2009年6月24日水曜日

父の日に思う

自分自身に欠けていたものが息子に実現されるのを見ようとするのは、すべての父親の敬虔な願いである                             
                                     ゲーテ
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先日の日曜日は父の日であった。
我が家の恒例行事として、この日は家族全員で実家に行く事にしている。
父の日だからこそ、孫の顔を見せようと考えての事である。

一説によると自分と子供との関係が将来どうなっていくのかという事は、自分と親との関係を見ればわかるらしい。同じようになっていくのだそうである。言われてみればなるほどという気もする。だとすれば自分と今の親との関係は理想的であろうか?
残念ながら答えは否だ。親の希望している事はなんとなくわかるのだが、それはなかなか難しい事なのである。自分だけの考えでできるのなら簡単であるが、妻の考えも組み入れるとなるとどうしてもかみ合わない。申し訳ないと思いつつ、離れて暮らしている。

いずれ自分たちも子供たちとそんな関係になっていくのであろうか、と考えてみる。
子供たちに願う事は、「自立した人間であれ」という事である。
だから自分たちと少し距離を置いた関係でもいいような気がする。
ただ、今現在そう考えていても、あと20~30年してもそう考えているかはわからない。
ある程度年を取ってみないとわからない部分もあるからである。

子供の頃の事を振り返ってみると、父親とはあまり遊んだ記憶がない。
もっとも高度成長期時代の父親はみな仕事に追われ、それどころではなかったのだからそれもしかたない。父親自身、内心「もっと遊んでやればよかった」と思っているかもしれない。それが孫と遊ぶ姿に反映されているような気がする。

長男の誕生日に、最近好きだと聞いたパトカーを買おうと思ったらしい。そして実際買ってきたのであるが、そのあとたまたま寄ったところでもっと良いのを見つけてそれも買ったという。思いがけず2台もパトカーをもらってご機嫌な長男。
それを目を細めて見ている父親。
何だか彼女にでもプレゼントするかのような気の使いようだ。

父の日にと、いつものごとくプレゼントを買って持って行った。
だが、そんなものは孫の前では霞んでしまうらしい。
おざなりにしか受け取ってもらえなかったが、それも愛嬌だ。
申し訳ないなと思う日頃の諸々を、せめて孫と接する時間を多くする事で補おうと思っているが、ついついそれもおっくうになりがちである。

せめて月1回はなんとかしたい。
今年後半の目標にしようと思うのである・・・





     

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