2009年3月31日火曜日

世界のニュースより

【カイロ和田浩明、エルサレム前田英司】
スーダンのサレム運輸相は26日、同国北東部で1月、パレスチナ自治区ガザ地区に密輸する武器を運搬していた車列が外国軍機の攻撃を受け、死者が出ていたと明らかにした。AFP通信が伝えた。米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は米当局者の話として、武器密輸の阻止を図るイスラエル軍の空爆だったと伝えた。        (毎日新聞)
****************************************
世界では見知らぬところで見知らぬ事件が毎日起こっている。すべてが報道されるわけでもないが、報道されていても目に留まらないこともある。上記のニュースもそんな一つであろう。

イスラエルは1948年、2000年にわたる放浪の末にようやく建国できたユダヤ人の国。
だが、その建国によって土地を追われたパレスチナ人やアラブ人と敵対し、血で血を洗う紛争を繰り返してきている。少しずつ和平のプロセスは進んでいるが、いまだ国境を接するシリア・レバノン(ヒズボラ)とは一触即発の状態だし、国内ではガザでの紛争は終結したとはいえまだ湯気が出ている状態である。

そんなイスラエルは、これまでにも「攻撃は最大の防御なり」を徹底している。
古くは遠く離れたイラクの原子炉を空爆したし、近年でもシリアへの空爆が行われている。
イランの原子炉空爆の噂もちらほら出ている。
イラク原子炉の空爆は、同国が核武装する事を未然に防ぐためであったが、紛争の真っ最中という状態でもないのにやってしまうところが日本の感覚とはかけ離れている。

今回の空爆も国境を接しているわけでもないスーダンへ、わざわざ飛行してのものである。
しかも固定目標ではなく車列という移動目標だ。
おそらくイスラエルの情報機関モサドが情報を収集した上で実行したのであろうが、実際に武器が自国内に運び込まれる前に叩いてしまうというところがなかなか凄いところだ。
北朝鮮の「人工衛星」を迎撃するのしないのと言って大騒ぎしている我が国とはスケールが違う。
そのスケールの違いはしかし喜ばしいものでもある。
それだけ我が国が平和であるという証だからである。

空爆行為を非難するのは簡単である。
だがいずれ武器が国内に持ち込まれ、ゲリラの手に渡れば自国民が危険に晒される。
それを未然に防ぐのはむしろ当然というべきである。
自国民を危険から未然に防ぐ仕組みのない我が国とは対照的だ。

しかし空爆で死んだ人達もまた悲劇だ。
密輸しようとしたパレスチナゲリラは直接武器を生産できないから買うしかない。
購入資金はイランとかシリアとかのアラブ諸国から出ているのだろう。
買おうとしても直接生産国から買えないから、スーダンなどを経由して買うわけである。
やはり内戦状態で貧しいスーダンはそれで稼ぐのだろう。
ソマリアの海賊と同じでそれしか生活の手段がなければ誰でもやるだろう。
誰が正しくて誰が悪いという図式はそこにはない。

毎日毎日が平和な日常生活。
ただそれは世の中すべてがそうだというわけではない。
遠く離れた他所の地域の事に対する感心は失われがちだ。
だが、それらの現実も事実は事実として捉えて、せめて心のどこかに留め置いて平和な毎日を楽しみたいと思うのである・・・
    
   

2009年3月29日日曜日

ランチタイム

   
   
昼休み、その時ちょうどパスタを食べていた私におじさん同僚が話しかけてきた。
「そういえば今日はメニューにパスタってありましたね、だけど何でスパゲッティをパスタって言うんですかね?」
言われてみればその通り。
いつから「パスタ」って言うようになったんだろう。

考えてみればそういう例は他にもある。
「パンツ」と言えば最近は「ずぼん」の事だ。
逆に下着という意味では「インナー」だ。
「パンツ」とか、ましてや「パンティー」などとは言わないし、「パンティー」などはもう死語になっているんではなかろうかと思うほどだ。

「ケーキ」はどうやら「スイーツ」だ。
流行には疎い私でも何とかついていっている。
何でなんだろうかと思うがよくわからない。
総じて女性向けのお洒落な言葉がそのまま広まったように思っている。

確かに「パンツ」などは女性では口にしにくいかもしれない。
ましてや「パンティー」などは、書いている私でも赤面してしまうくらいだから尚更だ。
「ショーツ」だとか「インナー」だとか言えば赤面しなくてもすむ。
だがもうじき4歳になる我が家の息子が、「ママ、お漏らししてインナーぬらしちゃった」などと言えば頭を小突かないといけない。
やはり大人の女性用語なのだろう。

最近は、女性が世の中の流行をすべて作り出していると言っても過言ではない。
わが勤務地でも「丸の内OL」が幅を利かせて街を闊歩している。
そうしたネーミングが世の中に伝わるのも無理はない、と私流に分析している。

ネーミングと言えば、かつて関西人の妻に「東京の人間は気取っているというイメージがある」と言われた事がある。もちろん、イメージなのだが、それを実感したのは大阪でドライブに行った時の事だ。南港という大阪ではちょっとしたおしゃれな港町にかかる大きな橋を渡ったのだ。カップルのデートにはぴったりの橋で、東京の「レインボーブリッジ」か横浜の「ベイブリッジ」に匹敵するその橋の名前は、

「かもめ大橋」。

のどかな潮風が心に優しく吹いてきそうではないか・・・
気取っていると言われるわけである。

さて気取っているかどうかはともかく、結局いつのまにやらそういう呼び名が広まっているのは確かである。周りに目を向ける事を怠っていると、世の中の動きからずれたおじさんになってしまいそうである。同僚達と昼メシに行くのもいいが、たまには女性陣とランチにでも行かないといけないかもしれないと心密かに思うのである・・・
   
   

2009年3月27日金曜日

チームワークという名の迷信

WBCでは大分盛り上がった。
2連覇の要因としては、やはり世界に通じる一流プレーヤーが多くなってきたという事だと思う。
それが一番の要因だろう。

日本人は聖徳太子の時代から「和をもって貴し」を重視する民族だ。
だからいきおい、「チームワークの勝利だ」とか、「個よりもチーム」という精神が重要視される。
それはそれで悪くはない。

だが、「どうしたら強いチームになるか」という事を考えた場合、一番肝心な事が抜け落ちる事がしばしばある。それは、チームが強くなるには「個人のレベルアップがまず必要である」という当たり前の理屈だ。

「チームワークによって1+1を3にする」という考え方は確かに美しい。
だが実のところ、本当に3になるかどうかは怪しい。
それよりも大事なのは、「1の力を1.5にする」という事である。
そうすれば、無理をしなくても1.5+1.5=3となる。
さらに1+1が3になるのであるならば、1.5+1.5は5になるはずである。

サッカーの中田英寿は、若い頃しばしば味方の取れないパスを出したそうである。
しかし、それは実は絶妙のコースへ出したパスで、味方がそこに追いつきさえすればゴールというものだったという。
「味方の取れないパスを出すプレーヤー」か、「絶妙のパスに追いつけないプレーヤー」か。
視点をどこに置くかでチームのレベルが違ってくる。

我が出身高校のラグビー部では、私の在籍中個人プレーを諌める事がしばしあった。
一人で敵陣に切り込んだプレーヤーに対し、「一人で行くな」と注意されたのだ。
一人になると数に勝る敵にボールを奪われる、だからチームでまとまって攻めなければならない。
当時は疑問に思わなかったが、これも実はおかしな事であった。
なぜなら一人で切り込んでいったプレーヤーに対し、本来であれば彼が孤立するのを防ぐべく、味方が必死にサポートしてついていかないといけないからだ。
後に残って「一人で行くな!」と叫んでいる暇があったら、必死になって追いつくべきなのだ。
「中田の出すパス」に必死に食らいつかないといけなかったのだ。
「チームプレー」という美しい言葉の前に、本来やるべきプレーを見失っていたのだ。

WBCに終結した一流メンバーは、一流ゆえにチームプレーも簡単にできる。
それは各々が、一流の個人プレーヤーとして確立されているからだ。
個人技を極める事こそが、チームプレーを極める事にもつながるのだ。

ラグビーの本場ニュージーランドでは、チームの練習時間が日本よりも短い。
みんな個人個人が必要な練習を自分でこなすそうだ。
そうして全体でしかできない練習をチームで集中してやるという。
個として確立されているがゆえの結果だ。

「チームよりもまず個人」
これからのスポーツ指導者にとって、覚えておかなければならない事である・・・

       

2009年3月24日火曜日

I Love Baseball 2

今日はWBCの話題で、いろいろなブログがもの凄く盛り上がっているようである。
野球で若者がそれほど盛り上がるのは何だか嬉しい気分だ。それと卒業シーズンのこの時期に日の丸で盛り上がる意味は大きい。

キューバ・アメリカと連覇して、最後に韓国を叩いての2連覇は実に気分がいい。私の職場でも同僚がPCの横にワンセグを置いて、ずっと横目で見て仕事していた。
(どの程度していたかは疑問だ)
ただ残念なのは、ベースボール超大国アメリカが、WBCを小ばかにして本気で参入してこないことだ。
熱気溢れる日韓が決勝というのも、本当は問題があるところだ。

結局、韓国とは5回やって3勝2敗。
クライマックスシリーズも5戦だからちょうど日韓シリーズだと思えばいいのかもしれない。
毎年日本シリーズのあとにやったら面白いかもしれないと思ったりする。それよりも、昔は日本の足元にも及ばなかった韓国が確実に強くなっている。事実は事実、脅威は脅威だ。

そういえば春の選抜も始まった。
驚いた事に高校の硬式野球部員数は、昨年5月末時点で過去最高の16万9,298人に達しているそうだ。少子化の中にあっても野球人気は衰えていないのだ。
(それに比べてラグビーは危機的状況だ)
テレビ放送は少なくなっているものの、メジャー進出やWBCの影響なのだろうか。

何にしても底辺からの盛り上がり、これが国力となる事は間違いない。
ニュージーランドがなぜ世界のラグビー界で王者となっているかと言えば、子供の頃から誰もがやるからだ。オールブラックスの選手になるべく、みんなが子供の頃から切磋琢磨する。それがラグビー王者としての国力になっている。日本の野球もそれに近い。

欲を言えば、日本の野球も高校野球の坊主頭がなくなればもっと進化できると思う。
あれは自由な発想を阻む悪しき風習だ。高校野球の枠の中だけだと松坂のようなタイプは出てきても、かつての落合や野茂のようなタイプは出てこない。大勢に逆らってでも己を通すタイプがもっと出てこないと、超大国アメリカが真剣になったら勝てないだろう。日本の野球に必要なのはもっと野茂や落合タイプの選手が増える事なのだ。

勝って兜の緒を絞めて、是非とも次に臨んでもらいたいと思うのである・・・

    

2009年3月22日日曜日

晴れ男

私は晴れ男である、と自認している。
そう思わずにはいられない経験を繰り返しているからなのである。だが、我が家にはそれを頑なに拒絶する一人の女性がいる。
彼女曰く、「だって○○の時も、△△の時も雨だったじゃない」。

