑨」三田紀房
「ONE PIECE ②」尾田栄一郎
一方、1978年の成田空港の開港による棲み分けで、長い間国内線専用だった羽田空港が、今年10月に再国際化する。 2002年のサッカーワールドカップ日韓大会開催を契機に、羽田空港と金浦空港を結ぶチャーター便が就航し、現在は上海(虹橋空港)、ソウル(金浦空港)、香港便が定期便に限りなく近い「定期チャーター便」という方式で運行されている。今年10月21日には4本目の滑走路(D滑走路)と新国際ターミナルの併用が開始され、31日には32年ぶりに国際定期便が再就航し、国際線定期チャーター便は定期便に格上げされるという。
これにより、前述の上海、ソウル、香港に加えて、サンフランシスコ、ロサンゼルス、ホノルル、パリ、バンコク、シンガポール、台北などへも羽田から行けるようになる予定だ。羽田空港は都心からモノレールで約20分で行けるという好立地に加え、新滑走路の新設と新国際ターミナルの開業、P4平面駐車場の立体化(完成)、第2ターミナルビルの増床で利便性はさらに増す事になる。
子供の頃に成田闘争の様子をテレビで見た記憶がある。
あんな思いをして開港したのに、都心からのアクセスが悪く、アジアのハブ空港にもなれないでいる。羽田の沖合への拡張という形になっていたら、あんな無駄なエネルギーを使う事もなかったのにと、なんとなく思う。
我が家も先日成田空港を利用した。
我が家はいつも自家用車で空港まで行く。
近くのパーキングに車を預けるのだ。
大きなスーツケース2つに子供連れとなると、電車での移動はなかなかの負担だ。
片道2時間半のドライブとなるが、そのくらいならはるかに楽だ。
羽田となると確かに都心に近くて便利なのであるが、車となると駐車料金がかかる。
成田だと最安値で一日500円。
先日は6日間で、いろいろ込みで4,000円かからなかった。
羽田だと6日間で13,200円。
高速料金を考えても成田の方が安い。
最近少なくなったが、たまに出張で羽田を使う。
国内の移動では羽田は圧倒的に便利だ。
個人的には、羽田と成田の棲み分けはできている。
しかし、ここ最近羽田も周辺に安い駐車場が登場している。
6日間で8,700円というのもある。こうなると往復の高速代と時間差で(羽田は車で約1時間で行ける)、羽田の方が便利になる。
大阪では伊丹と関空がこの関係にある。
伊丹は府内であまりにも便利だから、廃止されずに残っている。
もう拡張は難しいだろうが、関空の不便さが際立っているから存在意義も大きい。
羽田はどこまで便利になるのだろう。
たぶん、大騒動の経緯もあり、成田廃止という動きにもなりにくいだろう。
それが羽田がますます便利になっていく事に対するブレーキになるのかもしれない。
お役人の考える事はとバカにするのは簡単だが、やっぱり随分と空しい騒動だったと思う。
東京と大阪のそんな状況を横目に韓国やシンガポールの空港は、アジアのハブ空港として高い地位を築いている。失敗はやむを得ないが、肝心なのはその失敗からいかに立ち直るか、だ。ここで成田を切って、羽田を拡大・拡張して日本の玄関にできたら大したものだと思う。
基本的に未来は過去よりも便利な社会であるべきだろう。
空港についてはそんな未来がくるのだろうか。
まあそんな話を家庭でしようものなら、「羽田でも成田でもいいけど、毎年海外旅行に行きたいわねぇ」という声が聞こえてきそうである。便利になってもまだまだ空港は遠そうな我が家の現実なのである・・・
【本日の読書】
「モンスター」百田尚樹
【昨日の漫画】
「マネーの拳⑨」三田紀房
「ONE PIECE ②」尾田栄一郎
2010年8月25日水曜日
外国人観光客
丸の内勤務のせいもあるが、東京駅周辺ではよく外国人観光客を目にする。
大抵は数人の家族またはグループだ。
東京は鉄道網を始めとして交通機関が発達しているから、どこへ行くにしても便利だとは思うものの、慣れない外国人の方にしてみれば複雑に思えるかもしれない。
それでも地図を見たり、駅員さんなどに訪ねたりして奮闘しているようである。
翻ってみると、日本人はどうも至れり尽くせりが好きなようである。
先月グアムに行った際は、市中に日本人観光客向けのバスが走っていた。
JTBなどで旅行の申し込みをすると無料パスがついてくる。歩くかタクシーしかない現地で、これは貴重な足だった。ハワイでも同じバスが走っていたから、他の観光地にも結構走らせているのかもしれない。
わざわざバスを走らせてしまうというところが凄いところだ。このバスは誰でもお金を払えば乗れるので、他の国の観光客も結構重宝していたようである。
こうした細やかさは日本人らしいと思うのだが、その一方でこういうものに慣れてしまうと、逆に一人で行動する逞しさが奪われるような気もする。ガイドブックだって微に入り際に入りで、現地でうろうろする事もない。それがいいのか悪いのかは難しいところだ。
その昔、マニラに住む友人宅に遊びに行った事がある。
その時、現地を走るジープニーに乗ってみたいと思った。ところがこれが難しい。現地に住む友人でさえ難しいと言っていたから尚更だ。乗り込んで行くだけの度胸がなくて結局乗れずじまい。今でも残念に思う。
私もガイドブック片手に旅するより、現地の人にあれこれ聞いて、自分なりの発見を楽しみたいと思うクチだ。 (→地球の歩き方)
独身時代にシンガポールに行った時は一人で適当にバスに乗って、インド人街で降り、路地裏の小さなレストランに入ってランチを食べた。日本人が来たと言う事でわざわざ店の奥から年とったおじいさんが出てきて話しかけてきた。戦争中の思い出があったのかもしれない。そうした経験は、パックツアーではできない。
外国人観光客の人たちは、みんな自分たちの旅をしている。
もちろん、そこにはきめ細かく世話してくれる旅行会社もないのだろうが、逞しいなと感じてしまう。どこへ行っても英語で物おじせず話しかけるし・・・
細やかなサービスがないから逞しいのか、逞しくないから細やかなサービスが必要なのか。
現地にまでバスを走らせてしまう日本流が良いのか悪いのかはわからない。
外国人観光客の人たちがこの東京でどんな事を経験して、どんな感想を持ったのか、ちょっと聞いてみたい気がする。
そんな事を考えていたら、独身時代のような気ままな旅をまたしてみたいという気になった。
当分は難しいだろうなぁと、遠くを見つめてしまうのである・・・
【本日の読書】
「はとバスをV字回復させた社長の習慣」宮端清次
「モンスター」百田尚樹
大抵は数人の家族またはグループだ。
東京は鉄道網を始めとして交通機関が発達しているから、どこへ行くにしても便利だとは思うものの、慣れない外国人の方にしてみれば複雑に思えるかもしれない。
それでも地図を見たり、駅員さんなどに訪ねたりして奮闘しているようである。
翻ってみると、日本人はどうも至れり尽くせりが好きなようである。
先月グアムに行った際は、市中に日本人観光客向けのバスが走っていた。
JTBなどで旅行の申し込みをすると無料パスがついてくる。歩くかタクシーしかない現地で、これは貴重な足だった。ハワイでも同じバスが走っていたから、他の観光地にも結構走らせているのかもしれない。わざわざバスを走らせてしまうというところが凄いところだ。このバスは誰でもお金を払えば乗れるので、他の国の観光客も結構重宝していたようである。
こうした細やかさは日本人らしいと思うのだが、その一方でこういうものに慣れてしまうと、逆に一人で行動する逞しさが奪われるような気もする。ガイドブックだって微に入り際に入りで、現地でうろうろする事もない。それがいいのか悪いのかは難しいところだ。
その昔、マニラに住む友人宅に遊びに行った事がある。
その時、現地を走るジープニーに乗ってみたいと思った。ところがこれが難しい。現地に住む友人でさえ難しいと言っていたから尚更だ。乗り込んで行くだけの度胸がなくて結局乗れずじまい。今でも残念に思う。私もガイドブック片手に旅するより、現地の人にあれこれ聞いて、自分なりの発見を楽しみたいと思うクチだ。 (→地球の歩き方)
独身時代にシンガポールに行った時は一人で適当にバスに乗って、インド人街で降り、路地裏の小さなレストランに入ってランチを食べた。日本人が来たと言う事でわざわざ店の奥から年とったおじいさんが出てきて話しかけてきた。戦争中の思い出があったのかもしれない。そうした経験は、パックツアーではできない。
外国人観光客の人たちは、みんな自分たちの旅をしている。
もちろん、そこにはきめ細かく世話してくれる旅行会社もないのだろうが、逞しいなと感じてしまう。どこへ行っても英語で物おじせず話しかけるし・・・
細やかなサービスがないから逞しいのか、逞しくないから細やかなサービスが必要なのか。
現地にまでバスを走らせてしまう日本流が良いのか悪いのかはわからない。
外国人観光客の人たちがこの東京でどんな事を経験して、どんな感想を持ったのか、ちょっと聞いてみたい気がする。
そんな事を考えていたら、独身時代のような気ままな旅をまたしてみたいという気になった。
当分は難しいだろうなぁと、遠くを見つめてしまうのである・・・
【本日の読書】
「はとバスをV字回復させた社長の習慣」宮端清次
「モンスター」百田尚樹
2010年8月22日日曜日
党首選
民主党の代表選が徐々に話題に上って来ている。
実は今月の初めの事、ある方から小沢さんの動向について話を伺った。
なんでも本人は総理大臣に相当なりたがっているという事だった。
まあ政治家になった以上、しかもあれだけの実力者になればその気持ちは当然なのだろう。
それに総理大臣になると検察の追及を回避できるらしい。
次回の検察側の事情聴取は代表選後に延期したとニュースでやっていたが、総理大臣になればその必要もなくなる。そんな理由もあるのだという。
話を聞きながら、「本当だろうか」と思ったものだ。
ただ、その方も某新聞社の役員経験者だし、それなりのニュースソースもあるようだから満更ガセネタという事もあるまいと思っていた。
そうしたら小沢さんが代表選に出馬しそうな雰囲気になってきた。
「ああ、やっぱり」
というのが感想だ。
しかし、今の時期に総理大臣を代える事が本当に必要だと民主党の人たちは考えているのだろうか。
昨年の衆議院選挙で圧勝して以来、民主党の評価は右肩下がり。
ようやく菅さんに代わって盛り返しかけたところである。
確かに消費税で戻りかけた流れをつかみ損ねた経緯はある。
だが、ここで再び総理大臣を代える事が得策かと言えば、個人的にはそうは思わない。
ましてやそれが、第一次民主党政権の戦犯の一人小沢さんとなれば尚更だ。
小沢さんの疑惑については、事実はともかくとして印象はよくない。
ほとぼりも冷めないうちから出てきたところで、イメージアップにはならないだろう。
今は失った信頼をいかに取り返すかが、民主党の課題のはず。
一致団結して菅総理大臣を盛り立てて、盤石の政権を築くのが第一だと思う。
なのになんでだろう、と疑問に思う。きっとその裏には何らかの思惑があるはずだ。
このまま菅総理の下、一致団結して難局に立ち向かい、見事景気が上向いて国内の状況もよくなれば、民主党の支持率も上がる。当然菅総理の支持率も上がり、民主党内での発言権も強まる。それはすなわち長期政権を意味し、ポスト菅総理の争いも菅総理グループが圧倒的に有利になる。そうした流れを好まない人たちの、出る前に杭を打とうという意向が、そこにはあるのかもしれない。
当然、そこにあるのは国益でもなく、党益でもなく、個人の利益という事になる。
まあ自分が権力の座に就く事ができれば、当然党益にも国益にもなる政策が実現できるという腹積もりが、ひょっとしたらあるのかもしれない。私腹を肥やそうとしているとまでは言わないが、自分が考えた政策を実行し、それで国民の尊敬を勝ち取り、末永く名宰相として歴史に名を残したい、そんな野心なのかもしれない。
およそ政治家になろうというくらいの人は、誰でもそんな野心をもっているものなのだろう。
それが悪いかと言われれば、必ずしもそうではない。
誰が総理になろうとも、我々国民の生活が向上すれば、私としてはそれでいい。
例えば野球で、勝利の要因となった決勝点を入れてヒーローインタビューを受けるのは、難しいボールを選んで出塁し、ホームを踏んだ選手ではなく、ランナーを進めるべく見事な送りバントを決めた選手でもなく、きわどいところでホームに突入の指示を出したベースコーチでもなく、最後にランナーを生還させるヒットを打った選手だ。自分を犠牲にしてチームプレーに徹したとしても、それが日の目を見る可能性は低い。
政治家だって運が必要だ。
いくら自民党の党首だと言っても谷垣さんは総理大臣にはなれない。
小沢さんもかつて党首をしていたし、次の機会に例え党首に返り咲いたとしても、総理大臣になれるかどうかはわからない。ひょっとしたらこれが千載一遇のラストチャンスなのかもしれない。
どう転ぶのか、私としては見ているほかない。
結果的に我々の生活が良くなればそれでいいのだが、そうは言ってもやっぱりプロセスというのもある。なるべくなら信頼できるやり方で結果を出してほしいところだ。
みんなが送りバントを決めた選手を讃えられるようなムードが生まれてきたら、我が国ももう少し良い国になりそうな気がするのだが・・・
やっぱりそれは難しい事なんだろうかとしみじみ思うのである・・・
【本日の読書】
「リング」百田尚樹
実は今月の初めの事、ある方から小沢さんの動向について話を伺った。
なんでも本人は総理大臣に相当なりたがっているという事だった。
まあ政治家になった以上、しかもあれだけの実力者になればその気持ちは当然なのだろう。
それに総理大臣になると検察の追及を回避できるらしい。
次回の検察側の事情聴取は代表選後に延期したとニュースでやっていたが、総理大臣になればその必要もなくなる。そんな理由もあるのだという。
話を聞きながら、「本当だろうか」と思ったものだ。
ただ、その方も某新聞社の役員経験者だし、それなりのニュースソースもあるようだから満更ガセネタという事もあるまいと思っていた。
そうしたら小沢さんが代表選に出馬しそうな雰囲気になってきた。
「ああ、やっぱり」
というのが感想だ。
しかし、今の時期に総理大臣を代える事が本当に必要だと民主党の人たちは考えているのだろうか。
昨年の衆議院選挙で圧勝して以来、民主党の評価は右肩下がり。
ようやく菅さんに代わって盛り返しかけたところである。
確かに消費税で戻りかけた流れをつかみ損ねた経緯はある。
だが、ここで再び総理大臣を代える事が得策かと言えば、個人的にはそうは思わない。
ましてやそれが、第一次民主党政権の戦犯の一人小沢さんとなれば尚更だ。
小沢さんの疑惑については、事実はともかくとして印象はよくない。
ほとぼりも冷めないうちから出てきたところで、イメージアップにはならないだろう。
今は失った信頼をいかに取り返すかが、民主党の課題のはず。
一致団結して菅総理大臣を盛り立てて、盤石の政権を築くのが第一だと思う。
なのになんでだろう、と疑問に思う。きっとその裏には何らかの思惑があるはずだ。
このまま菅総理の下、一致団結して難局に立ち向かい、見事景気が上向いて国内の状況もよくなれば、民主党の支持率も上がる。当然菅総理の支持率も上がり、民主党内での発言権も強まる。それはすなわち長期政権を意味し、ポスト菅総理の争いも菅総理グループが圧倒的に有利になる。そうした流れを好まない人たちの、出る前に杭を打とうという意向が、そこにはあるのかもしれない。
当然、そこにあるのは国益でもなく、党益でもなく、個人の利益という事になる。
まあ自分が権力の座に就く事ができれば、当然党益にも国益にもなる政策が実現できるという腹積もりが、ひょっとしたらあるのかもしれない。私腹を肥やそうとしているとまでは言わないが、自分が考えた政策を実行し、それで国民の尊敬を勝ち取り、末永く名宰相として歴史に名を残したい、そんな野心なのかもしれない。
およそ政治家になろうというくらいの人は、誰でもそんな野心をもっているものなのだろう。
それが悪いかと言われれば、必ずしもそうではない。
誰が総理になろうとも、我々国民の生活が向上すれば、私としてはそれでいい。
例えば野球で、勝利の要因となった決勝点を入れてヒーローインタビューを受けるのは、難しいボールを選んで出塁し、ホームを踏んだ選手ではなく、ランナーを進めるべく見事な送りバントを決めた選手でもなく、きわどいところでホームに突入の指示を出したベースコーチでもなく、最後にランナーを生還させるヒットを打った選手だ。自分を犠牲にしてチームプレーに徹したとしても、それが日の目を見る可能性は低い。
政治家だって運が必要だ。
いくら自民党の党首だと言っても谷垣さんは総理大臣にはなれない。
小沢さんもかつて党首をしていたし、次の機会に例え党首に返り咲いたとしても、総理大臣になれるかどうかはわからない。ひょっとしたらこれが千載一遇のラストチャンスなのかもしれない。
どう転ぶのか、私としては見ているほかない。
結果的に我々の生活が良くなればそれでいいのだが、そうは言ってもやっぱりプロセスというのもある。なるべくなら信頼できるやり方で結果を出してほしいところだ。
みんなが送りバントを決めた選手を讃えられるようなムードが生まれてきたら、我が国ももう少し良い国になりそうな気がするのだが・・・
やっぱりそれは難しい事なんだろうかとしみじみ思うのである・・・
【本日の読書】
「リング」百田尚樹
2010年8月19日木曜日
関心
毎朝の日課として、パソコンでCNNの英語版ニュース(CNN.com International)を見ている。
日本とは違うニュースが流されていて、ちょっと新鮮だったりする。
ここのところのメイントピックスは、パキスタンの洪水だ。
ずっとトップニュースで扱われている。
日本でも報道はされているが、その扱いとは大きな差がある。
日本人には日本人の関心事というのがあるから、扱いが違うのは当然なのであるが、ふとどれくらいの人がこの洪水のニュースに関心を寄せているのだろうかと考えた。
たぶん、「ふ~ん、大変だなぁ」と一瞬思うくらいだろう。
新聞の扱いも小さいし、まったく感心を示さない人も多いと思う。
しかし、現地では多数の犠牲者も出ていて、さらに水も食料も不足していて、コレラまで出ているというから深刻だ。
話は逸れるが、この水が不足しているというのも不思議な事だ。
大洪水というからにはあたりには水が氾濫するほどあるのである。
もちろん、ここで言われているのは「飲料水」だ。だが他の動物は平気で飲めるわけである。人間だけが「飲料水」でないといけないというのは、なぜなんだろう。
野生の逞しさがもはや人間にはないということなのだろうか。
日本政府はパキスタン政府の要請を受けて、ようやく費用面の援助とヘリの派遣を決めたようである。ちなみにアメリカはヘリによる救助はとっくに始めている。アメリカは親米政権のこのイスラム教国に対してはいろいろな思惑があるから、無理もないところだ。だが、それを割り引いたとしても我が国の対応は遅いなぁと思わずにはいられない。
聞くところによれば、我が国にもこうした他国の災害に対しては、救助隊や医師団を招集して派遣できる態勢はできているらしい。だが災害発生からどのくらいで派遣されるのか、今回はどうなっているのか、日本のニュースを見ていてもさっぱりわからない。
たぶん、マスコミがおざなりにしか報道しないから、国民も関心を持たないのだし、したがって政治家も腰が重くなるのだろう。国民が関心を持って、「政府は何をしているのだ」という声が高まれば、政治家の対応もマスコミの報道も変わってくるのだろう。
ではどうしたら国民が関心を持つのだろうかと言えば、やはりマスコミが積極的に取り上げて報道する事だろう。マスコミが積極的に取り上げるには、やはり国民が関心を持たなければいけない・・・おそるべきジレンマ・・・
自衛隊のヘリが派遣されるようだが、それは災害救助だから当然非武装となるらしい。
だが、パキスタンはタリバンの巣食うアフガニスタンに隣接し、災害救助とは言え外国人憎しのタリバンから思わぬ攻撃も受けるかもしれないとの指摘もある。
パキスタン政府は安全を保証してくれるらしいが、自衛隊なんだから自分たちでやれるのにまったくおかしな国だ。危険があるならそれに備えるのは普通の事だが、なかなかその普通がいけない事のようだ。その話は横道にそれてしまうから、またいずれかの機会に譲りたい。
現地はいまだモンスーンの勢力が衰えず、道路も水没して救援もままならないらしい。
だからのヘリ要請なのであるが、それにしてもパキスタンは核兵器まで保有している軍事大国なのに、自国民を救助するヘリさえ十分にないのだろうか?
それとも日本よりも人口の多い国だから足りないのだろうか。
それにしても、こういう時にこそすぐに駆けつけて援助の手を差し伸べる事が大切なのにと思わざるを得ない。お金を出すよりも、要請される前に救援に向かえば相手の感謝と信頼を得られる事は間違いないのに・・・
かくなる上は、自分としては何ができるだろうかと考えてみたが、やっぱり何も出来そうもない。
せめて関心を持って、明日もCNNのニュースを見る事にしたいと思うのである・・・
【本日の読書】
「デカルト方法序説を読む」谷川多佳子
「リング」百田尚樹
日本とは違うニュースが流されていて、ちょっと新鮮だったりする。
ここのところのメイントピックスは、パキスタンの洪水だ。
ずっとトップニュースで扱われている。
日本でも報道はされているが、その扱いとは大きな差がある。
日本人には日本人の関心事というのがあるから、扱いが違うのは当然なのであるが、ふとどれくらいの人がこの洪水のニュースに関心を寄せているのだろうかと考えた。
たぶん、「ふ~ん、大変だなぁ」と一瞬思うくらいだろう。
新聞の扱いも小さいし、まったく感心を示さない人も多いと思う。
しかし、現地では多数の犠牲者も出ていて、さらに水も食料も不足していて、コレラまで出ているというから深刻だ。
話は逸れるが、この水が不足しているというのも不思議な事だ。
大洪水というからにはあたりには水が氾濫するほどあるのである。
もちろん、ここで言われているのは「飲料水」だ。だが他の動物は平気で飲めるわけである。人間だけが「飲料水」でないといけないというのは、なぜなんだろう。
野生の逞しさがもはや人間にはないということなのだろうか。
日本政府はパキスタン政府の要請を受けて、ようやく費用面の援助とヘリの派遣を決めたようである。ちなみにアメリカはヘリによる救助はとっくに始めている。アメリカは親米政権のこのイスラム教国に対してはいろいろな思惑があるから、無理もないところだ。だが、それを割り引いたとしても我が国の対応は遅いなぁと思わずにはいられない。
聞くところによれば、我が国にもこうした他国の災害に対しては、救助隊や医師団を招集して派遣できる態勢はできているらしい。だが災害発生からどのくらいで派遣されるのか、今回はどうなっているのか、日本のニュースを見ていてもさっぱりわからない。
たぶん、マスコミがおざなりにしか報道しないから、国民も関心を持たないのだし、したがって政治家も腰が重くなるのだろう。国民が関心を持って、「政府は何をしているのだ」という声が高まれば、政治家の対応もマスコミの報道も変わってくるのだろう。
ではどうしたら国民が関心を持つのだろうかと言えば、やはりマスコミが積極的に取り上げて報道する事だろう。マスコミが積極的に取り上げるには、やはり国民が関心を持たなければいけない・・・おそるべきジレンマ・・・
自衛隊のヘリが派遣されるようだが、それは災害救助だから当然非武装となるらしい。
だが、パキスタンはタリバンの巣食うアフガニスタンに隣接し、災害救助とは言え外国人憎しのタリバンから思わぬ攻撃も受けるかもしれないとの指摘もある。
パキスタン政府は安全を保証してくれるらしいが、自衛隊なんだから自分たちでやれるのにまったくおかしな国だ。危険があるならそれに備えるのは普通の事だが、なかなかその普通がいけない事のようだ。その話は横道にそれてしまうから、またいずれかの機会に譲りたい。
現地はいまだモンスーンの勢力が衰えず、道路も水没して救援もままならないらしい。
だからのヘリ要請なのであるが、それにしてもパキスタンは核兵器まで保有している軍事大国なのに、自国民を救助するヘリさえ十分にないのだろうか?
それとも日本よりも人口の多い国だから足りないのだろうか。
それにしても、こういう時にこそすぐに駆けつけて援助の手を差し伸べる事が大切なのにと思わざるを得ない。お金を出すよりも、要請される前に救援に向かえば相手の感謝と信頼を得られる事は間違いないのに・・・
かくなる上は、自分としては何ができるだろうかと考えてみたが、やっぱり何も出来そうもない。
せめて関心を持って、明日もCNNのニュースを見る事にしたいと思うのである・・・
【本日の読書】
「デカルト方法序説を読む」谷川多佳子
「リング」百田尚樹
2010年8月16日月曜日
終戦記念日に思う
8月15日は言わずと知れた終戦記念日。
8月6日以降の一週間、毎年我が国は終戦ムードに包まれる。
昨日はテレビで「玉音放送」全文を流しているのをたまたま見ていた。
感度の悪いラジオで、当時多くの国民が意味がわからなかったらしいが、なるほどどうして無理もない。
『朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲(ここ)ニ忠良ナル爾(なんじ)臣民ニ告ク朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ』
冒頭のこの一文で、要は「ポツダム宣言を受け入れる=降伏する」と言っているわけであるが、聞き取り難さと不慣れな表現、それにポツダム宣言の内容を理解していないとわからないはず。
これを聞いて、当時すぐに意味のわかった人は、なかなかの知識と情報量のあった人なのではないだろうか。
それはともかく、戦争の悲惨さと二度と起こしてはならないという誓いは、繰り返し繰り返し言われ続けている。今年はさらに語り部の数が増え、もうこれで最後と言わんばかりに戦争体験があちこちで語られている。直接経験した世代はいずれいなくなるわけで、その前にこうした証言を一つでも多く知りたいと思うし、残してほしいと思うから良い事だ。
ただ、いつも感じるのは、結果に対する反省だけで、原因追究が極めてあいまいだと言う事だ。
「どうして戦争は起こったの?」
子供にこう聞かれた時、どれくらいの人がきちんと答えられるだろうか?
