2021年4月25日日曜日

経営道

 人は誰でもお金を出して会社を設立すれば経営者になれる。今は昔と違って資本金のルールも緩いので、まとまったお金がなくても会社は設立できるから、誰でも簡単に社長になれる時代である。しかし、簡単にはなれても真の経営者と言えるような社長になれるかと言えばそうではない。武士に武士道があったように、経営者にも守るべき道というのがあるように思う。そういういわば「経営道」のようなものを身につけた人物こそが真の経営者と言えるのだと思う。

 そうした経営者が守るべき「経営道」(それはこういうものと決まったものなどはないのだが)を守れているかどうかは、危機に際して、あるいは最後の時に本性がわかるものである。普段は立派な社長も、いざ倒産の危機となった場合に変貌するというのは、私も銀行員時代に多く見てきた。そうした危機にあって、あるいは最後まで変わらず人徳を保ち続けることができる人物こそ真の経営者と言えるのだと思う。

 企業においては、「お客様」「従業員」そして経営者自身の利益が絡み合う。理想的な優先順位は、「お客様→従業員→社長」である。この順番が最後まで守れるかどうかが、1つの試金石と言える。例えば数年前、韓国でセウォル号事件というのがあった。フェリーが沈没して大勢の犠牲者が出た事件だが、注目を浴びた1つが、船長がいち早く避難してしまったことである。この事故では、乗務員による適切な避難指示がなかったことが大勢の犠牲者を出した一因でもある。

 会社の社長は船で言えば船長である。船長は乗員・乗客の安全には責任を負い、危機にあっては「最後に船を降りる人」でなければならないわけである。それを放棄して真っ先に避難してしまったセウォル号の船長が非難を浴びたのは当然である。何も旧帝国海軍の艦長のように「艦とともに運命をともにする」までいかなくてもいいだろうが、少なくともギリギリまでその努力はすべきであろう。

 船も突然沈没するわけではなく、ある程度時間の余裕はある。であればできることも多いはずである。企業も突然死ばかりではなく、ある程度時間の余裕があったりする。環境の悪化で売上が落ちたりする場合は、経営者であれば「まずい」というのは真っ先にわかる。その時、自分の財産だけ隠したり、あるいは自分だけ夜逃げをしたりというのはいただけない。よく、朝出社したら会社が倒産したと知らされたなんて従業員の話を聞いたりするが、それなど船長が真っ先に避難してしまう例である。

 数年前に成人式に予約していたレンタルの着物が借りられなかったという事件があった。ユッケを食べた小学生が亡くなったという事件もあった。いずれも社会的に大きな問題になり、経営者も矢面に立たされたが、危機に至る過程や、危機が実現した時に「お客様→従業員→社長」という優先順位を守れるかが、経営者の大きな試練であると思う(両社の経営者がどう行動したかはよくわからないのでコメントはしない)。また、倒産とまではいかなくても、高齢等によって事業継続が困難になった時の会社の畳み方などにもそれは表れるかもしれない。

 例えば、会社を畳めば従業員は職を失う。お客様はその会社のサービスを受けられなくなる。それに対してどういう手当をするか。他社で代替できるサービスであればその案内でいいだろう。従業員に対しては、就職先を斡旋したり、あるいは当面必要な資金をまかなえるように十分な退職金を支給したりすることができるだろう。時間的な余裕も必要だから、一年くらい前から計画を話しておくことも必要だろう。最後の営業の日に、従業員から花束をもらって感謝の言葉を得られたら、それがその人の経営者としての成績表と言えるだろう。

 そうした最後の姿でなくても、日頃からお客様優先、従業員優先の経営ができているかも重要だろう。クレームに真摯に向き合わなかったり、気に入らない社員を辞めさせたり、減給したりということもあるかもしれない。おおよそ、経営者としてふさわしくない人物の経営は日頃からその言動の端々に現れているものである。残念ながら、経営道を気にしなくても経営はできるわけであり、だからこそ自分の預金通帳の数字が増えるのだけが楽しみという経営者も多い。

 武士は武士道に反した行動をとればそれは恥とされた。そういう不名誉を武士は恐れたが、経営者にはそれがない。もう少しそれが広まれば、世の中(特に中小企業では)働きやすくなったりするのかもしれない。そうした「経営者教育」が広まればとも思う。自分は経営者ではないが、それに近い立場にいる。せめて自分は、「経営道」を意識し、身を正していたいと思うのである・・・