確かにそれはそうなのである。
今回の3連休も前半で1泊2日の旅行に行ってきたのだが、天気予報で「雨」と報じられるたびにため息混じりに、「俺は晴れ男だなんて言わないでよね」と五寸釘を刺されてしまった。そして実際、雨は降った。

しかし、である。
晴れ男も考えようなのだ。
実際私がどんなに頑張ったところで天候には何の影響力も持ち得ない。
それは誰でもがそうである。

しかし、しかし、である。
今回は、東京湾アクアラインの海ほたるに着いた途端に雨が降り出した。
前回は海ほたるを見学する事自体が目的であったが今回は違った。
だから雨でも影響は何もなかったのだ。

車で移動している時もそうだ。
イチゴ狩りをはじめた時も雨であったが、イチゴ狩りはビニールハウスの中だ。
雨音が激しくハウスを降り叩くが、中では何の影響もない。
それどころか昼食時には雨は上がった。
そして房総のフラワーラインは海を見ながら快適にドライブできたし、足を留めた野島崎灯台では外を見学できた。さらに雨上がりに雲間から日の光が降り注ぐ幻想的な景色も眺められた。
一日戸外で過ごす予定であった翌日は、朝からこれでもか、という快晴だ。

こういう事は過去にも数多くあった。
何も晴れ男と言ってもいつも朝から快晴、というわけではない。
ここぞ、というイベントの時は「最悪でも必要な時には雨が降らない」のだ。
雨の中ドライブしていて、目的地に着いたところで雨がやみ、また走り出した時に雨が降り出した、という事もあったのだ。天気になど影響力を何も及ぼせない私であるのに、である。
これは何か目に見えないツキとしか言いようがない。

そう強力に主張したいところはやまやまなのであるが、敢えて家庭内では反論しない事にした。
そんなの自分だけで満足していればいい話だし、わざわざ真っ向から主張して嵐を招く事もない。
私は「晴れ男」であって、「嵐を呼ぶ男」ではないのである。

家庭内がいつも晴れているようにする事だけは、天気と違ってコントロールできる。
やっぱり私は「晴れ男だ」と、世界の中心で叫びたいと思うのである・・・
   
   

2009年3月19日木曜日

心待ち

「花看半開、酒飲微酔、此中大有佳趣」
(花は半開を看る、酒は微酔に飲む。この中大いに佳趣あり)・・・菜根譚
**************************************

 段々と暖かくなってきた。
暦の上ではもう春だし、予報によれば早ければあと数日で東京にも桜が咲き出すらしい。
この時期、満開の桜の花が咲き誇る様を思い起こすと心が自然とウキウキしてくる。
桜の花に心を馳せるところは、私もしっかりと日本人のアイデンティティーが根付いているなと感じてしまう。
 
 実際に満開の桜を眺めるのはもちろん心洗われるのだが、その前の今の時分の雰囲気も好きだ。何せ桜は咲いたらすぐに散ってしまう。ようやく待っていた「その時」には、すでにカウントダウンが始っている。その儚さも桜の魅力なのだが、だからこそ、今の時分もいいのだと思う。
 
 何かイベントを控えている時、そのイベントそのものもそうであるが、それを心待ちにして過ごす瞬間もまたいい。そういえば大学4年の夏の終わり、最後のシーズンを前にしてグラウンドを眺めた時の事を思い出す。公式戦が始れば勝ち負けに夢中になる日々。そして結果が出た時はもうそれでおしまい。卒業して毎日顔を合わせていた仲間たちともバラバラになる。2度と同じチームで同じ時間を過ごす事はない。そう思うと何だかワクワク感とともに寂寥感を感じたのだ。
できればずっと今この瞬間を味わっていたい、と。

楽しみにしている旅行に行く前とか、デートの前とかもそうだ。
1週間で言えば金曜日の仕事を終えた後の雰囲気だ。
楽しい一時を心待ちにしている瞬間に愛おしさを感じるのである。
楽しみなイベントはなるべくゆっくりとやってきてほしい。
心待ちにする一時をゆっくり楽しみたい。
そう感じる3連休前夜である・・・
   

2009年3月17日火曜日

プリウス

ここのところ街でよくプリウスを見かける。
朝出勤時に近所の家に1台から始まり、日中外に出ると必ず何台かは見かける。
タクシーにも登場している。
今、世の中はエコエコエコの大合唱。
だから環境に貢献しているというPRになるのだろう。タクシー会社なんかはとくにそうなのだろう。

それだけではなく、やっぱりガソリン代の節約という面も大きいのだろう。昨年ガソリン代が高騰した時にはさすがに泡食った。いつもと同じように、いつもと同じくらいに入れたのに、2倍近い請求がきた。タクシー会社の社長さんなんかは頭を抱えたであろう。だからガソリン代を節約するため、エコを隠れ蓑にプリウスを導入したのかもしれない。

そう言えば、かのブラッド・ピットもプリウスに乗っているとか。
こちらはガソリン代などというけち臭い事はないだろうから、純粋にエコPRだろう。
ただ、そのわりにプライベート・ジェットをバンバン乗り回しているから意味ないじゃんという批判もあるらしい。まあそれはともかくブラピが乗る、という効果も大きいだろう。

最近はホンダもインサイトを出して追随。
こちらは車体価格が200万円を切っていてプリウスよりも買いやすいから、売れている秘訣は間違いなく車体価格だろう。やっぱりみなさん節約しているようだ。

そういう我が家の愛車はマツダのプレマシー。(写真と同じ赤だ)
私はもともと車には拘らない。
何てったって初めて買った車が13万円のマーチというくらいだから。
幸い乗り心地が良くて気に入っている。
環境の事も考えてはいるが、車は当分替える予定はない。

でも環境に優しくても、ガソリン代がかからなくても何となくプリウスやインサイトには乗りたいと思わない。拘らないわりには矛盾しているが・・・
我が家のエコカー導入はまだまだ遠い未来の事である・・・
   
   

2009年3月15日日曜日

ポジティブ・シンキング

   
私はかなり物事を楽観的に考える。
というかそのように努めているという方が正確であろう。
よく例えで半分水の入ったコップの例が使われる。
それを「半分しか入っていない」と捉えるか、「半分も入っている」と捉えるかというやつである。
私は後者である。

コップに「半分しか」入っていないと考える人は、コップに水が一杯になっている状態が念頭にある。しかし「半分も」と考える人は、それがカラの状態だ。カラである事を考えれば、まだ半分も入っていていいじゃないかと考えられるのである。

もちろん、下を見て満足するのはいかがなものかという考え方もある。
「あそこまで行きたい」という欲望こそが成長の源泉である事も間違いではない。
不足分を補おうとする事は大事な事だ。
だからそういう健全な考え方にもっていけるのならそれでいいだろう。

しかし、やっぱり「半分しか入っていない」という事を嘆く人はいるものであり、そんな例を身近に見るとそんなに悲観的になるほどではないのにと思うのである。
「半分しか」でも「半分も」でも、どちらであっても前向きであるならばそれでいいのだ。
要はどんな状況下にあっても「まだまだマシだ」と思えるか、であると思う。

4年前に妻と子供が同時に別々の病院に入院する事になり大いに慌てたことがあった。
厄年を前にして不幸の始りかと一瞬考えた(親にもそう言われた)。
仕事に行って定時に帰り、子供の病院に顔を出す。
休日は東京の西と東に離れた二つの病院の間を行き来した。
慌しく落ち着かない毎日だった。

しかし職場環境に恵まれ、休みも遅刻も早退も好きなようにしてよいと言ってもらえたから仕事の心配はしなくて済んだ。両親も健在だったし、同じ国内だったから手伝いに来てもらえた。何より「アメリカに移植手術を受けに行かなくてはならない」、などというとんでもない事態とはまったく違っていた。たかが1~2週間の入院だった。我が身の不幸を嘆く要素などどこにもなかった。そう考えられたから気持ちは楽だった。

3年前に仕事で大きな失敗をして毎日が針の筵だった時もそうだ。
毎朝会社に行くのが嫌で、あの時は鬱になる人の気持ちがよくわかった。
「その不幸を何か他のものと交換してやろう」と尖ったシッポをはやした悪魔が提案してきたら、歓迎していたかもしれない。だけど「他のもの」が、例えば家族の不幸だとしたらとんでもない。
そんな事態よりは自分で背負える今の不幸の方がはるかに楽だと思ったから、逃げずに正面から事態に向き合えた。

金融危機の時、銀行の経営が傾いてボーナスカットになった時も、「8割カット」と嘆かずに「2割支給」と考えようと、同僚たちには半ば自虐的に呼びかけた。
取引先の中にはボーナスなど出ないどころか、給与もカットなどというところがあったのだ。
苦境にある時はそこを抜け出す努力とあわせて、いかに楽観的でいられるかがピンチを脱するカギだと思う。

考えてみれば、こんなに恵まれた現代の日本に暮らしている事自体がかなりの幸運だ。
毎日今日も何も良い事がなかったと嘆くならば、今日も何も悪い事がなかったと喜びたい。
明日は良いことがあるだろうかと案ずる前に、今日を無事に終えて明日を迎えられる事を素直に喜びたい。

これからもいろいろな試練の弾が飛んでくるに違いない。
倒れたとしても前に倒れられるように、やるだけやってだめなら笑ってごまかせるように、いつでも前向き、楽観的に生きたいと思うのである・・・
     

2009年3月12日木曜日

贈り物

   
バレンタインデーのお返しをするのもすっかり定着した昨今、あちらこちらの売り場はホワイトデー一色になってきている。プレゼント選びが大の苦手ときている私としては、できる限り避けて通りたいところである。

今年も大阪に住む義母と義妹とからバレンタインのチョコが送られてきた。
面倒くさいからネットで適当に送ろうかなどと考えていたら、先に妻から請求書が回ってきた。
なんでも欲しかったお菓子があって、それをくれと言われて送ったとの事だった。
表向きは忙しい私によけいな面倒をかけさせたくないとの思いやりだが、本当は私に(適当に)選んでほしくなかっただけなのではないかと、思わずにはいられない。
どちらにしろ「私に選ばせないように」という配慮には違いないから、素直に感謝した。

とはいえ「現役の」人達はたいへんだろう。
プレゼントにふさわしい品物は何かを、義理と本命のそれぞれのケースについて聞いたアンケート結果では、義理では男女ともクッキーが第1位となり、以下ケーキ、キャンデー、チョコレートなどの菓子類が並んだそうである。本命では、1位から5位までが「アクセサリー」「レストランで食事」「花束」「バッグ、財布など」「宝石、指輪」と、男女の回答が完全に一致し、義理とは完全に商品性が異なっているから面白い。

尚、女性にとってこれまでもらったプレゼントの中で感動したものとしては、「花束」「指輪」などがあり、逆に困ったものとしては「下着」、そして「好きでもない人からの高価なプレゼント」などだそうである。「花束」を贈った事はあるが「指輪」や、当然の事ながら「下着」は経験はない。

