2013年3月17日日曜日

レ・ミゼラブル

 毎月1回は映画館に足を運んで、その時上映されている映画を観に行く事にしている。先月観に行ったのは、レ・ミゼラブル』。正直言って、ちょっと遅れた鑑賞であった。

 内容的には言うことなしで、1996年版と比べてもそれを上回る良い映画であった。そして例によって、映画を観ながらいろいろと考えた。

 舞台は19世紀前半のフランス。貧しい民衆が蜂起してなされたフランス革命によって王政が倒されたものの、庶民の生活は依然苦しいまま。主人公のジャン・バルジャンは、パン一切れを盗んで投獄され、19年を獄中で過ごす。酷い話ではあるが、パン一切れがそれだけ(19年と言っても窃盗で5年、そのあとは脱獄の罪)貴重であったという裏返しだろう。

 アン・ハサウェイが演じてオスカーをとったファンテーヌは、工場で働いている。背景はわからないが、一人身で幼い娘を他人に預けて働いている。たぶん、一緒に暮らすゆとりはないのだろう。賃金は少なく、娘の預かり料を送れば残りは食べるのが精一杯の様子。それでも職があるだけマシで、外には食べ物を求める人が絶望的な列をなしている。

 そんな状況のファンテーヌは、トラブルから工場を首になる。娘の生活のためには仕送りが欠かせない。どうにもならない中、わずかなお金のために泣く泣く髪を売り、そして体を売る。前半のクライマックスであるアン・ハサウェイの歌う「夢破れて」は、こんな状況を見ているからよけいに胸を打つ。「お金で幸せは買えないが、不幸は追い払う事ができる」という言葉は、まさに真実である。

 翻って21世紀の日本。生活保護というシステムがあり、19世紀のフランスのような悲劇は起こらないようになっている。世の中の進歩という意味では誇らしいところであるが、最近は逆に生活保護の高額支給や不正受給が問題になっている。不正受給については、過去最悪の件数だと言う。

 先日の朝日新聞には、生活保護として毎月29万円を受給している女性(41歳子供2名)が、困窮を訴える記事が載っていた。住居費5万4,000円、被服費2万円、子供の習い事4万円、交際費1万1,000円、携帯代2万6,000円、貯蓄1万5,000円などとの内訳も明らかにされていた。
これを朝日新聞のように“困窮”と見なすかどうかは難しいところであるが、個人的には結構楽な暮らしができていると思う。

 働かなくても二人の子供に習い事までさせて、携帯など我が家(夫婦合わせて)の2倍も使って、少しではあると言え貯蓄までできるわけであるから、ファンテーヌから見れば天国のような国に思えるだろう。それだけ弱者を保護できる財力があるなら問題はないが、積み上がった借金が減る気配もない我が国の財政事情を考えると、やっぱり“過ぎたる”ものに思えてしまう。

 住居費などは、今は公営住宅に空き部屋がかなりあるようだからそういう部屋を使えば不要になるのではないかと思ったりするし、習い事や我が家の2倍の携帯代って何だと思うし、それにも関わらず貯蓄までできてしまうなら、この人は働きに出て生活保護を打ち切られたら確実に“困窮”すると思えてしまう。今は本当に良い社会と言えるのだろうか。

 ジャン・バルジャンは、仮出獄後の社会の冷たさに世話になった司教から銀の食器を盗み出す。
警察に捕まって司教のところに連れられてくるが、司教は「それはあげたものだ」と答える。そしてあろうことか、銀の燭台までジャン・バルジャンに手渡す。その広いキリスト教的な愛に触れ、ジャン・バルジャンは改心する。そして人々に善行を施し、子供を案じながら息を引き取ったファンテーヌの子コゼットを引き取って育てる・・・

 19世紀のフランスよりもはるかに豊かな現代の我が国。果たして心も同じくらい豊かになっているだろうか。少子高齢化がこれから益々進む。支えきれぬほどの老人と借金とを託されて、我々の子供たちは幸せな暮らしを送れるのだろうか。中国のみならず、これからインドやインドネシアなどが発展していくだろう。東京のような都市がアジアにたくさんできるだろう。いつまでも「経済大国」と言っていられるのだろうか。

 いずれやってくる老後の未来に、自分たちや子供たちが、レ・ミゼラブル(哀れな人々)にならんことを願わずにはいられないのである…


【今週の読書】               

四〇〇万企業が哭いている: ドキュメント検察が会社を踏み潰した日 - 石塚 健司 ナミヤ雑貨店の奇蹟 (角川文庫) - 東野 圭吾






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