2009年6月29日月曜日

オバマ演説

「その一言」 
 その一言で、励まされ
 その一言で、夢を持ち
 その一言で、腹が立ち
 その一言で、がっかりし
 その一言で、泣かされる
  ほんのわずかな 一言が
  不思議に大きな 力持つ
   ほんのちょっとの一言で         
          道灌山幼稚園 高橋系吾
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オバマ大統領が誕生して半年が過ぎた。
オバマ大統領と言えば、かねてからその演説が名演説として評価が高かった。
まじまじと聞いた事はなかったが、このたび「オバマ演説集」(CD付き)を聞いてみた。
対訳付きの英語なので、ヒアリングの練習にもなる。

意味は別として声の質といい、雰囲気といい、さすがだと感じる。
内容がわからない人でもその迫力は十分感じ取れるはずだ。
アメリカはディベートがさかんな国であるから、こうした演説もトレーニングするのだろう。
とにかくパワフルで引き込まれていく。
日本の政治家と比べると圧倒的な差がある。

人を惹きつける演説というのは、そうした外側の要素もあるが、やはり内容だ。
一言で言えば聞く者の心を震わせるものだ。

『リベラルなアメリカも保守的なアメリカもありはしない。
あるのはアメリカ合衆国だ。
黒人のアメリカも白人のアメリカもラテン系のアメリカもアジア系のアメリカもない。
あるのはアメリカ合衆国だ。
~~~~~
イラクにおける戦争に反対した愛国者もいれば、それに賛成した愛国者もいる。
我々は一つの国民であり、我々みなが星条旗に忠誠を誓い、我々みながアメリカ合衆国を守っているのだ!』

仲間に団結意識を持たせる言葉はやっぱり心が打ち震える。
学生時代、ラグビーで重要な一戦の前にはみんなで円陣を組んだ。
そしてキャプテンが仲間に語りかけるのだ。
名演説とはほど遠いが、それでも「やる事はやった、みんなを信じるから最後まで死ぬ気でやろう!」という内容の言葉に涙が溢れるほど気合が漲ったものである。
言葉にはそれだけの力があるのである。

そしてやはり高い理想。
自分たちが果たすべき高い理想を目指そうという内容も然りだ。

『世界中が我々に注目している。
我々がどう振舞うのか、何を語るのか、お互いにどう接するのか・・・
~~~~~
我々は、国際社会を先導して、21世紀の共通の脅威であるテロ、気候変動、大虐殺や病気に立ち向かう事ができるのか?
恐怖や貧困から逃れたいと望む海の向こうの疲れ果てた旅行者たちに対して、我々はメッセージを送る事ができるのか、アメリカ合衆国こそが現在も、そしてこれからもずっと、最後にして最良な地上の希望だと。
我々はこう言う、こう願う、こう信じる、
Yes,we can!』

ジョン・F・ケネディの有名な『国家が我々に何をしてくれるかを問うのではなく、我々が国家に対して何ができるのかを問おう!』という言葉も人々の心を動かした。
ケネディの再来と言われるほどのスピーチという評判もなかなか頷けるものがある。
願わくばこうして呼び起こした熱狂を覚まさないように、アメリカを導いてほしいものである。
そして願わくば我が国にもこうやって大衆の心をがっちりとリードするような政治家が現れてほしいと思うのである・・・
   
   

2009年6月27日土曜日

マスコミ

 目にしたニュースにちょっと驚いた。
『日本の台湾統治を取り上げた番組に偏向・歪曲があったとして、視聴者らがNHKを相手取り、損害賠償請求の訴訟を起こした。』
というものだ。 実はこの問題の番組は4月5日に放映されたNHKスペシャル「アジアの一等国」である。この手のテーマには感心があったため、見ていたのだ。そしてその内容に驚いてもいた。

 戦時中の台湾は日本の統治下にあった。同じ統治下の朝鮮半島や一部の中国とは違い、比較的うまく統治され、台湾には李登輝元総統をはじめとして親日家も多いと認識していたから、それと真っ向から対立する内容に驚いたのだ。それとともに「日本の占領政策にはやっぱり恨みつらみしかなかったのだな」と思い直したのだ。
 
 日本の占領政策は当時の欧米勢の植民地政策とは異なるものであった。欧米のそれが、「略奪式」であるのに対し、日本のそれは「国土延長式」とでもいうべきもので、国内と同様の発展・整備を促したものであった。事実、当時のダムは今でも立派に役立ち、日本の統治下に農業も飛躍的に発展し、国民生活も豊かになったのも事実だ。

 ただ、それは言ってみれば植民地経営方式の違いであって、だから日本は正しかったというものではない。ただ、そういうやり方だったからこそ台湾も日本統治下で大きく発展したのであり、それゆえに親日的な人も多いと認識していたのだ。ところが、番組はそんな認識をひっくり返すものであった。