また、男性に同様の質問をしたところ、感動したもの、困ったものいずれも「手作りのもの(チョコレート、セーターなど)」が大勢を占めるという結果だそうである。
手作りのプレゼントは、心がこもっているからこそ諸刃の剣になってしまうのだろう。
でもやっぱり手作りのプレゼントはあげたいし、もらいたいものだろう。
例え諸刃の剣であったとしても・・・

私も手作りのプレゼントをあげた事が、実はある。
あの時は悩んだものである。
編み物ができるわけでもないし、ピアノも弾けないから思いのすべてを歌にして伝えることもできない。手作りのバラというアイディアもあったが、球根を買ってきて育てている時間はない。
あれこれ悩んでふと思いついたのが、「童話」であった。
自分で思いをストーリーにしてワープロ打ちで作ったのである。
結果は・・・

勝負には確かに勝った、しかし試合には負けた、といったところだ。
今から16年前の切ない思い出である・・・
    
   

2009年3月10日火曜日

3月10日とは

3月10日といえば東京大空襲。
12月8日や8月6日、9日、15日と並んで語り継がれる日である。
私自身、東京生まれであるが、両親は地方出身。したがって直接話を聞くなどという経験はなく、ましてや64年も前の事だと歴史の教科書の1ページでしかない。

以前お取引先の家を訪問した時、80歳過ぎのおばあさんに話を聞く機会があった。
しわしわの顔からは想像もできないが、当時は18歳の乙女だったという。
爆撃が始まって、とっさに「B-29の飛んできた方に逃げろ」と言われ、父親と逃げたそうである。近所の人も大勢いたが、反対方向に逃げた人は行方がわからなくなったそうだ。

朝になって家に戻ってきたが、どこが自宅かわからない。
焼け跡を探し回っているうちに、唯一焼け残った大きな金庫を見つけ、そこが家だった場所だとわかったそうである。
街中にはクロ焦げの死体があちこちに転がっていたという。

 約300のB-29爆撃機による爆撃は深川地区へ初弾が投下され、その後に城東地区、午前0時20分には浅草地区や芝地区にも投下され、逃げ惑う市民には超低空のB-29から大量の榴弾や機銃掃射が浴びせられたという。犠牲者は広島の原爆犠牲者に匹敵する10万人。いくら戦争とはいえひどい事をするものである。それが正義の味方、アメリカ軍の行った事だ。

「クロ焦げの死体があちこちに転がっている」状況など、想像力をどう働かせても想像できるものではない。「貴重な経験」といっていいものかどうか・・・
その後の生活も、闇で仕入れた食べ物を警察官から没収されないように隠れて移動した話とかを伺った。そういう話が好きだったせいか、肝心の仕事の話は「また今度」と言って帰って来てしまうくらいに聞き入っていた。そういう話を伺いたくても、回りに人が少なくなっている。

日本人はアメリカ人が大好きだ。
だが、世界にはアメリカを憎む人達もいる。
そんな人達を「キチガイ」と決めつけるわけにもいかない。
立場が違えば考え方も変わる。
自分と違うからおかしいとはいえない。

そういえば、あのおばあさんはアメリカの事をどう思っているのだろう。
今になって思えば聞いてみればよかったと思う。
ただ、もう昔の事だから穏やかな返事しか返ってこない気もする。
つらつらとそんな事を考えてみた一日である・・・
    
    

2009年3月9日月曜日

I Love Baseball

やっぱり今日の話題はWBCであろう。
宿敵韓国にコールドで圧勝というのは誠に気分が良い。溜飲をどくどくと下げてしまった。

愛するラグビーでは、日本はワールドカップの常連で韓国など相手にならないのであるが、野球やサッカーは幾度となく苦渋を舐めている。サッカーには愛着などないからどうでもいいが、野球はそうはいかない。
もどかしくて仕方がない。

「国技」の要件が「子供の頃からやった事がない人はいないスポーツ」であるならば、野球は間違いなく相撲と並んで日本の国技だと、個人的には思っている。その野球で韓国に負けるというのは、どうにも我慢ならない。
例えメジャーリーガーが抜けていたとしても、だ。

もともと子供の頃から親父の見ていたナイターを一緒になって見ていた事から、野球好きになった。
小学校3年になると、近所の野球チーム「小山5丁目ハリケーン」に入って野球にいそしんだ。友達と自転車を飛ばして、当時住んでいた武蔵小山から多摩川の巨人軍グラウンドへ通ったのもこの頃だ。片道1時間以上の冒険であったが、練習を見たあとに長島さんからサインをもらった感動は、今でも忘れられない(あのサインどこへいってしまったのだろう・・・)。
田園調布まで足を延ばして長島さんの自宅を見に行った事もあったほどだ。

そんな野球少年が高校へ行ってラクビーに転向したのは、「高校球児は坊主頭」という馬鹿げた不条理からだ。だから日本のスポーツはだめなんだという証のような制度である。坊主頭が嫌だったのではなく、そういう不文律が嫌だったのである。徹底的に逆らって、引退した時に坊主にしようかなどとも考えたが、そんなマイナスに若いエネルギーを向けるのもいかがなものかと思い、新しい世界を選んだのだ。

しかし、ラグビーの世界に進んだとはいえ野球は常に故郷だ。
野茂がメジャーに風穴を開けた時は嬉しかった。
日本の野球も世界に解き放たれたのだと思った。
だから本家にチャレンジする立場は許容できるのであるが、アジアでは圧倒的な地位を築いてほしいのだ。

これで次のステージへ進む事は確定したが、是非とももう一度韓国チームを叩き潰してからにしてほしいと願わずにはいられないのである・・・
    
   

2009年3月7日土曜日

小野道風のごとく


聖徳太子の頃に遣隋使を務めた小野妹子の子孫で、書道の神と崇められる小野道風には次のような逸話がある。

***************************
道風は自分の才能のなさに自己嫌悪に陥り、書の道をやめてしまおうかと真剣に悩んでいた。そんなある雨の日、蛙が柳に飛びつこうと、何度も何度も挑戦しているのを見かける。

初めは不可能なことと蛙をバカにしていたが、いつしか蛙を応援している道風。その時、偶然に風が起こって柳がしなり、蛙は見事に柳に飛び移る。これを見た道風は蛙をバカにした自分を恥じる。

一生懸命努力をして、偶然を自分のものとした蛙ほどの努力を自分はしていないことに気づき、その後の血を滲むほどの努力をするきっかけになったといわれている。花札で人物が登場する唯一の絵柄「雨(に小野道風)」は、この場面を描いたものである。
***************************

個人的にこういう話は大好きである。
「努力」などという言葉を使うのが、ちょっと憚られる昨今。
個人的にもあまり人前では使いたくない。
でもやっている事はこの言葉通りのような気がする。

例えばこういう話がでるとすぐに、「自分だったらどうする?」と考えてしまう。
以前ご披露した「北風と太陽」でもそうだったように・・・
もしも自分がこの蛙だったら・・・

まずは人前で何度も何度も飛びつくようなマネはしないだろう。
早朝とか深夜とか、とにかく人のいない時間帯にやるのである。
冷静に自分のジャンプ力と柳の高さを比べて、あとどのくらいの高さが必要なのか研究するのだ。
そしてもしもその差を埋めるのに風の力が必要であるなら、風のタイミングをじっと待つ。
成功したらもう一度。そしてもう一度・・・
何度か繰り返して確かなものにしてから、人前に出て行くのだ。
何食わぬ顔で出て行って、やってみたら偶然できてしまったような顔をするだろう。

そう言えば大学時代、ラグビー部ではいつも私が部室に一番乗りだった。
そしてみんなが来る前に一人でバーベルを上げていた。
一人で黙々とバーベルを上げるあの時間帯が、けっこう好きだった。
あの頃あんなに鍛えた筋肉も、今や「いい思い出」となってしまった。

何か新しい柳の枝が、自分には必要だと感じるこの日この頃である・・・
   
  

2009年3月5日木曜日

映画館

私の趣味の一つに映画鑑賞がある。
映画館に映画を観に行くようになったのは、小学生になってからだと記憶している。
親に映画館へ連れて行ってもらうようになったのである。
といっても、観に行ったのは主に「東映まんが祭り」だった。
その頃は、これがけっこう楽しみなイベントだったのだ。

当時住んでいた武蔵小山には3つの映画館があった。
ちなみに「映画館のある街」というのが、その街を評価する私の中での大きなポイントだ。
3つの映画館のうち、1つが東映系、1つが東宝系、残りは日活ロマンポルノ系であった。
東映系には足しげく通った。東宝系は「ゴジラシリーズ」とかで、ちょっと背伸びが必要だった。日活系は高校3年の時に一度だけ行ったきりだったが、あの場末の雰囲気が今となっては何とも言えずに懐かしい。残念ながら、今では3館とも閉館してしまった。

大きくなるにつれ、親父が「○○ロードショー」、「○○洋画劇場」などの映画番組をいつも観ていた影響で、大人の映画も観るようになった。そして小学校6年の時に、渋谷にあったパンテオンという映画館に友達と『ジョーズ』を観に行ったのが、記念すべき字幕洋画デビューだった。以来映画館では419本の映画を観ている。

最もよく映画館に足を運んでいたのはやはり学生時代で、毎週必ず何か観に行っていた。
渋谷・新宿・吉祥寺が通学路にあり、便がよかったのだ。
初めは友達と連れ立って観に行っていたが、いつのまにか一人で観に行く事がほとんどになった。
誰彼憚る事なく、自分の好きな映画を観たかったからだ。

そして鑑賞後は、たっぷりと余韻に浸って映画館から出てきたものである。
007シリーズを観たあとは、すっかりジェームス・ボンドになりきっていた。
一人で観に行っていたのは、映画館を出た後に「ねぇ何食べる?」なんて現実に引き戻されたくはなかったからかもしれない。

当時は、どんなに混んでいても無理なく映画館で座れるコツを研究して会得していたものだ。
それが今や全席指定でそんな苦労をする事も、並んで待つこともなくなった。
座席も座り心地いい。傘やドリンク用のホルダーもあって気がきいている。
映画人口が減って、映画館のサービスも劇的に改善した。
それはそれで歓迎だ。

なのに最近はもっぱらビデオ派になってしまい、映画館に足を運ぶのはせいぜい月1回だ。
それでもやっぱりこれという映画は、映画館で観るようにしている。
場内が暗くなり、やがて最後のエンドクレジットが流れ終わって再び場内に明るさが戻るまでの至福の一時・・・
「あなたは何のために生きているのですか?」と問われたら、いくつもあるうちの一つに必ずこの至福の一時をあげるだろう。

愛するラグビーはもはや引退状態。
仕事には定年がある。
しかし映画館へ通う事は、もうろくするまでは続けられる。
願わくば、人生最後のぎりぎりまで映画館に通いたいと思うのである・・・
   
   

2009年3月2日月曜日

若者達よ


「♪いつの間にか君と暮しはじめていた 西日だけが入るせまい部屋で二人
君に出来ることはボタン付けとそうじ だけど充ち足りていた♪」
                            布施明 「積木の部屋」
************************************************************************************

