政権誕生以来、アベノミクスで世の中は湧きたっている。政権支持率も高く、民主党の反動だけでなく、安部総理自身2度目の正直ともいうべきか、船出以来順調に航海を続けている。そして憲法改正にも言及し、どうやら夏の参院選のテーマの1つにもなってきそうである。
もともと個人的には憲法改正論者だし、それはそれで悪くない。何といっても第9条は早く第2項を削除すべきだし、専門家によると89条なんかは私立大学への助成金など違憲になりそうであるらしいし、その他にもあるかもしれないし、一度現代にあった形に修正すべきである。
だが、安倍さんの掲げている憲法改正のターゲットは第96条。最初は何かわからなかったが、憲法改正の要件を定めた条項だ。「議員の2/3以上の賛成」が必要とされるところを「1/2」に変えるのだとか。いきなり“本丸”第9条にかかるよりも、まずは外堀から埋める「冬の陣」作戦なのだろうか。たぶん、2/3を取るという事が、相当ハードだと考えているのだろう。
世論も今では憲法改正賛成派が過半数を越えていると言われているから、国会さえ通せば「イケル」と考えているのだろう。まあこの程度は良いんじゃないかと思う人も多いだろうし、最後は国民投票というハードルがあるし、問題は多くはなさそうな気がする。
共産党系のように、「一文字でも変えるのはダメ」という雰囲気の人は認めないだろうが、これで絶対反対の野党を除き、ゆるやかな野党を仲間に入れて2/3をクリアしようというのだろう。「将を射んとすれば馬より」といったところだ。
それはそれそれで理解はできるのだが、どうも個人的に諸手を挙げて賛成という気分にはなれない。確かに、家康は大阪冬の陣でうまく立ち回って外堀を埋めさせ、そして夏の陣で無敵の大阪城を落とした。そのやり方は、正面突破方式よりも、被害も少なく効率的に豊臣家を滅ぼせたのかもしれない。しかし、どうせなら錦の御旗を掲げ、堂々と正面突破してほしいものだと個人的には思う。
そもそもであるが、ここまで順調に来て今やるべき事が憲法改正なのだろうか。私が総理大臣だったら、まずは「国会議員削減」と「公務員削減」だ。「0増5減」なんてお茶を濁している場合ではない。このテーマは「嘘つき民主党」が堂々と掲げてやらなかった「人気政策」だ。今こそ100議席ぐらい減らすと掲げて衆参ダブル選挙に打って出るだろう。「公務員削減」とセットにして、「自民党は民主党と違って言った事はやる」「いつやるか、今でしょ!」とやるのだ。
消費税を上げたって国家財政は改善しないし、崖に向かって突っ走っている状況には変わりない。国民誰もがやれと思っていて、誰もやらなかった事をやると堂々と掲げたら、それは国民は支持するだろう。選挙対策なんて何もしなくても圧勝できるはずだ。第96条なんて言う前に、2/3の議席確保だって夢ではないだろう。そうしたら、ゆっくりコーヒーを飲みながら憲法改正議論ができるはずだ。
民主党は、小沢さんが本来党を支えなければならない時に、自我を優先して崩壊の道を辿った。チームが勝たなければならない時に、個人記録を優先したようなものだ。荒れ狂う波間に漂う船中で、船長の座を争って民主党は坂を転げ落ちた。今自民党は順風満帆で追い風が吹いている。ならば先を急ぐ前に、もっと帆を広く張る事が、結局は早く遠くへ行く事に繋がると思うのは私だけだろうか。
なんとももどかしく感じるのである・・・
【本日の読書】
2013年5月15日水曜日
安倍政権に思う
2013年5月12日日曜日
国民栄誉賞
先日、長嶋と松井が国民栄誉賞に輝き、ジャイアンツファンとして、そして何よりも長嶋ファンとしてそのニュースを喜んでいた。その後、ミスターは多摩川グラウンドを訪れたとニュースでやっていた。そのニュースを見て、小学生の頃、はるばる自転車を飛ばして同所へ行き、ミスターにサインをもらった事を懐かしく思いだした。
それはそれで良いのだが、興奮が冷めてくると何だか疑問に思う事がでてきた。受賞そのものには何の異論もないし大賛成なのだが、なんでこの時期なんだろうとか、他にはいないのだろうかとか、諸々である。たぶん、時期としては松井が引退した事が大きいのだろう。だが、ミスターは何で今まで放っておかれたのかわからない。
ONコンビの王さんは、ホームランの世界記録というタイミングだったが、ミスターは相応しいタイミングがなかったのだろう。たまたま時期に巡り合った松井が候補に上がり、「松井がもらうのにミスターがもらわないのがおかしい」となったのだろう。たぶんそれがなければ、ミスターの受賞は死んだ時だったに違いない。
事実、過去の受賞者22人+1団体のうち12人が没後受賞だ。死んではじめて“思い出された”と言える。そういう意味では、タイミングがすべてのようだ。亡くなってから「あぁそうだ」って思いだしてもらえるか、オリンピックなどで活躍して話題になるか。
松井は謙虚な人だから、受賞を恐縮していたようだが、プロ野球界だってふさわしい人はたくさんいる。神様稲尾、カネやん金田、野村監督、安打製造機張本、世界記録だったら金本もそうだ。野球以外でもたぶんふさわしい人はたくさんいるだろう。
受賞にあたっては何かルールがあるのかと言えばそうでもないようだ。時期もバラバラ。2000年に高橋尚子がシドニーオリンピックで金メダルを取ってもらっているが、そのあとは9年後だ。しかもその2009年は遠藤実(1月)、森光子(7月)、森繁久爾(12月)と連発。まぁもともとルールなんてないようだし、時の政権がその時々で選んでいる。だから、「政権の人気取り」なんて声も聞こえてくる。
もう少しルールを明確にして、毎年表彰するようにしても良いのではないかという気がする。没後受賞もいいけれど、できれば生前受賞の方が良いに決まっている。「政権の人気取り」と陰口を叩かれるようなものでない事が良いだろう。毎年大晦日に発表したりしても良いのではないだろうか。
長嶋さんが没後受賞なんて寂しい事にならなかったのは実に幸いであるが、そんな風に思った国民栄誉賞なのである・・・
2013年5月6日月曜日
GW
GWも早や最終日である。
今年は前半3日、3日間おいて後半4日という構成であった。
もっとも1日休みをもらったので、3-2-5という構成となった。
世間もまだまだ厳しいところが多い中、ありがたいことだと思う。
考えてみれば、私が社会人になった26年前は銀行はまだ土曜日の営業をしていた。振替休日の制度はもっと早く始ったような記憶があるが、日本人の働き過ぎが海外で批判を浴び、休日が増えていったように記憶している。5月4日は、いつもカレンダーと睨めっこしてうまく休みと重ならないかと思っていたものだが、いまや堂々と祝日(みどりの日)となっている。そうした恩恵が、今回は後半の4日間に活きている。
せっかくのまとまった休日ではあるものの、どこかに旅行に行こうなどという話は我が家では出てこない。それは金銭的な理由もあるが、一番大きな理由は渋滞・混雑だ。この時期、間違ってもディズニーランドに行こうとか、新幹線や高速を使って遠方に泊まりに行こうなどという話は、我が家では出てこない。事実、鉄道や高速道路の渋滞のニュースが、その判断に正当性を与えている。
近場でも鉄道が繋がった横浜の中華街や川越、そしてスカイツリーなどの観光スポットも大変なにぎわいだったようだ。どうしてそうなるのかと言えば、やはり日本人の勤勉性のゆえだろうかと思う。例えばスカイツリーがオープンしたから、休みを取って行こうなどとは普通は思わないだろう。我が家も行くとしたら土日だし、それも混んでいるだろうからしばらく経ってからという有り様だ。まぁ子供の学校があるから、私が仮に休みを取ったとしても同じではあるのだが・・・
だいぶ緩和されたとは言え、まだまだ「働く事は美徳、休むのは悪」という考え方は日本社会に広く浸透していると思う。それゆえに海外から「日本人は働き過ぎ」と批判されても休まず、わざわざ休ませるために祝日を作らないといけなかったのだと思う。祝日まで作って、ようやく“仕方なしに”“みんなが休むから”休むのであって、それゆえにみんなの休みが集中するから混雑するのであろう。
今となっては「働き過ぎ」と批判の声は聞かないが、それはよく休むようになったためというよりも、日本の経済力が落ちてきたせいではないと思う。我が職場でも、実は休みはむしろ推奨されているが、仕事が残っていると別にそれが急ぎのものでなくとも、何となく休みを取る事に抵抗感がある。それは帰るにしても同じで、みんなが仕事をしている中、一人先に帰るのは何となく心苦しく感じる。日本人の平等意識もあるのだろうが、仲間が働いているのに休んだり先に帰ったりするのに抵抗感を覚える者は少なくないと思う。
「働くのが美徳」という風潮は悪い事ではない。戦後の荒廃から日本が復活した原動力だと思うし、それが今でも経済大国を支えている要因だと思う。問題は、それが行き過ぎて「休むのは悪」となってしまっている事だろう。メーカーのように会社全体が休みになる所は問題ないだろうが、交代で休むとなると“実害”が出てくる。
それは周りの同僚に休み中の対応をしてもらうという負担をかける事であるが、普通の感覚の持ち主であれば、「気兼ねなく」というのは難しい。ただそうした負担は「お互い様」と割り切れば、気兼ねがなくなるのも事実。それが証拠に、夏休みはみんな遠慮なく取れる雰囲気になっている。それが普段にも及べば、休みも取りやすくなるだろう。
夏休みだって、子供がいれば無理だろうが、そうでなければわざわざ夏に取る必要もない。そういう意識が我が職場だけでなく、日本人のDNAに刷り込まれれば、お盆や正月、連休にどこもかしこも混雑するという状況が少しは改善されるのではないかと思う。
まあ現状でも工夫次第のところはある。遠くへ泊まりで行かなくても、我が家は江戸東京博物館へ行き、恒例の森林公園に行き、近所に新たにオープンしたイオンを買い物がてら見に行き、『夜更かしデー』と称した家族での映画鑑賞は子供たちに大好評であった。もともと天の邪鬼だから、人とは反対の行動を取りたがるところがあるのだが、おかげで渋滞や混雑のストレスはほとんどなかったし、これはこれで楽しい過ごし方だったと思う。
子供たちももう少し大きくなってくると、またGWの過ごし方の変わっていくのかもしれない。子供たちが社会に出る頃には、働く事と休む事のバランスがどのようになっているのだろう。「働く事が美徳」というDNAは是非残していってもらいたいが、「休む時は(みんな一緒でなくても)休む」という賢い選択ができるようになっていればいいだろうにと思う。
まあ定年まであと10数年。「毎日が日曜日」となるまでは、工夫をこらした休みを過ごしたいと思うのである・・・
2013年5月3日金曜日
ジパング
以前は毎週金曜日に漫画喫茶に行くのを習慣としていた。一週間の仕事の対価に、リラックスして漫画を読むのが気に入っていたのだ。その習慣がここのところしばらく絶えていたのは、忙しいのもあったが、これといった漫画がなかった事もある。それが最近復活しつつある。その理由がこの漫画。
ストーリーは、海上自衛隊のイージス艦「みらい」が、太平洋を航行中、なぞの気象現象により1942年6月にタイムスリップしてしまうというものである。何だか、その昔映画(『ファイナル・カウントダウン』)にあったようなストーリーである。『ファイナル・カウントダウン』は米海軍の原子力空母だったが、それがここではイージス艦である。
太平洋戦争当時の軍事力と比べたら、原子力空母の威力は凄いが、イージス艦もまた然り。世の中の人がどのくらいイージス艦の事を知っているかわからないが、これがかなりのシロモノ。見かけは昔の軍艦などから比べると劣るものの、近代装備で武装した戦力は相当なものらしい。
かつて韓国軍と日本軍が戦ったら、というシミュレーションがなされたらしいが、韓国海軍は1時間足らずで壊滅したという。その原動力となったのがイージス艦である。優れた電子装備とミサイルやら魚雷やらを搭載し、空からでも海の中からでも、「どこからでも来い」という感じらしい。
その昔、『亡国のイージス』という映画化もされた本を読んだが、そこでもその優れた戦力は説明されていたし、だからこそ物語に取り上げられるのだろう。それは価格にも表れていて、海上自衛隊のイージス艦「こんごう」クラスだと、1隻で1,244億円するらしい。それが今日本には6隻あるという・・・
韓国海軍を1時間で壊滅させられるほどの戦力が果たして必要なのだろうかと考えると、それは必要なのだろう(「どこの国にとって」必要なのか、はあえて言うまい)。それだけの高性能の軍備となると、アメリカもやたらな国には売れないだろう。下手したら、自分の所の空母の脅威になる(ちなみにアメリカの原子力空母ニミッツは3兆円するらしい)。持たせても安心で、しかも黙ってポンと買ってくれる同盟国はそうそうないだろう。
そんな破格な高装備なわけであるから、せめて映画や小説や漫画の中ぐらいでは活躍してもらわないといけない。第1巻では、さっそく米海軍(太平洋戦争時の、だ)の潜水艦と遭遇。その突出した能力で米潜水艦を手玉に取った。2巻、3巻と続き、いよいよ“現地の海軍将校”と接触したみらい。どんな展開になるのだろう。歴史のパラドックスは?