 今回訴訟のニュースを見ると、『原告には台湾人も含まれている。取材に応じた台湾人の話を一方的に都合良く編集していると指摘し、日本の良い面も悪い面も話したのに、悪い面だけが放送された、NHKにだまされた、などと訴えている』という。さらに台湾統治下の暴動を「日台戦争」と表現したり、先住民族を日英博覧会(1910年)に出演させた企画を「人間動物園」と表現したりしたことを例として挙げている。

 異なる意見の対立があれば、両方公平に報じるのがマスコミの義務であるべきだ。
事実だとしたら由々しき問題だ。
私はすっかり番組の「日本悪役論」を信じてしまった。
悪い面だけ放送する、悪いイメージの造語を流すといった行為は公平性とはほど遠い。
 
 こうした情報操作の恐ろしさは言わずもがな、である。
知識の乏しい者は捻じ曲げられた事実をそのまま信じてしまう。
パールハーバーだってアメリカは自国にとって都合の悪い事実を国民に伏せたまま、「卑怯な日本人」の部分だけ国民に知らせたのは、今や公然たる事実だ。

 事実は動かせなくとも、光の当て方によってその見え方は大きく異なる。マスコミの言う事は信用できないとわかっていても、すべて見破れるわけでもない。事件発生から15年を記念して松本サリン事件が何かと取り上げられているが、あれも偏向報道の良い例だ。

 いったい我々はどうやったら常に正しい事実を知る事ができるのだろう。ちなみに冒頭のニュースは産経新聞である。産経新聞は真っ先に報道するが、朝日新聞は絶対に報道しない。両極端にある2紙ならではであるが、どちらをとるかで触れるニュースも異なるわけである。

 これが今の世の中である、という事だけはしっかり心に刻んでおきたいし、それぐらいしかやれる事はない。そういう事なのである・・・

     

2009年6月26日金曜日

ファラ・フォーセット

 なんだかマイケル・ジャクソンのニュースに隠れてしまった感があるが、ファラ・フォーセットの死亡のニュースを目にした。ついおとといぐらいにライアン・オニールにプロポーズされたとかのニュースが出ていたのに、立て続けでちょっと驚いた。
 
 ファラ・フォーセットと言えば、チャーリーズ・エンジェルで一世を風靡した美女である(当時はファラ・フォーセット・メジャーズだった)
その昔は大好きで、ポスターなど持っていた記憶がある。
享年62歳だと聞いて驚いたが、夢中になっていた頃はもう30年以上前なので、よくよく考えてみれば不思議ではない。
スクリーンアイドルは年を取らないので、そんな印象を受けるのだ。

 チャーリーズ・エンジェル以降はぱっとしなかったためか、そのうち熱も醒めてしまった。「サンバーン」「シャレード79」という出演映画も観に行ったが、内容の薄い映画だった気がする。どちらもにっこり微笑んでいればいいような映画だったからかもしれない。

 本場CNNのニュースタイトルもFarrah Fawcett, sex symbol and actress, dies であった。
Actressの前にsex symbolと見なされていたわけである。
はじめからそれだけの才能しかなかったのか、それとも世間がそれだけしか見てくれなかったのか。
個人的には後者だったと思いたい。

 夢中になっていた頃は(たぶん中学生くらいだ)、まだ裏も表もわかるわけもなく、ただただ容姿の異様なまでの美しさに惹かれていたのだ。
私にとっては、引退したキャンディーズに代わる「憧れの的」だった気もする。
あの頃のコレクションのいくつかは、まだ実家の押入れの奥底に眠っていると思う。

 でもチャーリーズ・エンジェルは面白かったなぁ。
今観たら違う印象を持つのだろうか。
CNNのサイトはマイケル・ジャクソン一色だ。
知名度からして仕方がないのかもしれないが、個人的にはその扱いの違いに寂しいものを感じる。

 今アメリカではドラマ全盛の感がある。
いろいろなシリーズが矢継ぎ早に輸入されている。
ファラももう少し遅く生まれて、現代のテレビドラマシリーズに出演していたら、あるいはもっと違う魅力を見せていてくれたかもしれないのではないだろうか。
一つの時代の終わりをまたもや感じさせるニュースである・・・
    
    

2009年6月24日水曜日

父の日に思う

自分自身に欠けていたものが息子に実現されるのを見ようとするのは、すべての父親の敬虔な願いである                             
                                     ゲーテ
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先日の日曜日は父の日であった。
我が家の恒例行事として、この日は家族全員で実家に行く事にしている。
父の日だからこそ、孫の顔を見せようと考えての事である。

一説によると自分と子供との関係が将来どうなっていくのかという事は、自分と親との関係を見ればわかるらしい。同じようになっていくのだそうである。言われてみればなるほどという気もする。だとすれば自分と今の親との関係は理想的であろうか?
残念ながら答えは否だ。親の希望している事はなんとなくわかるのだが、それはなかなか難しい事なのである。自分だけの考えでできるのなら簡単であるが、妻の考えも組み入れるとなるとどうしてもかみ合わない。申し訳ないと思いつつ、離れて暮らしている。