【今週の読書】
 




2021年4月18日日曜日

論語雑感 公冶長第五(その18)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感。

【原文】
子張問曰。令尹子文。三仕爲令尹。無喜色。三已之。無慍色。舊令尹之政。必以告新令尹。何如。子曰。忠矣。曰。仁矣乎。曰。未知。焉得仁。崔子弑齊君。陳文子有馬十乘。棄而違之。至於他邦。則曰。猶吾大夫崔子也。違之。之一邦。則又曰。猶吾大夫崔子也。違之。何如。子曰。清矣。曰。仁矣乎。曰。未知。焉得仁。
【読み下し】
子(し)張(ちょう)、問(と)うて曰(いわ)く、令尹(れいいん)子(し)文(ぶん)は三(み)たび仕(つか)えて令尹(れいいん)と為(な)りて喜色(きしょく)無(な)し。三(み)たび之(これ)を已(や)めて慍(いか)る色(いろ)無(な)し。旧(きゅう)令尹(れいいん)の政(まつりごと)は必(かなら)ず以(もっ)て新令尹(しんれいいん)に告(つ)ぐ。何如(いかん)ぞや。子(し)曰(いわ)く、忠(ちゅう)なり。曰(いわ)く、仁(じん)なるか。曰(いわ)く、未(いま)だ知(ち)ならず、焉(いずく)んぞ仁(じん)なるを得(え)ん。崔(さい)子(し)、斉君(せいくん)を弑(しい)す。陳文子(ちんぶんし)、馬(うま)十乗(じゅうじょう)有(あ)り。棄(す)てて之(これ)を違(さ)り、他(た)邦(ほう)に至(いた)る。則(すなわ)ち曰(いわ)く、猶(な)お吾(わ)が大(たい)夫(ふ)崔(さい)子(し)のごときなり、と。之(これ)を違(さ)る。一邦(いっぽう)に之(ゆ)く。則(すなわ)ち又(また)曰(いわ)く、猶(な)お吾(わ)が大(たい)夫(ふ)崔(さい)子(し)のごときなり、と。之(これ)を違(さ)る。何如(いかん)ぞや。子(し)曰(いわ)く、清(せい)なり。曰(いわ)く、仁(じん)なるか。曰(いわ)く、未(いま)だ知(ち)ならず、焉(いずく)んぞ仁(じん)なるを得(え)ん。
【訳】
子張が先師にたずねた。
「子文は三度令尹の職にあげられましたが、別にうれしそうな顔もせず、三度その職をやめられましたが、別に不平そうな顔もしなかったそうです。そして、やめる時には、気持よく政務を新任の令尹に引きついだということです。こういう人を先生はどうお考えでございましょうか」
先師はいわれた。
「忠実な人だ」
子張がたずねた。
「仁者だとは申されますまいか」
先師がこたえられた。
「どうかわからないが、それだけきいただけでは仁者だとは断言できない」
子張がさらにたずねた。
「崔子が斉の荘公を弑したときに、陳文子は馬十乗もあるほどの大財産を捨てて国を去りました。ところが他の国に行ってみると、そこの大夫もよろしくないので、『ここにも崔子と同様の大夫がいる』といって、またそこを去りました。それからさらに他の国に行きましたが、そこでも、やはり同じようなことをいって、去ったというのです。かような人物はいかがでしょう」
先師がこたえられた。
「純潔な人だ」
子張がたずねた。
「仁者だとは申されますまいか」
先師がいわれた。
「どうかわからないが、それだけきいただけでは、仁者だとは断言できない」

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 孔子と子張の前後の状況がよくわからない会話であるが、子文と陳分子という2人の人物の行動が問われている。子文は令尹という何か要職に就いたが、その職に固執することなく、淡々と職務をこなしたようである。おそらく、名誉か報酬かわからないが、かなり美味しい職務だったのだろう。普通の人はその職を手にするために汲々とし、またその職にしがみつこうとするものだったのだろう。

 一方、陳分子という人物も同様で、仕える君子が人物的に問題があってそれを良しとしない場合は、その地位を捨てることに頓着しない人物だったのだろう。どちらも金銭的な価値よりも自らの信条を優先して行動する人物だったようである。現代社会でも「好きなことを仕事にする」のが理想的とされつつも、多くの人が目の前の仕事を好き嫌いで選んではいないのではないかと思う。

 仕事はもちろん報酬のためが第一であろう。生活に困ることはなく、ただ世の中との接点を持ちたいというだけで報酬目当てではなく働いている人もいるかもしれないが、ほとんどは生活のためにまずは働いているのだと思う。かく言う私もその1人であり、働く目的は生活のためが第一で、それがゆえに多少の不自由不満があっても簡単に辞めるというわけにはいかない。ただ、それがなければ、割と地位には固執しない人間であると思う。

 以前、高校の同窓会と同期会と関連する団体の役員を務めていたが、いずれも報酬には関係のないボランティアであった。中にはずっと務めている者もいるが、私はそういうものには固執しないので、「必要がなくなれば自ら去る」という道を選んでいた。どれも辞めたのは人間関係と仕事の内容に魅力を感じなくなったことによる。長年、変化を避けて同じようなことをして満足していたり、意見が合わなくなって辞めたというパターンである。

 「生活のため」という要素が加わると、人は簡単に辞めるという選択肢は取れない。「辞めたあとどうする」という問題があるからである。しかし、それがなければ純粋にやり甲斐などが動機となってくる。子文も陳分子もいずれも生活には困らなかったのか、あるいはなんとでもなる人物だったのであろう。そして地位に固執しないという部分にも美学を感じる。

 ボランティア組織では、それが生き甲斐になっている人もいる。そういう生き甲斐は悪くはないが、報酬が絡むとそこには欲が出てくる。職を去れば失うのはやり甲斐だけではなく報酬もである。となれば、欲深きはこれに固執しようとする。そして普通は、欲が出るものである。だからこそ、子張は2人をして「仁者では?」と尋ねたのであろう。欲に動かされない人間は、やはり尊敬に値するものだからである。

 自分は果たして今の仕事を報酬を無視して離れられるだろうかと考えてみると、それは難しい。次の仕事を確保してからでないとできないし、次の仕事が少なくとも同じ給料でとか条件を考えてしまうとさらに壁は高くなる。なかなか職に固執せず、理想の働き方を追求するというのは、私にとっては難しい。子文も陳分子もどんな人物だったのかはわからないが、たとえ孔子のいう通り「仁者」ではなかったとしても、やはり尊敬すべき孤高の人物であったことは間違いないのだろうと思う。

 辞めても引く手数多であれば、気に入らなければ去るという選択肢も容易に取れるであろう。そんな働き方ができるようになったら理想的だろうなと思うのである・・・


Jose Antonio AlbaによるPixabayからの画像

【今週の読書】
 



2021年4月14日水曜日

情報開示が何より

福島第一原発の処理水、海洋放出を政府が決定

2021年4月13日BBCニュース

日本政府は13日、東日本大震災で破壊された東京電力福島第一原子力発電所から排出されている放射性物質を含む100万トン以上の処理済みの汚染水を、福島県沖の太平洋に放出する計画を承認した。この水は、同原発の核燃料を冷却するために使用されているもの。飲料水と同じ放射能レベルまで希釈してから放出する予定。放出は2年後に始まるという。数年にわたる議論の末に最終決定が下された。放出計画は完了までに数十年がかかるとみられている。しかし地元の漁業団体に加え、中国や韓国などがこの計画に反対している。

