我が街大泉学園に住み始めて、早や17年になる。
その年数はほぼ結婚年数とイコールである。
元々実家は品川区であるが、関西人の妻と結婚するにあたり、どこに住もうかと考えこの地を選んだのである。
元々土地勘があったかと言うと、実はそれほどでもなかった。
当時、銀行のラグビー部に所属していた私は、週末には我が街の沿線にあるグラウンドに通っていた。我が街はその途中にあり、何となく馴染みがあったという程度である。
結婚する事になり、当時住んでいた千葉県は船橋市の独身寮を出る事になったのだが、どこに住もうかとあれこれ考えた。妻は関西人だから、どこだろうとわからない。
まさに私の一存で決められるという状況。
あれはそう何度も味わえるという経験ではないが、楽しいものであったと思う。
実は、最初は隣町の石神井公園にしようと考えていた。
何よりも近くに大きな公園があるから、週末の早朝に散歩したりしたら気持ちいいだろうと思ったのである。予算と睨めっこしながらいくつか物件を見てみたが、気に入った物件に出会えず、不動産屋のお姉さんの提案で一つ先の町にまで足を伸ばしたところ、最初に住んだマンションに行き着いたという次第である。一目惚れと言えば大げさだが、私も妻も一発で気に入ってしまったのである。
以来17年。
当時田舎情緒溢れていた駅舎は、その後劇的に駅ビルへと生まれ変わり、駅周辺の様子は一転してしまった。先見の明があったとも言えるが、個人的にはあの頃のローカル線の雰囲気漂う旧駅舎の方が良かったと今でも思っている。
「いつか住むなら映画館のある街がいい」と思っていたが、我が街には映画館もちゃんとある。たまに深夜のナイトショーを観に行き、ほとんど貸切状態で映画を堪能する事もあるが、車だと5分で帰ってこられる距離である。この深夜のナイトショーは時折楽しんでいるが、贅沢な気分にさせてくれるものである。
そして藤沢周平と松本零士という、小説と漫画の世界で私が好きな作家がともに住む(住んでいた)所でもあり、映画と本と漫画と3つの趣味で愛着を感じる事ができる土地である。
家の近在には畑が点在する。100円を入れて野菜を持って行けるスタンドはあちこちにあるし、いちご農家なんかもある。
川の源流があって、そこは公園となっている。
川には鯉が泳ぎ、カモが親子で水浴びをし、亀が甲羅干しをしている。
子供たちが小さい頃は、よく見せに連れて行ったものである。
そんな自然環境が残りながら、交通の利便性も割合恵まれている。
どこであろうと「住めば都」である事は確かであるが、それにも関わらずこの地は住み心地の良いところだと自負している。
難を言えば、戦後人口が急増した土地で歴史が浅いためだろうか、お祭りのような地域行事があまり盛んでないところだろうか。昭和30年代の航空写真を見た事があるが、我が家を含む周辺は一面の田畑であったようだ。子供たちの通う小学校も開校から50年ちょっとの歴史しかない。実家のある武蔵小山界隈の地域と比べると、人々のつながりは希薄かもしれない。
子供たちが大人になった時にどこに住むかはわからないが、我々夫婦は何事もなければこのままこの地で暮らしていくつもりだ。考えてみれば子供たちにとって、この地は“故郷”だ。
良いところだし、この地を選んで正解だったと思うし、終の棲家としたいと思うのである・・・
2013年4月7日日曜日
我が街
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