「悪の日本軍が大陸に侵略して行ったからだよ」とはまさか言わないだろう。
それを言うなら、「なぜ侵略して行ったのか」を説明しないといけない。
「世界支配を目指していた」なんて、旧日本軍をショッカーと一緒にするような回答をする人は共産党や社民党の人ぐらいしかいないと思うが、大丈夫かとちょっと心配になる。
結果には必ず原因がある。
そして結果を回避するためには、原因究明が不可欠である。
それなのに、こと一番大事な戦争については、結果責任だけに着目し、お詫びだけで蓋をしてしまっているように思えてならない。
過去、中学・高校と歴史の授業は受けてきた。
ところが、どうでもいいようなネアンデルタールとか縄文式土器とかの話は熱心にされるものの、肝心な昭和現代史はちょっとしか触れられない。
ましてや、(私の頃は)原因究明なんて皆無であった(まあ世界史を学べば、事実をつなぎ合わせて、頭を働かせれば原因はすぐにわかるのであるが・・・)。
「なぜ」を5回繰り返す改善でトヨタは世界に誇る品質を維持するトヨタ方式を編み出したというが、そのトヨタ方式に習って「なぜ」を繰り返せば原因は見えてくる。
「なぜ、日本は大陸に進出(侵略)していったのか」
そこからスタートして考えてみれば、ある程度の原因はみえてくる。
マスコミも「戦争は悲惨だ」と言えばこの時期はいいんだと思っている。
「二度と繰り返してはいけない」と言っていれば確かに間違いはない。
「ではどうしたらいいのか?」
65年も経つのだから、そろそろそこまで進んでもいい時期だと思うが、どうだろう。
私もビジネス式に「原因究明」と「再発防止対策」について、思いっきり誰かと議論してみたいと思うが、なかなかその機会に恵まれない。
そんなフラストレーションをこの時期いつも抱えているのである・・・
【本日の読書】
「デカルト方法序説を読む」谷川多佳子
「日暮らし(下)」宮部みゆき
「リング」百田尚樹
8月6日以降の一週間、毎年我が国は終戦ムードに包まれる。
昨日はテレビで「玉音放送」全文を流しているのをたまたま見ていた。
感度の悪いラジオで、当時多くの国民が意味がわからなかったらしいが、なるほどどうして無理もない。
『朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲(ここ)ニ忠良ナル爾(なんじ)臣民ニ告ク朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ』
冒頭のこの一文で、要は「ポツダム宣言を受け入れる=降伏する」と言っているわけであるが、聞き取り難さと不慣れな表現、それにポツダム宣言の内容を理解していないとわからないはず。
これを聞いて、当時すぐに意味のわかった人は、なかなかの知識と情報量のあった人なのではないだろうか。
それはともかく、戦争の悲惨さと二度と起こしてはならないという誓いは、繰り返し繰り返し言われ続けている。今年はさらに語り部の数が増え、もうこれで最後と言わんばかりに戦争体験があちこちで語られている。直接経験した世代はいずれいなくなるわけで、その前にこうした証言を一つでも多く知りたいと思うし、残してほしいと思うから良い事だ。
ただ、いつも感じるのは、結果に対する反省だけで、原因追究が極めてあいまいだと言う事だ。
「どうして戦争は起こったの?」
子供にこう聞かれた時、どれくらいの人がきちんと答えられるだろうか?
「悪の日本軍が大陸に侵略して行ったからだよ」とはまさか言わないだろう。
それを言うなら、「なぜ侵略して行ったのか」を説明しないといけない。
「世界支配を目指していた」なんて、旧日本軍をショッカーと一緒にするような回答をする人は共産党や社民党の人ぐらいしかいないと思うが、大丈夫かとちょっと心配になる。
結果には必ず原因がある。
そして結果を回避するためには、原因究明が不可欠である。
それなのに、こと一番大事な戦争については、結果責任だけに着目し、お詫びだけで蓋をしてしまっているように思えてならない。
過去、中学・高校と歴史の授業は受けてきた。
ところが、どうでもいいようなネアンデルタールとか縄文式土器とかの話は熱心にされるものの、肝心な昭和現代史はちょっとしか触れられない。
ましてや、(私の頃は)原因究明なんて皆無であった(まあ世界史を学べば、事実をつなぎ合わせて、頭を働かせれば原因はすぐにわかるのであるが・・・)。
「なぜ」を5回繰り返す改善でトヨタは世界に誇る品質を維持するトヨタ方式を編み出したというが、そのトヨタ方式に習って「なぜ」を繰り返せば原因は見えてくる。
「なぜ、日本は大陸に進出(侵略)していったのか」
そこからスタートして考えてみれば、ある程度の原因はみえてくる。
マスコミも「戦争は悲惨だ」と言えばこの時期はいいんだと思っている。
「二度と繰り返してはいけない」と言っていれば確かに間違いはない。
「ではどうしたらいいのか?」
65年も経つのだから、そろそろそこまで進んでもいい時期だと思うが、どうだろう。
私もビジネス式に「原因究明」と「再発防止対策」について、思いっきり誰かと議論してみたいと思うが、なかなかその機会に恵まれない。
そんなフラストレーションをこの時期いつも抱えているのである・・・
【本日の読書】
「デカルト方法序説を読む」谷川多佳子
「日暮らし(下)」宮部みゆき
「リング」百田尚樹
2010年8月14日土曜日
産経新聞
我が家では産経新聞を購読している。
といっても読者は妻である。
私は社会人になって以来、日経新聞を購読していたのだが、結婚した時に「家庭用にも必要」(私は日経新聞を職場に持って行っている)という理由で、妻が実家で読んでいた産経新聞と契約したのである。
産経新聞など読んだことのない私には、ちょっと新鮮な紙面であった。
なにせ主張が朝日新聞とは両極端に異なる。
戦後の伝統的な護憲、反省の歴史の立場である朝日新聞に対して、憲法改正、自立した歴史の立場に立つ産経新聞という具合だ。二つの紙面から得られたものは、実はとても大きいと思っている。
私はマスコミを信用していない。
それは仕事上での経験もあるが、この二つの新聞を読んでいるだけで何が正しいかなんて自分でしっかり考えていないとわからなくなると思うからだ。
我々はとかく新聞やニュースの報道を鵜呑みにする。
嘘などないという前提でみてしまう。
確かに嘘はないかもしれないが、あからさまな「誘導」はある。
それがわかっていないと、知らず知らずにそういう意見を植えつけられてしまう。
例えば朝日新聞をずっと読んでいる人は、憲法改正に反対だろうし、産経新聞や読売新聞だと逆だろう。
ここ最近、産経新聞は高校無償化を朝鮮学校に適用する事に対して、真っ向から反対するキャンペーンを展開している。たぶん他の新聞はあまりやっていないと思う。
直接「反対」と主張しているわけではない。
都合のいい記事を選んで掲載しているだけだ。
タイトルだけ見ても、
『韓国の脱北者団体、朝鮮学校無償化反対の文書を提出』
『「思想教育」「反日教育」は判断材料にせず 文科省が説明 』
『結論ありき? 国民への説明は不十分 』
『朝鮮学校無償化 法令違反も 「思想教育」理念と矛盾』
『「なぜ密室で」批判集中 朝鮮学校無償化問題』
『総連の草案“丸写し”意見書、小平市会が可決 朝鮮学校「無償化」要望』
と真面目に読めば「けしからん」という気持ちになってくる。
一方他の報道はかなり少ないが、
『「高校無償化」 愛知中高の高級部生徒たち 暑さにめげず署名活動』 朝鮮新報
『「高校無償化を朝鮮高校にも」生徒らが署名提出』 テレビ朝日
とこちらは「差別したらいかんよなぁ」という気持ちにさせられるものだ。
普段何気なく取っている新聞を読み続けていると、いつのまにか「自分の考え」がコントロールされていく事になる。
その他でも「朝日新聞的思想」に真っ向から反対する小林よしのりや桜井よし子といった人たちの論評を載せたり、本の宣伝をしたりと、それはそれは徹底している。
昔は受験生は朝日新聞を読むべき、特に「天声人語」は必読などと言われたし、「新聞を読みなさい」と親にはよく言われた(ちなみに私の実家は読売新聞だった)。
どの新聞が良いとは言わないが、真面目に新聞を読めとは自分の子供には言いたくないと思う。
敢えて読ませるなら両方だろうか。
個人的には朝日新聞の思想・主張は大嫌いだから、むしろ産経新聞の方がいいのだが、それでもここまで露骨だと嫌気が差すのもまた事実だ。
お前たちの思想を押し付けるなと言いたい。
その点、思想性の薄い経済新聞は読んでいて心地良い気がする。
まあ新聞を批判しても仕方ない。
要は受け手の問題なのだ。
しっかりと咀嚼できるようにしていきたいものである・・・
【昨日の読書】
「デカルト方法序説を読む」谷川多佳子
「日暮らし(下)」宮部みゆき
といっても読者は妻である。
私は社会人になって以来、日経新聞を購読していたのだが、結婚した時に「家庭用にも必要」(私は日経新聞を職場に持って行っている)という理由で、妻が実家で読んでいた産経新聞と契約したのである。
産経新聞など読んだことのない私には、ちょっと新鮮な紙面であった。
なにせ主張が朝日新聞とは両極端に異なる。
戦後の伝統的な護憲、反省の歴史の立場である朝日新聞に対して、憲法改正、自立した歴史の立場に立つ産経新聞という具合だ。二つの紙面から得られたものは、実はとても大きいと思っている。
私はマスコミを信用していない。
それは仕事上での経験もあるが、この二つの新聞を読んでいるだけで何が正しいかなんて自分でしっかり考えていないとわからなくなると思うからだ。
我々はとかく新聞やニュースの報道を鵜呑みにする。
嘘などないという前提でみてしまう。
確かに嘘はないかもしれないが、あからさまな「誘導」はある。
それがわかっていないと、知らず知らずにそういう意見を植えつけられてしまう。
例えば朝日新聞をずっと読んでいる人は、憲法改正に反対だろうし、産経新聞や読売新聞だと逆だろう。
ここ最近、産経新聞は高校無償化を朝鮮学校に適用する事に対して、真っ向から反対するキャンペーンを展開している。たぶん他の新聞はあまりやっていないと思う。
直接「反対」と主張しているわけではない。
都合のいい記事を選んで掲載しているだけだ。
タイトルだけ見ても、
『韓国の脱北者団体、朝鮮学校無償化反対の文書を提出』
『「思想教育」「反日教育」は判断材料にせず 文科省が説明 』
『結論ありき? 国民への説明は不十分 』
『朝鮮学校無償化 法令違反も 「思想教育」理念と矛盾』
『「なぜ密室で」批判集中 朝鮮学校無償化問題』
『総連の草案“丸写し”意見書、小平市会が可決 朝鮮学校「無償化」要望』
と真面目に読めば「けしからん」という気持ちになってくる。
一方他の報道はかなり少ないが、
『「高校無償化」 愛知中高の高級部生徒たち 暑さにめげず署名活動』 朝鮮新報
『「高校無償化を朝鮮高校にも」生徒らが署名提出』 テレビ朝日
とこちらは「差別したらいかんよなぁ」という気持ちにさせられるものだ。
普段何気なく取っている新聞を読み続けていると、いつのまにか「自分の考え」がコントロールされていく事になる。
その他でも「朝日新聞的思想」に真っ向から反対する小林よしのりや桜井よし子といった人たちの論評を載せたり、本の宣伝をしたりと、それはそれは徹底している。
昔は受験生は朝日新聞を読むべき、特に「天声人語」は必読などと言われたし、「新聞を読みなさい」と親にはよく言われた(ちなみに私の実家は読売新聞だった)。
どの新聞が良いとは言わないが、真面目に新聞を読めとは自分の子供には言いたくないと思う。
敢えて読ませるなら両方だろうか。
個人的には朝日新聞の思想・主張は大嫌いだから、むしろ産経新聞の方がいいのだが、それでもここまで露骨だと嫌気が差すのもまた事実だ。
お前たちの思想を押し付けるなと言いたい。
その点、思想性の薄い経済新聞は読んでいて心地良い気がする。
まあ新聞を批判しても仕方ない。
要は受け手の問題なのだ。
しっかりと咀嚼できるようにしていきたいものである・・・
【昨日の読書】
「デカルト方法序説を読む」谷川多佳子
「日暮らし(下)」宮部みゆき
2010年8月12日木曜日
ご先祖
グアムに遊びに行った時の事だ。
現地のウォーターパークで遊んでいたところ、妻が突然見知らぬ家族に話しかけられた。
話を聞くとなんと我々と同姓だという。
(長男がネーム入りの水泳帽を被っていたからわかったそうなのだ)
実は私の苗字はちょっと珍しい部類に入ると思う。
これまで46年生きてきて、同姓の赤の他人に出会ったのはこれで3人目というくらいだ(この家族の人たちは初めてだったそうである)。ご主人に聞いたところ、お互いの父親の出身地は長野県の富士見という町の近郊で、ほとんど同じであった。
「ルーツは一緒なのかもしれないですね」と短い立ち話をして別れた。
私の父親はその長野県の富士見で生まれ育った。
今でもそこに行くとさすがに同姓の家がけっこうある。
その町(昔は村だった)で、私の知る限り祖先は4代前まで遡る事ができる。
名前がわかる範囲で、という意味だ。
(以前戸籍をもらったのだ)
極めて少ない情報ながら、わかっている範囲内だと4代前のおばあさんは安政3年の生まれ。
西暦で1856年。その3年前にペリーが浦賀に来航している。
今NHKでちょうど『龍馬伝』をやっているが、まさにそんな激動の時代。
開国の雰囲気は長野県の田舎町には伝わっていたのだろうか。
3代前のおじいさんは明治13年の生まれ。
25歳で結婚し、26歳の時に祖父が生まれている。坂の上の雲の時代だ。
どんなご先祖様だったのか、名前とわずかな情報しか手掛かりがないからなんとも言えない。
たぶん代々農家だったのだろう。
昔何かで見た明治初期の農家の人々の写真が脳裏に浮かぶ。
以前父から昔の祖父の苦労話を聞いた事がある。
やっぱりいろんな事に悩みながらも、毎日の晩酌を楽しみに子供たちを育てていたのだろうか。
血は繋がっているのに、4代前になると何にもわからなくなってしまうというのもちょっと寂しい気がする。昔の、それも奥深い田舎の事だから写真も残っていない。
ご先祖様は今の私の暮らしぶりを見たら、果たしてどんな感想をもらすだろう・・・
翻って考えると、将来自分の子孫たちもやっぱり同じような感想を持つのだろうか。
4代あとの孫はどんな暮らしをしているのだろう。
幸い現代はいろいろな記録メディアがある。
写真やビデオはデジタルだから残るだろうか。
このブログはどうだろう。
密かにつけている日記なんか、読んだらびっくりするかもしれない。
「昭和39年生まれのおじいさんは面白い人だったようだ」
そんな評価が語り継がれるといいなぁと思うのである・・・
【本日の読書】
「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」岩崎夏海
「日暮らし(下)」宮部みゆき
現地のウォーターパークで遊んでいたところ、妻が突然見知らぬ家族に話しかけられた。
話を聞くとなんと我々と同姓だという。
(長男がネーム入りの水泳帽を被っていたからわかったそうなのだ)
実は私の苗字はちょっと珍しい部類に入ると思う。
これまで46年生きてきて、同姓の赤の他人に出会ったのはこれで3人目というくらいだ(この家族の人たちは初めてだったそうである)。ご主人に聞いたところ、お互いの父親の出身地は長野県の富士見という町の近郊で、ほとんど同じであった。
「ルーツは一緒なのかもしれないですね」と短い立ち話をして別れた。
私の父親はその長野県の富士見で生まれ育った。
今でもそこに行くとさすがに同姓の家がけっこうある。
その町(昔は村だった)で、私の知る限り祖先は4代前まで遡る事ができる。
名前がわかる範囲で、という意味だ。
(以前戸籍をもらったのだ)
極めて少ない情報ながら、わかっている範囲内だと4代前のおばあさんは安政3年の生まれ。
西暦で1856年。その3年前にペリーが浦賀に来航している。
今NHKでちょうど『龍馬伝』をやっているが、まさにそんな激動の時代。
開国の雰囲気は長野県の田舎町には伝わっていたのだろうか。
3代前のおじいさんは明治13年の生まれ。
25歳で結婚し、26歳の時に祖父が生まれている。坂の上の雲の時代だ。
どんなご先祖様だったのか、名前とわずかな情報しか手掛かりがないからなんとも言えない。
たぶん代々農家だったのだろう。
昔何かで見た明治初期の農家の人々の写真が脳裏に浮かぶ。
以前父から昔の祖父の苦労話を聞いた事がある。
やっぱりいろんな事に悩みながらも、毎日の晩酌を楽しみに子供たちを育てていたのだろうか。
血は繋がっているのに、4代前になると何にもわからなくなってしまうというのもちょっと寂しい気がする。昔の、それも奥深い田舎の事だから写真も残っていない。
ご先祖様は今の私の暮らしぶりを見たら、果たしてどんな感想をもらすだろう・・・
翻って考えると、将来自分の子孫たちもやっぱり同じような感想を持つのだろうか。
4代あとの孫はどんな暮らしをしているのだろう。
幸い現代はいろいろな記録メディアがある。
写真やビデオはデジタルだから残るだろうか。
このブログはどうだろう。
密かにつけている日記なんか、読んだらびっくりするかもしれない。
「昭和39年生まれのおじいさんは面白い人だったようだ」
そんな評価が語り継がれるといいなぁと思うのである・・・
【本日の読書】
「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」岩崎夏海
「日暮らし(下)」宮部みゆき
2010年8月9日月曜日
指南役
先日の事、取引先との面談を終え汗を拭き拭きの帰り道、突然若いサラリーマン風の男性に声をかけられた。
「研修の一環なんです、名刺交換をお願いします」と彼は自分の名刺を差し出してくる。
「ああ、またか」と思う。
丸の内界隈では結構頻繁にこれをやっている。
私も何回か声をかけられた事があるし、声をかけているところを見たことも一度や二度ではない。
いつものように、「仕事以外では名刺交換しない事にしてるので」と断る。
これまでは「失礼しました」と簡単に引き下がってくれたが、今回の彼には粘られた。
一緒に歩きながら、「お願いします」と。
交換だけならいいが、あとでセールスの電話がかかって来ても面倒だ。
すると、「あとでセールスのお電話をするというわけではございませんので・・・」と彼が言う。
自分で言ってるじゃないかと、内心ちょっと微笑ましく思う。
30メートルくらいついてきたが、こちらも初志貫徹。
彼も諦め、次のターゲットを探しに行った。
暑いのに大変だろうが、残念ながらあのやり方ではあまり名刺は集められないだろうな、と思う。
自分はいつも応じないし、他所の人も見る限りでは相手にしていないようである。
まあ無理もない。
自分だったらどうするかな、とこういう時はいつも考える。
まず道端で知らない人に話しかけるなんてしない。
性格的にもできないし、そんな非効率的な事はやってられないクチなのだ。
どうやったら効率的に名刺を集められるだろうと考える。
手っ取り早いのは東京ビッグサイトあたりへ出掛けていく事だろう。
ここではいろいろ企業の展示会をやっている事が多い。
ブースを一つ一つ回ってちょっと話を聞いて、こちらの名刺を差し出せばまず応じてくれる。
あらかじめ少し専門知識を仕入れていって、うまく相手に合わせられれば完璧だ。
100社くらい出展している事もあるから、一つのブースで頑張って2~3枚集めれば、一日でかなりの数になるだろう。
努力は大切だが、その方向性を間違えると「無駄な努力」となってしまう。
私も今だからこそ、そんな風に考えられるが、これも過去の経験の賜物。
初めからそんな風に考えられたわけではない。
いろいろな失敗、試行錯誤、無駄な努力の蓄積の結果だ。
若い頃にそうした事を手取り足取り教えてくれる人がいたら、もっと違っていた事だろう。
浪人せずにストレートで大学に入れたかもしれない。
大学のラグビー部では、1年からレギュラーになれたかもしれない。
会社ではもっと出世していたかもしれない。
家に帰った時に出迎えてくれる奥さんだって別の人だったかもしれない・・・
変えられない過去を嘆いても仕方がない。
自分の経験値をどう活かすか、だ。
一番良いのは子供にアドバイスしてあげる事だが、どうだろう。
聞く耳はもってくれるだろうか。
できれば指南役となって、いろいろとアドバイスしてあげたいところだ。
いつか子供たちの恋の悩みに応えてあげられたら、自分の失恋経験も無駄ではなかったと言えるのだが、どうであろうか。
疎ましがられず、聞いてもらえるような工夫を今度は考えたいと思うところである・・・
【本日の読書】
「雨が降ってもよろこぼう」嶋津良智
「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」岩崎夏海
「日暮らし(中)」宮部みゆき
「研修の一環なんです、名刺交換をお願いします」と彼は自分の名刺を差し出してくる。
「ああ、またか」と思う。
丸の内界隈では結構頻繁にこれをやっている。
私も何回か声をかけられた事があるし、声をかけているところを見たことも一度や二度ではない。
いつものように、「仕事以外では名刺交換しない事にしてるので」と断る。
これまでは「失礼しました」と簡単に引き下がってくれたが、今回の彼には粘られた。
一緒に歩きながら、「お願いします」と。
交換だけならいいが、あとでセールスの電話がかかって来ても面倒だ。
すると、「あとでセールスのお電話をするというわけではございませんので・・・」と彼が言う。
自分で言ってるじゃないかと、内心ちょっと微笑ましく思う。
30メートルくらいついてきたが、こちらも初志貫徹。
彼も諦め、次のターゲットを探しに行った。
暑いのに大変だろうが、残念ながらあのやり方ではあまり名刺は集められないだろうな、と思う。
自分はいつも応じないし、他所の人も見る限りでは相手にしていないようである。
まあ無理もない。
自分だったらどうするかな、とこういう時はいつも考える。
まず道端で知らない人に話しかけるなんてしない。
性格的にもできないし、そんな非効率的な事はやってられないクチなのだ。
どうやったら効率的に名刺を集められるだろうと考える。
手っ取り早いのは東京ビッグサイトあたりへ出掛けていく事だろう。
ここではいろいろ企業の展示会をやっている事が多い。
ブースを一つ一つ回ってちょっと話を聞いて、こちらの名刺を差し出せばまず応じてくれる。
あらかじめ少し専門知識を仕入れていって、うまく相手に合わせられれば完璧だ。
100社くらい出展している事もあるから、一つのブースで頑張って2~3枚集めれば、一日でかなりの数になるだろう。
努力は大切だが、その方向性を間違えると「無駄な努力」となってしまう。
私も今だからこそ、そんな風に考えられるが、これも過去の経験の賜物。
初めからそんな風に考えられたわけではない。
いろいろな失敗、試行錯誤、無駄な努力の蓄積の結果だ。
若い頃にそうした事を手取り足取り教えてくれる人がいたら、もっと違っていた事だろう。
浪人せずにストレートで大学に入れたかもしれない。
大学のラグビー部では、1年からレギュラーになれたかもしれない。
会社ではもっと出世していたかもしれない。
家に帰った時に出迎えてくれる奥さんだって別の人だったかもしれない・・・
変えられない過去を嘆いても仕方がない。
自分の経験値をどう活かすか、だ。
一番良いのは子供にアドバイスしてあげる事だが、どうだろう。
聞く耳はもってくれるだろうか。
できれば指南役となって、いろいろとアドバイスしてあげたいところだ。
いつか子供たちの恋の悩みに応えてあげられたら、自分の失恋経験も無駄ではなかったと言えるのだが、どうであろうか。
疎ましがられず、聞いてもらえるような工夫を今度は考えたいと思うところである・・・
【本日の読書】
「雨が降ってもよろこぼう」嶋津良智
「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」岩崎夏海
「日暮らし(中)」宮部みゆき
2010年8月7日土曜日
猛暑の休日
連日の猛暑である。
私は常々、夏は夏らしく、冬は冬らしく、男は男らしく、と常に「らしく」があるべき姿と考えているので、この猛暑も夏らしくていいと考えている。
確かに昼間の外出は大変だが、夜帰る時になると気温も下がって心地良く感じる。
これも昼の暑さがあったからだろう。
詳しい統計は調べたわけではないが、この猛暑でビールは売れているだろうし、プールだって大賑わいなのではないだろうか。
少しは景気にもいいのではないかと考えていたら、何と野菜が生育不足で値段高騰ときた。
雨の影響もあったらしいが、あちらを立てればこちらが立たず、はある程度は仕方がないのだろう。
妻と子供たちは揃って妻の実家のある大阪に帰省中である。
したがって家には私一人。
毎年の恒例行事であるが、これが私には結婚以来の息抜きになっている。
家族がいるのはありがたい事なのであるが、いればいたでの煩わしさというものがある。
そうした煩わしさから、たまには解放されたっていいだろう。
朝起きる時間から夜寝るまで、誰はばかることなく好きな事ができる。
食事だけは侘びしくなるがそれはやむをえない。
食べていてこぼしたって何にも言われないし、それくらいは我慢しないといけない。
そうして2~3週間一人で過ごし、「咳をしても一人」の状況にちょっと寂しくなった頃家族が帰ってくる。その賑わいに、また家族のありがたみがわかっていいのだと勝手に思っている。
ちょっと涼しくなった夕方、スーパーに買い物に行った。
夕飯のお弁当と夜映画を観る時の酒のつまみを購入。
最近は娘までが「夜中にお菓子食べるとメタボになるよ」と一々言ってくるようになったが、今日は気兼ねなく買えた。
帰り道、木々から蝉の大合唱が聞こえてくる。
不思議な事に蝉ってなかなか見つけられない。
鳴き声のするところに目を凝らしてみるのだが、今日もやっぱり見つけられなかった。
もっとものろまな人間様に見つけられるようなら、すぐに鳥なんかの餌食になってしまうだろうから、当たり前なのかもしれない。
