2015年12月15日火曜日

お酒は20歳になってから?


先週末、いつも世話役として参加している「寺子屋小山台」で、「飲酒年齢引き下げ」の議論があった。選挙年齢については、既に18歳への引き下げが決まっている。それに合わせて飲酒年齢を引き下げることに関する意見を問われたのである。

さて、と改めて考えてみるに、飲酒の問題は選挙権とはなかなか同列に扱いにくいものがある。それは、飲酒にはやはりそれに伴う様々なリスクがあるからである。健康面については、もはや体格的には大人と同じであろうから、特に大人と分けて議論する意味はないだろう。問題は、過度の飲酒によって酩酊した時のリスクだろう。飲酒運転や急性アルコール中毒や、事件事故の類である。

一方20歳となっていることで、大学生になった時、3,4年生が1,2年生と一緒に飲めないという問題があるらしい。「学齢」で分けることのメリットの1つかもしれない。各国の状況はというと、ヨーロッパではドイツ・フランス・スペインの16歳を筆頭に概ね16〜18歳であり、アメリカは州によってではあるが、21歳等様々である。そういう状況を鑑みると、それほどおかしな議論ではない。

そういう意見を聞きながら、我が身を振り返ってみる。大人にビールを飲まされるというよくあるパターンは別として、意識的に子供だけで酒を飲んだのは中学生の時だ。1つ年上の従兄弟に付き合ったのが最初だったのだが、その後高校に入学する前の春休みに、同級生とスキーに行ってビールを飲んだのを覚えている。もっとも味なんてわからなかったが・・・

高校生の時は、何かの打ち上げでクラスで居酒屋に2度ほど行ったことがある。大学に入ると、すぐラグビー部の先輩に飲みに連れて行かれ、飲んで吐いたこともあるし、恒例の納会では先輩に囲まれ吐くまで飲まされた。何のことはない。「飲酒年齢」引き下げの議論に意見を言うなどおこがましい有様である。

さらに、20歳を超えれば「大人として」適切な飲酒ができるかというと、非常に心もとない例が身近にあふれている。飲酒運転で死傷事故を起こすのは論外としても、酔って醜態を晒すくらいなら日常茶飯事だし、自らを振り返ってみても穴を探したくなる例は少なくない。そうなると、20歳までとする理由も心もとないものがある。いい大人ができないものを、「子供だから」と禁止するのは迫力に欠ける事この上ない。

では何歳が良いかとすれば、それはもう「決め事」でしかない。個人的には、「何歳をもって成人とするか」の議論に行きつくと思う。それが18歳なら、飲酒も選挙権も18歳でいいだろうし、「飲酒も選挙権も18歳から」としながら、「でも20歳までは『未成年=子ども』だよ」というのはおかしな気がする。そう考えれば、選挙権の18歳への引き下げは時期尚早だったと思わざるを得ない。

しかしながら、18歳に引き下げたところで、おとなしく守るような男であれば物足りないと思うのも事実。禁止されれば破りたくなるのが人の常。パンドラの箱だって玉手箱だって、禁止されなければ開けなかったかもしれない。多少の失敗を経験しながら、とりあえず「まともな大人」になった自分としては、我が息子にはいろいろ経験してもらいたいと考えている。

父親としては誰しも息子と酒を酌み交わす事を夢見るものだろう。個人的にはそれが18歳だろうが20歳だろうが、あまり気にすることはない。いずれその日は来るのだろうが、今はまだ10歳の息子と今という時を楽しみたい。当面は家庭でのわずかな威厳を保つためにも、息子の前では飲んで乱れることのないようにしたいと思うのである・・・

【本日の読書】  
米陸軍諜報指導官に質問されたら あなたは何も隠せない - ジェームズ・O・パイル, マリアン・カリンチ, 柏倉 美穂 昭和史 1926-1945 (平凡社ライブラリー 671) - 半藤 一利 







    

2015年12月10日木曜日

みにくきもの

不動産業界に転職して一年。なんとなく「業界人」になった気もするこの日この頃である。不動産業といってもいろいろあるが、主としているのは「賃貸」と「売買」。だが、知り合いのツテから「仲介」を頼まれることもある。

先日引き受けたのは、「底地の買い取り」。長年借地で暮らしてきた方が、地主さんから底地を買わないかと持ちかけられ、その気になって我々に交渉を依頼してきたのである。しかし、双方が提示した「希望価格」には大きな開きがあり、交渉は物別れに終わった。

問題の土地は、実はある問題があって市場では低い評価しか得られない。今回依頼主が提示した価格より若干高い程度。依頼主が強気なのもそのあたりの事情がある。そして依頼主は隣接して土地を持っており、底地を買うことによってその価値が大きく跳ね上がる。だからどうしても買いたい。

一方、そんな事情を知らない地主は、市場価格ではとても手放す気には慣れないが、それより高い価格なら売っても良いと思っている。「事情」を知ったら、もっと強気の価格を出してくるかもしれない。地主さんの言い値で買っても、依頼主には十分メリットがある。私だったら、地主さんの言い値で買うところだ。

しかし、依頼主はこの底地がいかに市場価値がないものであるかを強調し、低い価格を強烈に主張して交渉が決裂した。「価値のないものを安く買うのは当たり前」という理屈である。確かにそれはその通りだ。だが、その「価値」は相対的なもので、依頼主が考える価値はあくまでも「依頼主にとっての」価値でしかない。相手には「相手の価値」がある。それが理解できなかったのである。

相手には相手の想いがある。例えば私の持っている時計であるが、30年以上前に親父に大学の入学祝いに買ってもらったのこの腕時計、今売ろうとしても多分数百円で売れればいいほうかもしれない。ではそれで売るかといえば、絶対に売らない。たとえ10万円積まれても売らないだろう。市場価値数百円の古い腕時計の、それが私にとっての「価値」である。

地主さんだって、先祖から受け継いだ土地である。市場価値が低いからといって、買い叩かれたくはないだろう。だが、自身の年齢と今では遠方に移ったこともあって、多少の値段なら売ろうと思ったわけで、これは依頼主にとっては思いがけない幸運だったわけである。喜んで言い値で買っていれば、自分も大きなメリットがあったし、地主さんも喜んだだろうし、手数料がもらえた我々も喜んだ。まさに「三方良し」であったわけである。

こういう交渉事は、勝負ではない。買ったも負けたもない。少し相手のことを考えて譲っていれば、みんながハッピーになれたわけである。強欲とは言わないが、自分だけ勝とうとしたところにこの依頼主の失敗があったわけである(もちろん、説得できなかった我々の失敗でもある)。