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 原発事故から10年。発電所から排出される処理水がタンクに貯められているのは知っていたが、それがここにきて貯めておくのも限界ということになったのであろう。100万トンと言われてもちょっと想像できない量である。詳しいことはわからないが、たぶん燃料棒等の核物質を冷やすのに使われた水という理解でいいのだろうと思うが、それを安全なレベルにまで戻して海に捨てようということなのだろう。

 この計画に対し、「大丈夫なのか」という疑問は当然出てくるわけであり、中韓や地元の漁業関係者、「何でも反対」野党の人たちなどが反対しているようである。その安全性に関しては、国際原子力機関(IAEA)が、「各国のほかの原発で行われている排水放出に似ている」として「問題ない」と発表しているようであり、おそらく大丈夫なのだろう。さすがに内外の注目を浴びることだから、ごまかしてやってしまおうということはないと思う。

 こういう意見に反対する人については、どういう根拠なのかというのが気になるところ。「何でも反対」野党の人たちなら(根拠などなくてもとにかく反対だから)わかるが、その他はどうだろう。地元の漁業関係者が反対するのはたぶん「風評被害」を気にするのだと思う。これはいくら安全と言われても「何となく不安」と言われればそれまで。菅総理がパフォーマンスで処理水を飲んでみたところで、起こる時は起こるだろう。

 この風評被害を防ぐには、何より信頼されることが第一だろうと思う。「何となく不安」ならばその不安を解消してあげればいいわけで、それには徹底した情報開示が一番だろうと思う。これは何も風評被害にとどまらず、およそ信頼関係を維持するには共通していることのように思われる。会社の経営にもそれは当てはまると思う。たとえば、業績が好調だとわかれば社員はボーナスが増えると期待する。ところがそうならない場合はなぜなのか、きちんと説明しないと不信感を抱かれることになるだろう。

 すこし前の話になるが、我が社は取引先の不祥事に巻き込まれてしまった。検察が捜査に来るという異常な事態となったが、その時にやったのが「状況説明」である。幸い我が社は何もやましいところがなかったので、疑いをかけられたと思われる理由や、経営陣が把握している状況をすべて説明した。従業員に対し、「あなた方には関係ない」というスタンスはあらぬ不信感を持たれるだろうと思ったのである。その効果があったかどうかはわからないが、疑惑が完全に晴れるまでの何か月間は、少なくとも社員に動揺はなかったと思う。

 我が社では年に一回業績の報告を全員に対して行っている。賞与は当然業績連動なので、全社レベルの業績はその参考になる。「今期はいい」「今期は悪い」で済ますのではなく、実績を示して「どのくらいいい」のか「どのくらい悪い」のか具体的にしているのである。各人の理解の程度はそれぞれかもしれないが、少なくとも開示姿勢は明らかにしているし、今でも何かあればきちんと全員に状況説明をしている。やっぱり「何考えているのかわからない」というのが、一番の不信につながると思うからである。

 冒頭の処理水の問題においても、徹底して情報開示するに限るのではないかと思う。なんなら処理水の水槽で魚でも飼って展示してみせたらどうかとも思う。それより素人的には「再使用できないのか」とも思う。排水して問題ないならそれを再使用しても良いように思う。循環利用すれば排水しなくても半永久的に利用し続けられるわけであり、いいアイディアのようにも思うが、どうなのだろう。まぁ、素人でも思いつくくらいだからきっと既に検討済みで、実現できないなんらかの理由があるのだと思う。

 自分は福島水揚の魚を食べるだろうかと考えてみるに、たぶん気にしないで食べるだろう。漁業関係者の方には安心していただきたいと東京の一消費者として思うのである・・・



【本日の読書】
 



2021年4月11日日曜日

三種の神器だけでなく

仕事で何事かを成し遂げるためには、「三種の神器」が必要であると思う。しかし、実はそれだけではない。それどころか「三種の神器」以上に必要なものがあると思う。それは「人間関係構築力」である。世の中は、やはり人と人との関係で成り立っている。1人で生きているわけではない。当然といえば当然であるが、ゆえにその中で他の人といかに関わるかが大事である。

 この「人間関係構築力」が私は大の苦手。それで随分損をしてきたと思う。銀行員時代、結果的にそれほど出世できなかったのは、はっきり言って能力の差ではなく、この「人間関係構築力」の差であると自覚している。要は相手の気分をいかに害さずに物事を進めるか、なのである。組織の中では上司がいて、同僚がいて、部下がいる。部下に関してはまだ良いとしても、上司と同僚とうまくやっていくことは、仕事の成果や出世に大きく関わることである。

 上司とうまくやっていくと言っても「おべっか」を使うわけではない。意見が一致している場合はいいが、問題は意見が一致していない時。どうしても私には「なぜわからない」という思いが出てきてしまう。銀行であれば、つまらない保身から消極的になる上司も多い。そういう時、どうしても腹のどこかで相手を馬鹿にしてしまうのである。そういう気持ちは当然相手に伝わるし、結果としていい印象は与えない。そうなれば当然、評価もいい評価は期待できなくなる。

 私が新入行員だった1988年は、まだ滅私奉公の時代。休みの日も支店行事に駆り出されることがしばしばあった。私はこれが苦痛で苦痛で仕方がなかった。何が悲しくて休みの日までわざわざ職場の人たちと過ごさなければならないのかと。ある時、レクレーション担当の課長と喧嘩になってしまったことがある。「休みの日までできません」と言ったところ、「これも仕事だ!」と言われ、「なら休日出勤手当は出るんですね」と返したのだ。今あの時に戻ったならば、そんなことは絶対言わないだろう。