先日家族でマックに行った時の事だ。
我が家はみんなマック好きである。
(ちなみに関東人の私はマクドナルドを「マック」と言い、関西人の妻と東西ハーフの子供たちは「マクド」と言う)

混み合う店内をふと見回すとちらほらとアベックがいる。
「最近のカップルはマックでデートするんだね」と私が言うと、「マクドは安いからちゃうん」と妻が答えた。だとしたら微笑ましいなぁとうらやましく思う。

私はバブル期を過ごした経験があるから、とにかくデートには金がかかるという印象が強い。
特にクリスマスなんて酷かった。レストランはすべて予約だし、半年前からホテルの予約だのなんとかのアクセサリーだのと・・・
幸い私はそんなバカなクリスマスの風潮に踊らされる事はなかったのだが・・・(T涙T)
安いマックでコーヒー片手に語り合うカップルがまぶしく感じられた。

そんな私の気分を壊したのが妻の一言。
「私の若い頃だったらマクドでデートなんていったら一発で別れてたわ」
(その言葉、当時聞きたかった気もする・・・)

そういえば新婚間もない頃、近所を散歩していてふと目にした安そうなアパート。
私は新婚生活のスタートは、4畳半一間で何もなくとも互いの存在だけで満足するような生活に、ある種の憧れを感じていた。そんな話を妻にしたところ、「いややわ、こんなカンカンアパート(階段を登る時の音からよくある2階建てのアパートを妻はこう呼ぶ)」とのたまわった。現実の冷たい壁を感じた瞬間だった(そのくせ「愛こそすべて」系のドラマを観てうるうるしていたりするのだ・・・)。

社会人になりたての頃は金がなかったから、寮では余っているテレビを調達してきて見ていたし、愛車は13万円で買った日産マーチだった。甲州街道で雨上がりの夜空にエンジンが止まってしまった事もあった車だ。そんなマーチに乗って無謀にも男二人女二人でドライブに行ったりした事もあったが、乗り心地はフェラーリにも勝ると信じていた。いまでもあのマーチが懐かしく、そして誇らしく思う。

お金をかけなくったって若者には幸せな時間を過ごせる特技があるのだ。
今はマックに連れて行ってもふられない良い時代みたいだ。
幸せそうなカップルたちに心からのエールを送ったのである・・・
   
    

2009年2月27日金曜日

84年に一度の危機

今仕事が忙しい。
みんなで一段落したらパァーっと行こうという話になった。
そうしたところ、かねてよりW氏お勧めのウズラ鍋のお店に行く事になった。
今から早速予約となって、昨日予約をとった。
まだまだ一段落するのは早いのだけど、頑張り目標というわけだ。
そうしていたところ、本日「国内でトリインフルエンザ発生」のニュース。
しかも「ウズラ」・・・
国内での発見は84年ぶりらしい。

さてそうしたところ、「キャンセルだ」との声が上がった。
「一瞬大げさな」と思ったが、言った本人は極めて真面目な顔。
W氏は初めは笑って取り合おうとしなかったが、マジだとわかるとこちらも真面目な顔で反論。
「いやいやニュースによれば、感染したウズラ2羽は死んでいないし、毒性も弱いとの事で平気だ」と主張。

しかし、キャンセル派は一人二人と増殖。
「こんな時期にわざわざ行く事あるまい。」
「もしもみんなが具合悪くなって休みでもしたら問題だ、リスク管理が甘いとなってしまう」等々・・・
もっともなご指摘。

「こんな時に行けば感謝されてサービスもよくなる」と一人反論するW氏。
I氏に救いを求めるも「私は常に多数派です」と逃げられる。
W氏がつぶらな瞳で私に救いの眼差しを向けてくる。
私は「行ってもいいんじゃないですか」とW氏に援軍。
別にウズラが食べたかったわけではないが、「人が右向きゃ、我左」というところもあって、賛成派に回ったのだ。

かつてのカイワレ大根や狂牛病、鯉やら餃子やらと食物にまつわる問題がいろいろと出た。そのたびに食べ控えが起こっている。敢えて渦中の栗を拾う必要もなく、君子危うきに近寄らずであるから悪い事だと言うつもりはない。安全が確認されてから行ったってまったく問題ない。ただ、そうした行動を現実に目の当たりにして、世間の人々の行動といったものを垣間見たような気になった。

ちょっと前に事故米をそれと知らずに購入していた酒造メーカーが、それを正直に発表したところ売上が9割落ちたとテレビで取り上げられていた。
黙っていた他のメーカーは影響を受けずに済んでいた。
必死で信頼回復を目指すそのメーカーと頬っかむりした他のメーカーの安全度は比べるまでもないはず。でもそれが現実だ。

結局、議論は2対6で反対多数によりキャンセルとなった。
目をうるうるさせるW氏に「また今度行けばいいじゃん」と反対派の何人かが慰めていた。目の前には確実に世間の縮小版が存在する事を痛感した出来事だったのである・・・
    
    

2009年2月25日水曜日

涙そうそう

この頃涙もろくなったと強く感じる。
子供の頃から「男は人に涙を見せるものではない」という感覚でいたので(たぶん漫画の影響だ)、人前で泣いたなどという事は、あんまり記憶にない。

わずかな例外が高校3年の時。
ラグビーの最後(になってしまった)試合で負けてみんなで泣いた。
(タイムマシンがあっても、とてもじゃないが見に行きたいとは思えない思い出だ)

それと大学3年の時、気合の入ったラグビーの試合2試合。
勝って泣き、負けて泣いた。
この時は感情が頂点まで達したのだ(あの時以来、あそこまで感情が高ぶった経験はない)。

が、それ以外はない。
といっても、それはあくまでも「人前で」の話だ。
人知れず失恋の心の痛みに耐えかねて、一人枕を濡らした事はちゃんとある。
人前では映画や本を読んで感動しても、涙腺はしっかりと締まっていた。

それがどうだろう。
この頃はちょっと感動してもすぐ涙腺が緩む。
人前だと危なくて仕方ない。
まさか年というほどでもあるまい。
年寄りの失禁と同じなどとも思えない。

感動するのは悪い事じゃないと思うのだが、ポロポロと涙をこぼすのはみっともない。
(と今でもそう思うのだ)
家族と何気なく見ていたテレビのちょっと「良い話」でもほろっとくるし、通勤電車の中で読んでいた本にもほろっときたりする。
ごまかすのが大変だ。

どうしてなんだかよくわからない。
もともと冷静な外面とは裏腹に、内面の感情の起伏は激しいほうだと自覚はしていた。熱く語るのは好きな方だ。だから共感力はもともとあると思うのだが、それが押さえられなくなってきたのかもしれない。まあ無理に抑えるのもなんだし、当面は危なくなったらごまかすテクニックを磨くしかないかと思うのである・・・
     
    

2009年2月24日火曜日

教育

銀行員という仕事柄、いろいろな取引先を訪問する機会が多い。
今回、さるお取引先の資材管理場を訪問させていただいた。
所長に話を伺いながら、場内を見て歩いた。

その時にちらほらと黒人の姿が目に入った。
また小耳に挟んだ会話は、たどたどしい日本語。
顔は東洋人であったから、たぶん中国人だと考えた。
(韓国人はこういう田舎の中小企業で働かないだろうと想像したのだ)
あとで事務所に帰ってふと見ると、タイムカードに数名の横文字の名前。
そして中国研修生というタイトルで数名の名前があった。
研修生といってもどういう研修生なのか、合法なのかそうでないのかは定かではない。
この時期人件費を抑えるために中小企業も大変なのだ。

敢えて尋ねなかったのに、自然と話題が黒人の話になった。
所長曰く、「数が数えられないんですよ」と。
なんと「手の指以上は数えられない」のだという。
と言っても障害者なのではない。
そういう教育を受けていないらしい。
俄かには信じられない話だ。

日本人であれば、どんなに学校の成績が悪くても数ぐらいは数えられる。
どこの国かは聞かなかったが、まだまだそういう国があるようだ。
江戸時代には、識字率の高さで当時の世界のトップクラスであったという我が国。
そういう伝統なのか、今では数が数えられない人など健常者であればまずいない。
ゆとり教育の弊害で、世界レベルでは学力低下が著しい我が国の行く末を嘆いていたら、こんなレベルの国もあるのである。

下を見て安心してはいけないが、数を数えるなんて学校で学ぶ以前の問題だ。
「仕方がないので数える以外の仕事をやらせているんですよ」とは所長の弁。
ふと自分だったら時間外に基礎的な事を教えてあげるのにな、と思った。
思うだけなら誠に簡単である。
ただ、そういう機会があったらそんな貢献もしてみたいと思った次第である。

いつかはわからないけど、そんな気持ちは持ち続けていたいなどと考えてみた取引先訪問であった・・・
     
   

2009年2月21日土曜日

肉食草食

かつて女性が男性に求める条件として、「三高」という事がもてはやされた。
「高学歴」・「高収入」・「高身長」である。
それを聞いて「てやんでぇ、男は中味だ!」と言って、一生懸命体を鍛えていた気がする。

それがどうやら今の時代は「三低」らしい。
といっても「低学歴」・「低収入」・「低身長」では、もちろんない。
「低姿勢」:女性を大切にし、全般に丁寧で威圧的でない等の真摯な態度、他の人を尊重する姿勢。
「低依存」:家事や身の回りの諸事をパートナーに頼らず、お互いを尊重し束縛しない。
「低リスク」:リストラや事故・事件等に巻き込まれることの少ない職種、または資格・免許を持っている。安定収入。

まあ、言葉は違えど「好きな事言ってらぁ」ってレベルでは同じである。
といっても、男も好きな事言ってるからお互い様ではある。
幸いな事に結婚してしまったので、今さら女性に選んでもらう必要はなく、そういう意味では余裕である。

かつてほど女性に対してガツガツする事もなく、今ではゆとりをもって付き合えるし、そういう女性の友人がたくさん欲しいな、などとも思っている。
これも年を経てナイスミドルに近づいているのかと思っていたら、最近の若い男もどうやらそんな傾向の者が増えているらしい。

【酒を飲んでも乱れず、すきがあっても体を求めず、異性との関係でも心地よさを重視しガツガツしない】らしいのである。
「なんだ自分と一緒じゃないか」と思っていたら、そういうタイプの男を今は、【草食系男子】または【お嬢マン】と言うらしい。

というと俺は草食系か?
お嬢だあ?
そう言われると腹立たしくなる。
飼いならされてお行儀良くなったワンちゃんみたいじゃないか。
と言っても、昔は「良い人ね」と女性に言われると屈辱的に思っていたものが、今では心地良く思うようになっている。

やっぱりベジタリアン化しているのだろうか?