様々な「価値」の中で、それを取りまとめていく難しさを感じさせられた出来事である・・・

【本日の読書】
最貧困女子 - 鈴木大介 ササる戦略 - 三才ブックス 熱狂宣言 (幻冬舎文庫) - 小松成美









2015年12月6日日曜日

流行語大賞

今年も流行語大賞が発表された。
例年、なんとなくニュースで見ている程度で、特に関心があるというわけではない。ただ、今年のは目に止まり、なんとなく自分の感覚とズレのある言葉があって、それは自分が世間から取り残されているからなのだろうかそれとも、と思ってみたりしたのである。

大賞の一つ「爆買い」は文句ない。今年の世相を表す言葉の一つではないかと思うくらいである。だが、「トリプルスリー」はどうだろう。なんとなくニュースで耳にしていたが、大賞というほどだろうかと疑問に思う。

「アベ政治を許さない」には、産経新聞が噛み付いていた。安倍政権支持派の産経新聞としては、自分たちの主張に反する政治的主張だからなのだろう、選考委員に反安倍の人たちがいるとかなんとか色々と理由を挙げての批判である。また、ネットではその批判に対する批判も目につき、個人的には「どっちもどっち」という気がする。

安保関連法案には個人的には賛成だった。だから産経新聞の主張もわからなくもないが、この論争は間違いなく今年の象徴的な出来事だったし、賛成より反対の声の方が大きかったと思うし、それを象徴する言葉としては、「別にいいんじゃない」と思う。仮に産経新聞の主張する通り、反対派が意図的に選んだとしても、しょせん「悔し紛れの最後っ屁」であるし、いちいち目くじら立てるほどでもあるまいと思う。十分説明ができる範囲内だし、心を広く持てばと思う。

「安心してください、穿いてますよ」は、実は最近知ったばかりである。確かに面白い芸だと思うが、流行語になるほど流行っていたのだろうか。もしそうだとしたら、それを知らなかった自分に危機感を覚える。最近どころか今初めて知った「まいにち、修造!」もしかりである。

そもそもどういう選考方法なのかよくわからない。新聞で取り上げられた件数とか、ネットでの検索ランキングとか、客観的な指標があるのだろうか。それともなんとなくの感覚なのであろうか。よくはわからないが、「現代用語の基礎知識」編集部が関与しているようであり、それはPRと実益も兼ねているのかもしれないが、なかなか面白い試みだと思う。

今年もはや12月。いつもながら月日の経つのは早い。世の中の動きを流行語で振り返るというのも、考えてみたら最初にアイディアを思いついた人はなかなかのセンスだと思う。

さて、個人的にはどうだろう。年の瀬にはじっくりと一年間を振り返って、来年の計画でも立てようかなどと思ってみたりするのである・・・



2015年12月3日木曜日

櫻井よしこの講演を聞く

昨日、東京都宅地建物取引業協会の「創立50周年記念講演」に行ってきた。普通なら、この手の「退屈そうな」講演など見向きもしないのだが、講演者に「櫻井よしこ」の名前を見て、行く気になったのである。

櫻井よしこといえば、保守派の論客。「反安倍」の人たちからみれば、親の仇ぐらいに映る人かもしれない。その言動は、新聞やテレビではおなじみであるが、やっぱりナマで聞いてみたいと思ったのが、最大の理由である。

講演テーマは、「日本よ、のびやかなれ」。肝心の内容はといえば、やはり期待通りの内容であった。まずは聴衆に「世界地図を思い浮かべてくれ」と語りかける。東に(太平洋を挟んで入るが)アメリカ、西に中国。世界経済のNo.1と2に我が国は挟まれている。アメリカがどう動くか、中国がどう動くかに、我が国は影響を受ける。なかなかの出だし。

AIIBにイギリスが真っ先に参加し、欧州が雪崩を打ってそれに続き、人民元が「基軸通貨」になる動きが始まっている。一方アメリカは、2013年9月10日、シリア内戦への参加を否定し、「世界の警察官」としての立場を放棄。こうした変化は、アメリカの専門家によると、日本にとって「元寇以来の歴史的危機」だという。

この日を境に、ロシアはクリミアを獲得し、中国は南沙諸島の埋め立てを加速。世界の非難を物ともせず、中国は未だに埋め立てを行っているが、「南シナ海で起こることは東シナ海でも起こる」とする。ロンドンに人民元の取引センターを設立する動きも進行中で、イギリスは中国に取り込まれつつある。時代は、「パックス・アメリカーナ」から「パックス・シニカ」に向かっているとする。

230万人を擁する中国軍は、30万人の人員削減を発表し、ノー天気な朝日新聞はこれを軍縮の動きと歓迎していたが、もはや不要な陸軍の人員を削減しただけで、軍事費は伸び続けている。陸海空軍、特殊部隊、サイバー部隊の統合運用が発表され、これはアメリカにとっても日本にとっても大きな脅威だという。最後は「憲法改正が必要」と主張し、会場の拍手喝采を浴びていた。

いろいろとニュースだけではわからない話も聞けて、わざわざ参加した甲斐があった。アメリカ=正義、ロシア=悪と必要以上に強調していた感があったが、どう捉えるかは別として、事実は事実だろう。そうした事実を聞けたことは大きかった。

特に「日本だけの価値観」では世界でやっていけないという話は、印象的だ。日本人はとかく「みんな仲良く」という精神で考える。それは非常にいいことだが、世界の国が皆その価値観で応えてくれるという保証はない。ここが大きな問題だろう。アメリカに代わって覇権を取ろうという野心を抱いている中国に対し、胸襟を開いて大丈夫なのかという不安はやっぱりある。だけど、そこまで警戒するのもどうかという気もする。

「裏切られるのを覚悟で信頼する」か「警戒しすぎて真の友情を築けずに終わる」か。その判断は難しい。信用とは、「信じても用心すること」だという。今はこういうスタンスでいるしかないような気がする。アメリカだってエゴの大国だし、日本の純情はご都合によって平気で踏みにじられる。そんな大国の狭間で、我が国も賢く振舞うしかないだろう。

講演時間は50分と冒頭で語っていたが、よどみなくしゃべり続け、違和感なく時間ぴったりで講演を終えたのは、さすがだと感動。今年は、竹中平蔵の講演も聞いたし、こういう講演は得るものが多い。これからも、いろいろな人の講演を聞いてみたいと思ったのである・・・

【本日の読書】
なぜ、スーツは2着目半額のほうがお店は儲かるのか? 価格で見抜く“高くても売れる戦略”“安くても儲かる戦略” - 千賀 秀信 グレートカンパニー - リッチ・カールガード, 野津 智子