 ちなみに、当時はどこも会社で運動会をやるのが一般的であった。私のいた銀行も例外ではなかったが、私はこれも嫌で仕方がなく、これは断固拒否して行かなかった。しかし、次第にそこはうまく説明するようになって、毎年運動会の日には友人の結婚式に出ていることになっていた。はっきりと「休みの日に行きたくない」と言うよりも、「友人の結婚式があって・・・」と言った方が角が立たない。精神的にも穏やかでいられる。

 また、若い頃はそんな具合だったからアフターファイブのお付き合いも避けていた。誘われて断ることもしばしば。アフターファイブのお付き合いは、いわゆる「飲みニケーション」と言われるくらい大事である。職場を離れてリラックスした状態で、先輩あるいは上司は後輩または部下に仕事の心得をいろいろと語って聞かせるのである。これが私には苦痛であった。なにが悲しくて仕事の後も自慢話を聞かなければならないのかと。今であれば、進んでお供をして話を聞くだろう。それはおべっかというよりも、何か自分に得るものがないかという考えである。

 議論になって意見が食い違う時、私は相手の議論を封じ込める傾向がある。どうしても問題点を指摘されればその解決策を提示する。それが繰り返されれば、相手も反論の材料がなくなる。ならばそれが相手の満足につながるかと言えば決してそうではない。これはなかなかわかっていても変えられない。今でも「社長を立てる」ということを常に意識するようにはしているが、何かあればすぐ論理的にやり込めてしまうところがある。なかなか難しいところである。

 上司に対して何か物言いを入れたい場合、最近では一呼吸置くようにしている。その場ですぐに言うのではなく、グッとこらえて最低でも一晩置く。これによって冷静に言うべきかどうかを考えるようにするのである。それで完璧と言うわけではないが、ある程度は言葉の棘を取り除く効果はあると思う。やはり相手には相手の考えがあるわけで、いくらこちらの意見が正しいと思っていても、相手に考えを変えさせるためには配慮が必要だろう。

 ちなみに議論となった時になるべく断定的に話さないのも1つのコツである。「〜であればどうしましょうか」と言う疑問形にするのである。すると相手も考える。そうしてこちらの考える結論にうまく誘導できれば(冷静に考えれば結論には簡単にたどりつけたりするのである)、相手は自分の意見として私と同じ意見にたどり着ける。そうなれば話は簡単で、苦労は少ない。ストレートに投げ込むだけがすべてではない。うまく変化球を使いこなすことも必要だろう。

 もう一度、大学を卒業した時点に戻って社会人生活をやり直すことができたなら、私は今度はうまくやれそうな気がする。無用な対立を招くのではなく、うまく自分の心と折り合いをつけながら相手の立場・考えを尊重して対応できるような気がする。ひょっとしたらその時は頭取も夢ではないかもしれない。妄想の世界であるのは残念であるが、現実の世界も明日からやろうと思えばできることである。

 明日からやれることであるなら明日から意識して心がけようと思う。これからそう言う事の1つ1つが息子にしてやれるアドバイスになる。そう考えて、前向きにやりたいと思うのである・・・



【今週の読書】
 



2021年4月8日木曜日

三種の神器

 仕事でもスポーツでもうまくやる秘訣は、「考え方(考える事)」「情熱」「創意工夫」であるというのが私の信条である。仕事(スポーツ)に対して、「どんな考え方をもってあたるのか」、「どれほどの情熱を込めて取り組めるのか」、「どのようにしたらうまくいくのか徹底的に工夫する」ことである。それは仕事でもスポーツでも同様であり、真理であると考えている。

 ある野球チームにA君とB君がいて、コーチがそれぞれ半年後にはレギュラーに育てたいと考えたが、2人とも打撃が弱い。そこでコーチは2人に「毎日素振りを100回やれ」と指示を出した。A君は真面目に毎日素振りを100回やった。B君はまず自分の打撃は何が悪いのだろうと「考え」た。ストレートは比較的打てるが、変化球に弱い。そこで変化球を打つにはどうしたらよいかコーチにアドバイスを求めた。

 適切なスイングを教えてもらった上で、足腰を鍛えることも必要だと打撃の上手い先輩にアドバイスをもらい、朝起きてランニングをすることにした(熱意)。さらに週末には素振りの様子をビデオで撮影し、安定したスイングができているかどうかをチェックした(創意工夫)。2人とも真面目に毎日素振りを100回し続けたが、半年後にレギュラーに選ばれたのはどちらだろうかと予想すると、それは間違いなくB君だろう。

 2人が実施した素振り100回という行為は同じである。しかし、その結果には雲泥の差が出るであろう。「好きこそ物の上手なれ」という言葉があるが、まさに「情熱」を持って取り組めば、並以上の結果を得られるものである。一生懸命「考える」し、あれこれと「工夫」も生み出される。「ただやる」のではなく「どうやる」のか。その結果は大きな成果となって現れる。そういうものだろうと思う。

 サラリーマンの中には指示待ち族の人がいる。言われればやるが、言われないとやらない。言われて一応やってみせるが、どこか物足りない。A君も真面目に100回素振りをしているが、それだけである。指示された仕事はやるが、どうせだったらもっと効率的にやろうとか、効果的にやろうとか考えて欲しいと思うが、本人にその気はないようで、言われたことを言われた範囲内でやるのみである。

 もっとも、本人にしてみれば、言われたことはきちんとやっており、何が問題なのかと訝しむかもしれない。嫌な事(気乗りしない事)はさっさと終えてしまった方がいいというのは人の心理である。仕事だって生きていくためにはやらなければならないわけであるからやっているわけで、指示された事をきちんとやっているのだからそれ以上求められても困るという反論があるかもしれない。

 それはそれで、おかしくはない。仕事に何を求めるかは人それぞれの考え方である。野球はある程度好きだからチームに入っているが、そこそこ楽しめれば十分で、無理してレギュラーにならなくてもいいという考え方もある。A君の例だって、本人が満足していれば別に問題はない。ただ、レギュラーになったり、仕事で多くの給料をもらいたいと思えば、当然そんなスタンスではいけない。