メタボリックボディには良いかもしれないが、心の中まで草食系にはなりたくない。
かといっていつまでもよだれ垂らしているオオカミでもみっともないし・・・
ここはやっぱり尊敬するジェームス・ボンド系を目指そうと思う。
昔は、“タキシードを着た狼”とも言っていたが、やはり死ぬまで肉食系でいたいものである。

そんなことをつらつら考えた次第である・・・
     
     

2009年2月19日木曜日

痛勤地獄

 
「楽しみながら生きよ、憂いながら生きるよりその過ぎ行く時は幸いなり」
                                      作者不明

************************************************************************************


 サラリーマンのデメリットの一つとしてあげられるのが、いわゆる「通勤地獄」である。
確かに山の手線や中央線といった都心の電車のラッシュは、凄まじいものがある。
まさに苦行と言える。だが幸いな事に、私は「地獄」とは感じないで済んでいる。

 それは「災いを前もって回避する」という事と、「災いもって福となす」という事によって、である。まずは「回避」であるが、住む場所を選ぶ時に中央線沿線は避けたことが挙げられる。勤務地は選べないから、せめて住む場所は混雑がひどい中央線を利用しなくてもよい場所を、と考えたのだ。それとなるべく早い時間(空いている時間)を選ぶ、混んでいる急行より少しでも空いている各停に乗る、それができないのなら1本遅らせても余裕をもって乗り込む等だ。これで比較的すし詰め状態は回避できている。

 あとは通勤時間帯そのものを読書タイムにして「楽しい一時」に変えたのだ。電車に揺られている時間は、基本的に読書タイムだ。けっこう集中して読んでいる。家では正直あまりゆっくりと本は読めない。本を読むのが好きな私にとって、この時間は貴重だ。だから今のような朝の寒い時期でも、通勤時間は楽しい一時だ。座って寝たいなどという考えは起きてこない。

 行く時はいつも同じ電車の同じ車両に乗っている。そうすると、余計なところに神経を使わなくて済む。余計なところに神経を使わないから、それだけ本に集中できるのだ。周りがどっと下りたらそこは大手町。大手町の次が降りる駅なので、そこで初めて現実世界に戻ってくるのである。

 問題は帰りだ。
いつも一定していないからあまり本に集中していると、ついつい一つ先の駅まで行って戻ってくる羽目になる。東野圭吾など読んでいる時は要注意だ。こんな具合に通勤時間を楽しんでいる。だから「痛勤地獄」などという言葉とは、これまでずっと無縁でこれた。考え方一つだと思うのだが、しなくても良い苦行は避けたいと思うのである・・・
  
     

2009年2月17日火曜日

バレンタインその後

  
バレンタインデーに娘は予定通り№3にチョコを渡し、一方で友達の女の子から友チョコをもらっていた。3歳の長男も近所の同じ年の女の子からチョコをもらっていた。
今は良い時代と言えるのだろう、きっと私も今の時代ならあの頃のような寂しい思いをしなくて済んだはず、と確信している。かつては業者の陰謀と批判していたものである。

さてそのバレンタインが終わるとホワイトデーだ。
これも業者の陰謀で頭に来るが、「お返し」と言われると弱いところで否定もできない。
バレンタインもホワイトデーもすっかり定着した感がある。
頭の痛いところだが、仕掛けた業者もうまくやったものである。

さらに2匹目ならぬ3匹目のどじょうを狙ってオレンジデーなるものもあるらしい。
【バレンタインデーで愛を告白し、1カ月後のホワイトデーでその返礼をした後、4月14日のオレンジデーでオレンジ(オレンジ色のプレゼントも可)を持って相手を訪問し、二人の愛を確かなものとします】というものだそうである。

まだある。
【バレンタインデーから88日目の5月13日はメイストームデー(5月の嵐の日)であり、「八十八夜の別れ霜」ということで別れ話を切り出すのに最適とされます。
これを乗り切れば6月12日は恋人の日。
恋人同士が写真立てに写真を入れ交換し合います。
さらに7月7日の七夕はサマーバレンタインデーで、2月14日に告白を逃した人にセカンドチャンスが訪れます。
 いずれの日においても愛を逃し続けた男性には9月14日のメンズバレンタインデーが設けられています。男性から女性に下着を送って愛を告白する日とされています。
 愛を何度も確かめ合わないと不安という方には、11月11日の恋人達の日に靴下(新品に限る)を贈り合い、12月12日のダズンローズデーには12本の薔薇を贈ります。いよいよクリマスが近づいてまいりますが、遠距離恋愛の方は念のため12月21日の遠距離恋愛の日に、会ってお互いの愛を確かめます・・・】
という事らしい。

あほらしい・・・
いきなり女性に下着を送って愛の告白なんぞした日には、よほどのイイ男でない限り悲惨な結末は火を見るより明らかだ。どうせ考えるならもうちょっとましなものを考えてあげないと不幸な男性が出てくる。もっともそんなのに乗せられて失敗したら自業自得ともいえるが・・・

もともと女性はプレゼント好きという習性(?)がある。
それがバレンタインの場合はロマンチックな習慣と見事マッチしてしまったわけである。
これだけ長いこと定着してしまうと、もはやこれはこれで仕方ない。
しかし、あげる楽しさともらう喜びばかりが脚光を浴び、もらえない寂しさは語られない。

またもらえばもらったで、今度はホワイトデーの悪夢だ。
これは「もらったらお返しを」という事で始った日本独自の習慣だ。
大きなお世話でしかない。
言われなくてもやる事をわざわざ押し付けられたくないと思うのはひがみ根性だろうか。
毎度毎度の狂想曲。
いっその事すべてなくなってしまえと心密かに願うひねくれ根性の私なのである・・・
   
      

2009年2月15日日曜日

ABBA

突然同僚に「『マンマ・ミーア』観ましたか?」と尋ねられた。
私が映画好きと知ってか知らずかであるが、「まだですよ」と回答した。
始めは行きたいなと思っていたが、どうやら時間的に厳しそうだ。
同僚は実はアバが好きだったと言うのであり、しばしアバ談義となった。

「マンマ・ミーア」は映画が公開されているが、全編これアバの曲を散りばめたミュージカルである。
ストーリー展開にあわせて、そこにフィットするアバの曲を巧みにブレンドしていて絶妙な仕上がりの楽しめるお話だ。
私は劇団四季のミュージカル版を観に行ったのであるが、懐かしいアバのヒット曲も楽しめて、劇場も最後は総立ちであった。

アバについては昔から特別好きだったというわけではないが、何となく曲は好きだった。
それにこれまでの生涯で唯一行った事のあるコンサートがアバという「縁」もある。
(その時はアバ好きの友達に誘われて大枚叩いて日本武道館に行ったのだ)
私は総立ちコンサートが大嫌いである。
何でも座ってじっくり楽しみたいのだ。
だから最近のミュージシャンのコンサートにはまったく食指が動かない。
浜崎あゆみでもそうだし、例えフレディ・マーキュリーが生き返ってきたとしても、だ。
(いや、フレディ・マーキュリーだったら行くかな・・・)
30年前のアバのコンサートは座って楽しめたのだ。
良い時代だった。

それに気がつけばベスト版のCD(ABBA GOLD)だって持っている。
アバの曲は詩もわかりやすい英語だ。
だから中学生くらいの時でもなんとなく詩の意味もわかってよかったのだ。
今でも時折CDを聞いているし、車のオーディオにもコピーしてある。
ファンというわけではないのだが、なんだかいつも手元に置いておきたいのがアバである。
たぶんポップ・ミュージックデビュー時の入門編だったから、その原体験が遺伝子レベルに組み込まれているのかもしれない。

だからではないが、「マンマ・ミーア」はとっても楽しめた。
よくこういうものが創れるものだとその創造力と想像力に感心してしまう。
(最後の「総立ち」には閉口したが・・・)
何度観に行ってもたぶん飽きるという事はないのではないだろうか。
そのうち機会をつくって四季版を観に行きたいと思っているのである・・・
    
   

2009年2月14日土曜日

密かな楽しみ

  
仕事が忙しくなって遅くに家に帰る。
子供たちは寝ている。
空腹を通り越した胃袋も静かだ。
妻が寝てしまっているか風呂に入っている時は一人で夕食だ。
何とも寂しいサラリーマンの姿に映るかもしれない。

ところがこういうシチュエーションだと私の目はきらりと光る。
好機到来。
テーブルに着くやごはんに味噌汁をぶっかける。
ああ、味噌汁ぶっかけご飯!
これが実はひそかな楽しみなのである。

妻の目がある時はこれができない。
昔からこれが好きなのであるが、結婚してからは、いや独身時代に実家にいる時もできなかった。
「みっともない」とか「品がない」とか言われて、大っぴらには食べられないのだ。
だからこそ、一人で食べる時は大チャンスなのだ。
味噌汁ぶっかけご飯を食べる幸せなひと時・・・

そもそも何でこんな食べ方するのかと言えば、今はなき祖父の影響だ。
長野県は諏訪に住んでいた祖父は、よくこうしてご飯に味噌汁をかけて食べていた。
母親たちはみな顔をしかめていたが、そこは絶対家長の祖父のこと、表立って批判はできない。
それを見つめる私だけが、目をキラキラさせていたのだ。

家に帰ってから真似して食べようとしたら母親に怒られた。
「何でお茶漬けはよくて味噌汁はだめなのか?」
昔から理論派の私は幾度となく納得のいく説明を求めたが、無駄であった。
田舎ではネコの餌に残飯を与えていたが、余ったご飯に味噌汁をかけたりしていて、要はネコの餌と同じという理屈だった。
それでも、別々ならよくて一緒ならいけないというのも納得がいかないものだ。
禁じられると一層甘美な味となる。
いつしか誰もいない時に、一人で食べる楽しみとなったのだ。

それほどうまいかと言えば正直どうだろう。
でもやっぱり好きなのだ。
残業で遅くなっても「今日は食べられるかな」と思うと、自然と足取りも軽くなるというものだ。

そうして祖父がしていたようにご飯に味噌汁をぶっかけるのだ。
品などなくたっていいではないか。
何も高級レストランでやっているわけではない。
遠い昔に大好きだった祖父が、おいしそうに食べていた姿が今でも脳裏に浮かぶ。
あの時爺さんが食べていたのと同じ味だろうか?
母親たちの非難の目などどこ吹く風で、一緒に並んで食べたかったなと思う。

静まり返った食卓で一人ずるずると味噌汁ぶっかけご飯を食べている孫の姿を見たら、あの世でじいさん何て言うだろうか。
誰になんと批判されようとこれだけは一生やめられない。
これは愛すべきじいさんへのオマージュだと思うのである・・・




2009年2月11日水曜日

バレンタイン


小学校2年の我が家の娘は、本日はチョコレート作りである。
14日のバレンタインに備えてのものであるが、今は小学生から手作りなのであろうか?
その材料を買いに行った池袋の東急ハンズ。
専用コーナーでは、下は小中学生と思しき子供たちも友達と連れ立って来ていて、ちょっとした熱気であった。

今では特別何も感じなくなってしまったが、小中学生の頃はバレンタインデーが嫌で嫌でたまらなかったのを覚えている。
見事なくらいチョコレートをもらえなかったからだ。
人一倍のチョコ好きとしてはかなりの苦痛だ。
さらに追い討ちをかけたのは、弟が毎年のようにもらってきていた事だ。
そう大して容姿が変わるわけでもないし、いや、むしろ私の方が良いくらいだと思っていたのに、兄貴としての面目などあったものではなかった。