この先、金曜日の夜がまたちょっと楽しみになりそうである・・・
2013年4月29日月曜日
浜松餃子ツアー
2年前は宇都宮。
昨年は月島もんじゃ。
我が家のGW恒例となりつつあるグルメツアーであるが、今年は浜松餃子ツアーに決定。「やっぱり東の宇都宮を制したあとは西の浜松じゃない?」との我が家のグルメ族の意見に従った次第である。
まあ新東名高速も一度利用してみたかったし、ちょっと遠いけどGWだし、ドライブを兼ねていいだろうと家族の意見も一致。その新東名であるが、渋滞は御殿場で解消したため、スイスイと快適なドライブ。道路がゆったりと作ってあるのだろうか、スピードを出している感覚がまるでなく、我が家の警報機である妻も珍しくスピードに何も言わない。それどころか、自ら110キロ以上出して運転していても平気な顔をしていたくらいだから、何か工夫がされているのかもしれない。
現地に到着したのは昼過ぎ。渋滞でスケジュールが少し狂ってしまった。事前にグルメランキングをいくつかチェックして、全部で4店を回る。最初に訪れたのは“石松”。されど1時間半待ちという状況で、時間も惜しく、断念して“豚猿”へ向かう。
「初代G1を制した店」という触れ込みであったが、残念ながらどうもパンチ力が弱い。おいしい事はおいしいのである。だけど、こちらはわざわざ東京からその為だけに来ているわけで、宇都宮レベルと比べてしまうと弱い。その昔は食べ物にあれこれ言わず何でも黙って食べていた私であるが、妻と結婚して以来舌が肥えたようで、こういう味感覚もいつのまにかついていると自覚。
続いて“福みつ”へ移動。待つ事約40分。ここは皮が特徴的。さらに“むつぎく”。ここは小ぶりで、野菜中心。だんだんとレベルが上がっていく感じ。そして最後に訪れたのが、昼間断念した“石松”。
あちこちのグルメ大会を制している有名店だそうで、お待ちも半端ではない。最後だから腰を据えて待つ事1時間半。その甲斐あってか、ここが一番おいしかった。少し甘みがあって、「皮と中身とのバランスが一番良い」(我が家のグルメ大臣評)。宇都宮の名店に対抗しうるレベルだった。
難を言えば、店舗運営だろうか。メニューが餃子だけの割には待ち時間が長すぎる。外の駐車場も3ヵ所の連絡がうまくできていないようだし、妻の観察によれば案内の手際も悪かったようである。まぁそれでも駐車場の誘導員をしていたおじいさんは、気の良い田舎のおじいさんという感じで悪い気はしなかったが、少しアドバイスをしたいところだった。
東京でおいしい餃子というと王将くらいしか知らないし、それから比べると4店それぞれ個性があって良かったが、最後の石松はともかく、やっぱり「餃子は宇都宮」というのが我が家の結論。2年前の宇都宮では早々にギブアップした長男も、今回は最後までしっかり食べていた。家族4人で食べた餃子の総数は144個だった。
さて、早くも「来年はどうしよう」という声が上がる。東名高速の途中で目にしたのは「富士宮」。まずは「富士宮焼きそばツアー」が候補に上がった。まあ来年までゆっくり議論をしていく事になるだろう。その前に、今年はもう少し走ってシェイプ・アップしようと思うのである・・・
2013年4月25日木曜日
アジアの友
麻生副総理も「世界中で祖国のために尊い命を投げ出した人たちに、政府が最高の栄誉で敬することを禁じている国はない」と主張。古屋圭司国家公安委員長は「国会議員として、国のために命をささげた英霊に哀悼の誠をささげるのは当然だ」と述べた。
いや実にはっきりとしたモノ言いで痛快である。もともと安倍さんは、この手の発言を繰り返していたようだが、政権に返り咲いて、しかも高い支持率をバックによけい強気になっているのかもしれない。言っている事はまさに正論であって、一分の異論もないところである。問題は中韓に対する影響だろう。
一つは文化の違い。中韓とも強烈な「自己主張の文化」の国。一方日本は「謙譲の文化」。相手の事を慮って譲るのを美徳としている文化と、とにかく自分の意見を強烈に主張して欲しい物を獲得しようとする文化は、水と油。自分達のモノサシで相手を測るのは、正しくない。
互いに自己主張をぶつけ合っている文化圏の人々だ。こちらが自己主張をぶつけたって怯まない逞しさは備えているだろう。それにいじめっ子が虐めるのは、相手が反撃しないからに他ならない。抵抗しないとわかっているから、嵩にかかって攻めるのである。そんな反撃は、100年前なら戦争になっていただろうが、現代ではその心配はない。恐れずに一度トコトン主張してみるべきだと思う。
それにしても侵略の歴史は如何ともしがたいものがある。我が国にとっては、侵略もやむなきものであったとしても、相手にとってはそうではない。諸悪の根源は、帝国主義を振りかざして世界中を支配しようとした欧米列強なのであるが、我が国は最後にババを引いてしまった不運がある。中韓の人たちは、その恨みを欧米列強にはぶつけられず、大人しい我が国にぶつけてきているのである。我々にとってこの侵略問題は、キリスト教で言う原罪なのだと思う。
しかし、ではずっとこの先も耐えていかなければならないのだろうかと思うと、それもどうかと思う。真っ向から自己主張して喧嘩をすべしとは思うものの、それもしんどいところがある。ではどうすべきか。答えは「他のアジアの国々と仲良くする」だと思う。
何も自分を憎む相手と無理に仲良くしなくてもいいだろう。最低限度の付き合いだけ保って、あとは目を南に向けるのだ。目を地図の下に向ければ、何より親日国の台湾がある。震災の時に一番多くの援助を寄せてくれた国だ。同じ日本支配下にあってもなお、親日でいてくれる。それにタイもあるし、インドネシア、フィリピン、マレーシア、シンガポールと多くの国々がある。反日的な国はない。
先の大戦では、日本が欧米列強を追い払い独立のきっかけを作ってくれたと認めてくれている。こういう国々ともっと親しくなるべきだ。最近、台湾映画を観る機会が増えて来たが、なかなかどうして面白い。韓流ドラマなんかやめて台湾の映画でもドラマでも観たらいいのだ。アジアの国々の映画やドラマをもっと観たら、さらに理解も進んで良いと思う。引け目を感じながらの付き合いなど、普段の人間関係をみても正常とは言えない。敬意をもって付き合えば、きっとお互い幸せな関係を築けると思うのである。
それにしても、冒頭のニュースも何かいかがわしいものを感じる。中韓が反発する事がわかっていながら、靖国参拝を大きく報じ、国会答弁を取り上げる。これぞ国賊モノだと思えてならない。他の神社に参拝しても同じように報じるか?靖国神社参拝を報じるのは、「それがニュースになる」からだ。黙っていれば、中韓だって一々監視しているわけではないからわからないだろう。実は喧嘩を「煽っている」のはマスコミなのである。
この国は政治家を一新する前に、マスコミを掃除するところから始めないとなかなか良い国にはなれないとつくづく思うのである・・・
2013年4月21日日曜日
将来の職業
平日は家族と食事の時間が合わないが、週末は家族で食卓を囲む。テレビはつけず、みんなで会話するようにしている。と言っても、普段は妻と子供たちの食卓に週末私が加わるといった図式だろうか。ただ私からしてみると、子供たちの近況や考えを知る一つの機会となっている。
今回は娘の職業観を聞く事となった。将来は薬剤師の資格を取るのだと言う。中学1年になったばかりで、どこから仕入れて来たのか、堅実な目標を掲げるものだと意外に思う。聞けば免許があれば食いっぱぐれないでしょうという返事。どこかでそう教えられたのだろうか。
父親的には、もっと夢のある理由を語って欲しかったところである。例えば病気を治す手伝いをしたい、とか。研究職みたいなものに興味があるというから、新しい薬の開発をしてみたいとか。「資格があればお金になるんでしょ」という発言からすると、どうやら目的はお金のようである。
子供らしい、と言うのだろうか言えないのだろうかは微妙なところだが、少々軌道修正が必要なようだと感じる。資格というものは、ただ「その仕事ができる」というものにしか過ぎない。問題はその資格を使って何をするか、だ。お金儲けなのか、人類への奉仕なのか、その目的はともかくとして、「資格を取れば安泰」と考えているなら親として正してやらねばなるまい。
私も世間の親並みに、子供には安定して穏やかな人生を送ってほしいと思う。ただ、だから公務員になれとか、資格を取れというのは、そのためのアドバイスにはならないだろう。何のためにその仕事をするのか、したいのか。まずは目的意識からだろうか。「就職難の時代だから薬剤師の資格を取っておく」というのは、最終的には悪くはないが、中学1年生の語る理由には相応しくない。
考えてみれば、ある程度現実を知る親の立場として、どんなアドバイスを送るのかは難しいところだ。例えば自分が卒業を控えた大学生に戻ったら、就職はどうするだろうか。また銀行員になるのだろうかと問われれば、答えはたぶんNoだ。別に嫌な職業だというのではなく、もう25年もやったから今度は別の仕事がしてみたいという単純な興味だ。では何が良いかと言うと、なかなか悩ましい。
お金という要素も重要だ。やっぱり夢のある仕事をしたいと思うが、生活苦を抱えていては夢もしぼむだろう。「お金で幸せにはなれないが、不幸は追い払う事ができる」とは、私の好きな言葉でもあるが、ある程度の収入は必要だ。薬剤師の資格を取っても、薬局のオーナーか店員かでも収入は違うし、企業に勤めて研究するのもまた違う。娘にはそんな話をした。オーナーでも儲かっている店とそうでない店とでもだいぶ違う。
目的と手段とをきちんと選択しないといけないだろう。理想的にはきちんとした目的(何がしたいか)があって、そのためにどうする(どんな職業に就く)と考えたいものである。そのためには、薬剤師も悪くはないが、そもそももっと目を広く向けて、いろいろな職業を知る事が大事な気がする。
自分自身を思い返してみても、中学生の頃は「将来こんな職業に就きたい」なんて希望はあまりなかった気がする。それはそもそも視野が狭くてわからなかったというのが大きい。そこで、『新 13歳のハローワーク』をさっそくアマゾンでオーダーしてみた。今度娘と一緒に見て、いろいろと話をしてみようと思う。
親でさえ悪戦苦闘中なのだ。あまり偉そうな事は言えない。ただ自分の足できちんと歩いて行ける大人になってもらうためには、歩く練習には真面目に付き合ってあげたいと思うのである・・・
2013年4月18日木曜日
Amazonが便利
その昔、長野県の御代田という町に住む従兄弟の家に、毎年春休みと夏休みに遊びに行っていた。かれこれ35年ほど前になるが、当時従兄弟の家の周辺はと言えば、買い物には不便なところだった。何か買おうと思っても、近所にあるのは小さな店が一軒だけ。
今でもよく覚えているが、その小さな店の戸を開けて中に入ると畳の上に商品が並べてある。とりあえず日用雑貨やお菓子などが、売られているような店だった。もちろん、すべて定価である。それでも他はと言えば、30分ほど歩いて駅まで行かなければいけなかったから、大概はそこで済ませていたようである。
翻って今は便利な世の中だ。特にネットショッピング。私もよく本を買うが、Amazonでオーダーしておけば、2~3日で家に届く。あちこちで手に入れたポイントをAmazonのギフトカードに交換して使っているから、お金もそんなにかからない。すっかり愛用している。