 では、そうしたことに気がついていない場合はどうか。レギュラーにはなりたい。だからコーチの指導には忠実に従う。毎日素振りを100回きちんとやる。そういう場合は、きちんと認識させないといけない。「言われた事だけでは足りない」と。「自分で考えろ」と。そうして自分で考えられる人はいいが、そこで戸惑う人もいる。「自分なりに考えているし・・・」とか、「考えてもわからない」とか。

 かつて私もそうであった時期があった。突然、「今のままでいいのか」「おまえは何がやりたいんだ」と言われて戸惑ったのである。20代後半の時であった。そうは言われても仕事はきちんとやっているし、何がいけないのかわからなかったのである。たぶん、誰よりもそつなく素振りを100回こなして満足していたのだと思う。「仕事は仕事、やる事だけきちんとやっていればいい」という考え方であったと今では思う。

 それが変わり始めたのは、このままではレギュラーになれないという現実である。ならどうするか。諦めるか自分なりに足掻くか。もともと自分はレギュラーになれると思っていたから、諦めるという選択肢はない。そうして足掻き始めた次第である。それでもいきなり変化したわけではなく、熱心に指導していただいた方に内心反発していたりという時期もあったのは事実である。こうした「コーチ」の存在も重要であろうと思うのである。

 長年かけての気付きではあるが、こうした気付きをどこかで誰かに伝えたいと思う。いずれは子供たちにと考えているが、仕事やスポーツに限らず、勉強にも当てはまる。高校生になった息子にも形を変えて教えてみようかと思うのである・・・


Keith JohnstonによるPixabayからの画像 

【本日の読書】
  


2021年4月4日日曜日

論語雑感 公冶長第五(その17)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感。

【原文】
子曰。臧文仲。居蔡山節藻梲。何如其知也。
【読み下し】
子(し)曰(いわ)く、臧(ぞう)文(ぶん)仲(ちゅう)、蔡(さい)を居(お)き、節(せつ)を山(やま)にし、梲(せつ)に藻(そう)す。何如(いかん)ぞ其(そ)れ知(ち)ならんや。
【訳】
先師がいわれた。―
「臧文仲は、諸侯でもないのに、国の吉凶を占う蔡をもっている。しかもそれを置く節には山の形をきざみ、梲には水草の模様を描いているが、それは天子の廟の装飾だ。世間では彼を知者だといっているが、こんな身のほど知らずが、なんで知者といえよう」
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 論語の中には、全体のイメージからはちょっと外れるように感じられる言葉が出てきたりする。今回の言葉もその典型。要は「分不相応」を責める内容であるが、「身の程をわきまえよ」という言葉は、孔子のイメージとはなんとなく合わない気がする。これは、『八佾第三(その1)』でも同じようなことが語られていたが、孔子は思いの外、「身の程」というものを大事にしたのかもしれない。

 人間は金や権威を手に入れると、それを誇示したくなるものなのだろう。ここに出てくる臧文仲という人物のことはよくわからないが、「諸侯でもない」というところを見ると商人なのか武人なのか何れにせよ新興勢力に当たる人なのだろう。要は「成金」であるが、力をつければ、もっともっととなる。金で買えるものは簡単に買えるので興味もやがて少なくなり、そうなると今度は名誉が欲しくなる。そこで蔡をもち天子の廟の装飾をしたのであろう。

 現在でも、スポーツやビジネスで成功した人が、選挙に出たりするようなものなのであろうか。そうした「勢い」に対して、人が反発するのは「秩序」を重んじる考えと「妬み」があるのではないかと思う。天子、すなわち皇帝の威光は他の者が簡単に犯すべからざるものであり、誰もが簡単に真似していたら、威光が地に落ちると感じるものである。したがってそうした「不届き者」を批判するのは、ある意味当然である。また、自分にはやりたくてもできないことであれば、妬みから批判するというのもあるだろう。

 「分不相応」というのは、私からすると、「どうでもいいじゃないか」と考える。仮に成金が蔡をもち天子の廟の装飾をしたとしても、それでその成金をすごいなと思えるかと言えばそうではない。所詮、形だけ真似てみても尊敬の念など湧くわけがない。それどころか、金に余せてそんな行為をするのはなんて軽薄なんだろうと思ってしまうだろう。金で尊敬は買えないのは当たり前である。

 また、妬みについては人それぞれだからなんとも言えないが、私個人に限って言えばそういう妬みは起こらないと思う。そもそも妬みというのは、自分の力の及ばないところに生ずるものだと思うが、それが金の場合は、もう悟りの境地に到達したようにも思う。外資系で羽振りのいい友人が高級車に乗っていてもなんとも思わないし(もともと高級車に興味がないというのもあるだろう)、(お金は)あればあった方がいいが、なければ自分でなんとかしようという方向に考えられるので、妬みの思考回路が働かない。

 金以外で言えば、かつて銀行員時代に人事評価を巡って不公平だと感じたことがしばしばあった。実力的には自分の方が上だと思っていたのに、自分より劣ると思われる同僚が評価された時などはなおさらであった。しかし、そういう評価というものは、実力だけで評価されるものではなく、人間関係構築力の巧拙があったりする。自分には決定的にできない部分であり、それはそれで適切な評価だったのだろうと(今では)思う。「悔しい」という気持ちに嘘はつけないが、それでも妬む気持ちにはならない。

 若い頃であればともかく、人もそれなりの年齢になってくれば妬みなどという感情が薄れてくるのではないかと思う(そうではない人も多いかもしれないが)。孔子が感じた怒りの正体はわからない。もしかしたら、何か天子(皇帝)に無礼に当たることがあって看過できなかったのかもしれない。そのあたりはこの文章だけではわからないが、人生に達観した感のある孔子のこと故、もしかしたら違う事情があったのかもしれない。