いずれ自分たちも子供たちとそんな関係になっていくのであろうか、と考えてみる。
子供たちに願う事は、「自立した人間であれ」という事である。
だから自分たちと少し距離を置いた関係でもいいような気がする。
ただ、今現在そう考えていても、あと20~30年してもそう考えているかはわからない。
ある程度年を取ってみないとわからない部分もあるからである。

子供の頃の事を振り返ってみると、父親とはあまり遊んだ記憶がない。
もっとも高度成長期時代の父親はみな仕事に追われ、それどころではなかったのだからそれもしかたない。父親自身、内心「もっと遊んでやればよかった」と思っているかもしれない。それが孫と遊ぶ姿に反映されているような気がする。

長男の誕生日に、最近好きだと聞いたパトカーを買おうと思ったらしい。そして実際買ってきたのであるが、そのあとたまたま寄ったところでもっと良いのを見つけてそれも買ったという。思いがけず2台もパトカーをもらってご機嫌な長男。
それを目を細めて見ている父親。
何だか彼女にでもプレゼントするかのような気の使いようだ。

父の日にと、いつものごとくプレゼントを買って持って行った。
だが、そんなものは孫の前では霞んでしまうらしい。
おざなりにしか受け取ってもらえなかったが、それも愛嬌だ。
申し訳ないなと思う日頃の諸々を、せめて孫と接する時間を多くする事で補おうと思っているが、ついついそれもおっくうになりがちである。

せめて月1回はなんとかしたい。
今年後半の目標にしようと思うのである・・・





     

2009年6月21日日曜日

ええかっこしい

 まったくの偶然であるが、ただいま私の実家と妻の実家はそれぞれ自宅のリフォームをやっている。大阪での様子を聞いていると、商人の町と言われた伝統が生きているなとつくづくと感じてしまう。

  何といっても「値切り」が凄い。
はじめの段階で挨拶代わりに「いくらまけられるの?」と入る。
そして工務店が決まったあとも、機をみてはそれが続く。
そういえば関西を拠点とする「引越しのサカイ」。
以前CMで「♪勉強しまっせ、引越しのサカイ♪」とやっていた。
そういう商人文化の伝統が脈々と生きている。

さらに妻の実家では何らかのトラブルがあって工期が遅れたらしいのだが、それ待ってましたとばかりに値切り始める。「当然や!」と姉妹でいきり立つ様子を見ていると、つくづく関西人に生まれなくてよかったと思ってしまう・・・
(妻の実家は義妹が業者との交渉を仕切っているのだが、それを姉である妻に報告してくるのである)

私はそういう値切り交渉ができないタチである。
妻から言わせると「ええかっこしい」なのだそうである。
と言っても私も業者の言いなりというわけではない。
私流の値切り方法はちゃんとある。

まずは競合させるのである。
「相見積もり」というやつである。
同じ条件でいくらでできるのか比較し、それを公開する。
業者は自分のところで採算を検討し、できるところまで下げてくる。
それで判断しているのである。
無理強いはしないし、それで十分だと思っている。

もちろん、もっとまけられるかもしれないが、相手だって商売である。
利益の取れない仕事など力も入らないだろう。
気分良くやってもらうためには相手にも利益を与えないといけない。
そう思うから関西風の徹底した値切り交渉はできないのである。
「ええかっこしい」と言われても、そこは甘んじたいと思うのだ。

私の両親も言えないタイプだ。
私に言われてようやく相見積もりのような事をちょっとやった程度だ。
だから妻から言わせるとそんな様子がもどかしくもあるようである。

どっちが良いという事はない(私も我が家で関西の悪口を言えるほどの度胸はない)。
スタイルの違いとでも言うべきものだろう。
だけど「おっちゃん、まけてぇな」というやり取りを想像すると、「ええかっこしい」と言われようと何と言われようと、自分のスタイルは変えたくないと切に思う。
自分は関西人にはなれない。
誇り高き「ええかっこしい」でありたいとつくづく思うのである・・・
     
   

2009年6月20日土曜日

お好み焼き

お好み焼きといえば関西を代表する食べ物の一つである。
初めて本場のお好み焼きを食べたのは、学生時代のラグビー部の関西遠征の時だったか、それとも銀行に入ってからの関西での研修時であったかは、記憶が曖昧である。それまでも東京で食べた事はあったが、本場の「本物」はやはり違った。

東京ではただ器に入れられて出てきた具を鉄板にあけて自分で焼くスタイルだ。しかし、本場大阪では客は何もしない。「素人さんには任せられません」というプロのこだわりがあるそうである。目の前に出された「本物」の迫力を知ってしまうと、東京の「まがい物」はとてもではないが、食べられたものではない。妻と付き合うようになってから(遠距離恋愛だったのだ)というもの、東京の「まがい物」にはお目にかかっていない。まだ存在しているのだろうか?