私にとって便利な“本屋”だったが、最近遅ればせながら本以外にも品揃えがかなり多岐にわたっているのに気がついた。以前から何となく気付いてはいたが、「本屋に電球を買いに行く」ような違和感があって、あまり意識していなかったのである。
「本はAmazon、その他は楽天市場」
何となくそんな棲み分けをしていた。
ところが、気がついてみると実にいろいろな品揃え。家電からファッション、なんとスイーツまでジャンルは多岐にわたっている。先週末にラグビーの練習に行き、25年前のジャージはさすがに古臭いので買い変えようと試しに検索したら、「あった」。娘が電子辞書が欲しいと言い出したから、どんなものかと試しに検索したら、「あった」。おじさんにグローブを買ってもらった息子に、軟式ボールを買ってやろうと思って検索したら、やっぱり「あった」。
ネットショッピングも最初の頃は、直接手に取って見る事ができないから、ファッションなんかは向いていないなんて言われていたが、ジャージなんかはどんなものか大体わかるし、値段もそんなに高くないから「えいや!」で買っても後悔はしないだろう。電子辞書に至っては、「Amazon限定モデル」なんてのもあるから、下手に家電量販店に行くよりいいかもしれない。まぁさすがにボール1個なんてのは向いていないかもしれないが、モノと値段の参考にはなる。
いつも行っていた1階の本屋だが、気がついたら2階から上は百貨店だったという感じである。これだと楽天もうかうかしていられないのではないだろうか。これからは、否が応でも両者を比較してから買う事になるだろう。同じものなら価格勝負になるが、やっぱりそう大して変わりない。
するとポイントなどの付帯サービスになるが、この点では楽天カードのある楽天の方がちょっとお得感がある。買い物やアンケートで溜まったポイントが使えるから、若干有利だ。だが、先の電子辞書のように「限定商品」などがあると、Amazonも負けていない。モノによってあれこれと比較検討する事になるのだろう。
それにしても、最近ではおもちゃを始めとして、家電以外でも“リアル店舗”では家電量販店が便利な事この上ない。ネットではAmazonか楽天か。欲しいものはまず“検索”。それから、「どこで買おうかな」だろうか。
息子の軟式ボールは取りあえず近所の高田スポーツに見に行った。狭い店内に入ると、店主ご夫婦が揃ってお出迎え。他に客はいない。笑顔で要件を聞かれ、野球のボールと答えると、サイズの説明をしてくれた上で真新しいボールを箱から出してくれた。「400円です」と言われ、瞬間的に「高いな」と思ったものの、断れる状況にはなく1個買って帰ってきた。
まぁこういう商売も、まだまだあって良いと思うのである・・・
2013年4月14日日曜日
やっぱり走ろうと思う
我が母校の大学ラグビー部にはシニアチームがある。現役を引退したが、まだボールを持って走りたい人たちが集まって、月に一回練習しているのである。
以前から声をかけられ誘われていたのであるが、まだ子供も小さいから遊んであげないといけないだろうとか、高校の財団関係のボランティアをやっているからそんなに時間を割けないとか、あれこれ考えて見送っていたのである。
しかし、やっぱり体を動かしたいという気持ちはあるし、それが12階のオフィスまで階段を上がる事とか、流行りのウォーキングだとかよりも、やっぱりボールを持って走るのがいいだろうと、とうとう重い腰を上げた次第である。
仕事から帰ると、腕立て伏せ・スクワット・腹筋のメニューをこなすのを日課としていたから、何となく基礎的な運動はできていると思っていたので、事前にトレーニングをしようなどとは思いもしなかった。
そして当日、春めいた心地良い陽気の中、国立にある母校のグラウンドへと向かう。我が街から国立までのルートは、かつて通勤経路でもあった道のり。西武池袋線の秋津駅からJR新秋津間は少し離れていて、乗り換えには3分程度歩かないといけない。知らないうちに飲食店や本屋などの店舗がたくさんできていた。考えてみると、このルートを通る事さえ10年振りくらいかもしれない。
JR国立駅も大きく様変わりしていた。5年ほど前にOBの寄付で出来あがった人工芝グラウンドを初めて目にする。懐かしい部室は、ロッカーのレイアウトが変わったままで、ほぼそのまま。自分の名前を書き込んだロッカーもどこかに残っていると思うと、「帰ってきた」感がある。トレーニングルームは立派なものができていた。現役時代にこんなトレーニングルームがあったら、たぶんグラウンド滞在時間が1時間は延びていたように思う。
さて諸先輩に挨拶を済ませて練習が始る。10分ほどで同期が一人リタイア。彼の運動不足も相当なものだ。軽く走っていたつもりだが、いつの間にか足に違和感を覚える。まだ全力疾走していないのに、だ。心臓の方はそれほどでもなかったが、それはつまりそこまで激しく運動していなかったという事に他ならない。
何とかリタイアだけは避けたいと、(20も年上の先輩が走っているから尚更だ)最後まで参加したが、それが精一杯。帰りはキャンパス内を散歩でもして帰ろうか、などと考えていたのだが、それどころではない。同期に頼んで駅まで車で送ってもらい、足を引きずりながらやっと帰りついた有り様。家に帰っても、「足が痛い」などと口にしようものなら、「それ見た事か、年甲斐もなく」と妻に罵られるのがわかっていたから、じっと忍の一字。妻の肩こり用のしっぷをこっそりくすねて貼って耐える。
正直言って運動不足がここまで酷いとは想像もしていなかった。自分の体が自分の思う通りに動かない。いくつになっても元気にグラウンドを走り回りたいとは思わないが、昔は簡単に振り切っていた同期に追いつけないというのもなかなかのショック。これを反省材料にして、少し体を動かそうかという気になっている。
モチベーションアップのために、まずはジャージを新調しよう。25年前のジャージはさすがに指摘されるまでもなく時代遅れだ。ボールを持ったのは、考えてみれば5年ぶりだったが、その感触は昔のままだった。懐かしい感触を糧に、頑張ってみようか。少し継続すれば、すぐにある程度は戻るだろう。まずは走るところからだろうか。
一夜明けて筋肉痛は甚だしいが、何だかちょっと心地良い気がするのである・・・
【今週の読書】
2013年4月11日木曜日
中学時代
娘が中学に進学した。小学校は入学式も卒業式も参列したが、さすがに中学は行かなかった。またすぐに卒業となるような気がする。いつの間にかどんどん大きくなっていく感じである。楽しい中学校生活を送ってほしいと思うが、自分の中学時代はどうだっだろうとふと思う。
品川区立荏原第六中学校に入学したのは昭和52年のことだから、もう36年前という事になる。正直言って、入学当時の事はほとんど覚えていない。ただ、他の小学校から上がってきたツッパリがあれこれといて、暗澹たる気持だったのをほんのりと覚えている。小学校時代もジャイアンみたいな奴がいたが、それがあちこちから集まってきていたのだ。
当時は私も気が弱く、喧嘩なんて口先だけだったから、からまれない事を願うばかりだった。手先になるのは嫌だったから、大体近寄らないようにしていたと思う。それでも同じ学校、同じ学年の悲しさで、何度も接触をしたが、その都度うまく逃げていた。1度だけ殴られたし、カンパと称して100円巻き上げられた事があったが、その程度で済んだと言えるかもしれない。
その後高校でラグビーを始めるのだが、体を鍛えて筋肉がついてくると度胸も備わってきて、おまけにぶつかり合いに慣れたせいか、喧嘩度胸もつくようになった。今にして思うと、あの頃今の度胸があったら上を向いて堂々と廊下の真ん中を歩けただろうし、ずっと楽しい中学生生活だったのではないかと思う。中学時代を思い返してみると、あまり明るい気持ちにならないのは、半分くらいはツッパリグループから逃げていたような思い出ばかりだからだろう。
高校は受験というフィルターを通るせいか、譬えれば澄んだ水のようで、ツッパリグループなどは存在しなかった。高校に入って何より嬉しかった事だ。それに比べると中学はいろいろと混じり合った泥水の中で、それなりの逞しさがないと楽しくは過ごせなかったのだ。
2年になって、バスケ部に入部した。なぜ1年から入らなかったのか、もう覚えていない。それなりに運動神経も良かったから、すぐにある程度のレベルには達した。ただ1年からやっていたメンバーがいたから、3年になってもレギュラーにはなれなかった。高校に入ってバスケ部に入らなかった理由は、身長が足りないと思った事と、中学でレギュラーになれなかった引け目があったからである。
バスケ部でも思い出と言えば、試合に途中から出してもらった事と、1年上の先輩から理不尽なシゴキを受けた事だ。練習を休んだという理由で、先生のいない時に休んだメンバーだけで“特訓”を受けさせられたのである。そのあと1週間くらい激しい筋肉痛で苦しんだ事を覚えている。ここでも思い出は、良い悪いが半々だ。
英語の授業は印象的だった。山口先生という慶応出身の20代後半の若い先生が教えてくれたのだが、英語の発音がネイティブ並みで、日本人でも流暢な英語が喋れるのだと希望を持たせてくれた。海外経験もあって、授業の合間に話してくれるアメリカやアメリカ人の話がとても面白かった。英語が好きになったのは、間違いなく山口先生のおかげだろう。
だが、3年になると転任してしまった。後任は“じゃぱにーず・いんぐりっしゅ”の中年の先生だったから、その落差たるやナイヤガラの滝レベルだった。こうして振り返ってみると、楽しかった思い出も嫌な思い出も、みんな友達や先生が絡んでくる。学校の思い出は、みんな周りの人たちとの思い出だから当然なのだが、それだけにどんな友達や先生に巡り合うかが、大きな影響を及ぼすことになる。
娘の通う中学には、どんな人たちがいるのだろう。娘が通うのは、地元の公立中学。雑多な泥水となるわけだが、自分の経験の割には、そういう泥水も成長過程では良いかもしれないと思ってみたりもする。どんな中学校生活になるかわからないが、それでも我が娘だし、泥水の中だけにできるだけ関心を持って見守ってあげたいと思うのである・・・
2013年4月7日日曜日
我が街
我が街大泉学園に住み始めて、早や17年になる。
その年数はほぼ結婚年数とイコールである。
元々実家は品川区であるが、関西人の妻と結婚するにあたり、どこに住もうかと考えこの地を選んだのである。
元々土地勘があったかと言うと、実はそれほどでもなかった。
当時、銀行のラグビー部に所属していた私は、週末には我が街の沿線にあるグラウンドに通っていた。我が街はその途中にあり、何となく馴染みがあったという程度である。
結婚する事になり、当時住んでいた千葉県は船橋市の独身寮を出る事になったのだが、どこに住もうかとあれこれ考えた。妻は関西人だから、どこだろうとわからない。
まさに私の一存で決められるという状況。
あれはそう何度も味わえるという経験ではないが、楽しいものであったと思う。
実は、最初は隣町の石神井公園にしようと考えていた。
何よりも近くに大きな公園があるから、週末の早朝に散歩したりしたら気持ちいいだろうと思ったのである。予算と睨めっこしながらいくつか物件を見てみたが、気に入った物件に出会えず、不動産屋のお姉さんの提案で一つ先の町にまで足を伸ばしたところ、最初に住んだマンションに行き着いたという次第である。一目惚れと言えば大げさだが、私も妻も一発で気に入ってしまったのである。
以来17年。
当時田舎情緒溢れていた駅舎は、その後劇的に駅ビルへと生まれ変わり、駅周辺の様子は一転してしまった。先見の明があったとも言えるが、個人的にはあの頃のローカル線の雰囲気漂う旧駅舎の方が良かったと今でも思っている。