2015年11月30日月曜日

転職1年


転職してちょうど1年が経過した。この1年、思うにいろいろあったが、実に楽しく仕事をさせていただいている。メガバンクから社員10人の中小企業に移ってまず感じたのは、「人の数だけ仕事が増える」というパーキンソンの第一法則だ。

メガバンクでは、意思決定のために資料を集め、書類を作成し、何度も手直しした上で決裁に回し、上位者へと順に承認を取りながら、最終決裁者の承認を得る。早くても1日、内容が重ければ数日あるいは1週間以上かかかる意思決定も、中小企業では、資料を持って社長に説明してその場で決まる。このスピード感は、初めは戸惑うくらいであった。

作成する決済書も、私の元の職場ではワードの書体や文字のポイントまで細かくルールがあり、見る人の好みによって表やグラフや「てにをは」の表現や体裁も変わる。役員決裁ともなれば、何度も何度も手直しし、それはそれは立派な書類が出来上がるが、肝となる「判断」はほんの一部で、大半は事務労働だ。この事務労働を大幅にカットできれば、「帰りが遅い」銀行員もみんな定時に帰れるだろう。

転職によって通勤時間は大幅に増えた。何せ毎日山手線を一周している(往復とも内回りで一周している)のであるが、個人的には読書時間が増え、かえって嬉しい気がしている。以前はなかなか年間で100冊読めなかったが、今年は既に114冊を数えている。私にとっては、「痛勤時間」など皆無で、この「読書時間」は短縮したいと思わない。

仕事は楽しくて仕方がないが、それは自ら主体的に考え、提案・実行しているからだろう。なんでもそうであるが、「やらされている」より「自らやる」方がいいのは当たり前のこと。大きな組織では、ボトムアップで組織を動かすのは容易ではない。そのあまりの労力に、たいてい匙を投げるものだが、中小企業であれば簡単に動く。このダイナミズムも魅力だと思う。

銀行では、だいたい50代前半で出向・転籍となるところが多いだろう。役員にでもなれば別であるが、転籍して本体を離れ、そこで第二の人生となるわけである。そのまま銀行で用意してくれた関連会社などの席に座るのも良いが、退職金をもらって外へ飛び出すのも悪くはない。
そう改めて感じている。

サラリーマンであれば、だいたいみんな「自分は仕事ができる」と思っているだろう。実はそれは特定の組織内だけであったりするかもしれないと思っているが、本当にそうなのか、外に出てみればわかる。「俺が出世できないのは、単なる不運だ」と思っている人は、是非飛び出てみるべきだと思う。中小企業の方も「優秀な」人材を欲しているから、ブツブツ文句を言っているくらいならそうすべきである。

さて、2年目に突入となるわけであるが、慣れの怖いところは、「これでいい」と思うところだ。改善点はないか、もう一つ上を目指すにはどうしたら良いか、目線は常に上に維持していきたいところである。

転職して、定年がなくなったのも良かったところだ。ただしそれは、「会社が続く限り」という条件付きである。そして会社が続くかどうかは、自分の頑張りも影響するところ。自分の食い扶持は自分で確保しないといけない。できれば最低でも70歳までは働きたいと思うし、それ以上も働いて年金の心配などしないで済ませたいと思っている。

明日から2年目、そして一年最後の月。気持ちを新たに、楽しく働こうと思うのである・・・

【本日の読書】
御社の寿命 あなたの将来は「目利き力」で決まる! (中公新書ラクレ) - 帝国データバンク情報部, 中村宏之 やってはいけない「実家」の相続 - 天野 隆





2015年11月26日木曜日

三島由紀夫

11月25日は三島由紀夫の命日であった。「三島由紀夫の命日」と言えば、それはすなわち、「三島由紀夫が自衛隊の市ヶ谷駐屯地で割腹自殺した日」ということである。

当時(1970年)、私は6歳。多分、日本中がこのニュースで持ちきりだったであろうが、そんな記憶は全くない。なぜ自衛隊だったかというと、それまで体験入隊等し、自身の持論であった「憲法改正」を主張し、自衛隊員に決起を促すためであったという。

三島由紀夫が主張していた「憲法改正」は、
『日本を全的に守る正しい〈健軍の本義〉を規定するためには、憲法9条全部を削除し、その代わり〈日本国軍〉を創立し、憲法に、〈日本国軍隊は、天皇を中心とするわが国体、その歴史、伝統、文化を護持することを本義とし、国際社会の信倚と日本国民の信頼の上に健軍される〉という文言を明記するべきである』とする本格的なもので、安倍総理が進めようとしている「憲法改正」などこの主張に比べたら、可愛いものに思えてしまう。安全保障関連法案で、反対していた人たちが見たら、目を丸くして猛反対するような内容である。

憲法改正は私も賛成であるが、さすがにここまで主張されると腰が引けてしまう。当時と比べれば、自衛隊もだいぶ存在意義を認められるようになってきたし、おそらく「憲法改正には反対だけど自衛隊の存在は認める」という人は多くなっているだろうから、もしかしたら今の世の中を見たら、三島由紀夫ももう少しマイルドな主張に改めたりするかもしれない。

私個人としては、こういう「過激思想」の人というよりも、やはり作家としての三島由紀夫が好きである。今でも本棚には 『仮面の告白』、『美徳のよろめき』、『潮騒』、『金閣寺』、『永すぎた春』そして『豊穣の海』シリーズ4部作が並んでいる。いずれも一時期気に入って読んでいたものである。中でも特に『豊穣の海』4部作は、しびれるような刺激を受け、「これぞ文学」と感動した覚えがある。

4部作の第1巻である『春の雪』は、映画化もされているが、ストーリーといい作中のセリフといい、大正時代の恋愛の奥ゆかしさと相まって、なかなかの感激を受けた。そして最終巻『天人五衰』の衝撃のラストも大きな印象を残してくれた。『天人五衰』の完成は、死の直前だったらしいが、よくぞ書き上げていただいたと思うばかりである。

非常な天才だったようであり、私のような凡人にその思想を理解するのは困難であるが、生きていたら日本文学界にもっと大きな足跡を残していただろうと思うと、つくづく残念に思われてならない。そんなことをつらつらと考えていたら、また『豊穣の海』シリーズを読み返したくなってきた。もう読んでからだいぶ経っているし、そろそろもう一度読み直してみてもいいかなと思う。

私にとっては、その思想云々よりも、自分の子供にも人にも進めたいと思う作家であり、11月25日はつくづく惜しまれる日なのである・・・

【読了済みの三島由紀夫の本】
春の雪 (新潮文庫) - 三島 由紀夫 豊饒の海 第二巻 奔馬 (ほんば) (新潮文庫) - 三島 由紀夫 豊饒の海 第三巻 暁の寺 (あかつきのてら) (新潮文庫) - 由紀夫, 三島 豊饒の海 第四巻 天人五衰 (てんにんごすい) (新潮文庫) - 由紀夫, 三島 潮騒 (新潮文庫) - 三島 由紀夫仮面の告白 (新潮文庫) - 三島 由紀夫 美徳のよろめき (新潮文庫) - 三島 由紀夫 金閣寺 (新潮文庫) - 三島 由紀夫