家に帰りつくと何だか玄関先で違和感を覚える。
あるべきところにある何かがない、という違和感だ。
そしてそれが自転車である事に気がついた。
自転車がないのだ。「あ~」と、ため息が漏れる。
スーパーに置いてきちまった・・・
さて、今夜は何の映画を観ようかな。
貴重な一時だからたっぷりと満喫したいものである・・・
【本日の読書】
なし
私は常々、夏は夏らしく、冬は冬らしく、男は男らしく、と常に「らしく」があるべき姿と考えているので、この猛暑も夏らしくていいと考えている。
確かに昼間の外出は大変だが、夜帰る時になると気温も下がって心地良く感じる。
これも昼の暑さがあったからだろう。
詳しい統計は調べたわけではないが、この猛暑でビールは売れているだろうし、プールだって大賑わいなのではないだろうか。
少しは景気にもいいのではないかと考えていたら、何と野菜が生育不足で値段高騰ときた。
雨の影響もあったらしいが、あちらを立てればこちらが立たず、はある程度は仕方がないのだろう。
妻と子供たちは揃って妻の実家のある大阪に帰省中である。
したがって家には私一人。
毎年の恒例行事であるが、これが私には結婚以来の息抜きになっている。
家族がいるのはありがたい事なのであるが、いればいたでの煩わしさというものがある。
そうした煩わしさから、たまには解放されたっていいだろう。
朝起きる時間から夜寝るまで、誰はばかることなく好きな事ができる。
食事だけは侘びしくなるがそれはやむをえない。
食べていてこぼしたって何にも言われないし、それくらいは我慢しないといけない。
そうして2~3週間一人で過ごし、「咳をしても一人」の状況にちょっと寂しくなった頃家族が帰ってくる。その賑わいに、また家族のありがたみがわかっていいのだと勝手に思っている。
ちょっと涼しくなった夕方、スーパーに買い物に行った。
夕飯のお弁当と夜映画を観る時の酒のつまみを購入。
最近は娘までが「夜中にお菓子食べるとメタボになるよ」と一々言ってくるようになったが、今日は気兼ねなく買えた。
帰り道、木々から蝉の大合唱が聞こえてくる。
不思議な事に蝉ってなかなか見つけられない。
鳴き声のするところに目を凝らしてみるのだが、今日もやっぱり見つけられなかった。
もっとものろまな人間様に見つけられるようなら、すぐに鳥なんかの餌食になってしまうだろうから、当たり前なのかもしれない。
家に帰りつくと何だか玄関先で違和感を覚える。
あるべきところにある何かがない、という違和感だ。
そしてそれが自転車である事に気がついた。
自転車がないのだ。「あ~」と、ため息が漏れる。
スーパーに置いてきちまった・・・
さて、今夜は何の映画を観ようかな。
貴重な一時だからたっぷりと満喫したいものである・・・
【本日の読書】
なし
2010年8月6日金曜日
セブンの息子
5歳の長男と二人で先日の休みの日に「ウルトラマンフェスティバル2010」に行ってきた。
仮面ライダー と並んでこちらも長寿のヒーローモノだ。
最近はテレビでやっていないようであるが、たまにケーブルテレビでやっていたりするから長男も知ってはいる。
行ってみれば子供用の催しもので、ウルトラ兄弟や怪獣たちが展示され、ゲームがあったりショーが開催されたりしていた。
ショーではお姉さんに促されて、子供たちがウルトラ兄弟に声援を送る。
我が長男も、「頑張れ~」と声を張り上げていた。
有料のゲームを見つめていた長男に、「ゲームする?それとも何か買って帰る?」と尋ねると、間髪を入れず「買って帰る!」との答えが返ってきた。
長男が食い入るように見つめたのは人形。
「何個買ってもいいの?」
という問いに、「何個欲しい」と問う。
「4つ」とちょっと考えた末、長男は答える。
う~む・・・
1個840円だから良いかなとも思うが、一気に買え与えるのもいかがなものかと考え、「2つ」と言い渡す。長男もしばし遠くを見つめていたかと思ったら切りだしてきた。
「今家に怪獣がひとつあるでしょ。だからウルトラマンを2つ買って怪獣をひとつ買えば、2対2で戦えるよ!」と。
「なるほど」と感心。
「買って、買って~」とダダをこねるのではなく、冷静に論理的に説得しにきた姿勢に感動。
「さすが我が息子」と思わずOKを出しそうになった。
しかし、こちらもそれに応えるべく、冷静に対応。
「ダメ、2つだけ。それ以上買うと怪獣ママゴンが怒り出すからウルトラマンでは歯がたたないでしょ」と。わかったのかどうかわからないが、長男は納得。
考えに考えてウルトラセブンとウルトラマンゼロを購入した。
何で数多くいるウルトラ兄弟の中から古臭いウルトラセブンなのかと聞くと、「だってウルトラセブンが好きなんだもん」という。
嬉しい事を言ってくれる。私も実はウルトラセブンが一番好きだったのだ。あれはいい番組だった。再放送で何回も観た。
長男にもみせたいくらいだ。
しかもウルトラマンゼロはウルトラセブンの息子なのだという。親子と親子。円谷プロもなかなか味な事をやる。
交渉には負けても2体のウルトラマンを買ってもらってご機嫌な長男。災難だったのは、突然正義のヒーロー2体を相手にしなければならなくなった我が家の怪獣だろうか。嬉しそうに戦わせて遊ぶ長男に、今度はウルトラセブンのDVDを借りてきてみせてやろうかと考えた。私も久しぶりに子供の頃の感動を思い出したくなったのである・・・
(最終回は子供心に切なかったものなぁ・・・)
【本日の読書】
「雨が降ってもよろこぼう」嶋津良智
「日暮らし(中)」宮部みゆき
仮面ライダー と並んでこちらも長寿のヒーローモノだ。
最近はテレビでやっていないようであるが、たまにケーブルテレビでやっていたりするから長男も知ってはいる。
行ってみれば子供用の催しもので、ウルトラ兄弟や怪獣たちが展示され、ゲームがあったりショーが開催されたりしていた。
ショーではお姉さんに促されて、子供たちがウルトラ兄弟に声援を送る。
我が長男も、「頑張れ~」と声を張り上げていた。
有料のゲームを見つめていた長男に、「ゲームする?それとも何か買って帰る?」と尋ねると、間髪を入れず「買って帰る!」との答えが返ってきた。
長男が食い入るように見つめたのは人形。
「何個買ってもいいの?」
という問いに、「何個欲しい」と問う。
「4つ」とちょっと考えた末、長男は答える。
う~む・・・
1個840円だから良いかなとも思うが、一気に買え与えるのもいかがなものかと考え、「2つ」と言い渡す。長男もしばし遠くを見つめていたかと思ったら切りだしてきた。
「今家に怪獣がひとつあるでしょ。だからウルトラマンを2つ買って怪獣をひとつ買えば、2対2で戦えるよ!」と。
「なるほど」と感心。
「買って、買って~」とダダをこねるのではなく、冷静に論理的に説得しにきた姿勢に感動。
「さすが我が息子」と思わずOKを出しそうになった。
しかし、こちらもそれに応えるべく、冷静に対応。
「ダメ、2つだけ。それ以上買うと怪獣ママゴンが怒り出すからウルトラマンでは歯がたたないでしょ」と。わかったのかどうかわからないが、長男は納得。
考えに考えてウルトラセブンとウルトラマンゼロを購入した。
何で数多くいるウルトラ兄弟の中から古臭いウルトラセブンなのかと聞くと、「だってウルトラセブンが好きなんだもん」という。嬉しい事を言ってくれる。私も実はウルトラセブンが一番好きだったのだ。あれはいい番組だった。再放送で何回も観た。
長男にもみせたいくらいだ。
しかもウルトラマンゼロはウルトラセブンの息子なのだという。親子と親子。円谷プロもなかなか味な事をやる。
交渉には負けても2体のウルトラマンを買ってもらってご機嫌な長男。災難だったのは、突然正義のヒーロー2体を相手にしなければならなくなった我が家の怪獣だろうか。嬉しそうに戦わせて遊ぶ長男に、今度はウルトラセブンのDVDを借りてきてみせてやろうかと考えた。私も久しぶりに子供の頃の感動を思い出したくなったのである・・・
(最終回は子供心に切なかったものなぁ・・・)
【本日の読書】
「雨が降ってもよろこぼう」嶋津良智
「日暮らし(中)」宮部みゆき
2010年8月2日月曜日
夏休みの自由研究
小学生の娘は現在夏休みの宿題である自由研究に没頭している。
今年のテーマは「グアム旅行記」。
先日の旅行をうまく利用しようという腹だ。
と言っても考えたのはママだ。
子供は言われるままというところがちょっと寂しい。
実は昨年の事、やっぱり夏休みの宿題で自由研究が出た。
親としては子供の宿題だし、本人に任せていた。
なにやら購読している学習雑誌から選んでやっていた。
そしたらクラスでの発表で、娘の宿題の内容のあまりのレベルの低さにママが青くなって帰ってきた。よそは親がかなりテコ入れをしていたようである。
「今年は知らん顔できない」と妻は鼻息が荒かった。
しかしなぁ、と私は反発。
どうみても親が手を貸したような自由研究を持って行ってそれでいいのか、と。
何のための研究なのか、と。
明らかに親が手伝ったような『立派な』作品を持って行くより、貧相であっても『自分の力でやりました』というものの方がいいのではないか。
少なくとも私が教師だったら、そういう子の作品にこそ評価を与えたいと思うのだ。
とカッコよく語ってみたが、実は自分も昔からこの手の『自由研究』の類は大の苦手で、なんで今頃になってまたあの悪夢のような体験を再びしなければならないのか、というのが本音である。
学校の先生には「自分の力でやる事」と子供たちに強く指導してほしいと切に思うのだ。
とは言え目の前の現実からは逃げられない。
結局テーマはいろいろ事例を探して『旅行記』とした。
ちょうどグアムに行くし、という事で旅行中に見たり聞いたりした日本との違う事などをまとめてレポートするようにした。出入国の手続きから(入国時には指紋まで取られたからアメリカで何かやらかしたら一発で身元がばれてしまうとか)、街のスーパーでの商品調査・価格調査なんかも入れてみたりした。
まあいろいろとヒントはあげてなるべく自分で考えるようにさせているから、これはこれでいいかもしれない。すぐに「次はどうするの?」と聞いてくるから、「どうすればいいと思う?」と切り返している(すると「わかんな~い」と返してくるから敵もさるものであるが・・・)。
ほぼ8割方完成したからほっとしている。
他の「親」がどんな作品を作ってくるかは知らないが、我が家は本人の自主性を重んじる方式でここまで作らせた。出来が劣ったとしても気にするまい。
小学校4年生としては十分に「らしい」仕上がりだ。
これで私も安心して夏を過ごせる。
と、これも私の性分なのだがついつい考えてしまうのだ。
「来年どうしよう・・・」
続けて海外旅行はいくらなんでも厳しいぞ。
職場に5年生の子がいる同僚はいなかったっけかな。
探してみないといけないと思ったのである・・・
【本日の読書】
「二つの真実」船井幸雄
「日暮らし(上)」宮部みゆき
今年のテーマは「グアム旅行記」。
先日の旅行をうまく利用しようという腹だ。
と言っても考えたのはママだ。
子供は言われるままというところがちょっと寂しい。
実は昨年の事、やっぱり夏休みの宿題で自由研究が出た。
親としては子供の宿題だし、本人に任せていた。
なにやら購読している学習雑誌から選んでやっていた。
そしたらクラスでの発表で、娘の宿題の内容のあまりのレベルの低さにママが青くなって帰ってきた。よそは親がかなりテコ入れをしていたようである。
「今年は知らん顔できない」と妻は鼻息が荒かった。
しかしなぁ、と私は反発。
どうみても親が手を貸したような自由研究を持って行ってそれでいいのか、と。
何のための研究なのか、と。
明らかに親が手伝ったような『立派な』作品を持って行くより、貧相であっても『自分の力でやりました』というものの方がいいのではないか。
少なくとも私が教師だったら、そういう子の作品にこそ評価を与えたいと思うのだ。
とカッコよく語ってみたが、実は自分も昔からこの手の『自由研究』の類は大の苦手で、なんで今頃になってまたあの悪夢のような体験を再びしなければならないのか、というのが本音である。
学校の先生には「自分の力でやる事」と子供たちに強く指導してほしいと切に思うのだ。
とは言え目の前の現実からは逃げられない。
結局テーマはいろいろ事例を探して『旅行記』とした。
ちょうどグアムに行くし、という事で旅行中に見たり聞いたりした日本との違う事などをまとめてレポートするようにした。出入国の手続きから(入国時には指紋まで取られたからアメリカで何かやらかしたら一発で身元がばれてしまうとか)、街のスーパーでの商品調査・価格調査なんかも入れてみたりした。
まあいろいろとヒントはあげてなるべく自分で考えるようにさせているから、これはこれでいいかもしれない。すぐに「次はどうするの?」と聞いてくるから、「どうすればいいと思う?」と切り返している(すると「わかんな~い」と返してくるから敵もさるものであるが・・・)。
ほぼ8割方完成したからほっとしている。
他の「親」がどんな作品を作ってくるかは知らないが、我が家は本人の自主性を重んじる方式でここまで作らせた。出来が劣ったとしても気にするまい。
小学校4年生としては十分に「らしい」仕上がりだ。
これで私も安心して夏を過ごせる。
と、これも私の性分なのだがついつい考えてしまうのだ。
「来年どうしよう・・・」
続けて海外旅行はいくらなんでも厳しいぞ。
職場に5年生の子がいる同僚はいなかったっけかな。
探してみないといけないと思ったのである・・・
【本日の読書】
「二つの真実」船井幸雄
「日暮らし(上)」宮部みゆき
2010年7月30日金曜日
グアム雑感その2
「ねぇ、グアムってアメリカ?」
グアムに行く前に娘にこう尋ねられた。
「う~ん、そうだよ」
一応、そう答えはしたものの、なんとなく自分自身も頼りない。
アメリカではあるものの、州でもないし何なんだろうとよくわからなかった。
詳しい歴史など知らないし、太平洋戦争でアメリカが日本から奪ってそのまま領有しているというくらいの認識だった。調べてみたら準州という扱いらしい。
グアムに到着した翌々日、イルカウォッチングツアーに出かけた。
ホテルのある中心部からバスで郊外に向かっている時の事、現地人ガイドさんが日本語でいろいろと話をしてくれていたのだが、あるところで「ヒダリテハ、基地デ~ス。ミサキゼンブ基地デス」と教えてくれた。どうやらその先にある岬というか半島全体が、海軍の基地だったようである。

基地と言っても鉄条網の向こうに広々とした野原とわずかな建物が見えるだけ。
軍艦などは見えもしない。
どうやら広大な敷地を占領しているらしい。
現地のチャモロ人ガイドさんの口調からは、それが広大な土地を占有する米軍に対する冗談なのか怒りなのかよくわからなかった。
どっちだったのだろう。
そもそもグアムの人たちは、州でもない、自分たちの国家元首である大統領を選ぶ権利もない現状をどんな風に考えているのだろう。空軍基地と合わせれば、島のかなりの部分を基地に取られている。グアムの大半がジャングルだと考えると占有している地域の割合は広大だ。アメリカは民主主義国家だから、現地の人たちも本土のアメリカ人と同様、自由な権利を保障されている。それに何だかんだで本土からの支援もあるし、観光でそれなりにお金が落ちてくるという事で、海の向こうの国の一部という地位に満足しているのだろうか。
主要な産業といったらやっぱり観光なのだろう。
とはいえ観光客は大半が日本を始めとするアジアの人たちだ。
(日本人も多かったが中国人も多かった。へんなメガネかけてるからすぐわかるのだ)
白人は少数派で、見かけた白人はというと、髪型からするとたぶん軍人さんではないかと思えた。それはそうだ。アメリカ本土からだと、わざわざグアムにこなくてももっと近くにハワイがあるからだ。私だってなんでグアムなのかと聞かれたら、ハワイは遠いからだ(料金も高いし・・・)。アメリカにとってみれば、グアムは基地以外の価値はないのではないだろうか。
まあ別に反政府運動が起こっているわけでもないし、大国の一部という地位はある意味保障されている事にもなり、それはそれで幸せなのだろうか。
我々は戦後の一時期を除いて、ずっと独立国家として存続してきた長い歴史がある。
だから歴史の違う国の一部であるという感覚はわからない。
地元の人たちの本音はどうなんだろうか。
単なる観光ではなく、そんな話を地元の人たちから聞くような旅を、いつかしてみたいと思った。
まあ子供たちが一緒に旅行なんかしてくれなくなってからだろうなぁ。
せめてそれまでに、もうちょっと英会話力を磨いておく事にしようと思ったのである・・・
【本日の読書】
「二つの真実」船井幸雄
「日暮らし(上)」宮部みゆき
【昨日の漫画】
「マネーの拳⑧」三田紀房
「ONE PIECE ①」尾田栄一郎
グアムに行く前に娘にこう尋ねられた。
「う~ん、そうだよ」
一応、そう答えはしたものの、なんとなく自分自身も頼りない。
アメリカではあるものの、州でもないし何なんだろうとよくわからなかった。
詳しい歴史など知らないし、太平洋戦争でアメリカが日本から奪ってそのまま領有しているというくらいの認識だった。調べてみたら準州という扱いらしい。
グアムに到着した翌々日、イルカウォッチングツアーに出かけた。
ホテルのある中心部からバスで郊外に向かっている時の事、現地人ガイドさんが日本語でいろいろと話をしてくれていたのだが、あるところで「ヒダリテハ、基地デ~ス。ミサキゼンブ基地デス」と教えてくれた。どうやらその先にある岬というか半島全体が、海軍の基地だったようである。

基地と言っても鉄条網の向こうに広々とした野原とわずかな建物が見えるだけ。
軍艦などは見えもしない。
どうやら広大な敷地を占領しているらしい。
現地のチャモロ人ガイドさんの口調からは、それが広大な土地を占有する米軍に対する冗談なのか怒りなのかよくわからなかった。
どっちだったのだろう。
そもそもグアムの人たちは、州でもない、自分たちの国家元首である大統領を選ぶ権利もない現状をどんな風に考えているのだろう。空軍基地と合わせれば、島のかなりの部分を基地に取られている。グアムの大半がジャングルだと考えると占有している地域の割合は広大だ。アメリカは民主主義国家だから、現地の人たちも本土のアメリカ人と同様、自由な権利を保障されている。それに何だかんだで本土からの支援もあるし、観光でそれなりにお金が落ちてくるという事で、海の向こうの国の一部という地位に満足しているのだろうか。
主要な産業といったらやっぱり観光なのだろう。
とはいえ観光客は大半が日本を始めとするアジアの人たちだ。
(日本人も多かったが中国人も多かった。へんなメガネかけてるからすぐわかるのだ)
白人は少数派で、見かけた白人はというと、髪型からするとたぶん軍人さんではないかと思えた。それはそうだ。アメリカ本土からだと、わざわざグアムにこなくてももっと近くにハワイがあるからだ。私だってなんでグアムなのかと聞かれたら、ハワイは遠いからだ(料金も高いし・・・)。アメリカにとってみれば、グアムは基地以外の価値はないのではないだろうか。
まあ別に反政府運動が起こっているわけでもないし、大国の一部という地位はある意味保障されている事にもなり、それはそれで幸せなのだろうか。
我々は戦後の一時期を除いて、ずっと独立国家として存続してきた長い歴史がある。
だから歴史の違う国の一部であるという感覚はわからない。
地元の人たちの本音はどうなんだろうか。
単なる観光ではなく、そんな話を地元の人たちから聞くような旅を、いつかしてみたいと思った。
まあ子供たちが一緒に旅行なんかしてくれなくなってからだろうなぁ。
せめてそれまでに、もうちょっと英会話力を磨いておく事にしようと思ったのである・・・
【本日の読書】
「二つの真実」船井幸雄
「日暮らし(上)」宮部みゆき
【昨日の漫画】
「マネーの拳⑧」三田紀房
「ONE PIECE ①」尾田栄一郎
2010年7月27日火曜日
グアム雑感
夏休みを取ってグアムに行って来た。5泊6日だったのだが、その間ニュースはほとんど見ず、またパソコンにもほとんど触れなかった。いつもまるで中毒のようにパソコンに向かっていたから、メールもブログもその他もろもろからも離れた生活であった。
たまにはいいものである。
南の島でバカンスというのは、個人的にはもっとも好きな海外旅行のタイプである。
名所旧跡を訪ね歩くというのもいいかもしれないが、青い空、透明な海、白い砂浜に囲まれたヤシの木の木陰かビーチパラソルの下にデッキチェアーを置いて、トロピカルドリンクを飲みながらのんびり読書をする。時折海に浸かって体を冷やし、夕方には街へ繰り出して、地元の人たちの生活の雑踏の中でそぞろ歩きを楽しみ、地元の人たちから教えられたレストランで舌鼓を打つ。そんなバカンスが理想的である。
ところが小学生と幼稚園の子供がいると、そんな理想とはかけ離れた姿となる。
何せ朝からプールだ海だとなる。小学生の長女はともかく、長男からは目が離せない。
水を怖がらないのはいいのだが、足のつかない深いプールでもどんどん入って行く。
頼もしくもあるが、何かあったら大変だからついていないといけない。
またウォータースライダーなどは、長男単独では利用できないものが多く、また出来ても勝手にさせておくわけにはいかない。
というわけで、トロピカルドリンクなんて言っている場合ではない。
バーカウンターを横目に長男と一緒になって水に浸かっている羽目になる。
ウォータースライダーなど何度長男と一緒に滑ったかわからない。
水に入っているとそれだけで体力を消耗するそうだが、つくづくそれを実感させられた。
夜は子供たちを寝かしつけると、間を空けず疲れて一緒に寝てしまっていた。
おかげで夜寝る前に読もうと思って、持って行った文庫本はほとんど進まなかった。
まあその分、睡眠時間だけは普段の倍近くたっぷりと取る事ができた。
考えてみれば東京にいたって、連日子供とプールに通っていたら、それは疲れるわなと思う。
長男だけだったら、何もグアムまで行かなくても近所の区民プールでもたぶん喜ぶだろう。
白いデッキチェアーは荷物を置くだけで遠くにある存在だったが、それでも透明な海ではゴーグルをして顔をつければたくさんの魚たちが見られた。江の島あたりの海や、近所のプールではそうもいかないから、それだけでも行った甲斐はあったというもの。
成田に着いて真っ先に聞いた蝉の声に日本の夏を感じた。
そう言えばグアムでは蝉の声は聞けなかった。
グアムでは、肌に突き刺すような日差しに目を細めていたと思ったら、一転して土砂降りの雨になり、10分もするとまた強い日差しという繰り返し。
雨季だから連日のスコールだったが、これだけの雨と太陽とだから植物も育つし、でっかいナメクジは這っているし、ヤモリが無数に這いまわり、蝶が舞い、聞いた事のない鳥の鳴き声があたりに響き渡る・・・
まあ南の島の雰囲気は十分味わえた。
とっても疲れたのは確かだが、家族が喜んでいたから良しとしたい。
「また来年も行きたいね」
子供にそう言われて、「じゃあ来年もまた行こう!」という声をすんでのところで飲み込んだ。
情けないが、こればっかりはな。
浮かれる事なく、こんなところは妙に冷静な自分にちょっと寂しい思いがしたのであった・・・
【本日の読書】
「二度目のノーサイド」堂場瞬一
2010年7月21日水曜日
夏休み
長男は先週で幼稚園は終わり。
長女も連休明けの昨日が終業式。
それぞれ待ちに待った夏休みである。
そしてそういう私も今週は夏休みである。
毎年この時期に夏休みを取っている。
我々銀行員は交代で休みを取るのだが、8月は休みを取りたいと希望する人が多い。
常に人のいないところに行きたがる天の邪鬼の私としては、必然的にこの時期に取るパターンが定着してしまった。結果、他の人と調整する必要がないから思い通りに休めるので便利である。
特に海外に行こうと思ったら、5月くらいから計画しないといけない。
この時期だと「取れる」という前提で準備できるから、誠に具合がいい。
そもそも8月にみんな休みたがるのはお盆があるからだ。東京では7月だが、地方では8月。
小学生から 御代田に行っていた私にとっては、7月と8月とひと夏に2回のお盆を経験していた。
それでも地方のお盆の雰囲気の方が、みんな集まって盛大だったせいか、「お盆と言えば8月」の感覚が今でも強い。
道路も鉄道も空の便も大混雑のお盆に休みを取って帰省する人たちは大変だ。
だからせめて休みだけでもスムーズに取れるように、私なりに貢献しているつもりなのである。
もうそんな夏休みが銀行に入って以来ずっと続いている。
だから私は8月に夏休みを取った事がない。
若い頃は、海外では1カ月も休暇を取ると聞いて羨ましく思ったものだ。
もちろん、今でも羨ましく思う。
我が銀行では入行から節目の年に2週間の休暇が取れるが、それがせいぜいだ。
昔はため息をついていたものだが、今になってみるとそんなに休みがあっても「軍資金」が乏しいから大変かもしれないと思ってみたりもする。
まあ無いなら無いなりに工夫するのかもしれないけど・・・
しかし、この時期同僚と休みの話をしていても、「する事がない」という話をよく聞く。
子供が大きくなると、やれクラブ活動だ、受験だと家族単位での活動が難しくなるようである。
ましてや日頃奥様に疎んじられているような人は、ぽつりと取り残されてしまうようである。
幸い我が家は子供たちが小さくて、一声かければ近所の区民プールだろうと喜んでついてくるからまだいい。けれどもうちょっとしたら・・・同僚氏の強がりながらも寂しげな背中を他山の石として、今から心掛けておかねばと思うこの日この頃である・・・
さて、今年の夏休みはグアムへ行く。
ここ数年寂しい夏休みを送って資金を貯めたから、思い切って行くのだ。
担当先では休みも取れずに頑張っている社長さん、社員さんがいるから、まとめて休んで遊んでこられるのはありがたいものだ。個人的にはいろいろ大変な事も抱えているが、一時的に忘れて楽しんできたいものである。
というわけで、一週間ほどブログはお休みします。
パソコンのない生活を送ってのんびりしたら、また再開いたします。
よろしくお願いいたします。
長女も連休明けの昨日が終業式。
それぞれ待ちに待った夏休みである。
