2013年4月21日日曜日

将来の職業

 平日は家族と食事の時間が合わないが、週末は家族で食卓を囲む。テレビはつけず、みんなで会話するようにしている。と言っても、普段は妻と子供たちの食卓に週末私が加わるといった図式だろうか。ただ私からしてみると、子供たちの近況や考えを知る一つの機会となっている。

 今回は娘の職業観を聞く事となった。将来は薬剤師の資格を取るのだと言う。中学1年になったばかりで、どこから仕入れて来たのか、堅実な目標を掲げるものだと意外に思う。聞けば免許があれば食いっぱぐれないでしょうという返事。どこかでそう教えられたのだろうか。

 父親的には、もっと夢のある理由を語って欲しかったところである。例えば病気を治す手伝いをしたい、とか。研究職みたいなものに興味があるというから、新しい薬の開発をしてみたいとか。「資格があればお金になるんでしょ」という発言からすると、どうやら目的はお金のようである。

 子供らしい、と言うのだろうか言えないのだろうかは微妙なところだが、少々軌道修正が必要なようだと感じる。資格というものは、ただ「その仕事ができる」というものにしか過ぎない。問題はその資格を使って何をするか、だ。お金儲けなのか、人類への奉仕なのか、その目的はともかくとして、「資格を取れば安泰」と考えているなら親として正してやらねばなるまい。

 私も世間の親並みに、子供には安定して穏やかな人生を送ってほしいと思う。ただ、だから公務員になれとか、資格を取れというのは、そのためのアドバイスにはならないだろう。何のためにその仕事をするのか、したいのか。まずは目的意識からだろうか。「就職難の時代だから薬剤師の資格を取っておく」というのは、最終的には悪くはないが、中学1年生の語る理由には相応しくない。

 考えてみれば、ある程度現実を知る親の立場として、どんなアドバイスを送るのかは難しいところだ。例えば自分が卒業を控えた大学生に戻ったら、就職はどうするだろうか。また銀行員になるのだろうかと問われれば、答えはたぶんNoだ。別に嫌な職業だというのではなく、もう25年もやったから今度は別の仕事がしてみたいという単純な興味だ。では何が良いかと言うと、なかなか悩ましい。

 お金という要素も重要だ。やっぱり夢のある仕事をしたいと思うが、生活苦を抱えていては夢もしぼむだろう。「お金で幸せにはなれないが、不幸は追い払う事ができる」とは、私の好きな言葉でもあるが、ある程度の収入は必要だ。薬剤師の資格を取っても、薬局のオーナーか店員かでも収入は違うし、企業に勤めて研究するのもまた違う。娘にはそんな話をした。オーナーでも儲かっている店とそうでない店とでもだいぶ違う。

 目的と手段とをきちんと選択しないといけないだろう。理想的にはきちんとした目的(何がしたいか)があって、そのためにどうする(どんな職業に就く)と考えたいものである。そのためには、薬剤師も悪くはないが、そもそももっと目を広く向けて、いろいろな職業を知る事が大事な気がする。

 自分自身を思い返してみても、中学生の頃は「将来こんな職業に就きたい」なんて希望はあまりなかった気がする。それはそもそも視野が狭くてわからなかったというのが大きい。そこで、『新 13歳のハローワーク』をさっそくアマゾンでオーダーしてみた。今度娘と一緒に見て、いろいろと話をしてみようと思う。

 親でさえ悪戦苦闘中なのだ。あまり偉そうな事は言えない。ただ自分の足できちんと歩いて行ける大人になってもらうためには、歩く練習には真面目に付き合ってあげたいと思うのである・・・


【今週の読書】
影響力の武器[新版] 人を動かす七つの原理 - ロバート・B・チャルディーニ, 社会行動研究会  吾輩は猫である - 夏目 漱石






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