初めて触れた「本物」は、確か「千房」であった。
「千房」は大手のチェーン店であるが、その他小さな名店はいろいろある。
「千房」は東京にも進出してきていて、かなり経つ。
またつい最近丸の内のTOKIAビルに「きじ」があるのを発見した。
これもなかなかの名店だ。

大阪ではお好み焼きに限らずであるが、食べるには並ばないといけない。
梅田にある「きじ」に初めて行った時も1時間ほど並んだ。
狭い店内に、けっしてわかりやすいとはいえない立地。
「形」から入ろうとする者であれば、とてもではないが出店など考えないであろう。
しかし、味がいいからこそ、すべての不利な条件を覆してお客さんが押し寄せる。
今や東京にも出店するほどになり、東京の店も連日の行列である。

東京ではお好み焼きといえば「おやつ感覚」に近いかもしれない。
すくなくとも「夕食」という感覚は薄い。
ところが関西では立派な夕食である。
(今はどうであろうか、すっかり馴染んでしまった私にわからない)
我が家の台所は関西文化の治外法権地帯であるから(台所に限った話ではないが・・・)、当然の事ながらお好み焼きは夕食の定番メニューの一つである。
さすがに名店の味には程遠いが、「まがい物」よりははるかに良い。

月島のもんじゃは関西人の妻も認めた味であるが、残念ながら我が家の台所は関西文化圏であるため、食卓に並ぶ事はない。広島風のお好み焼きも関西風と優劣がつけ難いものである。どちらも名店となるとなかなか子連れで行くのは難しいような店舗が多く、なかなか食べに行く機会がないのが実情である。とはいえ東京にそろっているのはありがたいことであり、いずれ機会を見つけて楽しみたいと思うのである・・・

      

2009年6月17日水曜日

世の中の疑問

 自営業を長らくやっていた父はその昔、「食いっぱぐれそうになったらタクシーの運転手をやればいいやと思っていた」と語ってくれた事がある。まだ日本に車が少なく、教習所の車も左ハンドルの外車を使っていた40数年前に免許を取った父。免許そのものが立派な資格だったためか、タクシーの運転手も「いざ路頭に迷った時」のセーフティーネットだったのだ。その影響で、私もしばらくはそんな考えを持っていた。

 今国会で、タクシー事業への規制(運賃規制)を強める特別措置法案が成立しそうだという。これが成立すると、現在決められている運賃の下限を下回る運賃は、認可されない可能性が高いという。国交省の匙加減なので「可能性が高い」という表現なのであるが、「下限を下回る運賃を認めない」というのは、それにしてもいかがなものかと考えてしまう。

 鉄道は独占事業だ。だから運賃に国が関与するのは当然かもしれない。だが、タクシーはそうではない。そうではない以上、自由競争にすればいいのだ。私企業の事業であれば、当然利益は意識する。赤字覚悟でやるはずもないし、不当に高ければ競争に負けるだけだ。国が運賃に口を挟む理由がよくわからない。

 しかも「適正な原価に適正な利潤を加えたもの」というが、国交省に「適正な原価」がわかるのだろうか?「利益」という言葉は役所の辞書にはない。当然、「原価」だってそうだ。

 規制緩和の結果、タクシー業界は過当競争でアップアップの状態らしい。運転手の条件も厳しいものだという。だから「格安タクシー」など、事業者が迷惑するような業者を排除しようというのだろうか。地域によっては料金の変わるタイミングを表示して、結果的に利用者に最適料金を提示できるメーターを開発した業者も出てきているらしい。そんな格安タクシーを排除する意図は何なのだろう?

 昔タクシーが独占事業に近かった時代なら規制もわかる。今は免許だけはしっかり管理し、悪徳業者が入らないことだけしっかり見ていれば、あとは自由競争でいいのではないだろうか。「既得権益を手放さない役人」と言われても仕方ないような制度に思えてならない。もっともタクシー業界の人は大喜びだろう。当然だと思っているかもしれない。国がどちらのサイドに立つべきか、は難しいところだ。

 はっきりしているのは、タクシーの運ちゃんも楽ではないという事だ。いざという時は、今だったらコンビ二でバイトだろうかと思うのである・・・




    
    

2009年6月16日火曜日

週末レジャー

 ここのところ週末に高校関連での所用が増えている。休みの日に「パパがいない」という事は、子供たちにとっても妻にとっても由々しき問題。といっても両者の意味合いは大きく違うのだが・・・
そんな私にとって、週末レジャーはポイント挽回のチャンスである。

 勝負は金曜日の夜から始まる。決して疲れた顔をして帰ってはいけない。「明日どこに行くんだっけ?」などと聞いてもいけない。「用意はできてるかぁ!」ぐらいの勢いはないといけない。十数年の結婚生活で身につけた生活の知恵である。