そしてそういう私も今週は夏休みである。
毎年この時期に夏休みを取っている。
我々銀行員は交代で休みを取るのだが、8月は休みを取りたいと希望する人が多い。
常に人のいないところに行きたがる天の邪鬼の私としては、必然的にこの時期に取るパターンが定着してしまった。結果、他の人と調整する必要がないから思い通りに休めるので便利である。
特に海外に行こうと思ったら、5月くらいから計画しないといけない。
この時期だと「取れる」という前提で準備できるから、誠に具合がいい。
そもそも8月にみんな休みたがるのはお盆があるからだ。東京では7月だが、地方では8月。
小学生から 御代田に行っていた私にとっては、7月と8月とひと夏に2回のお盆を経験していた。
それでも地方のお盆の雰囲気の方が、みんな集まって盛大だったせいか、「お盆と言えば8月」の感覚が今でも強い。
道路も鉄道も空の便も大混雑のお盆に休みを取って帰省する人たちは大変だ。
だからせめて休みだけでもスムーズに取れるように、私なりに貢献しているつもりなのである。
もうそんな夏休みが銀行に入って以来ずっと続いている。
だから私は8月に夏休みを取った事がない。
若い頃は、海外では1カ月も休暇を取ると聞いて羨ましく思ったものだ。
もちろん、今でも羨ましく思う。
我が銀行では入行から節目の年に2週間の休暇が取れるが、それがせいぜいだ。
昔はため息をついていたものだが、今になってみるとそんなに休みがあっても「軍資金」が乏しいから大変かもしれないと思ってみたりもする。
まあ無いなら無いなりに工夫するのかもしれないけど・・・
しかし、この時期同僚と休みの話をしていても、「する事がない」という話をよく聞く。
子供が大きくなると、やれクラブ活動だ、受験だと家族単位での活動が難しくなるようである。
ましてや日頃奥様に疎んじられているような人は、ぽつりと取り残されてしまうようである。
幸い我が家は子供たちが小さくて、一声かければ近所の区民プールだろうと喜んでついてくるからまだいい。けれどもうちょっとしたら・・・同僚氏の強がりながらも寂しげな背中を他山の石として、今から心掛けておかねばと思うこの日この頃である・・・
さて、今年の夏休みはグアムへ行く。
ここ数年寂しい夏休みを送って資金を貯めたから、思い切って行くのだ。
担当先では休みも取れずに頑張っている社長さん、社員さんがいるから、まとめて休んで遊んでこられるのはありがたいものだ。個人的にはいろいろ大変な事も抱えているが、一時的に忘れて楽しんできたいものである。
というわけで、一週間ほどブログはお休みします。
パソコンのない生活を送ってのんびりしたら、また再開いたします。
よろしくお願いいたします。
2010年7月19日月曜日
時間よ止まれ
最近ちょっと子供の作文に関心があって、本を読んだりネットで検索したりとしている。
そんな流れで目についたのが、もうあちこちで紹介されてすっかり有名になっているようだが、イチロー選手の小学校6年生の時の作文である。
「夢」と題されたその文章を読むと、表現はともかく内容には驚かされる。
こういう人物だから、やっぱりあれだけの成功をしたのだろうと思うのである。
我が身を振り返ってみるとどうだろう。
小学校の時に書いた作文などモノも記憶も残っていないが、唯一「時間よ止まれ」というタイトルの作文ならわずかに覚えている。なんだか矢沢永吉のパクリのようだが、私の作文が小学校4年(1974年)で、矢沢永吉のリリースが1979年だから、パクリではない。
ちょうど当時担任だった先生が大好きで、5年になってクラス替えになるのが嫌で、そんな気持ちを綴ったものだと記憶している。
3・4年時の担任だったその先生は、新卒の若い美人先生だった。
みんなに人気の先生で、当時同じクラスだった 「ライバル」の男なんかは、卒業してからも連絡しつづけ、どうやら今でも交流があるらしいくらいだ。
作文自体残っていない事は幸せな事で、たぶん今内容を読んだら赤面して表を歩けないと思う。
記憶に残っているのは、その後も事あるごとにこの作文のタイトルが脳裏をよぎったからだ。
特に楽しい事があると、それが永遠に続いて欲しくて、そんな気持ちにしばしばなったものだし、その都度漠然とながら作文のタイトルが脳裏をよぎったのだ。しかし、「諸行無常」、「万物は流転する」の言葉の通り、そうした時間は常に無情にも終わりを告げる。それは仕方ないにしても、たまにあの時に戻って人生をやり直せたらなぁと思う事は今でもよくある。
昔観たコッポラの映画に「ペギー・スーの結婚」というのがあった。それに加えて漫画では「代紋TAKE2」。両方とも突然若い頃の自分自身にタイムスリップして、過去の自分に戻って人生をもう一度やり直すというストーリーだ。
「ペギー・スーの結婚」は離婚を決意した主婦が、ひょんなことからハイスクール時代の自分に戻ってしまう。そして付き合い始めた旦那を前にして同じ道を歩むかどうか葛藤する。そしていろいろな経験をして現代に戻って旦那とやり直すというストーリーだ。
「代紋TAKE2」は、情けなく殺されたやくざが、昔の自分にタイムスリップし、「死んだ気になって」人生をやり直し、やくざの世界で見事にのし上がるというものだ。今の自分が今までの経験をもってもう一度若い頃の自分に戻ったら、もっと良い人生を歩めるだろう。少なくとも上がるとわかっている株をたくさん買い込むから、ひと財産は作れるはずだ(何て庶民的な発想なんだろう・・・)。
戻る時点にもよるが、自分だったらいつの時点に戻りたいだろうかとよく考える。
たぶん戻ったとしても大学までは同じ選択をするだろう。
そこから先でどうするか、になるだろうか。
「代紋TAKE2」では、新たにやり直した人生で、以前の人生の惨めな生活を主人公が唯一懐かしむシーンがある。それは子供を思い出すシーンだ。
元の世界で結婚してロクな事がなかったから、主人公も新しい世界では元の世界の奥さんには見向きもしない。別な生活を夢見て、別の女性へアプローチする。
だがそうすると当然元の世界で可愛がっていた子供は生まれて来ない。
仕方がないと思いつつも、子供の事を思う姿には考えさせられるものがあった。
人生をやり直すとなると、今手に入れているもののうち、手放さなければならなくなるものもあるだろう。そうすると判断は難しい・・・
もちろん、現実にはそんな事はあり得ないし、そうした空想に耽っている暇があったら、よりよい明日の事を考えた方がいいに決まっている。
頭では理解していても、「それでも・・・」とやっぱりあり得ない世界を夢見てしまう。
長女はちょうど4年生。
「時間よ止まれ」と思えるような楽しい時間を過ごしているだろうか。
これから夏本番。
そんな時間をたくさん作ってあげたいと思うのである・・・
【本日の読書】
「子殺し」金沢克彦
そんな流れで目についたのが、もうあちこちで紹介されてすっかり有名になっているようだが、イチロー選手の小学校6年生の時の作文である。
「夢」と題されたその文章を読むと、表現はともかく内容には驚かされる。
こういう人物だから、やっぱりあれだけの成功をしたのだろうと思うのである。
我が身を振り返ってみるとどうだろう。
小学校の時に書いた作文などモノも記憶も残っていないが、唯一「時間よ止まれ」というタイトルの作文ならわずかに覚えている。なんだか矢沢永吉のパクリのようだが、私の作文が小学校4年(1974年)で、矢沢永吉のリリースが1979年だから、パクリではない。
ちょうど当時担任だった先生が大好きで、5年になってクラス替えになるのが嫌で、そんな気持ちを綴ったものだと記憶している。
3・4年時の担任だったその先生は、新卒の若い美人先生だった。
みんなに人気の先生で、当時同じクラスだった 「ライバル」の男なんかは、卒業してからも連絡しつづけ、どうやら今でも交流があるらしいくらいだ。
作文自体残っていない事は幸せな事で、たぶん今内容を読んだら赤面して表を歩けないと思う。
記憶に残っているのは、その後も事あるごとにこの作文のタイトルが脳裏をよぎったからだ。
特に楽しい事があると、それが永遠に続いて欲しくて、そんな気持ちにしばしばなったものだし、その都度漠然とながら作文のタイトルが脳裏をよぎったのだ。しかし、「諸行無常」、「万物は流転する」の言葉の通り、そうした時間は常に無情にも終わりを告げる。それは仕方ないにしても、たまにあの時に戻って人生をやり直せたらなぁと思う事は今でもよくある。
昔観たコッポラの映画に「ペギー・スーの結婚」というのがあった。それに加えて漫画では「代紋TAKE2」。両方とも突然若い頃の自分自身にタイムスリップして、過去の自分に戻って人生をもう一度やり直すというストーリーだ。
「ペギー・スーの結婚」は離婚を決意した主婦が、ひょんなことからハイスクール時代の自分に戻ってしまう。そして付き合い始めた旦那を前にして同じ道を歩むかどうか葛藤する。そしていろいろな経験をして現代に戻って旦那とやり直すというストーリーだ。
「代紋TAKE2」は、情けなく殺されたやくざが、昔の自分にタイムスリップし、「死んだ気になって」人生をやり直し、やくざの世界で見事にのし上がるというものだ。今の自分が今までの経験をもってもう一度若い頃の自分に戻ったら、もっと良い人生を歩めるだろう。少なくとも上がるとわかっている株をたくさん買い込むから、ひと財産は作れるはずだ(何て庶民的な発想なんだろう・・・)。
戻る時点にもよるが、自分だったらいつの時点に戻りたいだろうかとよく考える。
たぶん戻ったとしても大学までは同じ選択をするだろう。
そこから先でどうするか、になるだろうか。
「代紋TAKE2」では、新たにやり直した人生で、以前の人生の惨めな生活を主人公が唯一懐かしむシーンがある。それは子供を思い出すシーンだ。
元の世界で結婚してロクな事がなかったから、主人公も新しい世界では元の世界の奥さんには見向きもしない。別な生活を夢見て、別の女性へアプローチする。
だがそうすると当然元の世界で可愛がっていた子供は生まれて来ない。
仕方がないと思いつつも、子供の事を思う姿には考えさせられるものがあった。
人生をやり直すとなると、今手に入れているもののうち、手放さなければならなくなるものもあるだろう。そうすると判断は難しい・・・
もちろん、現実にはそんな事はあり得ないし、そうした空想に耽っている暇があったら、よりよい明日の事を考えた方がいいに決まっている。
頭では理解していても、「それでも・・・」とやっぱりあり得ない世界を夢見てしまう。
長女はちょうど4年生。
「時間よ止まれ」と思えるような楽しい時間を過ごしているだろうか。
これから夏本番。
そんな時間をたくさん作ってあげたいと思うのである・・・
【本日の読書】
「子殺し」金沢克彦
2010年7月17日土曜日
高校野球の季節
我が母校の都立高校野球部。
今年は財団がピッチングマシーンを購入して野球部に貸与しているから、その成果を少しでも発揮してもらいたいものである。
さて、いよいよ夏の甲子園大会も近くなり、世間は熱く盛り上がりかけているが、実は個人的にはとっても冷めている。やっぱり天の邪鬼だからという理由もあるが、実は高校野球にはあまり良い印象を持っていないからである。それでも小学生くらいまでは、 大きな声で言えない思い出もあったりして、夢中になって観ていたものだ。基本は野球好きだから当然ではある。それが揺らいだのは、高校に入ってからだ。
すでにひねくれていて、結局 思うところあって野球部には入らなかった。
そしてラグビー部の門を叩いたが、練習となると、狭いグラウンドを各クラブが共有する。
もっとも面積を必要とするのが、野球とサッカーとラグビーだ。
必然的にそこには対立関係が生じてくる。
ルールを作って分けて使用していたが、特に問題なのは夏休み期間中だった。
この時期は朝・昼・夕と3つの時間帯に分けてグラウンド全面使用の練習ができた。
どの時間帯を選ぶかは話し合いなのだが、各クラブとも狙うは「朝」。
少しでも涼しい時間にという気持ちからであるが、そう大して違うわけでもないだろうが、溺れる者は藁をもすがるというやつだろうか・・・
ある時野球部が「朝」を続けて使いたいと主張してきた。
「甲子園の予選が午前中だから、同じ時間帯でやりたい」というのである。
確かその時、「じゃあ負けたらそのあとずっと『昼』でいいな」と念押ししたらうやむやと言っていた気がする。そんな最前線に私はいつもいた。
ちなみに大学に入るとこの時期はシーズンオフだった。
考えてみれば、ラグビーのような激しいスポーツは真夏にやるものではない。
大学は練習については極めて合理的で、前近代的な「根性練習」の高校とは大違いだった。
そんなシーズンオフを知って私は狂喜乱舞したが、高校でもオフにしてしまえばつまらない争いなどしなくて済んだのだと思うと、何とも言えない気分だ。
普段でも練習しているところにボールが転がってくる。
それは我々にとっては恐怖だった。
わざとしていなくてもそれは変わりない。
都立の狭いグラウンドゆえ、どこも苦労はしていたのだが、それが当時は特別野球部に向かってしまったのだ。
新聞には予選の一回戦から記録が載る。
「さわやか、さわやか」と持ち上げられる。
いつだったか、「バンビ」などというニックネームをもらっている選手がいたが、「男のくせに何がバンビだ」と呆れかえっていたものだ(本人のせいではないのだが・・・)。
そんなつまらぬ事で気持ちが離れていったのだ。
その余韻は今でも残っている。
とはいえ、母校愛はある。
どうせだったら少しは勝ち残ってほしいものだ。
私も「季節のあいさつ」に困らぬよう、戦績はきっちりと押さえておきたいと思うのである・・・
【本日の読書】
「子殺し」金沢克彦
今年は財団がピッチングマシーンを購入して野球部に貸与しているから、その成果を少しでも発揮してもらいたいものである。
さて、いよいよ夏の甲子園大会も近くなり、世間は熱く盛り上がりかけているが、実は個人的にはとっても冷めている。やっぱり天の邪鬼だからという理由もあるが、実は高校野球にはあまり良い印象を持っていないからである。それでも小学生くらいまでは、 大きな声で言えない思い出もあったりして、夢中になって観ていたものだ。基本は野球好きだから当然ではある。それが揺らいだのは、高校に入ってからだ。
すでにひねくれていて、結局 思うところあって野球部には入らなかった。
そしてラグビー部の門を叩いたが、練習となると、狭いグラウンドを各クラブが共有する。
もっとも面積を必要とするのが、野球とサッカーとラグビーだ。
必然的にそこには対立関係が生じてくる。
ルールを作って分けて使用していたが、特に問題なのは夏休み期間中だった。
この時期は朝・昼・夕と3つの時間帯に分けてグラウンド全面使用の練習ができた。
どの時間帯を選ぶかは話し合いなのだが、各クラブとも狙うは「朝」。
少しでも涼しい時間にという気持ちからであるが、そう大して違うわけでもないだろうが、溺れる者は藁をもすがるというやつだろうか・・・
ある時野球部が「朝」を続けて使いたいと主張してきた。
「甲子園の予選が午前中だから、同じ時間帯でやりたい」というのである。
確かその時、「じゃあ負けたらそのあとずっと『昼』でいいな」と念押ししたらうやむやと言っていた気がする。そんな最前線に私はいつもいた。
ちなみに大学に入るとこの時期はシーズンオフだった。
考えてみれば、ラグビーのような激しいスポーツは真夏にやるものではない。
大学は練習については極めて合理的で、前近代的な「根性練習」の高校とは大違いだった。
そんなシーズンオフを知って私は狂喜乱舞したが、高校でもオフにしてしまえばつまらない争いなどしなくて済んだのだと思うと、何とも言えない気分だ。
普段でも練習しているところにボールが転がってくる。
それは我々にとっては恐怖だった。
わざとしていなくてもそれは変わりない。
都立の狭いグラウンドゆえ、どこも苦労はしていたのだが、それが当時は特別野球部に向かってしまったのだ。
新聞には予選の一回戦から記録が載る。
「さわやか、さわやか」と持ち上げられる。
いつだったか、「バンビ」などというニックネームをもらっている選手がいたが、「男のくせに何がバンビだ」と呆れかえっていたものだ(本人のせいではないのだが・・・)。
そんなつまらぬ事で気持ちが離れていったのだ。
その余韻は今でも残っている。
とはいえ、母校愛はある。
どうせだったら少しは勝ち残ってほしいものだ。
私も「季節のあいさつ」に困らぬよう、戦績はきっちりと押さえておきたいと思うのである・・・
【本日の読書】
「子殺し」金沢克彦
2010年7月16日金曜日
ニュースに思う
今週は二つのニュースが目についた。
民主党が大敗し、にわかに菅首相の責任を問う声が出てきたのが一つ。
この「責任」というのが我が国では曲者である。
普通「責任をとる」と言えば、聞こえはいいが何の責任だかよくわからないケースが多いのだ。
確かに民主党は選挙で過半数の議席を獲得できなかった。
その一因には、菅総理の「消費税発言」は確かにあるだろう。
だからその責任を問う声が出るのもわかる気がする。
だが、そもそも民主党の支持率低下の原因を作った戦犯は鳩山元総理であり、小沢氏である事は間違いない。
もしも二人が辞めずに選挙に突入すれば30議席も取れなかったのではないだろうか。
菅さんの「消費税発言」がなければ50議席は取れたのかもしれない。
それが44で終わったとすれば、菅さんの責任は▲6議席となる。
ところがその前に30→50のプラスがあるから差し引き+14議席だ。
つまり功績こそあれ、マイナス責任はないはずである。
まあ企業にしろ、政党にしろ、すべての責任は最終的にはトップにある。
それはそうだが、なるほどと思えるようなものがあってほしい。
菅さんの「責任論」はどうやら消えたが、それは9月に党首選があるからなのかもしれない。
ただ今は民主党は足場固めをしないといけない時期。
党首選なんかやっている場合ではないと思うのだが・・・
もう一つのニュースは、日本振興銀行の木村元会長が逮捕された事だ。
一時は我が世の春を謳歌しているかに見えた木村氏であるが、とんだところで墓穴を掘ったものだ。
それにしても鳴り物入りで登場した日本振興銀行だが、結局は新銀行東京と同じく泥にまみれている。「貸し渋りにNO」と威張って登場した両行だが、結局は理想先行で現実知らずの素人集団である事を露呈しただけだった。
実は逮捕された木村元会長は、すでに「赤字の責任を取って辞任」していたが、これもおそらく尻から火がついて慌てて逃げようとしたのだろう。
あれだけの絶対権力者が、赤字くらいでしおらしく辞めるわけがない。
素直に「赤字の責任を感じての辞任」であるはずがない。
日本振興銀行も新銀行東京ももはや確実に存在意義はない。
どうするんだろう?
民主党もこれからどんな第2ステージになるのか興味のあるところ。
9月の党首選でまた首相が代わるようだとあまり未来は期待できそうもない。
銀行ならどうってことはないが、与党だと影響が大きい。
コケてまた自民党の天下となるのもなぁ・・・
華々しく得点争いをするならいいのだが、オウンゴール合戦だと見ている方も力が抜けるだけ。
我が国の明日はどうなるのだろうと思うところである・・・
【本日の読書】
「本当の学力は作文で劇的に伸びる」芦永奈雄
「心に響く小さな5つの物語」藤尾秀昭
「ぼんくら(下)」宮部みゆき
【昨日の漫画】
「マネーの拳⑦」三田紀房
「ゴルゴ13-157巻」さいとうたかお
民主党が大敗し、にわかに菅首相の責任を問う声が出てきたのが一つ。
この「責任」というのが我が国では曲者である。
普通「責任をとる」と言えば、聞こえはいいが何の責任だかよくわからないケースが多いのだ。
確かに民主党は選挙で過半数の議席を獲得できなかった。
その一因には、菅総理の「消費税発言」は確かにあるだろう。
だからその責任を問う声が出るのもわかる気がする。
だが、そもそも民主党の支持率低下の原因を作った戦犯は鳩山元総理であり、小沢氏である事は間違いない。
もしも二人が辞めずに選挙に突入すれば30議席も取れなかったのではないだろうか。
菅さんの「消費税発言」がなければ50議席は取れたのかもしれない。
それが44で終わったとすれば、菅さんの責任は▲6議席となる。
ところがその前に30→50のプラスがあるから差し引き+14議席だ。
つまり功績こそあれ、マイナス責任はないはずである。
まあ企業にしろ、政党にしろ、すべての責任は最終的にはトップにある。
それはそうだが、なるほどと思えるようなものがあってほしい。
菅さんの「責任論」はどうやら消えたが、それは9月に党首選があるからなのかもしれない。
ただ今は民主党は足場固めをしないといけない時期。
党首選なんかやっている場合ではないと思うのだが・・・
もう一つのニュースは、日本振興銀行の木村元会長が逮捕された事だ。
一時は我が世の春を謳歌しているかに見えた木村氏であるが、とんだところで墓穴を掘ったものだ。
それにしても鳴り物入りで登場した日本振興銀行だが、結局は新銀行東京と同じく泥にまみれている。「貸し渋りにNO」と威張って登場した両行だが、結局は理想先行で現実知らずの素人集団である事を露呈しただけだった。
実は逮捕された木村元会長は、すでに「赤字の責任を取って辞任」していたが、これもおそらく尻から火がついて慌てて逃げようとしたのだろう。
あれだけの絶対権力者が、赤字くらいでしおらしく辞めるわけがない。
素直に「赤字の責任を感じての辞任」であるはずがない。
日本振興銀行も新銀行東京ももはや確実に存在意義はない。
どうするんだろう?
民主党もこれからどんな第2ステージになるのか興味のあるところ。
9月の党首選でまた首相が代わるようだとあまり未来は期待できそうもない。
銀行ならどうってことはないが、与党だと影響が大きい。
コケてまた自民党の天下となるのもなぁ・・・
華々しく得点争いをするならいいのだが、オウンゴール合戦だと見ている方も力が抜けるだけ。
我が国の明日はどうなるのだろうと思うところである・・・
【本日の読書】
「本当の学力は作文で劇的に伸びる」芦永奈雄
「心に響く小さな5つの物語」藤尾秀昭
「ぼんくら(下)」宮部みゆき
【昨日の漫画】
「マネーの拳⑦」三田紀房
「ゴルゴ13-157巻」さいとうたかお
2010年7月12日月曜日
選挙に行きましたか
昨日は参議院選挙。
私も5歳の長男を伴って、近所の中学校まで投票に行って来た。
「せんきょって何かおいしいもの出るの?」
と問う長男に対し、曖昧に答えて連れて行ったのには、ちょっと良心の呵責を感じてしまった。
ただ、小さいうちから投票に行く親の背中を見せておきたいと思ったのだ。
昨年は長女に対してストップをかけた選挙管理委員も、さすがに5歳の長男に対してはお咎めなし。
しかし、昨年の説明では、小学生は投票所に入れないと言うことだったが、見れば明らかに小学生だろうという子供を連れた有権者の人が投票していたから、知らないうちにルールが改定になったのかもしれない。いずれにせよ、投票率を上げようと思ったら、朝から宣伝カーで呼びかけるのもいいけど、子供の時分から選挙に行く大人の背中を見せるべきだと思うのだが、どうだろう。
何だか盛り上がりそうな雰囲気もあったが、蓋を開けてみれば投票率は57.92%。
やっぱり寂しいものがある。我が家にも約1名権利を放棄した人がいたが、連れていくべきだったな、とちょっと反省。
結果はともかく、もっと関心を持とうよと思わずにはいられない。
「変わらないから」という声はよく聞かれるが、以前も述べた通り、我が国の選挙システムは一票一票を確実にカウントしてくれるのだ。無関心派の人たちにはちょっとがっかりしてしまう。
私はと言えば今回は民主党には入れにくいものがあり、某政党に投票。
今回その政党は大躍進したからちょっと気分がいい。
民主党も10ヶ月でダメ出しするのはちょっと可哀そうな気もする。
それに首相は高校の先輩だし、応援したい気持ちは山々なのであるが、どうもすっきりと支持できないものもある。マニュフェストにも入れずに通そうと狙っている外国人参政権も、できれば堂々とやってほしいし・・・
それはともかく、結果はある程度予想された事とは言え、民主党には厳しいものになった。
選挙に行った人たちも、やっぱりそれなりに考えているのだろうから、与党の思惑通りというわけにはいかない。そういうところは国民のコントロールがきっちり効いているのだと思う。
「行けば変わる」のである。
ただ、だからと言って、政治家が国民の人気取り政策に走っても困るなぁという気もする。良薬は口に苦しではないが、反対を押し切ってでもやらなければならない事が出てきた時に困るからだ。まぁ我が国は国民性から言っても、特定の強力なリーダーが国民をぐいぐい引っ張るというパターンにはなり難いから、ある程度は仕方ないのかもしれない。
投票結果を見れば、亀井さんや福島さんの政党は議席を減らしている。
与党としての10ヶ月間を考えれば当然だと思うのだが、そう考える人が多数いたという事に心強いものを感じる。共産党も議席を減らしたし・・・
案外、国民の見る目はしっかりしているのかもしれないと思ってしまった。
さて、大事なのはこれから。
民主党も政権を失ったわけでもないし、この結果を真摯に受け止めて、よりよい明日を目指した政権運営を心掛けていただきたいものである。
自分もしっかりと関心を持って、行く末を見ていきたいと思うのである・・・
【本日の読書】
「日本の復元力」中谷巌
「ぼんくら(下)」宮部みゆき
私も5歳の長男を伴って、近所の中学校まで投票に行って来た。
「せんきょって何かおいしいもの出るの?」
と問う長男に対し、曖昧に答えて連れて行ったのには、ちょっと良心の呵責を感じてしまった。
ただ、小さいうちから投票に行く親の背中を見せておきたいと思ったのだ。
昨年は長女に対してストップをかけた選挙管理委員も、さすがに5歳の長男に対してはお咎めなし。
しかし、昨年の説明では、小学生は投票所に入れないと言うことだったが、見れば明らかに小学生だろうという子供を連れた有権者の人が投票していたから、知らないうちにルールが改定になったのかもしれない。いずれにせよ、投票率を上げようと思ったら、朝から宣伝カーで呼びかけるのもいいけど、子供の時分から選挙に行く大人の背中を見せるべきだと思うのだが、どうだろう。