【本日の読書】
世界に分断と対立を撒き散らす経済の罠 - ジョセフ・E・スティグリッツ, 峯村利哉 民王 (角川文庫) - 池井戸 潤





2015年11月23日月曜日

世の中の問題について

週末の土曜日は、世話役として参加している寺子屋小山台の講座があった。今回のテーマは、「現代の問題」。あれこれとある中で、しっかり議論しようとすると、とても1時間や2時間で済む話ではない。とはいえ、考えるきっかけとしては、いい内容ではなかったかと思う。

私も普段から問題意識を持つようにしている。ただ実際「考えている」ことと、「他人と議論をする」ということは、また違うものがある。「考える」だけだと、当然ながら反論などない。「自分の考えが常に正しい」わけで、自らの意見と違う意見に触れた時、そこでまた考える方向を変えて考えるという機会に恵まれる。そういう意味では、自分にとっても得るものが大きい良い機会である。

折からパリで大規模なテロがあり、大勢の人が殺された。報復としての空爆も行われており、その戦果(被害?)を目にしてはいないが、多分テロとは無縁の人も巻き添えを食っているかもしれないし、そうするとそれが新たなテロへと繋がるかもしれない。もはや「国家対国家の戦争」は、どこかの国の左の人たちが声高に主張するにもかかわらず、起こりうる可能性は低くなっている。今はむしろ、テロを心配する時代となっている。

テロを起こしたISに対して、その力を削ぐために空爆が行われているわけであるが、なぜ空爆かといえば、それは人的被害(戦死者)を出したくないからに他ならない。十分恵まれた生活を送れる先進国の人間からすると、自分の国を守るためならまだしも、遠く離れた異国の地で命をかけたくはないだろう。昔のようにすぐに地上戦に踏み切らないのはそれが為に他ならず、それが欧米先進国側のアキレス腱だとも言える。とはいえ、テロが収まらなければ地上戦へと進むのかもしれない。

それにしても、もともとISを「反アサド勢力」として武器を与え支援したのは欧米だ。おおよそ歴史を振り返れば、世界中で戦争を起こしてきたのは欧米だ。のんびり鎖国生活を謳歌していた我が国の玄関に土足で入り込んできて、無理やり開国させた上で国家間の争奪戦に参加せざるをえない状況を作ってくれたのもそうだ。現在でも世界の武器輸出は、国連常任理事国が大半を占めている。武器の販売を全て禁止すればさぞかし紛争も減るだろうと思うが、自国の銃規制もまともにできないアメリカには、期待するのも無理だろう。

テロが悪いのは言うまでもない。どんな立派な信条だろうと、人を殺して正当化できるものなどありえない。それを阻止することは必要なことであるが、病気と同じで「治療」よりも「予防」が大事である。他国や他民族を自らの都合のいいようにコントロールしようとすることをやめ、過剰な国益の追求をやめ、もちろん武器を売って儲けようなどと考えず、奪うより分け合う精神で国家間で付き合うようにすれば、紛争など起こらないだろう。まぁ無理な相談であることは百も承知である。

問題は、我が国としてどう行動するかであるが、剥き出しの欲まみれで国益を追求する貪欲な大国の狭間では、なかなか理想的な行動は取れないだろう。ただ、どうしたら良いのかは考えていかなければならない。アベさんがどうこうと言うより、広い視点で我が国の現状を捉えていかないといけないだろう。

考えるきっかけとしては、この寺子屋小山台はいつもいい機会だと思っている。これからも、「いらない」と言われない限り、活動には関わっていきたいと思うのである・・・


2015年11月18日水曜日

東京観光は浅草?

浅草といえば雷門
昨日のこと、仕事の合間を縫って人に会いに浅草へ行った。アポイントの時間に少し余裕があり、お茶を飲むかブラブラするかの選択肢から、「ブラブラ」を取った。

暖かい日差しの中、ウロウロすると、やはり観光地。平日とは思えない賑わい。ほとんどが観光客だと思われたが、一見して外国人が多い。円安効果で来日外国人観光客が増えているとニュースでやっていたが、こういうところに来るとそれを実感する。

今やドンキも進出
目見当では、観光客のおよそ4割くらいが外国人だろうか。そのうち半分くらいが中国人(または台湾人)だと思われた。多いに結構。たくさんお土産を買っていただいて、消費活動を通じて日本経済に貢献していただきたいと思う。

 そんな外国人観光客を見ていて、やはり浅草のような「和テイスト」の残る街は、外国人受けするのだろうかと、ふと思った。もしも海外から来た人に、東京見学を頼まれたら、自分はどこに連れていくだろう。「近代東京」を感じられるところか、それとも浅草のような「和テイスト」溢れる街だろうか。
雰囲気溢れる通りと人力車
 浅草と言っても、ブラブラしていると、吉野家やマクドナルドや日高屋など、どこにでもあるお店もある。観光地とはいえ、そこで日常的に生活したり働いたりしている人はいるわけで、何ら不思議はない。そんなお店は、地元住民専用かと思うと、マクドナルドで食事している白人親子がいたから、それはそれなのであろう。

そこかしこで記念撮影する外国人観光客を見ていると、やはり「和テイスト」が受けているみたいで、浮世絵の書かれた壁の前で写真を撮っていたりする。テキサスに旅行して、テンガロンハットで写真を撮るようなものだろうか。

そうこうしているうちに待ち合わせ時間となってしまい、中心地を離れた。吾妻橋を渡れば、そこでも観光客が写真を撮っている。隅田川とスカイツリーと吾妻橋と、風景としてもいいかもしれない。
売れるのかと心配になるが風景の一角を占める商店
もしもいつか海外から来た人に、東京観光に連れて行ってくれと頼まれたら、浅草がいいかもしれないと感じた。行列ができていたどら焼きにも未練があるし・・・

そんな機会が訪れるかどうかわからないが、もしものために、ストックぐらいあってもいいだろう。その時になって、慌ててガイドブックを見るのではなく、さらりと提案したいと思うのである・・・







【昨日の読書】
世界に分断と対立を撒き散らす経済の罠 - ジョセフ・E・スティグリッツ, 峯村利哉 運は創るもの 私の履歴書 (日本経済新聞出版) - 似鳥昭雄





    