 そんな先週末の我が家は、山梨味覚狩りツァー。午前中はさくらんぼ狩り、午後はシャトレーゼの工場見学という内容。例によって鼻からさくらんぼが出てきそうなくらい食べた後、1,000円高速を利用して小淵沢のシャトレーゼ工場へ向う。

 全国展開するシャトレーゼの白州工場なのであるが、なんと入場無料。尚且つ、アイスの試食付きというありがたい催しをやってくれている。小学生の娘には社会科見学も兼ね、製造工程をパパ自ら説明して進んでいく。お目当ての試食コーナーはスーパーで100円以下で売っているようなアイスばかりだが、それでも自由に食べられるから子供たちは大喜びだ。

 何でこんな試みをしているのだろうか、と考えてみる。社会貢献というほどでもないから、たぶんPRなのだろう。ただで見学してアイスも食べられるとなれば、いやが上にも印象度はアップする。地元に帰った見学客が近所のシャトレーゼに足を運んでくれればそれで良し、なのだろう。従業員も慣れたもので、すれ違えば挨拶してくれるし、感じはよい。

 コストと言っても目検討で試算してみると、一日5時間の公開で、来場者が車1台平均3名として1分間に1台ずつくらいのイメージで入っていたから、3人×60台×5時間=900人。一人アイス2本、原価は30%くらいとして100円×30%×900人×2本=54,000円。月間で54,000×30=1,620,000円。来場者専門の受付が3名で、月給20万円×5/8時間としても全部で1ヶ月あたり2百万円くらいのものだろうか。グループの売上からすれば、まあ安いものではないだろうか。

 我が家では近所にないことからあまりシャトレーゼは利用しない。しかしながら、妻は地元大阪で、たまに利用するらしい。ママ同士の集まりでは、子供のおやつに安くて最適らしいのである。今度行ってみようかな、という気にもなるし、なかなか良い試みだと感心した。

 こういう食品の生産工場は、中国に持っていくというのも難しいだろう。八ヶ岳の麓、きれいな水と広大な敷地と都会より安価な人件費。そうした条件が、うまくかの地でマッチしたのだろう。モノづくりの工場は何であれ活気があって好きである。今回はなかなか良いレジャーであった。

 翌日高校関連で一人外出したが、嫌味もなく行けたのは言うまでもないのである・・・

     

2009年6月13日土曜日

T4

ターミネーターシリーズの最新作「ターミネーター4(T4)」が公開される。
映画好きの私であるが、何よりもこのシリーズは大好きである。
中でも「T2」はジェームズ・キャメロンが監督し、最高傑作となった。
私の映画ベストテンには必ず入れたい作品だ。

ここで内容について詳細に触れる事はしないが、単なるアクションだけの映画ではなく、教訓あり、感動ありの内容がシナリオとしても良くできていると思う。
特にラストの工場でのシーンがいい。
自分より圧倒的に性能の良いT1000にやられて機能停止寸前までいったシュワT800が、ボロボロの体を引きずり、通用するはずのない旧式の銃を手にコナー親子を守るというミッションを果たしに向う。

機械だから諦めるという事を知らないのであるが、体が動く限りミッションを果たそうとする様は、その後様々な機会で私の脳裏をよぎる事になる。
もうだめかなって思う時に、このシーンが脳裏に浮かぶのである。
いや、まだまだとその度に思ったものである(今でもそうだ)。

学び続ける機械という位置づけもまた卓越。
車のキーの隠し場所といったささやかな事から、ジョン・コナーが教えたスラングなんかも学び、そしてそれを巧みに応用して使う。
さらにラストではその成果を感動的に表す。
今日は民放で放映していたようであるが、こうして書いているとまた観たくなってしまう。

シリーズは「T3」へと続き、それで打ち止めかと思っていたが、「T4」の登場は何とも喜ばしい。もっとも圧倒的な存在感を誇っていたアーノルド・シュワルツェネッガーは今回から出演しない。ちょっと残念な気もするが、それはそれで楽しめそうな気もする。
さらに映画版は「T5」「T6」へと続く3部作となるようである。新しいシリーズも是非期待したいところである。

映画版もさる事ながら、同時にドラマ版「ターミネーター:サラ・コナー クロニクルズ」としてスタートするのも嬉しい事だ。こちらは17日からケーブルTVでオンエアーされる。すでにDVDのレンタルは始まっていたようであるが、私の場合はテレビ観戦だ。どちらも必見だ。

このまま力強いシリーズとなるか失速するかはわからない。
ただ、できる事なら「T2」のようにいろいろな要素を兼ね合わせた感動アクションになればと願わずにはいられない。いくつになっても楽しみたいと思うシリーズである・・・
     
    