何だか盛り上がりそうな雰囲気もあったが、蓋を開けてみれば投票率は57.92%。
やっぱり寂しいものがある。我が家にも約1名権利を放棄した人がいたが、連れていくべきだったな、とちょっと反省。
結果はともかく、もっと関心を持とうよと思わずにはいられない。
「変わらないから」という声はよく聞かれるが、以前も述べた通り、我が国の選挙システムは一票一票を確実にカウントしてくれるのだ。無関心派の人たちにはちょっとがっかりしてしまう。
私はと言えば今回は民主党には入れにくいものがあり、某政党に投票。
今回その政党は大躍進したからちょっと気分がいい。
民主党も10ヶ月でダメ出しするのはちょっと可哀そうな気もする。
それに首相は高校の先輩だし、応援したい気持ちは山々なのであるが、どうもすっきりと支持できないものもある。マニュフェストにも入れずに通そうと狙っている外国人参政権も、できれば堂々とやってほしいし・・・
それはともかく、結果はある程度予想された事とは言え、民主党には厳しいものになった。
選挙に行った人たちも、やっぱりそれなりに考えているのだろうから、与党の思惑通りというわけにはいかない。そういうところは国民のコントロールがきっちり効いているのだと思う。
「行けば変わる」のである。
ただ、だからと言って、政治家が国民の人気取り政策に走っても困るなぁという気もする。良薬は口に苦しではないが、反対を押し切ってでもやらなければならない事が出てきた時に困るからだ。まぁ我が国は国民性から言っても、特定の強力なリーダーが国民をぐいぐい引っ張るというパターンにはなり難いから、ある程度は仕方ないのかもしれない。
投票結果を見れば、亀井さんや福島さんの政党は議席を減らしている。
与党としての10ヶ月間を考えれば当然だと思うのだが、そう考える人が多数いたという事に心強いものを感じる。共産党も議席を減らしたし・・・
案外、国民の見る目はしっかりしているのかもしれないと思ってしまった。
さて、大事なのはこれから。
民主党も政権を失ったわけでもないし、この結果を真摯に受け止めて、よりよい明日を目指した政権運営を心掛けていただきたいものである。
自分もしっかりと関心を持って、行く末を見ていきたいと思うのである・・・
【本日の読書】
「日本の復元力」中谷巌
「ぼんくら(下)」宮部みゆき
2010年7月10日土曜日
夏はプール
梅雨の合間に思いがけなく晴れ渡った今日、思い立って子供たちをプールに連れて行った。
休みの日は子供たちと積極的に遊ぶように意識しているのだが、まあ今のところは二人とも喜んでついてくるから誘い甲斐もあるというものである。
何せ急に思い立った由の事、向かった先は石神井プール。
ちょっと距離はあるが、自転車で行ける区民プールである。
この天気だからか結構混んでいた。
こういうプールのいいところは、安くて気兼ねないというところだろう。
悪いところは何の変哲もないプール(50×25メートルと幼児用プール)があるだけなのと、来ているのはファミリーか子供たちばかりだから、「目の保養」には不向きであるところだろう。
ファミリーといってもやっぱり「パパと子供」の組み合わせが多かった。
何の変哲もないとはいえ、プールはプール。
暑い日差しに程よく冷たい水は心地良い。
二人とも水泳を習わせているので水は怖がらない。
5歳の長男もクロールを披露してくれた。
ダイナミックな彼のクロールは、知らない人が見たらたぶん溺れていると勘違いすると思うのだが、楽しくて必死な様子が微笑ましい。
そう言えば、事故と思われていた子供が、実は友達に川に突き落とされていたというニュースを見たが、やっぱり泳げるという事は大事だとつくづく思う。
泳げないというから面白がって突き飛ばしたのかもしれないし、そうでなくても、突き飛ばされても泳げたら何の事はない。ちょっとそんな事を考えてしまった。
自分自身振り返ってみても、小学校の時に2年間ほど水泳を習っていたが、やっぱり泳げると夏は楽しみも増えるし、いざとなった時も違うだろう。事件で亡くなった子には気の毒だが、ご両親はそういうところに感心てなかったのかなぁとついつい思ってしまった。
自慢なのだが、私は運動神経は良かったし、したがって2年間水泳の基礎を学んだ事はすぐ発展させられた。水泳大会なんかでも活躍できた方だ。もちろん、水泳部のように専門的にやっているやつにはかなわなかったが、それ以外にはそうそう負けていなかった。それに年頃になって、女の子とプールに行こうとなった時に困る事もなかった。
プールでは、最近はラッシュガードなるものを着用する事にしている。
昔だったら、自慢のボディを隠すなんてと考えただろうが、さすがに最近はメタボリックボディとなってしまったので、隠すところは隠し、かろうじて残っている筋肉を誤魔化しながら強調したいところだ。それにはラッシュガードは非常に有効だと気がついたのだ。
「魔法のブラ」に引き寄せられる女性の心理がよくわかる。
海岸に打ち寄せられたトドみたいなお父さんを横目に、まだまだ人目を意識する可愛い私である。
帰り道にあるマックで長女はサンデー、長男はマックシェイクで遅めのおやつタイム。
家までの道のりでは自転車の後ろに乗った長男は、早々に船を漕ぎだす。
健康的な一日だった。もうじき夏休み。
休みを心待ちにしている今時分がけっこう好きだ。
季節折々を楽しんでいきたいと思うのである・・・
【本日の読書】
「子殺し」金沢克彦
【昨日の漫画】
「マネーの拳⑥」三田紀房
「猛き黄金の国③」本宮ひろし
休みの日は子供たちと積極的に遊ぶように意識しているのだが、まあ今のところは二人とも喜んでついてくるから誘い甲斐もあるというものである。
何せ急に思い立った由の事、向かった先は石神井プール。
ちょっと距離はあるが、自転車で行ける区民プールである。
この天気だからか結構混んでいた。
こういうプールのいいところは、安くて気兼ねないというところだろう。
悪いところは何の変哲もないプール(50×25メートルと幼児用プール)があるだけなのと、来ているのはファミリーか子供たちばかりだから、「目の保養」には不向きであるところだろう。
ファミリーといってもやっぱり「パパと子供」の組み合わせが多かった。
何の変哲もないとはいえ、プールはプール。
暑い日差しに程よく冷たい水は心地良い。
二人とも水泳を習わせているので水は怖がらない。
5歳の長男もクロールを披露してくれた。
ダイナミックな彼のクロールは、知らない人が見たらたぶん溺れていると勘違いすると思うのだが、楽しくて必死な様子が微笑ましい。
そう言えば、事故と思われていた子供が、実は友達に川に突き落とされていたというニュースを見たが、やっぱり泳げるという事は大事だとつくづく思う。
泳げないというから面白がって突き飛ばしたのかもしれないし、そうでなくても、突き飛ばされても泳げたら何の事はない。ちょっとそんな事を考えてしまった。
自分自身振り返ってみても、小学校の時に2年間ほど水泳を習っていたが、やっぱり泳げると夏は楽しみも増えるし、いざとなった時も違うだろう。事件で亡くなった子には気の毒だが、ご両親はそういうところに感心てなかったのかなぁとついつい思ってしまった。
自慢なのだが、私は運動神経は良かったし、したがって2年間水泳の基礎を学んだ事はすぐ発展させられた。水泳大会なんかでも活躍できた方だ。もちろん、水泳部のように専門的にやっているやつにはかなわなかったが、それ以外にはそうそう負けていなかった。それに年頃になって、女の子とプールに行こうとなった時に困る事もなかった。
プールでは、最近はラッシュガードなるものを着用する事にしている。
昔だったら、自慢のボディを隠すなんてと考えただろうが、さすがに最近はメタボリックボディとなってしまったので、隠すところは隠し、かろうじて残っている筋肉を誤魔化しながら強調したいところだ。それにはラッシュガードは非常に有効だと気がついたのだ。
「魔法のブラ」に引き寄せられる女性の心理がよくわかる。
海岸に打ち寄せられたトドみたいなお父さんを横目に、まだまだ人目を意識する可愛い私である。
帰り道にあるマックで長女はサンデー、長男はマックシェイクで遅めのおやつタイム。
家までの道のりでは自転車の後ろに乗った長男は、早々に船を漕ぎだす。
健康的な一日だった。もうじき夏休み。
休みを心待ちにしている今時分がけっこう好きだ。
季節折々を楽しんでいきたいと思うのである・・・
【本日の読書】
「子殺し」金沢克彦
【昨日の漫画】
「マネーの拳⑥」三田紀房
「猛き黄金の国③」本宮ひろし
2010年7月8日木曜日
シーシェパード
昨日の事、同僚が帰ってくるなり「大変でしたよ」と報告してくれた。
彼は仕事で東京地裁に行っていたのだ(私もたまに行く)。
何が大変だったかというと、マスコミやら傍聴人やらでごった返していたらしい。
その人たちの目的はシーシェパードの船長だった。
昨日判決が言い渡されたこの裁判。
やっぱり世間の関心は高かったようである。
日本の捕鯨活動に反対して、これまでも過激な妨害活動を行ってきたシーシェパード。
自分たちこそ正義、そして正義であれば手段は正当化される、という考えはどうにもいただけない。
そもそも「正義」と言ったって、所詮は自分たちからの一方的な見方に過ぎない。
イスラム教徒の自爆テロだって、彼らからしたらアラーの思し召しにかなったジハードなのだ。
価値観というものは誠に厄介なものだ。
生まれも違い、育ちも違えば自ずと考え方も異なる。
自分には自分の価値観があり、正義があるのと同様、相手にもそれがあるという事に、実は気がついていない人は多い。シーシェパードも同様だ。
そのシーシェパードを支援するオーストラリア。
そのオーストラリアでは、カンガルーが毎年何千頭も殺されている。
我々にとっては誠に愛嬌のあるこの動物も、かの地では数が多すぎていろいろな害が出ているらしい。死んだ母親から胎児を取り出して踏みつぶす映像を見た事があるが、それで鯨を保護しろというのだからちゃんちゃらおかしいというものである。
一方、そういう観点から我が国の捕鯨活動を振り返ってみると、これだけの国際的な批判にさらされながらも、なぜ「調査捕鯨」を続けているのだろうと疑問に思う。
「調査捕鯨」しかしていないはずなのに、いまだに国内で鯨を食べられるのはなぜなんだろうという疑問が湧いてくる。しかも捕獲しているのは何百頭という数字だ。
何の調査か知らないが、そんなに毎年毎年何百頭も捕獲しないとできない「調査」なのだろうか。
それにそもそも鯨を食べないと生きていけないのかと言えば、当然ながらそうではない。
我が国には今、腐らせて捨てるほど食料が有り余っている。
鯨くらい食べなくったって平気だろうというものだ。
歴史的・伝統的な背景はあるにせよ、時代の流れや世界の中での立場を考えたら、そろそろなのではないかとも思う。
シーシェパードは確かにけしからんし、オーストラリアだってそうだ。
だが彼らには彼らの正義があって、それは我々の正義と同様尊重すべきものだ(ただ「やり方」は別だ)。本当に必要な調査ならこれからも続ければいいと思うが、ヒイキ目に見てもかなり怪しい感じがする。いっそのこと蓮舫さんに事業仕分の対象にしてもらったらどうだろうかと思ったりするのである・・・
【本日の読書】
「日本の復元力」中谷巌
「ぼんくら(下)」宮部みゆき
彼は仕事で東京地裁に行っていたのだ(私もたまに行く)。
何が大変だったかというと、マスコミやら傍聴人やらでごった返していたらしい。
その人たちの目的はシーシェパードの船長だった。
昨日判決が言い渡されたこの裁判。
やっぱり世間の関心は高かったようである。
日本の捕鯨活動に反対して、これまでも過激な妨害活動を行ってきたシーシェパード。
自分たちこそ正義、そして正義であれば手段は正当化される、という考えはどうにもいただけない。
そもそも「正義」と言ったって、所詮は自分たちからの一方的な見方に過ぎない。
イスラム教徒の自爆テロだって、彼らからしたらアラーの思し召しにかなったジハードなのだ。
価値観というものは誠に厄介なものだ。
生まれも違い、育ちも違えば自ずと考え方も異なる。
自分には自分の価値観があり、正義があるのと同様、相手にもそれがあるという事に、実は気がついていない人は多い。シーシェパードも同様だ。
そのシーシェパードを支援するオーストラリア。
そのオーストラリアでは、カンガルーが毎年何千頭も殺されている。
我々にとっては誠に愛嬌のあるこの動物も、かの地では数が多すぎていろいろな害が出ているらしい。死んだ母親から胎児を取り出して踏みつぶす映像を見た事があるが、それで鯨を保護しろというのだからちゃんちゃらおかしいというものである。
一方、そういう観点から我が国の捕鯨活動を振り返ってみると、これだけの国際的な批判にさらされながらも、なぜ「調査捕鯨」を続けているのだろうと疑問に思う。
「調査捕鯨」しかしていないはずなのに、いまだに国内で鯨を食べられるのはなぜなんだろうという疑問が湧いてくる。しかも捕獲しているのは何百頭という数字だ。
何の調査か知らないが、そんなに毎年毎年何百頭も捕獲しないとできない「調査」なのだろうか。
それにそもそも鯨を食べないと生きていけないのかと言えば、当然ながらそうではない。
我が国には今、腐らせて捨てるほど食料が有り余っている。
鯨くらい食べなくったって平気だろうというものだ。
歴史的・伝統的な背景はあるにせよ、時代の流れや世界の中での立場を考えたら、そろそろなのではないかとも思う。
シーシェパードは確かにけしからんし、オーストラリアだってそうだ。
だが彼らには彼らの正義があって、それは我々の正義と同様尊重すべきものだ(ただ「やり方」は別だ)。本当に必要な調査ならこれからも続ければいいと思うが、ヒイキ目に見てもかなり怪しい感じがする。いっそのこと蓮舫さんに事業仕分の対象にしてもらったらどうだろうかと思ったりするのである・・・
【本日の読書】
「日本の復元力」中谷巌
「ぼんくら(下)」宮部みゆき
2010年7月5日月曜日
娘のともだち
週末の深夜に私は映画を観るのを趣味にしている。
バーボンをちびりちびりとやりながら、録り溜めした映画を一人楽しむのである。
そうすると当然翌朝は寝坊する。
先週末もそんなありふれた土曜日の朝だったが、寝坊していた私を起こした一本の電話。
それは娘のクラスメートの男の子からであった。
実は土曜日は近所で七夕のイベントがあり、私は娘と一緒に行く約束をしていたらしい。
電話を受けた娘が、「ねえパパぁ~」と甘えた声で寄ってくる。
「一緒に行く約束だったけど、友達と行っていい?」と聞いてきた。
もちろん、私に異存はない。
どうやら私と行くよりも友達の男の子と行く方を選んだようである。
世間ではよく娘にボーイフレンドができると機嫌が悪くなるお父さんの話をよく聞くし、それが世間一般のイメージでもある。
だが私には不思議とそういう感覚がない。
今回も「良いことだ」と心から思った。
ちなみに負け惜しみではない。
しかしなぁ、とここでまた思う。
我が身を振り返ってみれば、いわゆる初恋というやつは小学校4年くらいだったと記憶しているが、自分はどうだったかなぁ。
3・4年と同じクラスだった聖子ちゃんがその相手だった。
名前負けせずけっこう可愛かった。
だがその時は密かに「いいなぁ」と思っているだけだったし、二人で遊ぶなんてことはなかった。
ましてや相手の家に電話をかけるなんて、考えられなかったと思う。
今の子は大胆なのだろうか?
よくよく聞いてみると、どうやら家が近い子だったらしい。
どういう気持ちで娘を誘ってくれたのかわからないけど、他に男の子の友達はいなかったのだろうか。別に悪いとは言わない。ただ、女の子と遊ぶのもいいけど、今の時期は男同士でくんずほぐれつして遊ぶ方が優先されるべきではないのかなと思うのだ。
私が小学生の頃は女の子と遊ぶなんていうと、「女々しい奴」というレッテルを張られかねなかったような気がする。そんな古い感覚がなんとなく残っているせいか、最近の草食系男子の起源てこんなところにあったりするのではないかと思ってしまった。ちょっと怒られるとすぐ凹んでしまったり、80社受けて内定がもらえなくて不安だとうじうじしたり、メンタル面でやわな男が増えているのは、この頃のあり方が原因なのではないかと考えたりする。
「あの子の事、好きなの?」と訊ねたら、「う~ん、普通」と答えた我が娘。
本心か、はたまたはにかんで誤魔化したのか。
仲良く並んで公園へと向かう後姿を見ながら、日本男児の行く末を案じる私であったと書いたなら、ちと大げさというものだろうか・・・
【本日の読書】
「史上最強の人生戦略マニュアル」フィリップ・マグロー
「ぼんくら(上)」宮部みゆき
バーボンをちびりちびりとやりながら、録り溜めした映画を一人楽しむのである。
そうすると当然翌朝は寝坊する。
先週末もそんなありふれた土曜日の朝だったが、寝坊していた私を起こした一本の電話。
それは娘のクラスメートの男の子からであった。
実は土曜日は近所で七夕のイベントがあり、私は娘と一緒に行く約束をしていたらしい。
電話を受けた娘が、「ねえパパぁ~」と甘えた声で寄ってくる。
「一緒に行く約束だったけど、友達と行っていい?」と聞いてきた。
もちろん、私に異存はない。
どうやら私と行くよりも友達の男の子と行く方を選んだようである。
世間ではよく娘にボーイフレンドができると機嫌が悪くなるお父さんの話をよく聞くし、それが世間一般のイメージでもある。
だが私には不思議とそういう感覚がない。
今回も「良いことだ」と心から思った。
ちなみに負け惜しみではない。
しかしなぁ、とここでまた思う。
我が身を振り返ってみれば、いわゆる初恋というやつは小学校4年くらいだったと記憶しているが、自分はどうだったかなぁ。
3・4年と同じクラスだった聖子ちゃんがその相手だった。
名前負けせずけっこう可愛かった。
だがその時は密かに「いいなぁ」と思っているだけだったし、二人で遊ぶなんてことはなかった。
ましてや相手の家に電話をかけるなんて、考えられなかったと思う。
今の子は大胆なのだろうか?
よくよく聞いてみると、どうやら家が近い子だったらしい。
どういう気持ちで娘を誘ってくれたのかわからないけど、他に男の子の友達はいなかったのだろうか。別に悪いとは言わない。ただ、女の子と遊ぶのもいいけど、今の時期は男同士でくんずほぐれつして遊ぶ方が優先されるべきではないのかなと思うのだ。
私が小学生の頃は女の子と遊ぶなんていうと、「女々しい奴」というレッテルを張られかねなかったような気がする。そんな古い感覚がなんとなく残っているせいか、最近の草食系男子の起源てこんなところにあったりするのではないかと思ってしまった。ちょっと怒られるとすぐ凹んでしまったり、80社受けて内定がもらえなくて不安だとうじうじしたり、メンタル面でやわな男が増えているのは、この頃のあり方が原因なのではないかと考えたりする。
「あの子の事、好きなの?」と訊ねたら、「う~ん、普通」と答えた我が娘。
本心か、はたまたはにかんで誤魔化したのか。
仲良く並んで公園へと向かう後姿を見ながら、日本男児の行く末を案じる私であったと書いたなら、ちと大げさというものだろうか・・・
【本日の読書】
「史上最強の人生戦略マニュアル」フィリップ・マグロー
「ぼんくら(上)」宮部みゆき
2010年7月3日土曜日
頼るな日本人
日経テレコン21でこんなニュースを目にした。
【大学生の就職に強い逆風が吹くなか、参院選で主要政党が掲げる就職支援策を学生らが注視している。就職活動は開始時期が早まり、長期化。大学関係者の間では学業への影響を懸念する声が強まっている。各党は相談態勢の充実などを訴えており、学生らは「今度こそ効果のある対策を」と、切実な思いで選挙戦を見つめている・・・】
これに続いて長引く就活で卒論に集中できなかったり、春休みも旅行やボランティアはできなかったり、「就職活動第一の大学生活なんておかしい」と感じる学生の声を紹介したりしている。
中には就職留年を経て就活2年目で、この間受けた企業は80社に上るが内定はないという学生さんの例も紹介されていた。その学生さんは「自分の何が悪いのか分からない」と不安を抱えているらしい。
企業の就職協定がなくなったうえ、厳しい状況のなか内定を得たい学生が早く動き出すために大学生の就職活動は早期化・長期化が目立っているという。
売り手市場の良い時代に就職した私としては、誠にいまの学生さんには同情してしまう。
しかし、だ。
それが何で選挙へつながるんだろうと、例によって疑問が湧いてくる。
厳しい状況には同情はするが、政治家になんとかしてくれという話ではないだろう。
そんなものは自分でなんとかするものだ。
就職活動で受けた企業が80社と聞いただけで、その努力には頭が下がる。
なのに1社も内定が得られないって事は、「そもそもあなた自身に問題があるのだろう」と言わざるをえない。不安になる前に考える事はあるはずだ。
先輩を頼って自分の欠点を指摘してもらうとか(そもそもそういう先輩がいるのだろうか)、他の学生があまり受けないような企業を攻めてみるとか、大学院で一つ専門を極めてみるとか、公務員狙いで必死に勉強してみるとか、若いんだからやる事はいくらでもある。
そもそも受けているところが、理想ばかり高くて、大手ばかり受けているのではないのだろうか?
世の中不況とはいえ労働のミスマッチはいたるところにある。
ハローワークに行けば、「年齢」という大きな壁に苦しむ中高年の失業者がうようよいる。
新卒で行けばすぐに就職などできる。
若手に来てほしい中小企業はたくさんあるのだ。
つまり内定がもらえないのは、「選り好みしているから」ではないのだろうか。
それをなぜ国が支援しないといけないのか?
「500円しか持っていないのですが、どこのレストランへ行ってもステーキを食べさせてくれません!」と文句を言っている人に対して、「では税金で1,000円補助しますからそれで安いステーキを食べて下さい」と言っているのに等しいのだ。
「吉野家に行けばいいじゃないか」と言いたい。
以前派遣斬りでも触れたが、何でもかんでも政府に求めるのはいかがなものかと思う。
何かで読んだが、昔の日本は役人が威張っていた。
サービスなんて言葉はかけらもない時代だ(今は幸いかけらくらいある)。
市民の陳情なんてないから役所も人手がいらなかった。
それがだんだんと国民に対するサービスの必要性が出てきて、それに合わせて公務員が激増していったのだという。だとすると、今の公務員天国は国民が自ら生み出した結果に他ならない。
確かに手を差し伸べなければならない人たちはいる。
そういう人たちを公的サービスで救うのは当然だ。
だがその前に国民一人一人が自立精神をもっと持たないといけない。
国に頼らず、誰かに頼らず、自分の生活は自分で支えるのが基本だ。
国に頼るのは最後の最後であるべきだ。
「若者の就職支援なんか国のやる事ではない!」ときっぱり断言するような政治家だったら、1票入れちゃうだろうな。でもそんな発言したら、物事の本質を考えず上辺だけしか見ないバカなマスコミが叩くんだろうな。そんな繰り返しが今の政治家の姿のような気がする。
かつて我が国は経済一流、政治は三流と言われた。
だが政治が三流なのは、選んだ国民が三流だからなのではないだろうか。
国民が真に自立して一流になれば、自ずと政治も一流になるのではないかと私は信じて疑わない。
せめて自分の子供たちは、しっかりと自立した人間に育てたいと思うのである・・・
【昨日の読書】
「史上最強の人生戦略マニュアル」フィリップ・マグロー
「ぼんくら(上)」宮部みゆき
【昨日の漫画】
「マネーの拳⑤」三田紀房
「猛き黄金の国②」本宮ひろし
【大学生の就職に強い逆風が吹くなか、参院選で主要政党が掲げる就職支援策を学生らが注視している。就職活動は開始時期が早まり、長期化。大学関係者の間では学業への影響を懸念する声が強まっている。各党は相談態勢の充実などを訴えており、学生らは「今度こそ効果のある対策を」と、切実な思いで選挙戦を見つめている・・・】
これに続いて長引く就活で卒論に集中できなかったり、春休みも旅行やボランティアはできなかったり、「就職活動第一の大学生活なんておかしい」と感じる学生の声を紹介したりしている。
中には就職留年を経て就活2年目で、この間受けた企業は80社に上るが内定はないという学生さんの例も紹介されていた。その学生さんは「自分の何が悪いのか分からない」と不安を抱えているらしい。
企業の就職協定がなくなったうえ、厳しい状況のなか内定を得たい学生が早く動き出すために大学生の就職活動は早期化・長期化が目立っているという。
売り手市場の良い時代に就職した私としては、誠にいまの学生さんには同情してしまう。
しかし、だ。
それが何で選挙へつながるんだろうと、例によって疑問が湧いてくる。
厳しい状況には同情はするが、政治家になんとかしてくれという話ではないだろう。
そんなものは自分でなんとかするものだ。
就職活動で受けた企業が80社と聞いただけで、その努力には頭が下がる。
なのに1社も内定が得られないって事は、「そもそもあなた自身に問題があるのだろう」と言わざるをえない。不安になる前に考える事はあるはずだ。
先輩を頼って自分の欠点を指摘してもらうとか(そもそもそういう先輩がいるのだろうか)、他の学生があまり受けないような企業を攻めてみるとか、大学院で一つ専門を極めてみるとか、公務員狙いで必死に勉強してみるとか、若いんだからやる事はいくらでもある。
そもそも受けているところが、理想ばかり高くて、大手ばかり受けているのではないのだろうか?
世の中不況とはいえ労働のミスマッチはいたるところにある。
ハローワークに行けば、「年齢」という大きな壁に苦しむ中高年の失業者がうようよいる。
新卒で行けばすぐに就職などできる。
若手に来てほしい中小企業はたくさんあるのだ。
つまり内定がもらえないのは、「選り好みしているから」ではないのだろうか。
それをなぜ国が支援しないといけないのか?