2015年11月11日水曜日

カーシェアリング

カーシェアリングを利用することにした。と言っても、我が家にはプレマシーがある。利用することになったのは、実家である。

教習所の車が左ハンドルだった昭和30年代に免許を手にした父も、とうとう年貢を納めて愛車を廃車にした。もう年齢的にも運転しない方がいいという周囲の声に従ったのである。

しかし、そうすると、母の月一の病院通いに支障をきたすことになった。ただでさえ足元もおぼつかないのに、通勤電車になど乗ったら、本人どころか周りも迷惑だろう。タクシーを利用するように進めても、「もったいない」と言って絶対利用しないだろう。そこで私が送り迎えすることにしたのだが、自宅から実家へ迎えに行って病院へというのもしんどい話なので、実家近くのカーシェアリングを利用することにしたのである。

いざ会員登録して、利用してみると、これがなかなか便利。あらかじめパソコンで利用時間を予約しておく。あとは当日実家の近所の駐車場に行き、利用するだけ。専用カードをかざすと、ドアのロックが解除される。ダッシュボードからキーを抜いて、エンジンをかけるのである。

予約時間の30分前になると、カーナビがその旨教えてくれる。ご丁寧に延長方法までレクチャーしてくれる。ちょっと時間オーバーしそうだったので、カーナビで操作すると、手続きはすぐに終わる。駐車場に戻してキーを元の場所に差し込めば、清算結果もすぐわかる。

車種も(そこの駐車場は)6種類あって、好きなのを選べる。とりあえず、乗り慣れているプレマシー(ただし型はこちらの方が新しい)にしたが、今度は別のにしてみようかという楽しみもある。気がつけば、すべて一人で手続きが完結。誰にも接することがなかった。

レンタカーとの比較優位でいけば、この手軽さと価格だろう。15分206円で、15分単位で利用でき、ガソリンも「満タン返し」する必要がない。レンタカーだと最低6時間(6,000〜8,000円)だから、この設定は嬉しい。保険込みで約4,000円かかったが、値段的にもレンタカーと比べるべくもない。そういえば、子供の友人のあるご家庭では、自家用車はなく、カーシェアリングだと聞いたことがあるが、あまり利用頻度が高くなければ、それでいいという判断もうなずける。

事業採算は、規模がないと厳しいだろうが、「乗りたい時に乗れる」という利便性が確保できれば、駐車場料金の高い都内などでは特に利用が広がるような気がする。我が家でも、当面月一回の母親の通院は続くし、仕事も合わせられるようになったから、私の送迎もそれに合わせて続く。当分、利用することになるだろう。

仕事でたまに利用するレンタカーでは、先日アウディを頼みもしないのに貸してくれた。基本的に「日本車派」の私としては、外車に乗るいい機会だった。次なる希望は、こうしたラインアップだろうか。人間は慣れれば贅沢になるものである。しばらくは、便利に楽しみながら利用しようと思うのである・・・

【本日の読書】
競争しない競争戦略: 消耗戦から脱する3つの選択 - 山田 英夫 贖い - 五十嵐貴久





 

2015年11月8日日曜日

寿司屋考

先日のこと、社長に連れられて寿司屋に行った。「社長に連れられて」行くのであるから、そこは当然、回転寿司ではない。昔ながらの、カウンターに座り、目の前で握ってもらうタイプの寿司屋である。「ここのを食べたら、回転寿司には行けなくなる」と社長に言われ、喜んでついて行ったという次第である。

喜び勇んで店に入り、威勢のいい大将の握りをしっかりと堪能してきた。確かに寿司は美味しかった。帰りにこっそり覗いてみたら、お値段はやっぱりそれ相当のものだった。いつも我が家でスシローに行くが、家族4人で食べる合計より、一人当たりの値段は高かった。それだけの価値はあったと正直思う。

しかし、冷静になって考えてみると、社長に言われていた「ここのを食べたら、回転寿司には行けなくなる」という言葉には、素直に同意しかねる自分がいた。確かに美味しかったが、スシローとの差がどれほどあるかと言えば、「そんなに差はない」というのが、正直な感想だ。と言うより、目をつぶって食べたら、どちらがどちらだかわからないかもしれないとも思う。

「もちろん、食べ慣れていないからだろう」と言われれば、返す言葉もない。だが、考えてみれば、寿司は「ネタとシャリ」からできている。そしてネタは、海で泳いでいる魚だ。回転寿司と伝統的寿司屋とで、そんなに差が出るものではない。むしろ回転寿司の方が、その巨大な資金力を生かし、よりイキのいいネタを仕入れているかもしれない。大将オリジナルの絶品ホタテは無理としても、普通のネタでは回転寿司も負けていないと思うのである。

では、伝統的寿司屋に行く価値はないかと言えば、そうはならない。静かな店内で、大将の握ってくれる寿司を食べるのは、なかなか気分が良い。大勢の人がごったがえす店内とは、比較すべきもない。子供のいない大人の空間の居心地良さが、寿司の味に加わることは間違いない。伝統的寿司屋の美味しさは、ネタだけではないのである。『100円のコーラを1000円で売る方法』で紹介されていたが、100円のコーラもリッツカールトンのルームサービスで頼めば、1,000円になる所以である。

20代の頃は、デートで寿司屋に行くなんてちょっと度胸がいるものだった。やがて回転寿司が登場し、垣根は低くなったものの、「安かろうまずかろう」が当てはまった。ところが昨今は、ついに味もレベルが上がってきた。安くて美味しい寿司を食べられるようになったのは、間違いなく回転寿司の功績だ。ただ、だからといって、伝統的寿司屋が劣ることにはならない。回転寿司では味わえない「雰囲気」が、伝統的寿司屋にはあるのである。

それぞれが、それぞれの良さを生かし、うまく共存していってくれれば、日本の寿司文化も安泰だと思う。これを機に、伝統的寿司屋にもちょくちょく行こうと思う、がそう簡単にそうと書けないところがなかなか悲しい。代表的庶民の我が家としては、伝統的寿司屋さんはとてもハードルが高い。まぁ子供を連れて行くところでもないし、と言い訳をしつつ、「いつかそのうち」としておくところだ。