2009年6月10日水曜日

ブログ

 早いものでこのブログを始めて半年が過ぎた。
ブログ自体はもういくつか他にもやっているが、私の場合すべてブログは「テーマ別」にしている。
「日記代わり」に毎日あれこれ綴っている友人もいるし、当然そういうのもありだと思う。

   私ももう随分昔から日記をつけている。私の場合は、日記には毎日の出来事を淡々と綴っている。主に「あの日あの時何をしていたか」を記録するためのもので、いわば「行動記録」といったものだ。人によってはその時々の感情を綴っていたりするのだろうが、私の場合は純粋な「行動記録」だ。とても人様にお見せするようなシロモノではない。

  「行動記録」の場合、「去年の今頃何をしていたか」を知るのにとても役に立っているから、それはそれでそのスタイルを変える気はない。たまに読み返してみると、その時々の行動が書かれているから、「ああ、そういえばそんな事もしていたっけな」と思い起こすのにはちょうど良い。ただ、それは「普段考えている事=思考記録」にはなり得ないのが欠点だ。このブログはそれを補うために始めたのだ。人様に見られるという緊張感も良い刺激になっている。

  始めてみて改めて気がついたが、「考えている事を文章にまとめる」というのは、とてもいいトレーニングだ。長すぎてもいけないし、読みにくくてもいけない。意味不明なのもいけない。普段でもふと気がつくと、「これをブログのテーマにすると・・・」と考えている事も多い。身の回りの出来事をそれとなくまとめるのは、けっこう面白い。

  本当は毎日1記事、としたいところだが、他のブログもあって、残念ながら手が回らない。
当面は2~3日に1回更新、といったペースで続けたいと思っている。
そのうち別の形に進化するかもしれない。
まだ始めていない人もやってみたら面白いと思う。
とりあえずはこのペースで次の半年間続くように頑張ってみるつもりである・・・ 
         
   
     

2009年6月8日月曜日

回転寿司考

我が家はみんな「寿司好き」である。
何かあればちょくちょく行っている。
と言っても、行くのはいわゆる回転寿司である。

回転寿司と一言でいっても、最近はいろいろなチェーンができていて、味も20数年前のような「安かろう、まずかろう」ではない。
房総や伊豆などに旅行に行った時など、地元でも評判の回転寿司に行ったりするが、味も美味しく、今や完全に寿司業界の主流と化している。

我が家では親のお気に入りは「がってん寿司」に「銚子丸」、それに大阪の「函館市場」がトップ3である。
値段はちょっとお高め(家族4人で8,000~10,000円)ではあるが、美味しいので気に入っている。
一方、子供たちの人気はなんと言っても「くら寿司」だ。

 「くら寿司」は格安系だ(家族4人で5,000円弱)。
何と親孝行な子供たちだと思われるかもしれないが、その人気には当然ながら理由がある。
それは「びっくらポン」というゲームである。
食べ終わった皿をテーブルに設置されている回収口に入れると、5皿ごとにルーレットが回る。
当たればガチャガチャのようなおもちゃが出てくるという仕組みだ。
子供たちはこれをやりたがる。

 そしてこれはとても優れたシステムでもある。
回転寿司では「食べ終わった皿を数える」という作業がある。
「がってん寿司」他トップ3では、皿ごとに値段が異なるため、数えるのも大変だ。
それをお客に楽しみながらやらせてしまうのだ。
一皿すべて100円にする事でそれを可能にしている。

 更に最後に4皿残ったとすると、子供たちはもう一回やりたがるので必然的に一皿よけいに食べる事になる。薄利多売型ビジネスでは、「ついで買い」の誘発は必須であるが、この「あと一皿」を食べさせるところがよくできている。オーダーもタッチパネルでスムーズである。この点でも同じ格安系の「あきんどスシロー」が、インターフォンのオーダー方式なのに比べると、繁忙時にインターフォンの応答が遅れるという客のストレスを回避するもので、やっぱり優れている。上場して集めた資金をうまく知恵を活かした設備投資に活用して、顧客の支持を集めているようである。

 週末ともなればどこの回転寿司も大混雑である。この回転寿司の登場ですしを頻繁に食べられるようになり、日本の寿司文化の発展に回転寿司の果たす役割は大きくなっていると言える。我が家も子供が小さいうちは銀座の寿司屋でにぎりを食べるなんて夢のまた夢(大きくなってついて来られたらよけいたまらないが・・・)。当分の間は回転寿司のお世話になる予定である。

 美味しいものをより安く提供していただけるよう、各チェーンには頑張ってもらいたいと思うのである・・・
     
     