「500円しか持っていないのですが、どこのレストランへ行ってもステーキを食べさせてくれません!」と文句を言っている人に対して、「では税金で1,000円補助しますからそれで安いステーキを食べて下さい」と言っているのに等しいのだ。
「吉野家に行けばいいじゃないか」と言いたい。
以前派遣斬りでも触れたが、何でもかんでも政府に求めるのはいかがなものかと思う。
何かで読んだが、昔の日本は役人が威張っていた。
サービスなんて言葉はかけらもない時代だ(今は幸いかけらくらいある)。
市民の陳情なんてないから役所も人手がいらなかった。
それがだんだんと国民に対するサービスの必要性が出てきて、それに合わせて公務員が激増していったのだという。だとすると、今の公務員天国は国民が自ら生み出した結果に他ならない。
確かに手を差し伸べなければならない人たちはいる。
そういう人たちを公的サービスで救うのは当然だ。
だがその前に国民一人一人が自立精神をもっと持たないといけない。
国に頼らず、誰かに頼らず、自分の生活は自分で支えるのが基本だ。
国に頼るのは最後の最後であるべきだ。
「若者の就職支援なんか国のやる事ではない!」ときっぱり断言するような政治家だったら、1票入れちゃうだろうな。でもそんな発言したら、物事の本質を考えず上辺だけしか見ないバカなマスコミが叩くんだろうな。そんな繰り返しが今の政治家の姿のような気がする。
かつて我が国は経済一流、政治は三流と言われた。
だが政治が三流なのは、選んだ国民が三流だからなのではないだろうか。
国民が真に自立して一流になれば、自ずと政治も一流になるのではないかと私は信じて疑わない。
せめて自分の子供たちは、しっかりと自立した人間に育てたいと思うのである・・・
【昨日の読書】
「史上最強の人生戦略マニュアル」フィリップ・マグロー
「ぼんくら(上)」宮部みゆき
【昨日の漫画】
「マネーの拳⑤」三田紀房
「猛き黄金の国②」本宮ひろし
2010年7月1日木曜日
長嶋と落合と野茂2
落合と野茂は長嶋とはちょっと違うパターンだ。昔は「人気のセ、実力のパ」と言われ、パ・リーグには意外な実力者が多くいたものだ。
そんなパ・リーグで2年連続で三冠王に輝いたのが落合だった。
どんなバッターなのかと興味を持った。
そして見たのが独特の神主打法。
当時はダウンスイング(上から叩きつけるバッティング)全盛の時代。それをあえて下からすくいあげるアッパースイングを実践。
少年野球では振り遅れない為にバットを寝かせるように構える事を教わっていた。
それをあれだけ高く掲げる。
それで自在に振り切るのだから、プロの凄さを感じたものだ。
それに有名な「オレ流」。
天の邪鬼な私の心を捉えるのは十分だったのだ。
私は野球でもラグビーでも、教わった事を忠実に実行する「教科書通り」のプレーしかできなかった。大学に入って少しずつ工夫して自分流を研究していったが、やっぱり独自の道を歩む人には惹かれるものがあった。ちなみに初めて手にした野球選手の本が、落合の「勝負の方程式」だった。その本の中では、「4割も狙おうと思えば狙える。ヒットを打ちにいけばいいのだから。ただ僕はホームランバッターだから」と語っていたが、もし安打製造機に徹していたら、張本の3,000本安打の記録を抜くのはイチローよりも先だっただろう。当時は本まで買うほどまで入れ込んでいたのだ。
野茂を好きになったのもその流れからだ。あのトルネード投法。
普通にやったらコーチが目をむくようなセオリーに反した投球フォームだ。
8球団からドラフト指名され、なんと近鉄に入団する。
テレビでトルネードを観たかったが、近鉄だとそれもなかなか叶わない。
随分とストレスを感じたものだ。
新聞ではバッタバッタと三振の山を築き、ミスターKと報じられ、デビューの年から数々の記録を作った。
そんな野茂が一躍日本中で話題となったのは、メジャー挑戦を表明してからだ。私自身は野茂が見られなくなるのかと(それまでも見る機会は少なかったくせに)残念に思ったものだ。ところがその後の活躍は周知の通り。皮肉にもかえって野茂を見る機会が増えてしまったからわからないものだ。
たぶん、あのフォームの事だ。
いろいろと批判はされたのだと思う。
「出る杭は打たれる」のが我が国の社会。
ところが「出過ぎると打たれない」のも我が国の社会。
落合も野茂も出過ぎたために打たれなくなった。
みんなと同じ、言われた通りにする、そうした事が特にスポーツの世界では重視されがち。
子供の頃は外人選手というとみんな個性的なフォームばかりだった記憶がある。
それだけ日本人選手が型にはまっていたとも言える。
基礎はどうしたって大事だから、それはきちんとやらなければならない。
だが、ある程度いけば自分流に創意工夫というものが必要になってくる。
「誰がなんと言おうと自分はこのスタイルでいく」というものがあれば、やっていて自信にもなり、また面白くもある。ラグビーで、高校時代の(コーチの教えの)呪縛から逃れられた時、それが私がタックルに開眼した時だった。教えられた通りではなく、自分で一番効果的なタックル方法を身につけたのだ。
落合と野茂の二人からは、「我が道を行く」という強い姿勢を感じる。
そんな強烈なオーラが私には眩しく感じる。
こういう選手がこれからもたくさん出てきて、たくさんの子供たちが影響を受けたら、野球もサッカーもラグビーも、ひょっとしたらもっと面白くなるのかもしれないと思うのである・・・
【本日の読書】
「史上最強の人生戦略マニュアル」フィリップ・マグロー
「ぼんくら(上)」宮部みゆき
2010年6月29日火曜日
長嶋と落合と野茂1
まだラグビーの世界に入る前、私は野球少年だった。親父が毎晩ナイター中継を観ていたし、小学校時代は友達と毎日のように校庭で野球をやっていた。ナイターはすべてジャイアンツ戦であり、自然と私もジャイアンツファンとなった。その頃の最初のヒーローは長嶋茂雄だった。
と言ってももう晩年だったと思う。
かつてONと言われていたが(3番王、4番長嶋でONだ)、すでに3番長嶋、4番王となっていたし、それも最後の年は打撃不振で1番とか7番とかになる事もあった。夢中になって長嶋の一挙手一投足に注目していたから、今でもバッターボックスに入ってから構えるまでの一連の動作を思い浮かべる事ができるほどだ。
そして私が小学校4年の時に長嶋は引退した。
ちょうどその頃前後して、町内野球のチームに入った。
背番号はというと、その頃はみんな「3」をつけたがる傾向があった。
当時からすでに天の邪鬼が入っていた私は、「3」をあえて避けて「6」にした。
何の意味もない、ただ誕生月と一緒にしただけだ。
それでも後年、大学のラグビー部で手に入れたレギュラーゼッケンが「6」だったから、何らかの相性のいい番号だったのかもしれない・・・
小学生当時は野球一色で、友達との話題もそうだった。
引退してもやっぱり長嶋が好きで、友達と自転車を飛ばして田園調布の自宅を見に行った事もあったし、多摩川の巨人軍グラウンドに行った事も2度や3度ではない。
ある時、偶然多摩川の巨人軍グラウンドで長嶋監督を見つけた。
生で見る長嶋は感動モノであった。
その長嶋が、練習後にあろうことか目の前まで歩いてきた。
その場にいた他のファンと一緒に長嶋を囲んで夢中になってノートを差し出した。
目の前で長嶋がそのノートにサインをしてくれた。
あの時の感動は格別だった。
ずっと大切にしていたサインだったが、引っ越しの混乱でどこかへ行ってしまったのがとても残念だ・・・
その後はテレビであのユーモラス過ぎるキャラクターとエピソードで国民的な人気者だ。
誰も悪く言わないし、また本人も他人の悪口・批判を言わない(少なくとも私は聞いた事がない)。そんなスタイルは社会人として自分も真似したいと思っている(なかなかできないが・・・)。
そう言えばあの野村監督も、現役時代得意の「囁き戦術」が王と長嶋にはまったく通用しなかったと告白している。王は集中力が強かったかららしいが、長嶋は囁きをまったく聞いていなかったというところが「らしくて」いい。
家族に関してはいろいろと大変なようだが、選手としても監督としても人としても、愛すべき人物だと思うのだ。野球に夢中になっていたあの頃から、目の前でサインしてくれたあの時から、それは今まで変わらない。
それにしてもあのサイン、どこ行っちゃったんだろうと残念でならないのである・・・
【本日の読書】
「史上最強の人生戦略マニュアル」フィリップ・マグロー
「ぼんくら」宮部みゆき
2010年6月27日日曜日
マスコミを信じてはいけない
金曜日に今度の参議院選挙の案内が届いていたが、外へ出ればもう候補者のポスターがベタベタと貼ってある。いよいよまた選挙だが、今回も誰に一票を投じるかは悩ましいところだ。
(何だかんだ言っていつもそうなのであるが・・・)
それにしても、と毎度ながら思う、日本のマスコミはどうにかならないものかと。
思いつき・場当たり的な報道。日本人は真面目で新聞を読まないのは悪という考えが浸透しているから、そんなマスコミの意見をまともに受ける。国民に対するマスコミの影響度が大きいから、政治家もそれに合わせて右往左往する。
国民一人一人がよぉ~く考えてニュースを見ていれば、何となくおかしいだろうというような事には気付くと思うのだが、どうなんだろう。もっとも私も関心の薄いジャンルについては、マスコミの流す情報を「ふ~ん、そうなんだ」と受け流すから、あまり人の事をとやかくは言えないかもしれない。
決戦前は岡田監督の率いるサムライジャパンを批判的にみていたくせに、カメルーンに勝った途端、岡田監督は名将と讃え上げられた。小沢一郎を叩きまくった割には、小沢一郎の何がどう悪いのか、ニュースを見ていたはずなのにいまだに私にはわからない。検察だって2度も控訴を断念したのにまだ悪者扱いしているが、いったい何が悪いのだろうか。
昨年は民主党に対して「マニュフェストに拘りすぎ」と批判した。
しかし、そんなら今回のマニュフェストに何が書かれていようが関係ないように思うのだが、今年はそうでもないらしい。それとも選挙が終わったら、また拘るなと言うのだろうか。
よく考えてみれば記者だってサラリーマンだ。
会社の方針には従わなければならない。
朝日新聞の記者は、絶対に憲法改正賛成の記事は書けない。
世間の関心を集めそうな事を書いて無難に過ごそうとしているのなら、場当たり的・日和見的な記事も頷ける。小沢一郎はとにかく悪人にしておけば、国民はさもありなんと思うだろうし、無難に過ごせるのだろう。
私がこんな風にマスコミに対して斜に構えるようになったのは、銀行員として経済の最前線にいるゆえに、金融音痴なニュースに接して辟易した経験が何度もあるからだ。
「こいつら全然勉強していないな」というのを何度も感じたからだ。
世間一般ではマスコミの情報が絶対視されているが、ほんとうに歯痒い限りだ。
大半の記事は「嘘は書いてないが、正確ではない」と考えて間違いないと思っている。
とはいえ、我々は選挙に関する情報はマスコミに頼るしかないのも事実。
どうしたって正確ではない情報を大量に浴びなければならない。
自分の常識と感性を頼りに取捨選択していくほかはない。
若い記者が上司に言われた筋書きにそって取材し、記事にしたものを我々は見ている。
新聞やテレビの向こう側にはそんな世界がある事を想像し、対応していきたい。
最後にあるブログで見つけたものをご紹介しておく事にする。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
新潟中越地震を取材した記者のこんな裏話の記事を見つけた。
****************************
地震発生の2週間後に被災地に取材に入った。
コンビニには商品がぎっしりと並び、地元の人々はのんびりと生活していた。
地元の人に被害を聞くと被害を受けた地区もあると、まるで他人事。
被災地のコンビニもすでに営業をはじめていた。
救援物資を積んだトラックが着くと「また来たのか」とウンザリしていた。
引き取り手のない救援物資は山のように積まれていた。
地元の人たちは、村に入り込んできた大勢のボランティアやマスコミ関係者など外部の知らない人が出入りすることに不安を感じていると言う。露骨に嫌な顔をする住民もいた。
地震で亡くなった子供の同級生にしつこく取材を続け、その子供が泣き始めると「ようやく泣き顔の絵が撮れた」と言っている取材関係者もいた。
****************************
報道のためには「被害は甚大」でなければならないし、「被災者は悲惨」でなければならない。それはマスコミ関係者が被災地へ入る前からのシナリオでありマスコミトップの指示でもある。
被害が予想より少なくても「甚大な被害」を映さなければならないし、住民がのんびり暮らしていても「悲惨さ」を演出させなければならない(以下略)
こんなものなのだろう・・・
(何だかんだ言っていつもそうなのであるが・・・)
それにしても、と毎度ながら思う、日本のマスコミはどうにかならないものかと。
思いつき・場当たり的な報道。日本人は真面目で新聞を読まないのは悪という考えが浸透しているから、そんなマスコミの意見をまともに受ける。国民に対するマスコミの影響度が大きいから、政治家もそれに合わせて右往左往する。
国民一人一人がよぉ~く考えてニュースを見ていれば、何となくおかしいだろうというような事には気付くと思うのだが、どうなんだろう。もっとも私も関心の薄いジャンルについては、マスコミの流す情報を「ふ~ん、そうなんだ」と受け流すから、あまり人の事をとやかくは言えないかもしれない。
決戦前は岡田監督の率いるサムライジャパンを批判的にみていたくせに、カメルーンに勝った途端、岡田監督は名将と讃え上げられた。小沢一郎を叩きまくった割には、小沢一郎の何がどう悪いのか、ニュースを見ていたはずなのにいまだに私にはわからない。検察だって2度も控訴を断念したのにまだ悪者扱いしているが、いったい何が悪いのだろうか。
昨年は民主党に対して「マニュフェストに拘りすぎ」と批判した。
しかし、そんなら今回のマニュフェストに何が書かれていようが関係ないように思うのだが、今年はそうでもないらしい。それとも選挙が終わったら、また拘るなと言うのだろうか。
よく考えてみれば記者だってサラリーマンだ。
会社の方針には従わなければならない。
朝日新聞の記者は、絶対に憲法改正賛成の記事は書けない。
世間の関心を集めそうな事を書いて無難に過ごそうとしているのなら、場当たり的・日和見的な記事も頷ける。小沢一郎はとにかく悪人にしておけば、国民はさもありなんと思うだろうし、無難に過ごせるのだろう。
私がこんな風にマスコミに対して斜に構えるようになったのは、銀行員として経済の最前線にいるゆえに、金融音痴なニュースに接して辟易した経験が何度もあるからだ。
「こいつら全然勉強していないな」というのを何度も感じたからだ。
世間一般ではマスコミの情報が絶対視されているが、ほんとうに歯痒い限りだ。
大半の記事は「嘘は書いてないが、正確ではない」と考えて間違いないと思っている。
とはいえ、我々は選挙に関する情報はマスコミに頼るしかないのも事実。
どうしたって正確ではない情報を大量に浴びなければならない。
自分の常識と感性を頼りに取捨選択していくほかはない。
若い記者が上司に言われた筋書きにそって取材し、記事にしたものを我々は見ている。
新聞やテレビの向こう側にはそんな世界がある事を想像し、対応していきたい。
最後にあるブログで見つけたものをご紹介しておく事にする。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
新潟中越地震を取材した記者のこんな裏話の記事を見つけた。
****************************
地震発生の2週間後に被災地に取材に入った。
コンビニには商品がぎっしりと並び、地元の人々はのんびりと生活していた。
地元の人に被害を聞くと被害を受けた地区もあると、まるで他人事。
被災地のコンビニもすでに営業をはじめていた。
救援物資を積んだトラックが着くと「また来たのか」とウンザリしていた。
引き取り手のない救援物資は山のように積まれていた。
地元の人たちは、村に入り込んできた大勢のボランティアやマスコミ関係者など外部の知らない人が出入りすることに不安を感じていると言う。露骨に嫌な顔をする住民もいた。
地震で亡くなった子供の同級生にしつこく取材を続け、その子供が泣き始めると「ようやく泣き顔の絵が撮れた」と言っている取材関係者もいた。
****************************
報道のためには「被害は甚大」でなければならないし、「被災者は悲惨」でなければならない。それはマスコミ関係者が被災地へ入る前からのシナリオでありマスコミトップの指示でもある。
被害が予想より少なくても「甚大な被害」を映さなければならないし、住民がのんびり暮らしていても「悲惨さ」を演出させなければならない(以下略)
こんなものなのだろう・・・
2010年6月26日土曜日
週末金曜日の雑感
朝起きてネットでニュースを見るとサッカーワールドカップで日本の勝利。これにはちょっと驚いた。良くて引き分けと思っていたのに予想外の大差だったからだ。今日の話題はこれ一色だなと思う。
案の定というか、まあみんなよく観るなぁと感心する。取引先の社長なんかは、「観なかった人はサッカー嫌いか非国民だよ」と言い切った。確かに・・・でも愛国心は旺盛だから、日本の勝利は嬉しいと思う。韓国が決勝トーナメント進出を決めているから尚更だ。
やっぱり韓国に劣るのは腹だたしい。それがサッカーでも、だ。
先の社長にはさっそくラグビーのワールドカップについて一通り説明。なんと「ラグビーにもワールドカップがあるの?」と驚いていたからがっくりだ。世間の認識なんてこんなものなのかもしれない。それでも10分くらい熱弁を振るったら、「来年のワールドカップは観てみよう」という事になった。世間の関心1名様獲得!
昼にはオフィスで外気温が30度を越えたというアナウンスが流れる。いよいよ本格的な夏である。一日の仕事を終え、いつもお手伝いさせていただいている財団の会合に顔を出し、一日も終わる。
週末の金曜日は、駅前の漫画喫茶に寄る。一週間の終わりに半ば習慣と化している気分転換というかご褒美とでもいうべき憩いの一時である。
最近読んでいるのが「マネーの拳」。元ボクシングのチャンピオンが心機一転、ビジネスの世界に飛び込むストーリーだ。作者は「ドラゴン桜」の三田紀房。
資金難、従業員との軋轢、ライバルとの競争等いろいろな要素が絡み合っていてなかなか面白い。たかが漫画と馬鹿にできない。起業を考えている人はこういう漫画を読んでおくと役立つんじゃないかと思う。
滞在時間はだいたい1時間~1時間半と決めてある。あんまり長々と漫画を読んでもいられない。今夜は映画も観たいし・・・
今週も平穏に過ごせた。
実家の母親もここのところ少し良くなってきているのが良いニュースだ。
来週から7月。もう一年も半分が過ぎたのだ。
家に帰れば参院選の案内が届いていた。さて混迷する政局はますますどこに票を入れようかと難題を投げかけてくれる。レベルの低いいい加減なマスコミに踊らされないよう、よく考えて一票を投じたいものだ。
さて、今年の夏はどれだけ暑くなるのだろうかとあれこれ思うのである・・・
【本日の読書】
「史上最強の人生戦略マニュアル」フィリップ・マグロー
「最悪」奥田英朗
案の定というか、まあみんなよく観るなぁと感心する。取引先の社長なんかは、「観なかった人はサッカー嫌いか非国民だよ」と言い切った。確かに・・・でも愛国心は旺盛だから、日本の勝利は嬉しいと思う。韓国が決勝トーナメント進出を決めているから尚更だ。
やっぱり韓国に劣るのは腹だたしい。それがサッカーでも、だ。
先の社長にはさっそくラグビーのワールドカップについて一通り説明。なんと「ラグビーにもワールドカップがあるの?」と驚いていたからがっくりだ。世間の認識なんてこんなものなのかもしれない。それでも10分くらい熱弁を振るったら、「来年のワールドカップは観てみよう」という事になった。世間の関心1名様獲得!
昼にはオフィスで外気温が30度を越えたというアナウンスが流れる。いよいよ本格的な夏である。一日の仕事を終え、いつもお手伝いさせていただいている財団の会合に顔を出し、一日も終わる。
週末の金曜日は、駅前の漫画喫茶に寄る。一週間の終わりに半ば習慣と化している気分転換というかご褒美とでもいうべき憩いの一時である。
最近読んでいるのが「マネーの拳」。元ボクシングのチャンピオンが心機一転、ビジネスの世界に飛び込むストーリーだ。作者は「ドラゴン桜」の三田紀房。資金難、従業員との軋轢、ライバルとの競争等いろいろな要素が絡み合っていてなかなか面白い。たかが漫画と馬鹿にできない。起業を考えている人はこういう漫画を読んでおくと役立つんじゃないかと思う。
滞在時間はだいたい1時間~1時間半と決めてある。あんまり長々と漫画を読んでもいられない。今夜は映画も観たいし・・・
今週も平穏に過ごせた。
実家の母親もここのところ少し良くなってきているのが良いニュースだ。
来週から7月。もう一年も半分が過ぎたのだ。
家に帰れば参院選の案内が届いていた。さて混迷する政局はますますどこに票を入れようかと難題を投げかけてくれる。レベルの低いいい加減なマスコミに踊らされないよう、よく考えて一票を投じたいものだ。
さて、今年の夏はどれだけ暑くなるのだろうかとあれこれ思うのである・・・
【本日の読書】
「史上最強の人生戦略マニュアル」フィリップ・マグロー
「最悪」奥田英朗
2010年6月23日水曜日
大事な事は何だろうか
先日の事、知人が転職した会社が倒産したと聞いた。
そのニュースをもたらしたのは今の同僚。
半分憐れみ、半分は一時は成功した者が失敗した事を快く思っている印象を受けた。
転職した彼とは、一時は机を並べて仕事をしていた。
「俺は最後までこの会社にしがみつく」と宣言していた彼の、突然の転職宣言には驚いたが、あとでその彼を翻意させるに足る破格の好条件だったと聞いて納得した。
その時は羨ましく思ったものだが、今日の結果をみるとどうなのだろうと思う。
先日あるところで話をしていて、就職ランキングなるものが羨望の眼差しで語られているのを知った。就活学生にとっては一つの大きな指標となっているものだ。
だが、就職という人生の一大事を決める時に、あれほどいい加減な指標はない。
何もわからない学生の就職希望ランキングなんてこれほどいい加減なものはない。
みんなが美人だと言うだけの理由で、その美人と結婚したいと思うのと同じだからだ。
美しいバラも飛びついたら棘だらけということだってある。
私が就職の時に偉かったのは、当時入る事を決めた銀行に対し、将来倒産しないとは限らないから、そうなっても恨みがましい事を言うまいと既に決意していた点だ。
けっして将来安泰などとは夢にも考えていなかった。
(そして事実、後年実際に吸収合併されて元の銀行は消滅したのである)
私にそう思わせたのは、学生時代の監督の存在だ。
私が今も尊敬するその監督は、学生時代優秀で本当は東大に行くはずだったのが、学園紛争で入試が中止となり、やむなく我らの大学に来たという人だった。
その監督は卒業して、当時のトップ企業に就職した。
しかし、不況の影響で私が就職する時には、その企業のかつての栄光はすっかり寂れてしまっていた。もちろん、就職ランキング上位には入っていなかった。
「企業は10年後、20年後にどうなっているかわからない」
それが、その監督の背中を見ていて学んだ事だ。
(今その監督はその大企業の副社長だからやっぱり超優秀な方なのだ)
希望の大企業に入れたから安泰、入れなかったからお先真っ暗、そんな事はまったくない。
転職して羨ましいぐらい成功している知人もいれば、先の知人のようなケースも数多く見聞きしている。何がよくて何が悪いかはわからない。
長男の通う幼稚園は近所では一応「お受験幼稚園」の一つとされている。
我が家は、長女が卒園後近所の公立小学校へ入学した通り、お受験なんてつもりはさらさらない。
しかし、熱心なお母さんはいる。子供をお受験させて、いい学校に入れてどうなるのだ?という私の根本的な疑問は常にここにある。
一流大学を出たところで一流企業に例え入ったとして、それが何になる。
10年後には倒産しているかもしれないのだ。
あるいは破格の好条件でヘッドハンティングされたところで、先の知人のようになるかもしれない。
結局のところ、○○に入れば大丈夫などという事は幻想でしかない。
公務員だって心の病になってしまうかもしれない(それでも手厚い保証があるからいいということかもしれない)。
そんなもので勝ち負けなんて判定できないし、もちろん、先の知人だってこれが人生の転機となって次のチャンスにつながる事もあるわけで、この結果だけをもって、「馬鹿だなぁ」とは決して言えない。転職した知人が失敗例で残った私が成功例かは、人生が終わるまで結論は出ない。
いくら大きな船でも沈む時は沈む。
大事な事は大きな船に乗る事ではなく、荒海に投げ出されても大丈夫なように準備を怠らない事だ。
いつかまたどこかで彼と会って、その後の人生を比べあった時に、大きな船の真ん中で縮こまっていただけなんてならないようにしたいものだ。今のところ荒海に飛び込むつもりはないが、いつ放りだされても困らないように鍛錬だけは続けていきたいものである・・・
【本日の読書】
「たった1通で人を動かすメールの仕掛け」浅野ヨシオ
「最悪」奥田英朗
そのニュースをもたらしたのは今の同僚。
半分憐れみ、半分は一時は成功した者が失敗した事を快く思っている印象を受けた。
転職した彼とは、一時は机を並べて仕事をしていた。
「俺は最後までこの会社にしがみつく」と宣言していた彼の、突然の転職宣言には驚いたが、あとでその彼を翻意させるに足る破格の好条件だったと聞いて納得した。
その時は羨ましく思ったものだが、今日の結果をみるとどうなのだろうと思う。
先日あるところで話をしていて、就職ランキングなるものが羨望の眼差しで語られているのを知った。就活学生にとっては一つの大きな指標となっているものだ。
だが、就職という人生の一大事を決める時に、あれほどいい加減な指標はない。
何もわからない学生の就職希望ランキングなんてこれほどいい加減なものはない。
みんなが美人だと言うだけの理由で、その美人と結婚したいと思うのと同じだからだ。
美しいバラも飛びついたら棘だらけということだってある。
私が就職の時に偉かったのは、当時入る事を決めた銀行に対し、将来倒産しないとは限らないから、そうなっても恨みがましい事を言うまいと既に決意していた点だ。
けっして将来安泰などとは夢にも考えていなかった。
(そして事実、後年実際に吸収合併されて元の銀行は消滅したのである)
私にそう思わせたのは、学生時代の監督の存在だ。
私が今も尊敬するその監督は、学生時代優秀で本当は東大に行くはずだったのが、学園紛争で入試が中止となり、やむなく我らの大学に来たという人だった。
その監督は卒業して、当時のトップ企業に就職した。
しかし、不況の影響で私が就職する時には、その企業のかつての栄光はすっかり寂れてしまっていた。もちろん、就職ランキング上位には入っていなかった。
「企業は10年後、20年後にどうなっているかわからない」
それが、その監督の背中を見ていて学んだ事だ。
(今その監督はその大企業の副社長だからやっぱり超優秀な方なのだ)
希望の大企業に入れたから安泰、入れなかったからお先真っ暗、そんな事はまったくない。
転職して羨ましいぐらい成功している知人もいれば、先の知人のようなケースも数多く見聞きしている。何がよくて何が悪いかはわからない。
長男の通う幼稚園は近所では一応「お受験幼稚園」の一つとされている。
我が家は、長女が卒園後近所の公立小学校へ入学した通り、お受験なんてつもりはさらさらない。
しかし、熱心なお母さんはいる。子供をお受験させて、いい学校に入れてどうなるのだ?という私の根本的な疑問は常にここにある。
一流大学を出たところで一流企業に例え入ったとして、それが何になる。
10年後には倒産しているかもしれないのだ。
あるいは破格の好条件でヘッドハンティングされたところで、先の知人のようになるかもしれない。
結局のところ、○○に入れば大丈夫などという事は幻想でしかない。
公務員だって心の病になってしまうかもしれない(それでも手厚い保証があるからいいということかもしれない)。
そんなもので勝ち負けなんて判定できないし、もちろん、先の知人だってこれが人生の転機となって次のチャンスにつながる事もあるわけで、この結果だけをもって、「馬鹿だなぁ」とは決して言えない。転職した知人が失敗例で残った私が成功例かは、人生が終わるまで結論は出ない。
いくら大きな船でも沈む時は沈む。
大事な事は大きな船に乗る事ではなく、荒海に投げ出されても大丈夫なように準備を怠らない事だ。
いつかまたどこかで彼と会って、その後の人生を比べあった時に、大きな船の真ん中で縮こまっていただけなんてならないようにしたいものだ。今のところ荒海に飛び込むつもりはないが、いつ放りだされても困らないように鍛錬だけは続けていきたいものである・・・
【本日の読書】
「たった1通で人を動かすメールの仕掛け」浅野ヨシオ
「最悪」奥田英朗
2010年6月20日日曜日
ワールドカップに思う
サッカーのワールドカップ南アフリカ大会が盛り上がって来ている。日本代表がカメルーン戦に予想外の勝利を収めたものだから、尚更かもしれない。夕べも新宿の街ではブルーのユニフォームを着たり、ブルーのタオルを首に巻いた若者たちをあちらこちらで見かけた。飲み屋の店員さんにもその話題を振られたし、いやが上にも盛り上がりが感じられた。私はサッカーは好きではないが、何せ日の丸の話だからやっぱり日本代表には勝ってほしいと願っている。日本代表ならばサッカーだろうが、卓球だろうがそれは日本人として応援したいと思うのだ。しかし、ラグビーの日本代表がワールドカップに出場してもこれだけの盛り上がりはない。それが残念でならない。