「いつか住むなら映画館のある街がいい」と思っていたが、我が街には映画館もちゃんとある。たまに深夜のナイトショーを観に行き、ほとんど貸切状態で映画を堪能する事もあるが、車だと5分で帰ってこられる距離である。この深夜のナイトショーは時折楽しんでいるが、贅沢な気分にさせてくれるものである。
そして藤沢周平と松本零士という、小説と漫画の世界で私が好きな作家がともに住む(住んでいた)所でもあり、映画と本と漫画と3つの趣味で愛着を感じる事ができる土地である。
家の近在には畑が点在する。100円を入れて野菜を持って行けるスタンドはあちこちにあるし、いちご農家なんかもある。
川の源流があって、そこは公園となっている。
川には鯉が泳ぎ、カモが親子で水浴びをし、亀が甲羅干しをしている。
子供たちが小さい頃は、よく見せに連れて行ったものである。
そんな自然環境が残りながら、交通の利便性も割合恵まれている。
どこであろうと「住めば都」である事は確かであるが、それにも関わらずこの地は住み心地の良いところだと自負している。
難を言えば、戦後人口が急増した土地で歴史が浅いためだろうか、お祭りのような地域行事があまり盛んでないところだろうか。昭和30年代の航空写真を見た事があるが、我が家を含む周辺は一面の田畑であったようだ。子供たちの通う小学校も開校から50年ちょっとの歴史しかない。実家のある武蔵小山界隈の地域と比べると、人々のつながりは希薄かもしれない。
子供たちが大人になった時にどこに住むかはわからないが、我々夫婦は何事もなければこのままこの地で暮らしていくつもりだ。考えてみれば子供たちにとって、この地は“故郷”だ。
良いところだし、この地を選んで正解だったと思うし、終の棲家としたいと思うのである・・・
2013年3月31日日曜日
25年
期末であり、年度末でもある3月が終われば、また新しい年度。
今年も多くの新入社員が社会に出てくるのだろう。
ふと気がつくと、明日1日で社会人になって26年目となる事に気がついた。
もう四半世紀働いている事になる。
銀行員として25年。
すっかりプロの銀行員(と自負している)として定着したが、これが天職だっただろうかと考えると、どうだろうかと思えてくる。数字を扱う商売なのに、細かい数字は嫌いときている。
しかし決算書などの数字をあれこれと眺め、そこから何らかの意味を見出したりするのは好きである。企業の特徴は数字にきちんと現れるから、そんな数字を読みとったりするのは好きだったりする。仕事は面白いかと尋ねられたら、迷いなく面白いと答えられるから、まぁ良いと思う。
大学に入る時、将来は弁護士になろうと思って法学部の門を叩いた。しかし3年になって法律の勉強を専門的に始め、そして1年やってみて自分には向いていないと思った。その結論には満足しているが、何せその時はもう就職活動が始る時。方向転換するにも時間がない。今でも「教養課程」と称する1~2年の大学の授業のあり方には疑問に思うところである。
就職活動にあたっては、マスコミ(報道記者)と銀行と二つに絞った。
マスコミの方は、就職活動中に何となく自分の中のイメージと現実の姿がずれてきて、結局やめにした。その後、湾岸戦争時に真っ先にバクダッドから避難した日本のマスコミを見て、自分の出した結論は間違っていなかったと実感した。もしも日本にCNNがあったら入っていたかもしれないし、入らなかったら後悔していたかもしれない。
銀行を思い描いたのは、4年まで就職など考えてもいなかったので十分な企業研究ができなかったのと、法学部卒で経済もわからないのに社会に出てやっていけるのかと不安になったからだ。その点、お金という社会の“血液”を扱う銀行ならば、ある程度勤めれば社会の基礎がわかるだろうと考えたのである。もしもついて行けなくなって辞めたとしても、経理の知識ぐらいつくだろうし、どんな業種のどんな企業だろうと経理のない会社はないだろうし、何とかなるのではないかと考えたのである。
それから25年働いた今となってみると、たぶん経理でも財務でもどちらだろうとどこでも人並みにはこなせると思うから、贅沢さえ言わなければ仕事はできると思うし、思った通りにはなったわけである。銀行の中でも企業財務と接点のある部署をこなしてきたから、門前の小僧よりは経を習ったと言えるわけである。
何の職業にしてもそうかもしれないが、銀行も良いところと悪いところがある。
その中で、自分としてどんなやり方で仕事をしていくかというのは、途切れなく続く自分の課題のような気がする。
2013年3月28日木曜日
卒業式
期末の忙しい時期であったが、半日休暇をとって参列。
一般に卒業式と言っているが、正式には「卒業証書授与式」となっていた。
そうだっただろうか、と記憶を辿ってみるも思い至らない。
まあそんなものなのかもしれない。
早いもので、入学したのがついこの間のような気がする。
子供の成長は早い、と昔から言われているが、最近その通りだと実感する。
ランドセルに隠れていたような後ろ姿も、いつのまにか同じランドセルが小さくなっている。
今年は桜の開花が早く、入学した時と同じ桜の花の下での卒業式となった。
卒業式が近付くにつれ、「寂しい」と事あるごとに娘は漏らしていた。
幼稚園の卒園の時はニコニコしていたものだが、当日の娘は妙に神妙な表情。
おニューの洋服なのに、あんまり嬉しそうでもなかった。
やっぱり6年生ともなると、感情もそれだけ豊かになるのだろう。
式は「君が代」とともに始る。
こういう時は私もしっかり歌う。
そしてすぐに「授与式」。
130人が一人一人壇上で卒業証書をもらう。
娘の番の時は、漏らさぬようにビデオを構える。
あちこちで鼻をすすりあげる音が聞こえる。
お母さんたちも、子育ての一つの節目を迎え感無量なのだろうと、ふと目をやれば何とお父さんがハンカチを目に当てていた。
最近はついにここまで来たかと思う。
授与が終わると、校長先生の挨拶。
それは良いのだが、来賓の挨拶で指名されたのは、練馬区の文書なんとかの課長さん。
区長、教育委員長の代読だと断っての挨拶。
それを聞きながら、区長とか教育委員とかは区立の小学校の上部団体に当たるのではないかとふと思う。校長からすれば、「上司」ではないか、と。「上司」が主賓って言うのも変ではないのか、とくだらないことが脳裏を過る。たぶん、あの場でそんな事を考えていたのは私だけかもしれない。
130人みんなが順番に言葉を交わす。
そう言えば、自分も小学校卒業の時にやったよなと思う。
しかし、残念ながら「蛍の光」と「仰げば尊し」は歌わなかった。
これも時代なのだろうか。
退場する娘は涙顔。
乱暴者で有名なクラスメイトも何だか神妙な顔つき。
私も自分の小学校の卒業式では、あんまり好きでもなかった担任の先生に最後に握手してもらいに行った事を、ふと思い出した。
やっぱり当時の乱暴者も先生と握手していた。
そういう雰囲気があるのかもしれない。
「次は息子だな」と呟くと、「その前に中学の卒業式よ」と妻に言われた。
そうだ、息子はまだ1年。
その卒業前にもう娘は中学を卒業だ。
次もあっと言う間だろう。
あんまり急いで大人にならなくてもいいのだがと思う親父の立場なのである・・・
【本日の読書】

2013年3月21日木曜日
税金
ネットビジネスで巨額の年収を稼ぎだすある人物は、昨年家族ともどもシンガポールへ移住した。かの国の方が税金がはるかに安いというのがその理由。何でも家一軒建つほど違うらしい。日本の国に住むというメリットを放棄する価値があると言うことなのだろうが、アメリカなどでも話題となっている富裕層への課税はこういうリスクをはらんでいる。
豊かになればなるほど、あの手この手と節税策を工夫する事になる。節税か脱税かは微妙なところである。当然バカじゃないだろうから、税理士などが総力を結集して「節税」に取り組んでいる事は間違いないだろう。税理士にしても、いかに納税額を少なくするかが顧客を繋ぎとめる生命線となるから、あの手この手と工夫を重ねる。あれこれ研究して法の網の目をくぐり抜けると、くぐり抜けられた網の目はすぐにふさがれ、そしてまた次の網の目を探す。まさにイタチゴッコの世界だ。
我々のこの世界は当然税金で成り立っている。だから納税は市民の義務であるし、積極的に納めるべきものであるし、高額納税者は世間の尊敬を集めても当然だと思う。とは言え、そうした総論はともかく、実際に自分が納めるという各論になれば、「出来る限り少なく」と思うのは人の常、総論賛成各論反対の場となる。
サラリーマンは源泉税として否応なく持って行かれるから逃れようがないが、自営業者や会社経営者は日頃から節税意識が鋭い。ただ実際に本当にわかっているのかどうか怪しい人もいる。例えば「税金で落ちるから」と領収証をもらう行為。本当に使わないといけないなら仕方ないが、「(税金で)落とせるから」と使わなくてもいいお金を使うのは問題だ。
なぜなら税金で控除されるにしても、(交際費なら)損金算入限度額の制限があるし、その範囲内だとしても使ったお金が全額戻ってくるわけではないからである。例えば、法人税が約40%とすると、10,000円の利益で税金は4,000円。税金を払っても6,000円は手元に残るが、「落とせるから」と10,000円使えば、当然10,000円がなくなる。4,000円を「節税」するために、10,000円使うと言う事になりかねない。
まあ本当は認められない「家族での飲食を会社の交際費にする」といったものなら、使わざるを得ない(個人の)10,000円を使ってさらに(会社の)税金4,000円も節税してしまうと言うことになるので、理屈は通る。あれこれ節税に務めるのは「年貢米」の昔からそうなのかもしれない。
ただ、その使い道を見ていると、やっぱり納税意欲は減退する。3月ともなれば、年度末で「予算消化」のための事業があちこちで行われていると耳にすると、やっぱりそう思う。単年度会計の弊害なのだろうが、獲得した予算はその年度に使わないと次の年から不要とされてもらえなくなる。だから何が何でも使う事になる。民間のように、「無駄に使わずに貯めておいて使う」という事はできない。
映画『プリンセス・トヨトミ』では、税金の無駄遣いをチェックする会計検査院が登場した。その仕事は重要だと思うが、「無駄使い」はチェックできても、予算通り使われていれば、「本当は工夫すれば使わなくても済んだ」というところまではチェックできないだろう。予算を使わないで済ませられたら、その分必要な時に優先的に配布されるとか、賞与に反映されるとか、そうした仕組みがないと、一歩さらに進んだ「無駄の排除」はできないだろう。
税金でも何らかの団体の会費などでも、有益に使われていないという事は、納付のモチベーションを著しく下げる。正しく、あるいは有益に使われていると実感できれば、少しは余分に納めようと言う気にもなるが、そうでなければ例え100円でも惜しいと思う。
丸源ビルのオーナーが「ゲーム感覚」で節税する目的がなんであるかはわからない。使い道に対する不満なのかもしれないし、それともただ単に国家に取られる事が嫌なのかもしれない。ただ、80歳を過ぎて独身で家族もいないと言う。そうすると、その莫大な資産は何もしなければ国庫へ行く事になる。だとすれば何のために節税に勤しむのであろうか。