2009年6月7日日曜日

同期会2

♪あのころの未来に僕らは立っているのかなぁ
すべてが思うほどうまくはいかないみたいだ

このままどこまでも日々はつづいていくのかなぁ
雲のない星空がマドの向こうに続いてる

あれから僕たちは何かを信じてこれたかなぁ
夜空の向こうには明日がもう待っている♪
                          夜空ノムコウ
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楽しみにしていた同期会が終わった。過ぎてしまえばあっという間。しかし150名という人数もやっぱりよく集まったと言えるのではないかと思う。来てくれた人達は本当にありがたい。それだけのニーズもあるという事だろうが、集まってもらえなければ何にもならないだけにやっぱりありがたい。一部の「熱意ある幹事」に支えられていたがゆえに、自称「熱意の薄い幹事」でもそこそこ達成感を得られたのであるが、こういった仲間の存在はありがたいものである。

高校を卒業して26年。
クラスメイトの一人がしみじみと呟いた。
「おれ達、平均寿命からいえばもう人生の半分過ぎたんだよな」
確かにそれは言えている。
だが、「もう」と考えるか「まだ」と考えるか、その差は大きい。

26年という月日はやっぱり長い。さっきまで昔のように不謹慎な話をしていた奴が、子供の教育になると途端真面目に悩める現実を語りだす。そこかしこでメタボリックボディが躍動する。わずかな面影を頼りに引き出しの奥底から記憶を取り出してきて埃を払う。
憧れの彼女と26年の時を経てようやく撮ったツーショットを自慢気に見せる友。
自分はみんなの目にどんな風に映っているのだろう。

一番の売り物は懐かしい高校時代のシーンを集めたスライドショーであった。
事前に見て感激していたが、初めて見たみんなが歓声を上げるたびにみんな同じ思いである事を知った。お土産にスライドを納めたDVDをもらった。この上なく貴重なお土産だ。こんなお土産はめったにもらえるものでもない。

帰りの電車では酔いの勢いで一駅乗り過ごしてしまった。
終電の時間を過ぎてしまい、戻る電車はもうない。
寝静まった深夜の住宅街は幸せなほろ酔い気分で歩くのには心地良い。
スライドショーの事を思い出した。
映し出された26年前の自分たちは、今から見ると純粋だ。

SMAPの「夜空ノムコウ」のフレーズが蘇る。
あの頃、45歳の自分など想像もしていなかった。
あの頃の自分が今の自分を見たら何て思うだろう。
「もうちょっと何とかしろよ」と言われそうな気もする。

自分の人生は「まだ」半分だ。
あの頃の自分に恥じないような人生をこれからも送りたい。
そしてそれは同期のみんなと関わりあうものでありたい。
また次回を楽しみにしたいと思うのである・・・



     

2009年6月5日金曜日

同期会1

 高校の時の同期会が明日に迫った。
3年半前に初めて卒業後同期が一堂に会した。
今回は2回目の開催となる。
大体150名ほど集まりそうである。
150という数字は分母の約390に比べて多いのか少ないのかは微妙だ。

 私も幹事の一人である。
もともとが幹事などという柄ではない。
だが、ひょんなことから幹事を引き受け、「頼まれれば断らない」「引き受けた以上はきっちりとやる」という信念に従ってやっているだけだ。
他のクラス幹事の中には万年幹事もいる。
それだけの奉仕精神には頭が下がるばかりで、どちらかと言えば熱意の薄い幹事としては引け目を感じるところである。

  ところで、今回の参加者の顔ぶれを見ると前回と同じような顔ぶれだ。
それは簡単な理屈で、こういった集まりに来る人は来るし、来ない人は来ないのだ。
もちろん、その時々で都合が悪かったり、遠方にいたりというケースもあるだろう。
だが、そういう不都合がなかったとしても、やっぱり来ない人は来ない。

 来ない理由は想像するしかない。乏しい想像力を駆使してみると、やはり高校の3年間をどう過ごしたかが大きいのではないかと思う。楽しい思い出が多ければ、それに触れたいと思うのは人情で、そういうつながりを求めて集まってくるのだと思う。来ない人にはそれがないのかもしれない。

 実際、私も大学の時のクラスの集まりには参加していない。
毎度誘われるたびに、適当に口実を設けて断っている。
大学時代はラクビーが中心で、加えるならばゼミであって、その集まりにならば参加するが、クラスメートとは当時からソリが合わず、どちらかと言えば上辺だけの付き合いであった。
だから、懐かしくて会いたいなどという感情は湧いてこない。
同じような理由で同期会に出てこないとしたならば、その気持ちは良くわかる。
ただ、3年間も過ごした結果がそれならば寂しい気もする。

 また、自分の境遇と同期のそれとを比べて引け目を感じる、という事もあるかもしれない。
高校の時はほとんどみんな横一線であるが、卒業して20年以上も経てば自ずと境遇は違ってくる。
その差を意識してしまうという事もあるかもしれない。
それも自分自身引け目として感じる事もあり、わからなくもない。

 来る者来ない者それぞれであるが、明日は司会も兼ねているし、みんなに楽しんでもらい、自らも楽しみたい。そんな思いの同期会前夜なのである・・・
    
    

