グーグル、広告制限強化 個人の閲覧追跡させず
広告というのは、実は密かに世の中の「便利」を支えている。テレビが無料で見られ、ラジオが無料で聴けるのは、CMでスポンサーがお金を出しているためであり、Googleの検索を無料で利用できるのも広告があるからであり、FacebookやTwitterやInstagramが無料で利用できるのもユーチューバーが収入を得られるのも、みんな広告があるからである。広告があるから便利なサービスをタダで利用できるわけであり、そう考えると広告とは誠にありがたいものだということがわかる。
しかしながら、では広告がありがたいものと認知されているかと言うと、それはまた別の話で、むしろ嫌われていると言える。テレビではコマーシャルが喜ばれるのは、トイレに行きたくなった時くらいで、録画ではスキップされるのが常だろうと思う(録画にそういうスキップ機能がついていたりする)。どちらかと言えば嫌われている存在なのに、企業がお金を出すというのも不思議なものである。だが、嫌われているとは言いつつ効果があるのも確かであり、だから成り立っているのだろう。
先日、仕事でピアノを処分する必要に迫られた。さて、どうしようと考えた時に思いついたのが、「もっと、も~っと、タケモット🎶」のタケモトピアノである。迷わず電話したが、あの耳にこびりつくCMがなければおそらくグーグルで「ピアノ 処分」と検索していただろう。また、何かの折に企業名を見た時、それがCMで知っている企業だと何となく安心感を得られるところがある。知らず知らずのうちにCM効果にさらされているようである。
それにCM(広告)には、世の中のトレンドを知るという効果もある。ラジオCMでは、「過払い金」のCMが多いように感じる。10年前に消費者金融が大打撃を受けた過払い金返還であるが、最近は時効の関係なのか対象がクレジット金利に移っているように思う。司法書士や弁護士がCMを出して集客している。ネット広告では不動産売買(査定しませんか?)が目につくし、これは過熱する不動産市況の裏返しである。車の買い取りなど各種ある場合は競争の激しさが伺える。
冒頭のニュースにあるグーグルの広告は、利用者の検索履歴に基づいて「最適な」広告を表示するものだろう。今やグーグル検索は、「神の領域」に及んでいると説く本もある(【the four GAFA-四騎士が創り変えた世界-】スコット・ギャロウェイ著)。人は誰にも言えないことをGoogleの検索窓に打ち込むというが、それを広告に利用しようというのも当然の考えである。おじさんに生理用品の広告を表示しても意味はないだろうし、テレビやラジオの「垂れ流し」方式よりははるかに効率的だろう。個人情報と言っても「個人の嗜好」レベルと言えるし、「いいんじゃないの?」と個人的には思う。
それよりも疎ましく思うのは、たとえば今の時期、「ホワイトデー おかえし」などと検索すると、広告に引き続いて出てくる検索結果のページに飛ぶと、大概Amazonや楽天市場にリンクが張ってある。いわゆるアフィリエイトという「紹介料」目当てのものであるが、となるとどこまで信用して良いのかわからなくなる。個人で純粋に調べたものであれば信用できるが、アフィリエイト収入目当てでそれに見合う「おすすめ」であればいかがなものかと思ってしまう。
アフィリエイトも広告の一種と言えば言えなくもないわけであり、そういうものだと思ってみれば問題はないわけであるが、そのあたりは利用者の裁量なのだろう。紹介料目当てのアフィリエイトだって、モノがよければ問題はないわけである。そのサイトの運営者に紹介料が入ろうがこちらの腹は痛まないわけである。自分の買い物で誰かが儲かっていると聞くと何となくいい気がしないだけで、「自分の満足」を基準に考えればいいと言える。
今回のGoogleの広告制限強化が今後どのような影響を及ぼすのかはよくわからない。ネットサーフィンをしていて、ふと見る広告枠の中にかつて検索して物が表示されていたりするが、だからと言って特に気にはならない。もう買ってしまったり、用が済んでいたりすると、「何をやっているんだか」と思うが、その程度だろうと思う。それよりもPCを共有していたりすると、いろいろと不都合があるのかもしれない。
かつていつだったか、楽天市場でウロウロしていた時、美人のモデルさんに惹かれてクリックしたところ、そこは女性下着のサイトであった。それを後日、妻に見られて白い目で見られたことがある。一生懸命「無実」を訴えたが、そんな訴えをしてみたところで白い目が黒くなるわけではない。いまはそれぞれ専用PCを持っているので、そんな心配はしていないが、子供もいることだし、「いつ何時」という懸念があるので、閲覧・検索履歴を残したくない場合にはGoogle Chromeの「シークレット・ウィンドウ」をきちんと利用している。「Googleに知られるよりも家族に知られる方が怖い」というのが正直なところである。
今は何でもかんでも訳も分からず個人情報という時代である。保護もいいけど、行き過ぎないようしてもらいたいと思うのである・・・
FalkenpostによるPixabayからの画像 |
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