当面は、素直にスシローのお世話になりたいと思う我が家である・・・

【今週の読書】
あと20年でなくなる50の仕事 - 水野 操 書斎の鍵 (父が遺した「人生の奇跡」) - 喜多川 泰, 「元気が出る本」出版部 







2015年11月5日木曜日

いたちごっこ

タワーマンション使った節税、国税庁「チェック厳しく」

タワーマンションを使った相続税の節税をめぐり、国税庁が行きすぎた節税策がないかチェックを厳しくするよう全国の国税局に指示したことがわかった。「著しく不適当」なケースは個別に評価し直す、という通達の規定があり、全てのタワーマンションの相続について適用するかどうか検討する考えだ。(朝日新聞デジタル)
2015年11月3日(火) 
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 仕事柄、この手のニュースには自然と反応してしまうのだが、「やっぱりな」というのが最初の感想である。タワーマンションを使った節税というのは、我々庶民にはあまり縁のないことであるが、富裕層の相続税の節税手段としてここのところ注目を浴びているものである。マンションの固定資産税は、フロアーの違いに関係なく、「各階一律同じ」。ところが、価格は「上に行くほど高くなる(傾向がある)」。そのギャップを利用したものである。

例えば、30階建てのタワーマンションがあるとする。同じ広さの部屋であっても、実際の価格は、1階だと5,000万円だが30階だと1億円ということがある。1億円の現金を持っているお金持ちは、そのままだと相続税は1億円分かかる。ところがマンション(不動産)を買うと、その評価額は固定資産税評価額となる。そして大概、固定資産税評価額は時価よりも安いので、不動産を買うだけで資産を圧縮できるというメリットがある。

さらに、このマンションの固定資産税評価額が、1部屋3,000万円だとすると、それは「1階でも30階でも3,000万円(広さが同じとして)」ということになる。となると、1階の部屋を買うと5,000万円が3,000万円(の評価額)になるが、30階だと1億円が3,000万円になるのである。現金だと1億円分の税金を払わないといけないのに、このマンションの30階の部屋を買えば、3,000万円分の税金で済むわけである。

タワーマンションほど、この「ギャップ」は大きく、税理士などが一生懸命お金持ちにアピールしているのである。昨今のマンション価格の高騰は、東京オリンピックを背景にした建設ブームもあるかもしれないが、こうした投資熱の影響も大きいと思う。

そんな「節税」に、国税も目をつけたというのが、冒頭のニュースである。酒税のギャップをついて、ビールメーカーが涙ぐましい努力をして発泡酒や第3のビールを出せば、国税は来年度の税制改正で酒税改正(引き上げ)を検討しているという。まぁ、お国も苦しい台所事情を抱えているから、少しでも「取れるところから取ろう」と思うのだろうが、なんとも言えない。

ただ、ビールは一般の人の反発も強いだろうが、タワーマンション課税で困るのはお金持ちくらいだろうから、庶民としては痛くもかゆくもない。どうぞご自由にという気楽さがある。しかし、一方で巧みな課税逃れをしているアマゾンなどの多国籍企業に対して、指をくわえているのは如何なものかという気がする。これについては、アメリカ政府との関係もあるから「指をくわえている」わけではないのかもしれないが、「そっちを頑張ったら」と言いたくなるのが人情というものだろう。

タワーマンションに対する「不均衡」が是正されたら、マンション投資の熱も冷め、それが価格高騰の是正につながるとしたら、それはそれで歓迎すべき事態なのかもしれないが、果たしてどうであろう。よく実際のタワーマンションの部屋を見る機会があるが、高層階の部屋からの眺めは確かに素晴らしく、毎日こんな景色を眺める生活も悪くないと思う。けれども一方で、そんなに高い所に住むことに対する漠然とした不安感を覚えるのも事実である。正直言って、「一時的ならともかく、こんな高層階にはずっと住みたくない」と個人的には思っている。

まぁ心配しなくても、住むようなことにはならないからいいのであるが、決して「すっぱいぶどう」ではないことだけは、強調しておきたいと思うのである・・・

【本日の読書】
あと20年でなくなる50の仕事 - 水野 操 逆説の日本史21 幕末年代史編4/高杉晋作と維新回天の謎 (小学館文庫) - 井沢元彦






タワーマンションを使った相続税の節税をめぐり、国税庁が行きすぎた節税策がないかチェックを厳しくするよう全国の国税局に指示したことがわかった。「著しく不適当」なケースは個別に評価し直す、という通達の規定があり、全てのタワーマンションの相続について適用するかどうか検討する考えだ。(朝日新聞デジタル)

2015年11月1日日曜日

立ち止まれるべき時は

【ランズエンド闇の孤島】という映画を観た。特に面白いというほどの映画ではなく、エンターテイメントとしては、普通の映画なのであるが、観ていていろいろと考えさせられる映画であった。

主人公は刑事のジョー。ある日、少女が惨殺されるという事件が起こる。捜査線上に浮かんだのは、性犯罪歴のある男ビューリー。早速、拘束して取り調べるも、自供が得られない。有罪を立証しうる証拠もなく、やがて拘留期限が切れ、ビューリーは釈放される。

ところが、ジョーはこれが許せない。ビューリーの動向を監視し、そしてある晩、パーティーの帰りにビューティーを拉致する。そして人気のない海岸で、生き埋めにする脅しをかけ、自白を強要する。身の危険を感じたのであろう、ビューリーは自白し、ジョーは思い余って彼を殴り殺してしまうというストーリーである。

刑事とはいえ、そこまでやるとさすがに犯罪である。そしてあろうことか、やがて真犯人が明らかになり、ビューリーが無実だったことが発覚する。ジョーは、その場にいた同僚刑事でもある弟のクリシーとともに必死に隠蔽工作をするのであるが、やがて二人は追い詰められていくというストーリーである。

「怪しい」という思いと、殺された少女への同情と、ジョーが暴走していく気持ちはわからなくもない。ただ、どこかで一旦立ち止まって原点から見直してみたら、あるいはこのような悲劇は避けられたのかもしれないと思う。そういえば最近、事件から20年経って子供殺しの罪に問われていた夫婦の無罪が立証されたと報道されていた。なんでも、放火とされていたのが、実験によって自然発火だった可能性が高くなったというのが理由であった。警察もどういう捜査をしたのだろうかと疑問を感じてしまう。

だが、実は夫の方は、亡くなった娘に性的暴行を加えていたことが分かっており、夫婦には当時多額の借金があり、にもかかわらず、子供に多額の保険をかけ、しかもマンションの購入契約を結び、お金を必要としていたという事情があったらしい。これだけ聞くと、「真っ黒じゃないか」と思うのが普通だろう。正直、事件が自然発火であったとしても、それがなくてもどこかでやっていたんではないかと思えてしまう。

とはいえ、実際に無実であったのなら、20年も刑務所暮らしをさせられたのは、大きな過ちに違いない。神様ではない人間が、全てを見通すことなどできないが、自分の思いだけで突っ走るのはやはり危険なのであろう。常にどこかで一旦立ち止まって、周りの声に耳を傾け、自分の思いを疑ってみる必要があると言えるのかもしれない。