 何れにせよ、自分には関係のない人の行為にいちいち感情を乱されていたくはないと思う。人は人。自分は自分。これからもそんな他人のことに気持ちをかき乱されることなく生きていきたいと思うのである・・・



【今週の読書】

  




2021年3月31日水曜日

大学で何をすべきか

 1年間の宅浪生活を含む受験期間を終えて晴れて大学の門をくぐったのは、もう37年も前のことである。1日10時間、週65時間の勉強ノルマを自らに課しての一年間は精神的にもきつく、合格発表の掲示板に自分の受験番号を見つけた時は、喜びが爆発というよりただただ安堵感で満たされるのみであった。春の穏やかな日差しの日で、ようやく長い冬が終わった瞬間であった。

 我が娘はまもなく大学2年生。本人なりに頑張って今の大学に合格したものの、世はコロナで授業はすべてオンライン。当初、本人は喜んでいたが、それがまだまだ続くとなると複雑な心境のようである。基本的に娘には自分なりに好きに大学生活を送ってもらいたいと考えているが、親として唯一希望したいのは「4年間で卒業すること」。もちろん、本人に何か明確な目的があればこの限りではないが、基本は4年間で卒業してほしいと思う。

 そんな大学生活だが、親としてはどんなアドバイスがあるだろうかと考えてみる。我が身を振り返ってみれば、大学生活はラグビーをやり、授業にも熱心に出て、アルバイトでなんとか親にこずかいをもらわないで済ませ、とても充実した4年間であった。よく卒業してから、「もっと勉強しておけば良かった」という人がいるが、私にはそういう後悔はない(ただ、違う学部にすれば良かったという後悔はある)。

 大学生活は、ラグビーに勉強に充実した日々で、成果は上がらなかったものの合コンにも多数参加してそれなりに満足のいくものであった。娘に残りの3年間何をすべきかとアドバイスするとしても、男と女の違いもあって難しい。価値観の違いもある。私はどちらかと言えば知的好奇心が高い方で、それと親への感謝もあって授業には積極的に出席したが、娘にそれを求めるのも難しい気もする。

 ならば、友達作りとも思うが、コロナで大学に行けない(行かなくてもよい)日々では、なかなか難しいだろう。何かサークルにでも参加すればとも思うが、私のように(ラグビーを)やると決めているものがあればともかく、娘にはそういうものもなく、サークル選びも何をもとにというものもある。このまま友人もなく時が過ぎていくのは非常に惜しいと思うが、こればかりは本人の責任でもなく、どうにもやりようがない。それでもただ家にいるよりはと、バイトに行っているのが唯一外の世界との接点という状況である。

 小学生であればまだしも、女子大生となれば親が(それも父親が)何か助けてやれるというものがあるわけでもない。せいぜいが、「この機会に本を読んだら」という程度である。私であれば喜んで片っ端から読みまくるが、娘の読書に対する関心は小学生時代で終わっており、いろいろと提案しても馬耳東風になると思う。そう考えていくと、自分自身の経験から何かを語ってあげられそうなものはありそうもない。ならば一緒に考えてあげるものになるだろうかと漠然と思う。

 いずれ息子が大学に入る時がくるだろうが、その時息子に何とアドバイスするだろうかと考えてみても、答えは同じである。クラブ活動をやって友だちを作り、講義をたくさん受けて教養を深め、アルバイトをして働く練習をし、合コンに参加してとにかく女の子と接点を持てと。社会に出れば働くことが生活の中心となる。学生時代のメリットは働く必要がないこと。ならば働く以外のことをたくさん経験すべきだろう。

 結局、アドバイスと言ってもその程度のことしかできないと思う。生きるために稼ぐ必要がなく、自由に好きなことができる学生時代は誰もが過ぎた後で貴重な時間だったと気付くものだろう。まっただ中にいる当事者にはわかりにくいことかもしれないが、わかる者としてはできる限り伝えたいと思う。誰あろう我が子であるし、そこのところはしっかり伝える努力はしたいと思うのである・・・



【本日の読書】
 



2021年3月25日木曜日

勉強することができる幸せ

 息子が中学を卒業した。この4月からいよいよ高校生。いつのまにか私よりも背が高くなり、子供の成長というものを実感する。人生初めて臨んだ受験は、公立と私立それぞれ1校を受験し、両方合格して第一志望の都立高校に通うことになった。学費の面でも、親としては大変ありがたい。かくいう私も、公立高校、国立大学と学費的には親孝行であったと自負しているが、息子にもそうあって欲しいと願うところである。

 今は、いい時代だと思う。私の父は、中学を卒業してすぐに上京し、住み込みで働き始めたという。当初は地元で大工修行という話もあったらしいが、同級生が親戚の関係で上京することになり、ならばと一緒に出てきたという。労働基準法などあったのかなかったのか、朝6時に起きてから慌ただしく朝食と支度を済ませ、8時に出勤してくる職人さんのための準備をし、夜も遅くまで働き寝るのは12時過ぎだったという。

 その後、中小企業を渡り歩くが(当時はそんな風潮だったらしい)、ある時、大手の会社に面接に行ったらしい。そこでは、中卒ではせいぜい工場長止まりと言われたと言う。父は技術者としては腕が良かったらしく、行く先々で重宝されていたから、この時はじめて「学歴の壁」を感じたらしい。あまりはっきり聞いたことはないが、高校へ行けなかった無念が改めて実感された瞬間だったのではないかと思う。

 そんな父の世代の猛烈な働きで、日本は敗戦時の最貧国状態からわずか20年でオリンピックを誘致できるまでに経済成長し、私はなんの障害もなく高校・大学と進学できた。父の実家は貧しい農家で、父は小学校時代、裕福な家の子が短くなって捨てた鉛筆をこっそり拾って使ったこともあったという。一方、同年代の義父は大学を出ているから、ある程度家庭環境の差もあるが、私も父の時代であれば、よくても高校までしか進学できなかったのだろう(父と同じ年の母は兄の支援で高校へ行けたという)。