中学時代にたった一度だけ机の中にチョコレートが入っていた事がある。
大感激してこっそり隠れて中を見たのだが、差出人がなかった。
入れ忘れたのか、名乗れなかったのかはわからないが感激もしぼんでしまった。
なので高校生になってまともにもらえた時は、ようやく一人前になれた気がしたものだ。

不遇の大学時代を経て社会人になるとそんな状況が一変。
最初の年は7~8個もらった記憶がある。
もちろん義理チョコであるが、当時のおじさんたちが1~2個だったのから比べると同じ義理でも意味合いは大きく違う。
50歩100歩というなかれである。

それから「複数個もらうのは当たり前」という黄金時代を迎えた。
職場の女性陣はみんな義理堅かったのだ(繰り返すが義理チョコでも数はおじさんたちのそれを凌駕していたのだ)。
良い習慣だと初めて思えた。

今ではというと、お返しが面倒だと思うようになってしまった。
妻などは端からお返し期待のひも付きODAだし、義母などからももらうのだがかえってもらわない方が、などとも思ってしまう。
しかし、何せ大好きなチョコレートだけにそういうのも辛い。
まあ、お中元やお歳暮のようなものだと思っている。

長女は今年は№3にあげるのだそうだ。
№1になぜあげないのか聞いたところ、「去年あげたから」だそうだ。
№2の立場はどうなのかとも思うが、娘心は計り知れない・・・

3歳の長男はまだこれからだ。
学校へ行くようになるといろいろわかってくるから、やっぱりわくわくドキドキしたりするのだろう。からかって楽しみたい気もするが、「お父さんの子供の頃はな、」などと語れる過去がないだけに厳しいものがある。

しかし我が身を翻ってみれば「もらえない寂しさ」というのを味わうのも人格形成にはいいのかもしれない。子供の頃から「もらって当たり前」と天狗になられても困るし・・・
やっぱり我が子には自分と同様、千尋の谷から這い上がることが必要だろうと思うのである・・・
   
    
     

2009年2月9日月曜日

美容室

この週末に髪を切りに行った。
以前は床屋へ行っていたが、最近はもっぱら美容室だ。
といってもお洒落に目覚めたわけではない。
というかその方面はどうにも昔から苦手だ(妻の実家では私の独身時代の服装センスはいまだ物笑いのタネにされている)。

始めは「美容室なんて・・・」と気恥ずかしく思っていたが、散髪後のヘアースタイルを毎回バカにされるのもなんだしと思って、とりあえず行ってみたのが始りだ(私はけっこうチャレンジ精神は旺盛だと思う。何でもやってみて判断すべし、と考えるタイプだ)。

行ってみると、それまで描いていたイメージとは程遠く、結構男性客も多いらしく、welcomeという雰囲気だった。客商売だから当然と言えば当然かもしれない。
さらにやってもらうと床屋との大きな違いが一つあった。それは「髭剃りがない」という事だ。

実は私は床屋での「髭剃り」は苦手だ。
毎朝、シェービングクリームをあわ立てて、髭を剃っているが床屋のそれはもっと本格的。
いいといえば良いのだが、どうも良すぎてジョリジョリと皮膚まで削られている感じがする。
蒸しタオルで温めてもらうが、終わった後の感触は自分でやるのとは大違いで、根こそぎ剃られた感じがする。せめて休みの日くらい髭剃りはしたくない派の私としては、休みの日にここまでやられるのには抵抗があったのだ。

さらに髭剃りタイムの分、時間も10~15分短くて済むというメリットにも気がついた。
料金はそんなにかわらないなら初めから髭剃りはなくて、しかも時間も短い方が都合が良い。
カットのあとも馬鹿にされなくなったし、今では何の抵抗感もなく美容室へ行っている。

最近は男性客もかなり増えてきたと担当の美容師さんが話してくれた。
若者ばかりでなく40~50代の男性客もけっこう多くて、土日など下手をすると男性客の中に女性客が一人で逆に居心地悪そうにしている、という事もあるらしい。

そんな話を聞くとついつい、「床屋の将来性は大丈夫か?」と考えてしまう。
両業態は免許で分けられているから、転換も容易ではない。
床屋が生き残っていくためには、
①美容室に奪われた男性客を取り返す
②他の床屋からシェアを奪って残存者利益の拡大を目指す
③美容室には絶対行かない老人客を開拓する
などの対策が必要だろうな、などと考えてしまう。

③では暇な平日に出張サービスを展開し、話し相手も兼ねてやったらいいかもしれないなどと考えてしまう。根本的には免許で規制されているのが、大きなネックなのかもしれない。
両者を融合したような店舗で、個々の顧客に合わせたきめ細かいサービスを展開してくれるようなところがあったら、利用者にとっては本当は一番ありがたい事だという気がする。

お役人さんも床屋の将来のためにも規制緩和を考えた方がいいんじゃないのという気がしてならないのである・・・

     


2009年2月8日日曜日

頼まれ事

私はよく人にモノを頼まれる。
まあ誰でも頼まれ事はするであろう。
私も特別その頻度が高いというわけでもない。
ただ、誰かに何か頼まれた時、一つだけ心掛けている事がある。
それは「断らない事」である。

もちろん、妻からの頼まれ事のようにそれ自体「断りたくても断れない」ものは別としてであるが、基本的に何でも受けることにしている。中には能力的に明らかにできない事や、例えば日程的に無理があったりしてやむを得ない場合は当然この限りではない。
その旨きちんと説明してお断りする。

が、そういうのは極々例外だ。
基本的に何でも受ける。
昔からそういう性格だったわけではない。
むしろ昔は面倒な事はなるべく避けるようにしていた。
だがいつのまにかこうなっていた。

というのも、「頼まれる」という事は「認められる」という事だと思うようになったからである。
頼んできた相手は、自分であれば引き受けてくれる(引き受けてほしい)と思っているから頼むのであり、自分はそれだけその相手の中に存在感を占めているということになる。
もともとそんなに社交的でもないし、友達が多いわけでもない。
謙遜でもなく、実際高校・大学時代は交友関係は極めて狭かった。
無理に広げたいとも思わなかったし、広げるのも苦痛だったのだ。
なので自分の存在自体も極めて狭い範囲にしかないように思えていた。

何気なく引き受けた頼まれ事もやって喜ばれれば気分もいいし、頼まれる事によって自分の存在感を確認できるような気がするのも確かである。何でも引き受けていると、いつのまにか面倒な事を押し付けられる便利な存在となるかもしれないという危惧もあるかもしれない。
だが幸い今のところそんな気配はない。

思い返してみればいろいろ頼まれたものだ。
結婚式の司会や会議の議長、ラグビーは高校・大学とも学年幹事だし、さらに大学のラグビー部に至っては4学年分の取りまとめ幹事だ。その他に世話人などをやっているのもあるし、くだらないものまで入れるとけっこうあるものである。

でもそれでもありがたいものだと思っている。
声をかけられる事は見過ごされる事から比べると遥かにいい。
そうして目に留めてもらえたというだけで引き受ける理由になると思っている。

その昔は何か世の中に役に立つようになりたいと思っていたものである。
今となっては「世の中に」などという大事は難しい。
だが目の前の一人の役に立つ事も世の中の役に立つ事の一つだ。
千里の道は行けねども目の前の一里なら可能だ。
ならば目の前の一里から一歩一歩進んでいくのも悪くはない。
これからもそういう精神で頼まれ事を引き受けていこうと思うのである・・・
    
   

2009年2月6日金曜日

おでん

我が家は東西食物文化の交差点である。
「食は関西にあり」とはよく言われるが、それは確かである。
お好み焼きやたこ焼きばかりでなく、関西に行けばおいしいところにおいしいものは至るところにある。しかし全部が全部、というわけでもない。

結婚前だが、妻に大阪の老舗のおでん屋に連れて行かれた事がある。
カウンターがぐるりと囲む真ん中でおでんがぐつぐつと煮えていて、入った瞬間に食欲をくすぐられる店であった。席についてさっそくオーダー。
いの一番に注文するのはやっぱり「ちくわぶ」。
ところが、目を凝らせども姿が見えない。
値札にもない。不思議に思って妻に尋ねたところ、「ちくわぶ?竹輪の事?」ととんちんかんな回答。あれこれとやり取りをして初めて知った。

「関西のおでんにはちくわぶがない」

この衝撃度は東京育ちのおでん好きであれば理解していただけるであろう。
ちくわぶの入っていないおでんなんて想像できるだろうか?
「おでんと言えばちくわぶ」、「ちくわぶと言えばおでん」。
おでんの主役はちくわぶであり、その他の具はちくわぶの引き立て役でしかないと言っても過言ではあるまい。ジェームズ・ボンドの出ていない007映画を誰が観たいと思うであろう。
それがないのである!
その店のおでんの味も何を食べたかももう忘れてしまったが、ちくわぶがないという事実だけが今も強烈な思い出として脳内皮質に焼きついている。

結婚してからはもちろん、おでんの時にはちくわぶは欠かさないようにしてもらっている。
そのおいしさを教えてあげようと思ったが、一口食べて「こんなのどこがおいしいの」と来た。
星一徹ならちゃぶ台をひっくり返すところだ。

あきれ果てたが悪い事でもないと気がついた。
なぜなら妻がちくわぶを食べないがために、我が家ではちくわぶは私が独占できるからだ。
子供たちも母親へ右へならえで食べようとしない。
だから翌日に残ったおでんを食べる時だって、竹輪やはんぺんは跡形もないが、ちくわぶはしっかりと私を待っていてくれる。これは幸せだ。

とはいえ、最近ちょっと悩みがでてきた。
妻はともかく子供たちだ。
東京に生まれたのにこのままちくわぶのおいしさを知らずに育っていいものだろうか、と。
ちくわぶの味を伝えるのは東京人の私の務めではないか、と・・・

良いはずがあるわけもなく、「教育」することにした。
とはいえ、無理に「食べろ」と言ってもそこは逆効果。
自らおいしそうに食べる姿を見せるしかない。
それこそが、親父が態度で語るものだろう。
というわけで、我が家で夕食におでんが出る時は、なるべくおいしそうに食べるように(もちろん本当においしいのだが)しようと思うのである・・・

    

2009年2月2日月曜日

恵方巻き

節分である。
節分と言えばやはり「豆まき」である。
まあこれは日本全国どこへ言っても共通である。
子供がいればまず家でやる事になるだろう。

ところが我が家はこれだけではない。
もう一つ行事がある。
それが「恵方巻」である。

東京生まれの東京育ちの身であれば、あまり馴染みがない。
かく言う私も結婚するまでは知らなかった。
ところが関西人と結婚したためこのようなけったいな風習がある事を知る事となったのである。

恵方巻とは節分にその年の恵方(ちなみに今年は東北東である)を向いて目を閉じ、太巻きを願い事を願いながら一言も発せずにまるかじり(関西では「まるかぶり」と言う)するのである。
悪いけどとてもじゃないが願い事なんか叶いそうもない風習だ。
家族揃って黙々と食べるわけであるが、なんともはやという感じである。

