2021年4月18日日曜日

論語雑感 公冶長第五(その18)

論語を読んで感じたこと。解釈ではなくあくまでも雑感。

【原文】
子張問曰。令尹子文。三仕爲令尹。無喜色。三已之。無慍色。舊令尹之政。必以告新令尹。何如。子曰。忠矣。曰。仁矣乎。曰。未知。焉得仁。崔子弑齊君。陳文子有馬十乘。棄而違之。至於他邦。則曰。猶吾大夫崔子也。違之。之一邦。則又曰。猶吾大夫崔子也。違之。何如。子曰。清矣。曰。仁矣乎。曰。未知。焉得仁。
【読み下し】
子(し)張(ちょう)、問(と)うて曰(いわ)く、令尹(れいいん)子(し)文(ぶん)は三(み)たび仕(つか)えて令尹(れいいん)と為(な)りて喜色(きしょく)無(な)し。三(み)たび之(これ)を已(や)めて慍(いか)る色(いろ)無(な)し。旧(きゅう)令尹(れいいん)の政(まつりごと)は必(かなら)ず以(もっ)て新令尹(しんれいいん)に告(つ)ぐ。何如(いかん)ぞや。子(し)曰(いわ)く、忠(ちゅう)なり。曰(いわ)く、仁(じん)なるか。曰(いわ)く、未(いま)だ知(ち)ならず、焉(いずく)んぞ仁(じん)なるを得(え)ん。崔(さい)子(し)、斉君(せいくん)を弑(しい)す。陳文子(ちんぶんし)、馬(うま)十乗(じゅうじょう)有(あ)り。棄(す)てて之(これ)を違(さ)り、他(た)邦(ほう)に至(いた)る。則(すなわ)ち曰(いわ)く、猶(な)お吾(わ)が大(たい)夫(ふ)崔(さい)子(し)のごときなり、と。之(これ)を違(さ)る。一邦(いっぽう)に之(ゆ)く。則(すなわ)ち又(また)曰(いわ)く、猶(な)お吾(わ)が大(たい)夫(ふ)崔(さい)子(し)のごときなり、と。之(これ)を違(さ)る。何如(いかん)ぞや。子(し)曰(いわ)く、清(せい)なり。曰(いわ)く、仁(じん)なるか。曰(いわ)く、未(いま)だ知(ち)ならず、焉(いずく)んぞ仁(じん)なるを得(え)ん。
【訳】
子張が先師にたずねた。
「子文は三度令尹の職にあげられましたが、別にうれしそうな顔もせず、三度その職をやめられましたが、別に不平そうな顔もしなかったそうです。そして、やめる時には、気持よく政務を新任の令尹に引きついだということです。こういう人を先生はどうお考えでございましょうか」
先師はいわれた。
「忠実な人だ」
子張がたずねた。
「仁者だとは申されますまいか」
先師がこたえられた。
「どうかわからないが、それだけきいただけでは仁者だとは断言できない」
子張がさらにたずねた。
「崔子が斉の荘公を弑したときに、陳文子は馬十乗もあるほどの大財産を捨てて国を去りました。ところが他の国に行ってみると、そこの大夫もよろしくないので、『ここにも崔子と同様の大夫がいる』といって、またそこを去りました。それからさらに他の国に行きましたが、そこでも、やはり同じようなことをいって、去ったというのです。かような人物はいかがでしょう」
先師がこたえられた。
「純潔な人だ」
子張がたずねた。
「仁者だとは申されますまいか」
先師がいわれた。
「どうかわからないが、それだけきいただけでは、仁者だとは断言できない」

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 孔子と子張の前後の状況がよくわからない会話であるが、子文と陳分子という2人の人物の行動が問われている。子文は令尹という何か要職に就いたが、その職に固執することなく、淡々と職務をこなしたようである。おそらく、名誉か報酬かわからないが、かなり美味しい職務だったのだろう。普通の人はその職を手にするために汲々とし、またその職にしがみつこうとするものだったのだろう。

 一方、陳分子という人物も同様で、仕える君子が人物的に問題があってそれを良しとしない場合は、その地位を捨てることに頓着しない人物だったのだろう。どちらも金銭的な価値よりも自らの信条を優先して行動する人物だったようである。現代社会でも「好きなことを仕事にする」のが理想的とされつつも、多くの人が目の前の仕事を好き嫌いで選んではいないのではないかと思う。

 仕事はもちろん報酬のためが第一であろう。生活に困ることはなく、ただ世の中との接点を持ちたいというだけで報酬目当てではなく働いている人もいるかもしれないが、ほとんどは生活のためにまずは働いているのだと思う。かく言う私もその1人であり、働く目的は生活のためが第一で、それがゆえに多少の不自由不満があっても簡単に辞めるというわけにはいかない。ただ、それがなければ、割と地位には固執しない人間であると思う。

 以前、高校の同窓会と同期会と関連する団体の役員を務めていたが、いずれも報酬には関係のないボランティアであった。中にはずっと務めている者もいるが、私はそういうものには固執しないので、「必要がなくなれば自ら去る」という道を選んでいた。どれも辞めたのは人間関係と仕事の内容に魅力を感じなくなったことによる。長年、変化を避けて同じようなことをして満足していたり、意見が合わなくなって辞めたというパターンである。

 「生活のため」という要素が加わると、人は簡単に辞めるという選択肢は取れない。「辞めたあとどうする」という問題があるからである。しかし、それがなければ純粋にやり甲斐などが動機となってくる。子文も陳分子もいずれも生活には困らなかったのか、あるいはなんとでもなる人物だったのであろう。そして地位に固執しないという部分にも美学を感じる。

 ボランティア組織では、それが生き甲斐になっている人もいる。そういう生き甲斐は悪くはないが、報酬が絡むとそこには欲が出てくる。職を去れば失うのはやり甲斐だけではなく報酬もである。となれば、欲深きはこれに固執しようとする。そして普通は、欲が出るものである。だからこそ、子張は2人をして「仁者では?」と尋ねたのであろう。欲に動かされない人間は、やはり尊敬に値するものだからである。

 自分は果たして今の仕事を報酬を無視して離れられるだろうかと考えてみると、それは難しい。次の仕事を確保してからでないとできないし、次の仕事が少なくとも同じ給料でとか条件を考えてしまうとさらに壁は高くなる。なかなか職に固執せず、理想の働き方を追求するというのは、私にとっては難しい。子文も陳分子もどんな人物だったのかはわからないが、たとえ孔子のいう通り「仁者」ではなかったとしても、やはり尊敬すべき孤高の人物であったことは間違いないのだろうと思う。

 辞めても引く手数多であれば、気に入らなければ去るという選択肢も容易に取れるであろう。そんな働き方ができるようになったら理想的だろうなと思うのである・・・


Jose Antonio AlbaによるPixabayからの画像

【今週の読書】
 



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