もしも金の亡者ではなく、ゲームとしての節税を楽しむのが目的で、貯めるだけ貯め込んで、節税するだけ節税して、最後にはすべて国庫に寄贈するつもりでやっているなら、実はあっぱれな人物なのかもしれない。願わくば、喜んで税金を納めたくなるような使い方をしてほしいものだし、いかに税金を納めたかが称賛されるような社会であってほしいと思う。
個人的には今のままでも年収が2倍になったら、喜んで税金を払うと思うところである(たぶん)・・・
【本日の読書】
2013年3月17日日曜日
レ・ミゼラブル
毎月1回は映画館に足を運んで、その時上映されている映画を観に行く事にしている。先月観に行ったのは、『レ・ミゼラブル』。正直言って、ちょっと遅れた鑑賞であった。
内容的には言うことなしで、1996年版と比べてもそれを上回る良い映画であった。そして例によって、映画を観ながらいろいろと考えた。
舞台は19世紀前半のフランス。貧しい民衆が蜂起してなされたフランス革命によって王政が倒されたものの、庶民の生活は依然苦しいまま。主人公のジャン・バルジャンは、パン一切れを盗んで投獄され、19年を獄中で過ごす。酷い話ではあるが、パン一切れがそれだけ(19年と言っても窃盗で5年、そのあとは脱獄の罪)貴重であったという裏返しだろう。
アン・ハサウェイが演じてオスカーをとったファンテーヌは、工場で働いている。背景はわからないが、一人身で幼い娘を他人に預けて働いている。たぶん、一緒に暮らすゆとりはないのだろう。賃金は少なく、娘の預かり料を送れば残りは食べるのが精一杯の様子。それでも職があるだけマシで、外には食べ物を求める人が絶望的な列をなしている。
そんな状況のファンテーヌは、トラブルから工場を首になる。娘の生活のためには仕送りが欠かせない。どうにもならない中、わずかなお金のために泣く泣く髪を売り、そして体を売る。前半のクライマックスであるアン・ハサウェイの歌う「夢破れて」は、こんな状況を見ているからよけいに胸を打つ。「お金で幸せは買えないが、不幸は追い払う事ができる」という言葉は、まさに真実である。
翻って21世紀の日本。生活保護というシステムがあり、19世紀のフランスのような悲劇は起こらないようになっている。世の中の進歩という意味では誇らしいところであるが、最近は逆に生活保護の高額支給や不正受給が問題になっている。不正受給については、過去最悪の件数だと言う。
先日の朝日新聞には、生活保護として毎月29万円を受給している女性(41歳子供2名)が、困窮を訴える記事が載っていた。住居費5万4,000円、被服費2万円、子供の習い事4万円、交際費1万1,000円、携帯代2万6,000円、貯蓄1万5,000円などとの内訳も明らかにされていた。
これを朝日新聞のように“困窮”と見なすかどうかは難しいところであるが、個人的には結構楽な暮らしができていると思う。
働かなくても二人の子供に習い事までさせて、携帯など我が家(夫婦合わせて)の2倍も使って、少しではあると言え貯蓄までできるわけであるから、ファンテーヌから見れば天国のような国に思えるだろう。それだけ弱者を保護できる財力があるなら問題はないが、積み上がった借金が減る気配もない我が国の財政事情を考えると、やっぱり“過ぎたる”ものに思えてしまう。
住居費などは、今は公営住宅に空き部屋がかなりあるようだからそういう部屋を使えば不要になるのではないかと思ったりするし、習い事や我が家の2倍の携帯代って何だと思うし、それにも関わらず貯蓄までできてしまうなら、この人は働きに出て生活保護を打ち切られたら確実に“困窮”すると思えてしまう。今は本当に良い社会と言えるのだろうか。
ジャン・バルジャンは、仮出獄後の社会の冷たさに世話になった司教から銀の食器を盗み出す。警察に捕まって司教のところに連れられてくるが、司教は「それはあげたものだ」と答える。そしてあろうことか、銀の燭台までジャン・バルジャンに手渡す。その広いキリスト教的な愛に触れ、ジャン・バルジャンは改心する。そして人々に善行を施し、子供を案じながら息を引き取ったファンテーヌの子コゼットを引き取って育てる・・・
19世紀のフランスよりもはるかに豊かな現代の我が国。果たして心も同じくらい豊かになっているだろうか。少子高齢化がこれから益々進む。支えきれぬほどの老人と借金とを託されて、我々の子供たちは幸せな暮らしを送れるのだろうか。中国のみならず、これからインドやインドネシアなどが発展していくだろう。東京のような都市がアジアにたくさんできるだろう。いつまでも「経済大国」と言っていられるのだろうか。
いずれやってくる老後の未来に、自分たちや子供たちが、レ・ミゼラブル(哀れな人々)にならんことを願わずにはいられないのである…
2013年3月13日水曜日
それをお金で買いますか2
この本には、議会の傍聴席や病院の整理券を獲得するために、「並び屋」を使う例が紹介されている。実際に並ぶのはホームレスなどであり、「並び屋」を営む会社は彼らを雇って並ばせ、それを欲する人に売る。並ぶのが嫌な金持ちはお金を払って嫌な事を回避し、ホームレスは収入が得られ、両者を結ぶ仲介会社も潤うという三方良しの商売である。
日本人はかなり平等という事を意識する国民であるからか、この手の話はあまり聞かない。
みんな公平に並ぶのが当然という雰囲気があり、それをお金で買うことを良しとしないところがある。むしろ金にモノを言わせるという行為を低俗な行為ととらえるところがある。
せいぜい予約してあれば優先されるのもやむなしと思う程度であろう。
そう言えばかつてアメリカのユニバーサル・スタジオに行った時、“Front of Line Pass”という行列に並ばずにアトラクションに乗れるチケットを利用した。当然普通のパスより割高なのであるが、できるだけ一度でたくさん体験したい海外旅行者にしてみればありがたいものであった。日本のディズニーランドには、ファストパスがあるが、これは一定のルールで並べばもらえるものである。「金で買う」アメリカと「金で買うのを良しとしない」日本の違いが表れていると思う。
それに連想してダフ屋が浮かんだ。コンサートや何らかのイベント会場の外で、「チケットないチケット?」、「チケットあるよ!」とガラの良くないおじさんたちが声をかけてくるアレである。条例などで禁止されているようであるが、本当のところ違法行為なのかどうかは知らないが、実際には大っぴらにやっている。ダフ屋などからチケットを買おうなどという気にはならないが、かつて一度だけ買おうと思った事がある。
あれは1995年10月9日の東京ドーム。
今や伝説とも言えるプロレスの試合があった。
絶対観に行きたいと思ったが、その日は平日。
銀行員という仕事柄、当時はやたらに休めなかった。
もちろん、そんなに早く仕事は終わらない。
泣く泣くチケットを買うのを諦めていたが、当日になってやっぱり諦めきれず、最後のメインイベントだけでも観たいと思い、仕事が終わってから東京ドームに駆けつけた。
当然当日券など残っているとは思えなかったから、ダフ屋から買おうと決めていた。
値段も構わないと覚悟して行った。そうして何とかまだあと数試合は観られるという時間に東京ドームに着いたのであるが、周りは人気が無く閑散としている。ダフ屋らしきおっちゃんは影も形もない。何とあまりの人気にダフ屋もソールドアウトだったのである。
唯一ダフ屋からチケットを買ったかもしれないチャンスだったが、残念ながら購入には至らず。ただやっぱり時としては、法外な値段を払っても買いたいという事はあるものである。
後日、当日の試合をテレビで観たが、それまで観たいろいろな試合の中でもベストと言える満足度で、当日もし生で観ることができていたら、例えチケットに正規料金の2~3倍の値段がついていたとしても満足しただろう。
日本的な平等の精神はやっぱり良いと思う。
ディズニーランドでは常にファストパスを求めて走り回るのがパパの役目だとしても、それで手に入れられるなら走り回ろうじゃないかと思う。
ただ、やっぱりせっかく行った海外旅行先のテーマパークでは、多少高くても安心していろいろなアトラクションを利用できるチケットがあるならば、お金を出して買いたいと思うし、そういうサービスも悪くはない。混雑した病院では、子供を連れて行った時などは優先して診てもらいたいものだとよく思ったものだ。
お金を出して買えるモノと買えないモノ、売り買いの対象として良いモノとそうでないモノ。アメリカ人と日本人の感覚は異なるが、その異なり具合をあれこれと考えてみると面白い。マイケル・サンデル教授の投げかける問いはいつも面白いとつくづく思うのである・・・
【本日の読書】
2013年3月9日土曜日
それをお金で買いますか
刑務所の独房の格上げ:一晩82ドル
インドの代理母による妊娠代行サービス:6,250ドル
絶滅に瀕したクロサイを撃つ権利:150,000ドル
主治医の携帯電話の番号:年に1,500ドル~
額(あるいは体のどこか)のスペースを広告用に貸し出す:777ドル
病人や高齢者の生命保険を買って、彼らが生きている間は年間保険料を払い、死んだ時に死亡給付金を受け取る:保険内容によって異なる
アメリカを始めとした海外の例であるが、日本人的な感覚からすると、かなりの違和感を覚える。ただ、実際に自分が売買するかどうかは別として、発想としてはかなり面白いと思った。人の思いつかないようなものを発想できるかどうかは、もしも事業家になろうと考えている人であれば重要な要素だろう。事業家になるつもりはなくとも、そういう発想力は持っていたいものである。
そう言えば、私がかねてから参加している社会人向け勉強会「寺子屋小山台」での講義で、「政治家を雇う」という発想が出て来た。三流の政治家しかいないと嘆く我が国民に対し、「有能な政治家を雇ってはどうか」という発想だった。今だったら、誰を雇うだろうか。日本人に限らなければ、海外の著名な政治家を連れてくるなんて考えてみると、結構楽しい想像かもしれない。
また、雇うとは違うが、政治家になりたい人が票を買うというのはどうだろうと思う。もちろん、これは公職選挙法違反行為であるが、影でこっそりやるのではなく、堂々と公平にやったら問題ないような気もする。売買するとしたらいくらになるだろうと考えると面白い。まずは買収資金の総額がいくらかが重要なファクターだ。
あるいは、企業なら自社に有利な法律でも作らせようとしたら、100億、200億と出せるかもしれない。資金力の弱い人であれば、1万票クラスの市議会レベルでないと難しいだろうか。実現したら、候補者ごとに1票の価格がランキング表示されるかもしれない。選挙会場では、電光掲示板に候補者ごとの価格が表示されていて、出足の鈍い候補者が慌てて金額を釣り上げたりするかもしれない。資金力にもよるが、価格をいくらに設定するかはなかなか難しいところだろう。専門のコンサルタントが、跋扈したりするかもしれない。
売る方はどうだろう。高ければ何でも良いと思うだろうか。自分だったら、どうするだろう。共産党あたりだったら、よっぽど高い値段を提示しないと売らないだろうな。価格の高過ぎる候補者は却って敬遠されるかもしれない。「あいつが政治家になったら危ない」と、まともな人なら思うかもしれない。そうすると、やっぱり人物本位になるだろうか。
人によっては、堂々とお金は出しませんと言う候補者に潔さを感じて入れるかもしれない。そうすると、結局お金を出さない方に収斂されていくのかもしれない。くだらない事をうだうだと考えてみたが、マイケル・サンデル教授は相変わらず面白い示唆を投げかけてくれるものだと、つくづく思うのである・・・
2013年2月28日木曜日
塾へ行くの?