私も仕事を始めとして、基本的には自分の意見をはっきりと相手に伝える方である(ただし、家庭内で妻相手にはこの限りではない)。それはそれでいいと思うのだが、アクセルとブレーキをしっかりと意識しておかないと、さすがに犯罪は犯さないだろうが、どこかで間違えるかもしれないと思う。映画の主人公のジョーの暴走を、「バカだなぁ」と思って終わりにするのではなく、彼の悲劇を以って自分への教訓としたいと思う。

エンターテイメントとしては、大して面白いとは思えない「普通の映画」だったのであるが、なんだか思いの外、あれこれと考えさせられた映画である。まぁ、これも映画の良いところ、だと思うのである・・・
   
    

2015年10月28日水曜日

ネクタイ

 仕事で外出をした。なかなかの好天気で少し暑いくらいの1日であった。このくらいの陽気だと、外出も気持ちがいいが、もうまもなくコートの襟を立てて歩くようになるのだろう。

 さて、そんな電車の中で、ふと気がついたのだが、ネクタイを締めていないサラリーマンが多い。そういう自分は、今月からネクタイを締めているのだが、世間的にはまだクールビズ期間であることに気がついた。取引銀行の行員さんも、ノータイでやってきた。5月からのクールビズ期間もいつの間にか半年になっている。いつの間にか、1年の半分はネクタイがいらなくなっていなる。

 これがいいのか悪いのかと言えば、やっぱり歓迎すべきことだろうと思う。そもそもよくよく考えてみれは、ネクタイというのもおかしなシロモノだ。機能的には何の役割も果たしていない。唯一の役割と言えば、「見栄え」だろう。ネクタイを締めている相手は、していない人と比べると、やっぱりしっかりして見える。

 それに、締める方からすれば、気分的なものがある。朝、髭を剃ってネクタイを締めると、「さぁ仕事だ!」という気分になる。そういえば、社会人になりたての頃は、なかなか思うように締められないのをもどかしく思いながらも、「社会人になった」という自覚を得られたように思う。そんなネクタイだが、この分だといずれなくなる運命なのかと思ってみたりする。

 27年前、銀行員になって最初に配属された支店は、八王子であった。その時まで全く知らなかったのだが、八王子はネクタイの一大生産地であった。近隣のネクタイ製造メーカーの社長が窓口に来て、私のネクタイを見て、「合わないね」とやんわり指摘されたのを今でも覚えている。昨今、製造の海外移転とクールビズとで、一大生産地もかなり生産が減っているようだし、あの時の社長の会社も、もうなくなっているかもしれない。

 そんなネクタイであるが、やはり将来的には無くなっていくのであろうか。長年締めてきたためか、夏場はともかくとして、ビジネスの場では締めていたいと思うところがある。中小企業である我が社には、ドレスコードなんてないから、別にネクタイなどしてもしなくても何も言われない。ただ、やっぱり何となく思うところあって、今月初からネクタイを締めている。結局、ネクタイをする理由は、何となく「しっくりくる」という気分的なところである。

 そんなことをつらつら考えていたら、最近ネクタイを買っていないなと思い至った。特段、何かこだわりがあるとか、おしゃれに気を使っているかとかは全くないのであるが、久しぶりに買おうかなと思ってみたりする。ネクタイ文化が消失しないよう、せめて一助にでもなりたいと思うのである・・・

【本日の読書】
ヴァージン・ウェイ R・ブランソンのリーダーシップを磨く教室 - リチャード ブランソン, 三木 俊哉 逆説の日本史21 幕末年代史編4/高杉晋作と維新回天の謎 (小学館文庫) - 井沢元彦







2015年10月24日土曜日

TMO

 ラグビー日本代表の予想外の活躍で、俄然面白みを増したW杯も1次リーグを終え、先週から決勝トーナメントに入っている。国内はまだジャパン、ジャパンと帰ってきた一行の動静の報道に忙しいようであるが、まぁそれは仕方ないであろう。今週末は準決勝だし、いよいよクライマックスが近づいていて、興味は尽きない。

 さて、そんなW杯であるが、今回改めてTMOが目につく。TMOとはテレビマッチオフィシャルのことで、要は「ビデオ判定」だ。ラグビーは特に組んず解れつのスポーツなので、いかにベテランのレフリーでもなかなか正確な判定はむずかしい。アシスタントレフリーのサポートはあるが、それも限界がある。TMOはそんな時、威力を発揮する。

 そういえば、先日バレーボールのW杯を観ていたら、やっぱりビデオ判定が導入されていた。ただし、バレーボールの場合は基本的に「異議申し立て」に近く、チームから要請して行われるもののようだ。ラグビーの場合は、レフリーが自主的に行うので、回数制限もないし、より公平感がある気がする。

 ラグビーは紳士のスポーツだから、基本的にレフリーにいちゃもんをつけるわけにはいかない。だが、悔しい時は、後でこっそり「あれはトライだった」と呟くものである。そういうセリフを聞いたこともあるし、自分にも経験がある。大学3年の時の成城大学戦がそれである。

 大型フォワードを揃える成城大学との公式戦。戦前の下馬評に反し、試合中組んだスクラムからも当たりあった感触からも、大きさの割に相手の手応えは弱く、「これはイケる」と闘志をかき立てられた。そして1点差を追った後半の残り時間も少なくなった時間帯、味方が抜け出しパスが通った瞬間、逆転トライを確信したが、なんとレフリーがスローフォワードの判定。「まさか」と愕然と崩れ折れた。

 その時、レフリーは後ろから走って見ての判定だった。相手の監督も試合後、「やられたと天を仰いだ」と語っていた。試合はそのまま1点差で敗れた。勝てた試合だったし、あれほどの悔しさはない。あの時TMOがあったらと思わずにいられない。多分一生「あれはトライだった」と言い続けるだろう。

 まぁ対抗戦の下位チームの試合にTMOなど過剰であるとは思うが、W杯ともなれば国と国の威信もあるし、ファンの強い関心もある。より正確な判定は必須だ。それでも先週のオーストラリアvsスコットランド戦では、最後の逆転PGに繋がった判定が誤審だったと発表された。スコットランドの選手からすれば、やり切れないかもしれない。

 もっとも、「それも含めてラグビーなのかもしれない」と、あれから30年近く経ってみて思うことでもある。負けたこと、それもあと一歩のところまで追い詰めていて負けたことで、試合終了後思わず涙がこぼれた。学生時代、唯一負けて泣いた試合だった。

 大きな試合はともかく、TMOの不要なレベルの試合では、「それも含めてラグビー」でいいのかもしれないと今では思うところである・・・
   

誤審だったと認められたオーストラリアvsスコッランド戦





2015年10月21日水曜日

iMac

 長年愛用してきたパソコンがとうとう悲鳴を上げはじめ、しばしばフリーズを繰り返し、挙句に動かなくなってはなぜか復旧しという状態になったため、ついに買い替えることにした。そしてこの機会に、長年親しんできたウィンドウズをやめ、マックに移行することにした。