 私は大学受験は現役の時は1校だけしか受けずに落ちて浪人した。予備校に行かせてもらうのも悪いと宅浪して2年目に合格した。予備校に通っていもあまり熱心に勉強していない友人も多かったし、大学ではまわりはみんな授業に出ずにいかに単位だけ取るかに腐心していた。友人たちの授業の平均出席数は週5コマ未満であったが、私は12コマ出ていた。知的好奇心ももちろんあったが、大学へ進学できるありがたさを考えれば「単位だけ取って遊ぶ」という選択肢は私にはなかったのである。

 よく子供が「どうして勉強しないといけないのか」と聞くことがある。小学生あたりでは理解が難しいかもしれないが、勉強は「しないといけない」ものではなく、「する事ができる」ものである。父の田舎にある寺の和尚さんは、ノートを3回使ったという。一度端まで使った後、逆さにしてもう一度使い、さらに赤鉛筆でもう一度使い、最後は真っ黒になったらしい。そんなことが可能だったのかわからないが、そういう思いをしてまで勉強していた人たちからすれば、勉強できるのにしないという贅沢などありえないだろう。

 人は当たり前になればありがたみを忘れる。紛争地帯にあっては命の心配をしなくていい環境はそれだけで何物にも代えがたいだろうし、砂漠にあっては一杯の水が貴重だろう。だが、紛争地帯にあってはじめて平和のありがたさを実感するのではなく、砂漠で水の貴重さを実感するのでもなく、普通に勉強できる環境にあって勉強できるありがたさを感受できるようでありたいと思う。そしてできれば息子にもそれを感じ取って欲しいと思う。

 先日、息子と2人で私の実家へ行ってきたが、行きの車中で父の経験談を聞かせた。70年前、息子と同じ年の父は、友達と2人で見も知らぬ東京へと出てきた。故郷から東京まで汽車で6時間。今よりはるかに遠かっただろうし、心細かっただろうと思う。私も息子も何の不安もなく当たり前のように進学したが、味わわなくて済んだ身近な父の苦労をせめて想像だけでもしたいと思う。息子がどんな風に思ったのかはわからないが、少しでも何かを感じ取ってくれたらと思う。

 息子にはあえて勉強しろとは言うつもりはない。ただ、勉強は「する事ができる」ものだとは思ってもらいたい。高校の3年間は実に楽しいものであった。勉強も頑張ったし、ラグビーも頑張った。息子にも同じように勉強に野球に友達との思い出作りに最良の3年間を過ごして欲しいと思う。これから楽しい高校生活を迎える息子を羨ましく思いつつ、エールを送りたいと思うのである・・・



【本日の読書】
 



2021年3月21日日曜日

To Be or Not to Be

先日、『ブレイン・ゲーム』という映画を観た。この映画は、「人の未来を見ることができる」能力を持った男が2人登場する。1人はその能力によって見えた未来から、連続殺人を犯していく。もう1人はFBIと協力してそれを阻止するというものである。連続殺人を犯す男が殺したのは、いずれも不治の重病によって苦しみながら死ぬ人たち。それを「苦しむ前に」殺すのである。これは果たして善か悪か。

 迷うまでもなく、「悪」であると答えたいところであるが、あるFBI捜査官の場合はどうだろうかと思う。その捜査官は連続殺人の犯人を追っているのだが、その最中、末期癌で余命宣告を受けてしまう。犯人の男はそれを知り、その捜査官を射殺する。追う男は憤りを感じるが、その葬儀で残された幼い子供を抱きしめた時、その子がスタンフォード大学に入学する未来が見える。それは、父親が殉職したからこその未来である。

 もしもそのまま父が病死した場合、なんの保証もなく大した蓄えもないので残された母子は困窮し、とても大学へなど行けない。しかし、殉職したからこそ補償が下りて子供は大学へ進学できるのである。父親の立場に立てば、どちらを選ぶかは言うまでもない。犯人の男は、その未来を突きつけ、同じ能力を持つ男に迫るのである。それでも自分を責められるのか、と。

 現実にはありえない映画の話であるが、それでもこういう能力を持っていたら、自分だったらどうするだろうと妄想する。それでも人を殺すような行為はやっぱりできないと思うが、ではそういう男を捕まえるために警察に協力する立場はどうだろう。FBI捜査官を射殺した行為を否定して捕らえる立場に立てるだろうか。たとえ残された家族が困窮しようとも、人を殺すことは悪であるといえるだろうか。

 もしもFBI捜査官の立場だったら、殺されることを回避しようと思うだろうかと考えると、おそらく殉職する方を選ぶだろう。どのみち余命宣告を受けている身であれば、死ぬまでの時間が何日間か違うだけである。であれば、残された家族が幸せになる方法を選びたいと思うのは人の常だろう。私にもしもこの映画のFBI捜査官の立場で自分の未来を見通す能力があって、殉職する未来と病院のベッドで病死する未来が見えたなら、殉職する未来を選ぶだろう。

 よく経済的事情から死を選ぶ人たちがいる。経営者の場合、会社が倒産すれば収入がなくなるばかりか自宅まで失うことになる可能性が大きい。それでも生きていればいくらでもやり直しがきくが、視点をその人個人ではなく家族に目を向けるとどうだろうと思う。生きて家族みんなで困窮した生活を送るのと、死んで保険金を残す(残せたら、であるが)のとどちらが家族のためであろうか。

 それは比べるまでもないと、安易に答えられるものではない。たとえばそれによって子供が進学を諦めて働くことになった場合、就職の選択肢はかなり狭まるであろう。もちろん、大学進学がすべてではないが、それは選択肢があってこその発想である。経済的に余裕のある状況で、それでも自分の子供に「大学へは行くな」と言う考え方の人であればいいが、そうでないなら「大学進学がすべてではない」と言うのは厳しい。