数日前、上場している学習塾がこぞって業績好調だというニュースを目にした。上場約20社のうち半数近くが過去最高益なのだという。知らないうちに20社近くも上場していたというのには驚いたが、この少子化でも儲かっているらしい。我が娘の通っていた「ena」を運営する学究社もそんな過去最高益を計上している一社らしい。
我が家もだいぶ業績に貢献したからなぁと、改めて思う。この一年、娘は熱心にenaに通っていた。もともと私はあまり塾というところが好きではない。子供の頃も塾へは行った事がない。母親からは何度も塾へ行けと言われたが、水泳や習字や野球などは何の疑問も持たず言われるがままに通った割には、塾だけは拒絶していた。何となく勉強だけしに行くというのが嫌だったのかもしれない。
そんなわけで、娘には塾へ行かせようという気持ちはサラサラなかった。しかし、地元の都立中高一貫校を受けるという話が出た時、過去問を見たところその内容に気持ちが変わった。とてもではないが、学校の勉強をしていても受かるわけがないと思ったからである。それもいかがなものかという気はするが、郷に入っては郷に従えで、塾に行かせる事になった次第である。
行きはじめたら、娘は「勉強は面白い」と言い出し、実に熱心に通っていた。夏は清里へ合宿に行ったし、日曜特訓、直前の冬期講習、正月特訓とまぁ片っ端から行っていた。1年間で「ハワイに行けるくらい」かかった、と妻がぼやいていたが、それだから過去最高益にも達するわなぁと思うのである。
それにしてもenaもお金を取るばかりではなく、よくフォローしてくれていた。家にもよく電話がかかって来たし、さすがに学校と比べると受験指導は熱心だ。直前の頃は、塾の先生はみな終電まで頑張っていたようである。残念ながら合格という成果には結びつかなかったが、娘は引き続き塾へ行きたいと言う。「少しは休んだら」と言ったのは、娘を気遣ったというよりは、正直言って懐を気遣ったのであるが、敵もさる者、何と継続通学は1年間授業料タダなのだという。「それなら行け」と言ったのは言うまでもない。
考えてみれば、塾は「実力(成果)主義」。合格者が多数出れば、塾の知名度も上がって生徒数も増えるが、合格者が少なければ他へ流れてしまう。中学受験に失敗した子供は、次の高校受験では他の塾へ行くかもしれない。1年間タダにしたところで、固定費は変わらないし、変動費など微々たるもの。失敗した子は早目に高校受験の準備を始めると考えたら、1年間つなぎとめておく効果は大きいかもしれない。「アフター・サービス」というよりも、そこにはしたたかな戦略性を感じる。
自分としては、塾へ行きたかったとは露も思わないし、娘にも行かせたいとは今もって思わない。ただ、「面白い」と言う娘の好奇心を満たしてくれるなら、まぁ悪くはないと思う。これまで娘には、「勉強しろ」とは一言も言っていないし、これからも言うつもりはない。塾へも行きたいなら仕方ないというスタンスだ。いずれ塾に頼らずとも、自分で勉強をしていってくれるようになってほしいと思う。
懐も共感するところだと思うのである・・・
【本日の読書】

2013年2月20日水曜日
親父の誕生日
本日は、親父の戸籍上の誕生日である。「戸籍上の」というのにはわけがあって、この世に生れ出た日はどうも21日だという事なのだが、役場に届け出た誕生日が20日だったというのである。子供の頃から事あるごとに、「誕生日は20日だけど本当は21日なんだ」と聞かされてきた。個人的には「マイ・ヒーロー」であるアントニオ猪木と長嶋茂雄と同じ誕生日なんだから20日の方が良いじゃないかと思うのだが、どうもそうではないらしい。
親父は、今は仕事を辞め、趣味にしている写真を日々の楽しみにしている。年賀状はもちろん、家にもたくさんの写真が飾ってある。写真の良し悪しなど見てもわからないが、それでも何となく良さそうなものを褒めたりすると、嬉しそうにいろいろ語ってくれる。
親父は、長野県は山梨との県境にある富士見という町の出身。小淵沢という割合メジャーな駅が近くにあって、八ヶ岳の麓の避暑にはもってこいでいながら、それでいてまだ田舎のままの町である。そこで中学まで過ごした父は、卒業と同時に東京へ出てくる。当初は地元で大工になるつもりだったらしいが、友人が兄の招きで東京に行って働く事になり、一緒にと誘われた事から東京に出てきたという。若干16歳の春である。
今でこそ中央高速に乗れば車で2時間ほどで行けるが、当時は汽車で6時間の旅。友人と二人とはいえ、さぞかし心細い旅だっただろうと想像させられる。着いたところは印刷会社。丁稚奉公で、朝の6時に叩き起こされ、職人さん達が来る前に一働き。昼こそ45分間の食事時間があったが、朝晩は交代でわずかな時間で食べたという。田舎では麦飯が主流で、芋など色々混ざっていて、白米は大晦日に魚一匹と一緒に食べるのが唯一の機会だったらしい。ところが東京に出てきたら毎日白米で、逆に気持ち悪くなったと言う。随分生活水準が違っていたようである。
田舎から出てきた親父は、印刷工として丁稚奉公からスタート。下着はおばあさんが縫ったさらしのもので、親父はそれが恥ずかしく、人前で裸になれなかったらしい。半年後に下着一式をもらいようやく人前で服を脱げるようになったと言う。そんな思いなど、ありがたい事にした事がない。
仕事は夜の12時まで続く。お腹が空いて、工場の前に夜泣きそばが来ると、みんなで食べたという。さらに寝がけにお菓子まで食べて、寝るのは1~2時。今なら間違いなく労働基準法違反だ。そんな酷使が祟って親父は体調を崩す。体というよりも心の方で、幻覚まで見えたと言う。医者の勧めで故郷で療養する事になり、隣町の医者まで母親と通う。病名は「神経衰弱」。さしづめ今ならうつ病なのかもしれない。
やがて回復し、東京に戻って仕事を再開。丁稚時代は給料などなく、映画の切符をもらって月に一度観に行くのが楽しみだったらしい。根が真面目な親父は、他の人よりも良く働き、社長の奥さんに気に入られて、よくこっそりこずかいなどをもらったと言う。
当時の印刷業界は、職人が腕一本で渡り歩く時代。親父もやがてあちこち転職し、その都度給料が上がる。腕も良く、転職先では次の日からすぐトップクラスの時給にしてもらった事もあったらしい。けれどいずれも中小企業の話で、ちょっと大手の印刷会社に行くとたちまち「学歴の壁」が立ちはだかる。私は聞いた事がないが、たぶん自分も高校や大学へ行きたかったという気持ちもあったのではないかと思う。
そう言えば最近、私が大学に合格した時、親父がこっそり合格発表を見に行ったという話を母に聞いた。私が「だれも行くな」と言ったからこっそり行ったらしいのだが(私にはそんな事を言った記憶がない)、ひょっとしたら自分が行けなかった大学に息子が受かって嬉しかったのかもしれない。
エピソードはまだ長々と続く。そんな人生の途中で私が生まれ、弟が生まれ、大きくなって今では一人前の顔をしている。冒険などしそうもない親父が独立したのは、今もって不思議に思うが、自営業になったおかげでたぶん私も大学にも行けたのだと思う。同業者の中には借金を抱えて夜逃げした人もいたらしいが、大きな勝負とは無縁に生涯一印刷屋を通し、無借金で引退した。
嫁姑関係のこじれから、あまり孫には合わせていないのが、今は唯一申し訳なく思うところだ。せめて「本番」の明日の夜は孫からバースデーコールをさせるとしよう。まだまだエピソードを集めたいし、もう少し嫁姑の関係修復に努力して、孫と交流を持たせられるようにしよう。週末にはプレゼントとして好きなワインを届けたいと思うのである・・・
【今週の読書】
2013年2月16日土曜日
日本的意思決定
先日、世話役として参加している社会人向け勉強会で、「日本的意思決定」の話が出た。その中で、ある銀行の頭取が重要案件を決める席上で、「金融庁は何と言っているのか」「前例はあるのか」「他行はどうなのか」という質問をしたと言う。会議に参加していたある外国人が、滑稽に思って広めたらしい。それを聞いて笑えなかったのは、私が銀行員だったからでもあるし、これこそ「日本的意思決定」であると思ったからでもある。
そもそも日本は聖徳太子の時代から、「和をもって貴しとなす」(17条憲法第1条)国である。第2条(仏)よりも第3条(天皇)よりも「和」が先に来る国である。欧米の個人主義は個々の個性が尊重されるが、日本人は「和」である。そうすると、組織における意思決定も、トップダウン型よりもボトムアップ型となる。銀行では、支店長が決めて来た融資案件であっても、担当者が稟議という形でお伺いを立て支店長に改めて承認をもらう形を取るのである。
ボトムアップ型も悪くはない。一担当者が組織に自分の考えを働きかけていける良さがある。しかしながらそこに組織の多数の意見が加わる。全員が一致して無条件に賛成というなら問題はないが、大概はいろいろな意見が出てきて調整が必要となる。どの意見も尊重すると、まとまらなくなる。どうするか。
ここで生きてくるのが、自分達の輪から超越した意見あるいは絶対に間違いのない意見。要は「錦の御旗」であり、過去の成功体験=前例である。そしてそれがなければ、「みんなが同意していること」、つまり「みんなで渡れば怖くない」理論だ。
先の頭取も、欧米であれば一人で決めるだろうが、「和をもって貴し」とする社会では頭取と言えども私利私欲ではない「正しい回答」をする必要がある。だから「錦の御旗」=金融庁の意見、「前例」、そして「みんなの意見」=他行動向を尋ねたのである。
この「錦の御旗」はいろいろと形が変わる。日本が“外圧”に弱いのも、その一種だと思う。最近読み終えたばかりの「ローマ法王に米を食べさせた男」という本にも、「内側の人間は近い人間の悪いところしか見ない」という説明があった。我が子の良いところを近所の人の評価で知るという例だったが、会議で身内の人間が意見を言っても取り上げず、権威のある識者が語っていたりすると信用するというのも同じ理屈だ。
「他所で流行っている」などという説明が説得力を持ち、だから日本人はオリジナルな創作に弱く、モノマネに強い。スティーブ・ジョブズもソニーに勤めていたら、例えアイディアを思いついてもiPhoneは作れなかっただろう。
考えてみれば、「絶対的に正しい答え」などそうあるわけではない。どこかで割り切るしかないが、問題は「誰が割り切るか」だ。個人主義社会では絶対的トップがいるから問題ないし、そもそもそれがリーダーシップの証で称賛される。ところが和の社会では、トップと言えども調和を求められる。
トップが創業者で、「絶対君主」なら問題はないし意思決定も早いが、サラリーマンが階段を上りつめたタイプのトップだと、みんなが正解だと思うような答えを求める。「絶対的に正しい答え」を求めるから、会議の回数も増えるし、意思決定にも時間がかかる。稟議に回す書類の形式でさえ、いろいろ意見がでると収拾がつかず、それを回避するため書式も統一したりする(ここでも前例踏襲だ)。それが高じると「フォント」の大きさや種類を直すという作業に気を取られ、時間を取られる事になる。そうしてようやく晴れて意思決定がなされる。
稟議書の出来栄えは見事だが、ようやく卵が割れた時には、隣では同時に産み落とされた卵から孵ったヒナが成長して次の卵を産んでいたりする。国会議員の削減がなかなかできず、震災の復興が進まないのもある意味必然なのかもしれない。政治家が悪いという指摘も、突き詰めていけばそんなところに当たるのではないかという気もする。
