周りの人は笑って
あなたは泣いていたでしょう
だからあなたが死ぬ時は
あなたが笑って
周りの人が泣くような人生を送りなさい
村枝賢一
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一昨日誕生日を迎えた。
もういまさら誕生日だからといって特別な感慨もない。
ただ、自分のあり方をいろいろと見つめ直すにはいい機会なのかもしれない。
朝、鏡に向って髭を剃りながらふと考えた。
鏡に映っている男は、誰かの子供であり、誰かの夫であり、誰かの親であり、また誰かの友人であり、同僚であり、その他であるわけである。
果たして、そういう誰かにとって自分は何がしかの意味を持っているのだろうか、と。
親は自分が息子であって良かったと思っているのだろうか。
妻は自分と結婚して良かったと思っているのだろうか。
子供はこういう父親で良かったと思っているのだろうか。
友人や同僚やその他の人達は自分と知り合えて良かったと思っているのだろうか。
20代前半の頃はまさにこの世は我が世とでもいうべき心境であった。
自分の思う通りに生きていた。
あちこちで随分と対立もあった。
その対立の中で自分自身を貫く事が、むしろ心地良かった。
対立を苦に思わなかったのも事実である。
意識が変わったのは恋愛経験だろうか?
自分が好きなだけでは通用しない、相手に好きになってもらえるようになるためにはどうしたらいいのだろうか、と考えるようになった。
「あなたがすべてをかけて愛する人がいるならば、僕はその人のようになりたい」
そんな心境になった。
どのような人ならば、それに相応しいのだろうか?
初めてそんな風に考えるようになった。
そういう考えを持つに至ったきっかけとしてはいい経験だったが、あとに残った傷跡はあまりにも大きかった。
今は、「関わりあった人を少しでも幸せな気分にさせられるような存在でありたい」と考えている。
といっても人の顔色を伺って生きるのとは違う。
自分の思い通りに生きる快感と誰かが喜んでいるのを見る快感とを比較すると、後者の方が心地よく感じるようになってきたのだと言える。
マザー・テレサではないので、すべての人にというのは無理がある。
だけどほんの身の回りの人だけなら多少はできるに違いない。
もういい年だし、せめてそのくらいの人物ではありたいと思うのである・・・
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