2015年10月15日木曜日

議論をするのはいいのだが・・・

 一時期フェイスブックを見ると、安保法案反対意見が溢れていた。さすがに法案成立後は静かになったが、まだあちこちで余熱が燻っている。反対派の人たちからすれば、面白くないのだろう。まだ諦めずに活動している熱意には頭が下がる気がする。基本的に賛成派の私としては法案が成立したのはよいと思っているが、あとの「歴史の評価」が気になるところである。

 国の方針を巡って議論が盛り上がるのは基本的に良いことだと思うが、今回の安保法案関連の議論は、議論としてはどうも「いかがなものか」という感じだ。基本的にいろいろな意見を自分なりに咀嚼して、柔軟に自分の意見を決めたいと思っている私としては、納得がいけば意見を変えるのに抵抗はない。されど、反対派の意見はどうにも「理屈派」の自分には受け入れ難いものであった。一言で言えば、「理屈より感情の反対論と言えるものだったからである。

 そもそも「レッテル」として批判されていたが、「戦争法案」という呼称からしていかがなものかと思う。イメージ操作の印象は拭えないし、中にはそのイメージだけで反対論に与しているような人が多かった。となると理屈など二の次で、そんな感情論には賛同などできない。「徴兵制」や「アメリカの戦争に巻き込まれる」などの意見は、どう考えても実現可能性は見出せない(もちろん、可能性としては排除できないが、それは隕石との衝突で地球が滅亡する可能性と「どっこいどっこい」だ)。

 そもそもであるが、問題があってその対策として安保関連法案が出てきたのだから、反対なら代替案を出すべきだ。それがまともな議論だろう。蓮舫さんは、「憲法違反なものに代替案は不要」と答えていたが、それは詭弁で「憲法違反でない代替案」を出すべきだろう。癌の治療に際し、激しい副作用があるからと言ってその服用に反対するなら、代替案を出さないと癌は治療できない。そうした議論が成り立たなかったところも、反対論に与せなかった原因である。もっと論理的に論破してほしかったと思う。

 一方の賛成派の意見も、これも弱いのは事実だ。こうした国の根幹に関わることは、もっと根本から改めないといけない。憲法を改正して国の背筋を正すのが一番であるが、歴代政権はそれを避け続けている。ただ国民の間に、「自衛隊はいいけど憲法改正はイヤ」というムードが強いことを考えると、それもわからなくもない。自衛隊は憲法違反であることを考えれば、自衛隊を取るか第9条を守るかの選択となるが、果して多くの国民にそれができるのだろうかと思ってしまう。

 そうした筋の通った議論がなされていないところが、今の世の中に不満を覚えるところだ。普段実家の母親と議論していて、そしていつも喧嘩になってしまうのは、理屈と感情の衝突となるからだ。これは本当に噛み合わない。筋を通して生きたいと言えば大げさかもしれないが、理屈に沿って考える私としては、感情論に対する術は今のところ見い出せないし、それは永久に無理だろう。

 仕事でも議論を詰めていくと、相手が苦しくなってくるのが分かる時がある。そのまま相手が折れれば良し。折れなければどこかで自分も折り合いをつけないと、後々感情的なしこりが残ってしまう。議論に勝つことが正解ではないのである。自分の中でも、そんな「ブレーキポイント」を持っていようと心掛けている。

 個人としてはそれでいいが、国としてはそうはいかない。安倍政権のやることすべてに反発する人の意見には辟易してしまうが、そういう意見はなるべくスルーして、まともな意見が出てきたらきちんと耳を傾けたいと思うのである。

「理屈と感情」
自分にとっては、一生の課題である・・・


【今週の読書】
日本語 新版 上 (岩波新書) - 金田一 春彦 モンローが死んだ日 (新潮文庫) - 小池 真理子







   

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