なぜラグビーはサッカーに比べてマイナーな存在に甘んじているのだろう。
歴史的にはサッカーの方が古い。サッカーをしていたエリス少年が、勢い余ってボールを持って走り出してしまったのがルーツとされているエピソードがあるくらいだ。だが、それだけではないだろう。
「ルールが難しい」という話はよく聞く。
しかし、「ボールを前にパスしてはいけない」という事はわりと広く知られているし、相手の陣地にボールを置けばトライというルールは単純だ。
難しいルールは確かにあるが、素人感覚でゲームの動きを追うのに阻害要因となるほど難しいルールがあるとは思えない。イメージだけのような気がする。
昨夜のサッカーの試合は観なかったが、結果は1点差の負け。
それがFIFAランキング4位のチームと45位のチームの実力差を正確に表す点差なのかどうかはわからない。奇しくも昨夜ケーブルテレビで、ニュージーランド・オールブラックスとオーストラリア・ワラビーズのラグビーの試合が放映されていた。IRB世界ランキング1位と3位の、マニア垂涎の試合だ。
結果は19-18でオールブラックスが薄氷の勝利を収めた。
実力が伯仲している両者の激突に、1点差というのはふさわしい結果だ。
試合を観ながら、サッカーとの違いを素人目線を意識して考えてみた。
サッカーの試合とはまず動きが違う。
足でドリブルしながら進むサッカーと持って走るラグビーではスピードも動きも格段の差がある。
立ちはだかる相手を抜くにしても、ラグビーには、
1.ぶち当たって相手を吹っ飛ばす
2.華麗なるパスで抜く
3.ステップ(左右の素早い動き)やスピードによって抜く
というバリエーションがある。
走る攻撃とキックの攻撃との組み合わせがあり、フォワード同士の力と力の激突、バックス同士のスピードとテクニックの対決などは、観ていてもサッカーより遥かに面白い。
トライ5点、ペナルティゴールなどが3点、トライ後のゴールが2点と得点パターンが分かれており、単純にトライ数だけでは勝敗がはかれないところも面白いところだ。
先入観なく見比べれば、絶対にラグビーの方が面白いはずだと思う。
エリス少年が興奮してボールを持って走ってしまった気持ちがよくわかる。
あとはイメージだろうか。
私がラグビーというスポーツを知ったのは、「われら青春!」という懐かしいドラマだ。
その後、「スクールウォーズ」というドラマで、ラグビーはかなりイメージアップした。
(私はくだらなくて観ていなかったのだが・・・)
こうしたドラマを利用するという事も有効な気がする。
来年はいよいよラグビーのワールドカップ(NZ大会)だし、2019年には日本開催だ。
なんとかもう少し世間の関心を集められないものかと思う。
これだけ面白いスポーツなわけだし、日本代表にももっと強くなってもらいたいし、そのためには、せめて自分の周りにいる人たちから啓蒙していきたいと考えている。
それが日本のラグビーに対する私のできる小さな貢献だと考えているのである・・・
【昨日の読書】
「野村の革命」野村克也
「会社蘇生」高杉良
2010年6月18日金曜日
懐メロ
家でしばしば音楽を聞く。
と言ってもじっくりと瞑想しながら聞くような暇はないので、むしろパソコンに向かいながらの「ながら族」だ。BGM代わりに聞いているといったところだ。昔はラジカセだったが、今はパソコンだ。CDも聞けるし、iTunesで聞いたりもできる。もちろん、 YouYubeもある。
何を聞くかと問われると、昔の曲がほとんどだ。車に乗るとBGMは嵐なのだが、それは嵐にハマっている長女に毎回せがまれるからで、私の趣味ではない。そもそも最近のアーティストはよくわからない。テレビで音楽番組を観るわけでもないし、ラジオもあんまり聞かないから音楽に関しては鎖国状態だ。そんなわけで音楽でも聞くかとなると、一昔前に流行った曲ばかりとなるのである。
まあ一番新しいところで浜崎あゆみだが、持っているCDで一番新しいのは何年前のものだろうといった具合だ。そんな傾向を裏付けるが如く、気が付くと持っているCDはベスト版が多かったりする。井上陽水、ABBA 、QUEEN、ジョン・レノン、ビリー・ジョエルといったところだ。聞いていた当時は新しかったのだが、今はすっかり懐メロだ。今時の若い人が聞いたらどう思うのだろう。
YouTubeなどでは思うままに検索したり、リンクを辿ったりするからもっと多岐にわたる。これがけっこう気に入っている。例えば井上陽水などを数曲聞くと横のリンクに玉置浩二なんてのが出てくる。そこをクリックして玉置浩二に飛ぶと、次は安全地帯があって、その次は、と次々にリンクを辿っていくと思いがけず忘れていた懐かしい曲に出会ったりする。中村雅俊の初期の曲なんかは最近のお気に入りだ。すっかり新しいアーチストに関心が向かなくなってしまったのが、いい事なのかどうなのか。
最近の事、昔流行ったCMソングでずっと聞きたくて仕方がなかった曲を見つけた。どういうわけか妙に耳に残っていて仕方がなかったのだが、マイナーゆえに長い間CDも見つけられず、ネットでも見つからなかった。そうするとますます聞きたくなってしまうのが人の常。お金を出してでもと思っていたのだが、YouTubeであっさり見つかった。
『オレンジ村から春へ』
聞いてみれば大した事はないのだが、それでも懐かしかった。YouTubeって凄いなぁと改めて思った次第である。
懐かしい曲を聞きながら、時としてその曲を聞いていた当時の思い出がよみがえってきたりする。そんな一時は、結局のところストレス解消タイムになっていたりするのだが、なんだか懐古趣味に浸っているような気がしないでもない。昔カラオケでど演歌を熱唱していたおじさんたちを笑えなくなってきているような気もする。
まぁ聞いている姿を人に見せるわけでもないし、自分が良ければそれで良いのだから気にする事もないだろう。案外同じ世代の人間はみんなそうなのかもしれないと思ったりするのだが、どうなんだろう。と書きながらもBGMは「俺たちの旅」だったりするのである。
(あれはいいドラマだったよなぁ・・・)
【本日の読書】
「野村の革命」野村克也
「会社蘇生」高杉良
と言ってもじっくりと瞑想しながら聞くような暇はないので、むしろパソコンに向かいながらの「ながら族」だ。BGM代わりに聞いているといったところだ。昔はラジカセだったが、今はパソコンだ。CDも聞けるし、iTunesで聞いたりもできる。もちろん、 YouYubeもある。
何を聞くかと問われると、昔の曲がほとんどだ。車に乗るとBGMは嵐なのだが、それは嵐にハマっている長女に毎回せがまれるからで、私の趣味ではない。そもそも最近のアーティストはよくわからない。テレビで音楽番組を観るわけでもないし、ラジオもあんまり聞かないから音楽に関しては鎖国状態だ。そんなわけで音楽でも聞くかとなると、一昔前に流行った曲ばかりとなるのである。
まあ一番新しいところで浜崎あゆみだが、持っているCDで一番新しいのは何年前のものだろうといった具合だ。そんな傾向を裏付けるが如く、気が付くと持っているCDはベスト版が多かったりする。井上陽水、ABBA 、QUEEN、ジョン・レノン、ビリー・ジョエルといったところだ。聞いていた当時は新しかったのだが、今はすっかり懐メロだ。今時の若い人が聞いたらどう思うのだろう。
YouTubeなどでは思うままに検索したり、リンクを辿ったりするからもっと多岐にわたる。これがけっこう気に入っている。例えば井上陽水などを数曲聞くと横のリンクに玉置浩二なんてのが出てくる。そこをクリックして玉置浩二に飛ぶと、次は安全地帯があって、その次は、と次々にリンクを辿っていくと思いがけず忘れていた懐かしい曲に出会ったりする。中村雅俊の初期の曲なんかは最近のお気に入りだ。すっかり新しいアーチストに関心が向かなくなってしまったのが、いい事なのかどうなのか。
最近の事、昔流行ったCMソングでずっと聞きたくて仕方がなかった曲を見つけた。どういうわけか妙に耳に残っていて仕方がなかったのだが、マイナーゆえに長い間CDも見つけられず、ネットでも見つからなかった。そうするとますます聞きたくなってしまうのが人の常。お金を出してでもと思っていたのだが、YouTubeであっさり見つかった。
『オレンジ村から春へ』
聞いてみれば大した事はないのだが、それでも懐かしかった。YouTubeって凄いなぁと改めて思った次第である。
懐かしい曲を聞きながら、時としてその曲を聞いていた当時の思い出がよみがえってきたりする。そんな一時は、結局のところストレス解消タイムになっていたりするのだが、なんだか懐古趣味に浸っているような気がしないでもない。昔カラオケでど演歌を熱唱していたおじさんたちを笑えなくなってきているような気もする。
まぁ聞いている姿を人に見せるわけでもないし、自分が良ければそれで良いのだから気にする事もないだろう。案外同じ世代の人間はみんなそうなのかもしれないと思ったりするのだが、どうなんだろう。と書きながらもBGMは「俺たちの旅」だったりするのである。
(あれはいいドラマだったよなぁ・・・)
【本日の読書】
「野村の革命」野村克也
「会社蘇生」高杉良
2010年6月16日水曜日
サッカーワールドカップ
サッカーのワールドカップが始まった。
個人的にはまったく興味がないのでどうでもいいことなのだが、それでも話はそこここで目にし、耳にするから、嫌が応でも情報は入ってくる。
職場の同僚も途絶えていた年頃の娘と共通の関心事ができたと、毎日うきうきしている。
ここのところ親娘の会話が復活して、家に帰っても楽しいらしい。
そんな人たちの盛り上がりと期待もあってか、とうとう下馬評をひっくり返して日本代表は初戦のカメルーン戦に勝ってしまった。私は非国民ではないので、世界の桧舞台で日本が勝ったとあれば、それがサッカーだろうが卓球だろうが素直に喜ぶ。韓国が勝ってるんだから負けてどうするとも正直思う。だが、前日までの報道はどこへやらの、「勝てば官軍」という相変わらず節操のないマスコミの姿勢には辟易する。
朝刊で結果を知って「ほおっ」と詳しく記事に目を通す。
すると日本は世界ランキング(FIFA)で45位で、カメルーンは19位だという。
45位が19位に勝つわけだから大番狂わせなのだろう。
事実、海外のメディアは「今大会で最大級の番狂わせ」「サプライズ」と驚きをもって報じている。
まあ、予選突破に関しては「これが(日本には)最後の幸運」で「(日本と同組の)オランダ、デンマークは何の心配もない」とも報じているから、そんなもんなのかもしれない。
しかし、と思う。
その前には47位の韓国が12位のギリシャに勝っている。
ここでも大番狂わせなのだろうかと思うと、このサッカーのランキングって一体何なんだと思わずにはいられない。ちなみにラグビーではこんな事はあり得ない。
日本はIRBランキングで13位だが、32位の韓国や34位の香港には圧勝する。
逆に11位や12位に勝てるかというと難しい。
実はあやしいのはランキングというよりも、サッカーという競技そのものだと、個人的には思う。
球技なのに手が使えないという考えてみれば不思議なルール。
当然、その分自由度は落ちるからなかなか点が入らない。
だから点が入るとキチガイのように喜びまくる。
そして1点入れば、断然有利になる。
ランキングで差のあるチームだってちょっとしたコンディションで0-0なんて展開はざらだし、何かのはずみで1点入ればそれで勝敗がつく。
大番狂わせが起こりやすいとも言える。
他のメジャースポーツではまずあり得ないのではないだろうか。
それでもやっぱり日本がブラジルに勝つなんて事は、今のところまずあり得ないだろうし、大番狂わせもランキングトップ10のチーム相手ではないだろう。
海外のメディアが報じるように、「もう一勝」は極めて難しいのだろう。
サッカーは好きではないけどやっぱり日の丸背負っている以上は、それでももうひと踏ん張りしてほしいところだ。
試合を観る事はないが、新聞は読むしネットのニュースも観る。
毎日娘さんとお話して楽しそうな同僚氏も微笑ましいし、特に応援はしないけど頑張ってねと、とりあえずは言っておきたいところである・・・
【本日の読書】
「世界一愚かなお金持ち、日本人」マダム・ホー
「会社蘇生」高杉 良
個人的にはまったく興味がないのでどうでもいいことなのだが、それでも話はそこここで目にし、耳にするから、嫌が応でも情報は入ってくる。
職場の同僚も途絶えていた年頃の娘と共通の関心事ができたと、毎日うきうきしている。
ここのところ親娘の会話が復活して、家に帰っても楽しいらしい。
そんな人たちの盛り上がりと期待もあってか、とうとう下馬評をひっくり返して日本代表は初戦のカメルーン戦に勝ってしまった。私は非国民ではないので、世界の桧舞台で日本が勝ったとあれば、それがサッカーだろうが卓球だろうが素直に喜ぶ。韓国が勝ってるんだから負けてどうするとも正直思う。だが、前日までの報道はどこへやらの、「勝てば官軍」という相変わらず節操のないマスコミの姿勢には辟易する。
朝刊で結果を知って「ほおっ」と詳しく記事に目を通す。
すると日本は世界ランキング(FIFA)で45位で、カメルーンは19位だという。
45位が19位に勝つわけだから大番狂わせなのだろう。
事実、海外のメディアは「今大会で最大級の番狂わせ」「サプライズ」と驚きをもって報じている。
まあ、予選突破に関しては「これが(日本には)最後の幸運」で「(日本と同組の)オランダ、デンマークは何の心配もない」とも報じているから、そんなもんなのかもしれない。
しかし、と思う。
その前には47位の韓国が12位のギリシャに勝っている。
ここでも大番狂わせなのだろうかと思うと、このサッカーのランキングって一体何なんだと思わずにはいられない。ちなみにラグビーではこんな事はあり得ない。
日本はIRBランキングで13位だが、32位の韓国や34位の香港には圧勝する。
逆に11位や12位に勝てるかというと難しい。
実はあやしいのはランキングというよりも、サッカーという競技そのものだと、個人的には思う。
球技なのに手が使えないという考えてみれば不思議なルール。
当然、その分自由度は落ちるからなかなか点が入らない。
だから点が入るとキチガイのように喜びまくる。
そして1点入れば、断然有利になる。
ランキングで差のあるチームだってちょっとしたコンディションで0-0なんて展開はざらだし、何かのはずみで1点入ればそれで勝敗がつく。
大番狂わせが起こりやすいとも言える。
他のメジャースポーツではまずあり得ないのではないだろうか。
それでもやっぱり日本がブラジルに勝つなんて事は、今のところまずあり得ないだろうし、大番狂わせもランキングトップ10のチーム相手ではないだろう。
海外のメディアが報じるように、「もう一勝」は極めて難しいのだろう。
サッカーは好きではないけどやっぱり日の丸背負っている以上は、それでももうひと踏ん張りしてほしいところだ。
試合を観る事はないが、新聞は読むしネットのニュースも観る。
毎日娘さんとお話して楽しそうな同僚氏も微笑ましいし、特に応援はしないけど頑張ってねと、とりあえずは言っておきたいところである・・・
【本日の読書】
「世界一愚かなお金持ち、日本人」マダム・ホー
「会社蘇生」高杉 良
2010年6月12日土曜日
運動会
今日は長女の小学校の運動会であった。
一昨年までは秋にやっていたのだが、昨年からこの時期に変更となったのだ。
去年は雨で順延となったから、今年は晴れるといいなと考えていた。
願いかなって快晴。
しかし・・・
暑過ぎてへばってしまった。
炎天下でビデオを撮るのはなかなかの苦行だ。
小学校ともなると6学年もあるから、勢い各学年の演目は少なくなる。
かけっこと団体競技とダンスの3種類だ。
それにPTAの協議と代表選手によるリレーがプラスされるだけである。
考えてみれば、よく考えられた3種目だ。
足の速い子はかけっこで目立つ。
そうでない子には団体競技があるし、そもそも運動が苦手な子にはダンスがある。
みんなどれかで輝けるように考えられているわけである。
我が長女は昨年はダンスで活躍した。
娘らしく、指の先まで丁寧に踊っていたので、あとで褒めてあげたのだ。
今年は「かけっこで一位になったらお寿司に行きたい!」と宣言して、長女は登校して行った。
かけっこは低学年50メートル、中学年80メートル、高学年100メートルとなる。
だいたい走り方を見ていると、その子の運動神経がわかる。
早い子と遅い子の差は、走り方に如実に現れる。
そう言えば、私も足は速かった。
リレーも常に選手に選ばれていた。
ラグビー日本代表がワールドカップに出場するのが決まりきっているように、私がリレーの選手に選ばれるのは、もはや常に決定事項であったと言っても過言ではない。
そんな私の血を、どうやら長女は受け継いでいないようである。
昨年は3位。
しかし、なんと今年は1位。
と言っても、それは事前のタイムトライアルで同じような足の子を集めていたらしいから、別に大した事ではない。それでも1位は1位で嬉しかったようである。
私も小学生の頃はかけっこ命であった。
リレーがやっぱり力が入ったものである。
おおよそスポーツでは足の速い事は有利になる事はあっても不利になる事はない。
足が速いというのは、持って生まれたものか後天的なものかわからないが、それで運動会では随分いい思いをした。我が家には運動会の前日に雨乞いをしたという人がいるが、そんな事もせずにいい思い出ばかりだ。残念ながらパパに似なかった長女はどうだろう?
見事公約を果たした長女。
夕食はリクエスト通り 大好きなくら寿司。
まあ懐に優しいから親孝行な娘である(今のところは・・・)。
嬉しそうにお寿司を頬張る長女。
運動会といえばお馴染の音楽が頭の中を流れる。
いつも緊張感で一杯だった。
ラグビーの公式戦前にも感じた、あの逃げ出したくなるような緊張感。
そういえば最近すっかり忘れてしまった感情だ。
今後の人生であの緊張感を再び味わう機会があるのだろうか。
日焼けでちょっとヒリヒリするおでこを撫でながら、そんな事を考えたのである・・・
【本日の読書】
「まほろ駅前多田便利軒」三浦しをん
一昨年までは秋にやっていたのだが、昨年からこの時期に変更となったのだ。
去年は雨で順延となったから、今年は晴れるといいなと考えていた。
願いかなって快晴。
しかし・・・
暑過ぎてへばってしまった。
炎天下でビデオを撮るのはなかなかの苦行だ。
小学校ともなると6学年もあるから、勢い各学年の演目は少なくなる。
かけっこと団体競技とダンスの3種類だ。
それにPTAの協議と代表選手によるリレーがプラスされるだけである。
考えてみれば、よく考えられた3種目だ。
足の速い子はかけっこで目立つ。
そうでない子には団体競技があるし、そもそも運動が苦手な子にはダンスがある。
みんなどれかで輝けるように考えられているわけである。
我が長女は昨年はダンスで活躍した。
娘らしく、指の先まで丁寧に踊っていたので、あとで褒めてあげたのだ。
今年は「かけっこで一位になったらお寿司に行きたい!」と宣言して、長女は登校して行った。
かけっこは低学年50メートル、中学年80メートル、高学年100メートルとなる。
だいたい走り方を見ていると、その子の運動神経がわかる。
早い子と遅い子の差は、走り方に如実に現れる。
そう言えば、私も足は速かった。
リレーも常に選手に選ばれていた。
ラグビー日本代表がワールドカップに出場するのが決まりきっているように、私がリレーの選手に選ばれるのは、もはや常に決定事項であったと言っても過言ではない。
そんな私の血を、どうやら長女は受け継いでいないようである。
昨年は3位。
しかし、なんと今年は1位。
と言っても、それは事前のタイムトライアルで同じような足の子を集めていたらしいから、別に大した事ではない。それでも1位は1位で嬉しかったようである。
私も小学生の頃はかけっこ命であった。
リレーがやっぱり力が入ったものである。
おおよそスポーツでは足の速い事は有利になる事はあっても不利になる事はない。
足が速いというのは、持って生まれたものか後天的なものかわからないが、それで運動会では随分いい思いをした。我が家には運動会の前日に雨乞いをしたという人がいるが、そんな事もせずにいい思い出ばかりだ。残念ながらパパに似なかった長女はどうだろう?
見事公約を果たした長女。
夕食はリクエスト通り 大好きなくら寿司。
まあ懐に優しいから親孝行な娘である(今のところは・・・)。
嬉しそうにお寿司を頬張る長女。
運動会といえばお馴染の音楽が頭の中を流れる。
いつも緊張感で一杯だった。
ラグビーの公式戦前にも感じた、あの逃げ出したくなるような緊張感。
そういえば最近すっかり忘れてしまった感情だ。
今後の人生であの緊張感を再び味わう機会があるのだろうか。
日焼けでちょっとヒリヒリするおでこを撫でながら、そんな事を考えたのである・・・
【本日の読書】
「まほろ駅前多田便利軒」三浦しをん
2010年6月9日水曜日
頑張れ吉野家
私はI love 吉牛 派だ。
牛丼は吉野家以外では食べない。
その吉野家がここのところ苦戦している。
牛丼戦争の負け組とマスコミに囃され、平成22年2月決算では経常利益がマイナスになった。
何も放漫経営をしているわけではないだろう。
単純にお客さんが減っているのだと思われる。
その理由は価格競争だろう。
松屋、ゼンショー(すき家)と大手はみな吉野家よりも安い。
安くたって味でいけば松屋の牛丼など食べられたものではない。
味噌汁一杯ついてきても、それが何だという感じだ。
価格差など気にもならないが、世間の人はそうではないらしい。
先日某所でそれを実感した。
道路を挟んで向かい合う松屋と吉野家。
時刻は12時ちょっと前。
そろそろランチタイムで賑わう時間帯。
松屋はすでに座れずに立って待つ人がいたが、吉野家は余裕で座れる。
両店ともほぼ同じ規模だから、その差は対照的だった。
まあ松屋は牛丼以外のメニューが充実しているから、単純比較はできないだろう。
それでも目に見える数字はうそをつかない。赤字は赤字だ。
なぜなんだろうと本当に不思議に思う。
価格差と言ったってわずか100円ぐらいの差だ。
とはいえ、1か月20営業日とすると、2,000円くらいになるから懐の寂しいサラリーマンは倹約に走るのだろうか。でも毎日牛丼ってわけではないだろう。
吉野家はBSE騒動の時には「吉野家の味」を守るために徹底的に米国産にこだわった。
そのため唯一最大の商品であった牛丼を店頭から引っ込めた。その拘りに私はしびれた。
今も豪州産の方が安く、豪州産を使う他のチェーン店は価格競争で優位に立ちやすい。
そうしたハンディはあるものの、その代わり味では圧倒しているではないか。
わずか100円程度で覆せるほど、味の差は小さくない(と個人的には強く思う)。
経常利益が赤字になったとはいっても、借金が少ない財務体質はすき家と比べても盤石だ。私のようなファンもいるだろうし、経営は揺るがないはずである。
価格は落とさなくてもいいから、味を落とさずに頑張ってほしい。
私も日中の外出の時間を調整し、もっと頻繁に通わないといけないかもしれない。
BSEのような暗黒時代が再び来るような事があってはならない。
吉野家の牛丼が食べられない未来など想像したくはないと言ったら大げさだろうか。
これからも変わらぬおしいさを提供してもらうためにも、やっぱり機会を見つけて通うのが一番と決意したのである・・・
【本日の読書】
【同和と銀行-三菱東京UFJ“汚れ役”の黒い回顧録】森功
「まほろ駅前多田便利軒」三浦しをん
牛丼は吉野家以外では食べない。
その吉野家がここのところ苦戦している。
牛丼戦争の負け組とマスコミに囃され、平成22年2月決算では経常利益がマイナスになった。
何も放漫経営をしているわけではないだろう。
単純にお客さんが減っているのだと思われる。
その理由は価格競争だろう。
松屋、ゼンショー(すき家)と大手はみな吉野家よりも安い。
安くたって味でいけば松屋の牛丼など食べられたものではない。
味噌汁一杯ついてきても、それが何だという感じだ。
価格差など気にもならないが、世間の人はそうではないらしい。
先日某所でそれを実感した。
道路を挟んで向かい合う松屋と吉野家。
時刻は12時ちょっと前。
そろそろランチタイムで賑わう時間帯。
松屋はすでに座れずに立って待つ人がいたが、吉野家は余裕で座れる。
両店ともほぼ同じ規模だから、その差は対照的だった。
まあ松屋は牛丼以外のメニューが充実しているから、単純比較はできないだろう。
それでも目に見える数字はうそをつかない。赤字は赤字だ。
なぜなんだろうと本当に不思議に思う。
価格差と言ったってわずか100円ぐらいの差だ。
とはいえ、1か月20営業日とすると、2,000円くらいになるから懐の寂しいサラリーマンは倹約に走るのだろうか。でも毎日牛丼ってわけではないだろう。
吉野家はBSE騒動の時には「吉野家の味」を守るために徹底的に米国産にこだわった。
そのため唯一最大の商品であった牛丼を店頭から引っ込めた。その拘りに私はしびれた。
今も豪州産の方が安く、豪州産を使う他のチェーン店は価格競争で優位に立ちやすい。
そうしたハンディはあるものの、その代わり味では圧倒しているではないか。
わずか100円程度で覆せるほど、味の差は小さくない(と個人的には強く思う)。
経常利益が赤字になったとはいっても、借金が少ない財務体質はすき家と比べても盤石だ。私のようなファンもいるだろうし、経営は揺るがないはずである。
価格は落とさなくてもいいから、味を落とさずに頑張ってほしい。
私も日中の外出の時間を調整し、もっと頻繁に通わないといけないかもしれない。
BSEのような暗黒時代が再び来るような事があってはならない。
吉野家の牛丼が食べられない未来など想像したくはないと言ったら大げさだろうか。
これからも変わらぬおしいさを提供してもらうためにも、やっぱり機会を見つけて通うのが一番と決意したのである・・・
【本日の読書】
【同和と銀行-三菱東京UFJ“汚れ役”の黒い回顧録】森功
「まほろ駅前多田便利軒」三浦しをん
2010年6月6日日曜日
デイズニーシー
義祖母の葬儀で延期になっていたのだが、昨日は半年に一度の恒例のデイズニーランドに行って来た(株主優待券が半年に一度もらえるので大人はタダなのである)。
今回は長男のリクエストでディズニーシーだった。
勇んで出かけたものの、朝から首都高の渋滞にハマる。
葛西の出口も長蛇の列。駐車場に着いたら9時半で、なんだかんだで10時近くなってしまった。
長男が楽しみにしていた「タワー・オブ・テラー」(本人がどんなものか理解しているのかは疑問だ)のファストパスは、その時点で早くもなくなってしまっていた。
しかたなくみんなで入ったのが 「タートル・トーク」(みんなが並んでいる間に私は、往復30分かけて敷地を横切って「インディ・ジョーンズ」のファスト・パスを取りに行く)。
その「タートル・トーク」は新しいアトラクションで初体験であったが、これには感心させられた。
アニメのカメさんとお客さんが会話するのであるが、どうやっているんだろうと不思議な感覚。
なにせカメさんがお客さんときちんと会話し、さらにアニメの画面もそれに連動するのだ。
「前列右端の男性の方」
「そうその人、お名前は?○○さん、どこから来たの?大阪・・・知らないなぁ・・・」とか、「泳ぐより浮かぶのが好き」というお客さんに対して、カメさんが裏返しになって浮かんでみせる、といった具合だ。
そして会話自体も、当意即妙にユーモアを交えて返す。
単に会話をするだけならまだしも、ユーモアを交えた返答はなかなかできるものではない。
ユーモアのセンスはマニュアルでは対応できないから、まさに「個人技」の世界。
私にできるかと言われてもどうだろう・・・
子供ばかりでなく大人も十分楽しめるアトラクションだ。
次回も必ず行こうと決意したのである。
リクエストにもかかわらず、長男にはついていない日だったようで、初体験を目指した「インディ・ジョーンズ」は身長がわずかに足りずアウト。
事前にわかっていのだが、帽子に詰め物すれば大丈夫かと思っていたら、「帽子取って」とお姉さんに言われてあっさりアウト。
靴の中にすべきだった・・・
でも次回家族有効のファストパスチケットをもらったから、大人はちょっと得した気分。
ケープコッド・クックオフで新キャラのダッフィーのショーを観て、 友人も買ったダッフィーのゆいぐるみを買う。
このぬいぐるみ、今大人気だそうで、ディズニーも商売うまいなぁと感心。まあ株主としては不満はないけど・・・
そして、キャラクターダイニングで食事。
「ミッキーの中はどうなっているの?」
「ミッキーがここに来ていていいの?ランドの方には今日は行かないの?」と問う長男。
彼にとって、世界はまだ不思議に満ち溢れているのである。
ブラッビッシーモのショーは初めてまともに見たが、火と水を使ったこのショーはなかなかの圧巻。こういうショーは大人も楽しめる。10年前に行ったラスベガスで、各ホテル前で行われているショーを思いだしてしまった。
子供を楽しませるという目的が確かにあるのではあるが、やっぱり自分も楽しみたい。
大混雑には閉口したが、それでも昨日は楽しめた。
今朝のけだるい疲労感もその名残と言えば心地良いくらいだ。
次回はクリスマス。次のリクエスト権は長女にある。
はたして長女はどちらをリクエストするのだろうか。
いずれであってもまたみんなで楽しみたいと思うのである・・・
【本日の読書】
なし