 もしも自ら命を絶つことで保険金が下り、それで家族が希望の人生を手に入れられるとしたら、果たしてどちらを選ぶべきだろうか。少なくとも一家の主たる収入に責任のある立場としては、安易に自分の「命が大事」とは言えない。経済的困窮から自ら命を絶つ人たちが一体どんな事情を変えていたかはわからない。もしかしたら単に「自分が楽になりたい」という単純な理由だったかもしれないが、家族の行末までも視野に入れたものであったとしたら、個人的には批難する気持ちは起こらない。

 本当のところを言えば、家族に困窮しても一緒に頑張ろうと言ってもらえるのが一番であると思うが、果たして自分は家族の中でそう言ってもらえる存在だろうかと考えるとどうも心許ない。先行き不透明な中小企業に勤めていると、下手をすると妄想ではなく現実の選択肢になる可能性がある。妄想はあくまでも妄想にとどめておきたいのは当然である。そんな選択肢を目の前に置かれることのないよう、しっかりと会社を支えていきたいと思うのである・・・



【今週の読書】
 


2021年3月17日水曜日

論語雑感 公冶長第五(その16)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感。
【原文】
子曰。晏平仲。善與人交。久而敬之。
【読み下し】
子(し)曰(いわ)く、晏平仲(あんぺいちゅう)善(よ)く人(ひと)と交(まじ)わる。久(ひさ)しくして之(これ)を敬(けい)す。
【訳】
先師がいわれた。「晏平仲は交際の道をよく心得ている人である。どんなに久しく交際している人に対しても狎なれて敬意を失うことがない」

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 いつの頃からだろうか。人を呼ぶ時に敬称をつけるようになった。「~君」「~さん」といったものである。そもそも女性に対しては、ずっと「さん付け」で呼んでいたと思う。おおよそ付き合った女性以外呼び捨てにした記憶がない。どうしてなのだかはっきりとはしないが、そういう感覚でずっときている。なので単なる友達の女性を呼び捨てで呼んでいる人を見ると、違和感というかちょっとうらやましいような感覚を持つ。では、自分もそうすればと思うが、逆にそれは難しい。それはもう己の性格に浸みこんでしまった感覚なので仕方がない。

 逆に男に対しては普通に呼び捨てにしていた。学生時代は先輩以外は、敬称なんて使わなかったし、ましてや敬語もである。とは言え、初対面等となれば話は別だったが、少なくとも友人関係ではそれが当たり前であった。それは社会人になってしばらくしてもそうだった。同期はともかく、後輩に対しても普通に呼び捨てである。それがいつの頃からかそうではなくなったのである。今では誰彼問わず基本的には「さん付け」となっている。

 そうなっていったのは、年齢不詳の輩が増えてきたということがある。銀行員は転勤がつきものだし、初めて会えば相手の年齢など正確にはわからない。また、違う部署とやり取りをする場合もしかり。そうなれば、相手が上か下かあれこれ考えるよりも「すべてさん付け」にした方が手っ取り早くて間違いもない。それで親しくなって慣れていったら呼び捨てでもいいだろうという感覚で「すべてさん付け」を始めたのである。

 それが定着し、それどころか「ずっとさん付け(あるいは君付け)」になったのは、変えるタイミングが難しいというのもあるが、「さん付け効果」に気付いたというのもある。たとえば部下を持つようになると、どうしても「上から目線」になる。仕事の指示もそうだし、指導もするから当然なのであるが、そうなると相手の意見も一段下に見てしまうことになりかねない。「誰が言ったか」ではなく、「何を言ったか」で判断してほしいと上司に言っておきながら、自分は「誰が言ったか」で判断しそうになる。それを回避するのに「さん付け」は効果がある。

 部下(あるいは後輩)でも「さん付け」で呼ぶことによって、一定レベルの「敬意」が生まれる。「返事は『はい』か『承知しました』だけ」という体育会精神で何でも頭ごなしに言うのは、上司部下関係では具合が悪い。こちらの心情にブレーキをかける意味では「さん付け」効果はあると言える。仕事はある程度冷静に物事を進めなければならないわけであり、そういう意味では部下(あるいは後輩)を尊重しないといけない。そういう中では、「さん付け」の効果は大きい。

 そうなると不思議なことに言葉遣いも変わってくる。さすがに部下に敬語というのはないが、丁寧語にはなる。命令形ではなく、依頼形になるのは、言われた方も悪い気はしないだろう。それは自分に置き換えてみても同様であり、上司に呼び捨てにされても気にはならないが、「さん付け」+丁寧語で指示をされると、尊重されている気分になる。それに結果として、上下隔たりなく同じ態度で接するのは、「相手によって態度を変える」のから比べると印象は良い。そんな経緯で現在の態度があると思う。

 ただ、三つ子の魂ではないが、学生時代の友人などはいまだに普通に呼び捨てである。また、社会人になってしばらくの若い頃の部下や後輩などもしかり。それはもうそう馴染んでしまったのであるからいきなり変えるのも難しい。それはそれでいいと考えるしかない。逆にそう呼び合う関係においては、気心も通じ合っているという感覚があるのも確かである。「遠慮のない関係」という意味では、呼び捨て仲間というのもいいものだと思う。

 仕事柄、建築関係の職人さんたちと接する機会が多いが、職人さんたち同士の会話はすべて「タメ口」である。同僚の現場監督は社外の人とタメ口で会話しているのであるが、なんとなくヒヤヒヤする感じがある。だが、それはそれでいいのかもしれない。とは言え、職人さん相手にタメ口を聞くのは、たとえ年下でも憚られるところがあって、自分には難しい。それが「とっつき難さ」につながっているのかもしれないが、たとえそうでも無理せず自分スタイルでいきたいところである。

 晏平仲ほどの人物ではないから及びもしないが、自分なりに「さん付け+丁寧語」はこれからも続けていきたいと思うのである・・・



【本日の読書】