2009年6月3日水曜日

誕生日に思う

あなたが生まれた時
 周りの人は笑って
  あなたは泣いていたでしょう
だからあなたが死ぬ時は
 あなたが笑って
  周りの人が泣くような人生を送りなさい  
村枝賢一
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一昨日誕生日を迎えた。
もういまさら誕生日だからといって特別な感慨もない。
ただ、自分のあり方をいろいろと見つめ直すにはいい機会なのかもしれない。

朝、鏡に向って髭を剃りながらふと考えた。
鏡に映っている男は、誰かの子供であり、誰かの夫であり、誰かの親であり、また誰かの友人であり、同僚であり、その他であるわけである。
果たして、そういう誰かにとって自分は何がしかの意味を持っているのだろうか、と。

親は自分が息子であって良かったと思っているのだろうか。
妻は自分と結婚して良かったと思っているのだろうか。
子供はこういう父親で良かったと思っているのだろうか。
友人や同僚やその他の人達は自分と知り合えて良かったと思っているのだろうか。

20代前半の頃はまさにこの世は我が世とでもいうべき心境であった。
自分の思う通りに生きていた。
あちこちで随分と対立もあった。
その対立の中で自分自身を貫く事が、むしろ心地良かった。
対立を苦に思わなかったのも事実である。

意識が変わったのは恋愛経験だろうか?
自分が好きなだけでは通用しない、相手に好きになってもらえるようになるためにはどうしたらいいのだろうか、と考えるようになった。
「あなたがすべてをかけて愛する人がいるならば、僕はその人のようになりたい」
そんな心境になった。

どのような人ならば、それに相応しいのだろうか?
初めてそんな風に考えるようになった。
そういう考えを持つに至ったきっかけとしてはいい経験だったが、あとに残った傷跡はあまりにも大きかった。

今は、「関わりあった人を少しでも幸せな気分にさせられるような存在でありたい」と考えている。
といっても人の顔色を伺って生きるのとは違う。
自分の思い通りに生きる快感と誰かが喜んでいるのを見る快感とを比較すると、後者の方が心地よく感じるようになってきたのだと言える。

マザー・テレサではないので、すべての人にというのは無理がある。
だけどほんの身の回りの人だけなら多少はできるに違いない。
もういい年だし、せめてそのくらいの人物ではありたいと思うのである・・・
   
   

2009年6月1日月曜日

幼稚園にて2

「お父さんに紙芝居読んでほしい人?」
という先生の問い掛けに元気良く、真っ先に答えた我が息子。
かくしてみんなの前で紙芝居を読むハメになってしまった。

何を隠そう、我が家では近所の図書館から紙芝居を借りてきては子供に読んでやっている。
まさか断るわけにもいかないし、ここは一つ腹を括るしかない。
全部で12枚の紙芝居。
最初のお父さんが前半6枚。
私が後半6枚の担当。
紙芝居は子供たちが大好きなアンパンマンである。

最初のお父さんはほとんど義務で読んでいる感じで、棒読みであった。無理もない。子供だけならまだしも、周りにはほとんど初対面に近い20数名のお父さんがずらりと視線を向けてきているのである。でも読み方にもあんまり抑揚がないと、ほら前の子は後を向いて自分のお父さんに手を振ったりしている。

そうして私の番になる。
家ではいろいろとアクションやアドリブをつけて読んでいる。
本当はいつも我が家でやっているようにやりたかった。
「みんな、この次どうなると思う?」とか、
「アンパンマンはこのままやられちゃうのかな?」とか、
「みんなでアンパンマンを応援しよう!」とか・・・

だが、如何せん、元が恥かしがり屋の私である。
あんまり力入れすぎて、「何あれ?」と思われるのもなぁ、と考えてしまう。
知り合いであればできるが、何分、知らない人ばかりだし・・・
そこで登場人物によってちょっと声音を変えたりとか、バイキンマンの得意のフレーズ、「はひふへほ~」だけは面白おかしくやったりとかに留めた。
その効果か、子供たちはみんなキラキラする目でこっちを向いていたし、後を向いて手を振る子もいなかった。まずまずの出来栄えだと自己採点。

幼稚園の世界ではお父さんに名前はない。
「○○ちゃんのお父さん」だし、○○ちゃんと言ってもわからなければ、何か特徴的な事で呼ばれる事になる。長女の幼稚園時代には、運動会で頑張りすぎてリレーでコケたお父さんがいた。そのお父さんはそれ以後ずっと「運動会でコケたおとうさん」と言われている。今回、あまり烈しくやると「紙芝居のお父さん」になってしまうと危惧していたのだが、それは避けられたのではないかと密かには思う。

それでも終わってみれば、せっかくの機会だし、本当はもっとちゃんといつものようにやりたかった、と思ったりする。ついついワンマンショーをやりたがる性格でもあって、今度は交代ではなく一人で全部やらせてほしいな、などと思ったりしているのである。
果たして次の機会はあるのだろうかと、ちょっと期待しながら思うのである・・・