 そうと決め、早速いつものビックカメラに向かう。アップルストアに行くのがセオリーなのかもしれないが、ちょっと遠いし、それにビックカメラならポイントも使えるし貯められる。要は大してこだわりがあるということもないのである。

 さて、マックのいいところは機種が少ないところだろう。最初から「買うならデスクトップ」と思っていたから、iMacにしようと思っていたのだが、嬉しいことに3種類しかない。「松・竹・梅」と言ったところだろうか、あれこれ迷わなくて済む。ウィンドウズパソコンだとこうはいかない。結局、店員さん(アップルから派遣の方?)のオススメにより、エントリーモデルを購入することにした。

 さて、帰ってきて早速起動する。どこをどう間違えたのか、システムのガイドは全て英語表記。英語の音声ガイダンスがいちいち流れる。英語の勉強にいいやと思っていたが、やっぱり気が散ってしまう。DVDの再生はできないし、メールソフトの 立ち上げも覚束ない。「習うより慣れろ」派の私も、とうとう根負け。サポートを利用することにする。

 こういう場合、サポートにはいつ電話してもながらないものなのだが、何とアップルは予約制。日時指定で電話してきてくれるらしい。先週末の休日出勤の代休で休みだったこともあり、本日電話を待つ。そして指定時刻と10分の誤差で電話をもらう。常にすぐ繋がるのが一番だが、できないならこういう方法も素晴らしい。サポートもリモートコントロールでこちらの画面を見ながら指示してくれる。昨年、DELLの同様のサポートを利用したが、それは向こうでこちらのPCを操作するものだったが、アップルはポインタで示すだけで操作はできない様子。それも何となく安心感を抱く。おかげで疑問点はすべて解消した。

 不便といえば、これまで使ってきたワードとエクセルだろう。とりあえずインストールしなくても、保存していたファイルはそのまま使える。だが、操作はやりにくい。オフィスのソフトをインストールすれば解決するのかもしれないから、まぁご愛嬌だろう。今後色々と使ううちに、また出てくるのかもしれない。
 
 マウスもキーボードもシンプルだし、デザインにこだわるマックならではなのだろう。使いにくさもそのうち慣れるのだと思う。何より今までと勝手の違いが、何となく楽しく感じる。パソコンを使い始めた頃の感覚は、こんなだった気もする。21インチの画面は、これまでのPCより大きく、テレビのチャンネル権を持たない私がDVDで映画を楽しむことにも役立ちそう。何より楽しいのが一番。

しばらくは、「新しいおもちゃ」を楽しみたいと思うのである・・・


【今週の読書】
日本語 新版 下 (岩波新書 新赤版 3) - 金田一 春彦 モンローが死んだ日 (新潮文庫) - 小池 真理子







       

2015年10月15日木曜日

議論をするのはいいのだが・・・

 一時期フェイスブックを見ると、安保法案反対意見が溢れていた。さすがに法案成立後は静かになったが、まだあちこちで余熱が燻っている。反対派の人たちからすれば、面白くないのだろう。まだ諦めずに活動している熱意には頭が下がる気がする。基本的に賛成派の私としては、法案が成立したのはよいと思っているが、あとの「歴史の評価」が気になるところである。

 国の方針を巡って議論が盛り上がるのは基本的に良いことだと思うが、今回の安保法案関連の議論は、議論としてはどうも「いかがなものか」という感じだ。基本的にいろいろな意見を自分なりに咀嚼して、柔軟に自分の意見を決めたいと思っている私としては、納得がいけば意見を変えるのに抵抗はない。されど、反対派の意見はどうにも「理屈派」の自分には受け入れ難いものであった。一言で言えば、「理屈より感情の反対論」と言えるものだったからである。

 そもそも「レッテル」として批判されていたが、「戦争法案」という呼称からしていかがなものかと思う。イメージ操作の印象は拭えないし、中にはそのイメージだけで反対論に与しているような人が多かった。となると理屈など二の次で、そんな感情論には賛同などできない。「徴兵制」や「アメリカの戦争に巻き込まれる」などの意見は、どう考えても実現可能性は見出せない(もちろん、可能性としては排除できないが、それは隕石との衝突で地球が滅亡する可能性と「どっこいどっこい」だ)。

 そもそもであるが、問題があってその対策として安保関連法案が出てきたのだから、反対なら代替案を出すべきだ。それがまともな議論だろう。蓮舫さんは、「憲法違反なものに代替案は不要」と答えていたが、それは詭弁で「憲法違反でない代替案」を出すべきだろう。癌の治療に際し、激しい副作用があるからと言ってその服用に反対するなら、代替案を出さないと癌は治療できない。そうした議論が成り立たなかったところも、反対論に与せなかった原因である。もっと論理的に論破してほしかったと思う。

 一方の賛成派の意見も、これも弱いのは事実だ。こうした国の根幹に関わることは、もっと根本から改めないといけない。憲法を改正して国の背筋を正すのが一番であるが、歴代政権はそれを避け続けている。ただ国民の間に、「自衛隊はいいけど憲法改正はイヤ」というムードが強いことを考えると、それもわからなくもない。自衛隊は憲法違反であることを考えれば、自衛隊を取るか第9条を守るかの選択となるが、果して多くの国民にそれができるのだろうかと思ってしまう。

 そうした筋の通った議論がなされていないところが、今の世の中に不満を覚えるところだ。普段実家の母親と議論していて、そしていつも喧嘩になってしまうのは、理屈と感情の衝突となるからだ。これは本当に噛み合わない。筋を通して生きたいと言えば大げさかもしれないが、理屈に沿って考える私としては、感情論に対する術は今のところ見い出せないし、それは永久に無理だろう。

 仕事でも議論を詰めていくと、相手が苦しくなってくるのが分かる時がある。そのまま相手が折れれば良し。折れなければどこかで自分も折り合いをつけないと、後々感情的なしこりが残ってしまう。議論に勝つことが正解ではないのである。自分の中でも、そんな「ブレーキポイント」を持っていようと心掛けている。

 個人としてはそれでいいが、国としてはそうはいかない。安倍政権のやることすべてに反発する人の意見には辟易してしまうが、そういう意見はなるべくスルーして、まともな意見が出てきたらきちんと耳を傾けたいと思うのである。

「理屈と感情」
自分にとっては、一生の課題である・・・


【今週の読書】
日本語 新版 上 (岩波新書) - 金田一 春彦 モンローが死んだ日 (新潮文庫) - 小池 真理子