ローカルな風習と思っていたらここ数年東京でも恵方巻の文字が目につきだした。
主にコンビニであるので見かけた人も多いと思う。
たぶん常に新しいネタを探しているコンビニ業界であるから、関西のローカル風習に目をつけて東京に持ってきたのだろう。

だが、東京人に広まるのであろうか。
我が家は実権者が有無を言わさずやっているから毎年やるが、東京人同士のカップルのご家庭ではいくらコンビニが頑張っても広まらない気もする。
バレンタインのチョコのようにはいかないだろう。

そもそも何でこんなもの広めようと思ったのだろうか?
単なる話題作りだろうか、季節のイベント作りだろうか?
米食推進委員会みたいなものが自給率アップのために取り組んでいるのだろうか?
別に文句があるわけでもないし、(あっても言えるわけないし)子供たちも喜んでいるので季節のイベントとして我が家ではこれからも続くだろう。
何もないよりいいだろう。
そういうわけで明日の我が家の夕食は太巻きなのである・・・

    

2009年2月1日日曜日

世界遺産は世界の遺産

   
先日関越自動車道を往復した時の事だ。
行きの下り斜線で「富岡製糸場を世界遺産へ」という看板を見つけた。そういえばいつも見ているテレビ東京の「ガイアの夜明け」で世界遺産登録を目指す平泉の様子を取り上げていた事を思い出した。ここもどうやらそうらしい。

富岡製糸場といえば日本史の教科書にも出てくる、日本の近代史の一ページを飾る象徴的な存在だ。日本人であるし、行った事はなくてもその価値は十分にわかるつもりだ。だからそれを世界遺産にしようという考え方は理解できる。しかしどうもすんなりと腹落ちしない何かがある。

そもそも世界遺産とは「後世に残すべき人類の資産」という事である。その目的は保護と保存である。だからそれなりの価値のあるものを保護しよう、保存しようという考えもわかる。だが、それだけだろうか?

世界遺産に指定されるとどうやら観光客が激増するらしい。世界遺産巡りは格好の旅行テーマとしていいのであろう。かくいう自分もいずれ世界遺産巡りをしてみたいと思う。しかし、先の番組で取り上げられていた平泉は「街興し」としてそれをやっていた。世界遺産に指定してもらい、それで観光客を呼び込み街の活性化につなげようというものである。

街興しそれ自体否定するものではない。世界遺産への登録申請もしかり。しかしそれが結びつくと違和感を覚える。世界遺産はあくまでも保護・保存が目的であるはずで、それで観光客を呼び込もうというのは筋違いに思える。平泉が落選したのも当然だ。

観光客の増加はあくまでも結果であって、目的ではないはずだ。それを平泉の人達は履き違えている。富岡製紙場も見たことないのでそれ自体は何とも言い難い。しかしやはり観光客誘致目的なのは明らかだ。そういう意図はおかしいだろう。

世界の人の目もあるのだ。おかしな意図で登録申請などしていたら、審査員の手間隙だって大変だし何より日本の良識を疑われないか?街興しは他の方法で考えればいいのだ。世界の中の日本人である。身を正して世界と向き合う気概が欲しいという気がしてならないのである・・・

    

2009年1月30日金曜日

今この瞬間を

    
「あなたが空しく生きた今日は、昨日死んでいった者があれほど生きたいと願った明日」
                        韓国のベスセラー小説「カシコギ」


伯父の葬儀で訪れた御代田の町。
短時間のショートステイでは何度か訪ねていたが、考えてみれば泊りがけで行ったのは14年振りだった。通夜と葬儀の短い合間合間にあちこち散歩した。
なんだか無性に懐かしくなったのだ。

都会では考えられないくらい広い校庭の小学校。いとこが通っていた学校だ。
夏休みには何食わぬ顔で一緒にプールに入って泳いだ。
当時の木造校舎は跡形もなく、廃校となったその場所は校庭こそそのままだが、校舎の跡地には銭湯ができていた。

今思い出してもレトロな駄菓子屋は、錆付いたトタン板で戸口をふさがれていた。
カブトムシを取りに行ったあたりには国道に通じる道路が通っていた。
バッタやカエルやザリガニを取った田んぼはビジネスホテルの駐車場に、伯母さんの作ってくれたおにぎりを持って遊びに行った神社の横にはパターゴルフ場ができていた。
いとこと野球をした空き地にはアパートが3棟連なっていた。
もうあの頃の御代田ではなくなっていた。
30年も経つのだから当たり前だ。

銀行に入って20年。
最初に配属となった思い出の支店は建て替えられて、場所こそ同じであるが近代的な商業施設の中にあり、自分がいた頃の店舗は影も形もない。そのあと転勤して勤めた3店舗もすべて同様だ。
かつての思い出の場所で、もはや記憶の中にしかないというところも、数えてみればかなりある。
それだけ無情な月日が流れているのだ。

何だか年寄り臭くなった。
もう一度訪れてみたいあの頃のあの場所。
もう一度経験したいあの時。
それらはみなどんなに努力しても叶わぬ夢なのか。

これからそういう場所や時間がますます増えていくのだろう。
そうしていつか気がついたらそんな思い出ばかりになっているのだろうか。
ひょっとしたら何気なく生きている今このひと時であるが、20年後の自分が戻りたいと渇望しているひと時かもしれない。そう思うと、回りのものが何だかどれも大切なもののように思えてくる。

今は煩わしいと感じている事もひょっとしたら後から無性に懐かしくなって、その思い出に涙ぐんでいるかもしれない。思い出に浸るのは心地良く、心にも大切なひと時であるが、何よりも時計の針は動き続けている。当たり前の事であるが、今このひと時を大切に生きないといけない気がする。

毎日の仕事に精を出し、ミュージカルや映画を観て本を読んで心の充実感を満たす。
家族や友達と何物にも代えがたいひと時を過ごす。
ありふれた言葉であるが、「今を生きる」のだ。
そうして年老いてよぼよぼになった時に、いい人生だったと振りかえりたいと思うのである・・・

    

2009年1月26日月曜日

伯父の葬儀

   
伯父が亡くなった。

伯父は長野県の、東京から行けば軽井沢の少し先にある御代田という町に住んでいた。
雄大な浅間山が聳えるその麓の町である。
小学校三年生の頃から一人でそこに遊びに行っていた。
伯父の次男(つまり私のいとこ)が私と一つ違いであり、ウマがあったこともあって春夏の休みには10日~2週間は滞在していた。
東京生まれで田舎のない私にとっては故郷の代わりになる所だった。
それが高校に入るまでの私の年間最大イベントであり、最も楽しい事であった。

そんな私だからか、伯父も伯母も事のほかよく可愛がってくれた。
寡黙な伯父は仕事から帰るといつも晩酌をしながら我々の遊ぶのを眺めていたものだ。
もともと具合が悪く入院していたが、行っても既に私の事がわからなくなっていたため、ここのところはずっと見舞いにも行っていなかった。
そしてとうとう「その日」が突然やって来たのだ。

お通夜から参加。
伯父の死に顔は記憶にあるその顔とは別人のようであった。
集う親戚。こんなにいたのかと改めて思うほどだ。
懐かしい顔もあった。中でも伯父の長男の子供が大きくなっているのに驚いた。
確か遊んであげた時は5歳だったやんちゃ坊主が19歳の若者になっていた。
茶髪を後で束ね、ピアスを光らせた彼をいつのまにか見上げる立場になっていた。

伯父伯母たち年寄りはみな変わらない。
でも甥だの姪だのの子供たちはみな10~20代。
誰が誰だかわからない。
そんな集まりゆえ、自然と昔話に花が咲く。
通夜にも関わらず、湿っぽさはまるでない。
伯父の遺体の横で笑顔溢れる集まりだ。
考えてみれば、これが伯父の最後の招集だったのだろう。
賑やかな方がかえってよかっただろうと思う。

一方で子供の頃、従兄弟と遊んだ御代田の家の周辺は、あちこちに新築の家やアパートが建ち並び、道路ができてと様変わりだった。
あの頃の面影が消えつつあり、その方に寂しさを感じた。
酔い覚ましに外に出ると、冷たく澄んだ夜空には満天の星。
東京でもオリオン座は見られるが、星々の中から浮かび上がるオリオン座というのはちょっと見られない。そういえば夜空一杯の星を眺めるのも楽しみであった事を思い出した。
家の周辺は変わっても夜空は昔のままだった。

葬儀が終わって帰って来ても伯父が死んだという実感はない。
今でも御代田に行けば笑顔で迎えてくれそうな気がする。
でもきっとそうなのだろう。
人は死んだらどうなるのかという事はよく言われるが、たぶん伯父は今でもあの頃の御代田のあの家のいつもの指定席に座って晩酌をしているのだ。
そしてなかなかそこに行く機会がないだけなのだ。

いつかそこに行けるのだろうが、それまでは遠くにありて思う故郷に今でもあのままでいるのだと思いたい・・・

   

2009年1月24日土曜日

ミュージカル



  







先日劇団四季のミュージカル「赤毛のアン」を観に行った。
モンゴメリー原作のこの有名なお話、実は私は読んだ事がない。
したがって初めてストーリーを知ったわけであるが、ストーリー自体はいかにも女の子向けという感じだ。

しかしストーリーもいいが、何といっても「生の迫力」。
これに尽きると思う。
右に左にと動き回る俳優たち。
その足音や息遣いが直接伝わってくる。
一人一人が細かいところまで演技しているのには感心してしまう。

ミュージカルとなると映画でも名作と言われているものがある。
古くは「ウエストサイド物語」、「屋根の上のバイオリン弾き」や最近では「オペラ座の怪人」など観てよかったと思うものもある。
しかしどうしても映画でのミュージカルはしっくりとこない。
映画とミュージカルは相性が悪いと個人的には思っている。
映画大国インドの映画はどれを観ても同じ様にみえてしまうし、どうにも面白みが感じられないのは、ほとんど音楽が流れっぱなしの一種のミュージカルだからだと思う。
やはり「ミュージカルは舞台に限る」と思っている。

ただ欠点は料金だ。
8,000円~10,000円というのはちょっと高い。
家族で観に行きたいと常々思っているが、なかなか勇気がいる。
ここのところをもう少し改善してほしいなぁと願ってやまない。
家族で気軽に行けるようになるともう少し世の中も変わりそうに思うのだが・・・

2009年1月20日火曜日

道路政策

「高速道路、休日は1000円上限で乗り放題 2次補正成立で2年間実施」

ファミリー向けにはかなり刺激的(?)なニュースを目にした。
土日祝日の地方の高速道路料金を上限1,000円で乗り放題にしてくれるらしい。
その他平日でも首都高の割引他があるらしい。
ただパブリックコメントなる意見公募を行ってから正式決定するというが、こういう意見に反対意見など出るものだろうか?
さっさとやってほしいものだが・・・