大きな組織になればなるほど、公平性が求められればられるほど、行きつく姿なのかもしれない。そしてそれこそが、我が日本社会の持つ特質なのかもしれないと思うのである・・・
2013年2月9日土曜日
自動改札機
毎日通勤で、そして仕事での移動で電車を利用している。通勤で使っているのはPasmoの定期券であり、それ以外ではSuicaだ。昔のように切符を買うという事はほとんどない。それどころか、Suicaはオートチャージ機能付だから、券売機の前に立つこと自体、半年に一回の定期券の更新の時だけである。便利になったとつくづく思う。
それと同時にふと気がついた。そう言えば、「キセル」もしなくなったと。あまり大きな声では言えないが、昔は何気なくキセルをしていたものである。乗る時だけ最短期間の切符を買っておいて、出る時は定期。それでもって、本来払うべき電車賃を最低金額で済ませていたわけである。正直言って罪の意識なく普通にやっていたものである。
それが自動改札とPasmoとSuicaの登場によってできなくなった。ひょっとしたら、そんな今の環境下でもうまくやる方法はあるのかもしれないが、そんな事に頭をひねってわずかなお金をごまかそうなんて気持ちはサラサラない。それどころか、最近では電車賃にいくら取られているのかさえもほとんどわからないくらいである。たぶん他の人もみんな似たような状況だろうと思う。いくら使っているのかわからないとまではいかなくても、みんな自動改札機でしっかり正規料金を払っているのだと思う。
そう考えると、JRもさぞや儲かっているのかと思って調べてみた。平成10年と24年とで比較してみたら、運輸収入は462億円増えていた。まあこれがすべてキセル分だとは思わないが、かなり貢献しているのではないかと思うが、JRもあまり宣伝しにくい部分かもしれない。
駅員の削減という部分を取ってみても、人件費は大きく減らせただろうし、最終的な利益はかなり増えたのではないかと思う。ひょっとしたら「キセル」という言葉自体死語になっているのかもしれないと、会社で若い女性に聞いてみたら、20代半ばのその女性はまだまだ最後の切符世代だったらしく、言葉の意味自体は知っていた。しかしその言葉が、昔の「煙管」から来ている事までは知らなかった。うまいネーミングだと思ったが、あと10年もしたら死語になっているのではないだろうか。
銀行の店舗では、お客様が入って来た時に、「いらっしゃいませ」と声をかける。これは顧客サービスであると同時に、実は防犯対策になっている。入った途端に声をかけられて注目されているという意識が、悪い事をしようという意識を削ぐ結果になるという心理を利用しているのである。自動改札のシステムも、利便性の提供と同時にずるを防ぐ機能も持っている。「犯罪を取り締まるよりも起こさせないシステム」という意味でも、これはいいと思う。
そう言えばその昔、原宿の駅で駅員さんに捕まった事がある。期限の切れた定期券を使って見つかったのである。その時は途中で気がついたのだが、面倒なのでわからないだろうとタカをくくっていたら、微妙な後ろめたさが態度に出たのか、不自然なしぐさが注意を引いたのか、しっかり見つかってしまった。
嫌な体験だったので今でも覚えているが、あの時の駅員さんもきっとそうだっただろうし、そうした“嫌な体験”を防ぐ役にも立っているだろう。世の中どんどん便利で快適になっているが、こうした“死語”が増えていく事は歓迎すべき事態だろう。あとは乗客のマナーだろうが、これはなかなか一朝一夕というわけにはいかないのだろうなと思うのである・・・
【今週の読書】
2013年2月3日日曜日
マニー・パッキャオ
先週NHKで一人のボクサーの特集をやっていた。その名はマニー・パッキャオ。フィリピン人ボクサーで、有名なオスカー・デ・ラ・ホーヤに継ぐ史上2人目の6階級制覇を成し遂げた実力者のようである。
私は、もともとボクシングは嫌いではなく、たまに観ていたりしたし、かつてマイク・タイソンの試合には随分熱狂していた事もあるくらいなのだが、この選手の事はこれまで全く知らなかった。
6階級制覇と言われても、今は階級が細かく分かれ過ぎているからピンとこない。昔はボクシングの階級は、フライ級、バンタム級(矢吹丈はバンタム級だった)、フェザー級、ライト級、ウェルター級、ミドル級、ヘビー級などとシンプルだったが、今はスーパー○○級やクルーザー級、ミニマム級など複雑に分かれ、何と17階級もあるようだ。○階級制覇という言葉もよく聞くし、ナンボのものかと思ってしまう。
しかし、デビューから20キロも上のクラスで戦っていると聞くと、「それは凄い」と単純に思ってしまう。ラスベガスを中心にペイパーヴュー方式で行われるアメリカのボクシング興業は、巨額のマネーが動く。マニーの試合は人気が高く、なんとファイトマネーは1試合30億円だと言う。もう庶民には想像もできない。
確かに番組で垣間見るマニーの試合スタイルは、派手なノックアウトシーンが多く、観客の興味がそそられるのもよく分かる。だが、私が興味をそそられたのは、ファイトスタイルではなかった。ケタはずれの報酬を稼ぐマニーだが、普段は出身地のミンダナオ島に住み、地元の古ぼけたジムで幼馴染みとトレーニングをしている。
フィリピンでもミンダナオ島は貧しい地域で、マニーも子供の頃は日々の食事にも事欠く有り様だったようである。見事なサクセスストーリーだが、それも興味の対象にはならない。興味深かったのは、今でもミンダナオ島に住んでいることだった。普通、ハリウッドあたりに豪邸を建てて、贅沢三昧の暮らしをするだろう。それがアメリカンドリームで、みんなそうしているし、結局マイク・タイソンもそれで身を持ち崩したのではないかと思っている。
アメリカでは一部の金持ちが富を独占しているから、そうしていても不思議はないし、当然そうしていると思うのだが、彼はいまだにミンダナオ島に住んでいる。そして有り余るファイトマネーで、学校を作り、体育館を作り、台風で深刻な被害を受けた地域に15,000人分の緊急支援をしている。富を独占せずに、生まれ育った地元に還元し、自分もともにみんなと暮らしている。そんなところに心が動いてしまった。
昨年12月に行われた試合。故郷ではみんなが一台のテレビを囲んで応援している。しかし、その試合でマニーはライバルに壮絶なノックアウト負けを喫する。負けて故郷に帰った彼を迎えたのは、地元の人々の熱狂的な歓迎。ろくに舗装もされていない道路の沿道で、大人から子供までみんなが彼の乗る車に殺到する。彼の手にしたものは、巨額のドルではない。
日本人にも世界チャンピオンはいるが、ラスベガスで試合をするような選手はいない。それはなぜなんだろうとふと思う。亀田兄弟とか少し前の浪速の辰吉とか人気選手がでたりするが、いかにもローカルチャンプである。ハングリー精神の違いというのもあるかもしれないが、それだけだろうかとも思う。詳しい事情はわからないから何とも言えないが、その理由には興味があるところだ。
マニーの次回の試合がいつになるかはわからないが、ちょっと注意していて、次回はWOWOWあたりでやるだろうから、是非ともTV観戦したいと思うのである・・・
2013年1月27日日曜日
日本核武装論
尖閣諸島を巡っての漁船衝突事件や国有化問題に端を発し、中国とのイザコザが収まる気配がない。今も連日のように領海や領空で、中国のプレッシャーが続いている。右寄りの産経新聞は元より、中国批判の論調は強く、私の周りでも中国との本格的な軍事衝突の可能性を訴える声を耳にする。
そんな中で、国有化問題の発端とも言うべき石原元都知事は「日本核武装論」まで唱えている。世界唯一の被爆国として、我が国の核兵器に対するアレルギーは、たぶん世界一だと思うが、そんな中でも最も極端な意見だと思う。いつの世も過激な事を言う人たちは必ずいるものであり、石原さんもそんな一人だと片付けるのは簡単である。
しかし、よくよく考えてみると、これは真剣に検討すべき課題なのではないかという気が最近ではしている。普通に考えれば、核戦争などやったら人類は終わりに近くなるだろうし、経済の密接し合った現代で、かつてのような戦争などやっても益はないだろうし、周辺国の反発は必至だし、持つ意味などないように思える。私は基本的に「米中等距離外交論者」だし、「中国とは友好を築くべき」だと考えている。ただ、だからこそ、その前提として「核兵器の保有」が必要だとも思えるのである。
男の感覚からすると違和感はないと思うかもしれないが、男は子供の頃から「殴り合いの喧嘩」を多かれ少なかれ意識する。「やられる」と思えば、譲歩しなければならないし、「勝てる」と思えば交渉も強気になる。殴り合いの喧嘩でなくても、例えば上司との議論を想像してみるとわかりやすい。上司と議論して論破できるか否かは、悲しいながら上司の力量次第。
いくら立派な理屈を並べ立ててみたところで、「俺がNoと言ったらNoだ!」と言うタイプだったら、どうしようもない。中国との小競り合いも、アメリカという後ろ盾があるから「小競り合いで済んでいる」とも言える。いじめっ子に睨まれた優等生が、かろうじていじめられずに済んでいるのは先生の目があるからである。先生がいなくなれば、手も足も出ない。
尖閣諸島に中国軍が上陸したら、日本は単独ではどうしようもない。抗議など「蛙の面に○○」というところである。では「アメリカと徹底的に仲良くして」いれば良いかと思えば、本当に大丈夫と言いきれるだろうか。
今朝もアメリカのケリー上院議員が中国重視の発言をしていた。アメリカは限りなく国益を追求する国である。これから益々経済力をつけてくる中国である。いつまでも日本の方が重要だと思ってくれるだろうか。
そうした時に、核兵器を保有していれば、中国もおいそれとは過激な行動がとれなくなる。日本の技術力を背景にすれば、北朝鮮の怪しげな核兵器よりもさらに強烈なインパクトを与えるだろう。アメリカの後ろ盾を失ったとしても、中国には単独で相対できるはずである。
今の時代、核兵器は攻撃用の兵器ではなく、あくまでも「抑止力」である。使えばお互い大変な事になるから使えない。しかし、「ある」のと「ない」のとでは大きく違う。ひ弱な優等生が空手の黒帯を取れば、いじめっ子も手を出せなくなるのである。
「使わない兵器」というのもおかしなものであるが、核武装はあくまでも喧嘩の道具ではなく、話し合いの道具と言う事もできる。石原さんが、「軍事的な抑止力を強く持たない限り外交の発言力はない。今の世界で核を保有しない国の発言力、外交力は圧倒的に弱い。北朝鮮は核を開発しているから存在感がある」という意味が、ここにあると思う。
経済でも軍事でも外交でも、今は中国の方が一枚上手である。そんな中国が、過去の経緯もある日本と本当に友好関係を築いてくれるか、は今は相手の力量にすべて委ねられている。しかし、核武装すれば相手は一目置いて、初めてきちんと話を聞いてくれるのではないかと思う。逆説的ではあるが、本当に友好的にやろうとするのであれば、核兵器こそその有効な後ろ盾となるのではないだろうか。
まあ結局は自分で何とか自立するか、相手の力量に頼るかの話である。相手の力量に頼るのが一番問題は少ない。中国が「理解ある上司」であれば問題はない。人任せではなく、空虚な理想論でもなく、現実的にドラスティックな国際社会で自立していこうと思ったら、やっぱり考えなければならない事かもしれないと思うのである・・・
2013年1月20日日曜日
日記
よく有名人の残した日記が公開されたりしているが、自分はそんな大それた存在でもないし、残して誰かに読んでもらおうなどとも思わない。そう考えてパソコンに保存しているのである。そういう日記は、もちろん後で読み返す事に意味がある。
