2021年3月17日水曜日

論語雑感 公冶長第五(その16)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感。
【原文】
子曰。晏平仲。善與人交。久而敬之。
【読み下し】
子(し)曰(いわ)く、晏平仲(あんぺいちゅう)善(よ)く人(ひと)と交(まじ)わる。久(ひさ)しくして之(これ)を敬(けい)す。
【訳】
先師がいわれた。「晏平仲は交際の道をよく心得ている人である。どんなに久しく交際している人に対しても狎なれて敬意を失うことがない」

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 いつの頃からだろうか。人を呼ぶ時に敬称をつけるようになった。「~君」「~さん」といったものである。そもそも女性に対しては、ずっと「さん付け」で呼んでいたと思う。おおよそ付き合った女性以外呼び捨てにした記憶がない。どうしてなのだかはっきりとはしないが、そういう感覚でずっときている。なので単なる友達の女性を呼び捨てで呼んでいる人を見ると、違和感というかちょっとうらやましいような感覚を持つ。では、自分もそうすればと思うが、逆にそれは難しい。それはもう己の性格に浸みこんでしまった感覚なので仕方がない。

 逆に男に対しては普通に呼び捨てにしていた。学生時代は先輩以外は、敬称なんて使わなかったし、ましてや敬語もである。とは言え、初対面等となれば話は別だったが、少なくとも友人関係ではそれが当たり前であった。それは社会人になってしばらくしてもそうだった。同期はともかく、後輩に対しても普通に呼び捨てである。それがいつの頃からかそうではなくなったのである。今では誰彼問わず基本的には「さん付け」となっている。

 そうなっていったのは、年齢不詳の輩が増えてきたということがある。銀行員は転勤がつきものだし、初めて会えば相手の年齢など正確にはわからない。また、違う部署とやり取りをする場合もしかり。そうなれば、相手が上か下かあれこれ考えるよりも「すべてさん付け」にした方が手っ取り早くて間違いもない。それで親しくなって慣れていったら呼び捨てでもいいだろうという感覚で「すべてさん付け」を始めたのである。

 それが定着し、それどころか「ずっとさん付け(あるいは君付け)」になったのは、変えるタイミングが難しいというのもあるが、「さん付け効果」に気付いたというのもある。たとえば部下を持つようになると、どうしても「上から目線」になる。仕事の指示もそうだし、指導もするから当然なのであるが、そうなると相手の意見も一段下に見てしまうことになりかねない。「誰が言ったか」ではなく、「何を言ったか」で判断してほしいと上司に言っておきながら、自分は「誰が言ったか」で判断しそうになる。それを回避するのに「さん付け」は効果がある。

 部下(あるいは後輩)でも「さん付け」で呼ぶことによって、一定レベルの「敬意」が生まれる。「返事は『はい』か『承知しました』だけ」という体育会精神で何でも頭ごなしに言うのは、上司部下関係では具合が悪い。こちらの心情にブレーキをかける意味では「さん付け」効果はあると言える。仕事はある程度冷静に物事を進めなければならないわけであり、そういう意味では部下(あるいは後輩)を尊重しないといけない。そういう中では、「さん付け」の効果は大きい。

 そうなると不思議なことに言葉遣いも変わってくる。さすがに部下に敬語というのはないが、丁寧語にはなる。命令形ではなく、依頼形になるのは、言われた方も悪い気はしないだろう。それは自分に置き換えてみても同様であり、上司に呼び捨てにされても気にはならないが、「さん付け」+丁寧語で指示をされると、尊重されている気分になる。それに結果として、上下隔たりなく同じ態度で接するのは、「相手によって態度を変える」のから比べると印象は良い。そんな経緯で現在の態度があると思う。

 ただ、三つ子の魂ではないが、学生時代の友人などはいまだに普通に呼び捨てである。また、社会人になってしばらくの若い頃の部下や後輩などもしかり。それはもうそう馴染んでしまったのであるからいきなり変えるのも難しい。それはそれでいいと考えるしかない。逆にそう呼び合う関係においては、気心も通じ合っているという感覚があるのも確かである。「遠慮のない関係」という意味では、呼び捨て仲間というのもいいものだと思う。

 仕事柄、建築関係の職人さんたちと接する機会が多いが、職人さんたち同士の会話はすべて「タメ口」である。同僚の現場監督は社外の人とタメ口で会話しているのであるが、なんとなくヒヤヒヤする感じがある。だが、それはそれでいいのかもしれない。とは言え、職人さん相手にタメ口を聞くのは、たとえ年下でも憚られるところがあって、自分には難しい。それが「とっつき難さ」につながっているのかもしれないが、たとえそうでも無理せず自分スタイルでいきたいところである。

 晏平仲ほどの人物ではないから及びもしないが、自分なりに「さん付け+丁寧語」はこれからも続けていきたいと思うのである・・・



【本日の読書】

   



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