今回は長男のリクエストでディズニーシーだった。
勇んで出かけたものの、朝から首都高の渋滞にハマる。
葛西の出口も長蛇の列。駐車場に着いたら9時半で、なんだかんだで10時近くなってしまった。
長男が楽しみにしていた「タワー・オブ・テラー」(本人がどんなものか理解しているのかは疑問だ)のファストパスは、その時点で早くもなくなってしまっていた。
しかたなくみんなで入ったのが 「タートル・トーク」(みんなが並んでいる間に私は、往復30分かけて敷地を横切って「インディ・ジョーンズ」のファスト・パスを取りに行く)。
その「タートル・トーク」は新しいアトラクションで初体験であったが、これには感心させられた。
アニメのカメさんとお客さんが会話するのであるが、どうやっているんだろうと不思議な感覚。
なにせカメさんがお客さんときちんと会話し、さらにアニメの画面もそれに連動するのだ。
「前列右端の男性の方」
「そうその人、お名前は?○○さん、どこから来たの?大阪・・・知らないなぁ・・・」とか、「泳ぐより浮かぶのが好き」というお客さんに対して、カメさんが裏返しになって浮かんでみせる、といった具合だ。
そして会話自体も、当意即妙にユーモアを交えて返す。
単に会話をするだけならまだしも、ユーモアを交えた返答はなかなかできるものではない。
ユーモアのセンスはマニュアルでは対応できないから、まさに「個人技」の世界。
私にできるかと言われてもどうだろう・・・
子供ばかりでなく大人も十分楽しめるアトラクションだ。
次回も必ず行こうと決意したのである。
リクエストにもかかわらず、長男にはついていない日だったようで、初体験を目指した「インディ・ジョーンズ」は身長がわずかに足りずアウト。
事前にわかっていのだが、帽子に詰め物すれば大丈夫かと思っていたら、「帽子取って」とお姉さんに言われてあっさりアウト。
靴の中にすべきだった・・・
でも次回家族有効のファストパスチケットをもらったから、大人はちょっと得した気分。
ケープコッド・クックオフで新キャラのダッフィーのショーを観て、 友人も買ったダッフィーのゆいぐるみを買う。このぬいぐるみ、今大人気だそうで、ディズニーも商売うまいなぁと感心。まあ株主としては不満はないけど・・・
そして、キャラクターダイニングで食事。
「ミッキーの中はどうなっているの?」
「ミッキーがここに来ていていいの?ランドの方には今日は行かないの?」と問う長男。
彼にとって、世界はまだ不思議に満ち溢れているのである。
ブラッビッシーモのショーは初めてまともに見たが、火と水を使ったこのショーはなかなかの圧巻。こういうショーは大人も楽しめる。10年前に行ったラスベガスで、各ホテル前で行われているショーを思いだしてしまった。
子供を楽しませるという目的が確かにあるのではあるが、やっぱり自分も楽しみたい。
大混雑には閉口したが、それでも昨日は楽しめた。
今朝のけだるい疲労感もその名残と言えば心地良いくらいだ。
次回はクリスマス。次のリクエスト権は長女にある。
はたして長女はどちらをリクエストするのだろうか。
いずれであってもまたみんなで楽しみたいと思うのである・・・
【本日の読書】
なし
2010年6月4日金曜日
はだしのゲン
小学校4年の長女が最近「はだしのゲン」にハマっている。なんでも学校の図書館に漫画が置いてあるらしく、友達と競って読んでいるらしい。長女が通う小学校にはいろいろと漫画本が置いてあるという。「はだしのゲン」は文科省推薦だからわかるとしても、 「ブラック・ジャック」なんかも置いてあるそうだからどういう基準で選んでいるのだろうか。
それはともかく、興味を持って読んでいるということ自体に、ちょっと驚いてしまった。というのも読んでわかるのだろうかと思ったからだ。テーマとしては難しいのではないかと思ったのだ。親子間で戦争の話などした事もないし、戦争や原爆などといって理解できるのだろうかと思ってしまったのだ。
だが、話してみると意外にきちんと理解しているようである。
私は常日頃、漫画も立派な勉強の機会だと思っている。
だからこういう経緯で戦争や原爆の知識を得るのは良い機会だと思う。
いずれ子供たちがもう少し大きくなって学校で歴史の勉強が始まるようになったら、こうした話もしてみたいと思っている。ただし、私はいわゆる「自虐史観」とは真っ向から対立する考え方を持っているから、学校の先生の話とのギャップに子供たちは戸惑うかもしれない。
それはそうと肝心な「はだしのゲン」であるが、考えてみると私が読んだのも確か小学生の頃の事だ。5年か6年の頃だったと思う。そう考えてみれば長女が今読んでいるのも不思議な事ではないし、親子で同じ年頃に同じ漫画を読むというのも何だか喜ばしい気もする。もっとも今ではだいぶストーリーを忘れてしまった気がするのだが・・・
なんとなく覚えているストーリーを思い起こしてみれば、この漫画を読んで長女に期待する事は「共感性」だ。歴史上の知識としてももちろん持ってもらいたいが、どれだけ物語の中に感情移入できるかという事に重きを置きたいと思う。
目の前で家族が死んでしまう。
被曝して重傷を負った者が家族からも疎ましがられる。
朝鮮人への差別とか人の情けとか、難しいかもしれないが自分なりに感じてほしいと思う。
そんな事を考えたら久々に読んでみたくなった。
こんど行きつけの漫画喫茶に行ったら探してみようかと思うのである・・・
【本日の読書】
「象はポケットに入れるな」ジョーンズ・ジョフリン&トッド・ミュージグ
「まほろ駅前多田便利軒」三浦しをん
2010年6月1日火曜日
誕生日に思う
今日は誕生日だ。
子供の頃は、この日は世界で一番特別な日だと思っていた。
ある時期までは確かにそうだったが、今では特段、これといった特別な感慨はない。
まあなんだかんだでもう46回目だし、今日もいつもと変わらぬ一日だったし、そんなものなのかもしれない。
ただ、一つの区切りであるという意識はある。
元旦と同じ心境と言えるだろうか。
過去一年を振り返りつつ、今後一年を展望する一つのきっかけである。
だが、ここ数年は同じような日々の繰り返しになっている事は否めない。
流されているとも言えるし、穏やかで平和な日々を送っているとも言える。
こういう時代だから、毎年お祝いのメールをいただく。
何だかんだ言っても嬉しいものである。
今日は母親からも来た。
目を細め、不器用に時間をかけて送ってきたのが伝わってくるメールだ。
目をひかれたのは、「振り返ればいろんな事が遠くに」という一文だ。
自分も初めて親になって早や9年半。
長女の誕生日は自分が親になった記念日でもある。
その点、長男は可哀そうだ。「初めて」は大概お姉ちゃんに持って行かれてしまう。
幼稚園の入園式も、記憶に鮮明に残っているのは長女の時、という具合だ。
自分も長男だから、もしかしたら母親もそうなのかもしれない。
誕生から入園、入学、受験、卒業、就職と親としての成長は常に私とともにあったのだろう。
そんな思いが、先ほどの短い文章に込められているのだろうか。
自分で言うのもなんだが、私は比較的親に心配をかけずに来た方だと思う。
幼少時にひきつけを起こして病院に担ぎ込まれたエピソードくらい(私にその記憶はもちろんない)ではないだろうか。自分で何でもやって決めて、親の手を煩わせるという事がなかったと思う(その役は弟がたっぷりとやった)。
ただ結婚してからは、残念ながら期待にはほとんど応えられていない気がする。
良き夫である事と、良き息子である事を両立させる事は私にとって想像以上に至難の業だったのだ。
どちらも中途半端で、どちらからも不満を持たれてしまっているようだ。
子育てをしていて思うのは、常に子供たちの幸せだ。
今はいいのだが、いずれ独り立ちしたあと面倒はみてあげられない。
苦難を乗り切り幸せな人生を送れるかどうかは本人たちにかかっている。
親としては、今してあげられる事をして、あとはただ願うのみだ。
「健康にきおつけて。幸せな毎日が送れますように。」
母親のメールはそう短くまとめられていた。
どうやら自分の健康は棚にあげてしまったらしい。
親と言うものは考える事は誰でも大して違わないようだ。
そんなメールを読んで、一緒にいても離れていても、46回の誕生日すべてを無条件に祝ってくれた両親に、今日は素直に感謝したいと思った。
直接言えばいいのかもしれないが、気恥ずかしいからここで公開しておくことにした・・・
【本日の読書】
「新幹線ガール」徳渕真利子
「親指の恋人」石田衣良
子供の頃は、この日は世界で一番特別な日だと思っていた。
ある時期までは確かにそうだったが、今では特段、これといった特別な感慨はない。
まあなんだかんだでもう46回目だし、今日もいつもと変わらぬ一日だったし、そんなものなのかもしれない。
ただ、一つの区切りであるという意識はある。
元旦と同じ心境と言えるだろうか。
過去一年を振り返りつつ、今後一年を展望する一つのきっかけである。
だが、ここ数年は同じような日々の繰り返しになっている事は否めない。
流されているとも言えるし、穏やかで平和な日々を送っているとも言える。
こういう時代だから、毎年お祝いのメールをいただく。
何だかんだ言っても嬉しいものである。
今日は母親からも来た。
目を細め、不器用に時間をかけて送ってきたのが伝わってくるメールだ。
目をひかれたのは、「振り返ればいろんな事が遠くに」という一文だ。
自分も初めて親になって早や9年半。
長女の誕生日は自分が親になった記念日でもある。
その点、長男は可哀そうだ。「初めて」は大概お姉ちゃんに持って行かれてしまう。
幼稚園の入園式も、記憶に鮮明に残っているのは長女の時、という具合だ。
自分も長男だから、もしかしたら母親もそうなのかもしれない。
誕生から入園、入学、受験、卒業、就職と親としての成長は常に私とともにあったのだろう。
そんな思いが、先ほどの短い文章に込められているのだろうか。
自分で言うのもなんだが、私は比較的親に心配をかけずに来た方だと思う。
幼少時にひきつけを起こして病院に担ぎ込まれたエピソードくらい(私にその記憶はもちろんない)ではないだろうか。自分で何でもやって決めて、親の手を煩わせるという事がなかったと思う(その役は弟がたっぷりとやった)。
ただ結婚してからは、残念ながら期待にはほとんど応えられていない気がする。
良き夫である事と、良き息子である事を両立させる事は私にとって想像以上に至難の業だったのだ。
どちらも中途半端で、どちらからも不満を持たれてしまっているようだ。
子育てをしていて思うのは、常に子供たちの幸せだ。
今はいいのだが、いずれ独り立ちしたあと面倒はみてあげられない。
苦難を乗り切り幸せな人生を送れるかどうかは本人たちにかかっている。
親としては、今してあげられる事をして、あとはただ願うのみだ。
「健康にきおつけて。幸せな毎日が送れますように。」
母親のメールはそう短くまとめられていた。
どうやら自分の健康は棚にあげてしまったらしい。
親と言うものは考える事は誰でも大して違わないようだ。
そんなメールを読んで、一緒にいても離れていても、46回の誕生日すべてを無条件に祝ってくれた両親に、今日は素直に感謝したいと思った。
直接言えばいいのかもしれないが、気恥ずかしいからここで公開しておくことにした・・・
【本日の読書】
「新幹線ガール」徳渕真利子
「親指の恋人」石田衣良
2010年5月29日土曜日
すっぱいぶどう
今日はあるところでツイッターの話題が出た。
最近だいぶ利用人口が増えてきたが、10人ほど集まった40代の中では利用者は一人のみであった。
そういう私も興味を持ってはいるものの、やるところまではいっていない。
始めたばかりの者が内容を語り始めたところで、別の者が否定的な発言を始めた。
もちろん、その人物はツイッターをやっていない。
実は同じような否定的な声は耳にしたりする。
そうした指摘が間違っているとは言えないが、その時昔のあるシーンがフラッシュバックしてきた。
まだパソコンが普及し始めた15年ほど前の事だ。
当時の職場にも1台パソコンが設置された。
一人一台ではなく、職場に一台ののどかな時代だ。
私は既にだいぶ使いこなしていたから、さっそくあれこれと使い始めた。
他にはまだ誰も使えなかったのだ。
手書きの資料に定規で線を引き、電卓で計算し、会議資料を作成していた時代だ。
それをエクセルで作り始めたのだ。今では当たり前の作業だ。
ところがそれを見た当時の上司に一言言われた。
「パソコンを使っていれば仕事をしていると思ったら大間違いだ」
今からすれば、写真を撮られると命を取られると恐れる未開人のような発言だ。
自分が今までやってきたやり方に対する自信があり、自分の使えないモノに対するやっかみ・不信というものがあったのだろう。だが、その時新しいものに対して興味をもって、本当に有用なのかどんな風に使ったらいいのかと考えてみる姿勢があったら、15年たって笑われる事もなかったはずだ。ツイッターだって10年たったらどうなっているかわからない。
では私がやるかというと、それはまた別の話。残念ながら今はそんな時間はない。ブログまでで精一杯。「ガイアの夜明け」「カンブリア宮殿」と楽しみにしてるテレビもビデオに撮ったまま溜まっているし、WOWOWで録画した映画のストックは50本を越えているし、読みたい本のリストは長くなるばかりだし、ブログだって毎日更新できずにいるし、それ以上に毎日時間を割いてやっているある事ももっと時間をかけたいし、睡眠時間だって4時間半は確保したいし・・・
ツイッターどころではないし、もちろんミクシィだって同じ理由で手を出していない。
だが、興味はもってアンテナは張っている。機会があれば話を聞いているし、そうする事でいざ始めるとなっても抵抗なく始められるようにしているのだ。世の中は進化しているし、気が付いたら銀行のATMのそばに寄れないお年寄りのようにはなっていたくないからだ。
これからますます頭は固くなる一方で、世の中はどんどん進歩する。
iPadって何?とか言っているとあっという間に世の中から取り残されてしまう。
わからない事は恥ではないからその場でどんどん教えてもらうようにするつもりだし、見ざる聞かざるにはならないようにしたい。おもちゃ売り場に行った時の長男のあのキラキラした眼差しを、私もいつも持っていたいと思うのである・・・
【本日の読書】
「ちっちゃいけど世界一誇りにしたい会社」坂本光司
「眠れぬ真珠」石田衣良
最近だいぶ利用人口が増えてきたが、10人ほど集まった40代の中では利用者は一人のみであった。
そういう私も興味を持ってはいるものの、やるところまではいっていない。
始めたばかりの者が内容を語り始めたところで、別の者が否定的な発言を始めた。
もちろん、その人物はツイッターをやっていない。
実は同じような否定的な声は耳にしたりする。
そうした指摘が間違っているとは言えないが、その時昔のあるシーンがフラッシュバックしてきた。
まだパソコンが普及し始めた15年ほど前の事だ。
当時の職場にも1台パソコンが設置された。
一人一台ではなく、職場に一台ののどかな時代だ。
私は既にだいぶ使いこなしていたから、さっそくあれこれと使い始めた。
他にはまだ誰も使えなかったのだ。
手書きの資料に定規で線を引き、電卓で計算し、会議資料を作成していた時代だ。
それをエクセルで作り始めたのだ。今では当たり前の作業だ。
ところがそれを見た当時の上司に一言言われた。
「パソコンを使っていれば仕事をしていると思ったら大間違いだ」
今からすれば、写真を撮られると命を取られると恐れる未開人のような発言だ。
自分が今までやってきたやり方に対する自信があり、自分の使えないモノに対するやっかみ・不信というものがあったのだろう。だが、その時新しいものに対して興味をもって、本当に有用なのかどんな風に使ったらいいのかと考えてみる姿勢があったら、15年たって笑われる事もなかったはずだ。ツイッターだって10年たったらどうなっているかわからない。
では私がやるかというと、それはまた別の話。残念ながら今はそんな時間はない。ブログまでで精一杯。「ガイアの夜明け」「カンブリア宮殿」と楽しみにしてるテレビもビデオに撮ったまま溜まっているし、WOWOWで録画した映画のストックは50本を越えているし、読みたい本のリストは長くなるばかりだし、ブログだって毎日更新できずにいるし、それ以上に毎日時間を割いてやっているある事ももっと時間をかけたいし、睡眠時間だって4時間半は確保したいし・・・
ツイッターどころではないし、もちろんミクシィだって同じ理由で手を出していない。
だが、興味はもってアンテナは張っている。機会があれば話を聞いているし、そうする事でいざ始めるとなっても抵抗なく始められるようにしているのだ。世の中は進化しているし、気が付いたら銀行のATMのそばに寄れないお年寄りのようにはなっていたくないからだ。
これからますます頭は固くなる一方で、世の中はどんどん進歩する。
iPadって何?とか言っているとあっという間に世の中から取り残されてしまう。
わからない事は恥ではないからその場でどんどん教えてもらうようにするつもりだし、見ざる聞かざるにはならないようにしたい。おもちゃ売り場に行った時の長男のあのキラキラした眼差しを、私もいつも持っていたいと思うのである・・・
【本日の読書】
「ちっちゃいけど世界一誇りにしたい会社」坂本光司
「眠れぬ真珠」石田衣良
2010年5月27日木曜日
怖い親父として
義祖母の葬儀に出掛ける朝の事、出発間際で5歳の長男がぐずぐず言いだした。
何が不満なのかよくわからないが、このところ時々こうしたわけのわからないぐずりが出る。
怒っても最近はあまり効果がない。
それどころか、逆ギレしてこちらを叩いてきた。
こうなるとこちらも実力行使に出るしかない。
というわけで頬を叩いた。
私は自分より明らかに体格の劣る者に対しては、当然の事ながら手をあげるという事はない。
どんなに頭に来てもそこらへんは冷静だ。
だが子供に対しては、「しつけ」という意味もあるからそうも言っていられない。
長女に対しては、過去9年間で一度だけ引っ叩いたが、長男に対してはもうすでに何回かある。
こういう時は頬を張る事が多い。
お尻を叩くという考えもあるが、やっぱりインパクトが違うだろうと思うのだ。
とはいえそこは加減も必要。
利き腕の右手ではなく、いつも左手にしている。
しかも叩いた腕を振り抜いたりなどしたら、ひっくり返って頭を打ったなどとなったら大変。
だから振りあげる事はせず、近距離からぺちっという感じだ。
今回は長男が動いたせいもあって少し手元がずれた。
私の指が長男の鼻をかすめたのだが、そのため鼻血が出てしまった。
妻が「何感情的になってんのよっ!」と烈火の如くどなり散らしてきたが、感情的になっていたのは妻だけで、私は極めて冷静だった。
それに妻が怒ったのは長男に鼻血を出させた為というよりは、むしろそれによってお出かけ用のシャツとずぼんが血だらけになった為なのだ。
まあ手応えからして大したことではないとわかっていたし、ただの鼻血だからどうって事はないと私は気にもしなかった。それよりも「ぐずぐず言うと親父に引っ叩かれる」という印象を子供に与える事の方が大切だ。
よく子供とは友達感覚で、なんて事を耳にするが、やっぱり親子は親子だ。
振り回すつもりはないが、「親父の権威」というものも必要だろう。
そう言えば私は子供の頃親に引っ叩かれたという記憶があまりない。
もう忘れてしまっただけなのかもしれないが、それも悪い事ではない。
ただやっぱり人間何でも思い通りになるとなれば人格は歪む。
それが子供となればよけいにそうである。
これを越えたら親父に殴られると思えば、それは自制心を養う事にもなるだろう。
「親父は普段おとなしいけど怒らせると怖かったな」
大人になって子供たちがそう思い返してくれたら本望だ。
まだ鍛えているし、高校生くらいまでならまだ力で抑えられるだろうし、怖い親父でいられるだろう。とは言うものの、子供たちに我が家で一番怖いのはと尋ねたら、たぶんママと答えるのだろう。
それには私もしかたなく一票を投じざるを得ないのである・・・
【本日の読書】
「ちっちゃいけど世界一誇りにしたい会社」坂本光司
「眠れぬ真珠」石田衣良
何が不満なのかよくわからないが、このところ時々こうしたわけのわからないぐずりが出る。
怒っても最近はあまり効果がない。
それどころか、逆ギレしてこちらを叩いてきた。
こうなるとこちらも実力行使に出るしかない。
というわけで頬を叩いた。
私は自分より明らかに体格の劣る者に対しては、当然の事ながら手をあげるという事はない。
どんなに頭に来てもそこらへんは冷静だ。
だが子供に対しては、「しつけ」という意味もあるからそうも言っていられない。
長女に対しては、過去9年間で一度だけ引っ叩いたが、長男に対してはもうすでに何回かある。
こういう時は頬を張る事が多い。
お尻を叩くという考えもあるが、やっぱりインパクトが違うだろうと思うのだ。
とはいえそこは加減も必要。
利き腕の右手ではなく、いつも左手にしている。
しかも叩いた腕を振り抜いたりなどしたら、ひっくり返って頭を打ったなどとなったら大変。
だから振りあげる事はせず、近距離からぺちっという感じだ。
今回は長男が動いたせいもあって少し手元がずれた。
私の指が長男の鼻をかすめたのだが、そのため鼻血が出てしまった。
妻が「何感情的になってんのよっ!」と烈火の如くどなり散らしてきたが、感情的になっていたのは妻だけで、私は極めて冷静だった。
それに妻が怒ったのは長男に鼻血を出させた為というよりは、むしろそれによってお出かけ用のシャツとずぼんが血だらけになった為なのだ。
まあ手応えからして大したことではないとわかっていたし、ただの鼻血だからどうって事はないと私は気にもしなかった。それよりも「ぐずぐず言うと親父に引っ叩かれる」という印象を子供に与える事の方が大切だ。
よく子供とは友達感覚で、なんて事を耳にするが、やっぱり親子は親子だ。
振り回すつもりはないが、「親父の権威」というものも必要だろう。
そう言えば私は子供の頃親に引っ叩かれたという記憶があまりない。
もう忘れてしまっただけなのかもしれないが、それも悪い事ではない。
ただやっぱり人間何でも思い通りになるとなれば人格は歪む。
それが子供となればよけいにそうである。
これを越えたら親父に殴られると思えば、それは自制心を養う事にもなるだろう。
「親父は普段おとなしいけど怒らせると怖かったな」
大人になって子供たちがそう思い返してくれたら本望だ。
まだ鍛えているし、高校生くらいまでならまだ力で抑えられるだろうし、怖い親父でいられるだろう。とは言うものの、子供たちに我が家で一番怖いのはと尋ねたら、たぶんママと答えるのだろう。
それには私もしかたなく一票を投じざるを得ないのである・・・
【本日の読書】
「ちっちゃいけど世界一誇りにしたい会社」坂本光司
「眠れぬ真珠」石田衣良
2010年5月24日月曜日
義理の祖母の葬儀
大阪に住んでいた義理の祖母が亡くなった。
この週末はその葬儀だった。
私も家族とともに大阪へ行ってきた。
私が結婚した当時は、孫娘のダンナが来たという事で、妻の実家に行くたびに祖母はやって来て一緒に食卓を囲んだ。私と一緒にビールを一缶開けるのが楽しみだという人であった。そんな風に祖母が喜ぶ姿は、血はつながっていなくとも、私にはなんとなく嬉しいものであった。
しかし、ここ何年かは認知症でまともな会話はできなくなっていた。
最後は身内の者でさえ誰だかわからなくなってしまっていた。
晩年の姿を見ていたら、つくづく人間は感情の動物なのだと思わされた。
そこにいるのは同じ人間なのに、あの祖母はそこにはいなかったのだ。
祖母は第1次世界大戦終結の翌年に生まれ、激動この上ない昭和の時代を生きて、3人の子供と6人の孫と12人の曾孫を残した。義母は長女であるが、そのすぐ下の弟とは8歳の年齢差がある。年の割りに子供が少ないのは、私は会うこともなかった義理の祖父が長い期間戦争に行っていたからのようだ。
その祖父はといえば、多数の戦死者を出した有名なインパール作戦の生き残りだったそうである。そんな貴重な体験をした人とは是非話をしたかったと思うのだが、会う事もなく終わってまったく残念である。戦争が終わって帰ってきた祖父に、義母が初めて会ったのは5歳の時だったそうである。その時の光景は今でも義母の脳裏に焼き付いているらしい。時代とはいえ、6年近くも家族とは離れ離れだったわけだ。戦争中は大阪も空襲があったし、幼子を抱えた祖母はかなり不安な日々を過ごしたに違いない。
そんな話を聞くと、話にしか聞く事のできない時代の一組の夫婦のドラマチックな物語を想像してしまう。もっともずっとあとになって、実は祖母には別に想っていた人がいて、その人の事をずっと忘れられずにいたのだという話を聞いた。ちょっと祖父が気の毒な気もするが、人生ってそんなものであり、またそんな人生だからこそ、真実に勝るドラマはないのかもしれない。
認知症になって子供たちのことも孫たちのことも、一時は喜んで迎えた孫娘のダンナの事もわからない世界に行って、そんな祖母の秘められ思い出はどうなってしまったのだろうとふと思う。
「心」と言っても生物学的には脳味噌の活動の結果であり、そこがイカレテしまうともうそれっきりで、死んだらすべてが無に帰してあとには何も残らない。それが現実なのかもしれないが、やっぱり心は肉体とはどこか別のところにあるようにも思える。
そんな思いからたぶん宗教なんかは生まれてきたのだろう。
お経をあげてくれたお坊さんは、「故人は西方の浄土へ帰られました」と語ってくれた。
そう考えると残された者は何となく落ち着くし、だからこそ宗教は長い年月信じられ、受け継がれてきているのかもしれない。もっとも深く考えると、浄土で祖父と誰だか知らない想い人と再会して祖母はどんな顔をしているのだろうかと、想像の幅は広がっていく。
祖母は91年の人生を生きた。
日本人の平均余命からすると、私は人生の折り返し地点を通過している。
残りの人生がどんなものか、老人となった自分はどんな暮らしをしているのか興味は尽きないが、それを決めるのはこれからの自分自身。願わくば最後の瞬間までしっかりと目を見開いて、周りの世界を見つめていたいものだと思うのである・・・
【本日の読書】
「ちっちゃいけど世界一誇りにしたい会社」坂本光司
「マドンナ」奥田英朗
この週末はその葬儀だった。
私も家族とともに大阪へ行ってきた。
私が結婚した当時は、孫娘のダンナが来たという事で、妻の実家に行くたびに祖母はやって来て一緒に食卓を囲んだ。私と一緒にビールを一缶開けるのが楽しみだという人であった。そんな風に祖母が喜ぶ姿は、血はつながっていなくとも、私にはなんとなく嬉しいものであった。
しかし、ここ何年かは認知症でまともな会話はできなくなっていた。
最後は身内の者でさえ誰だかわからなくなってしまっていた。
晩年の姿を見ていたら、つくづく人間は感情の動物なのだと思わされた。
そこにいるのは同じ人間なのに、あの祖母はそこにはいなかったのだ。
祖母は第1次世界大戦終結の翌年に生まれ、激動この上ない昭和の時代を生きて、3人の子供と6人の孫と12人の曾孫を残した。義母は長女であるが、そのすぐ下の弟とは8歳の年齢差がある。年の割りに子供が少ないのは、私は会うこともなかった義理の祖父が長い期間戦争に行っていたからのようだ。
その祖父はといえば、多数の戦死者を出した有名なインパール作戦の生き残りだったそうである。そんな貴重な体験をした人とは是非話をしたかったと思うのだが、会う事もなく終わってまったく残念である。戦争が終わって帰ってきた祖父に、義母が初めて会ったのは5歳の時だったそうである。その時の光景は今でも義母の脳裏に焼き付いているらしい。時代とはいえ、6年近くも家族とは離れ離れだったわけだ。戦争中は大阪も空襲があったし、幼子を抱えた祖母はかなり不安な日々を過ごしたに違いない。
そんな話を聞くと、話にしか聞く事のできない時代の一組の夫婦のドラマチックな物語を想像してしまう。もっともずっとあとになって、実は祖母には別に想っていた人がいて、その人の事をずっと忘れられずにいたのだという話を聞いた。ちょっと祖父が気の毒な気もするが、人生ってそんなものであり、またそんな人生だからこそ、真実に勝るドラマはないのかもしれない。
認知症になって子供たちのことも孫たちのことも、一時は喜んで迎えた孫娘のダンナの事もわからない世界に行って、そんな祖母の秘められ思い出はどうなってしまったのだろうとふと思う。
「心」と言っても生物学的には脳味噌の活動の結果であり、そこがイカレテしまうともうそれっきりで、死んだらすべてが無に帰してあとには何も残らない。それが現実なのかもしれないが、やっぱり心は肉体とはどこか別のところにあるようにも思える。
そんな思いからたぶん宗教なんかは生まれてきたのだろう。
お経をあげてくれたお坊さんは、「故人は西方の浄土へ帰られました」と語ってくれた。
そう考えると残された者は何となく落ち着くし、だからこそ宗教は長い年月信じられ、受け継がれてきているのかもしれない。もっとも深く考えると、浄土で祖父と誰だか知らない想い人と再会して祖母はどんな顔をしているのだろうかと、想像の幅は広がっていく。
祖母は91年の人生を生きた。
日本人の平均余命からすると、私は人生の折り返し地点を通過している。
残りの人生がどんなものか、老人となった自分はどんな暮らしをしているのか興味は尽きないが、それを決めるのはこれからの自分自身。願わくば最後の瞬間までしっかりと目を見開いて、周りの世界を見つめていたいものだと思うのである・・・
【本日の読書】
「ちっちゃいけど世界一誇りにしたい会社」坂本光司
「マドンナ」奥田英朗
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