それにしても何でこんな政策が出てきたのだろうか?
新車販売が不振でトヨタをはじめとする自動車各社が減収にあえぐ中、国民に車を買わせようとする戦略なのだろうかと勘繰ってしまう。
しかし、それにしては対応が(役所にしては)早すぎるし、2年間という限定だからそうではないのかもしれない。
それにすでに車のある我が家にとってはたとえ車を買わせようとする政府の策謀だろうと気にする事はない。
素直に喜んでもよさそうである。

ただこれでみんなが車で出かけるようになると、問題は渋滞だ。
今でもGWやお盆などの渋滞は酷いが、さらに拍車をかけることになる。
渋滞の解消策もあわせて考えてほしいものである。
それに、夏休みに家族でレジャーに出かける時は、平日に出かける事が多いだろう。
(それでこその夏休みだ)
その時は恩恵に預かれないわけである。
商業車を除外する目的なのだとしたら、もう少し別の方法を考えてもらう必要がある。

かつて経営コンサルタントの大前健一氏が各家庭で10万円を支払って高速道路を永久にただにするアイディアを公開していた。
わずか10万円でできるそうである。
どうせならこういう恒久的な取組みをしてもらいたいものである。
久々に良い政策だなと思ったのだが、まだ始めの一歩という感じだ。
そういうコメントをどうせなら出してみようか、などと思ったりしてみたのである・・・


2009年1月16日金曜日

給付金の使い道

登場した時は「最後の切り札」的な存在だったのに、今は人気低迷にあえぐ麻生首相。
給付金を巡る議論が賑やかである。

この不況を乗り切るには何とか消費を回復させないといけない。
しかし、この不況下で家庭はどこも財布の紐を厳しく締めている。
そこでお金をばら撒いて使ってもらえば消費も増えるという腹積もりなわけだ。

しかし、所得をすべて使ってしまうアメリカ人ならいざ知らず、堅実に貯蓄する日本人に対し、どれだけの消費刺激効果があるのか、という事で問題になっているわけである。
ばら撒いた後、ゆくゆくは増税が確実なだけに尚更だ。

あるところで面白い話を知った。
例えば月に40万円の収入があり、そのまま40万円を使い切っていた家庭があるとする。
ところがそれではいけないとそのうち10万円を貯蓄に回すことにした。
個人レベルでは誰もが頷く当然の考えだ。

ところがそれをマクロの立場からみる。
それまで40万円の消費があった。
国全体でみると4,000億円の消費であったとする。
するとそれが各企業の売上となり、やがて給与となって個人に還元されていく。

ところが10万円を節約したために消費は30万円となり、国全体では市場規模は3,000億円に縮小。
各企業の売上も3/4に減り、それに対して各企業はリストラや給与カットで対応。
すると個人の給与も30万円に減り、その家庭はさらに節約し、今度は5万円の貯蓄をするため消費を25万円に抑えた。すると・・・

面白い話だ。
逆に言えば10万円の貯蓄をするのではなく、借りてでも50万円の消費をすればいいと言う事になる。
アメリカ人式が正しいという事だ。

給付金も毎月くれるなら、「お国のため」に消費に回そうと思うのだが、1回だけではなぁ・・・
せめて今タイミングを待っている地デジ対応のテレビの足しにしようかと思うのだが、それまではやっぱり「とりあえず貯蓄」に回す事にしようかと思ったりしている代表的庶民の我が家なのである・・・


     

2009年1月14日水曜日

中国から見た日本2

朱建栄東洋学園大学教授の講座に出席した。
期待通りの内容であった。

日中両国の間に横たわる問題はやはり戦争の部分が大きい。
中国側の言い分もわからなくもないが、かといっていつまでも言われ続けるのもどうか。
そっちがいつまでも拘るのであればいつまでたっても友好などありえない、そんな考えを抱いていたものである。

しかしそう思う前に考えないといけない事がある。
第2次世界大戦は太平洋戦線でみると日本対米英中ソの図式である。
そして日本からすると対米英、対中、対ソと3つに分かれる。

人は「加害者意識」より「被害者意識」が残るものである。
そのためか日本人にとって「あの戦争」と言う時、それは「沖縄戦」「東京大空襲」「広島」「長崎」であり対米戦を指す。
加えるなら「シベリア抑留」の対ソ戦である。

しかし中国にとっての第2次世界大戦は「対日抵抗戦争」である。
したがって「あの戦争」といえば「対日戦争」に他ならない。
このギャップが大きいと朱教授は語る。

言われてみれば確かにそうだ。
つい最近自衛隊の航空幕僚長の「大東亜戦争は侵略戦争ではない」とする趣旨の論文が問題となった。対米戦争という観点からすると、平和な鎖国を黒船によって無理やり開国させられ、不平等条約を結ばされ、大恐慌下では列強のブロック経済からはじき出され、押し寄せる帝国主義の荒波から身を守るべくそのための資源を求めて大陸へ進出していった行為は「自衛戦争」と言えるものかもしれない。

しかし対中戦争という観点からすると、「中国国内で」「中国軍(国民党+共産党)と闘った」という事実からしてもそれは「侵略戦争」に他ならない。
ましてや日本軍は連戦連勝で国民党政府を奥地まで駆逐してしまったので尚更だ。
中国人に向って「侵略戦争ではない」などと言えば烈火のごとく怒るもの当然なのだ。

歴史上の事実は一つだ。
しかし光を当てるところが違うと同じものでも違って見えるもの。
要はいろいろな角度から(相手の立場から、そして第三者の立場から)見てみる事が必要だろうと思わされる。

アメリカは自国の利益を追求してドライに動く国だ。
日本と友好関係を結んでいるのも「アメリカ人が良い人」だからではなく、「それがアメリカの利益になるから」だ。
これからは日本もアメリカ一辺倒ではなく、すくなくともEU、中国という大国とバランスをとって付き合っていかないといけないはずだ。
そのためにも角度を変えてモノを見る事も学んでおかないといけない。
そんな事を考えさせられた講義であった・・・

  

2009年1月12日月曜日

中国から見た日本

我々は他人を評価するときその言動や外見に頼る。
それはそれで仕方がないのであるが、その人の考え方まであわせてわからないとその人の本当の姿は見えてこないものである。そんな事を考えさせられた本に出会った。
胡錦濤 日本戦略の本音 ナショナリズムの苦悩である。

実は社会人向けのある勉強会に毎月参加している。
毎回ゲスト講師を招いて講義&ディスカッションをしているのだが、今回の講師が著者の東洋学園大学教授の朱建栄氏。日本にはもう20年以上住んでいて、日本語はペラペラであり日本についてもよくわかっている。
「日本と中国は近いわりに互いを『色眼鏡』を通して相手を見ている」
そう主張するこの本は、講義の課題図書として指定された関係で読んだものだが、そんな日中関係に解決策を提示する本である。

日本と中国の間には様々な問題がある。
靖国神社、歴史認識、尖閣諸島、ODA(円借款)、反日デモ、台湾問題・・・
それらを一つ一つ取り上げて、問題の所在を解説し解決策を提案する。
それも相手の考え方を含めてなので、なぜそういう問題が起こるのか、がわかる。

例えば小泉総理が強行して問題となった靖国神社参拝。
ニュースで見る限り「A級戦犯といっても日本には日本の事情があって起こした戦争。
日本のために働いた人達だし、死んだ人を弔うのになぜ外国に文句を言われなければならないのか」と個人的には思っていた。
「堂々と8月15日に行けばいいのに」と。

これに対し中国からみると違う姿がある。
事の発端は対日戦時賠償の放棄。
日本との平和条約締結に際し、中国は当時500億ドル(当時の日本の国家予算の18年分)と試算されていた戦時賠償金を放棄した。
日本は日清戦争、義和団事件で多額の賠償金を当時の中国政府から取っていたのに、である。それらの資金で八幡製鉄所を作り日露戦争の準備もできたのだ。

放棄の理由は第1次大戦のドイツの教訓でもあり、遠い将来にわたる関係を考えての首脳陣の英断であった。だが、国民は賠償金に多大な期待を寄せている。
中国最大の長春自動車工場を20~30社も作れるし国民の給与レベルも一段上げられる。
どう国民を説得するか。

そこで考えられたのは、「日本人もまた一部の軍国主義者によって引き起こされた戦争で悲惨な目にあった被害者である。同じ被害者から賠償金は取れない」という理屈であった。そうして国民を納得させた経緯があるゆえに、「同じ被害者であるはずの国民の代表である現役の総理大臣が加害者であるA級戦犯に対して参拝する」のは「国民に説明がつかない」となるのである。
そうした背景まで解説してくれるメディアはない。

もちろん一つ一つの問題をどう考えるかは個人の自由だ。
ただそういう事実を知った上で判断しなければ偏った判断となってしまうだろう。
あらためて相互理解の重要性を認識させられる。

2005年時点と少し前の本であるが、基本は現在でもかわらない。
課題図書でなければ絶対読まなかったと思うが、自分の認識の幅を広げてくれる良い本に出会ったものである。
        
  

2009年1月11日日曜日

海外での誘拐事件に思うこと

 
エチオピアで誘拐された日本人医師が解放された。
そういえばそんな事件もあったな、と忘れかけていたが何より無事開放というのは良かったと思う。
開放に当たっては医師が所属するNGOが交渉に当たったようである。
専門のネゴシエーターか何かを雇って交渉したのだろうかと想像力を逞しくしている。

開放にあたってはどうやら身代金150万ドルが支払われたようである。
こういう場合、身代金を支払うとそれに味をしめた犯行グループが再度日本人を狙う可能性もあり、また別グループも同じ事を計画するとなると、世界中で日本人が狙われるという事態も招きかねない。だから安易に身代金交渉に応じてはいけないという考え方がある。

外国ではむしろそういう考え方が主流のようだ。
日本人はすぐに金を払って解決したがるような感じだが、それは「金がある」事と「人質奪還などの任務を外国で遂行できる能力がない」という事情も背景にあるのだろう。

だが「交渉しないというスタイル」もどうだろうか?
例えばハマスやヒズボラなどのパレスチナゲリラはよくイスラエル兵を拉致する。
憎くきイスラエル兵だから捕虜にするより殺してしまうのかと思えばそうではない。
時折、イスラエルとゲリラグループとの捕虜交換がニュースで話題になる。
イスラエルは国内で拘束したゲリラグループのメンバーを自国兵士との交換で解放しているのだ。
それが3人対300人だったりする。

数の上では圧倒的に不利な交換である。
ゲリラからすれば、イスラエル兵一人を拉致すれば100人の仲間を解放できる。
だから「殺すより生かしておく」。
結果的に兵士は殺されずに済む。

イスラエルは国民の数が少ない。
兵士一人と言えども安易に見殺しにはできない。
だから例え不利な条件でも交換に応じる。
その結果、自国兵を守る事になる。
これも一つの考え方だ。

無事に帰せば金がもらえるとなれば殺されずに済む。
お金と命とどっちが大事かなんて比べるまでもない。
しかし、逆に金になると思えば狙われる。
この矛盾は実に難しい。

今回日本政府は表に出なかったという。
水面下でそうした配慮がいろいろとあったに違いない。
何はともあれ安心であるが、海外に行く時はやっぱりいろいろと気をつけなければと思う次第である・・・