高校生以後のものは今も手元にある。文章の巧拙はあるものの、テイストはあまり変わっていない。しかしながら、やっぱり10代の“青さ”が滲み出ている文章は、とてもではないが人に見せられたものではない。いつか人生の終わりに身辺整理をする時に、忘れずに処分しないといけない。
人間の記憶というものは、曖昧であり、頼りない。過去に過ごした一日一日はほとんど忘却の彼方だ。しかし、日記に書いてあるとその時の記憶が呼び起こされる事もある。過去の日記を読み返す事は、けっこう面白いものである。
高校生の時に初めて女の子と付き合った。こういう記述は、例え自分のものでも一層興味深い。付き合うに至る過程の心の動きもきちんと書いてある。「若いなぁ」と改めて思う。初めてのデートの時の記憶など、完璧に失われているが、日記にはその時の様子が書いてある。これぞ、日記の効果であろう。
自分でもわりと記録に残す事は好きな方だと思う。映画館に観に行った映画は、小学校6年の時に初めて観に行った「ジョーズ」から、先日観に行った「007 スカイフォール」まで454本に及ぶ。読書はさすがにすべての記録はないが、それでも2005年からはすべてある。近年はブログにして残してあるが、もうすでに内容を忘れてしまっているものがあるから、自分の記録として重要だ。
日記の方は、ここ10年ではやはり子供に関する記述が多くなる。それは子供の成長記録でもある。そしてやっぱり仕事についての記述も多い。その時々に携わっていた仕事。同僚に対する意見。その時食べたランチ・・・
くだらない事もあるし、わざわざ人に見せるほどのものでもない。覚え書き程度のものではあるが、その時過ごした一日がそこにはある。年々月日の経過が早くなっていくが、日記にはそんな矢のように過ぎ去った過去が毎日きちんと記されている。当たり前だが、早過ぎる事もなく、遅すぎる事もなく確実に過ごした一日の記録がそこにはある。それを読めば、知らないうちに時間が過ぎてしまっていたという事はないのだと、改めて実感できる。
今度はいつまで続くだろうか。もうろくして書けなくなる時までだろうか。日記にはすべてパスワードがかけてあるから、子供たちが読む事はないし、自分が死んだらそれまでだろう。それで良いと思っている。
せっかくここまで続けたし、毎日寝る前の良い習慣になっている。時間がなくて急いで書いたら、あとで読みなおした時に何かその日は損をしたような気になってしまう。だから、日記は優先的に余裕をもって、書こうと思う。これからも、毎日続けていきたいと思うのである・・・
2013年1月13日日曜日
アルバイト
自分も社会人になる前はアルバイトの経験がある。初めてのアルバイトは中学3年の時、と言っても高校に入る直前の春休みだ。近所の幼馴染みのお父さんが棟梁だった伝手で、建設現場でお手伝いをしたのが記念すべき初めてのバイトだった。そこは以後も休みのたびに働かせてもらい、こずかいを稼がせていただいた。おかげで、高校生になってからというもの、親からこずかいをもらわなくて済んだのである。
これに味をしめて、高校・大学に入っても当然ながらバイトでこずかい稼ぎを続けた。さすがに学費まではカバーできなかったので、教科書代や通学交通費などの学業に関わるものは親に出してもらい、こずかいは自分で稼ぐという事を貫いた。自分で言うのも何だが、随分感心な学生だったと思う。
アルバイトは親の知り合いの本屋さんというのもあったが、自分で探す事もした。普段はラグビー部の活動があって時間もなく、家庭教師くらいしかできなかったが、今の時期などのシーズンオフはいろいろと探した。年賀用のひよこのお菓子を売った事もあったし、店頭でカメラのフィルム売りの呼子をやった事もあった。その中でも一番のお気に入りは、やはり肉体労働系であった。
最初の建設現場もそうだったが、大学時代にやった築地魚河岸のバイトや防水工事の会社でのバイトなどがなかなかのお気に入りだった。魚河岸の朝は早く、怒声の飛び交う現場に最初は面食らったが、すぐに慣れて怒鳴り返していた。防水工事では、毎日いろいろな現場に連れて行かれ、9時から5時まで作業をした。
10時と3時にはきっちり「一服タイム」が入る。作業が終わって事務所に帰ってきて、その日の報酬をもらって帰る。そのうち新入りのバイトから、「社員さんかと思いました」と言われるほどになった。20数年前の当時で一日7,000円前後は貰えたが、報酬にも内容にも満足していた。
当時も選り好みするつもりはなかったが、それでもスーパーのレジというのは選択肢には入らなかった。その理由を探っていくと、何となく男がする仕事ではないという感覚がある。批判するつもりはないのだが、自分ではやらないだろうし、将来息子がやると言ったら反対するだろう。それは偏見なのだろうか。
もっとも最近では男もお肌の手入れをしたりするようだし、それほど大げさとは言わなくても何の抵抗感もないのかもしれない。そこにニーズがあって、それを満たすのに男女差は関係ないという事であれば、誰がやろうが構わないのも事実だ。そういう意識は偏狭なのかもしれない。
それはともかくとして、アルバイトはいいものだと思う。社会に出る前に稼ぐという体験ができるし、世の中の仕組みもなんとなくわかる。ひよこのお菓子を売った時は、当日の朝、その日付の製造日の日付判を押してから売っていた。当然製造日の表示の偽造であり、今ならまずいと思うのだが、当時は「こんなものか」と思ったものである。
世の中数多ある職業をいろいろと体験する事は難しいが、アルバイトはそんな職業のいくつかを疑似体験できる。子供たちもいずれそんな年齢になるだろうし、その時は積極的にこずかい稼ぎをさせようと思う。どんなバイトがいいだろうか。自分の事ではないものの、今から考えても面白いかもしれないと思うのである・・・
2013年1月6日日曜日
我が家の子供たち
この年末年始は何と9連休だった。
無事にお正月を迎えられる上に、長く休む事もできて、つくづくありがたいと思う。
娘は受験勉強に勤しむ毎日。
塾も積極的に居残りをしている。
そんな娘に妻は厳しい。
今朝も娘は、今ハマっている「踊る大捜査線」の録画(最初のTVシリーズ)を観ようと6時半に早起き。終わってから朝の勉強。ところが妻は、そんな娘に厳しく言う。
「TV観るために早起きなんて・・・受験が終わってからにしなさい!」
合否に不安な妻は、事あるごとにこんな調子。妻の言い分もわからないでもない。しかし、普段だったら娘は8時まで寝ているところ。それをTV観たさに早起きする努力は認めてあげないといけない。8時に起きてそれから顔を洗って準備して勉強するのと、TVを観て終わって7時半から勉強するのとどっちが良いのか、考えるまでもないのだが、妻にはその判断もつかなくなっている。
かつて受験生がいる家では、「すべった」とか「落ちた」とかは禁句だといったものがあった。非常に滑稽だと思っていたのだが、それくらいピリピリしていたのだろう。だけどそうしなければ受からないというものでもない。まだ小学生だという事を考えれば、もっと考えてあげないといけない。私はと言えば、眠い目をこすりながら6時半に起きて一緒にTVを観てあげた。趣味は一緒に楽しむ人がいれば尚更楽しいし、当然ながら娘もそれを喜んでいるようだった。そういう応援をしていきたいと思うのである。
一方息子はここのところ日本の歴史にハマっている。特に戦国武将にご執心だ。『そーなんだ!歴史編』という歴史漫画を、本当は歴史に苦手意識を持つ娘のために購読したのだが、逆に息子がハマってしまったという有り様。せっかく47都道府県を覚えたと思ったら、今度は「尾張の国」だとか「美濃の国」だとか、そっちが気になるようだ。徳川15代将軍の名前を知りたがったり、家系図にも興味が派生しているようである。
挙句の果てに、「我が家の家紋は何か」と尋ねて来た。良い機会だと思って「おじいちゃんに聞け」と答えたら、さっそく実家に連れて行った時に質問し、「丸に根笹」と教えてもらい、さらにそのキーホルダーまでもらってご満悦。
「お姉ちゃんはお嫁に行くから、僕が名前を継ぐんだよね」
と涙ぐましいセリフまで吐いてくれた。「お嫁に行ってくれればね」というセリフをぐっと呑み込み、「そうだね」と答える。
それぞれに、それぞれの子供たち。
今年は子供たちにとってどんな年になるのだろうか。
自分のばかりでなく、子供たちの一年もしっかりと見守りたいと思うのである・・・
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| 丸に根笹 |
2013年1月3日木曜日
2013年新春雑感
2013年が始った。
今年はいつもと違うスタートだ。
まず長女が受験という事もあって、大阪の妻の実家訪問はなし。
長女は元旦のみ休んで、2日から塾だ。
塾の先生も娘の話によると連日終電帰りという事。
先生たちも書き入れ時らしい。
元旦はいつも家族そろって近所の北野神社へお参りに行くのだが、例年よりも遅めに家を出る。長女は起きてこないので置いて行った。家族そろって行くものだという意識はあったが、いずれ子供たちもバラバラとなってそうもいかなくなるだろう。そんな事を考えて、敢えて置いて行ったのだ。いずれ夫婦二人でのお参りとなるのだろう(それとも一人だろうか)。
そのあとは恒例行事として、私の実家へ。妻と母は表面上は穏やかな会話。母親も年末のゴタゴタについては気に病んでおり、体調も悪いらしく、そのあたりは大分気になっていたが、また改めて様子伺いをしようと思う。嫁姑問題が少しでもデタントに向かうよう、今年はこの問題に諦めずに対応していきたいと思う。
さらに気になるのは、祖父母と孫との関係だ。妻の両親と子供たちは会話が多いが、私の両親とはあまり会話が続かない。その最大の要因は、接触時間の長さが影響している。妻は年間にして約1ヶ月実家に帰省する。それに対して私の実家へは年間数回だ。この差は大きいと思う。これも今年は少しでも改善したいと思うが、妻の顔色を見ながらという事になるのだろう。
2日から長女は塾に行く。
正月特訓である。
我が娘ながらよく頑張る。
受験は親がやかましく言ったところでどうなるといったものではない。
何よりも本人のモチベーションが重要。
幸いな事に本人がやる気になっているところが、良いところ。
塾通いは親の懐には優しくないが、そこは親も耐えないといけない。
長女が塾へ行って勉強する間、私はテレビでラグビーの大学選手権を観戦。
これも恒例行事。結婚前は、毎年国立競技場へ行っていたものであるが、結婚してからは大阪への移動日になるため、半分くらいしか観られない。
仕方がないと諦めてはいるが、今年はじっくり観る事ができた。
特にする事もない三が日。あれこれと今後の事を考えてみる。常に、「昨日より少しだけ良い今日、今日よりも少しだけ良い明日」と考えて生きている。しかしながら、このところ停滞しているようにも思う。仕事でも家庭でもその他でも、これまで割と自分なりに努力しているつもりなのだが、あまり成果は上がっていない。正直言って辛いところではあるが、かと言ってやめるわけにもいかない。成果を焦らず必要な事を続けていくしかない。
嫁姑問題も含めて、今年はネバー・ギブアップ~できるまでやる~をテーマとして頑張ろうと思うのである。
【本日の読書】


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